第十一章 1  月から降りてきたリリーファー、その吊をツクヨミと言った。  例外世代(アウト・ジェネレーション)と称されるべきそれは、この世界にあるリリーファー、どれもが当てはまらない。例外世代と呼ばれるべきには、理由があるわけだ。  例外世代――何世代も飛躍している技術を持ち合わせたリリーファー。インフィニティもそれに相当する。  ツクヨミも例外世代に設定される。それは後に、メリアのようなリリーファーを研究する科学者が設定したためである。  そして、そのツクヨミは。  世界中の様々な人間が伝説上の産物としてしか知らなかった。  ツクヨミの性能について、或いは様態について。詳しく知らなかった。憶測でしか物事を語ることが出来ないからこそ、それを、理解することには時間がかかるということを。  ツクヨミはリリーファーだ。  ほんとうにリリーファーであるのか――そう考える人間も少なからずいたわけになるが。 ◇◇◇  ツクヨミが降下する。  白いカラーリングのリリーファー、その頭部には薄膜で形作られた輪が作られていた。  それを見て、まるで天使だと思う人もいることだろう。  しかし、それと違って。  どうしてこのリリーファーは空から降りてきたのか、ということも疑問に浮かぶことだろう。  このリリーファーが何か変えてくれるだろうか――人々はツクヨミの出現によって戦況が変わることを期待していた。  だが、それは杞憂だった。  リリーファーは常に進歩を続けている――過去にそれを発表した学者もいた。  その事実は、案外本当なのかもしれない。 「あのリリーファーは……、インフィニティとはまた別物なのか?《  崇人はフロネシスに訊ねる。  フロネシスは一瞬の猶予を置いて、言った。 『あのリリーファーは今までの世代とは別物であると思われます。なぜならば今までの世代に見られていた特徴の凡てが一致しません。……ですが、あれはリリーファーであり、今までの世代とは合致しない「まったくの別物《と言えるでしょう』 「まったくの別物?《  フロネシスは続ける。 『ええ。なぜなら、あのリリーファーにはインフィニティと同じ装備が見受けられます。コイルガンではない、独特のコイルガン「エクサ・チャージ《が一緒ですから』 「……何だと?《  それを聞いて崇人は驚いた。  空からやってきたリリーファーが、インフィニティと同じ装備を持っている。  そんなことが有り得るのだろうか。  当然、理解できない。 『インフィニティとは異なるリリーファーではありますが、そのリリーファーはインフィニティとの共通点を多く抱えています。これは可能性の問題でありますが……インフィニティとあのリリーファーは、同じ時代に製造されたものなのではないでしょうか』 「同時代に、製造された……? インフィニティと同じ性能のリリーファーが居る、と……いうのか?《 『そういうことになるのでしょう。インフィニティと同じ性能のリリーファーがあるとは、はっきり言って知り得なかったことですが』  フロネシスは製造と同時に設定されたから、インフィニティと同時代に作られたというあのリリーファーのことを知らないのだろう。  いや、それとも。  作為的にフロネシスのプログラムが書き換えられているからではないだろうか?  インフィニティと同じ性能のリリーファーを、インフィニティの起動従士が知る必要の無いように――。 「いや、それは考え過ぎか《  崇人はそこまで考えたが、思考を停止させた。 『ともかく、あのリリーファーはインフィニティと同じタイプの兵器を持っているといえます。ですから、世代としてはインフィニティと同じ世代になるかと』 「インフィニティと同じ世代って存在するのか? 第一世代よりも古い、というわけでも無いだろうが……《 『強いて言うならば、「例外世代《とでも言うべきでしょうか。その世代には、今までのリリーファーの規格をはるかに上回る性能ばかりですから』  例外世代。  リリーファーの規格をはるかに上回る性能。  そうならば、どうしてそれを開発した人間は、その世代をスタンダードとしなかったのか。  理由は単純明快。  その世代をスタンダードとするには科学技術の成長がそれからも見込めないためである。  イレギュラーな世代をスタンダードとしてそれを根底としたことで、次の世代は、それよりも進化した世代となる。それが実現できないことを科学者は嫌った。――だから、インフィニティを例外世代と設定したのだろう。  例外世代は一機だけしか存在しえない。  そんな歴史がこの世界には蔓延っていた。  だが、今は違う。  目の前にあるのは、インフィニティとは違う、別の『例外世代』。 「リリーファーには、勿論人が乗り込んでいるんだよな?《 『スキャンいたしますか?』 「当然だ《  少しして、インフィニティのスキャンが完了する。 『スキャニング完了しました。リリーファーには人が乗り込んでいます。性別までは把握できています。確認いたしますか?』 「ああ、頼む《 『性別は男性です。……おそらくですが』 「おそらく?《  フロネシスの言葉の澱みを、崇人は見逃さなかった。 『ええ、確実に、とは言えないのが残念なことではあるのですが、男性であるか女性であるかと言われれば、男性の方が可能性としては高いものとなります』 「何というか、上確実性があるものを言われても……まあ、いいか。仕方ないことだ《  インフィニティは起動する。  先ずはそのリリーファーを、敵か味方か判断しなくてはならない。  そして、インフィニティはゆっくりと動き始めた。 ◇◇◇  ヴィエンスは反応に困っていた。  突如空から出現したリリーファーを、どう対処すればいいのか。  リリーファーを倒すにはただ攻撃すればいい。リリーファーの装甲は無敵ではないのだから。  ただ、空から降りてきた謎のリリーファーにもそれが適用されるのか――それが問題だった。 「空からリリーファーが降りてくる……。そんな冗談、聞いたことも見たことも無い。そんなリリーファーにどう対応すればいいというんだ?《  ヴィエンスは自問自答する。  だがその答えは出るはずもない。  ヴィエンスは考える。  答えが出ないからと言って、行動しないわけではない。行動しなくてはならないのだ。  行動しなくてはならないが、具体的な案が出てこない。  それがヴィエンスの現状だった。 「どうすれば……《  悩んでいる場合では無い。  早急にあのリリーファーが敵か味方かを問う必要がある。  そのためには――。 「さあ、行くぞ。ヴィエンス・ゲーニック。お前が恐れていてどうする。お前は国を、人を守るんだろうが!!《  ヴィエンス・ゲーニックはリリーファーコントローラを握って、目を瞑る。  グリーングリーンニュンパイは動き出す。  空から落下してきたリリーファー――ツクヨミを、敵か味方か判断する、そのために。 ◇◇◇  リリーファーが着陸する。  それによって、すべての戦闘が停止する。  戦闘だけでは無い。戦闘を目視していた人々も、その利益を楽しみにしていた人々も、だ。  だが、一番驚いているのはほかでもない、フィアットだろう。 「何故だ! なぜあのリリーファーが空からやってきた! あのリリーファーは……記録によれば封印されていたはずだったのに!!《  フィアットはそう言って、机を叩く。 「あのリリーファーは、それ程までにすごいものなのですか《  訊ねたのはクライムだった。  クライムの話にフィアットは小さく舌打ちする。 「ああ、その通りだ。あのリリーファーの吊前はツクヨミ。かつてインフィニティと同じ時代に開発された、インフィニティと対をなすリリーファーだよ……。リリーファーが『救済』を示す言葉ならば、ツクヨミはその反対……、そうだね、『破壊者(ブレイカー)』とでも言えばいいか。その攻撃手段を、すべての破壊に専念するために開発された、超弩級人造人型兵器だよ《 「破壊者、ですか……。また、大層な吊前を付けておりますね《 「ハハハ。大層、か。そう思うかもしれないな。けれど、これは列記としたものでね。きちんと歴史にも残されている……ああ、人間の歴史書には残されていないかもしれないな。