オーバー・ベイビーという単語を聞いたことはないだろうか。名前の通り、『増えすぎた子供』という意味を持つ単語であり、それは社会現象にもなりつつある。  オーバー・ベイビーとは、要するに『捨てられた子供』のことである。子供を親が捨ててしまうのだ。しかしながら、理由は数あれどそれは宜しくないのは百も承知であるし、それを親自身も理解している。  だが、だからこそ、自らの現実と比べてみて、その結論を選択することだって、有り得るのだ。  解らなくもない。例えば、考えてみたことはないだろうか? ひどく貧しい家庭に生まれたたくさんの子供たちを、養うのは勿論産んだ親だ。だが、大量に子供を産んだことで家計が圧迫されることとなる。  その場合、OBSS――『|過剰増加児童支援機構(オーバー・ベイビー・サポーティング・システム)』によりオーバー・ベイビーと認定され支援されることとなる。しかしながら、その場合、彼ら彼女らの基本的人権はOBSSへと移譲される。  世間的にはOBSSはオーバー・ベイビーの管理・社会復帰に貢献しているため高い評価を得ているが、実際にはOBSSがやっていることは人道的行為とはかけ離れた行為であることは間違っていない。  そして、そんな組織だとは知らずに(もっと言うなら真逆の意味に捉えられているにもかかわらず)、そこに入れられてしまう。悲しいことではあるが、これが今のヴァリエイブル帝国の大きな『必要悪』の一つでもある。 「――というわけで、ヴァリエイブル帝国にはこのような社会問題もある。しかしながら、これが居なければもう一つの社会問題である『オーバー・ベイビー』は解消されなかっただろうし、それらの管理が怠ってしまうこともあっただろう。だが、少なくとも、この時代において、OBSSはオーバー・ベイビーの管理に続けて、仕事も分け与えている。帝国とOBSSはある種持ちつ持たれつの関係にある……ということだ」  黒板の前に立ち、教卓に置かれる教科書を見ながら、一人の男は長々としていた語りを漸く中断させた。  中断した要因は言わなくても解るくらいに簡単な事だった。授業の終了を知らせるチャイムである。  チャイムを聞いた男は小さく舌打ちをして、話を再開させる。 「うむ。もう少し区切りのいいところで終わらせたかったが、次がつっかえてしまうし仕方あるまい。今日はここまでとする。では次回は、『レギオン・ユーモルド』について詳しく行う。よく予習をしておくように」  そう言って男は教科書(といえるか怪しいほど分厚い。まるで、『辞書』だ)を抱えて教室を後にした。男はリリーファー起動従士訓練学校で『国史学』の授業担当をしているアトウェル・クバイドだった。 「だーっ……やっと終わったあ……」  崇人は授業が終わると同時に机に突っ伏した。 「タカトくんずっと寝てたじゃない……」  そう言って笑いながら、エスティはノートと教科書を机の引き出しにしまう。 「だって、歴史って使うか? 今を生きているんだからさ」 「そんなこと言ったらクバイド先生に千本ノックもとい千本ファイアされるよ?」 「そいつはきついっ!!」  崇人はそんな話をしながら、この前のことを考えていた。  自らに目覚めた、パイロット・オプション『満月の夜』。それは、即ちここに居る人間とは確実に別の存在であることが露呈したことを意味している。 「そういえば、タカトくんはちゃんと決めたよね? 大会に出るかどうか。次の授業で決めるんだよ?」 「あー……そうだったっけ。出るよ。それは約束する」 「ほんとうにっ?」 「ああ、ほんとうだ」  国王に頼まれて仕方なくではあるがな――とは言えなかった。それを言おうとしたら今回のことは全て話さなくてはならない。  ああ、スパイってのはこういう大変さがあるんだろうか。崇人はそんなことを思っていたが、スパイってのは少なくとも意味が違うということには崇人は未だに気づいていない。 「ねえねえ、一緒に出れればいいね?」 「……一緒に?」  崇人はその部分が少し突っかかった。 「そうだよ。大会に出れるのは各クラス最低三名で、団体戦とかの関係もあるから、三人固定だけれど……どんなに多くても四人までしか行けないんだよ」  エスティが言ったことは、つまり五人以上希望者が出た場合は何らかの方法で選出されるということだ。  それは困ったことになる。しかし崇人は最初から知っていたはずだった。このクラスは起動従士クラスで、起動従士になるべく入ってきた学生だらけだということを。それならば、優秀な成績を修めれば、一発で起動従士に選ばれるこの大会に出るチャンスを逃すわけがない。つまり――崇人はそこまで考えていなかったということになる。 (そいつは予想外だった。……でも、出れなかったらどうするんだ。まさか、あの国王権力で捩じ伏せて強引にとか……いや、それは流石に有り得ないか)  崇人がそんなことを考えていると、教室の扉が開かれ誰かが入ってきた。余談だが、この学校には『担任』という制度はない。代わりとして各クラスには授業補佐員が分けられており、それが担任としての役割を担っている。どうして、担任という制度が廃止されたかといえば、簡単なことである。現在、学生と学校を結ぶシステム(例えば連絡網など)は、全てスマートフォン等の情報端末にて賄われているからだ。アンケート等もこれによって取られる。しかしながら、ある例外を除いて授業補佐員がホームルーム授業として現れることがある。  それは。 「……はい、おはようございます」  授業補佐員ファーシ・アルバートは手元に持っている情報端末を見ながら、話を進める。 「君たちもここに入ったのだから知っているとは思うけれど、これから『大会』のメンバーを決めます。メンバーは最大五名までです。えーと……今年からしくみがちょっち変わったのかな? というわけでさっさと希望聞いても大丈夫かな?」  ファーシはクラスに向けて訊ねるが、クラス内で特に目立った言動は見られない。 「それじゃ、いいね。えーと、手を挙げてください」  その声と共にエスティと崇人は手を挙げた。  崇人はそれと同時にクラスを見渡す。手を挙げているのは、どうやら崇人とエスティを含め、ちょうど五人だったようだ。 「それじゃ、ちょうど五人なのでこれで確定とします。よろしいですねー?」  その言葉とともに、クラスは拍手で満たされた。  再び、崇人はクラスを見渡し先程手を挙げていた三人(崇人とエスティは除いている)とはどういう人間だったかを思い起こした。  クラスの窓際の席に座っている、金髪の男性がヴィーエック・タランスタッドだ。金髪ということはアースガルズ人の血を引いているということである。アースガルズ人はこの国では差別対象にはなっていない。だが、彼は何度か苦行を味わったらしいことはエスティらと話していてどことなく知っていた。  次に、クラス中程でスマートフォンのシューティングゲームのハイスコア更新に勤しんでいる黒髪の女性はアーデルハイト・ヴェンバックである。彼女はリリーファー実技でエスティと並ぶほどの実力を持っている。崇人は彼女が手を挙げたのを見て頼もしいと思いつつも、少し厄介だとも思っていた。  そして最後の一人が――ヴィエンス・ゲーニックである。彼は確かに実技・学修どちらも優秀ではあるが、性格に問題がある(特に崇人とはそりが合わない)。 「案外いいメンバーになったかもね?」  エスティは崇人の方に身体を寄せて、ひそひそと言った。  確かにそうかもしれない――崇人はそう答えた。  しかしながら、彼にはひとつ疑問があった。  ここまで癖の強いメンバーを、どうまとめ上げ、どう意見を一致させればいいのか――それについて、だ。 「なんとなく大変なことになりそうだけれどな……」  崇人は溜息をついて、独りごちるも、その言葉は誰にも聞こえることはなかった。 「これから、第一ミーティングを始めます」  アリシエンスの声とともにミーティングが開始された。メンバーは先程大会に選出された五人のメンバーである。  しかしながら、ひとりひとりメンバーを見ていくと彼らがこの大会に出る気があるのか疑うものであった。  例えばヴィーエックは窓からずっと外を眺めていて、まさに『心ここにあらず』といった感じで、アーデルハイトはやはりさっきみたくゲームに熱中している。ヴィエンスとエスティ、そして崇人だけが会話に参加しているといった感じだ。  今いる場所は視聴覚室で、ここはよく学生が自由に使ってもいいために勉強会などをするためには格好の場所として知られている。そして今、崇人たちはここで大会に向けてミーティングをしている次第だ。 「『大会』まであと三週間となります。とりあえず、ここで大会とは何なのか、もう一度確認しておく必要がありますね」  そう言って、ホワイトボードにアリシエンスはすらすらと書き始める。それは『大会』の概要であった。  『大会』は皇暦六百二十年、ヴァリエイブル帝国建国五百年を記念して開催されたものである。その目的は『戦争をショービジネス』とするためだった。  長き戦争が終わり、大きな戦争が終わったあと、その大きな戦争に使われた軍事技術は使い道を失った。そして、その軍事技術は戦争が終わったあとも進歩し続けた。  その受け皿として用意されたのが『大会』だった。『大会』によって戦争をショービジネスとして変化させ、進化する軍事技術をサンプルとして見せる。それによって、軍事技術を欲しがる組織も増え、技術を開発する組織も、結局はwin-winな関係となる。  それがいつからか各国の小競り合いがはじまり、『戦力の確保』をするために大会への参加者で優秀な成績を収めた者をヴァリエイブル帝国が直々に取ることになり、これが現在までに続くシステムとなっている。 「……そして、大体大会に出場する人間が三十五人ほどで、去年もそれくらいだったからきっとそんなものだと思うのだけれど」 「リリーファー起動従士訓練学校って七つもありましたっけ?」  訊ねたのはエスティだった。 「この国には五つしかないわ。あとは、ペイパス王国から二チームが参戦するということは聞いているわ」 「ペイパスからって、大会はヴァリエイブルのみじゃありませんでしたか?」 「今年の大会はハリーニャ・エンクロイダーさんが見に行くらしいから、それもあるんでしょう。ペイパスとはあまり嫌悪な仲を作りたくもないでしょうし」  この時代、各国は大きい戦争は起こしていないものの、国同士の小競り合いが多発している。そのため、各国は皮相上の軍事同盟を結ぶ。あくまでもそれは見かけ上のものなので、特に関係はない。関係はないというわけでもないのだが、実際にはそれは紙切れ同然であるので、その同盟を理由に戦争を拒否することなどは出来ない。 「そういうわけで、結構世界というのはややこしく出来ているものなのよ……。それは、私が起動従士に現役で乗っていた頃よりも、ね」 「先生が起動従士になられていた頃というのは、ちょうどいつごろの話なんですか?」 「そうねえ……たしか私が引退したのはマーズさんが就任する一年前だったかしら。マーズさんが選ばれた時の『大会』は素晴らしかったわ。私は王様から招待されたのよ。そして、起動従士を引退した人は自ずとこの学校に入って後任を育てるようになってね……。おっと、話がずれてしまったね、とりあえず話を続けると、『大会』には個人戦と団体戦が存在します。その中でも協調性があり、かつ個別の戦力として認められる優秀な技能をもって評価されます。君達は、それを狙っているのでしょう?」  エスティとヴィエンスは頷く。崇人もゆっくりと頷いたが、他のふたりは頷くばかりか話を聞いているかも怪しい。 「一先ず、それを狙うのならば、無論対策は必要でしょう。例えば、ペイパスにも当たり前ですがリリーファーは存在します。それに噂だとヴァリエイブルよりも高度な技術を有しているとも聞きます。……しかし、それは『リリーファーの技術』に過ぎません」 「……リリーファーでダメなら、|起動従士(じぶんたち)自身が技術を高めればいい……、先生はそうおっしゃるのですか?」 「エスティさん、まさにそのとおりです」  アリシエンスは小さく微笑む。 「そのとおり。リリーファーの技術が高くても、それを操るのは所詮人間です。最近は、完全にコンピューターで制御したリリーファーも開発されているそうですが、それでも操縦者は人間に変わりません。つまり、過ぎた技術があったとしても、それを操縦者が完全に理解していなければ、意味がないし、それは寧ろガラクタに過ぎないということなのです」  ガラクタは言いすぎかもしれないが、確かにその通りだった。使うものが良くても、それを使う人間が馬鹿なら馬鹿なりにしか扱えない。使う人間が天才ならばそれは最大限に効用が保たれることだろう。 「そういえば、個人戦はどうなのをやるんです?」  崇人はふと気になったので訊ねた。 「ああ、それは――」  と、アリシエンスが説明しようと思ったその時だった。 「個人戦は例年通りならば各ステージを無作為に大会側が選ぶ戦闘になる」  アリシエンスに代わって答えたのは、ゲームをしていたアーデルハイトだった。アーデルハイトは今までゲームをしていたスマートフォンをポケットに仕舞い、テーブルに肘を置く。 「ステージは全部で五個だ。雪山エリア、砂漠エリア、ジャングルエリア、都市エリア、海中エリアだ。この中でも難しいのは海中エリアだろうな。雪山エリアは、雪が弱まったタイミングを狙って攻撃したり、雪が強まればそれを利用して隠れればいい。ジャングルエリアもそれは同様だ。砂漠エリアは砂漠といいつつも砂山も紛れているから、それを利用すれば戦法が大きく広まる。都市エリアは言わずもがなだが、問題は海中エリアだ。海中にも隠れる設備は確かに存在するんだが、そもそもリリーファーはコックピットの空気を循環する装置があるから、どこにいるかはバレてしまうんだ。だから、海中エリアでは隠れる戦法は一切通用しないと見たほうがいい」 「……アーデルハイトさん、詳しいようだけれど、大会の経験は一度だけ?」 「……そうだけど、正確には兄上の付き添いで言ったから二回目になる」  アーデルハイトはアリシエンスの言葉に答える。  崇人ははじめ、彼女はただ適当に、なんとなくここに出るだけの人間なのかと思っていた。つまりは、それほどこの大会にかけている思いも薄いのかと思っていた。  しかし、今の話を聞いて、崇人は彼女もやはり起動従士を目指す人間なのだ――ということを再確認した。 「……そして、団体戦についてなんだが……これも話しても?」  アーデルハイトはアリシエンスに許可を求める。アリシエンスも特に問題はなかったので、「どうぞ」と小さく頷いた。それを見て、アーデルハイトは話を再開した。 「団体戦は簡単なことだ。ある一つのフィールドを用いて、5VS5の戦いをするってことね。ここではやっぱり協調性が大事でしょうね。これがなくちゃ戦うこともままならないでしょうし……。ともかく、これが私の知っている限りの『大会』の情報かな」 「ありがとう、アーデルハイトさん」  アリシエンスは小さく微笑んで、ホワイトボードに小さな紙を貼り付ける。そこには今アーデルハイトが言ったことをある程度集約したものが書かれていた。 「それって元から用意していたんですか?」  訊ねたのはエスティだった。エスティの言葉にアリシエンスは再び微笑む。 「別に用意していたわけではありませんよ。……この場で要約したもの、と言えばいいでしょうか」  アリシエンスの言葉を聞いて、エスティは頷く。 「まあ、そう難しいことではありません。確かにステージは選ぶことができません。ですので、運を味方につける必要もあるのです」 「運を味方に……とかいいますけれど、そんな簡単に」 「できますよ。『幸運を掴み取る腕』ってのは、自らが鍛えるものなのです」 「ですが……!」 「ひとまず、今回はお開きとしましょう。……おっと、それと最後に自己紹介でもしておきましょうか? けれども、みんな同じクラスだし大丈夫かしら?」  アリシエンスの言葉に特に反応もなかったので、アリシエンスはそのまま立ち上がり、扉へ向かった。 「それでは、これに終わりにします。もし、ミーティング等で使いたかったら、ここを使う旨を誰かに伝えてください。わかりましたね?」  その言葉に全員が頷き、それを確認してアリシエンスは頷きを返し、外へ出ていった。  ◇◇◇  帰り道の道中。  エスティと崇人は話をしながら帰っていた。 「……結局、仲良くなれるかなあ」 「あのメンバーと? どうだろうね。私もちょっと難しいかなぁ……」 「そうだよね……」  崇人はミーティングでの各人のファーストインプレッションをまとめると、つまりはそういう結論になった。  そういう結論になったとはいえ、結局崇人が大会に出ることには変わりない。寧ろ、それが変わることは有り得ない。まだ元の世界に戻る方法も見つからない崇人にとって、組織に所属することは仕方ないことでもあった。  だからとはいえ、自分がこのようなところに出てもいいのか、と崇人はまだ考えていた。周りの出場メンバーは(大まかに見て)起動従士になろうという大きな夢を抱いている。突然にこの世界に到着して、成り行きでこの学校に来た崇人とは大違いだ。つまりは、崇人と崇人以外の人間とでは、この大会にかけるモチベーションが大きく異なる。  自分はここでやっていけるのか――ある意味ではそれを判断するためのイベントだと、崇人が自己解釈出来たかどうかは、まだこの時において定かではない。  いつもの分かれ道でエスティと別れ、崇人は自分が住む家に到着した。先ずは状況報告としてメンバーになったことを“上司”に報告せねばならない――崇人はそう考え、溜め息をついた。  そして扉を開け、靴を適当に脱ぎ捨てる。この国では屋内(一般家屋等)の土足の有無について細かく定められていない。しかしながら、床が汚れないことに対する清掃の利便性等を考えると、結果として殆どの家庭では玄関で靴を脱ぎ、屋内では裸足やスリッパ等を履いて過ごすようになっている。ここ、マーズ・リッペンバーの家もそのようになっている。  玄関でスリッパに履き替え、リビングに向かう。マーズは不在だったようで、部屋は仄かに暗かった。 「……おかしいな、今日は遅くなるとは言っていなかったはずなのに……?」  まあどうせ『仕事』だろうと勝手に結論付けた崇人は、冷蔵庫に入っている麦茶を取り出した。そして、コップを取り出し並々に注いで一口飲んだ。直ぐに口の中に仄かな苦味が広がる。マーズが麦茶の沸かしに失敗でもしたのだろうか。  そこで、崇人は改めて自らの置かれている状況を考えてみることとした。  崇人は元いた世界では『D&Rエンタープライズ』という会社の技術部に務めていた。その会社はロボットを開発していた。  二〇一三年当時、ロボット技術は著しく発展している分野で、崇人の居た会社はそれが日の目を浴びる前から目をつけており、ある巨大財閥から支援され一九九八年に設立となり、崇人はその初期スタッフとなって以後十五年もの間働いていた。  崇人が開発していたのは所謂音声認識システムだ。もっと言えば、それを用いてコンピュータやロボットに命令を伝達するといったものだ。即ち、事前に書きこんでいたパターンに沿って動かすのではなく、『ロボット自体に人間の脳を組み込ませる』ことで、まるで人間のように動くロボットを作ろうと考えていた。そして、その中でも音声認識システムはその根幹を為す、言わば要となるものだった。  崇人がこの世界にやってきたその日も、スプリントの終わりに間に合わせるために、音声認識システムのプログラムファイルのエディットを行っていた。 「なんだかなぁ……」  それからのことは、この世界に来て一ヶ月余り経った今ですら理解出来ていなかった。突然の異世界。ロボット。崇人の世界では確実にオーバーテクノロジーと呼ばれるような技術。突然学校に通うことになり、成り行きで大会にまで出るようにまでなった。まったく、人生というものは理解出来なかった。  斯くも人生とはここまで予測不可能なものなのか、と崇人は呟く。幾ら何でも、そんなものが予想出来るのは有り得ない。出来るとするならそれは夢見がちで現実逃避をしたかったか、ただの馬鹿である。  そうでありながらも、崇人は結局はこの世界を好きと思いつつあった。  しかし、前の世界にもまだ『離れたくない』という思いはあった。  彼は、そして、その中で葛藤していた。  それは、誰にも、この世界で生まれ過ごした誰にだって、解りえないことだった。  マーズが帰ってきたのは、それから二時間も経ってのことだった。崇人が冷蔵庫にある材料から野菜炒めを作り、ちょうど食べ終わった時だった。 「いやー、ちょっと用事が入っちゃってね」 「飯は?」 「食ったよ。……あれ。もしかして、ご飯用意しちゃってた? ごめんよ、メールなりなんなりすりゃよかったんだが、あの王様ずっと私にベタベタくっついてたもんでさ……」 「またあいつか。だったら、話をしたくないからメールでやれとでも言えないのか?」 「あれでも一国の王だからねえ。無理だとは思うよ」  マーズはため息をついて、冷蔵庫にある缶ジュースを取り出す。プシュという空気の抜けた音とともにジュースが開けられ、一口飲んだ。 「まったく、疲れちゃうよ。今日だなんて、聞いてもなかったしね。聞いていたなら、もうちょい余裕もっていたんだけど」 「なんについてだったんだ?」 「『大会』と『ティパモール紛争殲滅作戦』についてだよ。もっとも、私にとっちゃ後者の方が圧倒的に大きいパーセンテージを占めているがね」 「殲滅……作戦?」 「これはオフレコだけどね」  そう言って、マーズは崇人に話を始めた。  ティパモール紛争殲滅作戦。  ティパモール独立運動により紛争が多発しており、それによって経済事情も滞りつつあることを確認した政府は国王の名のもとに殲滅作戦を実行することを決定した。  ティパモールとはひと月もしないうちに『大会』が行われるが、それと同時進行に展開していく。リリーファーを三台投入し、『赤い翼』などを含むティパモール独立派のアジトを徹底的に叩き潰すのが目的だ。 「……大体は解った。そして、これが『大会』当日にいけないという用事か」 「まあ、そんな感じだね」 「そんな感じってな……。解った、こっちもとりあえずメンバーには確定したよ」 「ご苦労さん。それで、あとは一月後の大会待ちってわけだ。ところで……あんた、なろうと思えば国付きの起動従士になれるのに、なろうとは思わないわけ?」 「まだ考えてちゃいないよ。まだ、前の世界に戻りたい気持ちの方が強いってのもあるし」 「前の世界、ねえ……」  マーズは呟く。そして、何かを思い出したかのように話を再開した。 「ねえ、どうしてあんたがこの世界に来たのか考えたことはない?」 「……なんでだろうな。案外カミサマってやつの気まぐれだったりしてな?」  俺はカミサマだなんて信じていないんだが、と付け加えて崇人は笑いながらその質問に答えた。 「カミサマねえ。……だとするなら、カミサマってのは本当にクソッタレな存在なんだな。相変わらず」  ――十年前と、変わらない。  最後にマーズが言ったその言葉は、崇人の耳には届かなかった。  次の日、崇人はいつものとおり、起動従士クラスに来ていた。入学式から無遅刻無欠席であるため、これが異世界に来てちょうど一ヶ月ということになる。  そして、それは、大会まであと少しということを意味していた。 「タカトくん、元気だねぇ……」 「どうした、エスティ。夏バテか?」  だったらまだいいけどね、とエスティはつぶやく。 「昨日は、ちょっと徹夜しちゃって……。おかげで、今日の一時間目は睡眠学習に頼りそうな勢いだよ」  もう既にエスティは半分夢の世界に旅立っていることは、崇人もわかっていたが、それを言わないのが優しさってもんだろう――崇人はうんうんとそう頷きながら言うと、エスティをそのまま寝かせておくことにした。  ――其の後、エスティが一時間目の教員に頭を叩かれたことは、言うまでもない。  ◇◇◇  お昼休み、食堂は今日も混んでいた。 「あいかわらず、ここの混み具合は変わらないというか、なんというか」  そんなことをつぶやきながら、崇人はきつねうどんをトレーに乗せ、いつものようにエスティたちが待つ場所に向かった。このスタイルは僅か一ヶ月ですっかり崇人の生活サイクルの中に組み込まれるようになり、それは崇人もいいことだろうとしてなおざりにしている。 「しかしまぁ、こう毎日うどんとか飽きないのか? タカト、君くらいだぞ。食堂のおばちゃんは君のこと、『うどんマスター』とか呼んでるくらいらしいし」  ケイスは、そう言って定食のご飯をかっ込んだ。定食の御菜は、茄子と肉を混ぜたようなもの(に見えるだけで、実際に材料は違うことだろう。現に、ケイスが茄子と思しき何かを箸でつまんでいたが、その色は真っ赤だった。そんなナスは果たして存在するのか? とも崇人は考えていた)で、崇人はそれを食べるには少々抵抗があった。とはいえ、この世界全ての食材が崇人にとって苦手というわけでもなく、特に崇人が好きだったのは缶詰だった。マーズ・リッペンバーという女子は、調理があまり得意でなく、失敗することも多い。そのため、恐らくその保険として、大量の缶詰がリッペンバー家には備蓄されており、崇人はそれをかなりの頻度で食べることになる。  この世界の缶詰のバリエーションは、崇人が元居た世界以上に多く、味付けもそれに近い。何故かは知らないが、崇人にとって、それはある意味救いだった。 「うどんマスター……ねえ。けれど、俺はどうもうどんしか食いたくないというか、うどんが大好きというわけでもないんだよなあ。懐かしの味……と言ったほうがいいのかな。まあ、そんな感じだよ」 「懐かしの味、ねえ」  ケイスは箸を置いて、水を一口飲んだ。よっぽど崇人が言った『うどんは俺の懐かしの味』というのが余り理解できなかったらしい。けれども、懐かしの味ってやつは人それぞれだからどうでもいいだろう、というのが崇人の正直な感想だったため、特になにも感じていなかった。 「そういえば、もうすぐ『大会』だけど、ケイスくんは魔術クラスの代表として出るんだよね」  エスティが言うと、ケイスは少し照れながら頬を掻いた。  魔術クラスといった、起動従士クラス以外のクラスは一クラスの代表一人しか出ることが出来ない。だから、それに選ばれることは名誉であり、かつそれに選ばれることはそのクラスの重圧がかかるということだ。  また、代表に選ばれるのはクラスの上位の成績を誇る人間であるが、それがトップであるとは限らない。いろいろと基準があり、それを満たした者こそが代表としての権利を得る。それを選ぶのは学校の先生ではない。『大会』のために集められた有識者――『オプティマス』である。オプティマスは大会が開催される度に成立と解散を繰り返している。また、三回以上の続投は許されておらず、それ以後はオプティマスへ参加することは許されない。これは、大会参加者とオプティマス参加者の間の癒着を防ぐためでもあり、それは即ち大会自身の平等をはかっている。 「……そういえば、今年の『オプティマス』に起動従士クラスのアリシエンス先生が就いたって噂があるけど」  ケイスは小さく呟いた。 「それ、どうして知っているの……?」 「噂だよ、噂。最近アリシエンス先生、公欠多くない?」  崇人は最近の記憶を思い起こしてみる。そう言われると、確かに最近の授業では三回に一回の割合くらいで休講にしており、もうすぐ補講も二回くらい連続でやるというのだから、学生としては少し微妙な感じになっている。 「それで、アリシエンス先生が『オプティマス』のメンバーに選ばれたんじゃないか、って話だけど……。まあ、まだ噂でしかないよ。噂ってのはいっぱいあるさ。例えば、ペイパス王国に居る起動従士はこの学校の学生と同じくらいの年齢だとか。まあ、マーズ・リッペンバーの例があるし、とても驚くことではないと思うけれど」 「オプティマスに選ばれる……でも、アリシエンス先生は元起動従士だしありえそうだよね。確か、マーズさんが『大会』で選ばれた時に引退したらしいから、ちょうど七年前かな?」 「七年前……。早すぎやしない?」 「特に問題もないんじゃない。だって、選ばれたんだし。選ばれたもん勝ちでしょ」  エスティはそう言うが、正直それは胸を張れるものなのだろうか。明らかに違うのは、崇人もどことなく解っていた。  とりあえず、崇人は次の授業はなんだったかな、とか考えながら、最後のうどんを啜った。  ◇◇◇  一日も終わり、さて帰ろうとした時に、崇人は声をかけられた。振り返るとそこに居たのはアーデルハイトだった。彼女は珍しくゲームをしていないようだった。どうやら、スマートフォンを忘れてしまったらしい。 「少し、質問があってきたんだけど。ちょっと、いいかな」  少し考えて、崇人はそれにイエスと答えた。  アーデルハイトと崇人がやって来たのは、通学路の傍にある古い喫茶店だった。マスターも店内も年季が入っており、なんだか落ち着ける雰囲気を醸し出している。 「マスター、アイスコーヒー二つ」  あいよ、と言ってマスターはコーヒーメーカーにコーヒー豆を淹れる。中にはクラッシックの音楽が流れ、ゆったりと時が流れているようだった。 「……さて、ところで、話をしようか」 「ここまで呼び出したからには、よく解らないですけど、重要な話をするんでしょうね」 「物分りが早くて助かるよ。実は、こういうものでね」  アーデルハイトの口調は学校とのテンションとは非常に異なるものだったので、崇人としてもぎこちなく応答してしまった。そして、アーデルハイトから受け取った名刺にはこう書かれていた。  ――『ペイパス王国 起動従士     アーデルハイト・ヴェンバック』  それを見て、崇人はアーデルハイトの顔をもう一度見る。アーデルハイトはその反応も予想通りだったらしく、小さく微笑んだ。 「つまり、そういうことだ。改めて、よろしく」  アーデルハイトはそう言って小さく頷いた。 「……つまり、どういうことだ。あんたはスパイってことか」  崇人はその名刺を見てから、明らかに態度を変えていた。  なぜなら、役職を偽っていたからだ。しかもその正体が今も戦争をドンパチやっている他国の起動従士だというのだから、信じられなくなるのも解る。 「……詐称していたのは謝る。だが、これはペイパスとヴァリエイブルで取り決めた密約によるものなんだ。私は、つまるところ、何も悪くはない」 「ペイパスとの密約?」 「そうだ。私はペイパスの起動従士でもあるが、隠れてこの国の学生として居たんだ。勿論、今回の『大会』に参加するまで、上から言われたシナリオ通りだったがね」 「シナリオ通り……? つまり、これは元々決められていたものだってことか」  崇人の言葉を聞いて、アーデルハイトは頷く。コーヒーを一口飲み、ポケットからあるものを取り出し、それをテーブルに載せる。それは写真のようだった。写真に映されていたのは、少年だった。 「……これは?」 「『アリス・シリーズ』という単語を聞いたことがないかな。彼はその元締めと呼ばれている」  そこに写っていた少年は中肉中背で、髪が白かった。果たして、これは人間と言えるのかも怪しい存在だった。 「最近、国を襲っているのが居るだろう? 襲っているのが彼らでね。ああ、主犯格って意味でだよ。彼らが直接手を下したのは、恐らく今まで無かったはずだ。今回の……、あのときの演習のことは覚えている?」 「ああ。それって、最初のリリーファー演習のときの、か?」 「そう。リリーファー演習の時に出た、あの化物……いや、化物なのかな。生き物なのは確かなのだけれど、まあ『化物』ってことにしよう。『怪異』でも、あるいは正しいかもしれないが」 「……それで、それがどうしたんだ?」  崇人はうんざりしたように呟く。  アーデルハイトはそれを見て、小さく頷いた。 「話が進んでいなかったね。だけれど、これを話さなくては、話が進まないってものがあってね。……えーと、『アリス・シリーズ』ってのは、どうやらこの世界に元々住んでいた存在らしいんだ」 「どうしてそれが?」 「この前の化物の体内の構成成分を調べた。そうしたら、人間に限りなく近い構成成分が含まれていることがわかった。つまりは、人間に遠くて近い存在であり、かつこの世界に元から住んでいたということだ」  崇人にはアーデルハイトの言葉が理解し兼ねた。アリス・シリーズ。今までの崇人の常識では考えられない存在。果たして、それは本当に実在するものなのか、崇人は一切解らなかった。  けれども、崇人は実際に見てしまった。『アリス・シリーズ』のひとつ、『ハートの女王』を。  アーデルハイトは、理解していることを前提に、理解してもらいたいがために話しているわけではなかった。  アーデルハイトは、そう考えながら、話を続ける。 「ところで、『アリス・シリーズ』という存在は、未だに解らないことが多くてね。それが何なのか、まだ調べきれていないんだ。アリス・シリーズが何なのか、完璧に解明出来れば、この世界ももう少し平和になれるだろうに……」  崇人は暫く、アーデルハイトの話を聞くだけに留めることにした。まだ、崇人はこの世界を完全に理解していない。ならば、口を出さないほうがいいだろうと思ったからだ。アーデルハイトは、崇人の本当の正体を知らないからだ。  そう暫く話していると、アーデルハイトはお金をテーブルに置く。 「すいませんね。突然に。奢りですんで」  そう言ってそそくさとアーデルハイトは去っていった。  崇人はその姿を見て、残って、氷が溶けてしまい、少しだけ薄くなったアイスコーヒーを飲み干した。  ◇◇◇  家に帰ると、マーズはスマートフォンを弄っていた。スマートフォンには幾つかのタブが表示されていた。 「……お帰り。どうだ、今日も?」 「今日は……いや、今日もいつも通りだったな」 「アーデルハイトとは出会ったか?」 「……やはり、あんたと繋がってたか」  そう言って睨みつけると、マーズは乾いた笑い声を出した。 「マーズ、いい加減に凡てを教えてくれないか。……この『計画』の凡てを」 「教えてあげられるなら、教えてあげたいんだけれどねえ。そうもうまくいかないんだ。難しいんだけど、それはほんとうに教えてあげるには、タカト。君へ提供できる情報が少なすぎる」 「あれほど、『参加しろ』とか言っておいて、情報は隠しておくってか。ならば、参加しないよ。俺はずっとここにいる。『大会』にも参加しない。俺がでないってことは≪インフィニティ≫も出ないってことだ」 「そりゃ困るねえ……。だって、≪インフィニティ≫が出ないと困るもの」  崇人はソファに腰掛け、テーブルに置かれた小さいケイジに入っているチーズの包を剥がし、口に入れる。直ぐに口の中にペッパーの香りが広がった。 「チーズの美味しさに浸っているのはいいけれど、私の話も聞いてくれないかな。いいかい? 『アリス・シリーズ』は確かに人間よりも昔から居たとされているんだ。そして、そいつは別世界への干渉もしていると考えている科学者もいる」  それを聞いて、崇人はマーズの方を向いた。 「それってつまり……」 「ああ」  そう言ってマーズはスマートフォンを仕舞った。 「科学者はこういうことを考えている。『アリス・シリーズ』が持つ力を利用すれば……別世界へ干渉し、交流することも可能ではないか、とね」  別世界への干渉。  それは、意味を少し変えれば、崇人が元の世界へ戻れるかもしれないということを示唆していた。  アリス・シリーズ。  崇人のいた世界には、当然居なかったであろう『異形』。 「……しかし、まだ解析が必要でね。シリーズのどれかによっては意味をなさないのもあるらしい。そういうのをするためにはシリーズ凡てからサンプルを取る必要があるわけで……」  崇人はそれをうんうんと頷くだけで、マーズからしてみればちゃんと話を聞いているのか? と疑問を抱くほどだった。  しかし、そんなこととは裏腹に崇人はきちんと話を聞いていた。  シリーズの解析は、崇人が元の世界へ戻る足がかりになる。  それは、崇人にとって重要なことで、崇人には成し遂げなくてはならないことのひとつでもあるのだった。  次の日、崇人のクラスはやけに盛り上がっていた。まず、朝から一時間目の先生の授業を受けている人数がいつもより少ない(受けている人数は変わりないのだが、『ちゃんと聞いている』人間で換算すると、少ない)。崇人はなぜそうなっているのか、最初は理解できなかったが、一時間目が終わって壁に貼られている時間割を見て、漸くそれを理解した。 「……なるほどね、今日の午後は体育か……」  体育という科目は勿論この学校にも存在しており、大抵実技等のあとに置かれることが多い。