[1] 「……して、マーズ・リッペンバー。報告を受けることにしようか」  王の部屋は荘厳とした雰囲気に包まれていた。王の座る椅子の後ろには、林檎を持った女性が象られたステンドグラスが日光を部屋に通して輝いていた。  ヴァリエイブル連合王国は三つの内国家で別れており、その中の一番大きな国家――ヴァリス王国を事実上の主権国としている。国際的立場においてはこのヴァリス王国がヴァリエイブルの代表として立つこととなる。  ヴァリス王国が『政治』の中心とするなら、もう二つの王国、エイテリオ王国とエイブル王国はそれぞれ『貿易』と『経済』の中心地である。エイブル王国は“王国”の形をとっているとはいえ、その首都は高層ビルが軒を連ねており、その内部では国際的な経済大学や株取引のセンターまで設けられている。  そういうところを聞くと至極近代的ではあるが、『株』という概念は崇人が居た世界でも十六世紀から十七世紀にかけての大航海時代から始まったものであって、それ程崇人の居た世界と差異がないようにも思える。  王の言葉を聞いて、マーズは報告を始める。 「報告、というほどのものではないのですが、≪インフィニティ≫が起動出来ました。それが彼です。以後、彼を私の部下として訓練をさせていこうと思います」 「ふむ……。しかしながら、君自身はそれでいいのかね?」  王の言葉にマーズは頷く。 「ええ。彼自身まだこの世界に対する知識が浅いですからね。次いで、彼をリリーファー起動従士訓練学校へ入学させるべきだと考えているのです」 「……彼はこの世界の人間ではない、と?」 「ええ。彼はリリーファーに対する知識も必要でありますし、この世界そのものの知識をも覚えていただけなくては困りますから」 「……ふむ、君が教えるというのは?」 「私が教えてもいいのかもしれませんが、私は一応軍属。そう時間を割いてられませんよ」  王は頷いて、答える。 「――そうだな、私の可愛いマーズちゃんは軍でバリバリ私を助けてくれるために頑張ってくれているんだからねっ!」  ――王は、先程とは違う荘厳な雰囲気ではなく顔をほころばせて言った。 「ほんとう、なんであなたは王様なんですかね。そうでなかったら殴ってるよ。リリーファーで反逆しても構わないんだけれどね」 「そういうマーズちゃんもいいんだよ」 「……もういいや。変態な王様はこれまでにしておこう。私はこれで戻りますからね」 「はいはい、また来てねマーズちゃーん!」 「投げキッスするなよ気持ち悪い……」  そんな捨て台詞を残して、マーズは王の間を後にした。  場所は変わり、リリーファー起動従士訓練学校。  リリーファー起動従士訓練学校はヴァリエイブル連合王国の中心に位置しており、年三百人の人間がリリーファー起動従士を目指すために入学する。しかしながら、皇暦七二〇年現在リリーファー起動従士は国内で五十人ほどしか居らず、そのうち第一起動従士と呼ばれる常にリリーファーに乗ることが可能となる起動従士は三十人程しかいない。三百人全てが卒業するとしても約十倍の高い倍率である。  その学校に、今年も入学の季節がやってきた。 「……にしても、まさかまた学校に入ることになるとはな……」  学校の校門を一人の“少年”がくぐり抜けた。  彼はこの世界の知識をほとんど知らない存在で、≪インフィニティ≫を動かした存在――大野崇人だった。  では、なぜこの姿なのか?  それは、すこし前に遡る。 「すこし年齢を退行させる。なに、そんなものじゃない。精々十歳くらいにするくらいだ。そうでもしなくちゃリリーファー起動従士訓練学校には入れまい」 「ちょっと待ってくれ。話が読めない」  マーズと崇人は会話をしていた。  崇人はこの世界に見合う格好を、とのことで黒の体操用ジャージを着ていた。“スーツ”という服はこの世界には存在しないためか、スーツを「なんだか知らないけれど堅苦しいモノ」とのことで捨てられるところだったが、マーズがなんとか捨てずに取っておいた。 「まあ、スーツさえあればあの世界に戻れるだろうしな……」  崇人は≪インフィニティ≫を降りて、マーズから大まかなこの世界の概要について聞かされた。  この世界はクローツという名前で、崇人が今いる国家はヴァリエイブル連合王国であるということ、そしてこの世界の大まかな歴史の流れの説明を受け、崇人はそれを聴きながら相槌をついていた。 「……それで、どうして今俺に話すんだ?」 「だから言っただろう。学校に行くんだ。まったくあんたのことを知っている人が居るとも限らん。寧ろいない方が普通だ。だからあんたを年齢退行させるのはいいんだが、ある程度の知識……そうだな、十歳くらいの人間が持っている知識くらいは持っていってもらわなくてはな」 「十歳とは言うが、俺は今三十五だぞ?」 「いいじゃないか。若々しい時代が再びやってくるのだぞ? 年齢を取った人間には一番のご褒美だと思うがね」 「そういう問題じゃねえよ……」 「解った解った。とりあえずさっさと行ってくれ。私はこれから王と話すことがあるんだ。……えーと、入学式はあと三時間後だからそのつもりで。それじゃ」  そう言ってマーズは去っていった。 「お、おいちょっと待て……!」  崇人の言葉を聞く耳も持たず、マーズは歩いていく。  崇人は仕方ない、と思い息を吸って改めて自らの体を見た。  身体は十歳のそれであって、どちらかというと顔つきも女の子っぽかった。 「まずいな……こんなんでいつもの話し方なんてしたらとんでもないことになりそうだ」  そう言って崇人は咳払いする。 「えーと……、大野崇人……いや、タカト・オーノです。よろしくお願いします」  目の前に鏡があるのが好都合、だと思った崇人はなんども練習を続けていく。年齢がバレてしまっては元も子もない。 「そもそも、どうして俺はこんなことになったんだ……?」  そんなことを考えている暇など、崇人にはなかった。  現時刻九時二十分。  そして、入学式は十二時ちょうどから。  あと三時間を切ったというわけだ。 「……仕方ない。行きますか……」  意外と崇人は順応能力があるようで、しゃなりしゃなりと歩く態度は最早十歳のそれであった。  そして、崇人はリリーファー起動従士訓練学校へと向かった。  話は戻る。  リリーファー起動従士訓練学校では、入学式が始まっていた。  こじんまりとした小さな体育館に入学生一同が集められていた。  壇上に初老の男性が向かい、まず入学生一同から一礼する。次いで、それを返すように初老の男性が礼をした。 「……私はここの校長を務めている、ヒューズ・ウェイバックです。今年もこの学校に三百二十五名の新入生が入学してくれました。この学校を選んだことには、私どもも大変嬉しく思います。是非、この学校で学んだ知識を未来に生かしてください」  それだけを言って、お互いに礼もせず壇上から男性は降りていった。 (普通は終わったあとも礼ってしないか……?)  