その魔女は、古き世界を知る唯一の存在。
 古き世界と今の世界を、繋ぐものは何か。
 これは、世界の全てを知る物語。

   ◇◇◇

 ハイダルク王国の辺境の村には、ある言い伝えが残っている。
 村はずれの塔には、全てを見通す魔女が住んでいるという。
 その塔に入った者は、必ず魔女の呪いにかかるとも言われている。例えば、精神をやられてしまったり、手足をなくしてしまったり、二度と帰ってくることはなかったり。
 勿論、それには色々と噂が噂を呼んで鰭が付いてしまったものがあるだろうと踏んでいる人間も多く――気づけばその塔は、村の若者にとっての度胸試しの場所と化していた。
「おい、ラルド。遅れるなよ!」
 塔を登る階段に、二人の男女が立っていた。
 一人は、姉御肌の気質があるように見える、赤髪の少女。
 そしてもう一人は、線が細いように見える、気弱な黒髪の少年。
 二人は仲良しで、どんなところでも遊びに行く程だ。そして、今も。
 ラルドと呼ばれた少年は、ぜえぜえ息を荒立てながら、言葉を返した。
「ミリア、そんなことを言ったって困るよ。僕だって、僕なりに、頑張っているんだから……」
「頑張っている、ってのはお前の勝手な解釈だろ。私からしてみれば、それは頑張っているって言わないんだよ」
「そんなあ……」
 塔の中は、手入れがされていないためか、ボロボロ。壁には穴が開いているし、階段も幾つか段が抜け落ちている。時折、自分の身体ぐらいの高さの崖を登らないといけないぐらいだ。
 昔は多くの人間が使っていたのかもしれないが、この塔には様々な装飾品が並べられている。ベッドなどの調度品も、今はあまり見かけない代物だらけだ。かつては、この塔も王室が利用していたのかもしれない。だとすれば、それもまた至極当然と言えるだろう。
「ミリア……あとどれぐらい?」
「ラルド、未だ弱音を……。でもまあ、朗報だ。次の階層で最後だろうよ。そこを乗り越えれば、もう最上階だ。……いったい何が居るんだろうな?」
「魔女……じゃないの? 言い伝えでは、この塔に――」
「魔女が住んでいる、だろ? でも、それはほんとうなのかね。全くもって信じられないのだよなあ。この塔なんていつ建築されたか分かったものじゃない。人が住んでいる気配すら感じられない。だのに、ここには魔女なる存在が住んでいる。魔女、だぞ? 世界ではもう存在しないと言われた、あの魔女だ」
 魔女。
 魔なるものに魅了され、魔なるものを魅了した存在。そして、魔女には様々な能力が備わっていると言われており、最早存在しないからそのように装飾されてしまったのではないか――なんて疑いがかかってしまうぐらいのことだった。
 いずれにせよ、魔女という存在は、文献の中でしか存在しない生き物だった。
 いや、そこまで来たら、生き物と言って良いかすら怪しい。
 魔女というのは、それ程までに妖艶であり不可思議であり不定である。
 今、彼女達はその不可思議な存在である――魔女に出会おうとしていた。
 階段を登っていくと、そこには、大きな扉があった。扉は両側に開く扉が設置されている。
 今までの階層は、階段を登った先にこのようなものはなかった。正確に言えば、階段の区画と、部屋の区画が分かれていなかった。一体となっていた。
 しかし、ここは違う。
 ここは、この階層だけは――階段と部屋の間に、扉が設置されていた。
 まるで、ここにやって来た客人に、この場所だけは特別であることを示すかのように。
 まるで、ここから先は特別なものがあるということを示すかのように。
「……何で、こんなところに扉があるんだ?」
「し、知らないよ……。でも、もしかしたら、ここに魔女が……?」
「ラルド、開けてみろよ」
「嫌だよ、ミリアが開けてよ。……やっぱりミリアも怖いんじゃないか」
「ば、馬鹿! 何言っているんだよ、怖い訳ないだろ。ここは男に先を譲る、って言いたいんだよ」
「女性優先(レディファースト)なら聞いたことはあるけれど……」
