崇人がリリーファー起動従士訓練学校に通って二週間が経った。学校に行ってからというものの崇人は毎日クタクタになって帰宅し、食事をしてシャワーを浴びたあとすぐ寝るという生活が板についている。 「……向こうの世界じゃ逆にこんなの味わえないよな」  崇人はそう呟きながら歯を磨いている。同居しているマーズは「ちょっと用事が出来た」ってことで朝から何処かに出かけている。 「出かけるのは解るけれど、昼飯代どーすんだよ……」  マーズが出かけるとき、昼食代を要求しそこねた(正確には要求する前に去っていった)ために今日の崇人の財布には七十ルクスしかない。 「仕方ない、エスティに頼んで借りるしかないか……」  そう呟いて、彼はカバンを持ち、家を出た。  学校の門をくぐり、起動従士クラスに入ると、エスティが近づいてきた。 「おはよっ」 「お、おはよう」  すっかりこれにも慣れた――と崇人は思った(そう思っているだけで周りから見ればまだまったく慣れていないように思える)。  エスティは小さく微笑んで、話を続ける。 「今日はけっこう暖かくなるんだって」 「へえ。どれくらい?」 「エルリアが咲くくらいだって!」 「へえ、エルリアか……」  崇人はうんうんと頷く。  エルリアとは、崇人のいる世界では梅と呼ばれていたものだ。赤い実を付け、それを採って食べると甘い(ここは梅とは違う)ので、よくつまみぐいをする人間が多いらしい。 「そういえば、赤くなったエルリアは甘いんだよねぇ……」 「涎出てるよ……」  よっぽど好きなのだろう、と崇人はエスティの方をみてため息をついた。  そういえば、と崇人は何かを思い出したように呟いた。 「そういえばさ……今日お金もらい忘れて……、申し訳ないんだけどさ。ご飯代借りてもいいかな」 「いいよっ」  エスティに怒られると思って恐る恐る訊ねたのに、こうも間髪いれずに答えられると、崇人も反応に困ってしまうのだった。 「エスティ、ごめんね」 「大丈夫だよー。タカトくんなら必ず返してくれるって信用しているもん」 「それは光栄だな」  そう薄く笑みを零したと同時に、崇人はようやく安心を得られた。これでもしエスティからお金を借りることが出来なかったなら、今日の昼食は皆が食べている中でお腹を空かせながら水を何杯も飲み干す(水はセルフサービスではあるが、無料である)くらいしか出来ない。それはさすがにエスティたちに申し訳が立たないし、そんなことをするのなら一人で教室にこもり、本を読んでいたほうがましだと思ってもいた。 「ところで、来月の大会、どうなるんだろうね」  エスティが唐突に言った言葉の内容について、崇人もどことなく気になっていた。  大会――正式な名前として、全国起動従士選抜選考大会と呼ばれている――とは、国が主催となってリリーファー起動従士訓練学校から優秀な生徒を集め、選考を行うための大会である。ここで選ばれれば、卒業することもなく、起動従士として国に任命されるという起動従士を目指す学生にとっては一大イベントなのである。  大会に参加できるのは起動従士クラスの学生だけではない。それは勿論のことだが、魔術クラスや整備クラスの学生も参加することが出来る。彼らはそれぞれの得意分野で大会に参加し、それを認められると、お抱えの『魔術師』や『国家整備技師』としての地位を与えられるのだ。 「大会ねー、いったい誰が出るんやら」 「タカトくんは出ないの?」  エスティにそう訊ねられ、崇人は思わず狼狽えた。  とはいうものの、崇人は考えていたのだ。これに参加するのは確かに構わないが、ここに出ていろいろなことが起きてしまえば向こうの世界に帰りづらくなる――と。  崇人の考えも間違いではない。しかし、この世界の常識で考えると『この学校に来ておいて、大会に出ないなんて有り得ない!』というわけなのだ。それを崇人は知る由もない。 「タカトくん、ほんとうに出ないの?」 「あー、……出るよ」  ……言ってしまった、と崇人は心の中で深い溜息をついた。ある種、これで後戻りはできなくなった――と崇人は呟いた。 「タカトくんも出るよね! 私も出るよー、こうドガッシャーン! ってね!」  ドガッシャーン、が何を破壊する音なのか崇人には理解できなかったが、崇人は気になったので、すこし訊ねた。 「そういえば、大会ってどういうのをやるんだ?」  訊ねると、エスティは首を傾げた。 「うーん……。たぶん今までの傾向でいけば、シミュレーションバトルだよね。シミュレーションマシンがあって、それを用いてバトルするってのと、基礎体力? も身に付けているか試さなくちゃいけないし、学力もそれなりに大事だよね。……あ、でもそういうのの総合してきめるとか聞いてたし、そう心配することもないと思うよ! タカトくん、リリーファーの操縦は私より上手いし!」  崇人はそうか、と呟いて前をむいた。授業開始のチャイムが鳴ったのは、ちょうどそのときだった。  ◇◇◇  家に帰り、崇人がリビングへ向かうとマーズは既に帰っていたらしく、ソファに横になってスマートフォンを操作していた。  崇人はつくづくそういう技術は前いた世界にちかいものだと思い鼻で笑った。 「あ、おかえりー。というか、人と一緒に住むってあんまりないから慣れないなぁ……」  そう言うとマーズがスマートフォンの画面を崇人に見せつけてきた。  画面を見るとそれはメールの画面だった。本文にはこんなことが書かれていた。 『大会参加の件について  前略。  要件だけとなるので雑な文脈となるが申し訳ない。  君も『大会』と聞けば何かは解るだろう。全国起動従士選抜選考大会のことである。毎年数多くの起動従士を目指す生徒が参加し、それぞれの技を競うのだが、ひとつ問題が起きてしまった。  ティパモールで紛争が起きていることは、君も知っていることだと思う。  そこでひとつ、≪インフィニティ≫を操縦出来る君の力を借りたい。何をしてもらうか? 簡単なことだ。  大会に参加して、ティパモール紛争を止めて欲しいのだ。』 「……は?」  そこまで読んで、崇人は目が点になった。 「――その先に書いてあるんだが、なんでも開催地はティパモールにほど近い場所らしい。んで、来賓はこの前テロにあったっていうハリーニャ・エンクロイダーが来る。なんであんな場所を危険にさせるような存在を呼ぶのかは知らないが、テロ行為が発生するのは予想されている。それで私が呼ばれる訳だったんだが……その日は如何せん用事が入っていてだな。ああ、大丈夫だ。何か緊急事態があったときはすぐに駆けつけるようには調整してあるから」 「なんの用事なんだよ? そういうのをほっぽかして?」 「秘密だ。女は秘密を持って生きる生き物なんだよ。そういうのが解らなかったから、彼女が居なかったんじゃないのか?」  ……痛いところをつかれてしまった、と崇人はおもった。マーズには弱みを、彼の全てを握られている。そして、マーズ自身も崇人に頼らなくてはならない部分が出てくる。ギブアンドテイクとは、まさにこのことを言うのだろう――崇人は小さく呟いて、ソファに腰掛けた。 「それでだな」 「……まだ何か話があるのか、俺は疲れているんだが……」 「直ぐ済む。先程の話……即ち君はテロに対応しなくてはならない。だから、ある程度リリーファーを乗りこなさなくてはならないんだよ。しかも、≪インフィニティ≫ではなく、現行型のリリーファーを、だ」 「なぜだ?」 「大会とは、国内全てにテレビ中継される。つまり、そこからほかの国に流れる可能性もはらんでいる、というわけだ。そこで、テロが起きて、≪インフィニティ≫が登場してみろ? 世界的なスキャンダルになるぞ。最強のリリーファーを復活させた、とな」 「やはり、インフィニティはそんなに強いものなのか?」  崇人が訊ねるとマーズは大きく首を縦に振った。 「一対一で戦ったら、まず私は手も足も出ないね」 「そんなレベルなのか……」  崇人は改めて考える。  あのリリーファー……≪インフィニティ≫には謎が多過ぎる。例えば、崇人の声紋が一致した件だ。なぜ、初めての人間なのに声紋が一致する?  もしかして――。 「もしかして、俺は一度……」  そこまで言って、崇人は考えるのをやめた。いや、そんなことは有り得ない。しかし、そうでなければその説明はつかない。 「おい、何を考えているんだ?」  マーズに言われて、崇人は我に返った。 「あ、い、いや、ちょっと学校のことでね」 「困っているなら相談に乗ってあげようか?」  そう言いながらニヒルな笑みを零したので、崇人は無視することにした。「あれは、|揶揄(からか)うための口実に過ぎない」と、崇人は決めつけていたからだ。  マーズは仕方ないな、と呟いて立ち上がる。 「飯にしよう。何を食べたい?」 「どうせ冷凍食品だろう」 「That's right!」  英語で言われても困る――崇人はそう思いながら、マーズとともに食事の手伝いをするためにキッチンへと向かった。  次の日、崇人はマーズとともにある場所へと足を踏み入れた。  リリーファーシミュレーションセンター。  名前のとおり、リリーファー同士の戦闘を電子空間でシミュレートする機械が置かれており、それを用いてシミュレートすることが出来る場所である。  黒塗りのリムジンに載せられ、ここまでやってきた崇人は現時点で不満しかなかった。 「どうして朝叩き起されてそのまま連行されなくちゃならないんですかねぇ……」 「文句言わないでよ。