そう崇人は思ったが、誰もやっていないのならいいのだろうと結論づけた。 「それではこれからクラスごとに別れていただきます」  女性のアナウンスとともにクラス毎に分かれていた列は前側の列から出口へと行進していった。  崇人が入学したのはリリーファー起動従士訓練学校の『起動従士クラス』である。この学校の根幹を為す学科で、この学校でも一番倍率が高い場所として知られる。崇人は勿論入学試験など受けていないのでそこのところはいろいろな理由を付けている。そのあたりはマーズが根回ししたので、彼が知ることもないだろう。  この学校には起動従士クラス以外にも魔術クラスと整備クラスがある。どちらもその名前通りの学問を専門として取り扱っている。  クラスに入ると、崇人は黒板を見た。そこには座席表が記されており、それによると崇人は窓から三列目の一番前であることが解った。 (にしても……学校だなんてどれくらいぶりだろう? まさか異世界に来て学校に通うことになるとは思いもしなかったな……)  崇人はそんなことを考えながら、自分の席に座った。  席は左側の座席とくっつけられており、左隣には既に誰かが座っていた。  艶やかな長い黒髪に透き通った肌、彼女は言うならば『美少女』の部類に入る存在だった。 「あ、あの、よろしく……」  崇人から声をかけると、彼女は笑ってこちらをむいた。 「初めまして。私はエスティ・パロング。あなたは?」 「俺はタカト・オーノ」 「変わった名前ね。よろしく」  そう言ってふたりは握手を交わした。  それと同時に教室の扉が開き、仏頂面の男性が入ってきた。七三分けで顔はゴツゴツとしていた。こういう座学の授業よりも体育の教諭の方が似合うのではないかという第一印象を崇人は抱いていた。  男は教壇に立つと、教科書類を教卓に置いた。 「――私はエイデン・ガーベルグという。専門は流体力学だ。君達は半年間、この『力学基礎』という授業において力学の基礎を学び、リリーファーはどうやって動くのかを理解せねばならない」  そう言って、エイデンは教科書の一つを取り出す。ハードカバーでとても分厚く、教科書というよりか鈍器といった方が正しそうなほどだ。 「これが今回の授業で用いる教科書だ。しかしこれは若干ながら難しいモノがあるので、これを掻い摘んだり、あとは板書に補足を書いたりなどとするのでノートを準備しておくこと」  そう言ってエイデンが黒板に向かうと、学生は一斉にノートを開き、ペンを手にとった。崇人も遅れてそれに従う。 「では、今日の授業に入る。今日はまず力学の初めとなる運動方程式について説明せねばならない――」  こうして、リリーファー起動従士訓練学校起動従士クラスの一日が始まった。 [2]  昼休みは学生の数少ない他クラスとの交流時間である(リリーファー起動従士訓練学校は各クラスの棟が別々になっており、それぞれの棟を移動するには授業間の休憩時間僅か五分では移動もままならない)。特にそれが行われるのは中央棟にある学生食堂だ。  学生食堂に集まる学生は全体の半分近くであると言われている。許容人数は三百七十人とされているので余裕で入ってしまう。なぜならば、学生食堂にはメニューが普通のファミリーレストラン以上に豊富にあるため――とも言われているが、実際にはただ弁当を作るのが大変だったり、行きにお店で買っていくのが面倒だったりするのを凡て解決した結果ともいえるだろう。 「タカトくんも一緒にご飯を食べようよ」  と、エスティからのお誘いもあって崇人は食堂にやってきたのだった。 「混んでるなぁ……」  ――会社の食堂とは大違いだ、と言おうとして、崇人はそれを飲み込んだ。  そんなことを言ってしまったらどうなるかは解らない。まあ、それを言ったとしても何とかして誤魔化すのだが、崇人はそう考えた。 「タカトくん、こっちこっち」  崇人は食堂でたぬきうどんを注文し、完成したそれを受け取りエスティのよぶ方へと向かった。  エスティのいるところは四人がけのテーブルとなっており、その内二つ(エスティ含む)は既に埋まっていた。なんでもエスティの幼馴染もこの学校に来ているらしく、その人も招いての昼食である。 「お待たせ。意外と混んでいてね」 「タカトくん、解っていたんじゃない? 初日なのに混まないほうがおかしいよ」 「そうかもね」  崇人はそう言って微笑んで、箸を持つ。  うどんを箸で持ち、口に頬張り込んだ。味は……正直、あちらの世界のものにも見劣りしない出来であった。そもそもどうして『うどん』がこの世界にあるのかと崇人は一瞬考えたが特に問題もなかったので考えないことにした。今それを考えても正直なところ、時間の無駄だ。 「タカトくん、そんなにうどん好きなの?」  エスティの言葉に崇人は頷く。エスティはそれを見て、小さく微笑んだ。 「うどんって、昔からあるんだよね。こんなシンプルで美味しいもの、昔の人はどうして考えたのかなって思うよ」  そう言ってエスティはすでに注文してテーブルに置いてあったカレーを一口頬張った。  そういえばなぜカレーもあるのだろうか、やはりカレーも万国共通――いやこの場合は異世界共通か? 崇人はそんな余裕すら見せていた。 「……ところで、エスティ。この子誰なの? あんたのコイビトとか?」  エスティの向かいの席に座っていた少年が言った。それを聴いてエスティは顔を赤くしてしまった。 「そうする必要はないんじゃないか、エスティ? 違う。俺は……ただクラスメイトだ」 「ふぅん……。ただのクラスメイトねぇ……」  少年の顔は徐々に何かを考えているのか、ニヤついていた。  崇人は『こいつとは一緒になってはならない』と考えていた。  そう、彼の心がそう無意識に考えていた。 「……そうだ。一応自己紹介。私はケイス・アキュラ、一応魔術クラスに入っているよ。そこんとこよろしく」  そう言ってグーサインをした。心変わりが実に早い人間である。  崇人はそんなことを考えながら、さらにうどんを頬張った。  昼休みを半分も過ぎた頃にはうどんの器も空になっており、あれほど満員だったテーブルの列も疎らになっていた。そんな中、三人は談笑していた。 「ところで、エスティの様子はどうよ。タカト……だっけ?」 「ああ、でも特には変わりないと思うぞ? 俺もエスティの元を知らないから解んないけれどな」 「エスティはあれだ」  そう言ってケイスはエスティの方を親指で指差した。 「『女神』……マーズ・リッペンバー様を目指しているんだとよ」 「やだ、ケイス。言わないでよ恥ずかしいよ」 「恥ずかしいって、お前の目標だろう? 恥ずかしいと思う目標なのか?」 「うぅん……違うけれど……」  エスティはどことなくすこし涙目になっていた。  それを見て崇人は小さくケイスに耳打ちした。 「おい、彼女泣きそうになってるぞ」 「いいんだよ、弄りがいがあるだろ?」 「お前最低の人間だな」 「幼馴染なもんでね」  そう言うとケイスは定食に追加注文したフライドポテトを一本頬張った。