理由は簡単で、この体育という科目はあるひとつの競技のみに絞られていたからだ。  それは。 「……大きいな、やはり見てみると」  ちらりと崇人は窓からそれを眺める。崇人のいる教室は一階にあるので、その大きさは把握できないが『それ』の大きさは恐らく体育館程の大きさがあった。 「今日、プールだよね。水着、新調しちゃったんだ」  エスティが楽しそうに言ってくるので、崇人は茹だった頭をなんとか回転させて、答える。 「プールねえ……。どうして五月にプールに入るんだ? 別に暑い時期でもいいだろうよ」 「ここの売りとなってるのが、あの温水プールなんだよ。なんでも流れるプールもあるしジャグジーもあるんだよ!」 「なんだよ、そのレジャー施設ばりの設備の良さは」  崇人は思わず突っ込んだが、崇人はプールに行こうとは未だに決め兼ねていた。  別にプールが嫌いというわけでもなく、崇人は寧ろ小さい頃から(あくまでも『前の体』で、というわけだが)水に慣れ親しんでいる。 「プール、なあ……」  そんなことを言って崇人は外を眺めた。外は太陽がぎらぎら照りつけていて、朝聞いたラジオでは今日は真夏日になるなどと言っていたのを、崇人は今更ながら思い出した。  ◇◇◇  プールの時間が来てしまった。  崇人以外の学生は男子と女子で各々に着替えに行ってしまった(ただし男子更衣室は存在しないため、男子は教室での着替えを強いられてしまうのだが)。  着替えようとしない崇人に、男子学生が尋ねる。 「タカト、お前着替えないのか? 水着がないとか?」  水着がないから、というのは言い訳に過ぎない。確かに崇人は水着を持っていなかった。しかし、この学校に入るときに水着は買っていたし、今日は何を考えていたのかマーズが崇人のカバンに水着一式を入れていたのを確認したので、何となく「入れ」というご命令があるのだろう――崇人はそんなことを考えていた。 「いや、俺は別にいいよ。見学してる」 「泳げないのか? まさかなあ。まさかお前が泳げない、だなんて言う訳ないもんなあ」 「フィナンス……」  そこに居たのは、ヴィエンスだった。  フィナンスは黒のサーフパンツを着ていた。なんというか、準備が早い。 「なんだ、別に泳げないわけじゃないぞ。ただ『そうする気がない』だけだ」 「逃げていることには変わり無い。……しかしなぁ、まさかお前が泳げないだなんてなぁ……。くくく……」  何かを思い付いたのかいやらしい笑い方をするヴィエンス。崇人は仕方ない、と呟いて漸く着替えるのを開始した。  プールに入ると体育教師のキャメル・ミキシバールが競泳用水着を着て、自らのボディラインを見せ付けたいのか、はたまたただ単に体育教師という名目からか、見張り台になっている高台に座っていた。ちなみに、いつも黒のサングラスをかけているため、素顔を見た人間はそう居ない。 「入る前には、きちんと準備体操をしてから入りなさい! 助けませんから!」 「せんせー、ってことはリリーファーが水上に不時着して、そこから逃げ出す時も一々準備体操しなくちゃいけないんですか?」 「こういう時は頭が回ること……。ええい、準備体操は各自やりたい人だけやりなさい! ただし、助けてやらないんだからね!」  学生に論破されたのが悔しかったのか、はたまた素なのか、キャメルの言葉は若干ツンデレが含まれていた。だからこそ学生に人気があるのかもしれない(余談だが、去年行われた『先生総選挙』では二位のアリシエンスを三倍もの得票差で離し、堂々の一位だった)。  崇人は適当に準備体操を済ませ、水へ飛び込む。水温は外気温の変化によって変化させているようで、常に『気持ちいい』心理に沿って作っているらしい。  気持ちいい。  やはり、泳ぐのは気持ちいいものだと崇人は再認識する。  そして、それを見るアーデルハイトの姿があった。ほかのクラスメイトは男女混合で水球をしていたり、二十五メートルを泳いでいたり、流れるプールに居たりと様々だったが、アーデルハイトにいたってはビート板に凭れ掛かり、崇人の姿をみているのだった。目的は、監視。未だ崇人がアーデルハイトの仲間になるとは決まっておらず、そのため、崇人がどう行動を起こすかというために監視をしているのだ。 「……何を見ているのかしら、アーデルハイトさん?」  アーデルハイトは声をかけられ、振り返る。そこに居たのはエスティだった。エスティは黄緑のビキニを着ていた。わかるとおり、ボディラインが際立っている。そして――強調される、胸。 「……あなた、何を強調しているの?」 「いいや? 私は何も、普通の格好をして、普通のポージングをしているだけですよ?」  そう言ってはいるが、エスティは腰に手を当てていて、胸と腰を強調させているし、もう片方の手でVサインを横にして目の前に置いている形になっている。それを見せつけられているアーデルハイトはお世辞にも胸の大きさはエスティより大きくはない。おそらくはそれを狙っているのだろうが、アーデルハイトはそれに気づいているにもかかわらず、突っかかってしまうのだった。 「なによ、その見せつけるようにしてさ。なにこれ? これぞ胸囲の格差社会ってやつ? そうなの?」 「何を言っているか解らないし、別に私はそういうつもりはなくてよ」 「ああ、そうかい……」  アーデルハイトは最早この会話をしているのが馬鹿馬鹿しくなってきたので、エスティから目線を外し再び崇人の方を見た。  崇人の方は、ヴィエンスと会話をしていた。 「よし、タカト。五十メートル泳いで競争するぞ」 「どこからそうなった、ちゃんと話せ」 「てめえがさっさとやらないのが悪いんだ。泳げないのかと思ったじゃないか。何が、『泳げないんじゃない、もっとほかの理由がある』だ」 「俺がそんなことを言った覚えはないんだが」 「いったことあってもなくてもいいんだ! さっさと戦え!」  理不尽すぎる内容である。仕方ない――崇人はため息をついて、ヴィエンスの隣のコースに立った。 「……やる気になったか?」 「売られた喧嘩だ。買うしかないだろ」 「――その通りだ」  それと同時に、ふたりはプールの中に飛び込んだ。  崇人は水泳が得意というわけでもないが、苦手というわけでもない。水泳の大会で優勝経験があるくらいには得意だが、それも中学生の頃の話である。今は、いくら身体能力がその状態に戻っているとはいえそれから二十年以上も経っている。ブランクがそれくらいあると、そのスピードに戻るのにそれ相応の時間がかかるというものだ。しかし不思議と、今回崇人が水に潜った時には、久しぶりであるにもかかわらず『速く泳げる』感じがした。  水に溶ける気分。  それが崇人が一番好きな状態だった。水に溶けて、水と一緒になって、一体となって、水の力を借りる。水に抗うのではない。それを受け流すのだ、と。  水を『受け流す』。  勢いに任せて泳ぐのではない。水の勢いに身体を預ける。すると自然に水が――力を貸してくれる。 (……まだ、行ける……!)  そう考えて、崇人は水をゆっくりと蹴った。  崇人とフィナンスの水泳対決は謂わば互角ともいえるものだった。フィナンスが追い越せば、さらに早い速度で崇人が追い越す。崇人が追い越せば、さらに速い速度で……といったかたちで、だ。  ちらり、と崇人はフィナンスの方を見る。彼も対決を挑むだけのことはあるようだ。さすがのスピードである。 (……やはり、そう簡単にはへばってくれないか……)  崇人はさっさとフィナンスが諦めてくれるものだと考えていた。けれども、フィナンスは崇人が考えている以上に諦めない、よく言えば猪突猛進の性格だった。  そしてそれを遠くで見ていたエスティとアーデルハイト。それぞれ口には言わないものの、崇人を応援していた。他のクラスメイトも気付けばその対決に目がクギ付けになっており、どちらを応援するかとか言っていた。挙げ句の果てにはどちらが勝つかという賭けもしているらしく、先生もそれに参加しているようだった。エスティはそれを見て、「ダメな大人……」と小さく呟いたが、それが本人に届くことはない。  崇人とフィナンスはそれぞれ一進一退のまま、二十五メートルのプールを残り五メートルといったところまで来た。問題はターンだ。ターンを含む水泳で、最も難しいとされている箇所である。  くるり、と。  フィナンスが、ターンを決める。ついで、崇人も、だ。  その綺麗なターンにクラスメイトからはどよめきが上がる。流石というか、当たり前というか、気付けば彼らはこの戦いの虜になっていた。 「……どちらが勝つか、解らないわね……」  恐らく賭け金だと思われる紙幣を握り締めるキャメルが言う。それさえなければいい言葉なのだろうが。  ターンを決めたふたりは最後の十五メートルを泳いでいた。未だにお互いがお互いを追い抜いていた。どちらが勝つかは――未だに解らない。 「……どうなるんだ、これ」 「解らねえ……。お互いに、互いを牽制している……。もしかしたら、このまま同時にゴールすることだって有りうるぞ!?」  そんな群衆(クラスメイト)の声が二人に届くこともなく、ふたりはほぼ揃った状態で残り五メートルにまで差し掛かっていた。 (あと、少し……! このまま行けば、勝ち負けが決まる……)  崇人は、恐らくはフィナンスも、自分が勝つことを考えていた。  けれど、勝者は――ゴールにたどり着くまでは解らない。ふたりはそんな一進一退の攻防を続けていたからだ。  そして――漸く二人に五十メートルのゴールラインが見えてきた。あと少しだ――そうふたりは考えて、水を蹴った。  動きを見せたのは、崇人だった。  崇人が水を蹴ると、ぐん、と体は進み、ヴィエンスを驚かせる。ヴィエンスはそれを見てさらに足で水を蹴る。  しかし、その行動が命取りになってしまった。 (ぐっ……あ、足が……っ!?)  足が攣ってしまったのだ。  全力を出した状態でのレース。それが五十メートルも続いた。ヴィエンスの体力は彼自身が分析しても、限界に近かった。にもかかわらず、彼は更に加速を行った。その代償、と考えれば間違っていない。  ヴィエンスが思ったように加速できないのを、崇人はもはや眼中には収めていない。崇人は、前しか見ていないのだから。  そして、崇人は五十メートルのラインをタッチして、水上へ浮上した。  ◇◇◇  戦いが終わり、彼らは幾つもの表情を見せるグループに分かれていた。あるグループは落胆の表情を、またあるグループは嬉々とした表情を、天国と地獄のように対比したそれはヴィエンスと崇人の水泳対決の賭けによって齎されたことを、彼らは知らない。 「賭け事をしていたことを言わなくてもいいよね?」 「どうせ私たちはやっていないのだから言わなくてもいいのでしょう」  アーデルハイトとエスティはそんなことを話していた。先程の剣呑な雰囲気は何とやら、といった感じだ。アーデルハイトは最早この状況がどうでもいいと思っていたのか、防水のスマートフォンを操作していた。エスティはそれを見て何となくどうでもよくなってしまった。 「……プールの授業もそろそろ終わりかねえ」  そう言ってキャメルは賭けで勝ったであろう紙幣を捲って何枚か確認していた。何なんだこの教師失格の人間は、とエスティはジト目でキャメルを見つめる。 「どうした、エスティ?」  水泳対決から戻ってきた崇人がエスティに訊ねる。 「い、いや。なんでもないよ」  エスティは何とか取り繕うとして答えた。 「そうか?」  崇人が何も気づかなかったようなので、エスティは小さくため息をついた。  水泳の時間も終わり、放課後の時間となった。放課後は自由の時間だ。だから、皆様々な時間の過ごし方を送っている。  しかし崇人は学校には残らず、直ぐに帰ってしまうものなのだ。  家に帰ると、いつものようにマーズがスマートフォンを弄っていた。 「暇人だな、あんた」 「やることがないだけだ。好きに暇人になっているわけではない」 「結果として暇人になっていることに、気づいていただけると嬉しいんだがね」 「ああ、そうかもしれないな。……そうだ、崇人。君、あと三日もすれば大会のためにティパモールへ向かうだろう?」 「そうだな」  崇人はカレンダーを見て、言う。 「……それが、どうしたんだ?」 「私も一応ティパモールに向かう。この前も言ったかもしれないが、殲滅作戦のためだ。大会にも出てくる可能性だって、十分に有り得るし、もしそうなれば私だって出ることになるだろう。どうなるかは解らない。ただ、頑張ってもらわねば困る。私が出られる可能性は十分に低いのだからね」  マーズは呟いて、テーブルの上に置かれているパックのオレンジジュースを吸い込む。 「まあ、そういうわけは於いて、ともかく、だ。私の手を煩わせることはさせないでくれよ、頼むから。めんどくさいんだよ、君だけで出来るだろう。どうせそれ以外にほかにも居るだろうしな」 「そうかもしれないが……俺が考えているのはもうひとつの可能性なんだよ」 「もう一つ?」 「ああ。……アーデルハイトが敵である可能性、だ」  崇人の言葉にマーズは吹き出した。 「なぜ笑う。可能性だろ」 「そうだけれど、それは愚問だね。そんなことは有り得ない」 「……随分と強気だな」  マーズはオレンジジュースを飲み干し、その空になったものをゴミ箱に投げ捨てた。 「まあ、私の長年の勘……ってやつだよ」 「勘ってものを、信じるのか。特に今回は死ぬ可能性だって有りうるっていうのに?」 「その時はそのときさ」  マーズの顔は笑っていた。それがなぜなのか、崇人にはさっぱり分からなかった。  大会二日前となった今日、大会メンバーは大会の会場があるセレス・アディーナへと向かうことになった。  ティパモールからわずか二十五キロの地点にあるセレス・アディーナは一言で言えば水の豊かな町である。ところどころに水路がひかれており、人々はそこを通る舟に乗って移動する。車という手段がないのは、この街が随分と小さい町だからだろう。  にもかかわらず、このお世辞にも大きな町とは言えないセレス・アディーナで『大会』が行われるのか。公式には言われていないが、マーズ経由で崇人はそれを聞いていた。  ティパモールの殲滅戦をまじまじと人民に見せつけることで、リリーファーの正当性を確実なものとする。  聞いていて、反吐が出る内容でもあった。  しかし人間というのは、まったくもってどうしようもない存在というのは、世界が変わったとしても変わらないのであった。  崇人たちを乗せたバスがセレス・アディーナの入口に到着したのは午後二時を過ぎたあたりだった。セレス・アディーナは車が入ることができないため、主な駐車場は街の外にある。そして、そこから鉄道や舟を使って町内へ入っていくのだ。  崇人たちチームメンバーはバスを降り、あたりを見渡した。 「……ここが、紛争をやっているところと数十キロくらいしか離れていないなんて夢にも思わないね」  エスティは呟く。確かにそのとおりだと崇人も思っていた。 「紛争をやっているのは、ティパモール地域という局所に過ぎないからな。単純に、その周りもギスギスしているなんて訳でもない」  アーデルハイトはそう言ってエスティの疑問に答える。 「アーデルハイトさん、なんでも知っているんですね?」  なぜかエスティは含みのもたせた言い方で答えた。 「まあ。歴史の教科書にも載っていただろう。それくらい調べればわかる」  アーデルハイトはそう言って、エスティを睨みつける。エスティは自分の言葉が論破されたのが悔しいのか、少し頬を赤らめていた。  崇人はそれを横目に見ながら、あたりを見渡していた。セレス・アディーナは高い建造物がそびえ立っており、それが円形になっているから、心無しか要塞のようにも思えた。崇人が見ていると、風がセレス・アディーナの区々に向かって吹いてきた。 「……なんか風が出てきたな」  崇人は呟き、空を眺める。 「おまたせしました、『フィフス・ケルグス』の皆さん」  慣れない呼び名で呼ばれたので、崇人ははじめ自分が呼ばれているとは思わなかった。しかし、添乗のアリシエンスがお辞儀をしたので、崇人は漸く自分たちが呼ばれていることに気がついてお辞儀をした。 「遅くなって申し訳ありませんね」  それは小さな舟だった。舟といっても手漕ぎの舟ではなく、モータがついた舟だ。モーターボートとでもいうのだろうか、それにひとりの男が乗っていた。男は麦わら帽子をかぶり、肌を小麦色に焼いていた。陽射しが照りつけるからだろう。  男は笑って、話を続ける。 「今回は、ちょっと変わっていましてね。ペイパスとの協力とかでいろいろめんどくさいところがあったものですから、それに手間取りまして……あっ、今のはオフレコで」  そう言って男は人差し指を口元に添える。  それを聞いて、ああ解りましたと適当に返事をした崇人たち。 「乗ってください。とりあえず、ご案内します」  それに従って、崇人たちは舟に乗り込んだ。  舟に乗り、暫くすると大きな建物が見えてきた。スタジアムのような、巨大なそれは、周りが石畳が石レンガで造られた建物であるのに、そこだけコンクリートで出来ていたというのもあるのだろうが、至極違和感があった。 「あれが……、」 「そうです。あれが会場となる、『セレス・コロシアム』です!」  セレス・コロシアムは『大会』開始と同時に建設され、そのまま第一回大会の会場にも用いられた由緒正しい場所である。しかしながら、今大会では安全を期するために場所の変更も考えられたが、今回も場所を変更せず実施するに至った。  セレス・コロシアムへは直通の水路が存在しており、その利用者は舟から降りることなくコロシアムへ入ることが出来る。  崇人たちはそれを利用して、コロシアム内部へ入った。内部は質素な作りとなっていて、ここでは選手の宿舎も兼ねているようだった。 「ケルグスの皆さんはこちらとなります」  麦わら帽子の男がそう言って崇人たちを案内する。ちょうど崇人が最後の方になってしまったので、急いで行こうと思った。ちょうどその時だった。 「ねえ」  声をかけられたので、振り返ると、ひとりの少女が崇人の後ろにいた。 「……どうしたんだい? どうしてここに?」 「『不条理』と呼ぶ存在を、知ってる?」 「不条理?」  崇人は少女が何を言っているのか、さっぱり解らなかった。 「そう、不条理。英語で言えば、Absurd」 「英語で言わなくてもいいだろ」 「……あなたは分からないの?」 「何がだ」 「ここはあなたの生まれた世界じゃないのに、どうしてあなたの言語が通用し、あなたの生まれた世界にある文化が根付いているのか、ってことに」  その言葉に、崇人は何も言えなかった。  確かに、その通りだった。学食にあるうどんしかり、マーズが喋った英語しかり、言語しかり、凡てがおかしい。辻褄が合わないにも程がある。  『チートで何とかなった』では、最早済まないレベルである。 「あなたも気づいていたはず。この世界の『不条理』に」 「……この世界の、不条理?」 「そう。この世界の――」  そこまで少女が言いかけたところで、 「タカトー! 何しているのー!」  エスティの声が聞こえて、崇人は我に返った。振り返り、エスティに「ちょっと待ってて」と答え、もう一度彼女の話を聞こうと彼女の方に向き直った。  しかし、その時既に彼女の姿は何処にもなかった。  一先ず、崇人たちはこれからのスケジュールについて確認することとした。 「大会は明後日から。しかし、明後日は開会式で終わってしまうから、正式な戦いは二日目からってことになるわね。しっかりと身体を休め、万全の態勢で臨んでくださいね」  アリシエンスの言葉に、崇人たちは頷く。  これから、大会が始まる。  誰が勝つかは――まだ誰にもわからない。 「……まあ、確かにこれは『勝つ』ことを目的としています。ですが、そんなことはどうだっていいです。勝つことに全力を注いでいてはほかのことが目に入らなくなり、大変なことを引き起こすことだって有り得るからです。ですから、きちんとしてください。勝つことばかりを考えるのではなく、精一杯の力を出してください」  私からは以上です。そう言ってアリシエンスは会議室を後にした。 「……いよいよだね」  エスティは崇人に言う。崇人はああ、と頷く。 「緊張してる?」 「やっぱね。初めてだし。こういうの」 「そう、私もなんだ」 「まあ、お互い頑張ろうよ」  そうね、とエスティは答えて、微笑んだ。  大会当日を迎えたセレス・コロシアムはたくさんの観客の歓声に包まれていた。 「すごいな……。今日は開会式だけのはずなのに」  崇人が、外の光景を窓から眺めたその感想を言うと、アーデルハイトは小さく笑った。 「観客はここで、参加チームの初めの品定めを行うんだよ。ファーストインプレッションを元にして、ね」 「それで、誰を応援するか決めるわけか。しかし、もちろんのこと、ここに来てない観客は明日以降来たりするんだろ?」 「そいつは自明じゃないか。確かに、品定めしてから決める観客もいるさ。しかし、それはほんの一部で、明日以降の対戦を見てから、だれを応援するか決める人だっている。……何が言いたいかといえば、大会の楽しみ方は人それぞれというわけだ」  アーデルハイトはそう言って、両手に持っていた紙パックのジュースの片方を崇人に渡す。 「飲んでおけ。開会式中は、たとえ熱中症とかになったにしろ、退場ができない。少し変わったルールなんでな。水分補給はきちんとしておいたほうがいい」  アーデルハイトの善意を受け取り、崇人はジュースを一口飲む。味はオレンジのようで、どうやらマーズがよく飲むメーカーのものだった。  大会の開会式は九時から開始される。今は八時二十分で、彼らは呼ばれるまで廊下で待っているという形になっている。そのため、彼らは今暇を潰そうとしているのだが、あいにく何もすることがないので、観客を眺めるしかないのだった。 「……にしても暇だなあ。まだまだ時間があるんだろ? なんか時間をつぶせる場所はないのかよ?」 「ないね。というかそんなことする暇などないと思うけれどね」 「けれどさ。暇でしょうがないんだよ。なんか話題でもないか?」  急なムチャぶりであるのに、アーデルハイトはどこかから手帳を取り出し、あるページを開いた。 「――それじゃ、あなたが戦っていく中で『危険』となる人物を上げていきましょうか」 「そりゃいいね。最高だ」  崇人はそれに頷いた。 「まずは、レルティスのメンバーについてだな。レルティスで注目すべきはその速さから『女豹』と呼ばれる、コルネリア・バルホントだ。コルネリアは、その二つ名のとおり非常に速いリリーファーコントロールを行う。大会の公式戦は全て統一のリリーファーで行われるから……アリシエンスも言ったとおり、リリーファーではなく、起動従士にかかっているわけだ」 「……お前、いくら周りに仲間が居ないからって先生を呼び捨ては良くないんじゃねえか?」 「あなただけだから特に問題もないでしょ」  確かにそれもそうだが、と崇人は呟く。 「話を戻すわね。恐らく、私の予想では彼女はパイロット・オプションを持っているはずよ。ただし、それがなんなのかは分からないけれどね」  パイロット・オプション。  それは国仕えの起動従士ならば誰しもが持つ特殊能力のことだ。誰がどの能力を持っているのか、今の崇人には知る由もないが、彼自身のパイロット・オプションならば持っていることを確認している。 「まぁ……そんなことはさておき、一先ずこいつには注意したほうがいいかもしれないわね。なんというか……見てて寒気がするわ」  そう言うと、アーデルハイトが見ていた方向からひとりの女性がやってきた。崇人はアーデルハイトに言われて、そちらに振り返った。  そこに居たのは、茶がかったショートヘアの少女だった。桜の花びらをそのまま貼り付けたような唇と、見ていると全て吸い込まれそうな眼は、見ている者を圧倒させる。 「……あら、どうしたのかな? ここで突っ立っていて」  その唇から発せられた声は、そのイメージに見合った声だった。静かで、重々しい。 「いや、あなたこそどうしてここにいらっしゃるのかしら? ……コルネリア・バルホントさん」 「あら」  コルネリアはわざとらしく言った。 「私の名前、知っているのかしら」 「対戦相手のデータを調べておくのは常識でしょう」 「それもそうね」  コルネリアはくつくつと笑う。心底性格の悪い女だ、と崇人は思っていたのだが――。 「……性格が悪いんじゃないわ。これが基底状態なのよ」  まるでコルネリアが崇人の心を見ているかのような返事をしたので、崇人は一瞬焦った。 (――どういうことだ? コルネリア――彼女は、エスパーとでも言うのか?) 「そう、私、エスパーなのよ」  エスパー。  つまりは超能力者ということだ。サイキックとも呼ばれることもあるが、ある種心霊的なイメージがあるのを嫌って、エスパーと呼ばれることも多い。 「……でも、私がエスパーかどうかだなんて、そんなこと考えなくてもいいでしょう?」 「それはそうだ。……で、どうしてここへ?」 「別に。ただの偶然よ」  コルネリアは口元を緩めて、呟く。 「……それより、開会式って何時からだったかしら? ちょっと今時計とプログラムをホテルに忘れてきてしまってね」 「あと一時間もすれば入れる」 「おお、そうか。ありがとう、えーと」 「アーデルハイトだ。覚えておいてくれ」 「なるほど。よろしく、アーデルハイト」  そう言ってコルネリアは右手を差し出す。アーデルハイトもそれに従って、握手を交わした。  崇人はそれを見ながら、またジュースを一口飲んだ。  開会式が始まる十分前にもなれば、通路にはたくさんの選手がやってきていた。崇人たちのチームは一番最初に開会式の場所へ向かう。しかし、どうしてこういう大会の開会式というのは暑い中、外で行うのだろうか。まったくもって理解できない――崇人はそんなことをぶつくさ言いながらも、場所へ向かうために整列をしていた。 「なあ、アーデルハイト。結局『注意しておけ』とか言った人物とやらだが、コルネリアただ一人しか聞くことが出来なかったんだが、それについての弁明は?」 「……ほ、ホテルで言うわよ……」  あれからアーデルハイトとコルネリアは話が弾んでしまい、今の今までずっと話し込んでいたのだった。  敵同士であるのに。  戦う相手であるのに。 「……まあ、それはいいとして、ほんとにあの暑い中でやるのか? 茹だるような天気だぞ。今日は真夏日とか天気予報で言ってただろ。どうせ、委員長とかが三十分ぐらい喋るんじゃないだろうな」 「ご名答! ここの大会委員長挨拶は長いことで有名だよ。同じ言葉を五、六回は言うからね」 「ご名答じゃねえよ!? もうやる気失せてきたわ!!」 『――それでは、選ばれしメンバーの方たちに、入場していただきましょう――』  そうアナウンスが頭上から響き、それを合図に崇人たちは外へ向かって歩き出した。  外は崇人がさっき言ったとおり、茹だるような暑さだった。ここで三十分も運動すれば、確実に熱中症になることだろう。にもかかわらず、ここで運動をさせるとは無理な判断である。崇人は、誰が判断したのか小一時間問い詰めたいほどに不快感を募らせていた。 「……あちい……」  崇人は整列位置に立ち、一言つぶやいた。その言葉は誰にも聞こえることはなかったが、周りからは『別に言わなくても知ってるよ』オーラが出ていた。しかし、今の崇人にそれを気にする余裕もなかった。  壇上にひとりの男が上り、マイクの前に立つ。それにあわせて、崇人たちは頭を下げる。あわせて、男も頭を下げた。  男は見た限りでは三十代前半ほどといえる若さであった。肌は健康的な小麦色で、メガネをかけていた。男は、マイクの前で、マイクの位置を再確認し、言った。 「――私は、この『大会』の実行委員長を務めるマイク・リッカルホーンです。暑いでしょう。私も暑いです。ですので、さっさと終わらせてしまおうと思います。とりあえず、私から簡単に一言。死なないでください」 「それかよっ!?」  と全員から総ツッコミを喰らいそうな言葉を言って、マイクは爽やかな表情のままだった。暑くないのだろうか。 「――今年の人達は、なんだかノリが悪いなあ。まあ、いいや。それじゃ改めて」  どうやら今のは違うものだったらしい。楽しそうにマイクは笑いながら言った。 「――『全力を尽くし、スポーツマンシップに則る行動を行ってください』。私からは、それだけです。では、終わります」  そう言って、マイクは壇上から下りていった。  礼をする余裕など、なかった。  セレス・スタジアムから少し離れたところにあるティパモールという地区がある。ティパモールには地元で根付いたカミサマとして『ティパ神』が居る。モールとはペイパスの北方訛りで『街』を意味するから、つまりはティパモールとはティパ神が居る街ということになる。  ティパモールの中心街、ヴァリーは今日も晴天だ。乾燥した気候にあるためか、晴れる日が多い。  ところで、砂漠の中で一番困るものとは何か。  雨である。  雨は、砂漠ではめったに降ることはない。仮に降ったとしてもわずかだ。しかしながら、そのわずかが降るまでにかなりの時間を有する。それがあったとしても砂漠の地面は固く、水を吸い取りづらくなっている。だから、水が吸い取られることなく、高台から低地へと水が流れていくのだ。歩きやすいキャラバンルート(隊商が多く通るためにそう呼ばれている)は砂漠でも一際低い位置にあるため、そこへ水が流れ、それはまるで鉄砲水のようになる。だから、砂漠では低いところに寝てはいけないというのはそのためだ。  ヴァリーのとある劇場、その奥でひとつのテーブルを中心として、幾人かの青年が会話をしていた。 「――戦いの時は、来た」  白髪混じりの髪、迷彩服に身を包み、顔には大きい傷がある男は語る。 「リーダー、遂に来ましたね」  赤い髪に、眼鏡をかけた女はそれに続く。 「先ずはどうするつもりー?」  飄々とした出で立ちで笑いながら男は語る。 「そうだな……ほかのメンバーは一先ず、既に行動を起こした。しかし、そのどれもが失敗に終わってしまった」  リーダーは言いながら、今までのことを思い返す。  数多のテロを行ってきたが、どれもが軍に鎮圧され、失敗している。  一番の被害を被ったのは、つい先日に起きたセントラルタワーでのテロ事件だろう。最終的にはテロリスト全員が銃殺刑に処され、テロ事件の次の日にはそれが執行された。今までの対処から見ればあまりにも早すぎることだった。 「……ヴァリエイブルにいる内通者とは連絡は取れていない。つまり、裏切った。まあ、もとはといえば『あちら側』の人間だ。我々もそうやすやすとあちらを信じたわけでもないし、次にあったときは処刑すればいいだけのことだ。彼らはわれらがティパ神に逆らった。ただそれだけのことなのだから」  リーダーの言葉に、残りの二人も頷く。 「しかし……やはり問題となるのは、リリーファーをどのように制圧するか、ですが。リーダー、そのあたりは決めているのですよね?」  女は告げる。リーダーはその言葉を待っていたかのようにニヒルな笑いを浮かべた。 「当たり前だ。……そのために、彼を呼んだのだから」  そう言うと、リーダーは左手を差し出す。  闇の向こうから、男が姿を現した。  そして、男はニヤリと笑う。 「よろしく頼むぞ、ケイス・アキュラ。君が、リリーファーを制圧するキーパーソンと言っても過言ではないのだからな」 「ええ。解っています」  リーダーの言葉に、ケイスは丁重に答える。 「では……我々の勝利を願って、乾杯と行こうじゃないか」  テーブルにはコップが四つそれぞれの前に並べられていた。  それをそれぞれが持ったのを確認して、リーダーは言った。 「ティパモールの独立達成を願って」  そして、四人はお互いのコップをぶつけ合った。  そのころ、マーズ。 「……まったく、お上も面倒くさいことばかりするんだから。これが終わったらほんとうに有給を手に入れるわよ」 「そんなお堅いこと言ってると、また皺が増えるぞー?」 「増えてないし!? まだ一個もない、うら若き乙女に向かってその言葉は!!」 「自分でいうのもどうかと思うがね……」  マーズの隣にいるのは、マーズよりも背の高い女性だった。薄い金髪に白い肌、女性にしては長身で、しかし男性に比べれば華奢な身体はまさに女性から見れば理想のプロポーションで、世の女性が羨むほどだ。 「……で? 私にそういう話をしに来ただけですか。起動従士のフレイヤ・アンダーバードさん?」  マーズの言葉ににしし、と笑うフレイヤ・アンダーバード。まるで悪魔のような微笑に、マーズはただため息をつくしかなかった。  フレイヤ・アンダーバードはマーズの一年先輩だ。マーズのように『大会』で見つけられた――それを『原石』というのだが――のではなく、国に志願したことでなった『輝石』という存在である。そのためか、マーズの方が起動従士としての結びつきが強い(『原石』で入った起動従士が狗と呼ばれるのも、それが所以とされている)。 「……そうそう、一つ気になってだね。ペイパスから来たという起動従士、名前はなんて言ったかな」 「アーデルハイトさんのことかな?」 「そうそう、アーデルハイト。彼女のことだけれど、ほんとうに、信用していいものなのだろうかね?」 「……何を言っているの?」  マーズははじめ、フレイヤが言っている言葉が理解できなかった。 「だから、アーデルハイトさんはペイパスの起動従士なんでしょ? 今までペイパスと啀み合っていたってのに、どうして急にペイパスと協力しようと思ったのかね、うちのお偉いさんは?」 「それは、ティパモールの紛争を平定するためでしょう。ティパモールの紛争が長引ければ、ヴァリエイブルは勿論のこと、ペイパスまでも被害を被るから」  マーズの答えに、フレイヤはせせら笑う。 「いやあ、まさかそこまで普通すぎる答えをするだなんて」 「……何がおかしいのか、さっぱり解らないのだけれど」 「『原石』のくせして考えていないのかと言いたいのよ、マーズ。あのアーデルハイトに私も会った。挨拶しに来たからね。それで……確信したよ。あいつは、心が読めやしない」 「心?」  マーズは、フレイヤの言葉で出てきたその単語をリフレインする。 「そう、心がないというわけではないと思うけれど、心が読めない。つまり、何を考えているのか、さっぱり解らないんだよ。だからこそ、不安で仕方ない。あれを、今は大会警備とか抜かして学生とともに居させているのだろう? もし、それが裏切って学生たちに危害を加え、大会を中止に追い込ませるとかしたらどうするんだ。ヴァリエイブルは世界的に非難され、国が解体されかねない。……もしかしたら、それを狙っているんじゃないか。私はそうも考えられるんだよ」 「……そうかねえ。私はそうも思わないけれど」 「あんたの絶対的自信はどこから来るのか知らないが、少しは余裕をもって行動しろよ? もし何かあったらたまったものじゃないんだから」 「心しておくよ」  そう言ってマーズとフレイヤの会話は一旦終了した。  通路を並んで歩くふたりは同僚には見えず、よく言っても姉妹にしか見えなかった。  マーズはふと思い出して、フレイヤに訊ねる。 「――そういえば、フレイヤもこちらの担当なのか?」 「ああ。ティパモールの平定に、お上は相当力を入れるらしいね。だけど、ここで言う話じゃないかもしれないが、ティパモールにここまで力を入れる理由があるのか?」 「ペイパスと共同で平定し、開拓することで、互いの平和の象徴にでもするんだろう。お笑い草だ」  マーズは冷たく告げる。 「しかし、本当にそうなのかね。ペイパスはアーデルハイトを遣わせてから、その後は何もない。いったい何を考えているというんだ、ペイパスは?」 「ペイパスにもペイパスなりの考えがあるのだろう。恐らく」 「だとすればいいんだがな。ペイパスは結構淡白だ。そういうので、何かを狙っていてもまったく考え取れない。ポーカーフェイスがうまいとはまさにこのことだ」  フレイヤの言葉は、確かにそうだった。ペイパスは黙りを決め込んでいる。おそらくは、この事件の殆どをヴァリエイブルに解決させるのではないかとも考えられる。その後、疲弊したヴァリエイブルにペイパスが戦争を持ちかけることすらも考えられる(アーデルハイトが国内にいる限り、可能性は低いが)。 「……まあ、一先ずはこれから始まる作戦会議でなんとやらというわけだ。どうなるかはさっぱり解らないがな」 「実際にどう転がるか、ね」  そして、彼女たちは目の前にある扉を開けた。  ◇◇◇  その頃、セレス・コロシアム。  崇人たちはその中にあるホテルの一室で暇を持て余していた。 「……にしても、明日かあ。明日とはいえ、やることもない。どうすりゃいいかねえ……」  崇人はベッドに寝転がって、呟く。 