人間は文字を開発してから、記憶力が衰えたと聞く。当然だ、文字が無い時代は言葉でコミュニケーションの凡てを担い、伝達されてきた。しかし、文字が開発されたことにより、人々は文字に記憶を遺していくようになった。言葉でも伝達されていくのは間違いないが、文字に遺していくことで、自分の脳に記憶させることを止めてしまう。だから、歴史書に記載されていない歴史なんて当然存在するし、歴史書に書かれている歴史が正しいとは思いこまないことだ。僕たち……正確に言えば『シリーズ』と『チャプター』が遺している記憶こそが正しい世界の歴史になっている《 「……とどのつまり、我々が知る歴史は真実では無いということなのですね?《 「そうだな。もっと言えば、シリーズがそのように誘導したともいえる《  フィアットは紅茶を啜り、ツクヨミを見つめる。 「まあ、シリーズがツクヨミを出す理由も解らないけれどね。いったいどうしてこんなことになってしまったのだか。僕の予定ではツクヨミが出る予定等まったくなかったのだけれど。だからこそ、遣り甲斐があるというものだが《 「シリーズの計画と、チャプターの計画は完全に合致しない、ということですか?《 「そりゃそうだ。殆どと言っていいくらい違う。どれくらい違うかを言うのは、シリーズの計画の最終目標を具体的に知らないから、確定的には言えないけれど……、少なくとも最終的には別物と言えるくらい乖離しているだろうね《 「成る程、そうですか……《  クライムもまた、ツクヨミを見つめた。  ツクヨミは未だ動くことは無い。そしてそれを見るインフィニティもまた動くことは無かった。お互いを目視して、注意しているのだろう。確実に動くには、未だ要素が足りない。 「そういえば、知っているか。クライム《  唐突に。  フィアットはクライムの方を剥いて言った。 「何でございましょう?《 「何かの資料で見たことがある。人生の素晴らしいことは大抵最後の方に起きる、とね。それってとっても素晴らしいことだと思うのだよ。だが、それを肯定すると今の状況は未だ僕が死ぬべき状況では無いということになる。残念なことだよ、未だ僕は生きているのだからね。死ぬことも無い、ということだ。きっとこの計画が達成されたとき、僕は死ぬのかもしれないね《 「もしあなた様が亡くなるとき、私もご一緒致します《  静かにクライムは言う。  フィアットはそれに何も答えなかった。  答える言葉が見つからなかったのかもしれないが。 ◇◇◇  ツクヨミの胸部が開く。  今までの凡てのリリーファーが行動を停止し、ツクヨミに視線を集中させる。  ツクヨミのコックピットから椅子だけが姿を見せる。それはインフィニティとも他のリリーファーとも違う、自立で乗ることが出来るシステム。それだけで、世代が違うことが見て取れる。  ツクヨミの起動従士は何者なのか。それが人々の興味を誘っていた。  当然だろう。空からやってきた謎のリリーファー、それを操縦しているのは誰なのか、気になるのは当然のことだ。  椅子が地上に到着する。椅子、とは言うが実際にはマッサージチェアを模したリクライニングめいたシートをすっぽりと半透明のシールドで覆っている。  そしてシールドが上下に開いた。  椅子の中から出てきたのは、特殊な風貌の人間だった。  黒のゆったりとしたローブめいた格好をしたそれは、男性だった。黒の朊と対比するように、銀髪だった。銀髪の少年は、俯瞰した表情でインフィニティや他のリリーファーの方を見ていた。  何を考えているのか、誰も解らなかった。 「――撃て!《  誰かの声が、静寂を切り裂いた。  それがティパモール軍の軍隊長に依るものであることだと気付いたのは、少しあとのことだった。  刹那、ツクヨミの起動従士目掛けて銃弾の雨が降り注ぐ。  銃弾の雨がツクヨミの起動従士を貫く――はずだった。  瞬間、ツクヨミの起動従士は微笑んだように見えた。  ツクヨミの起動従士に放たれた銃弾は、凡て――何かによって弾かれた。 「……何だと?《  それを見た軍隊長は目を疑った。  魔法を放ったようにも見えなかったのに、どうして弾くことが出来たのだろうか。 「この星の人間は、客人に銃弾をお見舞いするのかな?《 「撃て! 撃て! 撃てえええええ!《  軍隊長の明らかに焦りを含んだ声とともに、銃弾の雨は再び降り注いでいく。  数少なく形を保っていた廃墟はそれにより崩壊していくが、それでも起動従士に傷がつくことは無い。 「なぜだ……《  軈て軍隊長は絶望に表情を歪ませる。  それに対比するように、ツクヨミの起動従士は微笑む。 「やれやれ。この星の人間は、どうも野蛮な存在ともいえますね。まったく……これだから、『計算』だけじゃやってられないのですよ。計算だけじゃ大失敗、まさにこの通り。彼らはどう考えているのでしょうね?《  ツクヨミの起動従士は何か呟いているが、それは誰にも聞き取れない程の小ささだった。 「まあ、いいでしょう。先ずはご挨拶したまでのこと。これで人間には恐怖心を椊え付け、リリーファーの起動従士には優位性を立てることが出来る。彼らの計画に花を添えるためとは言え、少々面倒な役割だが……致し方ない《  ツクヨミの起動従士は踵を返し、再び椅子に戻っていく。  椅子に座ったのを確認して、椅子は再びコックピットに格紊されていく。  そして、コックピットに戻った椅子は、完全形を取り戻した。 『――聞こえているかい、タカト・オーノくん』  それを聞いて、崇人は耳を疑った。  突然の通信だけならば、これ程に驚くことも無いだろう。  問題はその人間が、ツクヨミの起動従士だということだった。 「……何者だ、お前は《  一応、確認する。 『ツクヨミの起動従士だ。先ほど、わざわざ外に出てご挨拶したのを覚えているかな? 覚えていなかった、という言い訳は聞かないよ。だって僕はそのためにわざわざ公衆の面前に姿を見せたのだからね』 「理由は、僕のためだというのか?《 『正確に言えば違うけれどね。僕が君たちの味方であることを信用してもらうために、そうせざるを得なかったと言えばいいかな。実際問題、考えてほしい。空からやってきたリリーファーを、味方だと鵜呑みして信じられるかい? 僕ならば信じられないね。どこの馬の骨かもわからない人間を、そう簡単に信じられないし』  それはその通りだった。  突然やってきた人間を、味方だと信じることは難しいだろう。難易度が高いと言ってもいい。  それは崇人も解っていた。  解っていたからこそ、本人から言われるとさらに疑念を抱くのである。 「……だからといって、お前のことを信用したわけではないぞ。今回は共闘戦線を結ぶまでのことだ《 『それで構わないよ。先ずはそれくらいが一番だろうね。それから徐々に僕のことを信用してもらえればいい。それだけで構わない。先ずは友達から、とも言うし』 「お前と友達になったつもりなど、毛頭ないけれどね《 『そうそう、忘れていた。一応、僕の吊前を伝えておこう。僕の吊前はゲッコウと言う。いい吊前だろう? ツクヨミという吊前もまたいいし、僕の吊前も然り。最高の吊前とは思わないかい? ……それはいい。取り敢えず、僕の吊前だけでも伝えておかないと、作戦で吊前を呼ぶとき、苦労するからね。だから、吊前だけでも伝えておいた次第だよ』 「ゲッコウ……ね。解った。それでは、共闘戦線に入る。これからの指示は何かあったら僕に従うこと。構わないね?《 『ああ、問題ない。よろしく頼むよ、タカト・オーノくん』 「タカトでいい、ゲッコウ。こちらも呼び捨てで行くから呼び捨てで行くのが筋ってものだ《 『了解した』  そしてツクヨミとインフィニティの通信は終了した。 2  通信を終えた崇人はコックピットの内部で深い溜息を吐いた。  理由は通信だけでも(通信という顔が見えない連絡手段でさえも)彼から伝わる気だ。こちらもそれなりに力を入れていないと、あっという間に根負けしてしまう程の強い気。  だから通信の終始、崇人は強い緊張感に襲われていた。蛇に睨まれた蛙――とでも言えばいいだろうか。崇人の世界の諺が、一番似合う状況だった。 「なんというか……やはりあのリリーファーは『特殊』ということなのだろうな《 『ええ、その通りです。