崇人も断りを入れて一本いただいた(崇人曰く、我慢できなかったらしい)ところ、塩加減がちょうど良く、かつ太さも申し分ないしポテトのほくほく加減も専門店と変わりない味だった。これは人気メニューと言われる理由も解らなくはない。  美味いと思いもう一本いただこうと崇人は考えたが――さすがにそういう訳にもいかないと思いその場で留まった。 「ところで、エスティ。午後はどんな授業があるの?」 「んー、午後はたぶん最後に実技があって終わりかなあ」 「実技? 大変だね、起動従士クラスはね」 「なるために来たようなもんだからねー」  エスティは笑って、冷水を一口飲んだ。  崇人は周りの人間とは違うことを理解していた。この世界に来たすぐにリリーファーを操縦した。この学校に来た理由もリリーファー起動従士になるためではなく、知識を付けるためであるということ。それはほかの人間とは限りなく内容が異なる。  それをほかの人間にも言うことは出来ない。崇人はそんなことを胸の奥に仕舞っている。 「……さて、そろそろ教室に戻って準備しようぜ」  そう言って崇人はお盆を持ち、立ち上がった。  ちょうどその時だった。 「おい、タカトとか言ったな」  不意に後ろから声が聞こえたので、崇人は振り返った。  そこに居たのは、赤い髪の男だった。  服装は黒いジャージで、ちょうど崇人が唯一持っている私服と同じメーカーだった。どうやらこの世界では有名で安価なメーカーらしい。  ジャージ男はさらに話を続ける。 「なぜお前はここにいるんだ? お前は……起動従士じゃないのか……!?」  その言葉の後、食堂の一切の音声が消え去った。  そして、食堂のすべての目線が崇人とジャージ男に向けられる。  崇人は焦っている様子を必死に抑えて、答える。 「お、おい……何を言っているか解らないんだが……?」 「しらばっくれるってのか。……いいよ、教えてやる」  そう言ってジャージ男が取り出したのは一枚の写真だった。  写真は白黒でよく見えなかったが、どうやら二人の人間を写しているようだった。それをよく見ると片方は女性のようにも思える。 「……これがなんだか解らないとは言わせないぞ。片方は『女神』マーズ・リッペンバー様のことだ」 「あ、ああ。確かにそうだな」 「そしてこれを見ろ」  ジャージ男が指差したのは、もう一人の男のほうだった。  それは紛れも無く――“三十五歳の姿”の崇人だった。 「おいおい、何を言っているんだ? 姿形を見てみろよ。この人と俺はまったく違うだろ?」  ほかの人間には解らないが、本人がそう言うと自虐すら思えてくる言葉に、崇人は心の中で泪を流していた。 「『退行魔法』をかければ不可能じゃない……現に雰囲気が似ているしな……!」 「それを言ったら正直なんでもありだと思うんだがね?」  現時点では崇人が圧勝だった。  『その三十五歳の姿の』崇人と『現在の十歳の姿の』崇人が同一人物だという証拠がない現在、言葉だけではどう足掻いても崇人の方が有利だった。ジャージ男もそれを理解しているようだったが、性格がまっすぐなものなのか、まったく非常に厄介なもので、引き下がろうとはしなかった。 「……とりあえず、俺はもう授業があるから行かなくちゃならない。んで、あんたの名前は?」 「俺も起動従士クラスだ。覚えておけ、俺はヴィエンス・ゲーニックだ」  ジャージ男――改めヴィエンスはそう言って、食堂を後にした。  ヴィエンスが食堂を出たのを確認して、崇人はエスティの方を見た。 「なんだかうるさくなってすまない」 「いや……大丈夫よ」 「なんなんだよあいつは。エスティも気を付けておけよ?」  三者がそれぞれの言葉を交わし、崇人はようやく食堂をあとにすることにした。  食堂から教室にもどるまでは幾らかの会話はあったものの、盛り上がることはなかった。先程のことでお互いによそよそしくなってしまったのが原因である。 「……次の授業、実技だけどどんな感じのだったっけ」  崇人が訊ねると、エスティは首をかしげる。 「えーと、一度練習用のリリーファーを起動させるんだったかな」 「ああ、そうだった。それ試験ってどうやるんだろうね」 「噂だと一人一エクス与えられて木を伐採する、とか? 実際に三年前にはそんな試験があったらしいよ」  一エクスとはちょうど崇人が社会人としていた世界で換算すると一アールになる。ちなみにヘクタールは一ヘクテクスとなる。非常に言いづらいので崇人もまだ慣れてはいない。 「まじかよ。そんな試験出されても時間中に終わるか怪しいぞ」 「まあまあ。頑張るしかないでしょ。実際のときにそれが役立つかは別のところだけれどね。リリーファーは軍事活用するために開発されたものだし」 「そうなんだよなぁ……。実際にそんなのしねーよとは思うが、授業だからしょうがないってのもあるんだよな」 「そうだね。……あ、もうすぐ鐘鳴っちゃう」 「やばい、急がなくちゃ!」  そう言って崇人とエスティは小走りで教室へと向かった。 [3]  教室に入る直前で鐘が鳴り始めた時は二人とも焦ってしまったがなんとかぎりぎりで教室へとたどり着いた。  この学校は鐘が鳴ったら自動的に扉の鍵が締められる。トイレなど緊急を要する場合にしか鍵は開かない(しかし、先生は鍵を所持している)ため、遅刻した場合その授業一時間分はうけることができなくなる。  非常に合理的ではあるが、ある種強引な点である。  そして、既にスタンバイしていた先生が出席を取り始める。  席にそれぞれ着いて、エスティが崇人に声をかけた。 「危なかったね……!」 「ああ……、ヒヤヒヤしたぜ……」  『起動従士専攻概論』の担当であるアリシエンス・ペリティエは元リリーファー起動従士として活躍した人間であり、現在でもリリーファーの研究とその起動従士の育成に携わっている。  アリシエンスは小柄な女性で、今年で六十になるらしいがまだまだ若々しい。どれくらいかと言えば、顔に皺ひとつ無いということだ。 「それでは、授業を始めます。今回は……『リリーファー』に実際に乗ってみましょう」  アリシエンスがそう言うと、教室がざわついた。クラスメイトも噂には聞いていたが、まさか初回の授業からリリーファーに乗れるとは思いもしなかったからである。 「それでは、既に用意してありますので皆さん外へどうぞ」  そう言って、アリシエンスは教室の扉のロックを解除して、ゆっくりと歩いていった。それを見てほかの人間もぞろぞろと出ていった。  それにつられるように、崇人とエスティも教室を後にした。  外に出ると、既にリリーファーが三台スタンバイしてあった。しかしながら、それは崇人が乗った≪インフィニティ≫、マーズの乗る≪アレス≫とは違い小型のものだった。  インフィニティと比べれば二回り程小さく、それでも高さが七メートルはあった。その胸部には『School Reliefer』と赤い文字で書かれており、それぞれ『One』『Two』『Three』とナンバリングされていた。 