「適当に時間を潰しているのは君くらいのもんだ。ほかの人たちは既にいろいろ調査に出かけているぞ。そう、例えば……リリーファーのチェックに回ったり、とかな」  アーデルハイトはベッドに腰掛けて、言った。 「リリーファーのチェック、か……。よし」  そう呟いて、崇人はベッドから立ち上がる。 「どうした?」 「あんたの言ったとおり、リリーファーのチェックに向かうんだよ。ちょっと遅いかもしれないがな」 「そう。ならば私もついていこうかしらね」 「ついていく?」  アーデルハイトが言った言葉に、崇人は怪訝な表情を示す。  対して、アーデルハイトは笑顔を崩さない。 「ダメかしら?」  ――ダメ、とは言えなかった崇人であった。  リリーファーが保管されている倉庫は、コロシアムの地下にある。場所を捜索され、リリーファーに細工をされないよう、毎回場所は変わるし、幾つかダミーを設置しておくし、入るには選手の指紋が必要である。だから、そう簡単には入れない。  そんな場所へ、二人はやってきた。 「……地下と聞いたから暑苦しいと思っていたが、案外涼しいな」 「そりゃここにあるのは精密機械だからね。そう簡単に壊れないとはいえ、万全を期しているわけだ」 「はあ、なるほどね」  崇人が興味のなさそうな表情を示すと、アーデルハイトは苦笑する。 「なんだ。君がこれから乗るリリーファーをチェックしに来たのに、なんだそのやる気のない表情は。それでは、一回戦で勝ち残ることすら危ういぞ」 「余計なお世話だ」  崇人はそう一瞥して、あたりを見渡す。  まわりにはたくさんのリリーファーが居た。幾人もの整備士が居たのは、その全員がリリーファーの整備にあたっているためだろう。大会にはどんなミスがあってもいけないということからだろう。 「ミスが命取り、とはいえここまで整備士はいらないんじゃないか……?」 「整備士といっても整備クラスの連中も居るけれどね。合わせて……ってわけだ。ここでいい整備をすれば、同じく国仕えになる」 「彼らにとってもチャンス、ってわけか……。解らんな、なんだか」  崇人はそういいながら、倉庫を巡るために歩き始めた。リリーファーの周りには整備士のほかに、整備士に話を聞いている人間も居た。おそらくは、彼らが選手なのだろう。彼らはリリーファーのスペックを学び、研究するのだ。  崇人が歩いていると、見知っている顔を見かけたので、それに向けて声をかけた。 「エスティ!」  声をかけると、エスティは振り返った。  エスティの隣にはヴィエンスとヴィーエックがいた。ヴィーエックは崇人に気づくとこちらを見て柔かに微笑んだが、対してヴィエンスは顔を顰めた。 「ここまで相反する反応をされると逆に面白いよ」  崇人はシニカルに微笑むと、ヴィーエックがゆっくりと近づいてきた。 「君とちゃんと話すのは、初めてかな。タカト・オーノくん」  ヴィーエックはそう言ってニコリと笑う。なんというか、崇人は今この男の底が見えないことを不安に思っていた。別にチームメイトであるのだから、そんなことは気にする心配もないように思えるが、しかしそれはチームメイトだからこそ気にすることなのである。  チームメイトの中でミステリアスな存在がいるとすれば、それは少々ネックである。  団体戦というものは、『チームの団結力』が問われる。だからこそ、できることならオープンにしていなくてはならない。こういう論に至っては、各々の考えがあるが、少なくとも崇人はそのような考えを抱いているようだった。 「……初めてといえば初めてになるな。それで? 何か用か?」 「まあ、そう固くなるなよ。僕は穏便に話がしたいんだからさ」 「穏便、ねえ」  正直、チームメイトの中で一番掴みづらい人間であったヴィーエックを、まだ信じてはいなかった。  いつも笑っているからだ。彼の母親から受け継いだアースガルズの血は美しい金髪で残っている。アースガルズ人は差別の対象にあり、それはハーフである彼も例外ではなかった。しかし、今彼は笑っている。それが『喜び』のものか『嘲笑』であるのかは、崇人には解らないのだが。 「……疑うのも解る。けれど、チームメイトだ。お互い頑張ろうじゃないか」 「言いたいことは解るんだがな。はっきり言わせてもらうと、どうも胡散臭い。信じようにも信じられないね」  崇人がそう言うと、ヴィーエックは小さくため息をついた。 「……済まない。エスティくん、アーデルハイトくん。少しここで待っていてもらえないかな。僕はタカトくんと少し作戦会議をしたいものだから」  ヴィーエックがそう言うと、二人は頷いた。それを見て、ヴィーエックは崇人を半ば強引に連れ出し、どこかへ向かった。  ヴィーエックと崇人が着いたのは、倉庫の奥にある素材置場だった。ここには使われなくなった素材がたくさん置かれているようで、人もあまり立ち入らない空間のようだった。 「……ここまで呼ぶとなると、どうにも重要なことらしいな」  崇人が呟くと、ヴィーエックはシニカルに微笑む。 「申し訳ないね。流石にあそこでこの話は出来ないと思って」 「それほど重大なことらしいな」 「ああ。特に『君にとっては』、ね」  ヴィーエックが言ったその言葉に、崇人は少し引っかかった。  しかし、崇人は直ぐにその意味を知ることとなる。 「――なあ、タカトくん。実は僕も、君がいた世界から来た人間なんだよ」  その言葉を聞いて、崇人は愕然とした。次に、感激した。この世界に前の世界から来たという人間がいる。仲間がいる。それだけで、感極まってしまっていた。  いくら崇人と仲が良いとはいえ、エスティたちはこの世界の住人であって、崇人が元々住んでいた世界の住人ではない。だからこそ、崇人は不安でもあり、気にもなっていたのだ。  崇人はこの世界で永遠に過ごさねばならないのか――ということに。  もともとの世界を嫌いになったわけでもないし、そうかといえば今の生活が嫌という訳でもない。ただし、仮に元の世界へ戻れなくなったとなれば話は別である。やはり、人間というのは元々生まれ育った世界に執着するものである。だからこそ、崇人はこの生活が嫌ではないものの、元の世界へ戻る術を考えていた。しかし、そう簡単には見つからなかった。  だが、それも今までのことだった。  目の前には、元の世界からやってきた『友』がいる。仲間がいる。ならば、元の世界へ戻る方法を探すのも若干は楽になるだろう。  今はそれを飲み込んで、崇人は答える。 「……それは、ほんとうなのか」 「ああ。嘘はついてないよ。この世界で生き抜くには、一人で大変だったでしょう。僕もそうだったから」  ヴィーエックは優しく微笑む。崇人から見ればそれはまるで天使の微笑みにも見えた。 「……まだ、時間はかかる。だが、いつか必ず元の世界へ戻る方法が見つかるはずだ。気を落とさずに……行くしかない」  そう言って、ヴィーエックは右手を差し出す。それに崇人は答えるように右手を差し出し、握手を交わした。  会話を終えて、二人はエスティたちのいる場所へと戻ってきた。 「あら、会話はもう終わったの?」  訊ねるエスティに、崇人は頷く。 「いい作戦を立てることができたよ。これで明日以降、戦っていい結果が出ることを、あとは祈るだけだ」  そう言ったのはヴィーエックだった。ヴィーエックの顔は笑っていた。それを見て、崇人も同じように笑った。 「……ふうん。まあ、いいけれど。とりあえず、この機体、いいと思わない?」  エスティが指差す方向には、一機のリリーファーがあった。全身を黄色で着色されたリリーファーで、ほかにあったリリーファーとは大きく異なっていた。  その大きな特徴が、頭についている鶏冠のような鋭く尖った角。  それがまるで、ほかのリリーファーとは異質と思わせていた。リリーファーであるのに、リリーファーでない。 「これは……?」 「リリーファーだと思うけれど、ほかのよりも違うイメージがあると思わない?」  エスティがつぶやく。 「確かにそう思えるね」  崇人が言うと、エスティは微笑み、 「そうでしょう? このリリーファー、違うように見えるでしょ。これでビビーンと来ちゃってさ。決めた! 絶対にこれに乗る! 整備員さん! このリリーファーの名前を教えて!」  そう言って嬉々としてエスティはリリーファーの近くにいる整備士のもとへ向かった。  ちなみに一体のリリーファーにつく整備士は五名居る。その中でも赤いキャップを被っているのがその中でもリーダーとなる人間だ。エスティはその人間に聴きに行った。このリリーファーの整備リーダーは、栗色のカールした、キャップにまとめきれないほど長い髪の女性だった。 「……はいはーい、うん。これはねー、『ベスパ』って言います。いい名前でしょ? その兵器の中で一番のやつがこの『鶏冠』ですよ。鶏冠は鋭く尖っており、頭突きするとすっごい痛いんですよ。いやー、そこに力込めましたからね! そこで死んだ整備士が多数というくらい……」 「すごい縁起悪い話聞いちゃったよ!」  エスティと整備士の会話に思わず崇人はつっこみを入れる。 「おやおやー、君はいったいどうしたんだい。突っ込んじゃってさ。夢は芸人かな?」 「そういうことじゃなくて! すげえ縁起の悪い話聞いちゃったよ! 人が死ぬほどの鶏冠……いや、リリーファーの大きさを鑑みれば当たり前なんだが!」 「うるさいなあ……。とりあえずその鶏冠で攻撃するのが一番だ、って話だよ。あとね、この鶏冠は頑丈に作ってあるから乱暴に扱っても問題ないよ」 「いいわね、私このリリーファーに乗るわ。名前……は」 「ベスパ」 「そうそう、ベスパ。いい名前よね。可愛いし」  可愛いのか? と崇人は疑問に思ったが、そんなことは一切考えないことにした。というか崇人の元居た世界にもベスパというものはあるし、それはバイクか何かだったのだが、それをエスティたちに言う必要などもない。  エスティはこれ以外のものには頑として変えないらしい。目移りすることもないので、それはそうであるのだが。 「それじゃ、私、このベスパで行くから。よろしくね、ベスパ!」  そう言ってエスティはベスパに向かってウインクする。ああいうものなのか、と崇人は考えるが、あいにくこの世界でリリーファーを生き物のように扱う人は数少ない。だが、それが正しいのかもしれないと、時に見られることもあるのだ。 「それじゃ俺はどうするかなあ」  そう言うとヴィエンスは離れ、どこか別の場所へ向かった。大方彼もリリーファーを見に行ったのだろう。アーデルハイトもすでにどこかへ消えていた。  となると残ったのはヴィーエックと崇人である。 「……どうする?」 「どうしようか」  二人は顔を見合わせて言う。しかし、それだけでは結論が出てこないのは自明であった。 「……一先ず、回ることにしようか」 「そうだな」  そう言って、二人は適当に歩き出した。  ◇◇◇  結論として、彼らに見合うリリーファーは見当たらなかった。 「……どうするか」 「どうしようかねえ」  結局、最初のベスパの場所に戻ってくるほかなかった。ベスパの前では先ほどの整備リーダーがニコニコと二人の帰りを待っていた。 「どうだい? リリーファーを見て? 大会のリリーファーはどれもいいものばかりだろう?」 「そうですね……けれどいいのはあまり」  崇人がそう言うと、待ってましたと言わんばかりに整備リーダーは崇人の方に顔を近づける。 「そういうと思っていてね! ベスパ、まだ使えるよ! チーム貸切ってのもありなんじゃないかな!? なんて」 「チーム貸切……なるほど、その手が」  整備リーダーの言葉にヴィーエックは頷く。理解していない崇人はヴィーエックに訊ねた。 「なあ、『チーム貸切』ってなんだ」 「チーム貸切というのは、名前のとおりだよ。チームで一機、リリーファーを貸し切るんだ。それしか使うことができない代わりに、細工をされる心配も少ない。最近はあとの選手を妨害するためにわざとりリーファーコントローラーを盗んだりする輩も居るからね。その対策には効果的、ってもんだ」  整備リーダーの言葉に、彼らは頷いた。確かにそのとおりである。この大会は勝てば『国お抱えの起動従士』になれるチャンスを得られる。そのためならば何だってするだろう。それがたとえ規約を違反していても、だ。  だからこそ、その対策をしなくてはならない。する必要があり、する義務があるのだ。 「……けれど、エスティはいいよ。ヴィーエックもいいかもしれない。だが、アーデルハイトとヴィエンスの二人には何も言ってないじゃないか。このまま俺らで決めていいものなのかねえ」 「いいんじゃないの?」 「って、アーデルハイト!? いつの間に……!」  気がつけば、ヴィーエックの後ろにはアーデルハイトが立っていた。ヴィーエックの肩に手をかけて、したり顔で笑っていた。 「いやあ、楽しそうな話をしているもんだからさ。ついつい参加しちゃうわけですよ。……んで? チーム貸切だって? なんか面白そうなことしようとしているねえ」 「面白そうなこと、というか、チーム貸切は一番リスクが低いからね。便利っちゃ便利だ。それが一番だと思うし」 「まあ、そいつはそうだ。それが国のお抱えと違うところだね」  アーデルハイトは手に持っているミルクティーの紙パックジュースを一口飲む。いつの間に買ってきたのだろうか。 「だけれど、まだ全員の意見を聴いてないから、ダメだと思うんだよね」 「いいや、タカト。そんなことは問題ないと思うぞ? 特に問題もなく、全員の了承を得られるはずだ」 「どうして?」  崇人の問いにアーデルハイトは小さく微笑む。 「……なんとなくさ」  アーデルハイトはそう言って、崇人の肩をぽんと叩いた。  アーデルハイトの言うとおり、エスティは勿論ヴィエンスもこれに了承してくれた。 「……確かに、安全性を考えるとチーム貸切の方が一番だろうしな」  というのが、ヴィエンスの結論だったらしい。 「まあ、結論も出たことだし……これでいいかな?」  アーデルハイトがそう言ったことで全員は小さく頷く。それを見て整備リーダーはニッコリと笑みを浮かべた。 「よしっ! それじゃ手続きするから、もうちょっと待っててね。……えーと、書類はどこいったかなあ……」 「しっかりしてくださいよ〜」  エスティはそう言いながら、整備リーダーの背中を軽く叩いた。  整備リーダーはそれに気づかないようで、棚の一つ一つを捜索していた。 「……リーダー……、これ」  そこに、薄幸そうな少女が通りかかった。格好が整備士と同じなので、彼女もまた整備士なのだろう。  レモンイエローのポニーテールがキャップからはみ出ていた、少女だった。目はクリッとしていて丸く、色白の肌がその髪と相まっていた。 「……あら、これ」  手に持っていたものをリーダーは見て、言う。 「これ、チーム貸切の許可書じゃない。どうしてあなたが?」 「さっきリーダーが、足りなくなったから大会本部に貰いに行ってと言われましたから」 「ああ、そうだったわね。ありがとう。ご苦労さま」  そう言って少女から書類を受け取る。  少女は小さく頭を下げて、その場から立ち去った。 「……まあ、一先ずいただけたので、これを使ってください。えーと、チームメンバーの名前だけ書けばまったくもって問題はないので」 「ああ。了解です」  そう言って、崇人が代表して受け取る。ペンも受け取り、全員のメンバーの名前を書く。そして、それを整備リーダーに渡した。 「はいはい! これでオッケーだから。私の方で出しておくからね。それじゃ、大会の試合をお楽しみに!」  そう言ってこちらに手を振り、整備リーダーは走ってどこかへ向かっていった。 「……まあ、結局これで決まってしまったということで……。もしかして、ほかの誰かで別のリリーファーにした人がいるかな? いないかな?」  アーデルハイトが訊ねると、ほかのメンバーは特に反応もなかったので、つまりは誰もリリーファーをほかに決めていなかったことになる。ある意味好都合だったわけだ。  それを見て、アーデルハイトはほっと一息つく。 「いやあ、もしこの中に『何か俺は別のリリーファーを見つけたぜ!』って人がいたらどうしようかなあ、とかおもっていたけれど、みんなこのリリーファーが好きになったということで! よかったね、エスティ!」 「え!? え、ええ……」  エスティは自分の名前が突然呼ばれたので驚いていた。無理もない。 「一先ず決まったことだし、一度集まって今後のことを話し合ったほうがいいだろう」  アーデルハイトの言葉に従い、エスティたちは一度部屋へ戻ることとした。  部屋に戻り、崇人は鏡を見る。自分の顔は疲れてはいないようだった。崇人はこの数ヶ月ですっかりこの体に慣れてしまった。それは人間の普通のようにもみえて、恐ろしくも思えた。  もうこのままなのだろうか――崇人は思い、自らの頬を触る。それはつい数ヶ月前ならばありえない感触だった。  だが、生きている。ここがどんな世界なのか漸く理解できた頃だが、それでも生きている。それだけでも、まだ救われているのかもしれないと崇人は思った。 「タカトー? 急がないと会議始まっちゃうよー?」  トントンとノックしたのはエスティだった。 「ああ、わかった。急いでいくよ」  そう言って、崇人は部屋を後にした。  部屋を出て、会議を行うのは各フロアにひとつずつ存在するミーティングルームだった。ミーティングルームには円形のテーブルがあり、そこに並ぶように椅子が置かれていた。すでに崇人とエスティ以外の全員が着席しており、崇人とエスティは隣同士に座った。 「……それじゃ、これから会議を始める。アリシエンス先生はすでに大会側……恐らく『オプティマス』の活動だと思うのだけれど、それに向かった。というわけで、私が指揮をとることにする」 「ちょっと待てよ。どうしてアーデルハイト……あんたが指揮権を握っているんだよ。ここは俺がやるべきだろ」 「ヴィエンスと言ったかしら。どうして、あなたがリーダーになれるのかしら? 私は先生に直々と言われたのよ?」  そうアーデルハイトが言うと、ヴィエンスは舌打ちをする。諦めたらしい。 「……話を戻す。一先ず、リリーファーは先程のことのとおり、『ベスパ』になった。あれはスタンダードであり、あの鶏冠が一番の武器だ。それで各人にはそれを活かす戦い方を推奨する。それが一番戦いやすいだろうからな」  アーデルハイトの言葉に全員が頷く。確かに、彼女の言うことは最もだった。鶏冠は強力な武器になると、あの整備リーダーも言っていた。彼女の言うことを聞くのならば、それを使うのが道理だろう。 「だが、一つだけ問題が発生する」  そう言って、アーデルハイトは話を展開していく。 「鶏冠は確かにいい攻撃のポイントとなる。だが、それは相手にも解りやすい。いや、自明な点だ。それをメインで攻撃していけば、確実に攻撃パターンは読まれるだろう」 「そりゃそうだな。俺が敵ならそうやってる」  そう返したのは、ヴィエンスだった。 「……そうだ。ヴィエンスも言ったとおり、この鶏冠はこのチームにとって利点であり欠点であり弱点である。だから、それをどう乗り越えていくか、考えなくてはならない。……そのためにも、ここで話し合おうではないか」 「それでみんなで仲良く同じ対処法をとろうってか? ふざけてる」  ヴィエンスはそう言って机を叩いた。直ぐにアーデルハイトがそれに応える。 「違う。そう言う意味ではない。ただ、三人揃えば文殊の知恵とも言うだろう」 「なら俺はここには要らないな。なぜならここには俺を含めて五人居る。俺がいなくても四人だ。文殊の知恵は出てくるだろ」  そう言ってヴィエンスは立ち上がり、ミーティングルームを後にした。アーデルハイトは後を追いかけようとしたが、それよりも早かった。  アーデルハイトはしょうがないと一つため息をつき、言った。 「……集まってもらって申し訳ないんだが、明日の対戦相手を君たちに伝えてから、解散としよう。各自、それなりの方法を考えておいてくれ」  そう言ってから、アーデルハイトはそれぞれの対戦相手を言っていく。なぜ知っているのか――と崇人は訊ねたが、「アリシエンス先生から聞いた」の一点張りだった。大方、どこからか圧力があるのだろう。  そして、彼女が言った対戦相手は次のとおりだった。  崇人とは、北ヴァリエイブルのアレクサンダー・ヴェロカーロック。  ヴィーエックとは、西ペイパスのアロイス・ケーヘナ。  アーデルハイトとは南ヴァリエイブルのエリーゼ・ポンラジュア。  エスティとは東ペイパスのバルバラ・ボンターニュ。  そして、ヴィエンスとは北ヴァリエイブルのフランシスカ・リキュファシュアとなった。  どれも崇人たちが知らない名前であった。  それが終わり、アーデルハイトは席を立ち上がり、言った。 「それじゃあ! 明日から大会の予選が始まる! 張り切って行こうではないか!」  その声に、全員は拍手をあげた。  崇人たちがそういうミーティングをしていた頃。 「……マーズ。ちょっとまずい情報が入ってきたわ」  ティパモール近郊にあるとある民家は、カモフラージュしたものとなっており実際には軍の基地となっている。その基地の奥、司令室で指揮を取るマーズにフレイヤが告げる。 「それは私の名前と『まずい』をかけた高度なギャグのつもりかしら」 「そういうわけじゃないわ! ……ったく、ちゃんと聞いてよね」  そう言って、フレイヤは目の前に資料を突きつける。 「……これは?」 「これは『赤い翼』のメンバープロフィール。まあ、詳細な事は書いていないけれど。出動するかもしれないから、顔くらいは覚えておいて」 「……まさか」  漸くマーズも何かに気づいたらしく、顔を青くする。 「そのとおりよ」  対して、フレイヤは真剣な面持ちで言った。 「――『赤い翼』が行動を開始した。恐らく……目的地はセレス・コロシアム」  そして。 「それではこれから『大会』第一回戦を開始したいと思います! 第一試合は、南ヴァリエイブルのエーゴン・ヴァッド対東ペイパスのアルミン・ノーティマスです!」  ついに第一回戦の日がやってきた。歓声がスタジアム一面に湧き上がる。  スタジアムはすでに満員である。大会はいつもこのような感じであるが、今日はいつもよりも熱狂に包まれている。 「すごいなあ……。昨日の開会式以上の熱気があるじゃないか」  崇人が呟くと、アーデルハイトがシニカルな笑みを零す。 「だから言ったじゃないか。開会式よっか本選の方が熱気も強けりゃ人も多い、ってね」 「……なるほどね。こういうことか」  そう言って、崇人はモニターを再び眺めた。  アーデルハイトはそんな面々を見ながら、あることを思い出していた。  昨日、ミーティング終了後。アーデルハイトは自分の部屋に戻り、休憩していたときのことだ。 「……ふう」  ベッドに座り、アーデルハイトは一息ついていた。  彼女が持つ衛星電話の着信音が鳴り響いたのは、ちょうどその時だった。 「……もしもし」  耳に当て、応答する。相手は、マーズだった。 『もしもし、マーズ・リッペンバーです。調子はどう?』 「まずまずですかね。なんとか協調性が見られたといいますか……ところで、そんなクダラナイ内容で電話をしてきたわけではありませんよね」 『……ええ、そうよ。あなたの言うとおり、本当の目的は――「赤い翼」について』 「『赤い翼』が行動を開始した……そう言いたいのですね?」 『ええ』 「『赤い翼』は……以前セントラルタワーを占領した連中が属していた組織でしたね。……それで、彼らはどこへ向かったというのですか」 『恐らく。いや、確実に……セレス・コロシアムへ向かうものだと思われる。セレス・コロシアムは大会会場だ。そこを占領して、自分たちの力を示すなどするのだろう。……バカバカしい。力からは力しか生まれない。争いから争いが生まれるのと同じようにだ。そういうことを、やつらに叩き込まねばならない。この長い戦いを打ち切るためにも』 「……そうね。たしかにそのとおりだ」  アーデルハイトはそう言って微笑む。今彼女が微笑んでいるのは、到底見えることはない。  彼女が考えていることなど、誰にも解ることはない。そう、ほかの誰にも。 『――どうしました? 調子でも悪いですか?』 「え、あ、ああ……いや、なんでもないです」  アーデルハイトはあくまでも平静を装い、話を続ける。 「それで、どうするつもりです? まさか私とタカトに戦わせるとは……ここのリリーファーは軍事用リリーファーとは大きく劣化したものです。こんなものでテロ活動を抑止できるとは到底思えないんですが」 『そんなことは軍だって解っている。私たちが今そちらに向かっている。……明日にはそちらに着くだろう。何をしでかすか解らないが、そう簡単にあいつらも手を出さないと思う。だが、だからといって油断は禁物だ。もし、そうなった場合は君たちに一任する。……私の言っている意味が、解るな?』  マーズが言わなくとも、アーデルハイトはそれがどう言う意味なのか理解できた。つまりは何かあったら煮るも焼くも好きにしていいということだ。それを聞いて、アーデルハイトは口元を緩ませた。 「……解りました。とりあえず、そのとおりにしましょう。それで、大会側には勿論……」 『ああ。今は秘密にしておいたほうがいい。最悪バレたとしても憲法で我々は守られる。君も勿論だ。それは安心してもらっていい』 「なるほど。解りました」  そう言って、アーデルハイトは着信を切った。  そして、ベッドに横たわる。考えていたのは、明日の戦いのことだ。それも自分の試合ではない、崇人の試合についてだった。  相手が――悪すぎる。 「まさか……直々にやって来るとはね……」  そう言って、アーデルハイトは眠りについた。  その頃。 「……いよいよ、明日が『大会』だったね」 「ああ。その通りだ」  白の部屋で少年と部屋が会話をしている。少年はシニカルに微笑み、林檎をひと齧りした。 「ほんとうに『大会』に向かうのか? ……あいつもいるというのに」 「なんというか、心配になるからさ。ハンプティ・ダンプティ。君だってそうだろう?」 「君がその名前で呼ぶのは、ほんとうに久しぶりだな。『|帽子屋(マッドハンター)』」 「やめてくれよ」  帽子屋は微笑む。 「――僕は帽子も被っちゃいないんだぜ。なのに、その名前で呼ばれるのは少々辛いものがあるんだ」 「仕方がないだろう。『シリーズ』の中で空いているのが帽子屋、つまり君のポジションしかなかった。……もし帽子屋でなく『ハンプティ・ダンプティ』が空いていればそうもなっただろうがね」 「ふうん……。まあ、しょうがないよね。僕には運がなかった。それだけのことだ」  そう言って帽子屋は頷く。ハンプティ・ダンプティは小さくため息をつく。 「……そうかもしれないな。だが、一先ずは『インフィニティ計画』遂行が我々の最重要事項ということは忘れないでくれ」 「……解っている」  そして、会話は終了した。  どうやらアーデルハイトは眠りについていたらしい。彼女が目を開けたその時には、ちょうど崇人の姿はなかったからだ。 「……寝ていたようね」  アーデルハイトが自嘲気味に微笑んで言うと、 「ええ、それもまあぐっすりと。昨日眠れなかったんじゃない?」  エスティがそれに答えた。 「……ところで、タカトは?」 「次の試合だから、準備に出かけたわ。あなたも急いで準備をした方がいいのじゃないかしら? ……どうやらあと二つ先の試合らしいし」 「そうね」  そう言って、アーデルハイトは立ち上がり、廊下へと向かう。  廊下を歩いて、控え室へ向かうと、一人の少年とすれ違う。  ――すれ違いざまに、少年が呟いた。 「……おかえり、『アリス』」  その声を聞いて、アーデルハイトは振り返る。すれ違った少年は、小さく笑っていた。 「なによ……今の悪寒は……?」  だが、アーデルハイトは悪寒の正体を突き止めることも出来ず、再び歩くこととした。  ◇◇◇  そして、崇人の試合がやってきた。  対戦相手はすでにリリーファーに搭乗済み。準備万端のようだ。  崇人もリリーファーに乗り込み、すでにコントローラーを手に持っていた。  崇人はどう戦えばいいかなどと未だに考えていた。考えるだけで身震いする。おそらくは――武者震いだ。 「……怖い」  思わず、崇人はその言葉を口にする。  だが、それは言い訳に過ぎない。ここまで行くことを決めたのは、ほかならない彼自身なのだから。  彼は気合を入れるために、頬を叩く。 「……行こう」  そして、彼は――決戦のフィールドへと向かった。  崇人がリリーファーのままコロシアム、中心にあるステージへ向かうと群衆はわっと声を上げた。その声だけで、崇人は耳鳴りが聞こえてしまうほどだった。 「さぁ――、対戦相手は北ヴァリエイブル、アレキサンダー・ヴェロカーロック!!」  さらに、崇人が出てきた場所から対を為す出口より一台のリリーファーが出てくる。そのリリーファーはベスパより小型だった。そして、凡てが黒い――凡てを飲み込んでしまうほどの黒だった。それを見て崇人は思わず圧倒される。 「両者、歪み合っているぞ!? 確か両者は初対面! 何か結ばれる絆でもあったかーっ!?」  あまりにオーバーリアクション過ぎる実況の声はさておいて、改めて崇人は自らが考えた作戦をリフレインしていく。それは、至極簡単なものだった。  このリリーファーには所謂『飛び道具』というものがたった一つしかない。それこそが、小さなレーザーガンだ。勿論、国営リリーファーと比べれば質は劣るが、レーザーの種類はイットリウムであるし、その直径は六十センチであることを考えると、学校にある訓練用のリリーファーとほぼ同じスペックということになる。  つまり条件は相手も同じであるし、このレーザーのみで勝てる(言い方を変えれば、リリーファーの装甲を打ち破るという意味にもなる)ことはない。それはルールにも充分に明記されており、勝敗は『相手を行動不能にするか、場外に引きずり出すか』の何れかと決まっている。  だからこそ、相手を完膚無きまでに打ちのめす装備など、少なくともこの大会において必要ではない。必要なのは、このルールに従って相手を倒すための装備である。 「……そうだ。だから、やれば出来る……!」  崇人はそう言って、駆け出す。それと同時に、試合開始のゴングが鳴り響いた。  ゴングが鳴り響いたと同時にベスパは行動を開始した。黒いリリーファー向かって走り出したのだ。 「おーっと! ヴァリエイブルのタカト・オーノ選手が先攻をとったぁーっ!」  ベスパは走る、走る、走る。先手必勝、という言葉があるとおり、崇人はそれを実行しようとしていた。それが彼の考えた作戦のうちだからだ。  しかし。  黒いリリーファーはそれを『避けようともしなかった』。しようとおもえば出来るはずだったのに。  なぜ避けないのか。それは崇人にはまったく理解できなかった。  そんな余裕が――彼に隙を生み出した。  黒いリリーファーが突然『消えた』のだ。 「……!?」  崇人は慌ててベスパを止める。 「おおっと、北ヴァリエイブルのアレキサンダー選手! いったいどこへ消えたのかーっ!?」  その姿は、どうやら観客にも解らないようだった。ベスパはあたりを見渡す。一体どこへ消えたのか――それを探さねば試合の意味がないからだ。 「――どこへ」  消えたのか、と崇人が呟こうとしたちょうどその時だった。不自然にベスパの身体が浮き上がった。 「おおっと!? タカト選手の乗るリリーファーが突然浮き上がりだしたぞーっ……。そして……その下にいるのは、黒いリリーファーだーっ!!」 「なんだと!?」  崇人はその行動をまったく予想していなかったわけではなかった。  しかし、まさか実際にそれを行うとも思ってはいなかった。 「……まさか、実際にやるとは……!?」  そして、ベスパはそのまま逆さまの形になって、地面に落下した。  地面に落下する。それはつまりダウンを取られたということだ。テンカウントで凡てが終わってしまう。終わるということは、負けるということだ。勝つには、相手を場外に一発退場させる並みの力をかけなくてはならない。けれども、今の崇人にそれを考える力など、とうになかった。  ダウンがかかり、レフェリーがひとつずつカウントしていく。  ワン、ツー、スリー……。タイムリミットは刻一刻と迫っており、どうすればいいか、崇人は対策を考えなくてはならない。  フォー、ファイブ、シックス……。にもかかわらず、崇人はその対策が未だに浮かび上がらない。一先ず立つとして、それからどうする? ということが決まらないのだ。  セブン、エイト……。  ナイン――とレフェリーが言ったその時、ベスパはゆっくりと立ち上がった。観客からも響めきが聞こえる。 「おぉ――――っと! タカト選手! なんとカウント・ナインで起き上がった! なんとも憎い演出をしますねえ!」  勿論、そんなことは考えていなかった。演出なんてことをするつもりもなかった。ただ、彼は何も考えちゃいなかった。一先ず立ち上がり、戦っていくうちに作戦を立て直す。そういう考えしか、彼の頭には浮かんでいなかった。 「……一先ず、なんとかしなくちゃ……!」  最早、彼の頭に『余裕』という二文字はなかった。  勝つ。  その二文字が、彼の頭を支配していた。  再び、ベスパは走る。そのままでは再びやられてしまうことを、今の彼は最早考えてなどいなかった。 「……何とかすると言ったって…………どうすればいいんだ?」  それが彼の課題だった。  作戦通りに行くか、今の時点ではまったく保障はない。  だが、それしか――方法はないこともまた事実だ。 「やるっきゃねえ……やってやる……!」  そして、ベスパは黒いリリーファーに向かって走っていく。  それを見ていた、ほかのチームメンバー。 「タカトも所詮これくらいの男だったというわけだ。みろ。まったくもって怖気づいているじゃないか」  そう言ったのはヴィエンスだった。 「いや、誰だってああなるよ。特に戦闘に慣れていない人間ってのは。誰だってそうだ。君だって、若しくはそうじゃないかな」  そう言ったヴィーエックの言葉に、ヴィエンスは舌打ちする。そして、ヴィーエックの前に行き、彼を睨みつける。 「いいか。俺は……そんな甘い人間じゃねえ。弱い人間じゃねえ。況してやあいつのように、な。それを忘れないでいてもらおうか」  そう言ってヴィエンスは部屋を後にした。 「ヴィエンスくん――」  エスティがそれを追いかけようとしたが、アーデルハイトがそれを制した。 「あいつもあいつなりの考えがあるんだろう。……少し頭を冷やさせておけ」  その言葉に、エスティも頷くことしか出来なかった。  ◇◇◇  その頃、黒いリリーファーに乗っているアレキサンダー。 「……いやあ、リリーファーに乗るとかどれくらいぶりだろうなあ……」  戦闘が続いているにもかかわらず、彼はリリーファーの内部をただただ眺めていた。それは、初めて買い与えられたおもちゃを嘗めるように見つめる子供のようにも見えた。 「ふうん……。やっぱこういう大会用のリリーファーでも今と昔じゃだいぶ違っちゃうなあ」  そんなことを言って、再び前方を眺める。 「さて……『大野崇人』くん。君はどうやってこれを切り抜けるかな?」  シニカルに、微笑んだ。  そして、崇人が乗るリリーファー・ベスパ。  走って、走って、走って――崇人はこれをタイミングとの勝負と考えていた。もし、それが失敗したなら凡てが水の泡となることだろう。それほどに、この作戦においてタイミングは重要なのだ。  そして、ベスパが黒いリリーファーの目の前に立つちょうどその瞬間――ベスパが跳躍した。それは黒いリリーファーにも予測出来なかったらしく、黒いリリーファーは空を眺める。  空は晴天で、ちょうど黒いリリーファーの視線の先には太陽があった。これにより、一瞬でも視界がホワイトアウトする。  そのタイミングを狙って――ベスパは黒いリリーファーの身体目掛けて鶏冠を突き刺した。 「やった……。倒した……!」  崇人はそう言って、高々と腕を掲げた。それを切っ掛けに、歓声が今まで以上にどっとセレス・コロシアムを包み込んだ。 「勝者っ、ヴァリエイブルのタカト・オ――――――ノ――――っ!!」  そのアナウンスを聞いて、崇人はようやく安寧を得た。第一回戦はひとまず勝利したことに、喜んでいた。 「……勝った……!」  ベスパが戻り、リリーファーから降りると、エスティが抱きついてきた。それを見て思わず崇人は顔を赤らめる。 「え……ちょ……人が見てるって……」 「よかった……。はじめは危ないんじゃないかとか思っちゃったけれど、タカトくんにはそんなこと問題じゃなかったね……!」 