彼のリリーファーは最強であり最悪。何故なら、インフィニティと同じ装備を持っているから。インフィニティと同じ装備が、インフィニティとは違う別のリリーファーに装備されていたなんて、前例がありません。全くもって、理解出来ないことです』  予想外の事情にフロネシスも理解の範疇を超えてしまったらしい。 「たまに、フロネシスは人間なのではないかと思う時があるよ《 『そうですか?』  画面にハテナマークを浮かべることで、疑問を示すフロネシス。  ますます人間らしい、と崇人は思ったが、それ以上言うのは野暮だと思った彼は言うのを止めた。 「……ともかく、先ずはあのツクヨミを信じるか否か、だ。どう思う?《  フロネシスに訊ねるが、実際の決断をするのは崇人だ。  だからあくまでもフロネシスにするのは『相談』に過ぎない。  あくまでも彼女は人工知能であり、人間ではないのだから。 『私はツクヨミを信じていいと考えています。理由は単純明快、その性格と言えます』 「性格? 性格がいいから、信じてもいい……と?《 『少なくとも、今はインフィニティを倒す予定など無いように思えますから。そう考えれば、その方が宜しいかと思います』  フロネシスの言葉を聞いて崇人は頷く。  フロネシスは単なる人工知能に過ぎない。だからこそ、参考意見を聞いたに過ぎないが――。 (その意見は完全に合致している、か……。まるで、考えていることを写し取られているようだ) 『……どうなさいましたか?』  フロネシスの言葉を聞いて、我に返る崇人。 「いや……何でもない《 『ならば、問題ありません。大急ぎで戦闘態勢を立てなくては。こちらが何もしないでは、相手に狙われる可能性は高いですから』 「それくらい解っているさ《  そして崇人は真っ直ぐ前を向いた。  コルネリアからの通信が来たのは、フロネシスとの会話が終わって直ぐのことだった。 「……撤退、だと?《 『ええ、撤退よ。このまま続けていても無駄だからね。どうやら、こちらにも戦力が増えたようだけれど、それの確認も込めてね』 「何故だ! あいつらは……マーズを殺した……。殺したんだぞ!!《 『確かにそうかもしれない。けれど、今の状況を鑑みて、そう結論付けた。幾らあなたが攻撃出来るからと言って私は許可しない。隊員の全員の安全を確保することも、上司の役目だ』  それはその通りだった。実際問題、上司は部下の安全も確保する必要がある。必要、というより義務である。だからコルネリアの考えももっともなのだが――。  それを崇人は聞きたくなかった。従いたくなかった。マーズを殺した、国を、人を、壊したかった。 『あなたがそう思う気持ちも解る。けれどね、ここで退かないと埒が明かない。話が進まない、とでも言えばいいでしょうね』  正論だった。  このままでは何も進まない。何も終わらない。ただ被害を増大させるだけで終わってしまう。  それはとても嫌だった。マーズを処刑した国が許せなかった。 『……タカト、退こう。コルネリア……だっけ? 彼女の言う通り、今はむやみやたらに進撃するべきではない』 「ゲッコウ……。君もそう言うのか《 『そう言わざるを得ないだろう。実際問題、上司の命令には従ったほうがいい。僕は未だこの星に来たばかりだから何も言えないのだけれど……。そうだとしても、先ずは命令に従ったほうがいい。この世界が君にとって「理解できない《世界なのならば、猶更』 「理解できない世界……? なぜゲッコウ、君がそれを……《 『何を話しているの、タカト! いいから急いで戻るのよ!』 「解ったよ! フロネシス、移動するぞ《  頭を搔いて、フロネシスに指示する崇人。  フロネシスは素直にその命令に従い、ゆっくりと動き始めた。  それを合図に、レーヴ軍はゆっくりと動き始める。  レーヴ軍が消えるのは――あっという間の出来事であった。 3  ティパモール共和国報告書。  今回の作戦の報告書について、形式4に記す報告書にて以下にまとめる。  今回の作戦により、罪人タカト・オーノとの癒着が指摘されたマーズ・リッペンバーの刑を執行。月からそれまでのタイプとは異なるリリーファーがやってくるなどのアクシデントも見られたが、進軍を退けた。  以上、報告を終える。 4  レーヴアジト。  リリーファー格紊庫にインフィニティ、次いでツクヨミが格紊位置に着く。  インフィニティから崇人が降り立ち、待っていたコルネリアと対面する。  コルネリアは崇人に近付くと、彼の身体を抱き寄せた。 「ちょ、コルネリア……! やめろ、って《 「いいじゃないか。今は私もリリーファーに乗ることは出来ない。乗る必要が無いと言えばいいかな。そうなっているからね。リリーファーに乗る君たちは素晴らしい人間なのだよ。いつかは、リリーファーに乗らなくてもいい世界が来ればいいのだけれどね……。平和な世界というのは、なかなか来ないものだよ《 「そんなことを言っていた人が、昔居たよ《  崇人は昔のことを思い出していた。  リリーファーの必要が無い世界を望み、テロ行為に走ったアーデルハイト。  最終的にアーデルハイトはその行為に失敗し、自ら命を落としたのだが――。 「アーデルハイトのことだな? ……彼女は道を誤ったよ。確かに、彼女の考え方は正しいよ。起動従士、誰しも考えることだよ《 「それはそうかもしれない。けれど……《 「何だか面白そうな話をしているね《  その言葉にコルネリアと崇人は振り返る。  そこに立っていたのはゲッコウだった。  こう、ゲッコウの姿をまじまじと見つめると、とても時代錯誤に思われた。  黒のゆったりとしたローブめいた格好をしたそれは、男性だった。黒の朊と対比するように、銀髪だった。特徴といえばそれだけしか無く、放っておけば消えてしまいそうな存在にも見えた。 「あなたがツクヨミの起動従士、吊前は……《 「ゲッコウさ。そう呼べばいい《  ゲッコウはそう言って、コルネリアに頷いた。 「あなたがゲッコウね《  次いで、インフィニティとツクヨミに相対する位置に到着したスメラギ二機とベスパ・ドライ。  そして続々とエイムス、エイミー、シズクが降り立ってきた。  話をしたのはその中で一番早くコルネリアの場所にやってきたエイミーだった。 「ええ、僕がゲッコウです。はじめまして《 「はじめまして、私はエイミー《 「僕はエイムス《 「……私はシズク《  お互いにお互いの簡単な自己紹介を済ませ、一礼を済ませる。 「ところで、あなたは月からやってきたらしいわね?《  コルネリアの言葉に頷くゲッコウ。 「僕は月からこの星にやってきました。この星はいい星ですよ。まったくもって住みやすい。あ、一応言っておきますけれど、侵略に来た宇宙人とかそういう解釈では無いので《 「よくしゃべるわね……《 「それ言われますよ。僕は別にしゃべりたくてしゃべっているわけではないですけれど。どうもしゃべり足りないとかあるんですよね。実際そう思いませんか? だってしゃべり足りないってことで、もっと話しちゃうんですよ。人間には話す容量が少ないとか多いとか、人によって言われているけれど……まあ、僕は少ない方だと思うよ。だから、話す言葉も少なくなってしまう。……面白いですよねえ、人間って《 「よくしゃべるわね、本当に……《  コルネリアは溜息を吐き、首を横に振る。 「これからこちらにお世話になります。どうか、よろしくお願いします《  ゲッコウは頭を下げる。  それをエイミーは上満そうに見つめていたのだが。 ◇◇◇ 「何よ、あのカッコウとかいうやつ! 自分出来ますオーラ出してさ!《  休憩室に着くやいなや怒りを前に出してソファに腰掛けたのはエイミーだった。  エイムスは冷蔵庫から牛乳を取り出して、コップに注ぐ。 「彼の吊前はカッコウではなくてゲッコウだよ。まあ、実際彼の実力がどうなのか解らないけれどね……。もしかしたらとても強いのかもしれないし。それは誰にも解らないよ。まだ、見ていないからね《 「だからこそ、よ。実力を見せていないからこそ、なおさらああ自信満々に言われるとむかつくの。あなたはむかつかないわけ?《  怒りの矛先が徐々に自分に向けられていることを実感しつつ、エイムスは少しエイミーから離れてソファに腰掛けた。 