私だって急のことでびっくりしたんだからさ」  それは嘘だと崇人は知っていた。何故なら、朝叩き起されたかとおもったらマーズに強引に引っ張られリムジンへ連行されたからである。  マーズは何を考えているんだろうか、そんなことを思いながら重い瞼を擦って、崇人はマーズに付いていくのだった。  リリーファーシミュレーションセンターの中に入るとエスカレーターが待っていた。エスカレーターを昇っていくとガラス張りの空間が目の前に現れた。  前方が全てガラスで覆われており、その中には小さなカプセルがあった。小さな、とはいえ人一人が入るほどの大きさであることには変わりないが。 「……ここは?」 「ここが、シミュレート室。おーい、メリアー!」  誰もいない部屋で、マーズは奥へと声を上げた。 「……はーい」  暫くして、部屋の奥から小さい声が聞こえた。  そしてペタペタとスリッパの音を響かせながら、誰かがやってきた。  黄色いツインテールの少女は、研究員に有りがちな白衣を着ていた。白衣のボタンは付けておらず、その中はブラジャーとパンツだけだった―― 「へ、変態だああああああああ!!」 「失敬な! 利便性を追求した結果の格好が解らないのか!」  崇人の叫び声に少女は顔を真っ赤にさせて答えた。そして手に持っていた水筒を開け一口飲んだ。 「……どうしたのさ、マーズ? なんか用事でもあるん?」 「あるから来たんでしょうが。馬鹿か」  たはは、と笑いながら少女は再び水筒の中身を一口飲む。 「……んで、こいつは誰だ?」 「タカト・オーノ。インフィニティを操縦出来た人間よ」  そう言ってマーズは崇人の頭をぽんと叩いた。  その言葉を聞いていた少女はみるみるうちに顔が青ざめていった。 「……なんだと? インフィニティを!? 誰も操縦が出来ないと言われ、封印せざるを得なかった、最強のリリーファーを、か!?」 「そ。あんたの憧れ、“O”の最高傑作を動かした唯一の人間だよ」  少女の目は輝いていた。そして、崇人の肩を掴むと、がしがしと揺らし始めた。 「ほんとうか!? ほんとうにあの≪インフィニティ≫を動かしたのか!?」 「ああ、そういうことになるな……」  いいから揺らさないでくれ、と崇人が呟くとようやく少女は揺らすのをやめた。  そして、少女はニヒルな笑みを零して、言った。 「自己紹介だ。私はメリア・ヴェンダー。研究者というものをしているよ」 「研究者?」 「ああ、そうだ。いろいろなものを開発したよ。そうだね……例えば、このシミュレーションマシンなんてそうだ。あれは数多のパターンを登録していてな、毎回別のパターンでシミュレートすることが可能になっているんだ。どうだ、すごいだろ?」  メリアが目を輝かせて崇人に同意を求めるが、正直なところ崇人は未だに理解頻っていないので、「ああ、うん」と曖昧な返事しか出来なかった。 「なんだ、つまらなそうに言って」 「メリア。あんたの話を嬉々として聞くのはライアンだけだから」 「そうだけどさー、ライアン最近私に冷たいのよねー」  突然ガールズトークが始まってしまって、崇人は混乱してしまった。  しかし、崇人の混乱を他所に、二人の会話は続く。 「ライアン忙しいものね。確か、ティパモール関連のテロ捜査してるんでしょ?」 「そうなんだよね。だから私が科学で何とかしてあげよう! とか思っても、いいよいいよとか言って遠慮しちゃうんだよ……。なんでだろうね?」 「そりゃあんたがオーバーテクノロジー過ぎちゃうからでしょうが……。あんたの造るの凄すぎて誰も使えないんだよ。私のだって、何世代か下げたものだって言ってたじゃない」 「あれはいやいやだよ。私だって好きでグレードを下げたんじゃない。王様が『これじゃこの時代の人間には使い物にならない』とかほざくからやってやったんだよ。自分の開発した技術を自分で改悪するのがどれだけ辛いか?」 「そうだけど。あのときアイツ……いや、王様泣いて私の家来たっけかな。即蹴ってやったけど。蹴ったあとすっごい喜んでいたけれど」 「いやー相変わらずの変態ぶりのようで!」  お前が言うな、と崇人はツッコミをするとメリアがパソコンの画面を眺めた。画面にはたくさんの0と1が上から下に流れていた。 「あっちゃー、どうしたこりゃ? なんかやらかしたかな?」  カタカタとキーボードから何かを打ち込むも、それは収まる気配はなかった。  崇人が気になったので画面を眺めると、 「……これ、コンパイルにエラー起こしてないか?」 「えっ?」  予想外の人物から声をかけられたことで、メリアは一瞬狼狽えてしまった。 「どういうことよ。私が間違っているとでも?」 「おまえそんなんじゃ彼氏というか友達出来ねえぞ……。まあ、いいや。ちょっとコード見せてみろよ」  そう言って崇人は強引にマウスを奪い、タブを開くと、メモ帳いっぱいにコードが現れた。 「うわっ、見づらいコーディング。これだと共同作業のときアウトだぞ。どこが間違っているのか解りづらいし」 「私がわかればいいんだ」 「解ってねえだろうが。えーと……78行目に定義ミス? ……ああ、これか」  そう言ってその箇所を適当にキーボードで打ち込み修正していく。修正はたった数分で出来上がってしまった。そして、それを再びコンパイルすると、結果は『OK』と出た。  何故彼は理解できたのか。  ほかの人間は知らないが、彼自身前の世界ではプログラミングを行っていたからだ。音声認識システムなどを作成するにはどうしてもプログラム技術を要求される。そのために彼はプログラミングを独学で学んでいた、その知識であった。 「……ありゃ」 「だろ?」  まさか異世界まで来てプログラミングするとはな――と崇人は思いながらメリアの方を見て、小さく笑った。  メリアは呆気にとられていたが、直ぐに小さく呟いた。それは崇人に聞こえることはなかった。 「……とりあえず、使えるのかしら?」  マーズがメリアに訊ねる。 「ああ。今、プログラムは完璧に動作する。使うのか?」 「私じゃないけれどね」  そう言ってマーズは自分の目の前に指を差した。そこにいる人間とは、もう一人しかいなかった。 「……俺?」 「当たり前じゃない。昨日も言ったでしょう? 普通のリリーファーの操縦も慣れないとね、大会とか出るんだから、って」 「ふぅん、大会出るのか。私はあまり興味がないがな」  メリアは再びキーボードからびしばし文字を打ち込んでいた。その様子はまさに一心不乱だった。 「なんでメリアはいつもそう素直じゃないのかなー」  そう言ってマーズは両手をメリアの首に通した。 「お、おい何をするんだよ」 「だって素直じゃないんだから」  そう言ってマーズはメリアの耳元に口を持ってきて――ふぅと息を吹きかけた。  直ぐに「ひゃんっ」と今までのメリアとは似ても似つかぬ声が聞こえた。 「ま、マーズ!!」 「いやあ、ごめんごめん。でも、素直にならない君が悪いんだよ?」 「そういう問題かよ!」  随分置いてけぼりにされている――崇人はこのやり取りを見て、そう思うのだった。  シミュレートマシンに乗り込むためには幾つか行うことがある。まず、体を清め、リリーファーを操縦するための服装……コスチュームに着替える。コスチュームとはいえ、実際は着用しなくても良いのだが、コスチュームを着る着ないで生じる非常に僅かな誤差によって失敗する可能性すらあるので、念には念を押して、ということである。  次に、リリーファーシステムに生体データを登録する。これは初めに行えばいいだけで二回目以降はゲートをくぐったときに認証すればいいだけである。  生体データとして必要なのは、身長・体重・指紋・顔である。その全てが一致しない限りはシミュレートマシンに乗ることは許されない。  それを済ませると漸くシミュレートマシンへの乗り込みが許可される。そして、崇人もそれを済ませて、今シミュレートマシンの目の前に立っていた。 「ほんとうにこんなので出来るのか……?」  崇人はそんなことを考えた。 『ほらー、そんなところで立ち止まっていないで、さっさとやるー!』  壁面に設置されたスピーカーから聞こえるメリアの声を聞いて、崇人は渋々シミュレートマシンの中に入った。  中はリリーファーのコックピットとほぼ同じ作りになっており、崇人はすぐにコックピット内にあるチェアに腰掛けた。腰掛けるとすぐに天井にあったモニターが崇人のちょうど目の当たりにまで下がってきた。  モニターが起動され、そこにはメリアとマーズが映っていた。 『……さて、気分はどうかな?』 「リリーファーのコックピットと同じだから、そこまで違和感は感じないけれどね」 『そいつは結構。それでは、リリーファーコントローラーを握ってくれ』  メリアの言うとおりに崇人はリリーファーコントローラーを握る。  すると、モニターの画面が白くなり――目の前には大きな森が広がっていた。 「……これは」 『AR、仮想現実を用いたバーチャルシステムだよ。一番弱いタイプにしてあるから、≪インフィニティ≫を操縦出来るあんたならちょいちょいのちょいじゃない?』  そう言って、スピーカーからの声は途絶えた。 「おいおい、まじかよ……」  森の奥には、何かがいた。  そこにいたのは白いカラーリングのリリーファーだった。  それも――仮想現実で生成されたものだとは、崇人は俄には考えづらかった。 