「何か言ったか?」
「な、何も! 分かった、分かったよ。開ければ良いんだろ。その代わり、後悔するなよ」
「後悔って、何の?」
「そりゃあ、勿論、魔女を最初に見つけた権利だよ」
「そんな時間も経過していないんだから、誤差じゃないの」
「それはそうかもしれないけれど……でも、そこは気にしておきたいし」
「まあ、それはどうだって良いから、取り敢えず開けて頂戴」
「こういうのはプロセスというのがね……分かった、分かったよ」
 二つのドアノブに手をかけ、ラルドは扉を手前に引っ張った。
 そこに広がっていたのは、小さな寝室だった。ベッドが置かれていて、そのベッドには天井がついている。机の上には分厚い本が幾つか置かれている。さらに、壁を覆い尽くす程の本棚には、ぎっしりと本が詰まっている。そして、その部屋に太陽を取り込んでいる唯一の窓辺に――一人の女性が居た。
 女性は窓辺に椅子を持ってきて、空を眺めていた。窓からは遠くリーガル城まで眺めることが出来、ハイダルク王国を一望出来るようになっている。
 そして、女性の横顔を見たラルドは――一目で美しい、と思ってしまった。
 女性もまた、ラルドの視線に気づいたのか、そちらに振り向いた。
「……誰かと思えば、人間か? ここに人間が来るのは珍しい」
 鈴を鳴らしたような声だった。黄金のように輝いて見えるブロンドの髪をたなびかせた彼女は、白を基調とした不思議な格好に身を包んでいた。
 普通、服と言えばボタンで留めるのが普通だったが、その服はベルトのようなもので留めるようになっていた。服はボロボロのように見えたが、それが装飾なのか劣化でそうなったのかは、誰にも分からなかった。
「……あなたが、魔女?」
 ミリアがラルドの横に立って、訊ねる。
 女性は二人を舐めるように眺めた後――ニヤリと笑みを浮かべてゆっくりと頷いた。
「魔女……魔女ね。ああ、確かにそうだ。私は君達が言うところの……魔女だよ。かつては違う名前でも呼ばれていたが……しかして、それを話す必要はないだろう。いずれにせよ、時代が変わり過ぎたからな」
 魔女は移動し、ポットを取り出す。ポットには何も入っていないようだったが、それをそのまま机の上に置いて、ぽつりと呟いた。
「ここまで来たのも何かの縁だ。お茶を出してやろう」
 そう言うと、ポットの口から湯気が出てきた。
「……嘘、だろ?」
「一瞬で、水が湧いた、ですって……? でも、水も入っていなかったように見えるけれど……」
「魔術」
 ぽつり、と魔女は呟いた。
「かつては違う学問だったが、今は全て衰退してしまって……全てが魔術に統合されてしまった。それならば、聞いたことがあるのではないかね?」
「魔術……偉い人が習う学問のことだっけ?」
「そうよ。私達には関係ないもの。お金持ちが娯楽として学ぶもの。それが魔術って聞いたことがある」
「魔術も衰退したものだな」
 魔女はティーカップを取り出すと、それにお茶を注いだ。二人分注いだところで、ちょうどお茶はなくなってしまったようだ。
「さあ、飲むが良い。……安心したまえ、毒も呪いも入っておらんよ」
「知っているんですか。この塔にある言い伝えを」
「知っているも何も、流布したのは私だ。……変な輩が、ここに立ち入らないためにな。しかし、人間というのは、危険であればある程、そこに挑戦したくなる生き物だということを、忘れていたよ。……かつてはそういう人間と一緒に過ごしていたような気もするのだがね」
「それじゃあ、何故」
「言っただろう。変な輩が来ないように――」
「違います。どうして……どうして私達をここに招き入れたんですか」
 ほう? と魔女は笑みを浮かべつつ答える。
 ミリアの話は続く。
「あなたの言い分が正しければ、あなたは相当な人間嫌い。人間が近づかないようにするぐらいです。まあ、度胸試しとして広まってしまっているけれど……。でも、そうであるなら、私達が来た時も軽くあしらうか、その魔術を利用して、私達を追い出しても良いはず。でも、あなたはそれをしなかった。……何故?」