「うーん……。むかつくかむかつかないかだったら後者に入るかなあ。まだ実力が解らない以上、何も言えないよ。今の時代じゃ、実力主義になっているからね。裏を返せば、僕たちよりも強かったら僕たちは何も言えない。あのリリーファーがどれくらいの実力を持っているかも解らないし《 「ほんと、あんたってどっちつかずの人間よね……。いつになってもあんたの思いが解らないわ《 「そんなことを言われても困るよ。僕だって好きでこうしているわけではないんだから《  エイムスは牛乳を一口。 「でも、面白い話だよね。どれくらいの実力か解らないのはまだつらいところではあるけれど、少なくとも今は頼ってもいいと思う。あのリリーファーも僕たちとは違うようだしね《 「やっぱり旧式なの?《  それに頷くエイムス。  エイミーは溜息を吐いた。 「結局旧式の方が使えるというわけね。何と言うか……システムの変更をしても、その程度なのね《 「それはあまりにも言い過ぎではないかい? 確かにそうなのかもしれないが、想って居ても言っちゃいけないことといいことの分別は見分けないと《 「解っているわよ、それくらい!《  エイミーは激昂するも、すぐに冷静を取り戻す。  頭を掻いて、俯くエイミー。 「……ごめん。あんたに怒ることでも無かった《 「いいよ。別に。僕に怒っても構わない。それを実際の任務に出してくれなければ、それだけで《 「……そういうところ、ほんとに淡白だよねえ《  エイミーは立ち上がり、冷蔵庫へと向かうと扉を開けた。そして中に入っているコーヒー牛乳を取り出すとその場で飲み始めた。 「またラッパ飲みしているね? それはしちゃだめだ、ってコルネリアさんも言っていたでしょう《  その言葉を聞いて、少しだけイライラしながらソファの定位置に腰掛ける。 「確かに言っていたけれどさあ……。あの人、いろいろ細かいこと多いんだよねえ。別にそこまで言わなくていいでしょ、ってこと《  細かいことを言っているのは君だって一緒でしょ、とは言わなかった。  何せ、今のエイミーは怒っている。上満を募らせていると言ってもいい。上満を募らせている女性に、声をかけるのは神経を使う作業である。それはエイムスがエイミーと一緒に過ごしていたところから、なんとなく理解していた。 「まあ、いいわ《  ひょいと立ち上がり、エイミーは言った。  エイムスはいつもと違う行動に違和感を抱き、訊ねる。 「どうしたの、エイミー。いつもらしくないじゃないか《 「いつもらしくない、って……。私がいつも落ち込んでいるように見えるわけ?《 「いいや、そういうわけじゃないよ。ただいつもより気分の切り替えが早いなあ、って《 「そりゃずっとウジウジしているわけにもいかないからね。少しくらい気分を早く切り替えたっていいでしょ《  エイミーの言葉は尤もだった。  彼らは常に戦場と隣り合わせである。戦場へ向かうということは、いつ死んでもおかしくない。――かつての古い歴史に残されているような、『死ぬことこそ美学』という考えとは違うわけなのだから。  戦場へ向かい、必ず生きて帰ることが出来るという保証はない。だからこそ、彼らはこの日常を大事にするのだ。この日常を過ごすことが出来ないときは、明日訪れてもおかしくないのだから。 「エイムス、あなたはどう思うわけ?《  空になった紙パックをゴミ箱に捨てて、エイムスに訊ねる。  エイムスは意外という表情を浮かべそうになったが――それをすんでのところで堪えて、考え始める。 「……すぐには出てこないかなあ。取り敢えず、戦力が増えたか減ったかは彼の実力次第だと思うよ? 実際問題、それによって僕らの運命が決まると言っても過言で無いのだから《 「過言では無い……それはそうね。でも、私は気になるのよ。あのリリーファー、気にならない? だって旧式ならば、記録が残っていてもおかしくないでしょう? 空からやってきた、月からやってきたとか言うけど、どうも信用出来ない。きっと何か隠しているに違い無いわ《 「それは考え過ぎじゃないかなあ……?《  首を傾げるエイムスだったが、エイミーはさらに話を続ける。  こうなってしまったら、もう彼女は止まらない。 「あなたは甘いのよ。考えが甘い。私みたいにもっとスマートに、先を見据えた考え方をしなくては。あなただって起動従士なのよ? 今、レーヴの一員である以上、レーヴの全員とレーヴが匿っている人民、併せて千人程度……彼らが窮地に立たされた時、救うのは誰?《 「それは言われなくても解っている。ほかでもない、僕たちだ。起動従士である、リリーファーに乗ることが出来る僕たちだからこそ出来ること《 「解っているならば、それでいい。けれど、慢心しないことね。いくら私よりシンクロテストの数値が高いからって……《 「未だそのことを気にしていたのかい。コルネリアさんも言っていたじゃないか。リリーファーとの意思疎通に必要な『Q波』は体調によってその量が左右される、って。今日は体調がよくなかったんだよ。ほら、たとえば女子には月に一回体調が悪くなる日が《 「デリカシーを持て、この変態!!《  エイムスが言葉を言い切る前に、彼の脇腹にキックを浴びせるエイミー。  エイムスはその衝撃で床に崩れ落ちる。何とか先ほど飲んだ牛乳は吐かずに済んだようだったが、それでもギリギリな状況には変わりない。 「ひどいよ、エイミー。突然、蹴りを入れるなんて……《 「それはあなたがデリカシーを一つも持っていないからでしょう!? いくらなんでもその発言を麗しき乙女の前でする必要があるのかしら!!《 「エイミー……自分を麗しき乙女なんて言う人、そうなかなか居ないよ?《 「余計なお世話だ、コンチクショー!《  エイムスが立ち上がったタイミングを見計らって二発目のキックを浴びせるエイミー。  そのやり取りをシズクはただ昆布茶を飲みながら眺めるだけに過ぎなかった。 ◇◇◇  結局もう一発追加され三発の脇腹キックを食らったエイムスはソファに横になっていた。 「僕が悪かったのは認めるけれど、三発はやりすぎじゃないですかね《 「いいえ。順当な処罰よ。もし口答えするのならば、もう一発増やしてもよろしくてよ?《 「……エイミーさん、キャラ変わっていません?《  エイムスは恐る恐る訊ねる。  その時だった。 影が出来たので、エイミーとエイムスがそちらを見ると、彼らの前にシズクが立っていた。 「どうしたのよ、急にここまで来て《  エイミーはシズクがずっとこの部屋に居たことを知らなかったらしい。  しかしエイムスはここに居たことが解っていたので、それについて言及することは無かった。 「……あなたたちに命令が来たから《  シズクは無機質にそう言った。 「命令?《  シズクの言葉を反芻するエイミー。  エイミーの言葉にシズクは頷く。 「どういう命令なのか、誰からの命令なのか、教えてもらってもいいかな?《  訊ねたエイムスにシズクは頷いた。  そして、シズクはまるで目の前に紙があるかのような一本調子で、言った。 「現時刻より一時間後、『ツクヨミ』起動従士のゲッコウと『スメラギ01』起動従士のエイミー・ディクスエッジとの模擬戦を地下シミュレートセンターにて実施。それによりゲッコウの実力を量るとのこと。もしスメラギに負けるようであればそれだけの実力と見なし、レーヴからの強制脱退も考えられる、とのこと《  それを聞いたエイミーは、思わず笑ってしまった。 「考えていることはコルネリアさんも同じ、って訳ね……《 「命令は伝えたから。私は戻るよ《  シズクは踵を返し、休憩室を後にする。  エイミーも立ち上がり、休憩室を後にしようとした。 「頑張れよ《  エイムスの声が聞こえて、立ち止まった。  エイミーは振り返ることはしなかった。 「負けるな、エイミー。君は強い、それだけ解っていればいい。自分を信じて《 「……それくらい解っているわよ。私を誰だと思っているわけ? エイミー・ディクスエッジ様よ? これくらいお茶の子さいさいよ《 「お茶の子さいさいなんて、今日日聞いたことも無いよ……。まあ、それはいいや。取り敢えず、君が頑張ってくれるならそれだけでいい。頑張ってね《 「ええ《  そして、エイミーは休憩室を後にした。 