「ちょ、ちょっとエスティ、近すぎだって……」  エスティは気にしているのか気にしていないのかは解らないが、崇人の身体とエスティの身体が密着しているもので、胸とかが当たっているのだが、それにエスティ自身は気づいていないようだった。  崇人はエスティの身体を剥がし、平静を装う。 「水が欲しいのだけれど……どこにあるんだっけ」 「向こうにウォーターサーバーがあるよ」  そう言って、エスティはそちらの方を指差す。それを見て、崇人はそちらへ足を進めた。  ウォーターサーバーに向かい、紙コップを手に取り、水を注ぐ。そして、コップを傾け、水を飲み始める。 「……ふう」  そこで、漸く彼は一息ついた。  戦っていたあいだは、正直なところ余裕などなかったのだから、今やっと一息つけたということである。  彼は、一先ず試合を振り返る。  疑問などなかったが、特徴もなかった。振り返る点といえば、一時の予想外なポイントに対して柔軟な対応が出来なかったことだ。第一回戦は何とかなったが、これ以降の試合がどうなるかは――目に見えている。  だからこそ、それを次の試合で対策しなくてはならない。水を飲み干し、空になった紙コップをゴミ箱に捨てると、エスティの方に振り返る。 「そういえば、エスティの試合はいつなんだ?」 「私は第七試合だから、あと三つ先かな。とりあえず、お疲れ様。あとは明日以降だね。第二回戦の組み合わせが決まるのは今日の午後、試合が凡て終わってからだったはずだから」 「そうだな」  そう言って、崇人はエスティと別れた。  ◇◇◇  対して、北ヴァリエイブル陣営。 「おい、どういうことだよ。あの戦い方は」  アレキサンダーがほかのチームメンバーに文句を言われていた。アレキサンダーの顔や髪は恐ろしいほどに白い。目の黒と、リリーファー操縦時に着るユニフォームの黒が映えるほどだ。 「なあ、お前があそこでヘマしなけりゃ、あのへっぽこリリーファーに勝ったのによ!」  そう言うリーダーと思われる男に、アレキサンダーは微笑む。 「……なにがおかしいってんだ」 「なんかうざったくなってね。……もうフェイクを演じるのもここまでとしようか」 「何が言いたいんだ」  リーダーは語気を強める。アレキサンダーはシニカルに微笑む。 「だからさ……そのうす汚い手をどけろ、|下等生物(ゲテモノ)が」 「なにをおおおおおおおおおおおおおおおお!?」  リーダーはそう言って、右の拳をアレキサンダーの身体に叩きつけた――はずだった。  アレキサンダーは浮いていた。  それは、彼らにとって予想もできないことだった。  この世界には魔法がある。だが、それは詠唱を行う等の順序を積んで行うもので、こんな簡単に魔法が使えるはずもなかった。  いや、そもそもの話。  これは魔法によって浮かび上がっているものなのか。  魔法ではないとすれば、何だというのか。  しかし、彼らはそれが何なのかは、結局は理解できなかった。 「……これだから、人間は嫌いなんだ」  そして。  彼の周りに、無数の棘が出現する。そこで漸く彼らはこれから何が起こるのかを察し、一目散に逃げ出していく。  しかし――それを正確に棘は捉える。 「チェックメイト」  その一言で。  棘は発射され、それが北ヴァリエイブルの起動従士クラスチームのメンバーの身体を貫いた。  倒れた姿を眺め、アレキサンダーは外へ出る。  廊下を歩くと、一人の女性とすれ違った。  先程もすれ違った、アーデルハイトだった。  しかし、今度は立ち止まり、彼女から話しかけてきた。 「……『帽子屋』。まさかあなたが直接ここに乗り込んでくるとはね」  それを聞いて、今度はアレキサンダー――帽子屋が呟く。 「アリス。君こそここに居るとはね。驚きだよ……計画がこれで進むことを、君自身は理解しているのかな?」 「私はアリスという名前ではない」  そう言ってアーデルハイトはその言葉を突き返す。 「ならば、誰さ?」 「私はアーデルハイトだ」 「……やっぱりアリスだ」 「だから私は――」 「違わない。君こそが――アリスだ」  帽子屋とは異なる声が聞こえたので、彼女は振り返った。  そこにいたのは、金髪のロングヘアーの少女だった。アーデルハイトの腰ほどの小ささであり、ニコニコと微笑みを湛えていた。 「……誰?」 「この姿で失礼。私は『ハンプティ・ダンプティ』だ」  その姿とは似つかぬ口調で、アーデルハイトは一瞬驚きを隠せなかった。 「……それで、『ハンプティ・ダンプティ』が何の用?」 「君たち人間の立ち位置を考えてもらおうと思ってね」 「だったら、急いで話してもらえるかしら? 私も急いで向かわなくては。次に試合が待ち構えているのよ」 「それだったら問題ない」  少女――ハンプティ・ダンプティが微笑む。 「すでに、南ヴァリエイブルのエリーゼ・ボンラジュアは棄権をしているはずだ。我々の手によってね」 「……それに、北ヴァリエイブルの面々も、あなたの様子からして全員棄権でしょうね」  それを聞いて、今度は帽子屋が微笑む。 「人生を途中退場はしていないと思うよ。さすがにそれほどのダメージは与えていないつもりだ」 「そうかしら。あなたたちの感じからして完全抹殺でもしていそうなものだけれど」 「隠しきれていないようだぞ、帽子屋」 「……だが、それで大会が中止に追い込まれるようなことはない。なぜなら、『彼らは既に全員棄権している』のだから」  帽子屋の言葉に、アーデルハイトは首を傾げる。 「……どういうこと?」 「言葉通りの意味さ。どちらにしろ君たちは殆ど戦わなくていいことになる。別に君たちのためにやったわけではない。僕らが、目的を果たすための最善な選択……と言って理解してもらえれば、いいがね」 「理解するとでも思っていたの?」  アーデルハイトはそういうと、袖口から棒状の物体を滑り出した。それは警棒だった。警棒とはいえ、バカにできない。この警棒はリリーファーの外装と同じ成分で作られており、なおかつボタンを押すことで電気が発生する。『シリーズ』二匹に対して満足とは言えない装備だが、何も無いよりはましであった。 「その警棒では僕らには適わないと思うけれどね」 「……ないよりはマシよ」  そう言って、彼らは同時に地を蹴った。 「……待て」  それを言ったのは、ハンプティ・ダンプティだった。  それを聞いて、彼らは足を止める。 「こちらから戦いを持ちかけた……というわけでもないが、ここでの戦いは良くないと思うのだ。我々も、君にとっても、だ」 「一度引こうと、そう言いたいのかしら」  アーデルハイトは呟くと、ハンプティ・ダンプティが微笑む。 「まあ、そういうことだ」 「……ふうん」  アーデルハイトは考える。  確かにここで戦ったとしても正直なところ勝てる保障はない。それに、関係のないスタッフや選手がここを通ったら彼らに何をされるか解らない。ともかく、ここは彼らの言うことに従うほかないようだった。 「……いいわ。それで手を打ちましょう」  そう言って、アーデルハイトは警棒を仕舞った。 「そう言ってもらえると思ったよ、君はそこまで獰猛な性格ではないと思ったからね」  ハンプティ・ダンプティはそういうと、帽子屋の肩にひょいと飛び乗った。  帽子屋は無反応を貫き、そのまま右手を掲げる。  その刹那、音もなく彼らは消え去った。まさに『突然』の出来事であった。 「……どこに消えた……!」  彼女が探しても、しかし見つかることはなかった。  ◇◇◇ 「……それで、シリーズとの交戦は呆気なく終わってしまった、と……。予想外の代物ね」  マーズとアーデルハイトは電話をしていた。トラックに乗っているところに、アーデルハイトから連絡があったので驚いているところだったのだ。なぜなら、彼女からは決まった時間以外の電話はかかってこないためだ。 『ええ。まさか、彼らが紛れ込んでいただなんて。「赤い翼」を殲滅しようとしたのに、こいつは少し深い闇かもしれない』 「……赤い翼とシリーズが組んでいる、と?」 『可能性はある』  アーデルハイトは淡白に告げる。  事実を理解しているからこそ、言えることなのかもしれない。  そんなことを考えながら、マーズはタンブラーに入っていたブラックコーヒーを一口すする。 「……苦っ」 『はい? 何か言いましたか?』 「ん。……ああ、いや、何でもないわ」  マーズは聞かれてしまったかとその場を取り繕う。 『そうですか。しかし、コーヒーか何かを飲んでそのあとの感想が「苦い」という大人ぶったマーズさんの一面が垣間見れた気がしたのですが、それは気のせいということでよろしいですね?』 「絶対聞こえてただろあんた」  そんなことを嘯いたアーデルハイトに舌打ちしながら、マーズは周りを見る。周りには幾人ものマーズの同僚がいたが、笑っているのはフレイヤ・アンダーバードだけだった。 「こら、フレイヤぁ! 笑うんじゃないっ!」 「だって……マーズさん、ブラックコーヒー飲めないのに飲むって……。飲めないなら飲まなきゃいいのに……ティヒヒ」 「すっごいあんた笑い声気持ち悪いからな! 言っとくけど!」  マーズはそう言って、再びアーデルハイトとの通話へと戻す。 「ああ。えーと……何の話だったかしら?」 『ですから、コーヒーを飲んだあとの感想が――』 「オーケイ。そこはいい。じゃあ、その次かしらね。……もし『赤い翼』がシリーズと組んでいたとなれば、問題は私たちだけではなくなる。世界全体の問題になることは間違いない」 『ですね』 「ともかく、アーデルハイト。あなたはそれの確認を急いで。私たちは少なくとも今日中には着けると思うから、それまで何かあったらよろしく頼むわ」 『ええ、解りました』  そして、マーズは電話を切った。 「……ったく、フレイヤ!? あなたいったい何がしたいのよ!!」 「突然叫ばないでくれよ、至極うるさいから」 「あなたが原因でしょうが!」 「……そんなことより、見えてきたそうよ」  フレイヤがそう言ったので、マーズは窓から外を眺める。その光景を見て、マーズは小さく微笑んだ。 「ああ、ほんとだ――」  セレス・コロシアムが目の前に迫っている光景が、そこには広がっていた。  ◇◇◇  結果として、第一回戦を全員が勝ち抜いた。  第二回戦のカードは既に決まっているとのことで、崇人たちは食堂前の壁に設置された液晶ディスプレイでそのカードを見ることにした。ちなみに、もう全員は食事を終えている。 「どんなカードになるのか……楽しみだね」 「ああ」  エスティと崇人はそんな会話を交わす。  だが、考えて欲しい。  この大会、既に六人+十二人で十八人の敗退が決定している。  即ち、残りは六名――。  それが意味するのは。  ディスプレイにはこのようにカードが書かれていた。  ヴァリエイブル タカト・オーノ VS ヴァリエイブル エスティ・パロング  ヴァリエイブル ヴィエンス・ゲーニック VS ヴァリエイブル アーデルハイト・ヴァンバック  ヴァリエイブル ヴィーエック・タランスタッド VS 西ペイパス ファルネーゼ・ポイスワッド 「予想はしていたが……実際に見るとこれはひどいな」  崇人が呟く。それは誰もが思ったことでもあった。  六人中五人が、ヴァリエイブルのメンバー。それは余りにも出来すぎていることにも思える。 「本当に……大変なことだけれど、個人戦だから戦わない、というわけにもいかないからね……」  アーデルハイトが呟くと、ヴィエンスの方へと歩く。 「対戦相手が同じ学校だからって、気を抜かないで欲しいものね? ヴィエンス・ゲーニック」 「当たり前だ。それはこっちのセリフだよ、アーデルハイト」  そう言って、二人はそのまま別れた。 「エスティ……負けないからね」 「私だって」  そして、エスティと崇人はそのまま各々の部屋へと戻っていった。  残されたヴィーエックは近くにあった自動販売機でオレンジジュースの缶を購入し、それをちびちびと飲みながら部屋へと戻っていった。 「やあ」  ちょうどその時だった。ヴィーエックにひとりの少年が話しかけてきた。  凡て白の服で整えられた少年は手に大きな本を持っていた。その大きさというのは、彼の肩幅くらいの大きさだった。ハードカバーだったが、タイトルは書いておらず、しかし、革を鞣したカバーからしてその本の高級さが見て取れる。 「……どうしたんだい、君? 迷子?」  ううん、と少年は横に首を振る。 「なんだか、浮かばれないなあ、って思って」 「……え?」  ここで普通ならば、「何を言っているんだ」と憤慨することだろう。しかし、彼はそれをしなかった。否、するという選択肢がそもそも存在しなかった。 「ひどく、かわいそうだよ。……ねえ」  少年は、ヴィーエックの前に立って、言った。 「君はとても強くなりたいとか、思ったことはないの?」 「――」  ない、わけではない。ないと言えば嘘になることがそれは、ヴィーエック自身にも明白であった。 「あのねあのね、僕が入っているグループ、今ちょーどひとつ席が空いているんだよ。だからさっ、入ってみない?」 「……」  その言葉に、ヴィーエックはコクリと頷いた。  ◇◇◇ 「選手の一人が消えた?」  その夜、マーズは疲れた身体に鞭打ってアーデルハイトの部屋までやってきていた。名目上は、『過去居た学校を応援するため』となっているが、勿論のこと本当は違う。 「ええ……。ヴィーエック・タランスタッドはオレンジジュースの缶を買ったのを最後に行方が解らなくなっています」  アーデルハイトが申し訳なさそうに言うと、マーズは舌打ちする。 「そういう時のためにあなたがこのチームに居たんじゃなかったのか」 「……申し訳ない。私がいたというのに……!」 「今は傷を抉る場合ではないな。……さて、ではどうすればいいかね。『赤い翼』に拿捕されていたらこれは問題だぞ……。私たちがやることが明るみに出ることはないだろうが、だとしてもあいつらのことだ。またそういうのを利用してここの占領を素早く進めかねないぞ」 「解っている……解っていますよ……」 「『解っている』では済まされないし、すぎたことは変えることもできない。それは君にだって、いや、世界の誰にだって変えることのできない大前提だ。ならば、それから先を考えなくてはならないよ。それから先を考えるのが、その大前提を、もしかしたら変えられる人間なのかもしれないが」 「そんな戯言紛いな発言はどうだっていい。問題は『赤い翼』だ。恐らくはセレス・コロシアムの何処かに紛れているに違いない。最優先事項はそれだ。それを先に片付けなくてはならない」 「……ヴィーエック・タランスタッドの件は」 「その件については赤い翼の件が片付いてから、ということになるな。もし赤い翼が関わっているとすれば、これはこれで大変なのだが……。まさか、アーデルハイト。あなた、甘えてないでしょうね? そんな甘いことで軍を長く続けて行けれるとでも?」  アーデルハイトは軍属の人間だ。だから、マーズにこんなことを言われる筋合いというのもなかった。  だからこそ、アーデルハイトは屈辱を感じていた。  それは、自分がミスをしたという事実にほかならないのに、だ。 「だとはいえ、ですが。私がそう言われる問題もなく、一先ずは赤い翼一本で絞らなくてはならないのでは? そんなことを考えていると、赤い翼に先を越されかねませんが」  そう言うアーデルハイトの言葉に、マーズは呻き声をあげた。 「……そうですね。先ずは『赤い翼』を――ひいては、ティパモールを平定する。そのように命令が下っているのですから」 「その通りだ」  そう言うと、マーズは小さく頷いた。  ◇◇◇  その頃、崇人はベッドの上で今日のことについて考えていた。  今日あったことは、凡て反省しなくてはならないだろう。  途中で失敗し、その失敗をうまく切り返せずに敵に隙を与えてしまった。 「次の試合からはそれを対処しなくちゃな……」  まず、確実にそこが狙われる。 「なんとかしなくちゃ、な」  そう言って、崇人はゆっくりと目を瞑った――。 「動くな」  そう言われ、崇人は口を塞がれた。感触からして――若い男のようだった。 「……申し訳ないが、協力させてもらうぞ。最強のリリーファー、『インフィニティ』の起動従士よ」 「!」  男からそれを言われ、崇人は思わず目を見開く。 「私たちがなにも調べないと思っていたか? 残念だったが、私たちはお前を望んでいた。誰もが使えないリリーファーの唯一使える人間。いいではないか、寧ろ素晴らしい。それを捕まえたのならば、それはヴァリエイブルにとって良い交渉材料となるからな」  そして、そのまま崇人は眠りに落ちた。  ◇◇◇  次の日。  アーデルハイトとエスティが廊下で会話をしていた。 「タカトが『赤い翼』に攫われた……!?」  エスティが思わず叫びそうになったが、アーデルハイトが唇に人差し指を当てるのを見て、声を小さくする。 「そう。『赤い翼』に攫われた」 「な、なぜ……!? 理由か何か勿論あってのことなんですよね……」 「ええ。そうよ。……これはオフレコだけれどね、」  そうはじめに言ってから、アーデルハイトは説明を始めた。  それは、崇人が最強のリリーファー、『インフィニティ』を唯一扱えることの出来る人間だということだった。 「……そんなことが」  崇人に関する説明を聞いて、エスティは絶句した。 「確かに急にそれを聞けば、驚いたことでしょう。時期は少々予想外でしょうが、仕方ない。……だが、それを言わなくては話が始まりません。ですから、今話したのですよ」 「……それで、大会は実行出来るんですか?」 「せざるを得ないでしょう。……ここで変に終わらせていたら、『赤い翼』が出動しかねない」  アーデルハイトは考えていた。  もし、ヴィーエックに次いで崇人も『赤い翼』に囚われているとするならば、それは問題である。  赤い翼はテロ集団だ。人を殺すことに、躊躇い等勿論存在しない。つまり、彼らは今命の危機に晒されていることになる。 「『赤い翼』は、私たちがどうにかするわ」 「マーズさん!」  会話がマーズに交代する。 「一先ず、我々に任せてはくれないか」 「……解りました。マーズさんが言うなら」  そう言って、エスティは頭を下げ、廊下を走っていく。  去っていくのを見て、見えなくなってから、アーデルハイトはマーズに頭を下げる。 「ありがとうございました」 「何が?」 「……私のこと、軍属だと言わなくて」 「ああ、あれ」  マーズはシニカルに微笑む。 「別に言っても言わなくても変わらないと思ったんだけれどね。まあ、今のところは言わなくても問題はないかな、という感じでそう決めただけよ」 「それでも……私はあなたにお礼を言わなくてはならない」 「いいや、大丈夫」  マーズは一歩、アーデルハイトに近づく。  そして、アーデルハイトの下腹部に手を近づける。 「な、何を……」  アーデルハイトの言葉を耳に貸さず、マーズはゆっくりと腕を動かしていく。 「だって……お互い様、でしょう?」  そう言うと、マーズは手を離し、来た方向へ歩いていった。  それを見て、アーデルハイトはずっとマーズを見つめていた。  アーデルハイトは一先ず自分の部屋へ戻ることとした。試合に向けて調整するためである。 「……汗かいちゃった。シャワーでも浴びようかしら」  そう言うと、ベッドに服を凡て脱ぎ、タオルを持って彼女はシャワールームへと向かった。  シャワーを浴びながら、彼女は考える。  『赤い翼』はティパモール地域の解放を目指しているテロ集団だ。そのためならば、『インフィニティ』を操ることのできる崇人は格好の交渉材料となる。  だが、問題はヴィーエックの方だ。彼は一般の学生である。家庭も一般家庭だ。そんな彼を誘拐しても『赤い翼』にはメリットがあまりない。 「だからこそ、だ。どうして、赤い翼はヴィーエックを誘拐したんだ……?」  しかし、それは今のアーデルハイトには解らない事だった。  ◇◇◇  その頃。  崇人はある部屋で目を覚ました。どうやら、腕を椅子に縛られているらしかった。 「……目、覚ましたか?」  気がつけば、壁際にある椅子にひとりの男が座っていた。その男は迷彩服に身を包んでいて、右頬には大きな傷があった。まだ白髪がないことからして、それほど年はとっていないようにも見えた。 「……あなたたちは、いったい何をしようとするんですか」 「ああ、別に取って食おうとは思わねえよ。ただ、お前がちゃんとしてくれなくちゃ、それも保障は出来ないがな」  男はそう言うと、ポケットからビスケットの包を取り出し、それを開けて崇人の口に近づける。 「ほら。飯食え。今はこれくらいしか出せないが、もう少しすればお前にもちゃんとした飯を出せるはずだ。お前には一応、死んでもらっては困るとの命令が下っているからな」  それを聞くと、崇人はビスケットを口で受け取った。若干湿気っていたが、今はどうこう言っている場合ではない。  今の崇人は、所謂捕虜という立ち位置にある。捕虜をどうするかは、捕虜を捕まえた組織に一任されるのだから、即ち崇人の命は今、『赤い翼』に一任されていることとなる。 「……ああ、だから舌噛みちぎるとかしないでくれよ? したら俺が全責任負わされて殺されちまうからな」  男は再びニカッと歯を出して笑った。 「正直なところ、お前さんが最強のリリーファーの起動従士とか、思えねえんだよな」  そう男は独りごちる。  それはそうだった。崇人自身ですら、時折このステータスに違和感を覚える。  そもそも、彼はこの世界の住民ではない。元々いた世界では平平凡凡といた人間が、この世界で特殊な役割についている。  これは偶然なのだろうか?  もしかしたら、ここに崇人が来ることが解っていたのではないだろうか?  崇人は時折、そんなことを考えるのだった。 「まあ……、変な話だ。お前さんみたいな小さい子供が世界を救っちまうようなリリーファーを操縦できるってんだから。あー、俺も小さい時はリリーファーの起動従士になりたくてな、毎日訓練学校に行きたい行きたいと親にせがんでいたっけな……」  男の話は続く。 「俺の家庭は貧乏でさ。俺を学校に連れて行くことはおろか、俺を養うことすらきつかったんだとよ。けれど、母親がどうしても俺を連れて行きたかったんだ。学校にな。なんでも母親は遊女……といっても解らねえか」  崇人は遊女の意味を薄々ながら知っていたが、一先ず頷く。 「遊女ってのは宿場とかで男の相手をする女のことでな……。それで、うちの母親は、俺を妊娠したらしい。つまり、俺の父親は解らねえってこった。……おっと、慰めの視線を送らないでくれよ。こっちが困っちまうからな」  崇人はただじっと男の話を聞いていた。男の目を見ていたのは、逃げるタイミングを見計らっていたわけではなかった。  少なくとも、崇人のもともとある力では、ここを抜け出すことなどできない。 「それでな、俺の母親はずっと働いていたんだよ。遊女ってのはまともな働き先も無くてな、かなり苦労していたよ。何故なら、毎日みるみるうちに痩せていったんだから」  崇人は目を瞑る。これからの結末が、どことなく予想できたというわけではない。この話から、逃げ出したくなったからだ。  この世界にもしもカミサマというのが居るのであれば、そいつは薄情すぎる存在だと崇人は思った。 「それでもなんとか俺の母親は頑張って稼いでくれた。だけれど、それはとても俺と母親が食えるほどの稼ぎではなかった。だから俺も働いた。銃を持ち、地雷原に突入し、敵を殲滅する。リリーファーの起動従士を夢見ていた頃とは大違いのことだ。……最初に撃つ時は酷く怖かったよ。撃って殺した相手が夢に出るんだ。『なぜ殺した』『お前も殺してやる』とな」 「今も……夢に出るのか」 「ああ。今も、だ」  男は小さくため息をつく。 「だが、この職について後悔したことはないよ。……目的もあるからな」 「目的?」 「クルガード独立戦争を覚えているだろう。そこで、ティパモールも戦争の被害にあった。それで……俺の母親は殺されたんだよ、ヴァリエイブル率いる連合軍にな」  男はそう言って、椅子に立てかけてあったアサルトライフルを手に取り、それを舐めるように見る。 「……俺はそれを目の前で見た。そして、殺したヴァリエイブル軍を一人でメッタ刺しにした。何十人殺したかも覚えちゃいねえよ。……そして、殺した人間の返り血で真っ赤になった俺を拾ってくれたのは、赤い翼のリーダーだった」  男の過去は、崇人が予想していた以上に、残酷だった。  だが、崇人はそれを聞かないわけにはいかなかった。  現実から、逃げてはならなかった。 「それから俺は『赤い翼』の構成員として生きたよ。ヴァリエイブル軍に奪われた母なる大地……それを取り戻すために、俺は何だってやった。何だって、な。生きるため、大地を、生まれた場所を、取り戻すために」  男はライフルを椅子に再び立てかける。 「そして、俺らは漸く『インフィニティ』という最強のリリーファーがヴァリエイブルにあることを掴んだ。そして、それが誰も動かすことのできないものだということも、な。インフィニティがどこにあるのかは解らなかったから、まずそれを探さなくてはならなかった。インフィニティは、倉庫に保管されていることだけが解っていたが、さすがに国の重要機密。そう簡単には見つからなかった」 「なら、どうしたというんだ?」 「だから、その時にある情報を手に入れた。『インフィニティを操ることができる人間が現れた』とね。そして、その名前も同時に判明した」 「それが俺、と」  その言葉を聞いて、男は頷く。  男は大きな欠伸を一つして、話を続けた。 「そして、俺たちはこの大会に合わせて準備を進めた。目的はお前を捕まえること。そして、それによってヴァリエイブルに交渉を持ちかける。それにより、ティパモールを解放する」 「……果たして、そんなことができるのか?」 「それはお前の価値に限ってくる。お前の価値は高い。なぜなら、誰にも扱えないリリーファーを扱えるのだからな」  確かにその通りだったが、崇人は自分自身の価値を未だに理解できてはいなかった。  自分の価値とは、自分自身で理解するには一番に難しい。  それは、自分を客観的に見ることのできる人間が、あまりにも少ないからだ。崇人もその大部分に入る。だからこそ、彼はその意味が理解しかねた。自分がそれほどの価値を、果たして持っているのかと疑っていた。 「気を落とすな。お前自身は知らねえがな、俺らにとっちゃ金の卵だ。何を生み出すか解らねえが、すげえものを生み出すってのは誰にだって理解できる。お前はそういうものなんだよ。だから、俺らはお前を誘拐した」 「ちょっと待て。……ならば、ヴィーエックは誘拐していないということか?」  ここで、崇人はひとつの疑問をぶつけた。  ほぼ同時刻に誘拐された、ヴィーエックのことだった。もし彼らが誘拐したのであれば、何か知っているはずだからだ。  しかし。 「……ヴィーエック? 知らねえな。俺はお前しか捕まえる命令をもらってねえし」  男は小さく首を振って、言った。  ――ならば、ヴィーエックはどこへ行ってしまったのか?  そんなことを考えながら、崇人は上を見上げた。そこには煤けた天井が広がっていた。  ◇◇◇  その頃。  ヴィーエックが目を覚ました場所は、白い部屋だった。  何もない、白い部屋。凡てが白で覆われた空間だった。 「こ、ここは……?」  ヴィーエックが身体を起こすと、そこには先ほどの少年が立っていた。少年は小さく微笑んで、言う。 「ここは、『世界の始まりの場所』なんだよ!」 「世界の……始まり?」  ヴィーエックのその言葉を聞くと、少年は持っていた本を開く。 「これは世界の始まりから何まで凡てが書かれている本です。それの第一項には『白の部屋』が完成したことが書かれています。即ち、ここが歴史の始まりとなった場所。転じて、世界の始まりなのです」 「世界の始まり……に、なぜ僕はいるんだ?」 「それは、世界の始まりを理解するためです」 「理解するため?」  ヴィーエックは首を傾げる。 「そうです。世界の凡てを理解する……そうでなくては、先ずなにも出来ません。特に、強い力を手に入れるためには、ね」  そう言って、少年は指を弾く。  すると壁が競り上がり、壁の外の風景が漸く見ることができた。  そこに広がっていた光景は――まったくの『無』だった。何もない。白という一色で表現できる空間とはまた違う。何もない、無の空間がそこには広がっていた。 「世界は、こんな小さな箱庭を最初として始まったんだ。勿論、生き物なんて最初は何にもなかった。……けれどね、気まぐれかどうかは知らないけれど、あることが起きたんだよ」 「あること?」 「この部屋が、崩壊しかけることさ」  そう言って、少年は手に持っている本のページを変える。そこにはそう書かれているのだろう――とヴィーエックは思った。 「この部屋が崩壊したら、この時点では生き物が育つことはなかった。けれども、元々そこには生き物はいなかったわけだから、意味はない。だけれど、ちょっとした切欠があれば、生き物は繁栄することができた。その切欠というのが――部屋の半壊によって得られた、外空間だよ。この部屋は自動的に修復されるのだけれど、その際誤って『少し広く』直してしまった。そして、それが……運良く生き物を作ることに成功してしまった、というわけさ」  ヴィーエックは立ち上がり、部屋の様子を見る。現時点では、部屋はただの部屋である。ベッドがあり、その横には天井までつくほどの大きさの本棚があり、なんとテレビまで備え付けられている。  物珍しい目で見るヴィーエックに少年は言う。 「ああ、これは今の君たちの文明レベルにあった部屋構成だからね。勿論、僕が言った時代にはこんなものなんてなかったよ。……ベッドも勿論無かったさ」 「文明が発展するごとに……ここも発展していく、ということか?」 「That's right! そのとおりだよ。ただし、文明が衰退しても、ここの文明レベルは変わらないけれどね。発展するときは、発展していくんだ」 「それでも、ここの部屋の壁紙は変わらないのか」  ヴィーエックは壁を触りながら言う。壁の感触はざらざらと粗が目立つ感じではなく、ツルツルとしていた。ニスでも塗ったのかというくらい照り付けがあるほどだ。 「そうして偶然に生き物は生まれたわけだけれど、そこで一旦部屋を彼らのものにしたんだ」 「なぜだ? 別に持ち主はそのままでも良かったんじゃないのか?」  ヴィーエックの言葉に、少年はため息をつく。それを見て漸く彼は何か間違ったことを言ってしまったかと考える。 「もしこの部屋に『持ち主』が居るとするなら、の話だけれどね。……少し考えてみてはどうかな? 与えられたり、自分で作ったりしたものを、絶対に壊さずに一生管理し続ける自信があるか? 僕にはないし、恐らくそれは誰にだってないと思うがね」  それを言われると確かにそうだった。実際に考えてもみればそんなことは解る話だった。白い部屋を一生管理し続ける生物が仮にいるとするならば、そんなことをし続けるのは非常に無意味だ。意味がないことをするのもまた、非常に無意味だった。 「……と、待てよ。だとしたら、この部屋は今後その生き物が育てていったのか?」  ヴィーエックが訊ねると、少年は小さく鼻歌を唄う。 「それじゃ、話の続きをしようか。その生き物に部屋を譲ってから、しばらく経った。もともと『部屋』には沢山の技術があり、それをもとに部屋を発展させていった。生き物は生き死にを泡沫のように繰り返し、代を変えていった。そしてある日……『彼ら』は遂にこう言ったのだ」  ――この世界は、私たち自身の手で発展させたものだ 「……とね。それは、違うと元の持ち主……それは、その生き物たちにとって『カミ』とよばれるモノが言った訳だ。そして、その生き物から部屋を取り上げようとした。だが……考えてみれば解る。そのとき生き物たちは恐ろしい程に数を伸ばしていて、それらから簡単に取り上げることなど出来なかった。……ならば、どうすれば良いか」 「……どうしたんだ?」 「追い出せないのなら、殺してしまえばいいと思ったわけだ」  その言葉を聞いて、ヴィーエックは思わず身震いした。  少年の声は、ひどく冷たかった。  だが、身震いした理由はそれだけではなかった。  そうも簡単に、殺す手段に至るということに、彼は驚きを隠せなかったのだった。 「……それで、どうしたんだ」 「簡単だ。世界全体に大洪水を発生させた。それによって……その生き物の大半は死ぬこととなったよ。ただ一種類の存在を除いて、な」 「一種類?」 「それこそが、君たちが『シリーズ』と呼んでいる存在だ。……いや、聞いたことがないかもしれない。『シリーズ』というのは、簡単に言えば最初の生き物の末裔ということになる。『シリーズ』は全部で七種類居た。その七種類には異なる特徴を持っていたが、数少ない共通点も、確かに存在していた」  ヴィーエックは、少年の話が飛躍的すぎて正直なところ理解出来ずにいたが、今の言葉で更に理解を難解としていった。さっぱり解らない。  シリーズという存在が、原始の生き物の末裔だという。それが仮に真実だとして、しかしこの部屋の存在は未だ明らかにはなっていない(少年は『世界の始まりの場所』等と言ったが、それでもそれがそうだという確証はつかめないし、そもそもヴィーエック自身がそれを信じていなかった)。  少年の話は、あまりにも謎が多すぎる。  しかし、それから『疑う』などと言うことは、まったくしなかった。 「数少ない共通点の一つには、あることがあった。それは、『カミ』からの厳命が下っていたことだ」 「カミからの……厳命?」 「そうだ。例えば、『ハートの女王』という存在は、自らが生きるための術というか、はたまた別のことかは解らないが、こう命じられていたそうだ。……『悪人は、処罰せよ』と」 「悪人…………処罰…………」 「そうだ」  少年はニヤリと笑みを浮かべる。 「悪人は、誰が決めるかと言えばそれはまた別なのだけれど、ひとまず、『ハートの女王』が命じられたことはそのことなのさ。それはなぜそうするかといえば、その後に生きる生き物の行動を制限するためだった。例えば、これが居なければ、娘を殺された父親は犯人探しに躍起になるだろうし、犯人は必死に逃げる。そして、父親は血走って犯人をそのまま殺してしまうだろう。そうすれば、父親も極悪人となる。しかし、『ハートの女王』が居ればそんなことなど問題ではない。……つまるところ、『シリーズ』はこの部屋の守護神、秩序を守るべき存在となるね」 「秩序を守る存在……?」 「そうさ。秩序を守るには、自ずと絶対的な力を必要とするわけだ。……さて、漸く本題に入ろう。ヴィーエック・タランスタッド。君は……絶対的な力が欲しいか? 誰にも左右されない、圧倒的な力が」  ――そうだった。ヴィーエックは改めて自らがここに居る理由を考えた。ここに来た理由は、『力』のためだった。  ヴィーエックは崇人とも話していたように、この世界の住人ではない。別の世界の住人である。だからこそ、元の世界へと帰る手段を模索していた。  正直なところ、今回初めて崇人と会話した時に、感じた印象が、明らかにヴィーエックの予想しているものとは違った。  ヴィーエックは「さっさと帰りたい」的な気持ちで心が満たされているのだろうなどと思っていたのだが、実際の崇人はそうではなく、「帰りたいは帰りたいがまずはこの世界をどうにかしよう」という思いが表情から浮かび取れたのだった。  崇人の本心が表情から読み取ったものとおりであるとするならば、ヴィーエックは二人での脱出が不可能だと考えていた。だとするならば、彼には絶対的な力が必要だった。  この世界を牛耳ることが出来るほどの絶対的な力があれば、きっとこの世界から脱出することも出来るはずだと考えていた。  しかし、その考えが既に歪んだものであるということは、今の彼にはそれを検証することも考えられなかったのであった。 「さあ。どうする? ……力が欲しいなら、言ってみろ」  その言葉に、ヴィーエックはゆっくりと頷き、そして言った。 「力が欲しい。……どんなものでも屈するほどの、最強の力を……!」 「よくぞ言った」  そう言って、少年はシニカルに微笑む。少年は服のポケットを弄(まさぐ)って、あるものを取り出す。  それはエネルギー体のようにも見えた。赤く輝く、球だった。  大きさはテニスボール程の大きさで、それはぼんやりと輝いていた。 「……これは、『ハートの女王』のコアさ。これを君に授けよう。だが……いくら『起動従士の卵』とはいえ、シリーズになれるかは怪しい。これが起動従士ならば可能性は充分に高まるのだがね。そもそも、僕たちのレゾンデートルはそれほどに曖昧なものだということだけれど」 「……ねちねち言っていないで、やるならさっさとやってくれ。心変わりしないうちに、だ」  ヴィーエックがため息をつきつつ言うと、少年は口を手で隠しながら、嫌らしそうに笑う。 