「これが……バーチャルだっていうのかよ!?」  その言葉を聞いた直後に、白いリリーファーは崇人の乗る――崇人は知ることはないが、全体が青い――リリーファーに向かって走り出した。 「おいおいおいおいおい!」  崇人はコントローラを握って、青いリリーファーを左に強引に動かす。  そして、振り返り。  森の中を、走る。走る。走る。 『――何やっているんだ。面と向かって戦えよ』  メリアからの言葉を聞き、崇人はあることを思った。  ――明確な、『死』。  地球の日本では味わうことは殆ど有り得ない、明確な死の気配。それは崇人も知らなかったことで、この世界の人間ではむしろ常識の範囲といえる。  それから逃げる。  今は、逃げなくてはならない。 『――そんなんで、あんた、≪インフィニティ≫に乗ったのか?』  ガクン、と。  その音と共に、仮想空間は現実へと戻された。 『あー、つまんねえの。インフィニティに乗った起動従士だからけっこういい腕してんのかなーとか思ったのにさぁ。なんなんだよ、あんた。もう帰っていいから』  そう言ってメリアは適当にキーボードを叩き、何処かへ行ってしまった。崇人はそれをただ、見ることしか出来なかった。  ◇◇◇  シミュレーションセンターの周りにはイングリッシュガーデンが広がっていた。とぼとぼとそこを崇人は歩く。まるで心を失ったような、何もしたくないと意思表示しているようにも思えた。 「……なぁ、タカト」  崇人の歩く姿を見て、マーズは声をかける。  しかし、崇人は答えない。 「……何をしたいのか、あんたは此の世界で生きようとか考えていないのか?」 「だって、いつかは戻らなくてはならないからな」 「戻らなくちゃならないときに備えて、何もしないっていうのなら、あんたは今すぐ消えろ。そして二度と現れるな」  そういわれて崇人は振り返る。  そこには、既にマーズの姿はなかった。  そこからの行動を、崇人も覚えていなかった。  歩いてシミュレーションセンターを後にして、ライジングストリートを通らず、気付けば彼はある場所にたどり着いていた。  そこは、パロング洋裁店だった。  しかし、彼は思っていた。  実際に入って、助けを求めるのか、どうかについてだ。  玄関の前でずっと立ち尽くしていると、突然扉が開かれた。 「……あれ、タカトくん?」  エスティだった。エスティはどこかに出かけようとしていたのか、白いワンピースを着ていた。 「え、エスティ……? どこか出かけるのか」 「あ、いや、ひとりでちょっと散歩でも行こうかなって……」 「そうか」 「タカトくんも一緒に来る?」 「えっ?」  それは、崇人が一番望んでいた答えだったはずなのに。  崇人は忍びなさを感じていた。 「……どうしたの? 大丈夫?」 「あ、ああ。大丈夫だ」  ともかく、崇人は今の状態から逃げたかった。  ともかく、崇人は誰かと一緒にいたかった。拠所を求めていたのかもしれない。  そんなことを、崇人は心の奥に気付けば閉じ込めて、エスティとともに何処か歩きだした。  崇人とエスティの散歩は、最終的にエスティが行きたいというセントラルタワーへ向かった。  セントラルタワーはトロム湖を望むように作られている高さ五百三十メートルの高層ビルである。一階から七階まではショッピングモールとなっていて、それからずっとマンションとなっている。屋上には展望台があり、そこからヴァリエイブル帝国全体が眺める眺望となっている。  セントラルタワーへ向かうのはちょっと遠いのでバスを利用することとした。ライジングストリートの入口にある小さなバス停でふたりはバスを待っていた。次のバスはどうやら五分後に来るらしい。 「……今日は暑いねぇ」 「そうだね」  そんな他愛もない会話をする。  それだけで、崇人は幸せだった。別に、リリーファーで戦闘する人生以外にも人生を有意義に過ごす方法はある。いいじゃないか、人生は自分自身が決めるものなのだから――と崇人は考えつつ、バスの時刻を何度も確認していた。  そうして定時にやって来たバスに乗り込み、ふたりはセントラルタワーへと向かった。  トロムセントラルタワー前と描かれたバス停で崇人たちは降りた。すると休日だからかたくさんの人たちがセントラルタワー周辺にいた。 「……今日って何かあったかなぁ」  崇人が呟くと、エスティは笑って答える。 「今日はセントラルタワーが出来て二周年なんだよ。それで、特別フェアをやっていたり、アーティストの人がライブをやりに来たりしているんだって」 「へえ……知らなかったな」  崇人はそんなことを呟いて、あたりを見渡す。タワーの一階はショッピングモールのグランド・エリアとして様々な専門店とスーパーがある。スーパーにはみずみずしい果物や野菜が並べられていて、それを買いに連日たくさんの主婦が安く商品を手に入れるために鎬を削っている(余談ではあるが、セントラルタワーに入っているスーパー『アダイロ』はこの近辺では一番安く買い物が出来る場所として有名であり、現に開店前まで近くにあったショップは経営を縮小していくか閉店していくかのどちらかにまでなってしまっているほどである)。  アクセサリーなどが販売されている雑貨店『ポルトロール』に到着したエスティは店頭の棚にあるアクセサリー(特にネックレス類)を見て目を輝かせていた。 「ねえ、タカトくん。どっちがいいかな?」  そう言って崇人に見せてきたのは、貝殻がついたネックレスと、小さなダイヤモンドがついたネックレスだった。値段を見ると後者のほうが前者よりひと桁大きいものだった。 「どっちも似合うと思うぞ」  崇人が言うと、エスティはもう一度訊ねる。 「どっちか選ぶとしたら?」 「どっちか……うーん……こっちかな」  崇人が指差したのはエスティの右手にかけられた貝殻のついたネックレスだった。 「値段で決めてない?」 「いや、一番似合うと思うよ」  崇人の言葉に照れながらもエスティは微笑んだ。  そんな感じのことがあって、いろいろと遊んでいると頭上から古めかしい電子音が聞こえてきた。どうやら、そろそろ五時を回ったらしい。エスティは買いたかったワンピースを嬉しそうに抱えている。崇人はエスティが欲しかったものと、崇人自身が欲しかったものとを抱えていた。人々もそろそろ帰ろうと足取りが出口の方へと向かっていた。  崇人はふとエスティの方を見ると、なんだか喜んでいるようだった。それを見て崇人もなんだか笑ってしまっていた。 「……タカトくん、やっと笑ってくれたよ」 「えっ?」 「だって、タカトくんずっと心ここにあらず的な感じだったんだもの。実はここにいるのはタカトくんじゃないんじゃないか、って……心配になったんだよ」 「あ、ああ……ごめん……」  崇人はエスティがまさかそこまで自分のことを思っているとは……と考えていた。こんなことを考えているのだから、エスティの気持ちなど百年経っても解ることはないのだろう。 「そうか……。俺、そんなに笑ってなかったか」 「そうだよ。何かあったのかな、って思ったんだよ?」 「あー実は……」  エスティの言葉に、崇人は考えた。  これを話してもいいのか。これを話して、エスティはどう考えるか。  エスティは崇人の正体を知って、そのままの状態で接してくれるのか?  それは崇人には解らないことだ。他人、ましてや異性が考えていることなど、解るはずもない。  他人だからこそ、知り得ることだってある。  他人だからこそ、自分が解らないこともある。  崇人はそれを充分知っていた。  だけれど。  今、エスティに話してもいいのではないか。この気持ちを、少なくとも誰かと共有したかった。  でも。  エスティにそれを話したら、崇人自身に降りかかる試練を受けなくてはならないのではないか。  崇人はそうも考えていた。  だから、  だからこそ。 「――いや、なんでもないよ。心配してくれて、ありがと」  崇人は嘘をつくしかなかった。 「そっか。ならいいんだけれど」  エスティはそれだけを言って、特に詮索もせずにただ歩き続けた。  そして、出口までたどり着いたちょうどその時だった。  ドゴオオ――――――ン!!  それが『爆発』だと認識できるまでわずかながらの時間を要した。崇人はそちらを見る。そこは既に出口とよべる空間ではなかった。そこは既に出口ではなく、出口だった場所としか認識出来なかった。  瓦礫で覆われ、人々が慌てる姿はまさに世界の終わりともいえた。  しかし、原因はすぐ判明した。 『――静かにしろッ!!』  天井にあるスピーカーから聞こえた声は、男の野太い声だった。その声を聞いて慌てていた人々の間には強制的に沈黙が流れた。エスティは怯えた顔で崇人の腕にしがみついていた。 「……なんだってんだこれは……?」  崇人は小さく呟く。そして、スピーカーから再び声が聞こえる。 『我々は「赤い翼」。名前だけは聞いたことがあるだろう。ティパモールを悪しきヴァリエイブル帝国から解放するために活動している……といえば、君たちも何処かで聞いたことがあるのではないのかな?』  それを聞くと、人々がざわつき始めた。  赤い翼とは、ティパモールを拠点として、ヴァリエイブルからの独立を目指すテロ組織のことだ。この前のハリーニャ・エンクロイダーを狙ったテロも彼らによるものとされており、ヴァリエイブル帝国としては確実かつ素早く彼らの確保を目的としていた。  