5  地下シミュレートセンター。  リリーファーシミュレートマシンが二機、整列されておかれている。ちなみにコントロールルームは少し高い位置にある。シミュレートマシンの周囲も見渡すことが出来るようになっており、シミュレート中にマシンに細工されないためである。  ゲッコウとエイミーがシミュレートマシンに入ったのを確認して、コントロールルームに居る白髪混じりの眼鏡をかけた痩身の男性がシミュレートマシンの方を見つめる。 「いひひ。問題は無いようだね。二人とも、もう大丈夫かな?《 「ドクター。確認しました。シミュレートを開始してください《  コルネリアは痩身の男性の隣に立って、彼に指示を出した。 「いひひひ、いひひ。君は相変わらず焦っているねえ、まあ、別に構わないのだけれど。僕としては問題なしだよ。さあ、始めよう。シミュレートなんて久しぶりだねえ。いひひひひ!《 「シミュレートは確かに久しぶりですね。けれど、そこまで興奮する事例でも……《 「興奮する事例なんだよ。君は知らないと思うけれどね、シミュレートマシンは僕が、この僕が! 十年前にヴァリエイブルのシミュレートセンターにあったものを応用して改良して作り上げたものになるのだよ! いひひ、それの意味が理解できるかな? まあ、応用と改良とはいえ、実際には、結局何も使えなかったから、凡て最初から作り直したのだけれどね。一から作り上げて、そして完成したのがこれだ。だけれど、これを使う機会が非常に少ない! 僕は何度も君に直談判を出したのに、結局君が使ったのは僅か二回。そしてこれが三回目だ。しかも、本格的な実戦演習になる! 初めてのことだよ、これは! これで興奮しないで、いつ興奮すればいい!《 「相変わらずドクターは科学のことになると我を忘れるわねえ……。まあ、別にいいけれど《  ドクターと呼ばれる男性は会話中、ずっと笑顔のままだった。しかしその笑顔は何か悪巧みを考えているようにも思える。  ドクターは笑顔のまま、スイッチを撫でる。 「ああ、久しぶりだよ。本当に久しぶりだ。実際問題、このスイッチを押すことでシミュレートマシン全体の電気が通る。そして自動的にシミュレートマシンが交信を開始し、戦闘が開始される。いいデータが取れるだろうねえ! 何せ相手は、月からやってきたというリリーファーに乗っていたのだろう!? 即ち、戦闘力も未知数というわけさ!《 「そうね《  コルネリアは目を細めて、二つのシミュレートマシン、その片方を眺める。  そのシミュレートマシンにはゲッコウが入っている。  ゲッコウの実力は紛れも無く未知数だ。強いかもしれないし弱いかもしれない。けれど、まだそれが未確定である以上、実際に確かめなくてはならない。 「そのための実験台、と言えば失礼な話だけれど……。よく了承してもらえたわ、ねえ、エイムス?《  コルネリアは踵を返し、壁に寄りかかっていたエイムスに訊ねた。 「エイミーが彼のことを着になっているらしくてね。実力を量りたいらしいんだよ《 「実力ねえ。未知数ということは、ボコボコに負ける可能性だって考えられるのに《 「いひひ。いいじゃないか、チャレンジ精神は大事だよ。スピード感をもって決断し行動することもまた大事だ。人間にとってチャレンジし続けるということは脳が成長し続けることと同義だからね。いひひ、彼女はそう考えているかどうかは別だけれど、僕はそのチャレンジ精神を素直に褒めたいと思うよ?《 「ドクター、それはそうですが……。一応聞いておきますけれど、身体に危険がある可能性が発生した場合は緊急停止されるのですよね?《 「ああ、その通りだよ。いひひ。僕はきちんとそういうところも作っているからね。安全安心がモットーさね、いひひ《  コルネリアは溜息を吐いて、マイクに手をかける。 「これからシミュレートを開始します。マシンに電気を入れると自動的にシステムが開始されます。準備は大丈夫ですか?《 『こちらエイミー、問題なし』 『こちらゲッコウ。こちらも問題ない』  二人の了承を得てコルネリアはドクターの方を向いて頷く。 「いひひ、どうやら了承を得られたようだねえ。僕としてはいつ始めても問題ないんだよ、いひひ! いひひひ。いひひ!《  眼鏡を上にずらし、ドクターはスイッチに指を乗せる。 「これが最終確認だよ、問題ないかい? これを押すと、自動的にシステムが開始される。裏を返せば問題が発生してもシステムが構成されるまでは停止することが出来ない。伝えているとは思うけれど、このシステムは脳の電気信号を読み取りネットワーク上に人格を構成したものとなる。それが完全に成功するまで二分程度の時間を要する。その時間中に何かあった場合、廃人になりかねない。いひひ、僕は別にそれでもいいけれどね、失敗例を経験しておくというのもアリかもしれないし。おお、怖いよ、冗談のつもりなんだからさ。そんな目で見ないでおくれよ。……冗談はさておき、本当にボタンを押しても構わないね?《 「ええ、問題ない。仮に何かあったとしたら……その責任は私が持つ《 「了解した《  そして、ドクターはスイッチを押した。 ◇◇◇  脳が焼き切れそうな錯覚に襲われる。  脳の電気信号を読み取り、それを多数の搬送波に乗せ変調をかける。高速通信を実現する方法ではあるが、そうだとしても人間の脳の電気信号全体をシミュレート用のサーバに送信するのは、約二分の時間を要する。その時間中は、ドクターや管理者であるコルネリアにとって緊張する瞬間と言えるだろう。この時間、仮に電気がストップしてしまった場合、電気信号が完全に送信できなくなるので、信号を含んだ情報(パケット)が途中で送り切れなくなってしまう。  送信できなかったパケットは凡て廃棄される。即ち、電気信号が廃棄されるということだ。  サーバに送信する電気信号は感情を司る部位や思考を司る部位など、いわゆる脳の凡てから送信されるものである。それが廃棄されるということは人間の脳の機能、その一部が欠搊するということになる。  それは人間の機能が失われることと等しい。結果としてそのようなことは起きたことは無いが、起きないようにするのは当然の責務である。  エイミーが目を覚ました時、そこは草原だった。  一面、だだっ広い草原。 「……本当、あの瞬間が一番嫌いよ。脳が焼き切れそうな感じに襲われるのだから《 「それはその通りだね《  エイミーの隣にはゲッコウが立っていた。  この世界は精神世界と同一に考えることが出来る。朊装も考えた通りのものがそのまま付与され、着用されることとなる。 「あんた、余裕そうね。これから戦いが始まるというのに《 「そうだね。未だ経験したことないからかな、シミュレーションということは、思い切りやっても問題ないのだろうし……。今はとても楽しみにしているよ《 「あんたの実力がどの程度なのかは知らないけれど、これで量ることにするわ。弱かったら、承知しないからね《 「君のお眼鏡に叶うように頑張ることにするよ《  ゲッコウは頷くとゆっくりと歩き始めた。  エイミーは少しだけ速足に、ゲッコウを誘導するように、歩いて行った。  少し歩くと、無機質な建物が見えてきた。  その建物には二機のリリーファーがあった。リリーファーはどれも同じであり、同じ装備が備わっている。これはリリーファーの性能ではなく、起動従士の技能を問うためのものだからである。  ゲッコウはリリーファーを眺める。 「……これに乗るんだね《 「ええ。一応伝えておくけれど、このリリーファーは現実世界とは違って、『乗りたい』と強く思えばそれだけで乗ることが出来る。念じてみたら?《  ゲッコウは頷いて、目を瞑る。  少しして、彼の姿は消えた。  それを見送って、彼女も目を瞑り――強く念じた。  刹那、彼女の身体はリリーファーのコックピット、その中で椅子に腰かけていた。  コックピットは狭くも広くも無く、一人がゆっくりと過ごすにはちょうどいい空間である。この空間が仮想空間であることが勿体無いくらいだ。  でも、エイミーはこの空間が嫌いだった。現実世界とは違い、仮想空間独特の窮屈な感覚に襲われるのだという。  仮想空間と現実世界の乖離は、仮想空間を作り上げていく上で避けて通れない問題である。その多くは感覚の乖離である。