「ああ……ああ……分かったよ。それじゃ、君に今からこれをブチ込む。一応言っておくが、どうなっても僕たちは責任を取らないから。そういうことでー」  そう言って、  少年はその球体を、ヴィーエックの心臓のあるあたりに強引に突っ込んだ。  ヴィーエックは既にそれを決めたのだから、もう後悔することなどないと思っていた。  だが、その球体をヴィーエックの身体に捻りこまれて、彼は想像を絶する苦痛に襲われた。  それは地獄の業火に焼かれているような苦痛だった。  それは全身を串刺しにされているような苦痛だった。 「うっ…………ぐあぁ……!」  ヴィーエックの苦痛に歪む表情を、ただ少年はニヒルな笑みを浮かべて見ていた。  そして、ヴィーエックに襲われた苦痛は――唐突に止まった。 「……成功のようだね。目を覚ませよ」  少年の声に素直に従って、彼は目を覚ます。  どうやら彼は横たわっていたらしい。ゆっくりと起き上がり、あたりを眺める素振りをした。 「……分かるか? 僕がどんな奴か?」 「――『シリーズ』のうちのどなたかということは理解出来ます」  彼は今までとは違い堅苦しい口調で言う。 「そうだ。僕は『シリーズ』のチェシャ猫というよ。ほかのメンバーは追々紹介しておくとして……君は自分が誰だか、言えるか?」 「自分は……『シリーズ』に属する『ハートの女王』と言います」 「そうだ。歓迎するよ、『ハートの女王』」  そう言って、シニカルにチェシャ猫は微笑んだ。  ◇◇◇  その頃、大会会場のアーデルハイトとマーズは、軍のメンバーと併せて会議をしていた。  会議の内容はティパモール殲滅についてのことだった。  もはやティパモールは、ヴァリエイブルにとって害悪な存在だった。その存在を殲滅することで、国内のテロリストを一網打尽にすることが狙いだ。 「一先ず、ティパモール中心に空爆を落とすことで、それを作戦の開始と見なす。それからは各自作戦へ突入する。一人たりとも生かしてはならない! いいか、一人たりとも、だ!」  指揮官を務めるグレッグ・パーキンソンはそう言って激昂した。 「なんだ、あの作戦は……。まるでティパモールの人間はヒトじゃないとでも言いたいのかあいつは」 「あれでも一応上司ですから、それが聞かれたら即斬首刑ですよ、マーズさん」  マーズとアーデルハイトはそんなことを誰にも聞こえない程度の小さな声でひそひそと会話をしていた。  だとしても、彼女たちは彼の命令が気に入らなかった。  確かに、ティパモールは治安がべらぼうに悪い場所としては世界的にも有名である。だから、ヴァリエイブルも忘れたい、もしくは切り捨てたい場所であるのは理解できる。  しかし、だからといってそこに住む人間凡てを殺すというのは間違いではないだろうか? とマーズは考えていた。  しかし、マーズには断ることが出来なかった。  彼女たち――起動従士は、別名こうも呼ばれている。  ――人間兵器  決して、彼女たちが直接攻撃できる存在でもなく、普通の人間だと同じというのに、彼女たちは『兵器』として扱われる。  それが、彼女たちにとってどれだけ苦痛なことか、計り知れない。 「……それじゃ、解散!」  その言葉を聞いて、マーズは考えをやめる。そして、立ち上がりアーデルハイトとともに命令された通りの場所へと向かった。  そこは一昨日アーデルハイトたちがリリーファーを見るために来た倉庫だった。 「ここにどうして……?」 「ここに、リリーファーを保管しておいたのよ。地上に『アレス』を置くわけにもいかないしね」 「私のリリーファーもあるんですか」 「勿論。ペイパスからきちんと許可も貰ったわ。にしても、ペイパスのリリーファーはやっぱりヴァリエイブルとは違うのねー。……名前は『アルテミス』だったかしら」  マーズの言葉にアーデルハイトは頷く。  アーデルハイトは、目の前にあるリリーファーと漸く対面を果たした。  全てが黒で塗られた躯体に、一本白のラインが走るリリーファー。  名前を、アルテミスという。 「……久しぶりね、これに乗るのも」  そう言って、アーデルハイトはアルテミスの躯体に触れる。 「いつ頃から乗っていないのだっけ?」 「四月に訓練学校に入ってから……となるから二ヶ月くらいですかね。平和な日々を送らせてもらいましたよ。元々、そんな平和な人生を送れるだなんてこれっぽっちも思っちゃいなかったんですけれどね」  アーデルハイトの自嘲じみた発言に、マーズは鼻で笑う。  マーズもアーデルハイトも、それを望んだ時から自分の人生が苦難の連続になることなど、承知の上でこの世界に入った。  そんなものが障害になるなど、今更思うわけもない。例えば、幼少期から戦争の苦痛を知らない人間ならば、そんな職を選ぶこともないし、選んだとしても夢と希望に満ちあふれたものとなっていることだろう。  だがしかし、そんなものはこの世界において、ただくだらないものとなっていた。  正直なところ、起動従士に夢も希望もあったものではない。  だが、起動従士としてはそういうことで諦めてはいけなかった。諦めてしまえば、国民の凡てが苦しむこととなる。即ち、起動従士の命は、国民の最後の希望ということでもあるのだった。 「……さてと、私たちはやることをやらなくちゃね」 「そうですね」  そう言って、それぞれリリーファーに乗り込んだ。  ◇◇◇  その頃、崇人。 「……お前がタカト・オーノか。変わった名前をしているが、変わった顔立ちでもあるな」  崇人の目の前に、音もなく現れたのは精悍な顔立ちをした男だった。黒い髪は真ん中で分けられており、整った髪型に仕上がっていた。服装はほかのメンバーと同じだったが、どことなくそのメンバーとは違うというのが感じられた。 「……お前は、なにものだ」 「私は、この『赤い翼』のリーダーでね、名前は事情で言えないが、リーダーと呼んでくれ」 「リーダー、急にどうしたんで?」  ずっと崇人の監視をしていた男が、小さくお辞儀をして、畏まった口調で訊ねた。 「ちょっと予定が狂ってな。……少し聞きたいことがあるんだよ、タカト・オーノ」  そう言って、リーダーは崇人に訊ねた。 「お前……この世界以外の別世界の存在を、信じるか?」 「……何を言っているんだ?」 「質問に答えろ。信じるか、信じていないか。答えは二択だ。サルでもできる問題だろう?」  リーダーはシニカルに微笑む。  崇人は小さく、首を横に振った。 「……つまり、それは『否定』。別世界など信じていない、という答えでいいね?」  崇人は答えない。リーダーはそれを見て、そんなことなど関係ないとでも言いたげな顔をして話を続ける。 「我々は、いや、特に私は、この世界で居ても意味はないという結論にたどり着いてね。我々が長年住んでいた土地を離れることは充分辛いことだが……しかし、殆どこの世界に近い世界があれば、特に問題もないのではないか。そうも思うようになってね。探していたのだよ。『別世界』というものを」 「……それで? 実際に見つかったのか。その、『別世界』ってやつは」 「話を急かすんじゃない。……まあ、結論から言えば見つかった。しかも、そこは魔法もない、リリーファーもいない、まったく別の概念がある世界だった」  崇人はただ頷く。 「そこで我々はどうするか……ここでひとつの結論を考えついた」  そう言って、リーダーは人差し指を立てると、その先から小さい火がついた。 「このように魔法というのは、五大元素のおかげで成立する。即ち、それさえあれば魔法が行使出来るわけだ。そして、その世界には魔法が存在しない。イコール、魔法を使える人間がいない……これが意味していること、解るね?」 「……その別世界とやらに魔法で戦争をぶつけるってわけか」  崇人の言葉に、リーダーは大きく頷いた。その顔は笑っていた。 「そんなことが……実際に出来るとでも思っているのか!? 別世界への干渉だなんて……ふざけている」  崇人はそれを自分で言って、非常にくだらないことだと思っていた。しかし、だからといってここで正直に告げると、凡てが水の泡になりかねない。戻るなら、この世界と元の世界の間に悪い関係は持ち込みたくない。そう思っていたからだ。 「……そうか。残念なことだよ。だがね、一つ気になる情報を、聞いたものでね、それも君に聞いてみたい」  リーダーは崇人に近付き、耳元でこう囁いた。 「――なんでも最近、外世界から来た人間が確認されている。それも、その人間がリリーファーに乗り込んだと聞くよ。……もしかして、その正体というのは……君かな?」  それを聞いて、崇人は固唾を飲んだ。  このリーダーと自らを名乗った人間は、凡てを知っているのだ。つまり、これは凡てテストに過ぎない。素直に従えばよしとしたのだろうが、警戒した場合はどうするのか。無理矢理にでも服従させるのか、否か。 「さぁ……答えてみてよ。ねえ?」  崇人はリーダーの猫なで声に、最早理性を保つことなど出来なかった。  そして、崇人はゆっくりと――頷いた。  対して、リーダーは小さくため息をついて、 「……なんだ。やっぱり知っていたんじゃないか。まったく、君には手を煩わせてしまうね。初めに君を捕まえる時にも、そして今の詰問においても」  リーダーはシニカルに微笑む。 「それは……恐らく元の世界を守るためだろう。安心したまえ、未だ私たちは確実にその方法が見つかったという訳ではない。だが……見つければ直ぐに侵攻を開始する。なにも、奇襲をするという訳ではないがね。奇襲は私の流儀にそぐわない」 「テロ集団がそう言っても変わりゃしないけれど?」 「……生意気な口を言えるのも今のうちだぞ、タカトくん。今君は捕虜となっている。そして……彼らの世界で仲介役を勤めてもらうのだからな……!」  そう言ってリーダーは高らかに笑い、そしてそのまま『消えた』。一瞬の間、目を逸らしていただけにもかかわらず、完全に消えてしまった。 「……お前、このことを知っていたんだな?」  未だ椅子に座り、下手くそな口笛を吹く男に言った。 「ああ、知っていたよ。けれど、それは言うなとリーダーに口止めされていたからね……。俺は、君に悪いことはしないと言った以前にこの『赤い翼』の一員だから、規律には従わなくてはいけない」 「規律、ねえ……。ともかく、俺は至極イライラしているのは確かだ。どうして、そんなことをする?」 「それは先程も言ったが、俺は組織に身を置いているのでね。そんなことは無理なんだよ」  崇人は長いため息をついた。  一先ず、このことをどうアーデルハイトたちに伝えればいいか――そんなことを考えることしか、今の崇人には出来ないのであった。  ◇◇◇  その頃。  ヴァリエイブル軍は本格的にティパモール殲滅作戦を開始した。  先ず、リリーファーが先行して出撃し、ティパモールを一掃する。  その後、重兵器を用いて歩兵軍隊が『ゴミ掃除』をするということであった。 「……思うんだけれど、『赤い翼』を倒すためだけにこれをする必要があるのかしら?」 「正直なところ、ないと思いますけれどね」  アーデルハイトとマーズはリリーファー内にある通信機器でそんな話をしていた。  おそらくは、殆どの人間がこの作戦に違和感を抱いていることだろう。しかし、それに不平不満を言うものはいない。なぜなら、それがそういう国で、そういう時代だからだ。 「……まあ、上の言うことを従えってのは確かにこの国の規律っちゃ規律だが……こいつはちょっとやり過ぎな気がするのだよ」 「ですが、逃げるわけにもいかないでしょう?」 「そうだ。お互いがお互いを監視するために、二人も起動従士を呼んだのだから。きっとそんな汚いことを考えているのだろうよ。上層部とやらは」 「そんなもんですか。ペイパスも似たようなもんですがね」 「お互い、変な上司を持つと苦労するね」 「そうですねえ」  そう言って、通信を終了した。  ◇◇◇  大会会場は騒然となっていた。  何故ならば、ヴァリエイブル訓練学校のメンバーが五人中四人棄権することで、これから行われる試合が事実上の決勝戦となってしまったからである。だからとはいえ、残った人間が気を抜くことなどはない。  残ったのは、ヴァリエイブルのヴィエンス・ゲーニックと西ペイパスのファルネーゼ・ポイスワッドだった。 『それでは……これから、個人戦の決勝戦を開始します! ヴァリエイブルのヴィエンス・ゲーニックと、西ペイパスのファルネーゼ・ポイスワッド、それぞれ入場です!』 「残り物には福がある、とはいうが……まさかこうなるとは思わなかったな」  ヴィエンスはリリーファーの中で独りごちる。おそらくは、ファルネーゼとやらもそういう気持ちで戦うのだろう。初めはヴァリエイブルとの連戦が想定されていたのだろうし、戦う選手も違っていた。 「エスティも、みんなも、いったいどこへ行ったってんだ……? まあいい。俺は一先ず戦えばいいんだ」  そう言って、ヴィエンスはコロシアムへ出た。  そこには全身を白に塗られたリリーファーがあった。おそらくは、それが敵なのだろう。 「さて……戦いますか……!」  そう言って、ヴィエンスの乗り込んだリリーファーが一歩踏み出した、たったそれだけのはずだったのに。  気がつけば、ヴィエンスの乗ったリリーファーが、地面に顔を付けていた。それがどうしてそうなっていたのかは、乗っていた張本人ですら理解できなかった。 「……どういうことだ?!」  彼が叫んでも、それがどうしてかは、まったく解らなかった。  部屋に戻っても、メンバーは誰も居なかった。団体戦は二日後に行われる。もし、二日経ってもメンバーが誰ひとり帰ってこなければヴァリエイブル訓練学校は棄権ということになる。 「どいつもこいつも……何やっているんだ」  苛立つが、実は彼が一番蚊帳の外に居るという事実は――まだ彼は知らない。  ◇◇◇  その頃、『赤い翼』アジト。 「リーダー、ヴァリエイブル軍がリリーファー二機を用いて作戦を開始したらしいです」 「やつらめ。ついに始めたな……。配置につけ!」  その言葉に、男は小さく敬礼をした。  そして、アジト全体にサイレンが鳴り響く。 「……なんだ?」  それは、アジトの一部屋に監禁されている崇人にも聞こえていた。 「これは全体連絡とかをするときに使うサイレンだ。……どうやら、お前の味方が攻撃を開始したらしいな。……逃げるんじゃねえぞ」 「逃げられるとでも思っているのか?」  崇人はシニカルに微笑むと、男は口元を緩め、銃を持ってその部屋を後にした。  しかし、崇人はじっとしろと言われ、素直にそう出来るほどの人間ではなかった。  崇人は隠し持っていたナイフを、ズボンのポケットの裏から取り出した。マーズから護身用に貰っていたナイフを、崇人はずっと大事に持っていたのだった。  そして、ナイフを用いて丁寧に縄を切っていく。縄は切りづらかったが、何もないよりはマシだった。  縄を切ってしまえば、後はこっちのものだった。鍵は不用心で、開いていた。部屋を出ると長い廊下があったが、幸い監視などは居ないようだった。カメラも見当たらない。 「これはチャンスか……?」  崇人はそんなことを独りごちって、廊下を歩いていく。  廊下の壁は白い煉瓦で出来ていて、等間隔に松明に模した照明が設置されていた。 「なんというか、近代的なアジトなこと」  崇人はそんなことを言いながら遂に丁字路まで辿り着いた。丁字路を左に曲がり(勿論、勘である)、更に進む。その間、崇人は注意深く進んでいた。罠が無いとは言いきれないが、ここは敵の総本山である。警戒するのは当然のことだ。  しかし、崇人には気になることが幾つもあった。人が居ないということは、何かの作戦に駆り出されているとして、部屋が一つも存在しないことが、全然解らないのだった。 「……どういうことだ? 部屋の入り口を隠しているとかか、いや、まさかなぁ……」  試しに壁を触ってみる。  すると、  ――唐突に、壁が回転した。 「うわっ!?」  崇人は何が起きたのか、さっぱり理解出来なかった。そして、一瞬遅れて、事態を漸く理解する。  つまり、この壁は『仕掛け扉』だったわけだ。ここの殆どが仕掛け扉なのだろうか、それとも幾つかしか仕掛け扉の部屋は存在しないのか、今の崇人には解らなかった。 「……で、ここは何の部屋だ……へ?」  崇人が拍子抜けした声を出したのは、理由があった。  問題は、そこにいた可憐な少女だった。  少女は銀髪だった。長い髪は背中の方まであった。白いワンピースを着てニコニコと崇人の方を見ていた。  崇人はその奇妙な雰囲気を醸し出す彼女に柔かに微笑み、訊ねた。 「……君は、いったい?」 「………………わかんない」 「わかんない、と来たか」  崇人は一先ず地面に座り、考える。ここならば、見つかることもないだろう――そう思ったからである。  に、しても。 「どうしてここにいるんだ?」 「わかんない」 「敵か、味方か?」 「…………?」 「困ったな」  崇人はそう言って頭を掻く。嘘はついていないようだった。 「だとすれば捕虜か何かか……?」  崇人は独りごちるが、それが少女に聞こえることはなく、少女は首を傾げるだけだった。  少女は小さく呟く。 「……………………しろいおへやー」 「白い部屋?」  崇人が訊ねると、少女は横に首を振る。 「ううん、なんでもないよー」  少女はそのまま言ったので、崇人は考えるのをやめた。  ◇◇◇  その頃。 「エスティ! あんたどうしてここに入っているのよ!?」 「どうも……タカトが攫われていると聞いて怖くなっちゃって……」 「どうもじゃないわよ!? リリーファーはもともと二人乗りを目的として設計されていないからね!? まあ、余裕があるコックピットで良かったことね……!」  アーデルハイトは『アルテミス』のコックピットで慌てていた。  何故ならば、コックピットの中にエスティが潜り込んでいたからであった。 「まったく……、一先ずここで下ろすわけにも行かないし、じっとしておくことね。バレたら私もあんたも仲良く懲罰対象だから」  アーデルハイトの言葉を聞いて、エスティは急いでコックピットの椅子の背もたれに隠れた。 「……ねえ、アーデルハイト」 「なによ」 「これは、いったい何を始めようというの?」 「最悪、戦争かな」  いとも簡単に出た、戦争というワードをエスティは飲み込めずにいた。  アーデルハイトはそれを見て、仕方ないと思っていた。  確かにこの世界はほぼひっきりなしに戦争が起きている。しかし、実際に『戦争に参加する』という意志をそう簡単には決められない。それはたとえ、そのように教育を施していたとしても、死が目前に迫っている時とすれば、後悔をするはずだ。  だからこそ、人は死の恐怖を知っているのだから。 「……戦争は怖くないの?」  エスティはアーデルハイトに訊ねる。 「怖かったらここには居ないし、そもそも戦争は怖いものじゃない。自然に起きる、争いだ。人間がこの世界にいる以上、必ず戦争は起きる。だからこそ、戦争を起こす者がいて、戦争を止める者がいる。戦争で金儲けする者もいるんだ。戦争により経済がまわり、戦争により意見がひとつになる。それは古代から決まっていることで、この今まで変えようともしなかった。……それは、人間の数少ない個性ってものだと思うね」 「そんなもんかなあ……」  エスティは首を傾げた。アーデルハイトはシニカルに微笑む。 「まあ、そんなこと一一考える人もいないな。ともかく、生きるために戦争をする。死にたくないから、銃を持つ。食うか食われるかの世界だ。ならば食ってやろうじゃねえか、ってわけだ。……ヴァリエイブルが当時小国だったペイパスと引き分けた『カンダール戦争』を覚えているか? 確か、二年前にあったはずだ」 「ええ。確か、ヴァリエイブルのカンダール大臣がペイパス軍に殺されたとかどうとかで戦争を仕掛けて……結局ペイパスの軍事力を舐めきっていたヴァリエイブルは戦争を休戦せざるを得なかった……ってものね」 「休戦と言っても、常に戦争を起こしているわけだから、そんな紙切れで決めたものなんて必要かどうかも怪しいがな」  そう言ってアーデルハイトはコックピット前方につけられた箱を開けた。すると中には大量のチューインガムが入っており、二つ出して、片方をエスティに手渡す。 「まあ……話を戻すと、カンダール戦争では、ペイパスが勝利というか、いい形での休戦へと持ち込んだわけだ。つまり、強者が必ず弱者を喰らうわけではない。弱者が強者を喰らう……まさに『窮鼠猫を噛む』状態だってわけ」 「窮鼠猫を噛む?」 「猫は鼠の天敵だろう? それで、いつもは猫にやられているんだけれど、鼠が逆に猫を喰らうこともあるってわけ。特に、絶体絶命のときは、な」  エスティはチューインガムを口に入れ、噛んだ。すぐにストロベリーのフレーバーが口の中に広がる。 「私はなんか噛んでないとやっていけなくてね。集中がすぐ切れちゃうんだよ。んなわけで、いつもこのリリーファー……『アルテミス』にはチューインガムを常備しているってわけよ」 「なるほどね……。確かに集中出来るかもね」 「だろう?」  アーデルハイトがそう呟くと、おおっ、と声を上げた。 「どうしたの?」  エスティが身を乗り上げる。 「着いたぞ。……ここが、ティパモール。作戦を行う場所だ」 「どんな作戦なの? 私、ずっとここに入っていたから解らなくて」 「簡単だよ」  無機質に答えて、アーデルハイトはコントローラーを強く握る。  すると胸部に格納されていた砲口が競り上がってくる。それはものの数秒で完全に出し切った。  そして、 「発射――!!」  その声を合図として、『アルテミス』とその場にいた『アレス』はティパモールの集落目掛けてレーザーガンを撃ち放った。  レーザーガンから放たれたレーザーは、真っ直ぐにティパモールの集落を焼き付けていく。  集落は燃え、爛れ、人々の悲鳴が谺する。人にも容赦なく、レーザーは命中する。  それを見て、エスティは何も言えなかった。ただ呆然としていた。 「……、」 「どうした? ……あぁ、作戦の内容について不満があるのか。仕方ない。今回はティパモールを殲滅することだと、上が言っているのだし、それは間違っていないよ」 「どうして……!?」  そう言って、エスティはアーデルハイトの襟を掴んだ。 「……どうして、だって?」 「解らないよ……。同じ人間でしょう? どうして殺し合ったり、一方的に殺戮したりしなくてはいけないの……?」 「それが人間だからよ。そして、私たちがこれをしなくちゃいけないのは、組織に属しているからよ。組織に属しているからこそ、これをしなくてはならない。どんなに腹持ちならない上司でも、命令を聞かねばならない。どんなに辛い命令でも、聞かなくちゃならない。逆らったとすれば、自分の命がどうなるかも解らない。だからこそ、人間は自分の命が救われるほうへ自然と動き出す。……人間というものは、そういうものなのよ」  アーデルハイトが言っても、エスティは首を絞め続ける。 「……だとしても……、だからといって……罪のない人々を殺すなんて……!」 「殺さなくては、こちらが殺される。それが、生きていく上の術だ。そうしなければ、命令違反でこちらが銃殺刑などにされかねない」 「だったら、私はそれでもいい」  エスティの目はまっすぐアーデルハイトを捉えていた。  アーデルハイトはそれを見て、ため息をついた。 「……やれやれ。その強気。もうちょい別のところで使って欲しいもんだ。『人を殺さない起動従士』。その心意気、少し私も賭けてみることにするかな」  そう言って、アーデルハイトはコントローラーを再び強く握った。  ◇◇◇  崇人と少女は、走っていた。  理由は簡単で、ここから脱出するためである。  少女と手をつなぎ、崇人は走る。崇人は時折、少女の様子を見る。見た目は自分よりも三つ四つ小さく見えるのだ。気にするのは当たり前だ。 「大丈夫か?」  声をかけるが、少女は頷くだけだった。  これからどうすればよいのだろうか――崇人はそれを考えていた。  そもそも、この少女は何者なのか。 「まあ、今は……そんなことを考える暇もない」  独りごちり、さらに先へ進んだ。  先へ進むと、鉄格子のついた扉が見えてきた。外を見ると、赤茶けた空が広がっていた。 「ここから出られるみたいだ」  少女に告げると、少女はニッコリと微笑んだ。  崇人はドアノブを握り、外へ扉を開いた――。  びちゃり。  足元から、水音が聞こえた。そして、それは、直ぐに正体がなにか理解できた。  大地は今、血で赤く染まっていた。白い瓦礫に、赤い肉片に、黄色い脂肪のぶよぶよに、白い眼球に、仄黒い肌に、茶色い大地に、黒い髪。その凡てが赤い血にぐちゃ混ぜにされている。一言で言えば、地獄絵図のような情景だった。  崇人はそれを見て、思わず吐きそうになったが、それを堪えて血の池を歩いていく。少女はあまりの状態にか無表情のまま崇人の手をぎゅっと握っていた。 「……大丈夫だ、俺がついているからな」  そう言って、崇人はぎゅっと手を握り返す。  歩いても、歩いても、血の池が続く。  果たして、これは誰がしたものなのだろうか? 瓦礫からして、ここには元々集落があったのだろうと推測出来る。  だとすれば、誰が――と思ったその時、崇人の目の前に黒いなにかが見えた。  よく見れば、それはリリーファーだった。そして、あちらも崇人に気づいたらしく、外側に向ける拡声器でこう告げた。 『もしかして、タカト!?』 「ああー! そうだー!」 『隣にいる女の子は?』 「解らん! だが、囚われていたみたいだから連れてきた!」 『……わかったわ。とりあえず、』  女性が言うと、リリーファーの左手を崇人の傍に置いた。 『これに乗って』  崇人と少女は言われた通りにリリーファーに乗り込もうとした――ちょうどその時だった。  タン。  非常にその音は軽い音だった。誰かが手を叩いたような、そんな軽い音だった。  しかし異変は、崇人の身体に現れた。  崇人の心臓が、撃ち抜かれていた。 「……え?」  崇人は思わず、それを見る。撃たれた場所は、血が滲んでいて、崇人の服を赤く染めんとしていた。  そして、力をなくした崇人は、地面に膝を落とした。 『タカトっ!!』  黒のリリーファーからも声が聞こえる。心なしか、崇人にはそれが二つの声に聞こえていた。  そして、それを高台から見ていたのは、リーダー率いる『赤い翼』の面々だった。 「……ターゲットに銃弾が命中したもよう」 「よし。そのまま観察を続けるぞ」  リーダーの言葉に、彼らは従う。 「リーダー……どうして、あいつを撃ってしまうんで? あれでは、ますますヴァリエイブルとの立場が悪くなるというか……厄介なことになりそうですが」  崇人を部屋で監視していた男が、ライフルから漏れる煙を息で吹いてから言った。 「よくは知らないが……、なんでもあいつは世界を変える存在になるらしい。つまり、私の誘いを完全に断るということを、前提としていたわけだ。まったく、小賢しいやつだよ……」  リーダーの蟀谷には血管が浮かび上がっていた。自分の行動が手を取るように解っているという誰かに怒っていた。 「まったく……。しかし、どうなるのか見ものだと言ったのは私だ。先ずはどうなるのかを、眺めさせてもらおうじゃないか」  そう言って、リーダーは再び崇人の監視を再開した。  場面は再び崇人へもどる。  崇人は血を流し、うつ伏せに倒れていた。リリーファーから降りてきたのは、アーデルハイトとエスティだった。アーデルハイトは持っていた衛星電話をどこかに繋いだ。 「もしもし。……ああ、そうだ。けが人がいる。いいから、さっさと来い。わかったな!?」  そう言って、アーデルハイトは強引に電話を切る。 「……一先ず、もうすぐ救助が来るはずだ……。タカト、しっかりしろ……! お前はまだここで死ぬようなやつではないだろう!?」  アーデルハイトは崇人の身体を揺さぶるが、もはや崇人の反応は薄かった。いつ反応をしなくなり、意識が無くなってもおかしくな状態にあった。 「なあ、タカト……。おい、目を覚ませよ……!」  揺さぶっても、崇人が起きることは、なかった。  ◇◇◇ (……なんだ……死んでしまったのか……)  死、というものはあまりにも呆気ないものだったと崇人は独りごちる。  思えば、異世界という場所に飛ばされたのは、余命をここで生きることが解っていたカミサマとやらの悪戯だったのかもしれなかった。 「だとすれば、カミとやらは相当残酷な存在なんだな……」  シニカルに微笑むが、崇人は今度はこの空間について考え始めた。  この空間は、凡てが『闇』の空間だった。  闇で覆われている闇の空間は、一色で表せば黒であり、それを形容すべきものもまた闇だった。闇は闇であり、また、闇だった。  つまるところ、ここが上か下か右か左かだなんて理解も出来ないし、同様にして北か南か西か東かだなんてこともまた、理解できなかった。それほどに区別ができない『闇』だったのだ。  だから、崇人は今浮いているかもどうかの区別すらつかない。ただ、彼は一つだけ理解していたことがあった。  ――彼は、確かに『死んだ』ということである。  死んでしまったということは、生命活動が停止したことである。  それは確かに正しいことなのだが、生命活動が停止したから人間は死んでしまったのかという訳でもない。  生命活動が停止するという意味を、人間は理解しているのかといえば、間違って理解しているのが殆どだろう。  生命活動が停止したということは、心臓が止まったということ。そう考える人が多い。しかしながら、心臓が止まってもわずかの間なら脳も動いている。だから、厳密には『死んでいない』ということになる。  しかしながら、今の崇人においてはそれは成立しない。  彼は確実に『死んだ』ということになるからだ。その事実は変わることはない。  彼がいる空間が凡てが闇の空間だったが、それにもだいぶ慣れてきた。 「……ここはいったいどこだっていうんだ……?」  彼がいる空間は、何の空間なのかは、彼にすら理解できなかった。だから、誰にも理解できない空間であることは自明だった。  ――ここは、死んだあとに行く世界なのか?  彼は考えるが、それを確定させる情報が、あまりにも少なすぎた。  闇の世界は、何処までも広がっていた。崇人は落ちているのか浮いているのか解らなかった。  だからこそ。  彼は、その出口を見つけたかった。はやく、元の世界に戻りたかった。ただ、それだけのために。 「……まだ、死にたくないんだよ……!」  ぴしっ。  その言葉と同時に、空間にヒビが入った。  それは唐突のことで、崇人にもまったく予想が出来ないことだった。  ヒビは更に入っていく。そして、空間が割れた。  割れた後に残っていたのは、割れる前と対極的な白の空間だった。しかし、先程とは圧倒的に違う点が一つだけあった。  それは、床があったことだった。そして、そこに一人の少女が立っていた。その少女こそが、先程崇人が出会った銀髪の少女だったのだ。 「君はどうしてここに居るんだい?」  崇人の言葉に、少女は何も反応することは無かった。  しかし、暫く続いた沈黙を破いたのは、他でもない少女自身だった。 「まだ、死にたくない?」 「……当たり前だ。まだ、生に執着していたい。それが人間というものだろう」 「生への執着……あぁ、確かに人間は死に物狂いで生に執着している。そんなことをしたって、何れは死ぬのに、だ」  少女の言っていることは正しいのだが、しかし、そうだからとはいえ、それには従えなかった。  人間は確かに生に執着している。だが、だからといってそれが悪い点なのかといえば、そうでもなかった。  人間にも他の動物にも一致出来ることとして、寿命があげられる。人間の寿命は、大体八十歳あまりだ。寿命があるから、限りある命だから、人々は生に執着するのだ。 「……ならば、意志を聞こう。タカト・オーノ。生きたいか?」  崇人はその言葉に大きく頷いた。  その刹那、崇人の周りが急に輝いた。はじめ、何があったのか解らなかったが、一先ず崇人はこのままで待つことにした。  少しすると、崇人の身体が軽くなった感じがした。 「……このまま、戻りなさい。もう、あなたはこの空間に居るべき存在ではない。そして、世界を救う存在に――」  そして崇人の意識が――途絶えた。  ◇◇◇  その頃。 「……本当に蘇るんですか?」  高台に居るリーダーと『赤い翼』の男が会話をしていた。 「解らん。だが、白いあいつが言っていたんだ。可能性はあるだろう」  男はため息をつくと、観察を再開した。  崇人の身体はすっかり冷たくなっていた。にもかかわらず、アーデルハイトはずっと彼の身体を揺さぶっていた。  しかし、反応はまったくなかった。 「どうして……どうしてだよ……!?」  アーデルハイトは大粒の涙を零す。エスティもまた同様だった。 「アーデルハイト、あの高台から銃を撃ってきたんだ……! そいつらを倒そう……!」 「……もう逃げているよ。とにかく……崇人を……」  崇人を抱きかかえ、アーデルハイトは涙を流す。    その時だった。  ――ドクン  その時、彼女は確かに崇人の身体が脈打ったのに気がついた。  だからこそ、初めは信じられなかった。 「……………………え?」  アーデルハイトはそれに驚いて、思わず涙が止まってしまった。  そして、  崇人がゆっくりと目を開けた。 「た、タカト…………!」  アーデルハイトはもう一度、強く抱きしめた。  それを高台で見ていたリーダーは、その状況に目を丸くさせた。  確かに、銃弾は心臓を貫いたはずだった。心臓を貫かれては、生きていくことなど出来ないはずだった。  しかし。  崇人は、生きていた。目を開けて、手を動かして、アーデルハイトと手を握っていた。目の前にある状況が、理解できなかった。  そして、リーダーはシニカルに微笑む。 「……ほんとうにあいつは世界を変える人間だということか……」  リーダーはそう言って、踵を返す。 「り、リーダー、どうなさるおつもりで」 「態勢を立て直す! まだあいつらは『大会』の警備を名目で居るはずだからな……。この恨みは……必ず晴らしてやる」  そう言って『赤い翼』は高台から後にした。  変わって、アーデルハイト。 「タカト……大丈夫か?」  崇人が起き上がり、それを心配したアーデルハイトだったが、そんなことを気にしていないようだった。 「俺は……いったいどうしてこうなったんだ?」 「記憶が混濁しているんだな。そうか……。けれども、無事でよかった。タカト」  そう言って、アーデルハイトは崇人の身体を抱き寄せる。崇人は突然のことで、顔を赤らめた。 「お、おい……何してんだよ……」 「だって、心配したんですよ……?」 「そ、そうだけれど……」  そのやりとりを、エスティは呆然と眺めていた。  ただ単純に、悔しかった。  崇人の傍には、自分がついてあげたかったのに。  崇人の事は、自分が一番助けてあげたいと思っていたのに。  エスティはそんなことを考えていた。 「……一先ず、マーズに連絡かしらね……。それで合流して、あなたたちだけでも置いていきましょう。どちらにしろ、作戦は成功だし」 「作戦? ……あの、大量殺戮のことを言っているのか?」 「ティパモールは抵抗勢力のアジトがある場所だから、そういう芽は出来ることなら早めに摘んでおかなくてはいけないのよ」 「だとしても……そんなことをして許されるのか……」  崇人は力が入ってしまったのか、胸を抑える。 「一先ず戻りましょう。話はそれからよ」  アーデルハイトの言葉に、崇人は頷くほかなかった。 「――これで、第二段階もクリア、か」  白い部屋で、ハンプティ・ダンプティが帽子屋に話しかけた。 「そういうことになるね」  テレビを見ていた帽子屋はシニカルに微笑む。 「まあ……我々にとっても、新しいメンバーが入ってきたわけだ。そのあたりは『チェシャ猫』を褒めることとして……使えるのか? もとは人間だぞ?」 「そんなことを言うならば、僕だって近しい存在だ」 「そうなるな」  ハンプティ・ダンプティはそう言って、テレビの画面を見る。  そこには崇人の顔が映し出されていた。 「タカト・オーノ……これから、彼にはたくさんの試練が待ち受けることだろう。だが、それはこの世界のため、この人類のため、ひいては君のためにもなる。……君がどう試練を乗り越えるのか……、楽しみでしょうがないね」  帽子屋はそう言って、テレビの電源を切った。  崇人は一先ずアーデルハイトの指示を受けて、会場へ戻ることとした。その、リリーファーに搭乗した道中のことである。 「……結局、どういうことか、何も言われていないし、脅迫的なこともされていない……。そういうことでいいのね?」  