「あなたたちはこれから、このリリーファーに乗っていただきます。理論を学ぶよりかは、まずは実技でやったほうが覚えやすいというものですからね。さて、それでは初めにどなたがやりますか?」  アリシエンスの声を聞き、直ぐに手を挙げたのはエスティ、ヴィエンス、そして――崇人だった。 「リリーファーの動かし方は私がコックピット内部にあるスピーカーから指示しますので、まずは手を挙げた三人はリリーファーに乗り込んでください」  アリシエンスはそう言って、マイクを握った。  一方、自ら志願した崇人、エスティ、ヴィエンスはそれぞれの機体へと乗り込んだ。崇人が乗り込んだのは、『One』、ヴィエンスが『Two』、エスティは『Three』だ。コックピットに入り、席に座る。 「……どことなく≪インフィニティ≫と違う……? まあ、あれは実用性があるとか言ってたしな……」  崇人は独りごちる。 『――聞こえていますか。お三方』  アリシエンスの声がスピーカーから聞こえて、崇人は頷いた。 「聞こえます」 『感度は大丈夫のようですね。えーと、それでは説明します。先程お渡しした小さいボールがありますね?』  アリシエンスの言葉を聞いて、崇人はポケットから先程受け取ったボールを取り出す。透明なボールだが内部にはIC(集積回路)が数多と並べられている。 『それはリリーファーコントローラーと言います。名前のとおり、リリーファーを操縦するためには必要な……要は操縦桿みたいなものです。試しに、「前に動け」とそれを握って強く念じてください。大丈夫です、目の前に誰もいないように避難させてありますから』  そういう問題でもないと思うのだが、と崇人は思いながらもコントローラーを握って強く念じた。  ――動け。  そして、それを念じたと同時にゆっくりとリリーファーが右足を上げ始めた。 「……動いてる」  崇人は、殆ど無意識に呟いた。  自分の、念じたままに、動いた。  それはまるで、初めて買い与えられたオモチャのように。  それはまるで、自分の人生が順風満帆に進んでいったように。  嬉しいことだった。喜ばしいことだった。  それに反応するように、リリーファーはゆっくりと動いていく。 『――オーノくん、さすがですね。初めてにしてはとても素晴らしいですよ!』 「ほ、ほんとうですか」  本当は二回目なのだが――と崇人は言いたかったがそれを必死でこらえた。崇人はふと思って、隣にいる二台のリリーファーを見た。  『Two』を操作するヴィエンスは、食堂であれだけ崇人に大口を叩いていたので、勿論の如くリリーファーを操作していた。  別側にいた『Three』を捜査するエスティも、若干ヴィエンスや崇人には遅れているもののその両足を駆動させていた。 「さすがは自ら志願しただけありますね……。それでは、そろそろ戻していただきましょうかね」  そう言ってアリシエンスはマイクを構え――ようとした。 『こちら「One」! 森を超えた前方に謎の存在! 高さからして十五メートルはあると思います!』  変わって、『One』コックピット内部。  崇人は突然の襲撃者をどうするか考えていた。 「……ちくしょう! なんなんだあいつらは!」  そう。  崇人が発見した謎の存在は、一つではなかった。  正確には、三つ。  それも、どれもが似たようなものだった。  それは、リリーファーのように巨大なものだった。しかし、リリーファーみたく機械じみた雰囲気は一切感じられない。どちらかといえば、“生物”のようにも思える。  姿は濃淡はありながらも紫色で統一されていて、目は全てが黒色だった。少なくとも人間の部類ではないだろう。 「ヴィエンスとエスティと一緒にあいつらを撃退します!」 『待ちなさい、「One」、いや、タカト・オーノ! 何者かは解りませんが、少なくともそれは「襲撃者」であることに間違いありません! 国営リリーファーが来るのを待つべきです!!』  アリシエンスの激昂した声が『One』のコックピットにあったスピーカーから聞こえてくる。 「それじゃあ間に合わない!! その間にどれだけの人間がアレにやられて死んでしまうかも解らないのに、国営リリーファーを待っている暇なんてない!!」  そう言って崇人は強引にスピーカーのスイッチを遮断した。そして、直ぐにそれに向かってOneは走っていった。 「私たちも追いかけます!!」  そう言って『Three』、その後に『Two』も続く。  そして校庭には、アリシエンスとその三人を除く学生が残された。  ところは変わり、白い部屋。  壁も床も扉も全てが白い部屋で、その中には一人の人間が座っていた。  髪も、服も、全てが白の少年だった。顔色は恐ろしいほど悪いもので、目の黒がその空間に唯一の色となっていた。 「……『シリーズ』の投入、さっそく三体とは早すぎやしないか?」  少年のつぶやきに、部屋自体が振動し――まるでそれが生きているかのように――答えた。 「『アリス・シリーズ』の中でも数少ない複数行動のタイプだからね、その名も……『ハートの女王』。“彼女”たちは三位一体だから、三つが三つ揃っていないと動きやしないんだ。めんどくさい存在だから、未だに下の方で活用されているって訳だよ」 「『シリーズ』に対抗出来る勢力が、もう育ったとはまったく思えないんだけれどなあ」  そう言って少年はくつくつと笑った。 「それがね、器自体は出来ていたんだけれどね。肝心のそれを動かすモノが居なかったんだよ。それが遂に……昨日確認出来た。≪インフィニティ≫計画はついに第二段階に移ったんだ。もう少しで全てが無に帰すよ」 「そうかい」  少年は笑って、手に持っていたものを見た。  それは、トランプだった。絵柄はスペードのジャック。 「……別に≪インフィニティ≫以外にも倒されそうだけれどねぇ。特に……『ハートの女王』たちは、さ」  それから、部屋は答えることはなかった。  何も言うことはなかった。  崇人は『One』を操縦し、謎の襲撃者――『ハートの女王』の元へたどり着いた。  改めて崇人はそれを眺める。  紫色とおもいきや、胸にぽつんと白い何かがあった。  しかもそれはそれぞれ異なるものだった。 「胸にある白いものは……トランプのカード? 真ん中にいるのは……ハートのキングで、左にはスペードのジャック、右にはクローバーのジャック……なんだか見たことのあるようなないような」 「おい、タカト! どうなってんだこいつは!!」  ヴィエンスが外部スピーカーを用いて、崇人に叫んだ。 「俺が知っていたら苦労しねえよ! とりあえずどうする!?」 「こいつをやっつけるしかねえだろ!! お前は右、俺は真ん中! 姉ちゃん、あんたは左のそいつを頼むぜ!!」 「ね、ねえちゃんって……! 私にはエスティという立派な名前が……!!」 「解った!! とりあえずエスティもそっちを頼む!!」  りょーかい、と言ってそれぞれの会話は終了した。  ところで。  