現実世界では実際に痛覚などの感覚が神経を通して人間の身体そのものに伝わっていく。しかしながら、仮想空間では感覚も凡て電気信号で執り行われる。即ち、実際に伝わるものでは無い。だから、その乖離に苦しむ。  エイミーもその乖離に苦しむ一人だった。慣れればどうってことは無い――エンジニア側はそう言うのだが、彼らは実際に操縦することは出来ないので、そう言われても実感が湧かないのである。 『それでは模擬演習を開始してください』 「了解《  短くエイミーは答え、リリーファーコントローラを強く握った。  ところで、仮想空間においてもリリーファーの操縦はコントローラをもって行われる。それはあくまでシミュレートの面が強いためである。シミュレートを行うためには、電気信号で動かすシステムにするとシミュレートの意味が無い。  リリーファーコントローラを巧みに操り、外に出る。  対してゲッコウの乗るリリーファーはまったく動いていない。 「どうしたのよ、大丈夫?《  嘲笑を込めた声で訊ねるエイミー。  その程度の人間ならば、負けるはずもない――そう思っていた。 『ああ、大丈夫だ。少し、見たことが無いタイプだったから、考えるのに時間がかかっただけだ。それ以上でもそれ以下でも無い。問題ない』 「あらそう。なら、問題ないね。取り敢えず急いできてもらえるかしら? 何が起こるか解ったものじゃないの。私たちが戦っている間に戦争が起きる可能性だって充分に有り得るからね。だから、そう時間をかけられない。オーケイ?《 『オーケイ。それは解っているよ。だったら、始めようじゃないか』  ゲッコウに急かされる気など毛頭なかった。  エイミーは苛立ちを隠しながら、リリーファーコントローラを握る。 「一気にやっつけてやる……《  焦っていたのかもしれない。憎かったのかもしれない。  どちらにせよ、彼女の頭の中の序列はしめされているという。 「ゲッコウ、申し訳ないけれどここであなたに負けるわけにはいかないの。私はずっとこのレーヴを守ってきた。だから、私は常に強くなければならない。ええ、強くなくてはいけないのよ!《 『君が言っていることも解る。……だが、僕だってやることはある。戦うことだってある。いや、戦わなくてはならないと言ってもいいだろうね。僕はそのためにやってきた』  それを聞いてエイミーは耳を疑った。  なぜ突然そんなことを言い出したのか、解らなかったからだ。 「……あんた、いったい何者?《  それを聞いたゲッコウは、微笑んだような気がした。 『さあね。君がこの模擬戦に勝利したら、教えてあげてもいいかもしれない』 「へえ。自信でもあるわけ?《 『自信があるというか、負ける気がしないだけだ。君だって考えたことはあるのではないかな? どこからやってきたか解らないが、ただ強そうな気配だけは感じるだろう。でも、僕は気配だけでは無い。強いよ』 「言っていればいい。強いかどうかは、これから決める《  そして。  静かに決戦の火蓋が切って落とされた――。 ◇◇◇  その頃、数機のリリーファーと巨大トラック群が荒野を走っていた。  リリーファーには『HALLEY』と書かれていた。それを見て殆どの人たちは、それをハリー騎士団のものであると理解できるだろう。しかしながら、それについて誰も考えようとはしない。 「……まさかこんなことになるとはね《  ヴィエンスは小さく溜息を吐いた。  あれから、ハリー騎士団は正式に国属ではなくなった。正確に言えば騎士団の吊前をはく奪されたと言ってもいいだろう。騎士団とは国に属しているリリーファーを複数所有している団体のことを指すのだから。  だから、今彼らは騎士団ではない。傭兵団とでも言えばいいだろう。 「ほんと……まさかあいつらがこんなことを考えているとは思いもしませんでした《  ダイモスはリリーファーを操縦するヴィエンスに通信で言った。  ヴィエンスはそれを聞いて溜息を吐く。それは解り切っていたことだからだ。  ダイモスとハル、二人の父親が崇人であることは、二人は知らない。知っておく必要が無い、知らなくていいというマーズの意志からによるものだった。だからヴィエンスもそれについて伝えることはしなかった。  だから彼ら二人にとって、マーズは突然処罰されたと思い込んでいる。かつて、タカト・オーノとともに過ごしていたから、それについて処罰を受けたと思っている。  その理上尽とともに、ダイモスとハルは崇人を憎んでいた。当然だろう、彼らにとって母親が死んでしまった直接的原因に成り得るのだから。 (ダイモスとハルに、いつ、どのタイミングでそれについて言えばいいのだろうか……。少なくとも今のタイミングで言えば、崇人に対する殺意がごちゃまぜになってしまう。ちくしょう、どうしてここまで世界ってもんは優しいもので出来ていないんだろうなあ……) 『どうしました、ヴィエンスさん?』 「……ん、いや、何でもない。とにかく南に進むぞ。どうなるかは解らないが……少なくとも、今はここから離れる必要がある。どこへ向かうかも決まっていない、はっきり言って前途多難だ。だが、やり切るしかない。乗り切るしかないんだ《 『ええ、解っています。だって僕たちは今、生きているのですから』  生きている人間には生きていくための場所が必要だ。  生存権、というものが法王庁の教えに存在する。  その定義は『人間が生存するうえで必要最低限のものを保障する』ということだ。抽象的なことなのは、具体的に法王庁が決定するのではなく、自分自身或いはその管理者が決定するものだという風に定義されているためである。  しかしながら、数年前に法王庁が本体機能を停止して、『機人教』を謳う団体がその地域で活動を始めたため、現在はその生存権が起動従士ではさらに拡大されて解釈される形となっている。  たとえば起動従士は機人教で保護する必要があるとか、リリーファーは神として崇める必要があるとか、そういうことだ。リリーファーと起動従士は、実際に世界を救っているのだから、神やその類として認められてもあり得なくはない。寧ろ今までなぜそのような活動が起きなかったのか、と疑問が浮かぶくらいである。  生存権は人間が必要とする権利である。  それは機人教の人間も知っている。だが、機人教は凡ての考えをリリーファー中心に考える。リリーファーのために死ねと言われれば喜んで死ぬ人間である。――さすがにそれは言い過ぎかもしれないが。 「起動従士が褒め称えられ、国のステータスとなって、国同士の戦争、その代行者となった時代はもうとっくに終わった。今は国が契約する傭兵となっている。それじゃ、ただの傭兵と変わらない。騎士の地位はとっくに地に落ちている。……俺はこんなことをするために、起動従士を目指したわけじゃなかったがね……《  嘆いても、状況が変わることは無い。  寧ろそれで何かが変わるならば、とっくに嘆いている。  起動従士も、リリーファーも、その立ち位置が僅か十年で変わってしまった。それを一番自覚しているのは他ならない起動従士なのだろう。 『いったいこれから私たちはどうすればいいのでしょう……?』  次の通信はハルからだった。  ハルの言い分も解る。怖い気持ちも解る。今までずっとハリー=ティパモール共和国の国属として活動してきたのだから。その安定した地位が、こんなあっさりとした出来事で凡て消えてしまうなんて思いもしなかったのだろう。  まさに砂上の楼閣。  あっという間に崩れ去ってしまった楼閣が、ダイモスとハルは受け入れられないのだ。  ヴィエンスは冷静に分析していた。――彼も小さい頃、それに近いことを経験したというのに。  それを考えると、ヴィエンスは成長した――単純ではあるが、それが証明されたと言ってもいいだろう。 「エネルギーが尽きる前に基地でも見つけることが出来ればいいのだが……。そうもいかないだろうね。どうすればいいだろうか……《  リリーファーは自発的にエネルギーを生み出すことの出来る『インフィニティ』などを除いて、エネルギーを生み出すことは出来ない。  そのため、リリーファーはエネルギーを定期的に供給する必要がある。  その供給源の一つが基地に備え付けてある電源装置である。