スピーカーからの声は続く。 『我々はとってもいらついていてなぁ……一先ず一階のホールに集まっていただこうか。話はそれからだ』  その声を聞いて、一人、また一人と出口とは反対側の方向へと歩いていく。 「……タカトくん、どうしよう?」  崇人は考えた。このままみすみす捕まるべきなのだろうか? 逃げて、助けを待った方がいいのだろうか――と。  しかし、今はたくさんの人もいるし、リリーファーを操縦出来るような状態でもない。  せめて、マーズが居れば――!  と、崇人はポケットにある携帯端末を思い出し、取り出す。  そして、マーズに短いメールを送り付ける。 「……タカトくん?」 「いま、マーズにメールを送った。とりあえず、直ぐに助けに来てくれるだろう。俺達は……一先ず、捕まっておくほうが得策かもしれない」  そう言って、歩きだしたが――エスティはその場に留まっていた。 「エスティ?」  エスティは肩を震わせていた。  そして、顔を上げて、崇人の方を見た。 「……タカトくんはそれでいいの? みすみす捕まってたら、面白くないじゃない。なのに?」 「エスティ、君は命が惜しくないってのか?」 「惜しかったら、起動従士になろうなんて思わないよ」  エスティはそう笑ってこたえた。その笑顔はとても輝いていた。  崇人は――エスティを助けるために、エスティのためにあえて捕まろうと思っていた。  しかし、崇人が考える以上に、エスティ・パロングという女性は、強く、おおらかであった。  そして、崇人は思い知った。『エスティのため』に逃げるのではなく、『自分のため』に逃げていた。  解っていたのかもしれない。けれどそれは、解ろうとは思わなかった。  自分は、なんて脆く、酷い存在なのか、と崇人は自らに問いかける。  崇人は自分自身に失望し、絶望した。 「――でも、そう思っている暇はあるのか?」  崇人は再び、自らに問いかける。  答えは――もう出ていた。  崇人はエスティの手を取り、出口のそばにある脇道へと入ろうとした――。 「あ、あの」  ちょうどその時だった。崇人に声をかける少女が、その脇道の入口にいたのだった。 「どうしました? もしかして、誰かとはぐれたとか?」  崇人の問いに少女は頷く。 「それじゃ、一緒に行こう。ここに居ても、仕方ない」  崇人はそう言って手を出す。 「あなたたちは……誰なの?」 「俺はタカト・オーノ。そして、そっちはエスティ・パロング。起動従士の勉強をしている。これでも少しは体力もあるほうだ。どうだ? 一緒に行くか?」  崇人による簡単な自己紹介を聞いて、少女は頷いた。  そして、少女は崇人の手を取った。 「……行くか」  その言葉を、自らを奮い立たせるように呟き、崇人たちは脇道へと入っていった。  その頃、マーズは崇人から受け取ったメールを見て愕然としていた。  突然の『赤い翼』によるテロ行為。それはまったくもって予想ができない場所でのことだった。  まさか、突然彼らが中心部にほど近いセントラルタワーでテロ行為に働くなど、思いもしなかった。  なぜなら、彼らは国内で指名手配されており、検問を通ってしまうと捕まるからだ。検問を通らないという選択肢は通用せず、つまりはここまで辿り着くことができないはずだった。断じてそんなことなど有り得ないはずなのだ。  しかしながら、現に彼らはそこに居るという。なぜだ。なぜなのだ。マーズは考える。嘘なのか。否、とても崇人が嘘をつくとは考えられなかった。  だからこそ、彼女は今リリーファーのコックピットにいた。  彼女の愛機――『アレス』とはもう長い仲だ。彼女が初めて乗った国有リリーファーもこれであるし、それ以降彼女はずっとアレスに乗っていた。 「……信じる、べきだよな?」  マーズは誰ともわからないものに問いかける。勿論、返事などない。  だけれど、マーズには聞こえた気がした。誰かからの返事が。 「……行こう」  そして、マーズは握っていたコントローラを思い切り前へ突き出した。  ◇◇◇  その頃崇人は脇道を抜け、二階へとたどり着いていた。二階はフードコートとなっており、たくさんの食べ物屋が軒を連ねていた。今は殆ど人もおらず、とても静かだった。 「どうやら誰もいないみたいだな……」  崇人は呟いて、大通りに抜ける。  当てもなく走る。走る。 「タカトくん、一先ずどこへ……?」 「何処に行くかな。隠れやすい場所があればいいんだけど……」  走って、漸く非常階段の扉を見つけ、そこに入る。  三人はようやく安堵の溜息をついた。 「……ここならなんとかなるかな……」 「でも、非常階段って危なくないかなぁ? もしここを利用していたら……」 「いや、それはないかな」  崇人はエスティの問いに答える。 「あくまでも勘でしかないけれど、テロリストってのは結構目立ちたがりというか、全てを探しておきたいものだけれど結局は大まかに見るに留まってしまうケースばかりなんだよ。だから、それは有り得ない」 「ふーん」  エスティは崇人の言葉を、あまりよく理解できなかったが、おざなりにして頷いた。  崇人は今現在の状況で、このままいれるのか不安でしかならなかった。  エスティにはそうと言ったが、本当に来ないという確証は勿論のこと無い。  だけれど、正直にそう言うのは間違いだ。  今、一番困ることはエスティが希望を失うことでもある。勿論彼女も最悪のパターンを考えているだろうが、それは『あくまでも』である。あくまでもなのだから、それを考慮しているとは考えにくい。つまりは、そうではなくて、エスティの覚悟は本物でない可能性もあるということを崇人は考えてもいた。  と、なると。  エスティがそのようなことを考えないように、崇人がアシストする必要があるということだ。 「……ねえ、タカトくん。顔色が悪いよ?」  エスティに言われ、崇人は我に返る。 「あ、いや、なんでもないよ」 「そう?」  エスティを心配させてはならない。  そのためには話の話題を逸らさねば――。 「……そういえば」  崇人は先程会った少女に声をかけた。少女はエスティの隣(つまり、崇人より一番離れた位置にいる)にいて、崇人に声をかけられて、肩を震わせた。 「名前はなんていうの?」  代わって、エスティが訊ねる。やはりこういうのは同性がいいというものだ――崇人はそれを思い知らされた。 「……レイリック・ペイサー」  少女――レイリックは小さく呟いた。エスティはうんうんと頷く。 「お父さんとはぐれたの」  ぽつり、またぽつりとレイリックは言葉を紡いでいく。  レイリックが言うには、父親と遊びにきていたところにこれがあったらしい。父親は彼女を置いて何処かへ行ってしまったのだとか。 「……いくらこんな非常事態だからってひどいよね」  エスティは顔を膨らませて言った。 「でもさ、大丈夫だよ。お父さんと必ず、再会させてあげるからね」  エスティはそう笑って言った。それにつられて、レイリックも笑顔で頷いた。  ――崇人はそんな二人のやりとりを聴きながら、これからどうするか考えていた。  まず、ここは危険である。しかしながら、動かないほうがいい。そんな矛盾を孕んでいる今現在であるが、どうするか彼は決断できずにいた。矛盾を孕んでいるからこそ、危険な状況である。  ならば、どうすればよいか。  答えは、ただひとつ。 「……移動するぞ。地下に確か配電設備があるはずだ。特にこういったおおきな施設では、な」  それは崇人にとって大きな賭けだった。 「…………」  エスティとレイリックは何も言わず、ただ立ち上がった。  崇人も立ち上がり、三人は非常階段を降りていった。  ◇◇◇ 「ったく……やっと縛り終えたぜ」  ホールに居る黒い防弾チョッキを着た男はそう呟いた。  彼は今、先程仕組んだテロにより、千五百人もの人間を人質にとったことになる。実際にはもっと多いだろうが、ここに居る人間だけでも価値はあった。  彼がここまで来られたのには、理由があった。  検問を魔法でくぐりぬけ(それでも生体にある精神痕は消せないからあやふやにさせる程度ではあるが)、そしてセントラルタワーへのテロ行為もその人間の助言によって成立した。 「……まさか我々にそんなバックアップがあろうとは、誰も思うまい」  男は呟く。そして、彼は感謝をしていた。  これで、故郷ティパモールの解放運動がさらに世間へ知れ渡る。そうともなれば王は失脚、場合によれば帝国の解体にすらなりかねない。  そうなれば、彼らの思うつぼである。  ティパモール独立を堂々と世界へ公言し、理想の地を作り上げる。  それが彼らの目的だった。 (……しかし、あいつは何を企んでいる? あいつはもともと俺たちとは敵対する部類に入っていたのではないのか?)  男は考えるが、その結論へと結びつかない。  結局は、彼らも『その人間』の手の内にいるに過ぎないことを、彼らはまだ、知らない。  ◇◇◇  地下は冷たく、暗かった。唯一壁面に等間隔とって置かれてある照明も切れかけていた。 「……寒い」  ワンピースを着ていたエスティは剥き出しになっている肩を震わせていた。 「……ほら」  崇人は自らが羽織っていたシャツをエスティにかけた。 「タカトくんは寒くないの?」 「エスティが寒がってるだろ」  それだけを言って、崇人はゆっくりと歩きだした。 