「……頭が良いな、名前は?」
「ミリア」
「名字は?」
「そんなもの、忘れた。だって必要ないもの」
「そうか、ミリア……良い名前だな。きっと立派な魔術師になるだろうな」
「私が……魔術師に?」
「然様。魔術など、こつを掴めば誰だって習得することが出来る。今は金持ちの道楽と化しているようだが……そういう簡単さが選ばれているのだろう。私の使う術式は正確には魔術ではないから、魔女というのも間違いかもしれないが……まあ、それについては言わないで良いだろう」
「魔女……さん。これからずっと一人なんですか?」
「……何を突然?」
 言ったのはラルドだった。
「私はずっと一人だよ。魔女というのは寿命が長い生き物でね。二千年を超えた辺りから数えるのを止めてしまった。いずれにせよ、普通の人間の数十倍も生きることは間違いないだろうな。何せ、それをするのが魔術だ」
「二千年……」
 ラルドは、途方もない年数を呟いたままぼうっとしてしまった。
「……それに、魔女と呼び続けるのも、何か悪い。私にも名前があるのだよ」
「名前?」
「リュージュ。それが私の名前だよ。……思えば、人に名前を言うのも久しぶりだな。よろしく頼むよ、少年?」
「僕はラルドです。それからこっちは……」
「ミリア」
「二人は仲が良いんだな。昔のあの子達を思い出すようで……」
「あの子?」
「ああ、いや、こちらの話。……まあ、これからは色々と大変なことになりそうだし」
「?」
 ミリアが何かに気づいて振り返ろうとすると――そこには兵士が立っていた。兵士達は、ミリアとラルドの頭に銃を突きつけて、服従を命令するようだった。
「何者だ?」
「……全てを知る、『全知全能の魔女』ならば、知っていたでしょうに」
 兵士の後ろからやって来たのは、小太りの男だった。小刀と銃を腰に携えているが、兵士の様子からしてそれはあまり使っていないのだろう。
 リュージュは睨み付けながら、さらに話を続ける。
「そちらには、私の情報が筒抜け、という訳か」
「筒抜けとは言わなくとも、過去の文献から情報は手に入るものですよ。……『喪失の時代』、文献を探すだけでも大変でした。しかし、あなたはその時代を生きた証人だ。そして今もなお、幻のような存在『魔女』として、この世界に生き続ける」
「仰々しく私の情報を言ったところで、何も変わらないと思うが?」
「必要でしょう。この何も知らない小娘達には、教えておくべき情報かと」
「……それで? ハイダルク王国の兵士が、私に何の用事だ?」
「話が早くて助かりますな。……我が王が、あなたに一度お会いしたいと」
「王が? もう私は二度と政治には首を突っ込まない。そう決めたのだが?」
「あなたはそうかもしれません。……しかし、『魔女』という存在、使わない訳にはいきませんよ。知っているでしょう? この世界が、どのように進んでいくか」
「……それを知りたくないから、私はここに居た訳だが」
「戯言は結構です。あなたには、我が王とお会いしていただきます。もしも否定するようならば……この二人には死んでもらいます。……ああ、でも、あなたには関係のない話でしたかな?」
 舌打ちをするリュージュは、やがてゆっくりと頷いた。
「分かった。ちょうど外の世界を眺めたいと思っていたところだ。……だが、一つ条件がある。子ども達を自由にさせろ。どうせ一緒に連れて行くのだろうが」
「ええ、その通りですよ。……人間を良くご存知で」
「嫌と言う程、人間と交流してきたからな」
 こうして塔に住んでいた魔女は、とても久しぶりに外の世界に足を踏み出すことになった。
 しかし、これがこの世界を大きく揺るがす出来事になろうとは――或いは、全知全能の魔女ならば知っていたことだったのかもしれない。






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