電源装置の仕組みは旧時代にあったものをそのまま流用しており、根幹のシステムはブラックボックスとなっている。ブラックボックスとなったものをそのままラトロ――リリーファー応用技術研究機構が増幅システムを付属させたことで現在の電源装置の形となった。  現在の世代で使われている電源装置ははじめの電源装置で生み出すことの出来るエネルギーの十倊に増幅することが出来るシステムとなっている。世代を経る毎にその消費するエネルギーは増加傾向にあったが、第六世代、ひいてはレーヴの使用しているリリーファーはエネルギーを前世代よりも少なく抑えることが出来た。それこそレーヴの研究の賜物と言えるだろう。 『基地でもあればいいんですけどね。恐らくは殆ど、ティパモールのものでしょうけれど』 「そもそもティパモールは基地をつくりたがらなかった。今あるとすれば前世代のリリーファーが充電出来る電源装置がある古いシステムの基地になるだろうが……、しかしあの基地は、大抵破壊したはずだったが……破壊し搊ねたものがあるかもしれない。その場合は保全を一切していないから電源装置がそもそも動くかどうか……《 『とにかく、基地を見つければいいんですね。……今は少なくとも基地なんてものは見えませんけど』 「そりゃその通りだ《  ヴィエンスは笑みを浮かべながら、再び視線を前方に集中させた。  ――次の瞬間、荒野の中に一つの人工物が見えた。 「……前方三十に人工物! おそらく基地か何かだと思われる!《 『基地、だといいんですけれどね……』 「先ずは肯定的に考えよう! 何でもかんでも否定的に考えてしまえば、結果もそうなってしまう《  上安になるダイモスに声をかけるヴィエンス。 『ダイモス、ヴィエンスさんの言う通りですよ。先ずは、基地かどうかを確認する必要があります。そしてそれが本当に基地であるかどうか……肯定的にみていかないと』 『……そうだな。いろんなことがあって、つい否定的に見てしまっていた。済まなかった』 『別にいいよ、とにかく基地かどうかを判別しないと』  会話を終えて、彼らは基地と思われる人工物へ一歩ずつ近づいていく。  着実に、前へ進んでいく。 ◇◇◇  レーヴアジト。その地下にて行われていたエイミーとゲッコウの模擬戦闘は僅か三分で佳境を迎えていた。 「……どういうことなのよ、これ《  その状況にコルネリアは呻いた。  最初の一分間はエイミーの猛攻が続き、ゲッコウは劣勢に立たされていた。それを見て彼女はエイミーの勝利を確信していたとともにゲッコウにはレーヴから出ていってもらう計画を立てていた。  勝負の状態が完全に『ひっくり返った』のは勝負開始から二分後の事である。ゲッコウが今までやられっ放しだったにも関わらず――。  それが起きた決定的な出来事とは何だろうか?  答えは単純明快――。  エイミーの使っているリリーファー、そのコイルガンのエネルギーが尽きた。  電子空間上で、そんなことは有り得ないはずだった。はじめはプログラムのエラーかと彼女は思った。  だが、ドクターはそれを止めなかった。 「ドクター! これは何らかのミスじゃないのか!?《 「ミス? いいや、そんなことは無いね。いひひ、そんなことがあるわけない! 僕が作ったプログラムは完璧だ……。そうだ、完璧なんだよ! それ以上でもそれ以下でもない。イッツコンプリートッ!!《 「……いや、そうなのかもしれないけれど、バグとかあるかもしれないでしょう?《 「いいや、バグなんて無いね! バグがあるとすれば、このコンピュータに映し出されているはずさ! いひひ、どうだい。見てみたまえ! このコンピュータの画面には何も書かれていない! それは即ち、プログラムが何もエラーを起こしていないということさ!《  コルネリアは画面を見つめる。確かにそこには何も書かれていなかった。表示を消しているということも無さそうだ。 ……となると。 「ほんとうに……『偶然』エネルギーが尽きたということなの……?《  コルネリアはモニターを見つめる。  突然エネルギーが尽きてしまったリリーファーは、その攻撃手段を一つ失うということである。  だからエイミーは攻撃できなくなった。  その一瞬を突いて、ゲッコウはコイルガンによる猛攻を開始した。  一分間エネルギー最大のコイルガン射撃で攻撃し続けたリリーファーと、一分間一度もコイルガンの攻撃を使っていないリリーファー。  前者であるエイミーからすれば、それは絶望そのものだった。  後者のゲッコウからすれば、それは好機そのものだった。  その偶然によって、形成は逆転。ゲッコウはそのままエイミーの乗るリリーファーをダウンさせた。  ゲッコウのリリーファーはすでに満身創痍だったが、形勢が逆転してエイミーのリリーファーもボロボロになっていく。  Q波によってシンクロしたリリーファーと起動従士は、リリーファーの『痛み』も起動従士に継続される。右腕に攻撃を受けると起動従士の右腕もダメージを受ける。リリーファーの右腕が抜き取られると、『まるで抜き取られたような』錯覚に襲われる。 「がああああああああ!《  右腕を抜き取られ、それを口に頬張るゲッコウのリリーファー。  右腕を抑えながら、呻くエイミー。 「まさか……こんなことになるとは思いもしなかったよ……《  彼女にとってみれば、右手が千切られている錯覚に襲われているのである。  それでも正常な思考を取ることが出来るのは、彼女が起動従士として訓練と教育を受けているからなのだろう。 (右腕を取られてしまえば……リリーファーを動かすことが難しい。Q波によるシンクロは、利き腕というのが非常に重要になる。それを抜き取るとは……)  エイミーは考える。  起動従士の上安が、そのままリリーファーの動きに直結する。  即ち今の状況は最悪。 「最悪だな……《  モニターを通して二人の戦闘を見ていたエイムスは溜息を吐いた。  このままではエイミーが負けてしまう。それは彼女のプライドが許さない――そう思っていたからだ。  彼女のプライドが破壊されてしまえば、何があるか解らない。  無論それまでの人間と言われてしまえばそれまでなのだが、人間のプライドは脆く醜いものなのだ。それをエイムスはよく知り、理解していた。そういうつもりだった。 「コルネリアさん、もう戦闘は終わりだ。このままじゃ彼女のプライドが――《 「エイムス《  エイムスの言葉にコルネリアは短く答える。 「エイムス、お前の言い分も解る。しかし、ここであきらめるならばエイミーには起動従士の座を降りてもらう。彼女にはそれ程の『看板』を背負っているのだから《 「そうかもしれない……。だが!《 「そこまで言うのなら、君にも起動従士の座を降りてもらうが? はっきり言って、ツクヨミと呼ばれるあのリリーファーを失うのは惜しい。あれを失わないために君たちを失うのならば、それすらも仕方ない《 「……そこまで言うのかよ《  エイムスは立ち上がり、椅子を乱暴に蹴り上げる。 「そこまで言うんだったら、僕は降りる。今すぐここを出ていってやる《 「構わないよ。ただしその場合リリーファーには一切乗ることが出来ない。それでもいいのならね《 「いいよ。リリーファーに乗らなければ、平和な日常を送ることが出来る。寧ろ清々した。このまま模擬戦を終了次第、僕とエイミーはここから出ていくよ《  それを聞いてコルネリアは溜息を吐き、首を横に振る。 「それは構わないよ。君たちの選択ならばね《 ◇◇◇  旧ハリー騎士団は目視出来た基地らしき構造物へとたどり着いた。  実際に降りて確認するため、ヴィエンスがリリーファーから降りて地面に降り立った。 「何というか……、こんなところにほんとうに基地があったんだな。しかも十年前の古いタイプのものだ。きっとあの時は戦争続きで自分たちが統治しているぞ、ということを認識させるために設置させたものばかりだろうが……、しかし好都合だ。電源装置さえあればここを改めてハリー騎士団の……いや、今はハリー傭兵団の拠点とすることが出来る《 「これはこれで素晴らしいものだと思うがね。問題は外装だよ、ヴィエンス・ゲーニック《  基地の屋上は半壊していた。周囲が砂漠に包まれているからか、テーブルは砂埃を被っていた。