「……ありがとう」  その言葉は、あまりにも小さくて、崇人に聞こえることはなかった。  地下は崇人の言うとおり配電設備となっていた。そこを歩く崇人たちだったが、歩いていくうちに寒さが増していくのを、感じていた。 「……なんだか徐々に寒くなっている気がするな……」  崇人は独りごちるその後ろではレイリックとエスティが二人並んで歩いていた。 「ねえエスティさん」 「どうしたの?」  レイリックが急に訊ねたので、エスティはもしかしたら体調でも悪くなったのかと心配そうな顔つきで答えた。 「……ぶっちゃけ、エスティさんってタカトさんのこと好きでしょ?」 「ぶぶっ!!」  思わずエスティは吹き出してしまった。  にしても最近の子供は背伸びしすぎだろう……! とエスティは心の中で叫んでいたが、そんな表情などレイリックには見せまいと必死に取り繕う。 「な、なんで……!?」 「だってさっきすっごい顔赤くしてたよ? それにずーっとタカトさんのほう見てるし……」 「わわーっ! 言わなくていいのっ!」 「ん、どうかしたか?」  エスティの大声に崇人も気がついたらしく、立ち止まって振り返った。エスティは必死に取り繕って、「なんでもないよ!! なんでもないからね!!」と答えた(取り繕えてなど居ないのは、見て解るのだが)。 「そ、そうか……」  崇人はそれに若干引き気味に答えて、また歩き始めた。  エスティは今自分の顔を鏡で見ようなんて思ってもいなかった。 (自分の顔は今、どれくらい真っ赤なのだろう……)  そんなことを考えながら、またふたりは歩き始めた。  その頃マーズはアレスを駆使し、セントラルタワーへとたどり着いていた。セントラルタワーへ可視状態で向かってはあっという間に人質が殺されかねない。勿論のこと、それなりの対策が必要である。そのためにアレスに装備された不可視ポインタが役立つというわけだ。  不可視ポインタはかの大科学者Oが開発した機能で、それを起動することでリリーファーを不可視状態へと導く。具体的には位相空間をすこしずらした位置へと運び、しかしながらそこでの動作は元いた空間に反映されるようになっている。  つまりはこれこそ、唯一のセントラルタワーへの進撃方法ということだ。しかしながら、それが確実かといえばそうではない。セントラルタワーへいとも簡単にたどり着いた人間共だ。もしかしたら、共謀者がいる可能性すらある。共謀者によって『アレス』が来たことが解ってしまえばそれはそれでまずい。 「さてどうするか……」  マーズはコックピットで考える。  突入するのも、悪くはないだろう。しかしながら、それによって人質が無事でいられるか――保証はできない。  しかしながら、それでいて躊躇っていては元も子もない。だとするならば、どうすれば良いか――マーズはその対応を考えていた。  一歩間違えれば、人質の殆どが死ぬ。  もしそうともなれば声を大にして来るのは他でもない、『リリーファー反対派』だろう。彼らはよくいる戦争反対派と似たような存在で、大型兵器であるリリーファーの稼働を反対している。理由としては起動従士がリリーファーに乗ることにより何らかの感染症にかかっており、それを駆動させるわけにはいかない(これはファーブル会議で提出された報告書によるものである)といったものだ。  しかしながらこれは逆に起動従士の人権を侵害しているし、医学的証拠が見られないとして、ファーブル会議として全会一致で反対する決議とした。  それに対して反対派は国の医学省で行われている起動従士の健康診断データが改竄されていると主張、以後現在に至るまでにヴァリエイブル帝国は反対派との長い戦いを要した。  もしかしたらこれはティパモール独立運動に乗じたリリーファー反対派によるテロなのではないか――マーズはそう結論付けるも、結局は証拠もない持論に過ぎない。そんなことを言えば、反対派からの不信を(仮にそれが演技だとしても)買うことになるだろう。 「あぁ、面倒くさいったらありゃしない」  しかし、そんな言葉とは裏腹に、マーズはシニカルに微笑む。 「さぁ、さっさと始めましょうか。このくだらないテロリズムを終わらせる『お遊び』を」  そう呟いて、アレスはセントラルタワー目掛けて走り出した。  しかしながら、今回のテロは、どのように対処するのだろうか? リリーファーの躯体は確かに巨大だ。しかし、それがそのままの姿であれば、の話である。  リリーファーは開発目的自体が戦争の復興支援であった。なのに、現在はこうも真逆に使われている。かの大科学者“O”が生きていたら、確実に落胆することだろう。  しかし、しかしだ。  おかしな話ではあるが、リリーファーを所持し、戦う国の全てが『世界平和』を願っている。  『平和の使者』のような存在だったリリーファーが今は、戦争の使い手となっている。それが表立って騒がれると困る人間もいる。だからこそ、表向きでは世界平和を騙っているのであって、それは限りなく間違いだということを、国民は知ってか知らずか生きている。  そんなことを考えるだけで――特に必要もないことを、結局は戦うことに変わりがないということを、マーズは知っている。  だからこそ、今回のテロは訳が分からなかった。結局は自分の理論を通そうとしているだけではないか。結局は自分が駄々をこねたいだけではないか、と。  エゴがエゴらしく生きているからこそ、今回のテロは起きた。  マーズはそう推測していた。 「……考えればいい話。一先ず……やるっきゃない」  そして、マーズはコックピットにあるボタンを押した。 『――「アレス」スタイル・ヒューマノイド。起動します』  なめらかな女性の声がコックピットに響いた。次いでコックピット内部にガシン、ガシンと機械音が響く。  それは、アレス自身が変形していることを意味していた。  そして、アレスは。  二メートル程の小ささにまで変形した。 「……さあ、行きますかっ!!」  ◇◇◇  そのころ崇人たちは地下道の最後までたどり着いていた。  地下道の最後はドアがあった。ドアは開けることが出来、どうやらここから入ることができるようだった。  中にレイリックとエスティを先にいれ、崇人が最後に入る。  中は地下鉄の整備用通路になっていて、ゴウゴウと地下鉄が走る音が響いていた。 「……ここなら、連絡が通じる……」  そう言って崇人は通信端末を起動し、ある番号に電話をかけた。 『――もしもし。こちら「アレス」』 「……タカトです」 『……』  電話の相手――マーズは崇人の言葉に何も答えなかった。 「先程のことはすいません。ですが、力を貸してください。あいつを、≪インフィニティ≫を僕に載せてください」 『駄目だ。まずは、テロリストたちをなんとかせねばならない。強すぎて未知数であるインフィニティを使って、どうなるか解りもしない。リスクしかないんだ。ここは任せろ』 「それじゃあ……救えないです」 『……なんだと?』  崇人はもう一度、大きな声で言う。 「今、ある少女と共にいます。彼女は父親とはぐれてしまったようです。俺は……父親と再会させてやりたい」 『それは最終的に助けてからでいいだろう。今はどこにいるのかしらんが、見つかっていないようならさっさと逃げろ。あとは私に任せておけ』 「でも!!」 『でもじゃあない!! ちったあ信じろボケ!!』  そう言って、マーズは強制的に電話を切った。  崇人は切られた電話を暫く呆然と眺めていたが、その後それを仕舞い、また歩こうと――した。 「動くな」  その声はとても、冷たかった。  はじめは誰の声なのか、何故自分にかけられているのか認識できなかった。認識するまでは、わずかな時間を要した。 「……こっちを向け」  ゆっくりと崇人はその命令に従う。  そして、崇人はある風景を目の当たりにした。 「エスティ……!!」  今まで、一緒にいたレイリックがエスティの首を締めていた。  しかも、左手には拳銃があった。 「……おい、どういうことだよ!?」 「見たままのとおりだよ」レイリックは嘯く。「いやぁ。よく騙されてくれていたよね。なんで解らなかったんだろーなーってか。馬鹿じゃないのかね? なんで父親が見捨てるって訳の分からねえ供述を鵜呑みしているんだか。ほんとこの国の人間は戦争が続いているってのにもかかわらず、平和ボケしていると言いますか?」  今までのレイリックのことを考えると、今話している内容はかのじょではないと錯覚してしまうほどの変わりようであった。 「……まさか、お前も」 「んあ? ああ、そうだ。私も、『赤い翼』の一員だ。さて……『インフィニティ』とか言ったな? それはなんだ。さっさとあんたの知ってること洗いざらい話してもらおうか?」 「何故だ」 「質問しているのはこっちだ!!」  レイリックの持つ拳銃の銃口が、エスティの首筋に突きつけられる。 「……解った。とはいえ、俺も知らないことが多い。強いて言うなら、それはリリーファーであるということくらいだ」 「ほう、リリーファーねえ。そんな名前のリリーファーは聞いたことはないが……まあいい。とりあえず、あんたらには一階の人質共々来てもらおうか。とんずらされる訳にもいかないのでね」  その言葉に、崇人は素直に頷くしか出来なかった。 「おい、どうしてこうして見つけられなかったんだ!?」  レイリックが崇人たちを連れて一階のホールに現れたとき、残りのメンバーは敬礼をもって返した。 