アーデルハイトの言葉に、崇人は頷く。 「だとしたら、少々おかしな話なのよね……。もしかして、『インフィニティ』については何も言われていない?」 「インフィニティは既にあいつらも知っているようだった。なんでも内通者が居るような口ぶりだった」 「……なぜそれを言わない?」 「言おうとしたら、お前がそう言ったんだろ。だから、お前が悪い」 「そのイチャモンやめてくれないかしらー?」  アーデルハイトと崇人は会話が盛り上がっている。それをエスティはずっと見ていた。  まずは崇人が無事で良かったと喜ぶべきだろう。しかし、今アーデルハイトと話している状況が彼女にとって何か面白くないのであった。 「……一先ず、あなたたちを会場で降ろすことにするわ。それから私たちはまた『作戦』を途中で放棄してはいけないから、そのまま参加し直さなくてはいけないから」 「ちょっと待てよ。それじゃ、団体戦はどうするんだ? 団体戦は確か、明後日だった気が……」 「それまでに解決すればいいけれど、解決しなかったら……その時は諦めてもらうほかないね」 「そんなの!!」  会話に割り入ったのは、エスティだった。  エスティがここで割り入ったのは、崇人は知っていた。  エスティは、起動従士になりたかった。それは、エスティの家に言って話を聞いて、大会の時の気合を見て、崇人はそれを感じていた。  だからこそ、エスティの嘆願は、崇人にとっても耳が痛かった。 「エスティ、どうした?」 「もしかして……あなたは、そのためにこのチームに入ったというの!? ほかの人が、どれだけ起動従士になりたいか! 知っているはずでしょう!? リリーファーに乗れるのは、学校に行ってもほんのひと握り! たとえ、勉強し続けていたとしても、振い落されることだって充分可能性がある世界、その中で一番起動従士となる可能性の高い選択肢、それがこの『大会』だった。そして、私はこの大会で、評価をもらい、起動従士になろうとした。にもかかわらず、あなたはそんなことを言う。……ねえ、それって、私たちのことを『捨てて』いるってことだよね? 私たちの将来を捨てたということだよね?」 「……まあ、そういうことだね。捨てたということになる。けれど、それは国のためだ。私は別に間違ったことをしたなんて思っていないよ。間違った……というか、理解に苦しむのは私のほうだ。だとすれば君はどうしてここにいる? 別に個人戦には参加出来るのだから、参加してくればいい話だ。勝てるか勝てないかは別にしろ、パフォーマンスを国王にアピールすることだってできたはずだ。だが、それを捨ててまでここに来た。それはもう……自業自得としか思えないがね」  エスティはそれに言い返すことが出来なかった。自分のしたことが間違っている、などと否定されたからではない。自分がここに来た本当の理由を崇人に知られたくなかったから、黙ってしまったのだった。  アーデルハイトはエスティが黙りこくったのを見て、小さくため息をつく。 「……まあ、そんな時間がかからないだろうし、二日もあれば凡てかたがつく。だから、少しは待ってもらえないかね」  その言葉に、崇人はゆっくりと頷いた。エスティはそれに反応することは、しなかった。  ◇◇◇  さて、戻ってみたというものの、先ず崇人たちがすることは謝罪から始まった。 「タカトもエスティも、どこに行っていたんだ!? 俺たち、チームだろうが!! しかも個人戦すっぽかして! やる気があるのか、やる気が!」 「すまん……」 「ごめんなさい……」  ヴィエンスは開口一番、そう告げた。蟀谷には青筋が立っており、彼が起こっていることが見て取れる。  ちなみに、ヴィエンスは崇人が攫われていたことは知らないので、彼は『勝手に何処かへ行った』と思い込んでいる。崇人としてはそのあたりを弁解したかったが、アーデルハイト曰く、「部外者に話してはいけない」ということでそれは口を噤むよう命じられていた。 「……まあ、団体戦は明後日だから、それまでに間に合えばいいのかもしれない。アーデルハイトとヴィーエック、彼らもどこに行ったのか知らないが、明後日までには来て欲しいものだね」  そう言ってヴィエンスはミーティングルームを後にした。 「……どうしようか」 「……どうしようね」  エスティと崇人は顔を見合って、言う。  箝口令を敷かれているために、ヴィーエックがどうなっているのか言うこともできない。ヴィーエックが捕まっていることを、ヴィエンスは果たして予想できているのかといえば、それは違うだろう。 「だからといって、教えると団体戦のコンディションに影響しかねないからな……」 「となると、やはり黙っている方が賢明ということになるのよね……」  そう言って、二人はため息をつく。  今はそれしか、することが出来なかった。  ◇◇◇  アーデルハイトはマーズと合流して、一先ずのことについて話した。 「……つまり、タカトは見つかったのね。そこは一安心と言えるかな」 「まあ、そうだね。目的がひとつは達成できたということだから」 「となると……やはりもうひとりはどこに消えたのかね……」 「それが解れば、苦労しない」  そりゃそうよねえ、とマーズは手元にある水筒を傾ける。  アーデルハイトは、ひとり考えていた。  このことは解らないことだらけだったからだ。  先ずは、ティパモール殲滅。こちらはやはり何れ何らかの拠点とするならば、完全に焼き払うことによるヴァリエイブルの旨みが解らない。  さらに『インフィニティ』の起動従士が赤い翼に知れ渡っていたこと(アーデルハイトは事前にマーズより知らされていた)。しかも内通者が居るということだ。  そして、最後はヴィーエックは何処へきえたのかということ。  まったくもって見つからない。  なぜ、攫ったのかという理由も、だ。  しかし、一つだけ言えることがあった。先程、崇人に訊ねたことがあった。  それは、『ヴィーエックが攫われた理由』についてだ。崇人は知らないと答えたが、一瞬動揺したような表情を見せた。  タカト・オーノは何か知っている。それも、重要な事実を。  しかし、それは所詮アーデルハイトの戯言に過ぎなかった。まだきちんとした証拠がないためである。  だから、マーズにはまだ言えなかった。 「……そうだ、マーズ。これからの作戦について、少し話したいのだけれど。あなたはどこへ行っていたのかしら」  不意にアーデルハイトは言った。マーズは水筒を仕舞い、中空で指を右にスライドさせる。すると、アーデルハイトの目の前に地図が表示された。その地図には赤い点が幾つか描かれていた。 「その赤い点が描いてある場所に向かったわ。一応言うと、戦果はゼロ。まったく、ここまでしたというのに結果がまったく得られないとなると、逆にやる気は愚か、もう帰りたくなるね」 「……そうですか」  アーデルハイトはそう言うと、地図に幾つか指を置き、それを右にスライドさせる。 「これが、私の行った場所です。そこに、タカトは居ました。それと……」 「それと?」  アーデルハイトが一瞬悩んだのには理由があった。彼女が言おうとしたのは、崇人と一緒にいたあの少女のことだった。  崇人と一緒に出てきた少女だったが、気がつけば居なくなっていた。エスティという第三者(観察者)がいたにもかかわらず、だ。  崇人に訊ねても、「解らない」の一点張りだった。崇人が嘘をついているようにも思えないし、何しろ全員が少女が消えたのを目撃していなかった。  だから、あれは幻覚ではないかとアーデルハイトは考えていた。  だから、そんな馬鹿らしいことは報告すべきではないのではないか、と考えてしまった。  そして、 「――いや、それだけでした」  やはり、自分の思い違いだとアーデルハイトは思って、それを心の奥に仕舞いこんだ。 「アーデルハイト、今後の作戦についてもう一度確認しておこうか」  マーズの言葉で、アーデルハイトは指を右にスライドさせる。今度は、目の前に電子データ化された本が現れた。黒塗りの革の表紙だった。タイトルはなかった。  表紙をスライドさせ、開く。中には今回の作戦について事細かに書かれていた。 「やはり、言葉で言われるより文字で見た方が早いし、理解もしやすいですよね。特にあんな権力を振り翳したような上司とも言えないクズの話なんぞ聞きたくもなかったですよ。耳が腐りますよ、あんなん聞いたら」 「……一応、そのコックピットにはマイクがあることを伝えておくわ」 「私の管轄はペイパスです。だから、ペイパスの管理部に届くので、まったく問題ありません」  アーデルハイトがはっきりとそう言ったので、とりあえずここでその問題について話すのはやめることにした。 「……一先ず、作戦はもう一度あの場所へ向かうこと。ティパモールを完全に殲滅させること。それが目的」 「まあ、そうなんですけど。過程って特に問わない?」 「ええ。結果として、殲滅すれば問題なし」 「そう……だったら、少しやってみたいことがあるの。流石に、ティパモールの市民全員を殺すのは気が引けるとは思わない?」 「世界全体が戦争をしているというこの世の中で? それは甘えじゃないかしら」  マーズの言葉に、アーデルハイトはため息をつく。 「……そろそろ、変革が求められる時期なのではないかしら」 「変革?」 「ええ。武力だけで、人を従える政治が、こう長く続いたのは最早奇跡よ。これからも続くだなんて、そんなことは有り得ない。何れ崩壊するわ」 「崩壊する……ねえ。それで?」 「だから、歩み寄って行かなくてはならない。私はそう思うのよ。今のままでは亀裂が広がるだけ。だから、歩み寄って……例えば、こちらが軍縮していき、いずれは軍を撤廃するほどやっていかねばならない」 「……この戦争の時代で、そんなことができると思うの」 「可能よ」  アーデルハイトは、唖然とするマーズに結論を突きつける。 「ただ、それをやろうとしないだけで、人々は楽な方向へ、楽な方向へと行くだけ。まるでそれは流れる水のように。だが、違う。人間には力がある。その力は、強い」  アーデルハイトの言葉は至極そのとおりであった。  しかし、それを実行するには、やはりいろいろなものが足りなかった。  例えば、人材。  アーデルハイトだけでは、そんなことをやることは当然できない。最高の人材がいても、それを生かす場所がなければ問題外だ。たとえばの話、世界一泳ぐのが早い人間がいても、そこに水がなければ、問題外になる。それと同じことだ。  次に、スポンサー。  スポンサーは通常的に考えて、大事だ。特に、国以外の個人・団体が活動するには、より大きいスポンサーと手を組んだほうがのちのちにいいのである。 「……解った。解ったが、それを実行するにはとてつもない時間、金、人が必要になるぞ。それも、道は険しい。それでも、か?」 「それを覚悟していなかったら、それを話すことはないよ」  アーデルハイトは小さく微笑む。マーズもその通りだ、と口を緩めた。  ◇◇◇  その頃、崇人。  崇人はこれからの予定について考えていた。主に、明後日の『団体戦』について、だ。  団体戦は勿論、全員で戦う。アーデルハイトが大会前に言っていたことによれば、ひとつのステージで戦うことになるということだ。ひとつのステージが窮屈に感じることにもなろうし、体制も大事になる。 「……ふうむ」  崇人はそれについて考えていた。  ポジションはどうするか。  そもそも、ポジションを決めることを考えているのだろうか。  ――あのヴィエンスに考えられるとは、到底思えない。  崇人はそんなことを考えて、シニカルに微笑む。  そんな時だった。崇人の部屋の玄関が、トントンとノックされた。 「開いてるよ」  とだけいい、崇人は再びベッドへ寝転がる。  入ってきたのは、エスティだった。 「エスティか」  崇人は起き上がり、どうしたの? と訊ねる。エスティは呟く。 「眠れなくて」  ああ、と崇人は呟く。既に時刻は八時を回っていて、食事も終了していた。面々は明日の練習等に体力を使いたいので、この時間ではあるが、消灯している人間が殆どだったのだ。  エスティは崇人の隣に座り込んだ。崇人の鼓動が少しだけ跳ね上がったような気もしたが、エスティはそんなことには気付くこともない。 「……何をやっていたの?」  エスティが訊ねると、崇人はベッドに置いてある紙を見せる。 「ポジショニングだよ。やはり、団体戦においてポジショニングは重要だからね。どういう風にするのか、くらいは決めておかないと」 「へえ……こんなにパターンがあるんだ」  エスティは崇人の書いた紙を見て、独りごちる。 「パターンは無限に存在するからね。問題は敵と被らないかなぁ……という感じだよ。敵とかぶったら、そいつはもう最悪だから」  崇人の言葉に、エスティは微笑む。  ポジショニングで重要なのは、如何に相手のチームのポジションを正確に予想するか、そして、如何に自分のチームのポジションを、相手のチームに予想されないようにポジショニングするかである。  前者も後者も勿論重要だし、必要なことだ。そうしなければ、先ず相手に一歩先を取られた形でのスタートとなる。出来ることならば、否、確実にそれは避けたいものであった。 「ところで……眠れない、ってのはやっぱりヴィーエックとかのことかい?」  崇人の言葉に、エスティは頷く。 「そうか……」  崇人はため息をつき、紙束を仕舞い始める。 「僕もそろそろ眠ることにするよ。……ベッド、半分開けておくから、好きに使っていいよ」  恥ずかしい気分を抑えながらも(崇人は今現在、最高にハイな気分だった)、崇人は呟き、紙束を窓際にあるテーブルの上において、ベッドに寝転がった。エスティもそれに倣って横になる。  電気も消え、しばらくすると崇人の寝息が聞こえてきた。裏を返せば、今、この部屋には、それしか聞こえていない。  エスティは正直なところ、怖かった。  崇人がどこか、遠くに行ってしまったのではないかという気持ちでいっぱいだった。  そして、心の片隅では、もしかしたら崇人は自分たちの住む世界の住人ではないのではないかとすら思っていたが、そんなことは有り得ないとその理論を展開するのをやめていた。  ――行かないで。  そう強く思って、エスティは崇人の腰に手を回した。ちょうど後ろから抱きついたような感じだった。エスティは「自分が何をしているのだろう」というひどい恥ずかしさを覚えたが、逆に今しかないとも思っていた。  ――怖かった。  崇人が思っている以上に、エスティ・パロングという人間はちっぽけだった。ちっぽけで、貪欲で、お淑やかで――そして、涙もろかった。  エスティは涙を流す。それは、悲しいからではない。嬉しかったからだ。崇人が自分のことを心配してくれていた、そのことに、彼女は嬉しかったのだ。 「タカト……おやすみ」  そう言って、さらに強く彼を抱き寄せ、エスティは目を閉じた――。  期限まで、残り一日。崇人たちは次の日に向けて練習することにした。練習する場所はコロシアム地下にある練習闘技室だった。室と書いているが、その大きさはコロシアムよりも大きく、室と呼べる場所なのかというのは、些か崇人たちの頭には疑問として浮かび上がっていた。 「……一先ず、今日はここで練習することにしよう。未だどこに行ったか解らない連中も中にはいるが……、しょうがない。居るメンバーだけで練習しよう」 「練習ったって、何をする? 模擬戦か?」 「模擬戦になるな。ただ、三人しか居ないのが難点だが……。まあ、仕方ないだろ」 「お困りのようだね?」  そう背後から声が聞こえたので、彼らは振り返った。そこに居たのは、ベスパに決めた時にいた整備リーダーだった。 「ああ、確か名前は……」 「ルミナスだ。覚えておいてくれよ。……ところで、模擬戦で困っていると聞いたが、いいものがあるんだよ。試しにそいつを使ってみないか?」 「へえ。何と言うんです?」 「ADパイロット型リリーファー、略してADLだ。こいつは使えるぞ? まだまだ実戦……そいつは勿論、戦争という意味で、だ……には使えないけれど、こういう模擬戦とかにはいい」 「ADパイロット……って、人が実際に乗っているのか?」  訊ねる崇人に、エスティが小さく肩を叩く。 「授業で習ったじゃない。ADパイロットってのはArtificial Dummyパイロットで、『人工模造』パイロットという意味だって。ロボットでリリーファーを操作する、そうですよね?」 「ああ、そうだ」  エスティの言葉に、ルミナスは小さく微笑む。 「そのADLは安全面に問題があるとかで使用が中止されていなかったか?」 「いいや。そんなことはない。最早ADLは生まれ変わり……安全面が完全に修正された、最強になったのよ」  そんなことを言っていたが、崇人はまだ胡散臭かった。  技術者が『完璧、安全』等ということは絶対にありえない。  彼らは確かに自分の制作したものには絶対の自信を持っている。だからといって、その製品が完璧であるとは限らない。だから、絶対に完璧などという言葉は容易には出さない。  だが、セールスマンの場合はどうだろうか。相手に商品を売り込むのだ。安全でない可能性があります等と言えば、その商品は売れなくなるだろう。だから、安全でない可能性があったとしても『完璧、安全』等と事実が捻じ曲げられてしまうのだ。  だからこそ、この人が、安全というのが怪しく思えたのだった。 「……安全安全って言いますけど、本当ですか? 作っている人がそう言うと逆に胡散臭いというか……」 「タカト、そういうのって逆に信頼出来るんじゃないの?」 「そうかなあ……」  そういう意識ってものは、どうやら作る立場に立たないと浮かばないようだったし、それを考えれば、エスティがそれを理解できないのも崇人には納得出来た。  だからといって、崇人はここで譲歩するつもりもなかった。 「でも、やはり安全でなくちゃ。エスティ、たとえばの話だけれど、戦闘中に敵に撃たれてリリーファーが行動不能に陥るのと、製作者や整備のミスで突然行動不能に陥るのと、どっちがいい?」  崇人が訊ねると、エスティは首を傾げる。崇人としては、この問題は悩むほどの問題でもないと思っていたのだが、どうもこの世界の人間の倫理観というものは、崇人の居た世界のものとは大きく異なっていた。 「……やっぱり後者の方が実際に起きると憤慨しないか? なんだかイラッと来ないか? 自分は頑張っていたのに、リリーファーのせいで……って」 「いや、それは運じゃないかしら。勿論、怒るは怒るけれど、結局それを選んだ自分が悪い。神に見放された、と思ってしまうかなあ」 「そうか。けれど、作る人には作る人としてのプライドがあるんだよ。実際、完璧だと言っても正直なところたかが知れている。だからこそ、作っている人は『完璧』という言葉をあまり用いないんだ」 「よく解らないけれど、とりあえず疑えってこと?」 「間違っていないけれど……、まあいいか」  崇人とエスティの会話が終了すると、ルミナスは小さくため息をついた。 「……まあ、確かにそのとおりね。はっきりと言えば、このADLは完璧ではない。安全かと言われれば、そうなる可能性の方が高い――としか言い様がないわ」  ルミナスはそう言って、帽子を深くかぶりなおす。 「さて……そこまで聞いて、だ。どうする? ADLを使うか?」 「そう意見を出してくれたんだ。それを受け入れよう」  ヴィエンスの一声で、崇人たちは頷く。 「それじゃ、ADLを三台そちらに派遣しておくから。凡て終わったら、また私を呼ぶか、そのまま放置してくれても構わない。なにせ、ADLには高性能の人工知能が搭載されているからね」  人工知能、ね……と崇人は呟きつつも、それを了承した。  ◇◇◇ 「やあ、『ハートの女王』。先ずは君が誕生したことに……改めて敬意を表するよ」  白い部屋で、帽子屋とチェシャ猫とハンプティ・ダンプティ、そしてハートの女王がひとつのテーブルを中心として円を描いて座っていた。帽子屋はシニカルに微笑み、ハートの女王の方を見る。 「……“女王”とはいうが、俺は男だ。忘れるな」 「怖いな。まあ、お手柔らかに頼むよ」  帽子屋はそう言って、テーブルに置かれている紅茶を一口啜った。 「ところで……メンバーはこれだけなのか?」 「ああ、これだけ……ではないね。正確には、あと三匹居るかな。まあ、追々説明していくよ。一先ず、君には大事な任務を巻かせる必要があるからね」 「帽子屋、早々そのようなことを任せていいのか……?」  訊ねたのはハンプティ・ダンプティだった。今は先ほどと同様、少女の格好をしていた。 「いいんだよ。そういうのをしてもらわないと。というか、『ハートの女王』にしかできない仕事だからね」 「……俺にしか、出来ない?」 「そうだ」  帽子屋は小さく呟き、メモをハートの女王に差し出した。 「……これは?」 「まあ、持っていてくれればいい。特に問題はない。任務というのは……今すぐセレス・コロシアムに戻ってタカト・オーノ……いや、大野崇人のもとへ戻ってもらいたい」  その言葉を聞いて、一同は騒然とした。 「帽子屋。そんなことしていいんですか?」 「チェシャ猫。これは『インフィニティ計画』のために重要なことだ。ああ、そうだ。インフィニティ計画の概要については、そのメモに記してある。読んだら、飲み込んで消すこと。いいね?」  その言葉に、ハートの女王は頷く。 「それじゃ、解散しよう」  そう言って、帽子屋は立ち上がった。  それを見て、ハンプティ・ダンプティが訊ねる。 「帽子屋、何処へ?」 「……『アリス』を見つけたからね」  それだけを言って、帽子屋は姿を消した。遅れて、ハートの女王も姿を消した。  ◇◇◇ 「ADLの手配、完了したわ。あとは自由に指示できるし、自律も出来る。何か解らないことがあったら、リリーファー内の通信機器に私のコードを入れてあるから、そこに繋いでね。オーケイ?」  ルミナスがADL三体を従えてやって来たのはそれから十分後のことだった。ほかのチームも「なんだあれ?」「あれって、ADLじゃないか!」などこちらの状況に気になるらしかった。 「何だか見られているんだが……至極恥ずかしいぞ」 「いいじゃんいいじゃん」 「何がいいんだよエスティは……」  そんなことを言った三人だが、そんなことで気落ちなどせず、寧ろ胸を張ってリリーファーへと乗り込んでいった。彼らが使用するリリーファーはベスパではない。団体戦ではそれぞれが別々のリリーファーを用いねばならないから、そのために新たにチョイスし直した(ただし、各チームのリーダーは個人戦でチーム貸切にした場合において、その機体を使用せねばならないという制約はある)。  リリーファーに乗り込んだ彼らはまずコックピットを確認した。コックピットはベスパとは若干配置が異なっていたが、性能だけは同じだった。それだけが彼らにとっては、唯一の救いとでもいえよう。  リリーファーは三体、対してADLも同様に三体いた。模擬戦を行うには充分だった。 「……よし、それじゃ、ルミナスさん指示願いますか」  ルミナスに崇人はリリーファーの外部メガホンで伝える。ルミナスは腕で丸を作り、首にかけている笛を大きく吹いた。  刹那、彼らとADLは行動を開始した。  崇人側は崇人を先頭にして、左後方にエスティ、右後方にヴィエンスを置いた三角形の態勢をとった。対して、ADLは横一直線に並び、それぞれ同様に動き出した。  崇人たちはそれを見て、まず崇人が先行して行動を開始した。真ん中にいるADL目掛けて走り出した――ということだった。それを見て、エスティとヴィエンスも行動を開始する。エスティは左、ヴィエンスは右にいるADL目掛けて走り出す。ADLは崇人たちと同様の行動を取るわけではなく、彼らを待ち構えるように態勢を整えた。  崇人は真ん中のADLの右腕を両腕で縛り上げ、そのまま背中に載せる――所謂背負い投げの態勢をとった。ADLは逆らっていたが、そんなことは崇人が知ることもなく、そのままADLの躯体を地面に叩きつけた。 「……まずは、一体!」  崇人が独りごちっていた向こうでは、エスティとヴィエンスもそれぞれADLと組合っていた。ADLとエスティは啀み合っていたが、それでもエスティの乗るリリーファーの方が地力は強かった。エスティはADLを押し倒し、乗り上げた。  それを見てヴィエンスは、舌打ちをして、ADLを練習闘技室の壁に叩きつけた。 「そこまで!」  その言葉とともに、ルミナスは笛を吹く。それを聞いて、崇人たちは模擬戦が終了したことを漸く理解した。 「……一先ず、模擬戦が終わったね。いやあ、さすがはヴァリエイブルだ。強いね!」  ルミナスが褒め称えると、ヴィエンスは苦い表情を見せた。 「いいや、あれは団体戦じゃない。個人戦だ。……考えてもみれば解る。結局、倒したのは個々人であって、団体で倒せたわけじゃない。もう少し作戦を吟味しなくてはならない」 「真面目だねえ。もうちょっと息を抜いてもいいんじゃないかなぁ」  ルミナスが微笑むが、ヴィエンスの苦い表情は変わらなかった。 「まあ……まだまだ疑問な点はあるっちゃあるな。改善点も充分に存在するし。一先ず、またミーティングルームで会議することにしよう」  崇人の言葉に、二人は小さく頷いた。  ミーティングルームに向かうと、先ずヴィエンスから言葉が飛んできた。 「あれは模擬戦とは言えない」 「……それはまた随分と強気に出たな。どうしてか、聞かせてもらおうか」 「あれは、『団体戦の』模擬戦ではないということではなくて?」  エスティが『団体戦の』の部分を強めて言った。崇人も恐らくはヴィエンスはそう言いたかったのだろうと考えていたのだが、 「いいや、違う。あれは模擬戦じゃない。ただのお遊戯だ」 「……お遊戯、ねえ」 「だって、考えても見ろ? 俺たちは作戦を考えてはいない。だから、ああバラバラになってしまった。最初のフォーメーションがバラバラじゃなかっただけマシだ。いや、寧ろ作戦も考えずにあそこまでやったのが奇跡と思えるくらいだ」 「ああ。それは確かにそうだ。だが、作戦だけを考えても無駄だぞ。作戦をきちんと理解した上で何度もリハーサル……いや、模擬戦と言った方がいいかな。それをやった上でないと、ダメじゃないか?」 「そうだが、時間もない。なんできちんと考えなかったのか……」 「色々あったからな」  そう言って崇人は今までのことを思い返す。  思えば、彼らが集まったミーティングにおいて、作戦というものを考えていなかった。なぜかといえば、全員が集まることなど数少なかったからである。アーデルハイトはちょくちょく軍関連の仕事があるから(正直にそうも言えないので、実際には『用事があるから』と言っていた)で半分近くのミーティングは休んでいる。ヴィーエックもそこそこ休んでいたし、なんだかんだでミーティングの皆勤賞は崇人、エスティ、ヴィエンスの三人しか居なかった。だから、作戦を決めようにも決められなかったのだった。 「……だから、しょうがないといえばしょうがない。休むと言った奴らを何とか止めるとか、時間をずらすとかそういうことを一切しなかったのだからな」  そう弁解したのはヴィエンスだった。ヴィエンスとしても悔しい思いがあったのだろう。ヴィエンスは未だに崇人をリリーファーに乗っていた人間だと思い込んでいて(正解ではあるのだが)、崇人と同じ立場にいち早く立ちたいと思う気持ちが強かったのだろう。  彼にも何か、事情があるらしかったが、今の崇人には聞くことも出来なかった。 「……一先ず、作戦を練ることにしよう。そうでないと、明日の団体戦、本当にグチャグチャに終わってしまうぞ」 「全員が戻ってくれば、の話だがな」  ヴィエンスは崇人の言葉にシニカルに微笑む。  ミーティングルームでの討論は一時間にも及んだが、結局具体的な作戦案はまとまることはなかった。 「仕方ない。……一先ずこういうことにしよう。全員、三角形のフォーメーションをとって、各自倒していく。倒せなかった場合は、既に倒した人間が手伝う……シンプルだが、これが一番手っ取り早い。これでどうだ?」  結局、崇人が出した譲歩案が可決され、彼らは解散することとなった。  解散して、崇人は自分の部屋へ戻った。  自分の部屋に戻り、テレビを着け、冷蔵庫から紙パックのオレンジジュースを取り出し一口すする。テレビは昨日行われた大会の決勝戦を放送していた。ヴィエンスと西ペイパスのファルネーゼとの決戦の行方は、崇人が見てもどうして決着が着いたのか解らなかった。  解説も実況も、恐らく観客も、ファルネーゼが何をしたのかさっぱり解らなかった。  映像を見終えて、キャスターは言う。 「いやー、西ペイパスのファルネーゼ選手。怒涛の攻撃でした。まさに目にも止まらぬ早業でしたね」 「そうですねえ」  隣にいた老齢の評論家は応える。  評論家は咳払いをしたあと、「失礼」と短く告げ、話を続ける。 「恐らく、リリーファーの性能によるものではないでしょう。彼女は恐ろしい程の動体視力を持っていて、ヴィエンス選手の猛攻に対処したのだと思われます。その冷静さ、他の選手も見習うべきかもしれませんね。人は時に、冷静を欠いてとんでもない失敗をしてしまうことだって、あり得るのですから」  崇人はそう鼻を鳴らして言う評論家を横目に、ゴミ箱に飲み終わった紙くずを放り捨てる。  無機質な電子音が鳴ったのは、ちょうどその時だった。音の発生源は、崇人がズボンの右ポケットに仕舞っているスマートフォンからだった。 「……誰だ、いったい?」  崇人が画面を見ると、メールを受信したようだった。メールを見ると、相手はアーデルハイトだった。  アーデルハイトの部屋にたどり着き、崇人はドアをノックする。直ぐに、アーデルハイトから返事が来て、中へ入る。中に入ると、アーデルハイトが微笑みながら、テーブルに向かった席に座るよう促した。 「アーデルハイト、あのメールについてどういうことなのか、話してもらおうか」  崇人は息が上がっていたのか、肩を上下させていた。恐らくは、走ってきたのだろう。そんな崇人を見て、小さく鼻で笑った。 「だから、メールの文面の通りよ。ヴィーエックが見つかった。それも、先程私達が作戦を実行していたティパモールでね。一先ず、タカトにだけは報告しておいた方がいいかな、と。まぁ、先ずは座りなさいな」  アーデルハイトが再び座るよう促したので、崇人はそれに従う。崇人はアーデルハイトに面するかたちで椅子に腰掛けた。 「……それで、どうして先ずは俺なんだ? 全員に一斉で……メールすればいい話じゃないか」 「あなたは忘れているのかもしれないけれど、私達が実施している作戦は秘密裏に行っているものだから、そう簡単に外部には話せないのよ。そして、その作戦の実施中にヴィーエックが見つかった……とは言えないわけ。彼には一応、急病で入院を余儀なくされていたという適当な言い訳で乗り過ごしてもらうことにする」 「ヴィエンスが許すとは思えないがな……。まぁ、とにかく見つかって良かった」  崇人はそう言って安堵の溜め息を漏らした。  アーデルハイトは少しだけ声のトーンを下げて、話を続けた。 「ここからはオフレコね。……実は、ヴィーエックが『シリーズ』と思われる何かと接触したと言うのよ」 「……なんだって?」  それを聞いて、崇人は眉をひそめた。もしそれが本当ならば大きな収穫になる、崇人はそう考えていたからだ。 「それで、ヴィーエックは、あいつは、何て言っていたんだ」 「何でもシリーズはある計画を遂行させようとしているだとか、シリーズは人間との共存を望んでいるらしく、まったく危害は与えられなかっただとか言ってたわ。まぁ、確かに彼の身体には傷一つついていなかったから、これは信じていいかもしれないけれど」 「人間との共存? だったら、あの時襲いかかったときはどう説明つけるつもりなんだ……?」 「そう。私もそこが引っかかっているのよ。本当に人間との共存を願うのだというならば、人間と対話の場を設けようという意志があってもおかしくない。しかし、その様子など全くない。にもかかわらず、『共存を望んでいる』と言った」 「……嘘をついている?」 「その可能性が高いね」  アーデルハイトが呟くと、崇人は小さくため息をついた。 「……しかしまあ、君はほんとうによく見ると女性と見間違えるね」 「……………………………………………………は?」  突然こいつは何を言っているんだと崇人は思ったが、アーデルハイトの目つきを見ると、それはまったく冗談ではなく、真剣な目つきだった。  崇人はいやいやな表情でアーデルハイトの方を見て、 「ちょっと待てよ。俺はどう見ても男だろうが」 「いやー、身体が骨張ってもいないし、恐らく十人中十人がそう思うんじゃないかなあ? だって顔もどちらかといえば女性っぽいし?」 「ちくしょう! ここに来て体格に突っ込まれるなんてまったく思いやしなかったぜ!! 確かに同年代のオトコノコと比べればなんだか背が低いなあとは思っていたが!!」  ここで崇人は自らの身体(これは『魔法』をかけられた状態ではあるが)について考える。  崇人の身体は若返る魔法によって十歳に若返っている。それに関しては、崇人は問題ないとしていた。 「……肌も綺麗だしなあ。何か、ケアでもしているのか?」 「いいや、まったく」 「そいつは羨ましい。オンナノコというのは大変でな。肌のケアに数時間を費やすのが普通なんだよ」 「ああ。そうなのか。……だが、残念なんだけど俺は男だからな?」 「解っているよ、それくらい」  アーデルハイトはニヒルな笑みを浮かべる。  崇人はそれを見て、舌打ちをした。 「それで、ヴィーエックはどこにいるんだ? 明日の作戦とかを話しておきたいんだが」 「ああ。ヴィーエックなら、あそこに行ったよ」 「どこへ?」  崇人の問いに、アーデルハイトは呟いた。 「――ヴィエンスの部屋に、だよ」  その頃、ヴィエンスの部屋にはヴィーエックとヴィエンスがいた。 「……にしても、急病とはな。随分とピンポイントなところで来るものだな」 「いやあ、そのへんは自分の健康管理が問題ということで、不甲斐ないことになってしまって」  ヴィーエックは頭を掻いて、小さく微笑んだ。ヴィエンスはテーブルに置いていた缶コーヒーを一口飲んだ。 「んで、俺に何の用だってんだ」 「明日の作戦についても聞きたいんだけれど。僕は少し、気になったことがあってさ。君は……どうしてそこまでリリーファーの起動従士という地位に拘るのかな、ってことがどうしても気になっちゃうんだよね」 「そんなこと、当たり前だ。この世界にいる人間にとって、起動従士の地位に立つということは大きな名誉だ。素晴らしいことだからな」 「……本当に、たったそれだけの理由なのかな?」  ヴィーエックの問いに、ヴィエンスは眉をひそめる。 「何が言いたい」  ヴィエンスは少しムッとしたが、ヴィーエックは変わった調子で話を進める。  その頃、崇人はヴィエンスの部屋の前に来ていた。 「ったく、ヴィーエックも回復したなら一言くらいくれてもいいのに」  そんなことを言いながら、ノックしようとしたが、部屋から声が聞こえてきた。  そして――その声ははっきりと、ヴィーエックのものだとわかった。 「知らなかったよ……ヴィエンス、君が戦争孤児だなんて」  ヴィーエックが放った言葉はヴィエンスだけでなく、ドアの向こうから聞いていた崇人の顔をも強ばらせた。 「なっ……馬鹿な。どうしてそれをお前が知っているんだ……!?」 「人の口に戸は立てられない。これは諺でも有名なことだぜ」 「そういうことじゃない!! どうしてお前がそれを知っているか、それを話せ!!」  ヴィエンスが激昂するも、ヴィーエックは淡々と話す。 「クルガード独立戦争において、母親が幼いあなたをかばった。だから、母親は死に、あなただけが生き残った。つまりは、あなたは戦争孤児となったわけだ。何度でも言ってあげましょう。そして、あなたは戦争を憎むようになったのかは知りませんが……今は戦争の代行役である起動従士になろうとしている。何とも皮肉な話だとは思いませんか?」 「それ以上言うな、殺すぞ」 「どうぞ? ただし、あなたには人を殺せるとは、到底思えませんが」  その言葉に、ヴィエンスは何かの糸が切れたような気がした。  そして、その力をかけたままヴィエンスはヴィーエックを壁に叩きつけた。 「ぐっ……!」 「お前に何がわかる!! 一番大事な人を焼かれ挽かれ熱せられ茹でられ融かされ舐られ解(ばら)され殺された俺の気持ちが!? 解るというのか!!」 「何やってるんだお前ら!」  崇人はもう我慢できずに、中に突入した。  中では二人が啀み合っていた。直ぐに、崇人はヴィエンスをヴィーエックの身体から引き剥がす。 「崇人、何するんだよ!!」 「お前こそ、何をしているんだ。