「初めまして。今日から……この、東谷異文化商会に勤めることになる、柊木雪乃です。よろしく……お願いします」
 ぺこり、と頭を下げる雪乃。
 ぱちぱち、と疎らの拍手を受けて彼女は漸く安堵の溜息を吐き、一番前にある彼女の席に腰掛けた。
「それじゃあ、オリエンテーションを始める」
 何故かオリエンテーションの行われる部屋は、教室のようにデザインされていた。机も椅子も教室みたいな感じになっているし、教壇や黒板まで設置されている。おまけに黒板は二枚。百歩譲って前の黒板は必要としても、後ろの黒板は必要だろうか?
 そして、こんな教室に居る生徒――は雪乃のほかに何人か居るだけだった。志穂と恵美、そして冷たい笑みを浮かべている和服の女性だけ。
 それにしてもこの会社は女性の社員しか居ないのだろうか?
 あ、商会だからこの場合は会員?
「じゃあ、先ずはこの会社がどんな会社か説明しよう」
「悪の組織ですよね?」
 ばしんっ!
 チョークが雪乃の眉間めがけて飛んできた。
 そして見事に眉間にそれが命中し、苦悶の表情を浮かべる。
「痛いぃ……」
 それにしても、このご時世にチョークとは。
「良いか。先生の話の腰を折るな。そもそも先生でなかったとしても、目上の人間が話している最中に口を出すな。それだけで話をする意欲が減るってもんだ」
「それメンタル弱すぎません?」
「もう一発チョークを投げ込んでも良いんだぞ?」
「すいませんもう言いません!」
「宜しい。それでは話を再開しよう」
 チョークを使って黒板に文字を書いていく。
 少ししてそこにはこう書かれていた。
「悪の組織、確かにうちを一言で言うとこういうことになる」
「悪の組織は具体的には何をするんですか?」
 ばしんっ!
「痛い!」
 またチョークが飛んできた。
「だから言っただろうが。私の話の腰を折ると、チョークを飛ばすと」
「言いましたっけそれ……」
「悪の組織とはどういう組織なのか、一言で言えば、悪いことをする組織だ」
 そのまんまじゃないですか、と突っ込みたかったが何とか心の中で押し留める雪乃。
「君は、異世界についてあまり信用していないと言っただろう? それは何故だ」
「それは……やっぱりファンタジー要素が存在するとは思わないからですよ。魔法? 魔物? そんなものが存在しない世界に住んでいた訳ですから」
「だが、それが間違いだと言いたいんだ、バカメイド」
「バカメイドって何ですか、それ! 私には柊木雪乃という立派な名前が」
 ばしんっ!
 三度目のチョーク。
 正直そろそろ馴れてきた。
「バカメイドはバカメイドだ。それ以上でもそれ以下でもない。……ファンタジー要素がこの世界に存在しないという価値観が大きな間違いなんだ。分かるか? 魔法だって魔物だってこの世界に存在している。問題は、それを認識出来るか出来ないか、だ」
 黒板に横一直線描く東谷。
「これが、普通の世界……つまり君が昨日まで住んでいた世界であるとしよう」
 続いて、下にもう一本横一直線描く。
「そして、これがファンタジー要素がある『裏』の世界だ。それぞれは基本、交わることはないからお互いがお互いを視認することは出来ないのだが……」
 次に、上の一直線と下の一直線を直角に結ぶ線を描いた。
「しかし、あるきっかけでこの二つの世界を行き来出来るようになる。或いは、世界を視認することが出来るようになる。それはこの国に昔から存在していた、ある職業の子孫にあたるという訳だ」
「子孫?」
「陰陽師、という言葉に聞き覚えはないかね?」
「?」
「要するに祈祷師ということだね。かつてはそういう役割もあったし、今もそれを受け継いでいる家系もある。しかし、大半の陰陽師の家系のうち、力を持った四つの家系は形を変えて今もなお、日本の暗部に存在しているという」
「暗部……」
「光が当たる場所があれば、影もまた存在する。光とはそういうものだ」
「じゃあ、東谷さんはその家系の人間なんですか?」
 ばしんっ!
 四度目のチョーク。
 痛さを通り越して良く分からない感情に陥ってしまう。
「そんな家系が存在すると思ったか? それもまた、ファンタジーだ。都市伝説の一つだ。ロアの一つだ。信じようと信じまいと……と言われるアレだ。だが、魔法そのものは存在して、今もなお形を変えてこの国の暗部に存在している。ダークウェブという言葉に聞き覚えは?」
「……名前だけなら、少しは。あんまり見に行っちゃいけない場所ですよね」
「あんまり、ではなく絶対に、だ。それに、ダークウェブは世界で最も手軽に暗部を覗くことが出来る。度胸試しで挑む人間も少なくないが……まあ止めた方が良いだろうな。覗いた瞬間に、相手もそちらを覗いている。ゲーテだったか何処かの哲学者がそんなことを言っていたな」
「会長」
「何だ、恵美」
「ニーチェですねえ、それは」
 訂正するところ、そこ?
「あー、そうだったか。済まなかったな、訂正感謝する。……という訳で、悪の組織の意味が理解出来たか?」
「ファンタジー世界に干渉するのが目的なんですか?」
「及第点だな」
 漸くチョークを投げること以外の反応が得られたことに安堵する雪乃。
「……さて、ここまで聞いたところで次は実践練習だ。何事もやってみないと何も始まらないからな。行くぞ、志穂」
「承知」
 東谷と志穂はそのまま教室を出て行った。
 残りの人間はそのまま居座っている。
 どうすれば良いのかと考えていると、
「どうした、行かないのか?」
 部屋の角に座っていた、冷たい笑顔を浮かべていた女性に話しかけられた。
 




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