「申し訳ありません……、見つけられなかったんです」 「言い訳は結構!! どうして見つけられなかった!? おかげで私が手を煩わせることになってしまったろう!!」 「ほんとうにもうなにも言えません」  レイリックはそう言って男の肩を幾回か叩き、崇人たちを強引に床に座らせ、他の人質同様両手を縄で縛り上げた。 「……これからどうなっちゃうんだろうね……」 「マーズになんとかしてもらうしかないな」  ふたりは小声でそう話し、一先ずはそれに従うこととした。  そして。  玄関ホールから、轟音が響いた。 「な、なんだ!?」 「来たか……もしや、こんなにも早く!?」  男たちは一瞬こんな考えをした。  ――裏切られた。  まさか、自分たちは囮。ティパモール独立運動を収束させるために、わざとこれを起こさせた――! 「なんてことだ! まさかこれは囮ということか、あいつ……結局、我がティパモールを救うことを約束したのは、嘘だったというのか!?」 「ティパモールを救うことを約束した?」  崇人はその発言を聞いて、レイリックに訊ねる。  最初レイリックはさっきと同様に封じようとしたが――ため息をついて、答えた。 「ああ、そうだ。今回のテロを成功させた暁には、ティパモールを独立させてやると言われたから、約束したから、今回のテロを実行した。それに、たくさん助けてもらったからな」 「その人物の名前は――」  ――誰だ? と言い切る前に。  一発の銃声が響いた。そして、レイリックは口から血を吐き出した。 「がはっ……!」 「おい!」  崩れ落ちそうになるレイリックをなんとか崇人が押さえ込む。彼女の胸からは血が溢れ出ていた。 「結局……騙されていたわけだ。私たちは……! ティパモールを、虚仮にしたんだ……! あいつは……、あいつらは……!」 「もういい。しゃべるな。これ以上しゃべったら……!」 「私はティパモールの独立のために活動してきた。生きてきた。それが出来ない、しかも裏切られた。私の生き様すらを、踏み台にされた。そんなのならば……死んだほうがましだ。いや、死なせてくれ。そうでないと、私はティパモールの先人たちに顔が立たない」  そう言って、レイリックはゆっくりと目を閉じていく。 「おい! レイリック――!」  そして――彼女は、死んだ。  息を付かせる間もなく、アレスがホールに登場した。それから少し遅れて武装警察が軍を成して現れ、テロリストたちを包囲した。  人質は全員解放され、テロはこれを持って終了となった。  ――はずだった。  ◇◇◇ 「……どういうことだ?」  崇人はマーズと家に戻り、マーズに事の顛末を説明した。 「つまり、レイリックは、あのテロリストたちは、何者かに指示されてテロ行為に働いた。そうだと考えられる」 「狂言という可能性は?」 「有り得る。しかし、そうじゃない可能性だって考慮出来る」 「考慮できる、ってなあ。そしたらなんでも考慮できることになっちまうぞ。例えば、犬が猫である可能性だってその超発展した原理から行けば言えることだ」  そう、マーズは冗談交じりに崇人の言葉に答えた。 「そうかもしれない。だが……」 「信じたい、と?」  マーズの言葉はニヒルな笑いが込められていた。崇人は殴りかかるほどの怒りを覚えたが、そんなものをマーズにぶつけてもどうしようもない――そう判断して、怒りを飲み込み、頷いた。 「まあ、君の気持ちもわかるさ。私だって……そういう人間を救ったことがあるからね」  マーズはそう言ってソファに寄りかかる。その目はどこか悲しそうにも見えた。  そして、何かを思い出したかのように、言った。 「……んで、どうするんだ?」 「何が?」 「ほんとうにリリーファーに乗らないのか。インフィニティにも乗らないのか。この世界を捨ててでも……あんたは生きていくのか」  最初はその言葉に、崇人は答えることができなかった。 「なんで」 「……?」 「なんっ……でそこまで! 的確に人を傷つける台詞が言えるんだよお前はああああああ!」  崇人はマーズに一言物申したかった。  それが、これである。  崇人はマーズがそう『崇人の心を的確に傷つける』言葉ばかり言っていたことにイライラしていたのだった。  マーズは突然の崇人の咆哮に驚き、暫く何も言えずにいた。  少しして、マーズは答える。 「……君のことを傷つけてしまったのなら、それは謝る。だがね、この世界で、君は唯一の世界最強のリリーファーを操縦することが出来る。それを知ってしまったら、この世界としては放っておけないんだよ。君にもそれくらいは解るだろう?」  そのことは崇人にも解っていた。  しかしながら、崇人にだって自分の世界がある。彼はその世界を蔑ろにしてはいけないと思っていたし、必ず、近いうちに、帰ろうと思っていた。つまり、この世界で長く生きてはいけない。この世界で長く生きては、何時か必ず帰るときに帰れなくなるかもしれない、と崇人は考えていた。  バタフライ・エフェクトという言葉を知っているだろうか。  掻い摘んでいえば、ほんの僅かな変化でも、そこからありえないほど大きな変化を最終的に|齎(もたら)してしまうということだ。  つまりは、崇人がこの世界に長くいすぎることで、元々この世界が進むべき方向性が大きく変わってしまうことも、考えられるのだ。崇人はそれを危惧していた。しかしながら、崇人が今居る世界は、選択された世界なのだから、この世界での方向性も単に間違っていないということである。 「……まあ、今決めることもない。ともかく、決めて欲しいことはたったひとつ。これだけを決めてもらえればいいよ」 「なんだ?」 「明日、リリーファーシミュレーションセンターにもう一回行くことだ」 「シミュレーションセンターに?」 「メリアに謝るんだ。そして、もう一度シミュレートマシンに乗ること」 「……ノーと言えば?」 「ここから出て行け」  それじゃ、一択しかないじゃないか――とは言えず、崇人はただ頷くことしか出来なかった。  ◇◇◇  そのころ、白の部屋では、少年と部屋が会話していた。 「……結局、あのテロは失敗に終わったね」 「残念だったね。ほんとうに、ほんとうに、もう少しだったのだけれど。最後に主犯が口を滑らしてしまったからね」 「おっと、“主犯”ではないんじゃないかな。意味的には、彼女は『ピエロ』だろ?」 「そいつは失敬」  少年は幾つかあるテレビの画面を見る。そこには崇人とマーズの姿が映し出されていた。 「……まあ、これでインフィニティ計画にずれが生じる訳でもないし、特にこのままで進められるんじゃないかな?」 「ああ、あとはティパモールとレグオス遺跡の『あれ』を起動させれば、なんとかなるかね」 「誰にやらせるつもりだい?」  少年はテーブルに置かれた林檎を一口齧る。 「……引き続き、彼にやってもらうつもりだよ。なぜならば、使い道がいいからね。それに役職も素晴らしい」 「たしかにね。……まあ、頑張ってもらうとしようか。どうせ『人間』にこの計画を止められるわけはないのだからね」  そして少年は林檎をもう一口齧って、それをテーブルに置いた。  少年は、笑っていた。  これから起きることが、すべて解っているとでも言うように。  次の日。  崇人とマーズはシミュレーションセンターへとやってきていた。シミュレーションセンターは相変わらず静かだった。建物全体が静寂に包まれていて、なんだか不気味な雰囲気をも醸し出していた。 「……なんだ、メリアは居ないのか?」 「居ないみたいだな」  マーズと崇人はそれぞれそう言った。  シミュレーションセンターは小さい建物ではあるが、中はそれを思わせないほどの広さである。しかし、今はその広さが仇となっているに過ぎなかった。 「……ほんとうに居るのか?」 「おかしいわね……メリアはここに住んでいるはずだから居ない訳はないんだけれど」  ここにすんでいるとは思いもしなかった崇人であったが、それを呑み込んでまだ進む。しかし、彼女の姿は未だに見えることはなかった。 「ふうむ……、いないって訳はないだろうしなあ」 「どうしてそれが言えるんだ?」 「あいつは極端な外嫌いなんだよ。まあ、仕方ないっちゃ仕方ないけれどね……、あいつはかつて別の国にいたんだよ」 「……密出国したのか?」  その概念は崇人の世界でもあったから、崇人はよく理解していた。それをする意味を。それは、リスクが高い。にもかかわらず、それを行う意味を、だ。  崇人の言葉を聞いて、マーズは頷く。その表情はどこか重々しく見えた。 「あれは……どれくらい前だっただろうね」  そして、マーズの話は始まった。  ◇◇◇  それは、マーズが起動従士となって暫く経ったある冬のことであった。  ヴァリエイブル帝国とアースガルド王国との戦争――後の『クルガード独立戦争』にマーズが参戦したときのことだ。クルガードとはヴァリエイブル帝国に面するアースガルド王国の一区画であり、そこは原油がよく採れる場所でもあった。  リリーファー制作の上で、原油――それを精製した石油は重要なものである。  リリーファーの制作方法とは、現時点においても理解出来ている人間が少ない。その人間をかき集めた組織こそリリーファー応用技術研究機構、ラトロである。国有リリーファーの制作はラトロであった民有リリーファーをプロトタイプとして制作したものを元に行われるため、ラトロは謂わば最先端のリリーファー技術を持つ機構である。