訓練用のリリーファーとは、国営リリーファーの技術ランクを何段階か落としたものである。  つまり。  国営リリーファーに劣るそれで、襲撃者を倒す――あるいは追い払う――ことは出来るのか。  崇人は、エスティは、ヴィエンスは、そんなことを考えていた。  しかし、今はそんなことは関係ない。  最悪、死んででも時間を稼ぐ他ない。  国営リリーファーがたどり着くまで、幾らかかるかは解らない。  それまでの時間を、稼ぐ。  それが、彼らに課せられた『課題』だった。 「ひとまず……やるか……!」  崇人は強くコントローラーを握り、念じた。  刹那。  今まで胸部に収納されていたレーザーガンの砲口が出現し、直径五十センチのレーザーを撃ち放った――この時間、僅か一マイクロ秒。  そして、レーザーは『クローバーのジャック』を貫いた。  ――はずだった。  レーザーは確かに、クローバーのジャックを貫いていた。にもかかわらず、クローバーのジャックはまだ動いている。『レーザーなんて撃たれていない』かのように、ヘラヘラと笑っていた。 「どういうことだ……!?」 「おい、レーザーが効かねえぞどういうこった!?」 「どういうこと……、レーザーが効かないだなんて……!!」  その反応はヴィエンスもエスティも同じだった。  何もレーザーで行動不能に陥るとは、崇人たちもまったく考えていない。精々ある程度ダメージを蓄積させるだけで充分なのだ。  しかし、それが『まったく効かない』となれば話は別である。  少なくとも、このリリーファーにはレーザーガンとあと一つしか武器を保持していない。  それは、ディスインテグレータ。対象物を原子分解させ粉々にさせる兵器である。  しかし現在ディスインテグレータの開発は頓挫しており、このリリーファーに付けられているのもまだ未完成のものとなっている。理由は単純明解で、実際に小型化してもその『質』が充分でないからである。  さらに内部電源の三割ものエネルギーを割食うため、撃てるのは僅か一発。躊躇っていれば一発すら危うくなる。崇人はそれを使うかどうか考えていた。エスティもヴィエンスも恐らく同様のことを考えているに違いない――と崇人は睨んでいた。  さて、どうするか――崇人は考えていた――が。  その思考はすぐに中断させられる。  ハートのキングがすっと右手を上げて、呟いた。  その声は、確かに人間らしいニュアンスの声だった。 「――首をはねろ!」  その声は、女性のような甲高い声だった。  そして。  それを聴いてジャックの二匹は、腕を振り上げて――それをリリーファーの腹部目掛けて撃ち込んだ。  それと同時にリリーファー『One』、『Three』のコックピットに振動が波のように寄せる。 「ぐはっ……」  リリーファーは起動従士とシンクロする。リリーファー自体が放つ波形と起動従士の心の波形をシンクロさせることでよりよい動きが出来るようになる。あくまでもこれは補助なので実際にはこれをしなくてもある程度の行動は可能である。リリーファーコントローラーを握って、念じることで動かすことが出来るがそのときにコックピット全体を監視するカメラが心音を確認する。これによって波形を描くのだ。  そして、現在のエスティ、ヴィエンス、崇人は無意識ながら心音の波形とリリーファーの放つ波形とシンクロさせていた。 「大丈夫か二人とも!」  ヴィエンスは叫び、後方に振り返った。そして、すぐに向かい合った。 「……さすがに一筋縄じゃいかねえか……!」  『One』、『Three』は後方になぎ倒されたが、お互いすぐに立ち上がった。 「くっ……大丈夫か、エスティ!!」 「ええ、そっちは?」 「なんとかな。いてて……まだ痛えや」 「まったく……女の子に手を上げるだなんて、許さないんだから!」  エスティがそんなことを言ったので、思わず崇人は噴き出した。 「おいおい、戦いのときにそんなこと言う|起動従士(ひと)いないって……。というかリリーファーだけ見ればみんな性別不詳だぜ?」 「そうなんだけどさぁ……」  エスティはそう言ってゆっくりとヴィエンスの方へ向かった。それを見て崇人もそちらへ向かった。 「さぁて、作戦会議と行きますかねぇ」 「どうしてヴィエンス、お前がリーダーぶっているんだよ」 「なんだ、それじゃお前がリーダーになるか?」 「それはそれでなぁ」 「ちょっとちょっと! 私のことを忘れないでよ!」  崇人たちは敵を目の前にしておちゃらけた気分で話をしていた。内容は敵に対する作戦会議ということで、至極まともな内容ではあるが、しかしながら外から見ればそれはただの痴話喧嘩にしか見えない。 「違う、そういうのをするために集まったんじゃない。作戦会議だ。どうする?」 「ひとまず、急所を探そうぜ。そうじゃなきゃ倒すことも出来やしねえ。そもそもレーザーが効かないんだ」  崇人の発言にふたりは首肯する。そのとおりだ――とヴィエンスは思った。  エスティと崇人が同時に放ったレーザーは、確かに襲撃者の身体を貫いたはずなのに、それが起こってもいないような感じになっている。つまり、ノーダメージだということだ。  エスティも崇人も、『ハートの女王』の恐ろしさを身で実感した。  そして、ヴィエンスもそれを目の当たりにした。  彼らに、倒せるのか――と自らの意志で問いかける。 「……なぁ、エスティ、ヴィエンス」  崇人は重く、口を開いた。 「どうした?」 「――ちょっと、いい案があるんだけど」  ところは変わり、それを眺めていたのは『白の部屋』の少年だった。  部屋にはテレビがいつの間にか生成されていて、それを通して現在の戦いの状況を眺めているということになる。 「……しかしまぁ、敵前にして作戦会議とは余裕があるよね」 「人間というのはそういうつまらない、気味が悪い、意味の解らない、我々とは相反する存在だろう。君も……かつてはそうだったのだから知っているはずだ」 「そうだけど。少なくとも、あんな人間じゃなかったかなぁ。僕がしっている人間はどう見てもクズばかりだったよ。敵前逃亡なんて当たり前、仲間を見捨てるのも朝飯前だったね」 「くっくっく。そうだったな。だから君は人間を見捨てたんだったな?」  少年は天井を見上げて、少しだけ顔を顰めた。 「……僕と戦うかい?」 「おぉっと、今君と戦って勝てるとは思っちゃいないさ」 「そうだね。そうであって欲しいよ」  少年はため息をついて、俯いた。 「……ほら、戦いが動き出したようだよ」 「――どれ」  そう言って、少年は再びテレビの画面に視線を集中させた――。 「行くぞ……っ!!」  そのころ、崇人は行動を開始した。  崇人の乗るリリーファーが動いたのと同時にエスティ、ヴィエンスの乗り込んだリリーファーも動き始める。  そして。  三体が『ハートの女王』らにレーザーを一斉に撃ち放った。 『おいタカト! どこを狙えばいいんだ!!』  崇人のリリーファーに、ヴィエンスから通信が入る。 「胸にあるトランプだ!! あれを狙え!!」 