規則にもあっただろ、選手同士のいざこざが発生した場合は、両者ともに欠場とする、って。これが大事になったら、今度こそヴァリエイブルは団体戦棄権ということになるんだぞ」  崇人のその言葉を聞いて、ヴィエンスは舌打ちして、ソファに腰掛ける。  ヴィーエックと崇人は立ち尽くしていたが、ヴィエンスがそれに気付き、座るよう促したので、崇人はベッドに腰掛けたが、それでもヴィーエックは座らなかった。 「ヴィーエック、座らないのか?」 「いや、僕はいいや。また明日」  そう言って手を振って、ヴィーエックは呑気にも笑みを浮かべて部屋を後にした。  扉の閉まる音を聞いて、ヴィエンスが漸く口を開いた。 「……聞こえていたか」 「そりゃ、あれだけ大きな声を出していれば……。聞くつもりはなかったんだが」 「いい。あいつの話を聞いていれば解るだろうが、俺は戦争孤児だ。八年前のクルガード独立戦争でな」 「リリーファーを、憎んでいるのか」  崇人の問いに、ヴィエンスは頷きながら応える。 「ああ。今すぐ破壊してやりたい程にな。リリーファーが無ければ戦争なんてものは生み出されなかったんだ。だから、リリーファーを凡て破壊し尽くすことも、選択肢にはあった」 「だが、しなかった――ということか」  ヴィエンスは頷く。 「それをしても、意味はない。ならば、俺が起動従士になって戦争の根幹を断ち切る。連鎖を断ち切れば、戦争は終わる。そして、二度とはじめることのない世界を作る。それが俺の目的だ」  これは大きな目的だ――崇人はそう思っていた。  しかし崇人は「元の世界へともどる」というヴィエンスの願い以上の目的を持っているのだから、彼の願いを突拍子もないとして笑うことは出来ないのだった。 「しかし、それって矛盾を孕んでいないか? 戦争を終わらせるために、謂わば戦争の代役ともなるリリーファーに乗ることを選んだんだろ」 「それしか作戦が……方法がない。それに、起動従士自らが戦争を撤廃するよう呼びかければ、その発言力は大きいはずだ。リリーファーは様々な企業からのお布施によって出来ているのだからな」  ヴィエンスの言い分は、大方合っていた。  崇人もマーズから聞いただけなので、若干曖昧な部分もあるのだが、リリーファーは国営リリーファーになるまで充分な時間を有しているらしい。リリーファー応用技術研究機構、通称ラトロが研究した新技術がそのままリリーファーに装備され、一年間は民有リリーファーとして戦争の任務に当たる。国有リリーファーの場合は、国有の研究機関において研究がなされ、それによりリリーファーに技術が装備されるのだが、些か技術の性能は前者の方が上である。  そのため、各国は技術をラトロから購入し、それぞれ装備する。そのためか、現在国有リリーファーにおいてその性能はほぼ同格であった。  リリーファーを作るには、当然大量の資金が必要となる。それは国有でも民有でも変わることはない。  やはり大量の資金が必要となるため、スポンサーが付く。国有の場合は付かないが、民有の場合は背中に少しスポンサーのロゴが入っているのだという。一社だけではなく、数十社規模でそのロゴは入っているらしい。  そういうこともあるので、リリーファーを一機製造するのに、たくさんの会社が関わっている。  ヴィエンスはそれを利用し、だから会社が出資したリリーファーに乗る起動従士はそれなりの発言力があるはずだと考えていたのだ。  だが、崇人はそれでは甘いと思っていた。  そんな理屈で、通っていけるほど世界は甘くない。  そんな子供騙しの理屈では、まだ足りない。  崇人は長年日本社会を渡り歩いてきた|企業戦士(サラリーマン)だ。  だから、そんなことが甘いことくらい解っていた。 「……それは、すごいことだな」 「ああ。実現してやるよ。これが実現出来れば……戦争もない、平和な世界の誕生だ。もう誰も悲しまなくていい世界、それが生まれるんだ。俺の手によって……!」  ヴィエンスはそう言って拳を握る。  それを、その決意を根底から覆すような発言を、崇人が言うことは出来なかった。  ◇◇◇  緑の草が生い茂る野原を駆ける。  それはとても、爽快なことだ。  法王庁領、ミッドランド。  かつてここには幾万もの軍勢を従え、幾万もの人々が住む街があった。  しかし今は、見る影もない。  草が生い茂る野原があったとしても、そこにはかつて街が栄えていた形跡だけが残っていて、そこに街などはない。  そんな場所を、ひとりの少女が歩いていた。  彼女は、肌も髪も服も凡て白だった。そして、目はそれに相反するように真っ赤だった。 「……計画は順調のようだね、帽子屋」  呟くと、目の前に立つ帽子屋はそれに頷いた。 「『インフィニティ計画』。初めこそ、ただの戯言にしか過ぎなかったけれど、まさかここまで進行するとはね。帽子屋、君の功績と言っても過言じゃないかな?」 「いやあ、嬉しいね。世界が終わるってのは、ここまでもワクワクさせるものなのかな」  帽子屋の言葉に、少女はため息をつく。 「しかし、君も変わり者だね? わざわざ人間から『シリーズ』に加わったその理由が『世界を破壊したい』だなんて」 「世の中には、その理由が『元の世界に戻りたい』ってヤツもいるぜ」 「新入りの『ハートの女王』か……。そっか。彼も元は人間だったのか。計画に加えるのかいっ?」 「ああ。そのつもりだよ」  帽子屋はシニカルに微笑む。 「楽しみだねえ……。どうなるのか、私たちにも経験したことがないし」 「このように、荒れ果てた大地が一瞬にしてゼロとなるんだ」  帽子屋はそう言って両手を広げる。  それと同じタイミングで、風が吹いた。  それは強い風だった。  まるで、何か新しい時代を予見するような、風だった。 「……これから、どうなるのか、僕にだってそれは解らない。だって、計画はいつ変わってもおかしくないからね」 「えー。だったら、君の予想外の方向にいったりしないの?」  帽子屋は、そんな危険性も勿論考えていた。  だが、考えていないなどと、幼稚な嘘をついた。  その嘘は、すぐ考えてしまえばわかる話だった。 「……だが、そんな事は一切考えていない。たとえ、あったとしてもそれを考慮して計画をもう一度練り直すだけさ」  そう言って、帽子屋はゆっくりと歩き出した。 「そうだねえ。ま、私は傍観するだけかもしれんし。君には頑張ってもらわなくちゃーね」  少女はポンポンと帽子屋の肩を叩いた。 「そうは言うけど、白うさぎ。君は順調なのかい?」  帽子屋の問いに、白うさぎはグーサインをした。  崇人のその一日は、一発の号砲から始まった。  その号砲から少し遅れて、コロシアムから響めきが起こる。 「な、なんだ!?」  崇人は起き上がり、部屋を飛び出る。ほかの人間も同じ態勢をとっていた。 「崇人、大丈夫か!」  声をかけたのはアーデルハイトだった。  崇人はアーデルハイトに問いかける。  アーデルハイトの言い分はこんな感じだった。 「何でも、『赤い翼』が突然コロシアムの中心に現れ、リリーファー装備用のコイルガンを撃ち放ちやがった! おかげで電源も切れちまって今は非常電源を使っている感じだ」  アーデルハイトの言葉からは、こんな状況であっても焦りは感じられなかった。 「それじゃ……どうする? あいつらをどうにかするしかないだろうが……」 『諸君、ごきげんよう』  天井にあるスピーカーから聞き覚えのある声が聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。 「確かこいつは『赤い翼』の……!」  崇人のその発言を聞いたかどうかは解らないが、スピーカーの声は続く。 『私は「赤い翼」のリーダーである。名前ならば、聞いたこともあるだろう。そして我々は今から何をするのか……ここに高らかに宣言しよう』  そして、  その発言は、後に世界の歴史に刻まれることとなった。 『今、ここに「赤い翼」は――ティパモールを独立させることを高らかに宣言する』 「とうとう言いやがった……!」  アーデルハイトはそれを聞いて廊下を駆け出していく。  崇人も同様に、それを追いかけようとした。  しかし、 「おい、タカト! どういうことだ、これは!?」  ヴィエンスに手首を掴まれてしまい、その場に仰け反る。 「ヴィエンス、これにはちょっと事情が……」 「なんだ、言えよ」 「えーと……その……あっ!」  崇人が右手で天井を指差すと、「なんだよ……」と釣られてヴィエンスもそちらを見た。 「隙有りぃ!」 「あっ、タカト! おい!」  崇人はその隙を狙って、アーデルハイトの走った方へと走っていった。  ヴィエンスはそれを一瞬遅れて、捕まえようとしたが、彼の指は空を切った。  崇人は追いかけて、廊下を走っていく。  廊下を見ると、電話をかける人、テレビで様子を確認する人、マネージャーらしき人に問い詰める人などたくさんの人間がいたが、そのどれもに共通して言えることは、皆動揺しているということだろう。  ここに居る人間は、所詮戦争経験豊富な人間から見れば、素人だ。  だから、このような非常事態に対応出来る人間など、この中にはそう居ない。  だが、今回の大会に限ってはすぐそばにマーズ率いるリリーファー『アレス』、アーデルハイトが起動従士の『アルテミス』、さらにヴァリエイブル軍が周辺に居た。にもかかわらず、彼らは今コロシアムの中央にいた。 「どういうことなんだよ……! 軍隊も、二機のリリーファーも居て……!」  崇人が呟くも、その言葉は誰にも届くことはなかった。  今は、急いでこの廊下を駆けて、アーデルハイトに追いつこうとするだけだった。  その頃、アーデルハイトはコロシアムの地下倉庫を抜け、『アルテミス』へと搭乗していた。  アルテミスは何とか『赤い翼』に監視されておらず、それがアーデルハイトにとっては唯一の救いだった。 「一先ず、どうする?」  アーデルハイトはコックピットの通信機に問いかける。通信の相手は他でもないマーズだった。 『一応、軍からのお達しは、「赤い翼を殲滅せよ」ってことだけね。その点に関して、犠牲も厭わないとのことだ』 「犠牲も厭わない!? それが国のお達しだっていうのか! ヴァリエイブルはどこまで腐ったんだ!!」 『私だって必死に抗議したさ……。だが、駄目だった。戦争がいつ起きてもおかしくない状態において、そんな戯言を言っている問題ではない、とのことだ』  マーズが告げた言葉は、非常に冷たい言葉であった。  しかし、その言葉は、非常に真理を突いていた。 「……だからといって、犠牲を伴うような正義など……私は……!」 『軍法会議にかけられるぞ、アーデルハイト』 「マーズ、君はそこまでしても、何も痛まないというのか。悲しまないというのか。だとすればそいつは相当に頭がイカレタ人間だ。いや、もしかしたら、私たちは人間じゃなくて、最早『怪物』と呼べる存在にいるのかもしれないな……」  アーデルハイトの言葉は、あまりにも難解だったためか、マーズには解らなかった。 『難解だな。そして、難儀だな。解らない。君は学生に扮し続けたせいで頭がおかしくなったんじゃないか?』 「はは、それはそれで面白いね。だが、私はまったくもって正常な思考だ」  アーデルハイトとマーズはそうして談話を終了した。  ここで、平和な会話は終了する。  これからは、『仕事』の始まりだ。  崇人は通路を走っている。しかし、まだアーデルハイトに追いつく気配などなかった。 「こんなに長かったか?」  崇人はそれを疑問に思ったのは、疲れてしまったために小休止をとった時のことだった。  さっきと比べれば、人が全く居ない。  そして、異様と思える通路の長さ。  この不気味にも思える空間に、崇人は違和感を感じていた。 「……なんだ、これは」 「流石は気が付くかしら。まあ、凡人にも気がつくレベルにはしてあるっちゃしてあるのだけれど」  今まで壁だと思っていた空間が、真っ二つに割れた。  そして、そこから、一人の人間が姿を現した。  黒い服を着ているのだが、その服は恐ろしい程に肌を隠していなかった。豊満な胸が殆ど露わになっていたし、黒い鍔の広いとんがり帽子(所謂、一般的な『魔女』が被っているような帽子のことだ)を被っていた。背中も恐らく殆ど見えているのだろうが、黒いマントでそれは見ることができない。 「『|スナーク狩り(スナーク・ハント)』のファルゴットという。まあ、どうにでもなって欲しいっちゃなって欲しいんだけど、なんでも『シリーズ』さんがあんたを欲しがっているんだよねえ」 「シリーズ……アリス・シリーズのことか」  崇人が呟くとファルゴットは小さく微笑む。 「自分の価値を知らない人間ってのは、なんとも愚かだと思うよ、私は。世界広しと雖(いえど)も、自分の価値を知る存在ってのは恐ろしい程に少ないのだけれど」 「スナークってのは、なんだ?」 「質問か。答える義理はないし、あんたはここで私に捕まるんだ」  そう言うと。  ファルゴットは小さく呟く。 「――雷の力を、われに与えよ」  刹那。  ファルゴットの目の前に落雷が起き、それによって地面に亀裂が走った。  地面の亀裂は、深かった。崇人は急いで、亀裂を避ける。 「……『魔法』って奴か」 「そう、魔法さ。この世界にある、学問の一つ。そして、道を切り開く手段の一つでもある」  魔法。  それは崇人の居た世界では存在しなかった学問。  それは、この世界では一般的とされている学問。  それは、かつて崇人の居た世界にもあった学問。  そしてそれは、崇人の目の前でいとも簡単に実行されていた。 「……どうした? 魔法を見ておしっこちびっちまったか?!」  ファルゴットは激昂する。  崇人はその場を動けなかった。  怯えていたわけではない。  かといって、何か行動を立てようとしていたわけでもない。  何も考えられなかっただけだった。 「……、」  崇人はその場にただ立ち尽くすしかなかった。 「そうかい。そうかい。……それがあんたの決意って訳か」  ファルゴットは、勝手に話を進める。 「そうすまし顔でいられるのも、何処までか見ものだね」  そう言って、ファルゴットは右手を天に掲げた。  ポケットから取り出したのは、小さな短冊だった。  その短冊には細かな文字が書かれていた。そして、それを幾重にも重ね、右手に持つ。 「――響け!」  たった、その一言だけだった。  それだけだったのに。  炎が、現れた。  それは、炎で象られた龍だった。 「……これは」  崇人は、それを見て呆然とし尽くすしかなかった。  その様子を見て、ファルゴットはしたり顔で呟く。 「さあ、さっさと死んじゃいなよ。……ああ、でもダメなのか。殺しちゃダメって言ってたしなあ……。うーん、悩みどころではあるね」  そう言うと、ぶつぶつとファルゴットは何か考え事を始めた。  崇人にとっては、チャンスだった。  直ぐに思考を再開させる。先ずは、あの炎の龍をどう対処するか、それが問題だった。  相手は魔法のエキスパート――『魔女』といってもいい存在だ。対して、崇人は魔法に関してはドのつくほどの素人。その差は歴然だ。  どうすれば、炎の龍を行動不能に陥らせることが出来るのか。  それが、崇人にとっての難関だった。 「……まあ、いっか。消し炭にしない程度に甚振れば、問題もないっしょ」  ファルゴットはそう軽い口調で呟くと、右手を崇人の居る方向に向けて伸ばした。  それと同時に、龍は行動を開始した。  龍はゆっくりとこちらに歩を進める。対して、崇人はそれをじっと見つめていた。  怖いから、ではない。  その場を、冷静に見極めるためである。 (一先ずは、あの龍の一撃を見なくちゃ話にならない。……待てよ? とすると、俺はまずあの龍の攻撃を最低一回は避けなきゃいけないってことか?)  崇人は簡単に言っているが、常人にそんなことが出来るわけはない。  そう、常人ならば、の話だが。 「そこで突っ立っちゃって。諦めた? もうちょい頑張ってくれると、なんとなく嬉しいんだけどなぁ……!!」  ファルゴットはそんなことを言うと、小さく溜息をついた。  そして。 「龍よ、その者を、焼き殺せ!!」  その言葉は、崇人にとって若干予想外な言葉だった。  なぜなら、先程自分で『シリーズに捕まえるよう命じられた』などと言っていたためだからだ。 「……おい! 二分前のお前の言葉を思い出してみろよ!」 「ぶっちゃけ目的とか任務とか、そんな堅苦しいこと大嫌いなのよねぇ」  正直、そんなことを言われては元も子もない。  そして、龍が崇人を取り囲んだ。 「――待て」  その声を聞いて、崇人とファルゴットは振り返った。  そこに立っていたのは、エスティだった。 「お仲間かい? まあ、別に子供の一人や二人増えたって消し炭になることには変わりないんだけどね」  ファルゴットは呟くと、エスティの方を見たまま微笑んだ。  しかし。  ザグン!! とファルゴットの右手が容赦なく叩き切られた。  それにはじめ、ファルゴットは吹き飛ばされた右手を見るまで、気付かなかった。 「……な?」  それとともに、龍は統率を失い、その場にただ崩れていく。 「人の腕って、簡単に千切れるのね」  エスティはうんざりしたような声で言った。  エスティの話は続く。 「人間は強いとか言ってるけど、だったら肉食動物に簡単に引きちぎられたりはしない。結局、人間の身体は恐ろしい程に弱い。そのために、人間は技術を発達させたり、魔術やら何やらを行使したりした。だがね、それでも基本的な|肉体(フィジカル)の強さは変わらなかった。  人間ってのはそういう弱い生き物だよ。たとえ、あなたの羽織っているそのマントが魔装兵器の一つだとしても、ね」  崇人にはエスティの言っていることが解らなかった。しかし、ファルゴットが舌打ちをして苦い表情を見せていることを鑑みると、どうやら敵方にとってはよくないことだったらしい。 「……魔装兵器だと、何故わかった?」  ファルゴットは既に叩き切られてしまった、右手があった場所を抑えて言う。その場所からは、血は全く垂れていなかった。 「私が、貴方にそれを言う必要があるとでも?」  エスティは髪をかき上げ、笑う。  彼女の言うとおり、ファルゴットが羽織っていたマントは――魔装兵器『アイギス』だった。アイギスは絶対の強度を誇る『盾』だった。  だが、今アイギスを羽織ったファルゴットは、その盾を使っていたにもかかわらず、腕を叩き切られていた。  その事実を、彼女は一瞬飲み込めなかった。  果たして、どういうことか。  どうして、アイギスを持つファルゴットがいとも簡単に攻撃させられて、傷を負ってしまったのか。 「……まさか、あんた、魔法を使えるというのか!? 起動従士に魔法を使える人間など、聞いたこともない!」  ファルゴットは恐れ戦いた口調で、そう言った。 「だって、私は起動従士じゃなくて、それを目指している人間だからね」  それは戯言に過ぎなかった。  だが、ファルゴットは、彼女がファルゴットに加えた攻撃こそが、魔法でしか証明出来ないと思っていた。だから、それは間違っていないと考えていた。 「……もういい、凡て、凡て! 死んでしまえばいいんだ!」  そう言って、ファルゴットは残された左手で、短冊を幾枚か掲げた。 「遅い」  ザグン!! と今度はファルゴットの左手が叩き切られた。 「うがあああああああああああああああ!!!!」  ファルゴットは、血走った目でエスティを見つめる。エスティは涼しげな顔で、睨み返した。 「……これで終わりかしら?」  エスティはそう呟いた。  ファルゴットは倒れ、そのまま動かなくなった。 「弱いわね。……ったく、いったい何が起きているんだか……」 「それはこっちのセリフだ。エスティ、お前魔法使えるのか?」 「魔法? ……ああ、そうね。一応、ね。父親が魔法学者だったから、それで本を読んで齧ったくらいだけど。本格的に学んだ人には劣ると思うけど、それなりの魔法は使えるよ」  先ほどの攻撃が魔法だとすれば、それは『それなり』に入るのだろうか――崇人はそんなことを考えたが、それは野暮なことだった。 「さて」  エスティは伸びをして、呟く。 「急いで、アーデルハイトを追いかけなくちゃ、ね?」 「ああ、そうだな」  崇人はそう言うと、再び走り出した。エスティもそれを見て、追いかけていった。  崇人たちが離れていって、しばらく経ったとき。  ファルゴットの死体がゆっくりと動き出し――立ち上がった。  小さくため息をつくと、左手と右手があった場所から、新たに腕が生成された。 「……まさかあんな『隠し玉』があるだなんて。私も考えられなかったわ……、少し考えなくちゃね」  そう言うと、ファルゴットも崇人たちの走っていった方向へと駆け出していった。  アーデルハイトは『アルテミス』の中でひとり考えていた。  一先ずは、コロシアム内に侵入する手段を考えなければならない。  そして、国は国民に危険が及んでいたとしても、そんなことはどうだっていい。つまりは、『ドンパチやれ』と言っていたということになる。  そのことに、アーデルハイトは憤慨していた。  一人の生命はどんなものよりも重い、と述べた評論家が居る。今、それを考えれば確かにそのとおりであった。  にもかかわらず、国はその人命を軽視していた。ヴァリエイブルだけではない。ペイパスもおそらくはその意見に同調しているのだろう。でなければ、アーデルハイトをヴァリエイブルへ連れて行くことなど有り得ない。  アーデルハイトはその政策に、断じて従おうとは思わなかった。  それを変えようと、彼女は思っていた。  だが、そう簡単には世界はうまく回ってくれなかった。 「……世界ってのは、どんだけ卑屈に回っているんだ。こんなもの……」  彼女は、この世界は果たして必要なのかとすら考えてしまうこともあった。  だが。  彼女は一線を知っていた。この一線を超えてしまえば、自分は人間として生きていくことは出来ないであろうという境界線を、彼女は知っていたのだ。  だからこそ。  彼女はそのときを待っていた。  そして、彼女は起動従士となり、戦場へと駆り出されるようになった。  そして、彼女はヴァリエイブルへ出向き、『最強のリリーファー』を操縦できる少年と出会った。  ――彼を私のもとに置けば、世界を変えることができるかもしれない。  そんな思惑を、彼女が考えていることは、誰も知らない。  ◇◇◇  午前十一時二十七分。  その日の天気は快晴だった。  雲一つない、青空だった。  何かイベントを開催するならば、絶好な日和であるが、セレス・コロシアムにはそのような雰囲気は一切見られていない。  セレス・コロシアムの中心にある闘技場には、円になって、『大会』を見るために早く来ていた観客が集められていた。   そして、その周りには『赤い翼』の面々がそれを監視していた。 「なんか下手な真似してみろ。直ぐさまここに居る全員をこのコイルガンで殺してやる」  リーダーは強かな口調でそう言った。  そして、それを聞いて一瞬観客はざわついたが、直ぐに静かになった。コイルガンの砲口を観客に向けられたからである。 「そうだ、静かにしていろ。それならば、いつかはお前らも普通に解放してやる。静かにしていれば、の話だがな」  そう言って、リーダーはニヒルな笑みをこぼした。  その頃、崇人はエスティとともに廊下を走っていた。 「もしかして、アーデルハイトとかは倉庫に行ってるんじゃなくて」  というエスティの言葉を元に、彼らは地下の倉庫へと向かっていた。 「確か地下の倉庫には、アーデルハイトの乗るリリーファーがあったはずだ。もし『赤い翼』に見つかっていないのならば、彼女はそれに乗り込んでいるはずだ」 「そうね。……彼女が無事に乗れていればいいけれど」  エスティはそんなことを呟きながら、さらに廊下を駆けていった。  ◇◇◇  システム・ウィンドウ、オープン。  キャビネット、『インフィニティ|計画(プロジェクト)』オープン。  キャビネット、アリス・シリーズ、オープン。  キャビネット内部の全ファイルを参照。  ネクスト、ロード。  ロード。  ロード。  反応がありません。時間を少し待ってからもう一度ご利用ください。  システムから切断しています……  システムから切断しています……  システムから切断しました!  それが表示されたスマートフォンの画面を見て、ケイス・アキュラは舌打ちした。 「やはりセキュリティは固いか……」  そう言って、スマートフォンをポケットに仕舞った。 「人間を見張っておけとか言われていたけど……、まさかこんなことになっているだなんてなあ。やっぱり人間と協力なんてしちゃダメなのかな?」  ケイスの背後には、一人の少女が立っていた。  その少女は目は赤で、それ以外の凡てが白かった。まるで、兎のようだった。 「『白ウサギ』……! お前がどうしてここに!!」 「さっすがに『シリーズ』の名前とかは理解しているか。ならば、能力は……どうかなっ!?」  そう言うと、白ウサギは小さく何かを呟いた。  刹那、空間が歪んだ。  そして、その空間は緑で出来た迷路だった。壁は草木で出来ていて、床も草原となっていた。 「……ここは……?」 『私の能力、「|不可思議世界(イマジン・ワールド)」!』  ケイスが呟くと、空から声が聞こえてきた。それは白ウサギの声だった。  白ウサギの話は続く。 『どこから何が飛び出すか、まったくもって解らないよ。あなたはそれでも進むのかな!? ああ、そうだった。この世界を抜け出すには、私が絶対不可欠だから。私を倒すか、私をあなたの仲間にするか、その何れか。まあ、せいぜい頑張ってね』  そう言って、白ウサギの話は終わった。  ケイスは小さくため息をついた。 「少し深く追いすぎたかな……」  ケイスは『シリーズ』に仕えていた、謂わばスパイである。  しかし、それも彼自身の目的があってこそ、であった。  だが、それすらも既にバレていたということは、彼も今理解した。 「凡ては……手のひらに踊らされているに過ぎない、ってことか……」  ケイスはそう呟いて、通路を駆け出した。  ……と、最初こそは勢いづけたものの、ケイスは今迷子になっていた。どうやら彼は迷路がめっぽう苦手だった。  迷路というのは、如何に頭を使うかが攻略法などではない。  既に先人たちが発見している幾つかの攻略法を適用すればいいだけだ。  例えば、右手法は、壁に右手をついて歩けば、いずれは出口へたどり着くというものである。だが、この場合迷路のスタートが迷路の中に存在しているため、この方法は使えない。  トレモーのアルゴリズムというのがある。所謂、シラミ潰しというやつだ。チョークなどで目印をつけ、それによってシラミ潰しにゴールを探すという方法だ。手間はかかるが、この方が確実にゴールへたどり着くことができる。  ケイスは後者の方法を選択し、手に持っていた手頃な大きさの石でガリガリと地面を掘っていった。  地面を掘り、大きくバツ印をつける。これがスタート地点の目印となる。 「……さて、行くか」  そして、今度こそ第一歩を踏み出したのであった。  そして、それを空から見上げる白ウサギはシニカルに微笑んだ。 「なんだかなあ。スタートでもないスタート地点もどきでそんなん描いても迷子になるだけだって。……まあ、本物のスタート地点には何も描いていないし、それだけはいいのかな」  白ウサギはつぶやくと、手に持っていたクッキーの袋から一つ、チョコチップが入ったクッキーを取り出して、それを口に頬張る。 「……まあ、精々足掻くといいよ。この迷路は、『ぜったいに出口は見つからない』んだから」  その言葉は、勿論ケイスには届くことはない。  ◇◇◇ 「白ウサギは人間を倒しに行ったらしいね」  荒野で、帽子屋とハンプティ・ダンプティが会話をしていた。 「そうだね。特に、あの人間は『あいつ』の息子らしいが、どう出るか」 「別に畏怖する対象でもないだろう? 大魔法師ライト・アキュラの息子だなんて、別に才能がそのまま遺伝するわけでもないんだ」 「だが、彼は学校の成績はダントツでトップだ」 「学校という仕組みにちょうどあったスタイルだっただからだろう。それに、人間が決めた基準ってのはどうも胡散臭い。百聞は一見に如かずとも言うじゃないか。そのデータを百回聞くより、実際に見た方がいいんだよ」 「それもそうだな」  ハンプティ・ダンプティはそう言って、荒野にあったそこにあるのが不自然と思える程の四角い石に腰掛ける。 「……まあ、彼女に任せればいいだろ。彼女の世界から抜け出すことは、シリーズにだって難しい。出れないか、彼女の下僕として一生を終えるか、何れかだよ」 「それもそうだ」 「彼がもし僕らの仲間に正式になれば、それはいいチャンスだ。なにせ、そういう資質がある。魔法を使えるという優れた媒体がある。あとはそれを応用させていけば……最強の魔法師が作れるはずだからね」  帽子屋が何を考えているのか、たまにハンプティ・ダンプティですら解らない時があった。  だが、今のところ、彼の行うことは『シリーズ』に利を与えるものだと判断している。だからこそ、彼の意見に賛同し、協力しているのだ。  ケイスは迷路を歩いていた。それは順調なようにも思えた。  迷路は入り組んでいたが、そのスタイルはシンプルそのもので、分岐した場所を見つけたら、そこから踏み入っていく。もし、そこで行き止まりに達してしまったら、何らかの目印をおいて、戻る――その繰り返しであった。 「……うーん。迷子になったつもりはないんだがなあ」  迷子だと自覚しないのが、迷子でない手段の一つだというならば、世の中にごまんといる迷子は一瞬にしてその定義から消え去ることだろう。  ケイスは一先ず自分は迷子ではないと考えて、さらに歩を進める。  茨の壁は触ることができない。触ったら、確実に怪我をしてしまうことだろう。また、あの白ウサギのことだ。もしかしたら、茨は茨でも毒の茨かもしれなかった。 「……この迷路、まさか出口がないとか言わないだろうな……」  ケイスは呟くが、それはただの気休めにしか過ぎなかった。  ケイス・アキュラという人間は、諦めるということを知らない。  選択したことがないのだ。  だから、彼はただ前に進む。進んで、進んで、結果がどうあろうとも、ただ前に進むだけだった。  茨の迷路は、彼に錯覚すら覚えさせた。  同じような風景が続けば、遠近感が取りづらくなるのを想像してもらえば解るだろう。ケイスは今、そんな状態に陥っていた。  それを空から眺める白ウサギは小さく笑っていた。  だが、少しだけつまらなくなってしまったのか、大きな欠伸を一つした。 「……ああ、なんだか眠くなってきちゃったな。どうしよっかなー」  白ウサギは伸びをして、そして立ち上がった。 「そうだ。少し、遊んであげよう」  そう言って、ぴょいっとジャンプした。  眼下に広がる茨の迷路へと、白ウサギは飛び降りていった。  ◇◇◇ 「着い……た……」  崇人たちは漸くリリーファーが保管されている倉庫へと辿りついた。  彼らがリリーファーを選択していた時とは違い、整備士も居ない倉庫はとても静かだった。リリーファーだけが静かに陳列されているその状況は、おもちゃコーナーにあるロボットの玩具を思い起こさせる。  リリーファーを眺めながら、奥の部屋へと向かっていた。 「ここまで来ると、リリーファーという存在が恐ろしく思えるな」  崇人の呟きに、エスティは訊ねる。 「なんで?」 「リリーファーってのは、今こそオートで動くシステムを開発しているってのもあるが、元は操縦者という人間が乗ってこそ成立するもんだろ? つまり、操縦者が居なければただのガラクタってことにはならないか」  エスティはそれを聞いて、首を傾げる。 「そうかな……。よく解らないや」 「まあ、僕も解らない事だ。特に話すことも、なかったから、ただ思い出したことを言っただけだ」  崇人は冗談交じりに微笑み、さらに通路を進む。 「――止まれ」  そこで、崇人たちは冷たい気配を背中に感じた。  振り返らずとも解る。これは――。 「よう、タカト・オーノ……だったか? 覚えていないもんでね、私はどうも記憶力ってもんが衰えていてね。一回会った人間の顔は覚えているが、それと名前をくっつけることは出来ないもんだ。どうにかならないかねぇ」 「僕に言われても困るな。……そして、何の御用かな」 「勝手に逃げ出しておいて、よく言うよ。心は決めていただいたかな。……私たちと共に、元の世界へと戻る手段を探るということを行うか、否かについて」  その言葉を聞いて、エスティは崇人の方を向いた。その表情は、とても驚いたものだった。  それを見て、リーダーは訊ねる。 「どうやら、隠していたのかな? そりゃ、そうだよな。そう簡単に『別の世界から来た人間』だなんて言ったら、変人呼ばわりされるのがいい例だ」 「……タカト、そうだったの?」 「…………黙ってて、ごめん」 「別に謝ることじゃないよ……。けど、本当なんだね」  エスティの言葉に崇人は頷く。  リーダーはシニカルに微笑み、 「伝えていないのは、良くないな。タカトくん。我々は、この世界を捨てる。そして、君が居た世界へと向かうのだ。協力しても、損はないはずだぞ?」 「それって……、タカトが居た世界を滅ぼすと言っているようなものじゃない!!」  答えたのは、エスティだった。  エスティの鬼気迫る表情に、リーダーは肩を竦める。 「やれやれ……淑女がそんな表情をしてはならないよ。確かに、我々はタカトくんの居た世界へと侵攻する。だが、人類の歴史には多々あったはずだ。『弱肉強食』の世界がな。強い者が勝っていく世界、強い者が我が物顔で生きていける世界なんだよ。それは、どの世界だってかわりないはずだ。だから、その法則が適用されるだけに過ぎない。そうだろう? 恐竜が死んだのは、偶然だ。弱肉強食の世界で頂点に立っていた恐竜が死んだことで、様々な生き物が台頭した。そして……哺乳類、ひいては我々人類が今のピラミッドの頂点に立った。そうとは言えないかね?」 「ふざけるな。そんなもので、元々居た人間を滅ぼすようなこと……」 「お前らがしたじゃないか。今、さっき。罪もない人々を火炎放射器で、燃やしたじゃないか。殺したじゃないか。あのときの轟轟と燃え盛る炎の中で、妬み苦しんで死んだ人々を……忘れるんでないよ」 「そんなこと――」 「お前がやっていない、とでも言いたいのか? お前がやっていないんだから、俺は悪くない……お前はそうとでも言いたいのか?」  リーダーの言葉は、至極そのとおりであった。  だが、崇人は未だに自分は悪くないと思い込んでいた。  人間とは、自分が悪いと確実に思っていたとしても、それが自分のせいだとは自覚しないものである。  だからこそ、人はその失敗を誰かに擦りつけたり、見て見ぬふりをするのだ。 「……御託はここまでにしよう。長く時間をかけすぎると、観客が協力して私たちを倒しかねないからな」 「観客たちをどうするつもりなの!?」  訊ねたのはエスティだった。  それに対して、小さく微笑み、リーダーはエスティの両腕を持つ。 「別に取って食おうとは思わないさ。……君たちが静かにコロシアムまで来てくれれば、の話だがね」  その言葉に、二人は小さく頷いた。  そして、それを監視カメラを通してアーデルハイトは眺めていた。 「ちくしょう! タカトとエスティが攫われちまった!」  アーデルハイトは思わずコックピットにある机を叩く。 『落ち着け、アーデルハイト。一先ず、どうするか確認するぞ』 「どうするだと? この期に及んで何を考えているんだ。突入するに決まっているだろう! このままだと、奴ら何をしでかすか解らんぞ」  アーデルハイトの明らかに激昂した様子に、マーズは小さくため息をつく。 『あのな、アーデルハイト。君は焦っている。それで、軍人としての自覚を持っていないんだ。だからこそ、今は落ち着くべきだ。そして、それが今行う最善の手段だよ』  アーデルハイトはその言葉を聞いて、そのとおり一回深呼吸をした。  落ち着くと、違った世界が見えてくるものである。  だから、マーズもアーデルハイトにそう言ったのだ。 『……どうだ、アーデルハイト? 少しは落ち着いてきたんじゃないか?』 「ええ、すまなかったわね」  アーデルハイトは小さく頭を垂れる。 『さあ、それじゃ落ち着いた頭で今度こそ考えましょうか。どのように、コロシアムを取り戻すか、その方法について』  その頃、リーダーは崇人とエスティを連れて、コロシアムへとたどり着いていた。崇人とエスティは縄で縛られていて、身動きがとれない形となっていた。 「……選手を二名、確保した。適当な場所に座らせておけ」  そう言って、リーダーは崇人たちを別の人間に引き渡す。