自ずとラトロには『世界の頭脳』といっても過言ではない人間たちが集められる。自ら志願する者もいれば、無理矢理に連れて行かれる者も居るのだという。  ラトロ曰く、頭脳を集めるのに、手段は選ばない。即ち、それが意味していることとは、世界から頭脳を略奪することを意味していた。  メリア・ヴェンダーもその一人だった。  彼女はとある工業大学に通っており、主席で暮らしていた。彼女自身、この世界は非常につまらないものだと思っていて、日常に何か物足りなさを感じていた。  そこに現れた魔法科学組織『ヴンダー』という存在。  彼女はそこに捕縛された。ヴンダーは「神殺し」の意味を持つ。つまりは、「神を殺して、自らがその位置に付く」という考えの下、集められた科学者(しかしながら半分は『神への反逆のため』と称して無理矢理に連れてきた者たち)である。  神への反逆とは即ち、世界のシステムを変えようということだ。  そのために、今まであったものを、謂わば過去にするシステムが必要だった。  彼らはそれを二十年も悩んでいた。  しかし、それをある一人の少女が変えてしまった。  メリア・ヴェンダーがその正体であった。彼女は後に『ピークス-ループ理論』と位置づけるこれを成立させた。  ピークス-ループ理論。  名前のとおり、ピークとなる値をループさせることで、エネルギーを循環させ、かつエネルギーをその循環により増やしていく理論である。その理論を完成させた人間こそが、メリアだった。  メリア程の人間が、簡単に組織に捕縛されてしまうものなのだろうか?  答えは明確である。アースガルド王国は『天災保護法』を設定しているからだ。  天災保護法とは『天才』ではあるが、その頭脳に精神が追いついておらず、放っておけば世界を破滅にすら導く『天災』を管理・保護する法案のことだ。  天災に認定されるには、『その知識で人を殺した』場合のみである。  つまり、メリアはそれに引っかかってしまった。天災保護法を満たしてしまった。  では、誰を、殺してしまった?  それは――彼女すらも教えられない、そんな昔話の中に閉じ込めてしまったものだ。  メリアの唯一の友人でもあるマーズでもそれは知らない。知る余地もなかった。  そして、彼女が『天災』になったあとはピークス-ループ理論など『ヴンダー』に尽くした。いや、尽くさざるをえなかった。  天災になれば、基本的人権は剥奪され、国のために知識を放出するただのマシーンに成り下がる。マシーンに成り下がって、知識を搾り取られ、そして天災は天災自身が人と感じなくなる。その先に待っているものは……もう、誰にだって解ることだ。  クルガード近郊にあったヴンダー本部はピークス-ループ理論を適用した新型リリーファーの開発に取り組んでいた。スタッフが六十人、そしてそのトップにはメリアが居た。  メリアはこの状況に悩みをとうとう持たなくなった。これが普通で、これが日常だと思っていた。つまらないことを、それ自身を、感じなくなったのだ。 「局長、アウターカタパルトの設置完了しました」  メリアはただスタッフから来る状況報告を理解するだけでよかった。 「――解った。概ね順調であることには変わりないね?」  メリアの言葉にスタッフは頷く。  そう、それでよかった。  それで、それしか、彼女には選択肢はなかった。 「……それで、システムプログラムのコンパイルにおいてエラーが発生したんですが」 「エラー? どういうもの?」 「定義ミスといいますか……」 「ならば、intがcharになっていたのじゃない? それとも打ちミスとか。たくさんあるのだから、ちゃんと探しておきなさい。そんな初歩的なことを聞いてこなくてもいい」  そう言って、メリアはまた自分の殻に閉じこもった。  それで、一生過ごしていくのだ。  この冷たい檻の中で、人権をも奪われた世界で。  彼女は、生きていく。  絶望など、とうに感じなくなった。  誰も、救い出すことなんて出来ない――メリアはそう考えていた。  ――あの日が来るまでは。  その日、クルガードは雨だった。雨は機械制作において一番の大敵である。機械と機械の各部品の間に錆びが生じてしまうし、水分によって性能が落ちることもある。だからこそ、メリアはこの日に作業はしないほうがいいと思っていたのだが、基本的人権を奪われた『天災』の彼女にそれを言う権利はなかった。  天災の彼女にはこの計画に対する発言権はない。彼女はただ知識をこの計画に費やすのみだった。  しかしながら、彼女がそれに加担するのは、今日が最後だということは、彼女自身も解らなかった。 「ひとまず、今日は躯体を完成させるところまで行くわよ。クロムプラチナも昨日漸く届いたというし……」  クロムプラチナとはプラチナの硬さとクロムの錆びにくさを兼ね備えた謂わば最強の金属として有名である。プラチナは希塩酸、希硫酸には溶けず王水のみに溶けてしまうが、クロムはむしろその逆で、それらを組み合わせることでどちらにも溶けづらい金属が出来上がるという訳だ。  それを応用して、リリーファーの躯体によく使われている。しかしながら、かの最強のリリーファーと言われる『インフィニティ』はオリハルコンを使っているというが、それを知っているのは数少ないし、知っていても都市伝説のように軽く考えている人が多い。なぜなら、インフィニティはこの当時動かすことが出来る人が居ないから、他国も脅威とは思わなかったからだ。  それでいて、彼女たちは、それに知らずにクロムプラチナで最強と謳っている。真実を知っている人間がいるとするなら、それはひどく滑稽なことだろう。 「ひとまず搬入は?」 「済ませました」 「よろしい。それじゃ、プログラミングは?」 「概ね順調です!」 「概ね? 今日の朝までに終わらせておくように、と言っておいたはずじゃなかったかしら?」 「申し訳ありません……。納期までにはと思っていたのですが……」  メリアはプロジェクトマネージャーの男の言葉を聞いて、ひとつため息をついた。 「仕方ないことです……とりあえず、完成させるしかありません」  メリアはそう言ってパソコンの前に座る。コードを見て、すぐさま指をキーボードに走らせる。そして、ものの数分としないうちに完全にコードを修正し終えた。 「ざっとこんなものです。まったく……仕事が遅いと言ったらありゃしない」  そうぶつくさ言いながらメリアはまた巡回を再開する。ここの指導者でもあるから、そういう巡回してカバーをする役目も担っている。  とはいえ、メリアもそう暇な訳ではない。そういうこともあるからと言うが、実際にそう時間が掛かって結局は納期に間に合うか間に合わないかの瀬戸際を行くこととなり、今回もそうなるだろう――と諦めた感じにため息をついた。  その時だった。  ドン――!! 破裂音とともにメリアたちのいる工場の壁が破壊された。  はじめ、メリアはその状況を飲み込めていなかった。それは、メリアとともに工場にいたスタッフにもいえることだった。  そして、直ぐに、その壁を破壊した存在が姿を現した。  赤いカラーリングのリリーファー。メリアはそれが何か知っていた。 「……あれは、確か『アレス』……!」  彼女も、今ヴァリエイブルとアースガルズとで戦争が起きていることは知っていた。しかし、だからとはいえ、まさかここが狙われるとは思いもしなかったのだ。  ここは、地下五階にある国民用シェルターの直ぐ傍にあるために、爆発にも耐えうるし、地上から見つけられにくいという特性もあった。  しかし今、それは関係の無いこととなった。  アレスが進撃したからだ。そして、作りかけのリリーファーの躯体を無残にも破壊していった。  もし、彼らが職人ならばこれを見て怒りをあらわにするかもしれない。しかしながら彼らは職人ではなく『強制労働者』だ。もはや職人としてのプライドなど持つことを許されていない存在である。むしろ彼らはその躯体を破壊されて、安堵感を覚えたのかもしれない。敵のリリーファーによって破壊されたことで、かつ敵が襲ってきたということで彼らは捕虜として敵国に運ばれることになるからだ。つまり、彼らは無意識にここでの労働よりも敵国での捕虜を選択していた。それは、その思いは、メリアも同じだった。  ◇◇◇  戦争が終わり、彼らは改めてヴァリエイブル帝国の国付き職人として任ぜられ、リリーファーを制作するために日夜励んでいる。そして、メリアはその高い技術を買われ、リリーファーシミュレーションセンターの建造に協力することとなった。  そんなある日、マーズがメリアの部屋を訪れたときだった。メリアはパソコンに向かって何かのコード――恐らく、シミュレーションマシンの理論形成だろう――を打ち込んでいた。  マーズはそれを見かねて、彼女の目を隠した。メリアは急にあって対応できず、コードを打ち損じた。 「うわっ!」 「たまには休まないと〜……ダメだぞっ!」 「びっくりしたー」  メリアはほっとため息をついた。マーズはそれを見て、にっこりと微笑んで右手にある物を見せつけた。それはヴァリエイブルの首都で有名なドーナツ屋の紙袋であった。 「あ、ドーナツ」 「一緒に食べようと思って」 「ちょっと待って」  メリアは立ち上がって、向かいの机にあるコーヒーメーカーに向かった。 「今、コーヒー入れるからさ」 「いいよお構いなく」 「いやいやーそれじゃ困っちゃうじゃない!」  