『了解っ!!』  そう言ってヴィエンスは照準を胸の中心――『ハートのキング』へと変更した。  変化は直ぐに訪れた。 「ぐぇええええええ」  『ハートの女王』らから叫び声が聞こえた。それは怨嗟の叫びにも見えた。だが、その声は徐々に弱々しくなっていった。 「……行ける!!」  崇人はそう確信した。  しかし。  その直後、崇人の乗るリリーファーは活動を突如として停止した。 「は? ……どういうことだよ!!」  それは、エスティ、ヴィエンスの乗るリリーファーも同様のことだった。  リリーファーには、殆どがエネルギーを自らの手で生産することが出来ない(≪インフィニティ≫のように一部例外もあるが)。そのため電源は外部から供給するか、蓄電した電池を用いるほかない。このリリーファーは前者では自由性に欠けるため、後者を用いているのである。  つまり。  今の活動停止とは、エネルギーが切れたことを指す。 「お、おい……嘘だろ……?」  崇人はこの事態をまったくもって予想していなかった。  それはエスティとヴィエンスも同じだった。 『おい、エスティ、ヴィエンス! お前らのリリーファーは稼働するか!?』  マイクを通してそれぞれのリリーファーに崇人は通信した。それぞれ返ってきた返答は、 「同じだ、まったくうんともすんとも動きやしねえ」とヴィエンス。 「こっちも全然よ」とエスティ。  まさに八方塞がりの状態になった。  しかも、まだ敵は余力を残している。  このままではもたない――!  崇人がそう思った、その時だった。 「――待たせたな、新米起動従士くん♪」  まるでこの状況を楽しんでいるような、爽やかな声が聞こえてきて、崇人は顔を上げた。  するとそこには、崇人たちのリリーファー以外にもう一体リリーファーがいた。  赤いカラーリングのリリーファーに、彼らは見覚えがあった。 「……マーズ様、マーズ・リッペンバー様のリリーファー『アレス』じゃないか!!」  まず、声を上げたのはヴィエンスだった。  もちろん、崇人はそれを知らない訳ではない。  現に、崇人が『アレス』のコックピットを見たところ、余裕ぶった面持ちだった。なぜなら、崇人たちに向かってピースサインをしていたからだ。 「まさか出待ちしていたわけじゃないよな……」  崇人は最悪の可能性を考慮したが、少なくとも今そんなことを言っている場合ではない。  そう考えている間にも、アレスは行動を開始した。  アレスの撃ち出したのはレーザーだった。  しかし、崇人たちのリリーファーに装備されているレーザーとは違うものである。  レーザーにも種類があり、崇人たちの乗っているリリーファーに装備されているのは媒体がイットリウムの固体レーザーである。グレードを落としたもので出力も小さい。  対して、アレスに装備されているのは自由電子レーザーと呼ばれるものだ。これは媒質によって発する光の波長がただ一つに決まってしまう一般のレーザーとは大きく異なり、電気的な操作によって波長を自由自在に変えることができるという代物だ。その出力はメガワット……いや、この『アレス』にはテラワット級のレーザーすら照射することが可能であると言われている。  しかしながら、電源的な理由からアレスですらレーザーはメガワットのオーダーまでとなっている。  それでも、固体レーザーと比べればその攻撃力は天と地の差がある。  そして、アレスから照射されたレーザーは『ハートの女王』の身体を――正確にトランプを中心として――貫いた。 [4] 「いやぁー助かりました。まさか、マーズ大尉が直々に来られるだなんて」 「なんだか変な気分ですね……。もとはあなたの方が上司だったのに」  戦いが終わり、崇人たちの乗ったリリーファーはアレスが先導となり訓練学校へと戻ってきた。  マーズ・リッペンバーは国内で有名な起動従士であるから、起動従士クラスの面々はマーズの周りに群がっていた。  そして、アリシエンスとマーズが話をしているのを見て、少し遠くに離れていた崇人たちも話をしていた。 「……疲れた」 「結局、頼っちゃったな」 「しょうがないでしょー、だって私たち訓練生なんだよ?」  エスティはそう言って紙パックのオレンジジュースを一口飲んだ。 「訓練生だからって、出来ないことはないんだ。俺は……もっと強くならなくちゃいけないんだ。……この国を、守らなくちゃ……!」  ヴィエンスがそういうのを見て、崇人は訊ねる。 「……何かあったのか?」 「お前には関係ないだろ……!」  それから、ヴィエンスは何も答えることはなかった。  その後、エスティと崇人は幾らか会話をしたものの、長く続くことはなかった。  そして、放課後になった。 「今日も終わりかー……」 「なんだか長く感じたねー」  崇人がカバンに教科書類を仕舞い終わったと同時に、エスティはそう言った。 「ところで、タカトくんって家どの辺なの?」 「え、えーと……サウザンドストリート……のほう」  サウザンドストリート。  ヴァリエイプル帝国首都ケルグスの中心にある高級住宅街を通る道路である。そこに居を構える人間と謂えば、たいていは政界、財界や軍の人間であるため通称≪ソルトレイクストリート≫とも呼ばれることもある。これは、かつて『塩』が財産の象徴として言われていたためである。 「さ、サウザンドストリートって高級住宅街がある……あそこよね? しかも、ただ高級なだけじゃなくて、軍の人間とかそういう人しか入れないところよね……? もしかして、タカトくんの親ってそんな有名な……?」  これはまずい、とタカトは思った。  さすがに家は東京にあるとは言えない。そもそもこの世界に東京という概念があるのか怪しいし、まず疑われること間違いないだろう。 「……あー、言い忘れていたけれど。俺、今居候なんだ」 「へー、そうなんだー」  なんとか難を逃れた、と崇人は溜息をついた。 「エスティはどこに住んでいるんだ?」  今度は崇人が訊ねる。 「えーわたしー?」 「俺だけ訊ね損だろ」 「そうだね。……ライジングストリートだよ」  ライジングストリート。  ケルグスの南にあるトロム湖の湖岸に広がっている比較的新しい通りである。現在では大型商業施設が建設開始されており、さらに進歩していくものとみられている。 「ライジングストリートってどの辺りにあるんだい?」  崇人が訊ねると、エスティは小さく目を細めた。 「えーとね、この学校から……って説明するより、一緒に来た方がいいんじゃない?」 「えっ?」  崇人が目を泳がせると、エスティは笑った。  これは、いったいどういうことなんだろうか。  さっきまで謎の襲撃者と戦っていて、今はクラスメートの家に行く? 誰がどう聞けばこれを現実だと信じてくれるだろうか、いや有り得ない(反語)。  反語表現を用いるくらいには、まだ崇人は余裕があるのだろう。  今、崇人とエスティはライジングストリートの中心部に来ていた。 「……なぁ、ほんとに行ってもいいのか?」 