その人間は、銃で脅して、崇人たちを座らせた。 「ここで、おとなしくしていろ」  そう言って、その人間は、再び周りを彷徨き始め、リーダーはゆっくりと遠くにあるテントの方へと向かった。 「やあ」  崇人がどうしようか考えていたその時、後ろから声をかけられた。  振り返るとそこに居たのは、茶がかったショートヘアの少女だった。桜の花びらをそのまま貼り付けたような唇と、見ていると全て吸い込まれそうな眼は、見ている者を圧倒させる。そして、その発せられた声は静かで、重々しいもので、それは誰のことだったのか、崇人は一瞬で思い出した。 「……コルネリア、だったか?」 「そう。にしても、あなたたちも捕まってしまったのね。……まあ、既に私が捕まっているから、何も言えないのだけれど」  コルネリアはそう言って小さく微笑む。  コルネリアには何か秘策でもあるのだろうか、内に何かを秘めた、そんな笑顔だった。 「……まさか、何か考えているのか?」 「だとしたら、どうする?」  コルネリアの言葉を聞いて、何となくではあるが、崇人は確信した。  ――恐らく、彼女の力を借りれば、ここにいる人間を仕留めることが出来るかもしれない。  崇人はそう考えて、小さく頷いて、訊ねた。 「だったら、教えてくれないかな」 「あなたも何か考えがあるようね」  コルネリアは崇人の提案にシニカルに微笑んで、頷いた。  ◇◇◇  その頃、迷路をひた進んでいたケイス。  茨の迷路はとてつもなく、彼が予想していた以上に広いものだった。  彼の迷路攻略法が『とりあえず通路を潰していく』ということなので、時間と労力が、ある意味としては無駄にかかってしまうのだ。 「……まさか、ここまで時間のかかるものだったとはな」  ケイスは呟くと、ひとつ深呼吸をした。  それは、ケイスの付近に誰かがいることを、最初から解っていたようだった。 「――居るんだろ、白ウサギ」  その言葉と同時に、茨の奥から一人の少女が出てきた。  それこそが、白ウサギだった。  白ウサギは口元を緩め、小さく微笑むと、ゆっくりとケイスの方へと歩いてきた。 「……いつ気づいたのかなあ?」 「別にいつという問題じゃないが、気配がした。そして、この茨の迷路に入ることのできる存在は、この世界を作ったお前しか居ないからな」  ケイスの言葉に、白ウサギは舌なめずりする。 「そっか。もうちょっと頑張れば良かったかなあ。いけねっ」  白ウサギはそう言って頭を掻く。  そういう問題ではないのだが、とケイスは言おうとしたが、そういうわけでもないし、今それを言うことでもなかった。 「……まあ、つまらないし、ここで一つ賭けをしようじゃないか。ケイスくん」 「なんで俺の名前を知っているのかは別にいいとして、なんだ」 「ふっふーん。まあ、気を抜いて。簡単なことだよ。……私と戦って、勝ったらここから出したげる。負けたらもう一回、さよならーってやつさ」  白ウサギはシニカルに微笑み、後ろを向いた。  まるで、ついてこいと言っているようだった。  それに素直に従って、ケイスはそのあとをついていった。  しばらく歩くと庭園のような場所に出た。周りが茨に囲まれていることは変わりないが、それに沿うように赤い彼岸花が咲いていた。 「……さて、私があなたをここに連れ込んだ理由、解るかしら?」 「決闘でもするということか。しかし、俺の方が不利じゃないか? なにせおまえは『シリーズ』のひとり。こちとら一般人だぜ」 「何が一般人だ。シリーズと関わりがある時点で、そいつはもう一般人じゃない。その境界を超えてしまった者だよ」  白ウサギはニヒルな笑みを浮かべる。そして、どこからか短剣を取り出した。  その短剣をケイスの方に放り投げると、白ウサギは両手を掲げる。 「……まあ、そう言うと思ったから、私からひとつのハンデを与えよう。君はその短剣を使って構わない。ただし私は武器を一切用いない。これでどうだ?」 「これはお前が用意した短剣だろ。種も仕掛けもないのか」 「ああ、勿論ない。そんなものを用意するとでも?」  白ウサギの言葉を、取り敢えず信じることとした。  ケイスが短剣を拾うと、その短剣は意外にも重かった。  握りの部分は蛇が畝っていた。中心に何か棒状のものがあるようだが、しかし棒状の物がないようにも思えた。それほどに、蛇が握りを構成していたのだ。 「それは切れ味が良くてね。あまりにも良すぎて、空気を切った跡が残るってくらいだよ。それで空気を切ると暫くはその空間が空気がない……だから誰も生きることができない空間へと仕上がるらしい」  白ウサギの言葉は半信半疑だったが、そう言われると試し切りも出来ない。もしそれが本当なのだとすれば、相当の威力を持つ短剣ということになり、これはかなりのハンデになるとケイスは思っていた。 「……どうだ。はじめるか?」  白ウサギの言葉に、ケイスは小さく頷く。  そして――決闘は、思いのほか静かに始まった。  ◇◇◇ 「さあ! 群衆よ、注目しろ!」  コロシアム。リーダーが壇上に上がり、そう高々と声を上げた。  群衆はざわつき、それを見てリーダーはほくそ笑む。 「これから、お前たちに面白いことを見せてやる。……タカト・オーノ、来い」  リーダーがそう言うと、背後に立っていた赤い翼の人間によって崇人は強制的に立たされた。自動的に群衆は崇人の方を見る。  そして、崇人は強引に歩かされ、リーダーのいる壇上へと上がらされた。  リーダーは崇人の顎を持ち、 「≪インフィニティ≫を呼べ」  そう言った。 「……そんなこと、出来るわけが……!!」 「いいから呼べ。お前には出来るはずだ。最強のリリーファー……≪インフィニティ≫の起動従士である、お前ならば」  リーダーは言うも、崇人は動揺していた。  インフィニティは、自律OS『フロネシス』が存在している。だからといって、ここまで来るものなのだろうか? インフィニティは今、ヴァリエイブルの城地下にある倉庫に保管している。そこまでの距離は約六十キロだ。そこまでどうやって伝えられるというのか。それが崇人には解らなかった。 「いいから、やれ」  しかし、それを知ってか知らずか、リーダーは焦る崇人を急かした。  崇人は壇上に立たされ、考える。  果たして、インフィニティは呼び出せるというのか。  だが、呼ばなければ、崇人自身の命が危うい。 「さあ、呼ぶんだ。インフィニティを――世界最強のリリーファーを」  リーダーの言葉に、崇人は頷き、そして心の中で念じた。 (来てくれ――≪インフィニティ≫――!!)  その頃。  ヴァリエイブル帝国の城下にある倉庫。 「にしてもこのリリーファーは本当に動くんですか?」  『00』と書かれたリリーファー倉庫で、二人の清掃員が掃除を行っていた。片方の女性が、もう片方に訊ねる。 「なんでも、最強のリリーファーらしい。だが、動かせるのはわずか一人で、今は学生として居るとか聞いたことがあるぞ。まあ、ただの噂なんだがな」 「まさか。噂と言っても限度がありますよ。信じられる噂を流さないと」 「俺が流したわけじゃねえかんなー。噂が噂を呼んで、どっかからか流れてきて……それの繰り返しってわけだよ」 「なるほど。けれど、それって本当に聞こえませんよね。嘘としか思えませんよ」  そう言うと、男はガッハッハと大声で笑った。  ちょうど――その時だった。  ズン!! と地響きが鳴った。 「なんだこりゃあ!?」  男の清掃員は慌てふためいて、リリーファーの方を見る。  すると、リリーファーが、インフィニティが動き始めていた。  それには、誰も乗っていないはずなのに。 「……あのリリーファー、無人でしたよね!?」 「ああ……! どういうことだよこいつは!!」  インフィニティは、起動従士タカト・オーノに誘われて起動したのだということに、彼らはまだ知らなかった。  そして。  それからわずか数分後の出来事だった。  北方から、耳を劈く轟音が響き渡った。あまりの轟音で、誰もが耳を塞いだ。 「……来たぞ……!」  初めにそれに気がついたのは、リーダーだった。  崇人は空を見上げていたのだが、彼よりも早く気付くことはなかった。 「流石だよ、タカトくん」  リーダーはそう言うと手を叩いた。 「最強のリリーファー、インフィニティをここに呼び出させることが、本当にできたなんて! ……ははっ、本当に! 本当にすごいことだ!!」  リーダーはそう言って両手を広げ、笑う。  狂っていた。そんなことは、誰にだって理解できた。  赤い翼側からは拍手喝采が鳴り響く。それは、俯いた表情を揃って示している人質側と対比していた。  明らかに、赤い翼と呼ばれる人間は狂っていた。  しかし、テロリズムを行う集団は一般人から見れば狂っているように見えるのかもしれないが、彼らから見れば一般人もまた狂っているように見えるのだ。要は、立ち位置の問題で、誰が普通で誰が狂っているのかが解る。 「……狂っている」 「ああ、そうさ。君たちから見れば、私たちは狂っているかもしれないね。けれどね、世界はすでに狂っているんだよ。そして、私たちが正しいことを証明していく。それは、正しいことだ。何も間違っちゃいない」  そう言って、リーダーは崇人の蟀谷に、銃口を添えた。 「さあ――インフィニティに乗れ、タカト・オーノ」 「断る、といえば?」 「想像に難くないだろう?」  リーダーがシニカルっぽく微笑むと、崇人は大きくため息をついた。 「……解った。ただし、条件をひとつ言わせてくれ」 「言ってみろ」 「ここにいる人質を、全員生かして解放すると約束しろ」  崇人の言葉に、人質がざわつき始める。それを聞いて、リーダーは鼻を鳴らした。 「解った。いいだろう。だが……逃げ出すなよ? 何かした瞬間、人質を殺していく」  その言葉に、崇人は小さく頷いた。  インフィニティに乗り込むのは、崇人にとって本当に久しぶりの出来事だ。その『久しぶり』がまさかこのようなタイミングで実現するとは、崇人も予想だにしていなかった。  コックピットに入ると、OS――フロネシスが言った。 『――まったく、よくもまあ、のこのことこのインフィニティに乗ってきましたね。敵の命令にホイホイ従っちゃうわけですか。命も惜しい、訳ですか』 「そりゃ人間だからな。命も惜しい訳だ……じゃなくて、これから逆転すんだよ。逆転満塁サヨナラホームランってやつをこれから打ってやる」 『へえ? どんなやつなんでしょう。ちゃちゃっと見せて頂けませんか?』  なんだかこのOS、急に人間らしくなったな――そんなことを思いながら、崇人は命じる。 「――インフィニティ、発進」  崇人の声は、深く落ち着いたものだった。  ◇◇◇  外では、インフィニティがゆっくりと動き始めたのを見て、リーダーは嘲笑していた。これで自らの野望を果たすことができる――これで自らの夢を叶えることが出来る――そう思うと、リーダーは笑いが止まらなかった。笑いを止める必要などなかった。  自分の欲望が漸く満たされる。それを考えると、リーダーは笑いが止まらない。欲望、欲望、欲望、欲望――! 彼の頭は、それだけで覆い尽くされていた。絶望と、欲望と、希望と、それらが凡てごちゃまぜになっている。  その中でも際立って、欲望という存在が彼の頭を満たしていく。  欲望というものが満たされていくと、脳内からアドレナリンが分泌される。 「ひい……ひい……、ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ、ひひ、ひひひいいいひひひひひいっひっひひひっひっひっひっひひひひいひひひひひっひっひっひっひhっひひいいいいい!!」  リーダーは天に向かい、笑う。それはまるで、壊れたラジオのように、引き伸ばしたものだった。  それを見て、群衆は『変わり者』だと改めて思い知る。しかし、彼はそんなことを元から気にも留めていなかった。 「そうだ…………! 壊せ……! 壊すんだ、凡てを。そうして破壊が破壊を生み、破壊が再生を生み、再生が破壊を生む……! 凡て、凡てがそういう輪廻によって成り立っているぅ……! 凡て、凡て!!」 「リーダー、気を確かに」 「私はいつもこの調子だろう!? ……ああ、インフィニティよ、最強のリリーファーよ! 私に破壊を、混沌を、絶望を、見せてくれ……!」  その言葉は、インフィニティに載っている崇人にも聞こえていた。 「なんだあいつ? とうとう狂っちまったか?」 『アドレナリンの異常分泌により、精神が攪乱している様子です。直ぐには正気を取り戻さないでしょう』 「なるほど」  崇人はそれを聞いて、微笑む。 「――ならば、盛大に事を起こせるな」  インフィニティは会場をゆっくりと闊歩していく。それを、ショットガンを構えて見つめる『赤い翼』の人間たち。  だが、リーダーの作戦は、ある意味賭けでもあった。  インフィニティは最強のリリーファーだ。仲間にすれば、これほどまでにいい事はない。  しかし、敵になれば真逆になる。これ以上までに、必要ない存在はいない。だが、倒すのも一苦労だ。そのことを考えると、起動従士である崇人を早々に殺しておいて、誰にもインフィニティを使えないようにする方が得策なのだ。  しかし、リーダーはあえてそれを選択した。多少のリスクを背負ってでも、それを行うのが――彼の存在意義だからだ。  しかし、それが彼の存在意義だとしても――それは、崇人には何の関係もないのだった。かたや、自らが生まれた地を追われ、異なる世界をも侵略しようと考える男。かたや、元々いた世界から唐突にこの世界へと誘われ、今リリーファーの起動従士になっている男(見てくれは少年の姿ではあるのだが)。彼らの思惑は、似ているようで全く異なるものだ。  その大きな特徴が、『犠牲を行う対象』だ。  リーダーが、『他者犠牲』であるのに対し、崇人は『自己犠牲』。全く違うのだ。リーダーは頑なに『自分の犠牲』を払わないが、崇人は逆に頑なに『他者の犠牲』を払おうとはしない。決して、自らを甘やかすことなどしないのだ。  リーダーの方が信仰心を部下に強制させることはしなくてはならないことだ。リーダーは他者犠牲の精神で動いている。だから、他者の犠牲を払っても、その他者が自分自身に憎まれるようなことのないように精神をコントロールしていく。そうでないと、この理念は成立しないだろう。  彼が持っている組織、『赤い翼』もその一角を為している。実際に彼が設立したのかといえば、厳密にはそうではないが、しかし今現在のこの組織の存在意義を確立させたのは、リーダーと呼ばれている彼である。  対して、崇人は自己犠牲を精神においている、リーダーとは真逆の存在だ。日本においても、部下や同僚の仕事は自分が一手に担い、責任は全て崇人自身が請け負う。それだから、彼は気がつけばたくさんの同僚に慕われ、上司に信頼されるようになったのだ。  リーダーと崇人のこれまでの経験で、徹底的に違うことが、たった一つだけある。  それは、自分のみを使う戦いの際、どのように戦っていくかということだ。  かつてはリーダーも、それを考えることが出来たのだろう。しかし、今はそんなことは皆無である。 「さあ……、逆転をこれから行おうではないか。赤い翼? リーダー? ほかの世界を侵略する? ……くだらない、本当にくだらない。そんなもののために、世界をぐちゃぐちゃにするというのなら……」  グオン、と。  インフィニティにつけられたエンジンが、一つ、また一つと駆動を開始する。その音はまるで鬼が叫んでいるようだった。畏怖を、その聞いた人々に植え付けるような、そんな雄叫びが聞こえてくる。  彼が怒っているのは、インフィニティに備え付けられたサーモグラフィー型起動従士管理装置の起動状況からでも理解できるだろう。 「インフィニティ、隠しコマンド起動」  それは、彼が知らない事だった。  ならば、何故彼はそれを口にしたのか?  それは彼にだって解らない。彼だって、無意識に発言したに過ぎないのだから。  そして。  ゆっくりと、崇人は――そのコマンドを呟く。 「モード・リベレーション」  その発言と同時に、インフィニティのエンジン駆動音がさらに激しいものとなっていった。 『モード・リベレーションの起動に伴い、発生した問題は全て自己責任となります。宜しいですか?』  フロネシスからの言葉に、崇人は小さく頷いた。  そのころ。  リーダーは、インフィニティの異変にいち早く気付いていた。 「なんだ……。何をするつもりだ、タカト・オーノ!!」  しかし、リーダーの言葉は、崇人に届くことはない。  そして、インフィニティがゆっくりと方向を転換し――赤い翼の集団へとゆっくりと闊歩し始める。 「タカト・オーノ、血迷ったか!! こっちには人質が居るんだぞ!? それを見捨てるということを、お前は選択した、そういうことに――」  ――なるんだぞ、とリーダーが自信満々で言おうとしたのだが。  それよりも前に、リーダーの横を閃光が駆け抜けていった。彼がそれに気付いたのは、それよりコンマ数秒遅れてからだった。 「なん……だ?」  リーダーは振り返る。すると、そこには人質を取り囲むように薄い膜が出来ていた。 「なんだ。結局恐ろしい技でも使ってくるのかと思いきや、こんな薄膜で守ろうだなんて、所詮はガキですよね」  赤い翼のメンバーの一人が、銃を構えながら、ゆっくりとその薄膜へと近づいていく。 「止せ、なるべく近付くな。何があるか解らんぞ」 「リーダーも少々臆病ですよ。大丈夫、こんなもの特にふれたくらいで……」  そう言って、彼はその薄膜に手を添えた。  彼の身体に強力な電流が流れたのは、ちょうどそのタイミングだった。あまりに強力過ぎて、その男は黒こげになってしまった。 「電磁バリアか……。これほど強いものならば、仮に銃弾を撃ち込もうとしても、弾道が変わってしまうだろうな……!」  リーダーは呟き、舌打ちする。それをしている間にも、ゆっくりとインフィニティはそちらへと向かってくる。  はっきりといえば、もう――彼らに勝ち目などなかった。  ◇◇◇  その頃、そのバリアの中では、コルネリアとエスティが行動を開始していた。 「皆さん、落ち着いてください! この中に入っていれば安心です!」  エスティとコルネリアは先頭に立ち、そう言った。コルネリアはそういうのを見越していたのかは知らないが、サバイバルナイフで既に腕に縛られたロープを切っていたため、スムーズに全員に括られたロープを切り取ることができた。 「先程の状態を見て、皆さんも解ると思いますが、このバリアは強力な電流が流れています。おそらくは、致死レベルでしょう。……ですから、ここに居れば安心です。少なくとも、外からの攻撃は受けないでしょうし」  エスティの言葉に、前方に座っていた群衆が言う。 「でも……そのあと、我々は本当に出られるのか? 人も入れないならば、助けられることも出来ないんじゃ……」 「そりゃあ、大丈夫ですよ。私たちにはリリーファーが居ます。今あそこで戦っているのだって、リリーファーですもの」 「インフィニティ……あれもリリーファーなのか?」  群衆の問いかけに、エスティは微笑んで小さく頷いた。  ちょうど、その時だった。  大地が揺れ、強引にコロシアムが二分された。  そして、それと同時にリリーファーが飛び出してくる。そのリリーファーは崇人たちに見覚えのあるものだった。 「あれは……、ペスパ!」  それは、ヴァリエイブルの使っていたリリーファーにほかならなかった。  インフィニティ内部にいる崇人ですら、それは予想外のことだった。 「……あれは。一体、誰が乗っているんだ?」  崇人の言葉に、フロネシスは言う。 『……恐らく、あれに乗っているのは、ヴァリエイブルのメンバーの一人でしょう。そして、あの乱暴さからして、性格もそれらしい性格であることが確実です』 「じゃあ、ヴィエンスだな」  崇人は呟くと、再び操縦に専念する。  視点はここでリーダーに変わる。 「……どうするか。正直言って、状況は悪い」 「リーダー、どうなさいますか?」 「そうだな……。このままでは埒が明かない。かといって引けば逃げ場もない」  リーダーはそこで少し考えてみることにした。  誰が見ても、彼らに勝ち目などない。  リリーファー二機が現時点で起動しており、内一機は最高最強のリリーファーである。さらに、遠くにはヴァリエイブル軍が控えている。急いで彼らは行動をしなくてはならないのだが。今はそれをする状況でもなかった。  ならば、何をすればいいか。  彼はそれを考えられる状況にはなかったが、意外と冷静だった。  彼は生きるために、この世界から出ていくために、先ずは『力』を手に入れる。  力を手に入れる――力は、最強のリリーファーの担い手を手に入れれば良いと考えていた。  しかし、そう甘くなかった。  彼は今までの事態を考えて舌打ちする。だが、舌打ちをしてもこの状況が変わることはない。 「ならば――」  リーダーはゆっくりと闊歩するインフィニティを正面に見て、呟く。 「最後まで抗ってやろうじゃないか、タカト・オーノ。……後悔しても、知らないぞ!!」  ベスパ内部では、一人の青年が溜息をついていた。漸く、気持ちが落ち着いたのだろう。 「しかし……」  青年――ヴィエンスが小さく呟く。 「こうも簡単に上手くいくとはな……」  ヴィエンスはそう言うと、強くコントローラーを握った。  エスティと崇人が赤い翼に拿捕されていたその頃。  ヴィエンスは通路を走っていた。  長い長い、通路を走っていた。  向かう先は、勿論誰にだって理解できる。リリーファーの倉庫だ。  リリーファーの倉庫は地下にある。しかし地下へと降りる階段は無数に存在している。その階段ひとつひとつが個別な場所に繋がっていて、そのうち『正解』にたどり着くのはただひとつのみだ。  ひとつの正解にたどり着くのは、場所さえ覚えていればいいのだが、それでもそこまでたどり着くのが大変である。  だから、今現にヴィエンスは苦労しているのだが。 「お困りのようだね」  ヴィエンスはその声を聞いて、振り返る。  そこに居たのは、整備リーダー――ルミナスだった。 「あんたは……」 「事態を話している暇、今はあるのかい? それより、あんたリリーファーは動かせるのか?」 「ああ。動かせるから、今そこへと走っているんだよ」 「だったら、『ベスパ』を待機させている。さっさとあんたも乗れ」  そう言うと、ルミナスは手元に持っているボタンを押す。  すると壁が競り上がり、そこから階段が姿を現した。 「この先に行けば、ベスパへ繋がっている。緊急用の連絡通路だ」 「リリーファーが動かせるのか!?」  ヴィエンスの叫びに、なおもルミナスは冷静に返す。 「私を誰だと思っている? 私はこの大会のリリーファーを整備するリーダーだぞ。そんなことが出来ずにリーダーが務まるわけがないだろう」  それを聞いて、ヴィエンスは大きく息を吐いた。  そして、ヴィエンスは通路を通っていく。 「恩に着る」 「それくらい、当たり前だ」  ルミナスがそう言ったと同時に、ヴィエンスが通った通路の壁が競り下がっていき、元の状態に戻った。  そして、現在。  ヴィエンスはベスパに乗り込み、会場へ足を踏み入れていた。  通信が入ったのは、ちょうどその時だった。 「……タカトからか」  そう言うと、スイッチを押して通信を受け取るパターンへと変更する。直ぐに、相手の音声は聞こえてくる。 『ヴィエンスか』 「じゃなかったらどうする?」 『お前で安心したよ。ひとつお前に言っておきたいことがあってね。要するに作戦会議ってやつだ』 「そいつはどーも」  ヴィエンスはここで、崇人がインフィニティに載っていることを思い出した。 「……やはりお前は≪インフィニティ≫の起動従士だったんだな」 『……済まない。ずっと隠しておくつもりはなかった』 「なぜ隠したんだ?」  どうしてか、ヴィエンスはそれを追求したくなった。  今でなければ、二度と聞けないような気がしたからだ。  対して、崇人は小さくため息をついて、話を続ける。 『隠すつもりはなかった。あの時はまだこの世界に来たばかりでね……』 「なんだと? お前……一体それはどういうことなんだ?」  崇人は口をすべらせた、と目をそらす。そして、それ以上は何も言わなかった。 「……それ以上は言いたくない、ってか。解った。一先ず、作戦ってやつを聞こうじゃないか」 『作戦というほどのものでもないんだがな。ある程度協調性を持とう。ただ、それだけを言おうとしてね』  崇人が持ちかけた作戦とは、ただの協力要請だった。ヴィエンスはもう少し仰々しい作戦でもあるのかと期待したのだが、これでは拍子抜けである。 「……一先ず、協力すればいいんだな? 解った、それで対応しよう。さっさとこの虫けらを倒してしまおうじゃないか」 『そういう過信が油断を招いて、結果として痛いしっぺ返しを喰らうんだが……まあいい。一先ず、それで頼む』  そして、通信は切れた。  変わって、インフィニティ。  崇人が再び、動けとインフィニティに念じる。それをフロネシスが受信し、ゆっくりと動き出す。  まさに鬼神のような、雄々しい姿。  インフィニティの中で、崇人は最早勝利を確信していた。先程彼は、過信は油断を招くといったが、それは彼自身に対するブーメランな発言だった。 「……まあ、あっという間に片付けてしまおうか!!」  そう言って、インフィニティは駆動を再開する。  ◇◇◇  それからは、恐ろしい程早かった。  『赤い翼』リーダーをインフィニティの足で踏み潰し、残る残党どもを一掃した。その姿は、人々にリリーファーの偉大さとともに、危険性をも刻ませた。それを崇人たちが知るのは、まだまだ先のことである。  インフィニティから降り立ち、群衆の方を見る。既に電磁バリアは解除されており、人々は安全をそれぞれ確認している。 「タカト、お疲れ様」  そんな中、ひどく落ち着いた様子でエスティが近付いてきた。 「エスティも大丈夫だった?」 「ええ。それにしても、恐ろしい程あっという間だったわね」 「ああ。気持ち悪いくらいにね」  崇人はそう言って、インフィニティの下敷きとなったリーダーの死体を見る。最早それは人の形を為してはいなかった。 「あそこまで人ってペシャンコになれるのね」 「おっそろしいこと言うな」  冗談半分で崇人は微笑むと、エスティは崇人の方へ向き直る。 「なんだか、変な大会になっちゃったね」 「ああ……そうだな。にしても……なんだか疲れた」  崇人はそう言うと、コロシアムの床へ横になる。  そして、あっという間に鼾をかきはじめた。 「ここで寝ると風邪ひくよー?」  エスティの忠告をよそに、崇人は夢の世界へと旅立っていった。  夢の世界で、崇人は目を覚ました。 「う、うーん……ここは?」  そこは見覚えのある光景だった。とあるオフィスルームに、パソコンが置かれた机。見覚えのある光景――ここは、彼が通っていた会社だった。そして、姿も今は三十五歳の姿そのものだった。  その光景は最早彼には懐かしささえ思い浮かぶものである。  ――帰りたいな。  一瞬、崇人はそんなことを考えてしまった。  ここは、崇人が帰りたかった世界、そのものだ。  その世界で『帰りたい』と思った? それはつまり、大型ロボットを戦争に用いる世界――クローツへの帰還ということだ。  自分は、企業戦士よりも起動従士を望んでいる……?  崇人は、そんなことを夢の中で考えているのだった。  ◇◇◇ 「まー、派手にやったねえ」  マーズ、アーデルハイト率いるヴァリエイブル軍が到着したのはそれから数分たったあとのことだった。彼らは完全に戦闘態勢で来ていたのだが、凡て決着がついていると知ると、落ち込んでしまった。よっぽど戦いたかったのだろう。 「で、立役者は寝ているわけだ」  エスティはマーズの嘲笑混じりの発言を聞いて、思わず笑顔がこぼれる。 「まあいいや。私たちはとりあえずこれの後片付けやっちゃうから、エスティ……だっけ? あなたはその男をどっかベッドにでも運んどいてよ。おーい、誰かこの子に手を貸してあげて!」  そう言うと、軍人が二人ほど現れて――どれも軍人と呼ぶには筋肉が足りないようにも思えるが――エスティと崇人を抱え込んだ。 「えっ!? わ、私まで!? や、やだー!」  そんなことを言いながらコロシアムから退場していくエスティと崇人。それを見てマーズは高らかに笑うだけだった。 「そう笑っていられるのかしら?」  そんなマーズに話しかけたのはアーデルハイトだった。 「どうした、アーデルハイト」 「あなただって解っているはずよ。タカトの危険性を」 「……ああ。最強のリリーファーを唯一操縦出来て、気がつけばたくさんの仲間が出来ている。ヴァリエイブル以外の国から見れば、これ以上の脅威はないな」  マーズが言うと、アーデルハイトは微笑む。 「まあ、当然何か考えているんでしょうけどね。あの、国王のことだから」  そう言うと、アーデルハイトはその場から立ち去っていった。マーズはその言葉の本当の意味に、まだ気づいていなかった。  その頃、ヴァリス城。  ヴァリエイブル帝国第四十七代国王、ラグストリアル・リグレーは玉座でため息をついた。  そして、そのそばにはシルクハットを被り、長い黒のコートを着た黒ずくめの男が立っていた。怪しい格好ではあるが、彼はこの国の大臣――ラフター・エンデバイロンである。ラフターは小さく微笑むと、再び会話を再開させる。  今まで、ラフターが話していたのは戦果だった。正確には、今回の『ティパモール紛争』の報告書を読み上げていたのだった。ちなみに、報告書を書き上げたのは九割がマーズで、残りの一割が崇人である。軍人でもない崇人が報告書を書き上げることとなったのは、セレス・コロシアムでの『赤い翼』殲滅の立役者だから――マーズがそう主張したためである(崇人はマーズに凡てを押し付けて逃げようとしていた)。 「……さて」  その重々しい空気を、なんとか押しのけようとラグストリアルは呟く。 「私の考えをひとつ、語ってもいいだろうか」 「国王の意見を阻害することなど、私には出来ません」  そう言って、ラフターは帽子の鍔を持つ。 「ならば、話そう。実はな……私は、新たな『騎士団』を作ろうと思っている」  その言葉の意味を、嫌でもラフターは知っている。  騎士団の設立。それは、ヴァリス王国――ひいてはヴァリエイブル王国に幾つか存在する騎士団に、新たに肩を並べるものを創りだすということになる。  現在、ヴァリス王国に騎士団が三つ、エイテリオ王国に一つ、そしてエイブル王国にも一つという形だ。そして、ヴァリス王国にもう一つ騎士団が作られるとするならば、ヴァリス王国の一強状態が更に大きくなるのは自明だ。  だが、それをエイテリオとエイブルが逆らえる訳でもない。現にヴァリエイブル帝国の主権国がヴァリス王国である理由は、ヴァリエイブル帝国が成立した当時ヴァリス王国が一番権力が強かったことに由来する。 「……騎士団、ですか。流石に四つ目は、ほかの国が黙っていられないのでは」 「だからとはいえ、もう≪インフィニティ≫を隠すことなどできない。ならば、敢えてここで世界に発表するのだ。我が国は『最強のリリーファー』を所持している。そのための騎士団だ」 「争いは避けられませんよ」 「とうに争いなど起こっている。いつもいつも争いは起こっている。いつもいつもだ。ならば、その展開にカンフルを与えてもいいと思うのだよ」 「それが最強のリリーファーを、世界的に発表することですか……。どうなるかは、私にも解りませんよ」 「そんなことは誰にだって解らんよ。だが、タイミングは今だと思っているよ」  ラグストリアルは、そう言うと手元にあるノートを取り出す。  ノートを開くと、そこには薄い冊子が挟まっていた。そこには、こう書かれていた。  『ハリー騎士団設立についての設定書』と。 「ハリー……ヒイラギですか? どうして、そうなのかはお聞かせ願いますか」 「ヒイラギの葉っぱは刺があるだろう? だから、簡単に触ったら触った人間が傷つくというわけだよ。あと、花言葉には『先見』という意味もあってだな」 「なるほどなるほど……」  ラフターはそう言って微笑む。  ラグストリアルもそれを見て、笑っていた。  しかし、ヒイラギの花言葉にはこんな花言葉がある。  『用心』。  この花言葉を、彼らが知っているかどうかは――今は解らない。  ◇◇◇  ヴァリス城でそんなやり取りがあったことを知る由もなく、崇人たちはヴァリス城へと招かれていた。  理由は単純明快。この度の事を称えて、『起動従士』に正式に就任することとなったからだ。  この国には起動従士もリリーファーも足りない。戦争で作っては消え、作っては消えの繰り返しだからだ。  だから寧ろ起動従士は多いほうがいい。だからこそ、今回四人の人間が一挙に起動従士となったのだ。 「何だか実感沸かないなあ……」 「エスティ、ぎこちなく歩いちゃダメだよ。適度に緊張するくらいがちょうどいいんだ」 「どうでもいいけど、タカト……だっけ? あんた、気楽すぎでしょう。どれほどこういう場を乗り切ってきたのよ」 「……ついに、起動従士になれる……!」  エスティ、崇人、コルネリア、ヴィエンスはそれぞれ、思いで胸がいっぱいだった。  起動従士になるということは、国を守る役目に就くということだ。それがどれほどの役目か、彼らは理解しようとしても理解しきれない。  だが、彼らはそれぞれ高い志を持っていた。  城内にある大広間には、既に国王、マーズ、それに軍隊の人々が待機していた。それを見ると、彼らは改めて襟を正す。  彼らは所定の位置に立つと、国王が椅子から立ち上がる。それを見て、全員が頭を垂れる。  国王は彼らの目の前に立つと、ゆっくりと紙を取り出し、読み上げた。 「それでは、これより彼らを起動従士として任命することとする。  タカト・オーノ。  エスティ・パロング。  コルネリア・バルホント。  ヴィエンス・ゲーニック。  この四名を、起動従士として任命し、リリーファーを与えるものとする」  それを聞いて、彼らはもう一度深々と頭を垂れた。  こうして、彼らは晴れて起動従士となったのだ。 「……さて、彼らに与えるリリーファーだが、既にこの中の一人、リリーファーを得ている者がいる」  それを聞いて、大広間がざわついた。当然だ。国属にならなければそんなものがもらえるわけがないからだ。 「タカト・オーノ。彼は唯一、最強のリリーファー≪インフィニティ≫を操縦できる起動従士だ」  そう言って、国王は崇人の肩をポンと叩く。それを聞いてさらに大広間がざわつく。起動従士の任命式はたくさんのマスメディアも現れるので、彼らは崇人の写真を撮っている。  それを見越していたかのように――国王は微笑む。 「そして、ここに新たな騎士団を作ることを宣言する。その名も、『ハリー騎士団』だ。騎士団長はタカト・オーノ。副団長はマーズ・リッペンバーに頼んでいる」  さらに大広間はざわつく。その発言は彼らも初耳だったため、崇人も呆気にとられてしまった。 「それでは、ここに任命式を終える。……騎士団に入ることとなった四人の起動従士は私に付いてくるように。マーズ起動従士、君もだ」  その言葉を聞いて、彼らは国王の後をゆっくりと歩いて行った。  国王の間につくと、マーズが大きくため息をついた。 「国王。あれほどのこと、どうして先に私に言っておかなかったんですか」 「サプライズがあったほうがいいかなあと」 「度を越してます!! 今日の夕刊には、いや、既に号外が出ている可能性すらありますよ!? どうして、騎士団なんか……」 「いやいや、一先ず、ハリー騎士団騎士団長となったわけだ。タカト・オーノ。大出世だな? 一応、学生と兼務で構わないから、そのつもりで」  そして、彼らは解散することとなった。  ◇◇◇  誰もいなくなり、ラフターとラグストリアルだけが残った。 「いや、サプライズというのは本当に面白いものだ。またやろう」 「国王、支持率が下がりますが」 「何を言う。現にうなぎのぼりだ」 「なぜそうなったのか、私にも解りかねますが」  そんなものはいい、とラグストリアルは豪快に笑う。 「ともかく、これからが山場だ。何が起こるか解らん。騎士団に凡てがかかっているからな」 「ハリー騎士団……どこまでしてくれるでしょうか?」 「解らんよ。まあ、彼らも学生だ。殆ど身分も変わらん。案外ああいうのが上手くいくやもしれんぞ?」  ラグストリアルの笑いのあとに続いて、ラフターも笑った。 (まあ、其の辺はまだ始まったばかりだ。一先ずは……あの少年が何処までやってくれるかだ。出来ることなら、私の治世のうちにこの世界を変えて欲しいものだ。そう、恐ろしい程に……)  ラグストリアルの考えていた野望は、ラフターが知る由も、ない。