そう言ってメリアは二つのコーヒーカップを持ってきた。  ドーナツを食べてしばらくすると、マーズが問いかけた。 「……ねえ、メリア。楽しい?」 「楽しいよ、ここは。何せたくさんの設備がある。それに、私の夢を積み込められる」 「夢?」 「私の開発した技術が、世界を平和にするっていう夢。ああ、あくまでも『名目上』じゃないよ? ほんとうに、戦争なんてものをなくすための」  メリアはそう言ってドーナツをほおばる。 「そう言ってるけれど、これは戦争を推進するものなんじゃない? だって、リリーファーの戦闘をシミュレートするやつでしょう?」 「そうだけれど、これはある技術を応用したに過ぎないよ。もともとリリーファー自体が復興開発のために制作されたとも言われているし、このVR技術を元に革新的なことだって出来る。例えば……あたかも現実空間のように振舞うゲームシステムとか、ね」 「まさか、ありえないよ」 「科学に『有り得ない』なんて言葉は存在しないんだよ。いつかは……いや、人間が言っている、思っていることは必ず叶うって決まっているんだ。だから出来ないことじゃない」  マーズはメリアの言っていることがたまに解らなくなる。しかし、彼女と話すこと自体が楽しいのであって、そんなことは特に気にしていなかった。 「あなたが楽しいなら、それでいいの。私はね、たまに思うんだ。『本当にあなたをここに連れてきてよかったのか』って。だって、あっちには家族も居るわけでしょう? なのにあなた一人でここまで連れて来ちゃったりして……」 「マーズ、私は特に気にしていない。寧ろ、ありがとうと言いたいの。だって、こんなに素晴らしいものをやらせてくれるんだもの」  メリアの笑顔は輝いていた。マーズはその笑顔を――胸の奥に仕舞った。彼女はその笑顔を忘れることはしない――と彼女自身に誓った。 「まあ……そんな話があったわけよ」  マーズの話を、歩きながら聞いていた崇人は何も言えなかった。  それを解っていたのかもしれない。そういうふうになることを、寧ろいつも感じているかのように、マーズは言葉を付け足した。 「だからといったって、彼女に哀れみとか必要ないからな? あいつは寧ろ、そういうのが大嫌いなんだ」 「なんかそんな性格してそうだものな」 「誰がそんな性格しているって?」  その声を聞いて崇人が振り返るとそこにはメリアが立っていた。しかし、その姿はなんだかこの前見た時よりも怠そうに見えた。 「どうしたのメリア、調子悪そうだけれど?」 「ああ……王様からプログラムの改良とか頼まれてしまってね……、おかげで徹夜だよ、ああ眠い……」  そう言ってメリアはひとつ欠伸をする。 「眠いのを承知で、ひとつお願いがあるんだけど。この前こいつから逃げたシミュレートをもう一度お願いできないかしら?」 「……もう一度?」  メリアは崇人の顔を見て、訝しげに笑う。 「お願いします」  崇人の目は、どことなく輝いていた。  そして、それを見て、メリアは崇人たちが歩いていた方向に向かって歩き出す。 「付いてきな。やってあげるよ、シミュレート」  その言葉を聞いて、ほっとした崇人はそのままメリアに付いていくのだった。  ◇◇◇  シミュレートマシンに乗るのは、崇人はこれで二回目のことだ。その内、一回は目の前にして逃げ出した。  しかし、もちろんのこと今彼はそんなことなどしようとも思わなかった。当たり前だが、彼は逃げるつもりなんてまったくもってなかった。今度こそ、シミュレートを行う――彼はそう決めていた。  その決意を、メリアは崇人の顔から感じ取っていたのかもしれない。だからこそ、そう簡単に二回目のシミュレートを認めた。  二回目のシミュレートを認めるなど、そう簡単には出来ない。況してやこの人間は土壇場で逃げ出して、メリアが呆れてしまったくらいだ。  だが、彼女はその表情を見て、心を変えてしまった。  彼は今、前をむいていた。身体が、ではない。目が、その中に見える意志が、前をむいていたからだ。  流石は――あのリリーファーを操縦出来る人間だけあるか、とメリアは呟いたが、その声が崇人に届くことはなかった。 「やっぱり慣れないなあ……」  シミュレートマシンに乗るのは昨日に引き続きこれで二回目となるが、崇人は慣れてなかった。 『おいおい、さっき見せていたやる気はどうした? さっさとやってみろよ』  メリアに言われ、改めて崇人はリリーファーコントローラーを手にとった。次いで、今までの白の景色が絵の具を塗りたくるように別の景色へと移り変わった。  そして、「待っていたぜ」と言わんばかりに白のリリーファーが待ち構えていた。  つまり、この状況とは。 『昨日と同じ状況だぞ〜、喜べよー。『二度目をやらせてくれ』と言ったんだから、同じシチュエーションにしないと、つまらないよなぁ?』  本当に、メリア・ヴェンダーという存在は鬼畜である。  それを、崇人は身をもって実感した。  しかしながら、今考えるのはそれではない。 「……どうやって、あいつを倒すか、だ……」  目の前に立つ、白のリリーファー。  それは崇人の乗るリリーファーを食らおうとするばかりに睨んでいた。 「このままだと……いや、やるしかない」  瞬間、崇人の乗ったリリーファーは白のリリーファー目掛けて走り出した。そして、それに答えるように白のリリーファーも崇人のリリーファー目掛けて走り出す。  そして、お互いがお互いに拳を向け、それはちょうどお互いにぶつかった。 「くっ……!」  衝撃をよけるように後退り、さらに対策を考える。  このリリーファーは、『最悪のパターンを考慮して』あるために、学校用のリリーファー並みの設備しか備わっていない。つまりは、設備に頼らずに戦えなどいった先人の言葉なのだろうが、今それはどうでもいいことでもある。  要は『何を使ってでも勝つ』のが戦場であるにもかかわらず、このようなシミュレートは果たして正しいと言えるのだろうか。 「……仕方ねえ」  この危機的状況を、彼は諦めた――  ――のではない。  崇人はコントローラー横にあるスイッチを押した。そして、待ち時間ゼロでリリーファーからコイルガンが放たれた。  コイルガンとは電磁石のコイルを用いて弾丸となる物体を加速・発射する装置のことだ。レールガンとは、投射物に電流が流れないなど、基本的な電気回路の構成など、構造上において大きく異なる。  コイルガンはソレノイドコイル内にある心棒が通電時に突き出される力で物体をはじき出すというしくみでなっており、このリリーファーもそのしくみでなっている。また、限りなく入力されるエネルギーを小さくとっているために、限りなく動作音も小さいものになっている。  例えば、リリーファーが自らの駆動音で気づかないくらいに。  ズドン! と相手のリリーファーから音が響いた。  それは崇人の乗るリリーファーのコイルガンから発射された弾丸が、リリーファーの駆動部位に激突した音だった。 「まあなんというか、初めてにしては上々と言ったところかね」  メリアが紙パックのオレンジジュースを飲みながら、傍にあるソファーに腰掛ける崇人に言った。 「咄嗟の行動とはいえ……よくコイルガンの出力を最大に調整出来たな? あれは調整するための装置なんて、無論コックピット内にはあるはずないんだがな」  メリアから咎められ、崇人は言葉を失う。 「多分それは『パイロット・オプション』なんじゃないかしら、メリア」  助け舟を出したのは、意外にも(?)マーズだった。マーズの言葉にメリアは目を丸くさせた。 「……なるほど、『その性能を最大限にする』能力……そう考えれば話は早いな」 「あ、あのー……なんの話でしょう?」  話についていけなくなった崇人は、メリアに訊ねる。 「『パイロット・オプション』だよ。リリーファーの起動従士になれるってのは、無論あの学校を出るってのもあるが、最終的には運じゃないんだ。起動従士になるべく生まれた人間ってのは、生まれてして特殊能力を持っているんだと。そして、それはリリーファーに初めて乗ることで目覚めるらしい。それが……『パイロット・オプション』だ」 「『パイロット・オプション』……」  崇人はメリアが言った、その単語を繰り返す。 「……まあ、これでほんとうに起動従士になる人間ってのはようやっと判明したわけで……。どうする、名前でもつけるか、そのオプションに」  断るわけにもいかないだろう、と仕方なくではあるが崇人は頷く。マーズはそれを見て少しだけ笑顔になった。 「そうだね、『|満月の夜(フルムーン・ナイト)』ってのはどうかな」 「どうして満月(フルムーン)なんだ?」 「満月の夜に能力を解放するあれがいるじゃない。それからとってみた」  ……それってもしかして狼男のことなんだろうか。崇人はそれを考えると、小さくため息をついた。 「でも、まあ、よく頑張ったとは思うかな。昨日見たく、逃げ出すこともなかったし」  マーズはそう言ってまた笑った。  そう面と向かって言われると、崇人もなんだかこそばゆく思えてきて、擽ったく思えてきた。 「…………照れてるのか?」  崇人はメリアに指摘されるまで、顔が林檎のように真っ赤になっていることに気付かなかった。 「べ、別に照れてないし……!」 「……まあ、いいか」  メリアはその光景を見て、思った。  タカト・オーノという人間は――なんだか変わっている、と。