「大丈夫だよー、けっこううち気さくな人おおいし」  そういう問題でもないと思うのだが、と崇人は呟く。  それを聞いたか聞かなかったか、エスティは、 「大丈夫だよ! 別にそんな心配しなくても……。あっ、着いた」  そう言ってエスティは「じゃじゃーん」と両手をその家のほうにむけた。それを見て崇人はそちらを見た。よく見れば綺麗な家だった。そこは店舗のようで、そこには『パロング洋裁店』と看板が掲げられていた。 「洋裁店?」 「私の家は洋裁店なの。けっこうこの辺りでも有名なのよ」 「そうなんだ」  エスティは突然崇人の手をとって、中へ入っていった。 「ちょ、ちょっといいの?」 「何が?」  エスティは立ち止まって訊ねる。 「……だって迷惑がかかるだろ?」 「だから、そのことなら大丈夫よ。別に心配しなくても」  そのセリフはさっきも聞いたが、やっぱり心配だ――とも言えず、崇人は仕方なく中に入ることとした。 「ただいまー」  エスティの元気な声と共に扉を開ける。 「……お邪魔しまーす……」  中に入ると、カウンターにひとりの女性が座って眠り放くっていた。  それを見てエスティはその人に駆け寄った。 「もう! お母さん、ここで寝ちゃだめだって言ってるでしょー」 「う、ううん? あ、エスティおかえりー……むにゃ、あの人はどちら様かな?」  眠り放くっていた女性は崇人の方を見た。女性の顔を窺ってから、崇人は小さくお辞儀をする。 「はじめまして。タカト・オーノ……といいます。エスティ……、いや、エスティさんとは同じ学校のクラスメートで……」  崇人がそう言うと「ふうん」とそれだけを言い、女性は目をこすった。 「まあいいか。お客様にはお茶を出さなくちゃね。……えーと、あれ? エスティ、今日早いって言ってたっけ?」 「言ったはずだよ。今日は三時前には帰れると思うよ、って」  エスティがそう言うと、女性は「おお、そうだったか」と呟きながら家の奥へと消えた。  エスティはそれを見て小さくため息をついた。 「ごめんね。うちのお母さん、いつもあんな感じなのよ」 「大丈夫さ、うちもあんなもんだよ」  崇人は嘘をついた。思わずではなくわざとだった。彼の両親は遠い世界に居る。そこに戻れるのかも解らない今、彼は至極悩んでいたのだった。 「……とりあえず、奥でお茶でも飲みましょ、ね?」  ふと崇人が我にかえると、エスティがそう言った。何か考え事をしている風を取り繕って、崇人はそれに賛同した。  パロング家のリビングは小さいダイニングテーブルを中心として木材で創られた家具が壁に沿って置かれていた。何処か暖かい雰囲気を感じるのもそのせいだろう。  テーブルに置いてある小皿にはチョコレートが散らばったクッキーが数枚載せられていた。そして、それぞれの目の前にはコーヒーカップが置かれそこには紅茶が入っていた。 「……いい香りですね」  崇人は紅茶を一口含み、女性に言った。  女性――エスティの母親である、リノーサはその言葉を聞いて小さく笑った。 「ごめんねー、あんまりお高いのがウチには無くって。なんでもソルトレイクストリートの人だとか。ごめんねえ、本当に」 「いや、大丈夫ですよ。お気になさらずに……。突然行った僕が悪いんですし」  崇人はそう言ってクッキーを手にとった。  リビングにはテレビの電源が点けっぱなしになっており、女性のニュースキャスターが原稿を丁寧に読んでいた。 『本日のニュースです。エイブル王国南部のティバモールにて自爆テロが発生し、近くにいた市民七人が死亡しました。昨日からティバモールに来ていたペイパス王国の王族ハリーニャ・エンクロイダー氏を狙ったものと見られています。エンクロイダー氏は若いながら、平和主義者として数々の場所で活動を行なっており、今回のテロはそれに対する反対派によるものと見られており――』 「まったく、物騒な世の中だよねえ。戦争やら紛争やら、何時になったら終わるんだか。平和を望む人が狙われて、戦争を望む人が守られる。どういう世の中なのかね」  リノーサはクッキーを頬張りながら、そう呟いた。ニュースの感想にも思えるが、それを聞いてエスティは肩を竦めた。  リノーサはエスティがリリーファー起動従士訓練学校に入ることを最初こそ認めていなかった。女性が活躍する職場でもない(最強の起動従士として知られているマーズ・リッペンバーもいるが、それは例外である)。それに戦場は危険を伴う場所だ。いつ死んでもおかしくはない。それに起動従士はリリーファーの核となる存在で、それそのものが“情報”となる。起動従士を他国から奪って洗脳させ、その国にあるリリーファーに乗せることで起動従士の不足を補うなんていうケースもあるくらいだ。  だからこそ、リノーサがエスティを心配することは至極当たり前のことであった。それを完全には理解できていないが、崇人もどことなく解っていた。 「……なんだか暗くなっちゃったね。ごめんねー。せっかく来てもらっちゃったのに、こんなので」  リノーサは小さく笑って、そう言った。崇人のことを察してのことだろう。  エスティもこの場を何とか操ろうと、話を始めた。 「そうそう、今日実習でタカトくんがなんかよく解らない何かを倒そうとしてやられちゃったんだよ!」  笑いながら言った。崇人はそれはお前もだろうと思いながらため息をついた。 「それはエスティだってそうじゃないか。まあ、結局マーズさんが来たから助かったんだけれど」  ――あの性格が悪いあいつに“さん”付けするのも気が狂うけれどな、と本心を抑え込んで崇人はそう答えた。 「そうだけれどさー!」  エスティは本当のことを言われたのが嫌だったのか、顔を真っ赤にさせて崇人に両手で殴りかかった(“かかった”だけであって、実際に殴った訳ではない。エスティ自身にも殴る気など毛頭ないからである)。  そのやりとりを見て、リノーサは小さく微笑んだ。 「こんな平和がいつまでも続けばいいのにね――」  リノーサの呟いた言葉は、誰にも聞こえることはなかった。 「ああ、そろそろ帰らなくちゃ……」  話が盛り上がってきて、ふと崇人が柱時計を見ると時間はもう五時を回っていた。 「もう帰るの?」 「いやー、|保護者(おや)がすっごい煩くて……」 「それは仕方ないね……。送っていこうか。何処だい?」 「あ、いやいいです」 「そんなこと言わないで、さあ!」  リノーサはえらいハイテンションで崇人を圧倒した。  ちょうどその時だった。  ピンポーン、とチャイムが鳴った。 「はーい、どちら様ですかー」  バタバタと足音を立ててリノーサは玄関へと向かっていく。  気付けば、リビングにはエスティと崇人の二人が残された。 「……………………」 「……………………」  二人の会話は途切れて、お互いに何も声を発することはなかった。  エスティも、崇人も、この状況を打開したいとは思っていたが、それに対する策はこれしか浮かんでいなかった。 (とりあえずどっちか喋ってくれないかな……)  二人の沈黙は、リノーサが帰ってくるまで続いた。  リノーサは誰かを連れてきたようだった。 「悪い悪い。なんかお客さんが来たようで……。しかもすっごい人間だぞおい」 「申し訳ないねー、うちのタカトが」 「ぶぼっ!? なんで来ているんだよ!!」  リノーサが連れてきたのは他でもない、マーズだった。マーズは先程の襲撃の時のようににやりと笑みを零していた。それを見て崇人は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになり、エスティは何がなんだか解らなくなっていて、崇人とマーズの顔を交互に見ていた。 「……う、うちの……タカト……って? どういうこと?」 「あー、もしかして説明とかしてないのか」  マーズが面倒臭そうに頭を掻いて、話を続けた。 「ちょっと諸事情があってな、今はこいつと一緒に暮らしている。出来ればでいいんだが……ちょっとこれはオフレコにしてもらってもいいかな?」  マーズの言葉にエスティは頷く。  マーズはそれを見て、大きく頷いた。 「うむ。それじゃ、帰るぞー」  そう言って崇人の襟首を掴み、強引に玄関まで引っ張っていった。  外に出て、待ち構えていたのは黒いリムジンだった。それも、とても長い。一人乗せるだけでこれだけの長さのリムジンが必要なのかと崇人が疑うほどだった。 「……これに乗ってきたのか?」 「そうよ、わるい?」 「いや……さっきのオフレコ云々を明確に守るなら、こんなくそ長いリムジン乗ってこないほうがよかったんじゃないかと思ってだな……」 「ああ……それもそうだったな」  どうやらマーズはそこまで深く考えていなかったらしく、頭を掻いた。 「時々あんたがほんとうに『女神』とか呼ばれているのに反吐が出るよ」 「そいつはどうも」  崇人とマーズはそれぞれそう言ってリムジンへと乗り込んだ。  マーズ家に帰るまでにそう時間は要さなかった。 「なんとか七時までには帰って来れたかな……」 「七時、」  崇人が時計を見ると、六時五十二分で、確かにまだ七時を回っていなかった。 「七時に何かこだわりでもあるのか?」 「……べ、別に」  崇人はマーズの違和感に特になにも思わなかった。そして、マーズが先に家へと入り、リビングへと向かった。マーズは何か急いでいるようだった。 「やあ、マーズちゃん、待っていたよっ!」  リビングに入ったマーズはその声を聞いてすぐ後戻りした。なぜならば、リビングにいたのはラグストリアル・リグレー――ヴァリス王国の国王だった。 「ま、マーズちゃん! 帰ってきてくれたんだね! 僕のためにっ!」 「うるさいうるさい離れろぉ!」  そうも言うが、王はマーズの腰にしがみついて離れようとしない。それを見て崇人は呆れ顔でため息をついた。  なんというか、ここにいる人間は変わり者だらけだと崇人は思った。 「マーズちゃん! ああ、いい香りだよぉ……。本当にいい香りだぁ……!」 「ほんとうに死んでくれませんかねえ……」  そう言ってマーズは膝蹴りを繰り返す。勿論その攻撃はすべて王に当たっているのだが、王自体は至極ご満悦の様子であるから、崇人も気付けば近くにいるボディーガードもそのままにしておいた。 「……閣下、今回の目的はそれではないのでは」  呆れたボディーガードが王に耳打ちした。それを聞いて、王は何かを思い出したようだった。 「ああ、そうだった! マーズちゃんに出会えるのを楽しみですっかり忘れていたよっ!」 「マジで代替わりしてくれない?」  マーズがため息をつくと、王はようやくマーズから離れた。そのときは勿論重力の効果を受けるため、 「ぐへっ」  顔面から床に叩きつけられるしかないのであった。  しかし、そんなことをものともせずに王は立ち上がった。 「へへーん、マーズちゃんのためならこんなことは関係ないのだ! 例え溶岩をくぐり抜けようとも、君への愛は変わらないっ!」 「よーし、それじゃ溶岩風呂で二時間くらい浸かってきてくれないかな」 「死んでしまうぞ、いいのか……?」  さすがに心配になってしまったので、崇人はマーズに言った。 「いいのよ。真性のドMで変態だから」 「そういう問題かっ!?」  崇人とマーズの会話を他所に、王はもう一度ソファーに座り直した。 「さてと……本題に入るとするか」  もうそこにいたのは、さきほどまでの変態ではなかった。  ヴァリス王国の主――ひいては、ヴァリエイブル帝国の主であった。 「実は、最近戦争が多くなってきている。それは君も知っているね?」  そう言って崇人の方を見る。崇人はそれに従うように小さく頷いた。 「ヴァリエイブルは見てのとおり、隣国との戦争で常にリリーファーを戦わせている。不意打ちとかがないだけマシではあるが、現在戦力が圧倒的に乏しい状況にあるのは変わりない」  王は一旦話を区切った。 「……私が言いたいことはこれだけだ。タカト・オーノ、君は学生生活を満喫しているようだが……何かあったら≪インフィニティ≫を操作し戦場へと出向いてもらうということを忘れないでもらいたい」 「閣下、お言葉ですがタカト起動従士はまだリリーファーに関する知識をまだ充分に備えておらず、また仮にリリーファーが停止したあとの『マニュアル』も身に付けておりません」  王の言葉に、マーズは苦言を呈した。  それに、王は笑って返す。 「マーズちゃ……いや、マーズ起動従士。それはそういう問題で片付けられるものか? ≪インフィニティ≫は音声で操作できると聞いた。ならばそれによって直感的に操作することも可能ではないだろうか?」 「それは……っ!」  王の言った言葉は、確かに正論だった。  しかし、崇人には実戦が少なすぎた。彼はまだ戦場を一回しか経験していないのだ。  経験不足は、時に失敗を招く。  逆に、そのような経験が少ない者こそ斬新なアイデアでその場を切り抜ける――そうとも言える。  この矛盾は、間違っているものではない。しかしながら、これをどちらも実行しようと思えばそれは失敗に終わる。  つまりこれはどちらかしか出来ないし、後者に至っては運次第ということになる。ならば、前者を選択するしか、今のマーズには考えられなかった。 「……考えておいてくれ。君も『起動従士』であるということを」  そう言って王は立ち上がり、ゆっくりと玄関へと向かっていく。  その間、崇人は何も言うことはできなかった。  ◇ 「――考えておいてくれ、君も起動従士であるということを」  その頃、どこかの部屋。  ある一室では机の上に幾つかの機械が置かれていた。そして、その機械からはマーズの家で行われていた会話が聞こえていた。  その言葉を聞いて、そこに居た人間は機械のスイッチをオフにした。  人間は、呟く。 「ふーん、そんな秘密を持っていたのか」  その人間は―― 「こりゃ、面白いことになって来ちゃったね……」  ――ケイス・アキュラだった。  そして、ケイスは何かを考え出したのか、ニヤリと笑った。