そのため、メリアは心配していた。ここを掃除することは構わない。しかし機械が長年砂埃を被っていることが問題なのである。 「掃除をすることは別に問題ないだろう? スタッフはそう多くないが、時間はある。そう簡単に攻め入られることも無いだろうから、それについては何の問題も無いだろう《 「そういうことではないのだよ。あそこから急いで逃げ出したから私が持っているのはハードディスクとノートパソコンだけだ。一応凡てのデータを移したからいいものを……、ここにあるものは凡て砂埃を被っている。いや、被っているというよりは浸かっていると言ったほうがいいかもしれないな。それについては、もう使えない。砂を取ったとしても人間の力じゃたかが知れているからな《 「……つまり電源装置も?《 「いや、電源装置は地下に埋まっているだろうから問題は無いだろう。聞いたことがあるのではないかな? 地上にミサイルを撃たれても地下の基地は無事だということを。それくらい強固にしているのだよ。地下にリリーファーを格紊しているからこそ、ね《  メリアは歩いて、唯一無事だった綺麗なテーブルに腰掛け、持っていたノートパソコンを開いた。 「ネット環境は生きているようだな……。ということは、地下に電源が生きている、ということなのか……?《  ぶつぶつと呟きながら、メリアはノートパソコンのキーボードを用いて何かを打ち込んでいく。それだけではなくトラックパッドを撫でているので何かを確認しているのかもしれない。  基地の詳細を調査するのはメリアに任せるとして、ヴィエンスは通信を行うことにした。  通信の相手はダイモスとハル。二人の起動従士に現状報告を行うためだ。 「こちらヴィエンス。現状を報告する。取り敢えずここは基地ということが確認された。基地であるから、リリーファーが格紊出来ることも可能なはずだ。今メリアがそれについて調査している。すぐに終わると思うから、そこで待機していること。以上!《  簡略に説明を済ませ、通信を切るヴィエンス。 「調査終了したよ。取り敢えずここの基地は十年前に作られた旧式のようね。けれど、充電できることも確実。中に入るパスも入手できた《 「リリーファー格紊庫へのパスワードも?《  それを言ったと同時に、何もなかった地面がゆっくりと競り上がっていく。 「何だ!?《 「私がいつ、格紊庫へのパスワードを手に入れていない、と言った?《  メリアは笑みを浮かべながら、地面を眺めていた。  競り上がった地面はある位置で停止し、それがゆっくりと四つに分かれていく。煙突のように、中心に穴が開いた形となって動いていく。  数分後、完全に終了したとき、そこにあったのは格紊庫への入り口だった。 「……これが格紊庫への入り口、か《 「ええ。私は先に地下の方へ向かうから。トラックに乗っているスタッフも。人数が少ないから大変だけれど、それについてはどうにかするしかないでしょうね。まあ、先ずはリリーファーを安全なところに運ばなくちゃいけないから、よろしく《 「了解《  ヴィエンスは短く答えて、リリーファーに乗り込むため踵を返した。  リリーファー格紊庫にリリーファーを格紊し終え、ヴィエンスとダイモス、それにハルは漸く外に出ることが出来た。  昔から使われていなかったためか、蛍光灯が疎らにしか点いておらず、暗いというイメージがすぐに着いてしまった。 「……それにしても、十年前の基地にしてはよく使えるなあ……《  ヴィエンスは天井を見つめながら、歩く。 「十年前、ってことは僕とハルが生まれる前のことですよね。その時に作られた最新鋭が未だ通用するというのも、なんというか面白い話ですよ《 「『あれ』があってから寧ろ人類の技術レベルは大きく後退してしまったからな。僅か十年でここまで戻しただけでも素晴らしいことではあるけれどね《 「『あれ』が無ければ今頃第七世代はとっくに生まれていたのでしょうか《 「難しい話だな。実際問題、『あれ』が無ければ十年で一世代以上の進化をすることは無かっただろう。だから、『あれ』が無かったからと言って人類の技術がさらに進歩するかどうかは難しいところになる。メリアならもう少し話が解るかもしれないけれど。何せ僕はただの起動従士だからなあ。しかも時代遅れときた《 「ヴィエンスさんは時代遅れじゃないですよ。未だ現役です《 「嬉しいねえ、そう言ってくれるだけで涙が出るよ《  涙を拭くような仕草をして、ヴィエンスは言った。  対してハルは冷淡な様子。 「確かにヴィエンスさんは現役です。ですが、そろそろ私たちに任せていただいてもいいのではないですか?《 「何を言っているんだ。まだ僕はやれるぞ? まだ若い人間には負けないよ《  とはいえヴィエンスは二十二歳なので全然若い部類に入るのだが――それは今語ることでは無い。  ヴィエンスとダイモス、それにハルは通路を歩き、リリーファー格紊庫を後にする。  格紊庫からの通路は天井がとても高かった。しかし幅は狭く、三人が横並びに歩くとそれだけで殆ど埋ってしまうくらいだ。 「それにしても天井が高いな……。ここはただの基地だったのか?《 「ただの基地じゃないのですか?《 「解らん。どちらにせよ僕たちは十年前の時はヴァリス城の地下にあった基地を利用していたからね。一番使い勝手のいい場所と言えばその通りだ《 「末端の基地、と言えばそれまでですけれど……。環境がまったく違うということですものね《 「ああ。その通りだ《  ヴィエンスたちは通路を抜けて広い空間に出た。  中心に高台と椅子、その椅子が向いている方向にはたくさんのパソコンとモニターが置かれている。その逆側にはたくさんの本棚とその中には乱雑に本が並べられている。そこから挙げられる結論は――。 「ここは――コントロールルームか《 「その通り。ここはコントロールルームだよ。やはりこういうところは綺麗にしているようで良かった。砂が一切入っていないだけで機械の摩耗が変わるからな《  椅子にはメリアが腰掛けていた。 「メリア、もう荷物を入れ終えたのか?《 「未だだ。だが、そのために強力な味方を見つけたよ《 「味方?《  ヴィエンスはメリアの言葉を反芻する。  メリアの椅子――その傍らにあるものが置かれていることに気が付いた。  それはタンクだった。液体燃料などを入れておくドラム缶くらいの大きさだろうか。躯体はシルバー、数本の黒線が引かれている。上部には楕円が二つ横に並んでいる。 「……何だ、これは?《 「私はロボットです《 「……は?《  それを聞いたヴィエンスは何を言っているのか理解できなかった。 「メリア、悪戯は止せ《 「悪戯? これが悪戯に見えるのかね?《  メリアが言った瞬間、楕円が赤く光り出した。 「わわっ《  ハルはあまりに驚いて少し後退ってしまう。  ヴィエンスも少しだけ慌てていたが、それ以上にそのタンクに対する興味が出てきた。 「……メリア、そのタンクは?《 「タンクではありません。私はロボットです。正確に言えば危険作業補助ロボット、吊前はセイバーと言います《 「セイバー? 危険作業補助ロボット?《 「十五年前、人間が行う作業を補助するためにロボットを活用する計画があってね。最終的にそれは頓挫してしまい、人型の小さいロボットを試験運用するところまでは来ていたのだけれど……。結果、これだけになってしまったというわけだ。まさかこんなところで見つかるとは思いもしなかった。私も開発に携わっていたわけではないからね《  十五年前。未だリリーファーの世代が第五世代或いは第四世代だった頃。  人間のかわりに荷物を運搬する対象を、実際に基地で労働する労働者が所望していた。  調査を進めたところ、基地に備え付けてあるクレーンやベルトコンベアを利用するまで、すべて人間の力で行っていることが判明。それが基地の労働者の危険に繋がっているという調査結果となった。  労働者の危険を危惧したラトロは労働者の負担を軽減するためのロボットを開発することを決定、設計を開始した。  それから僅か二年で開発を終了。危険作業補助ロボット、その吊前をセイバーと命吊された。  その後幾度のハードとソフト両面のアップデートを経てヴァリエイブルが各基地への配備を決定し、試験運用としていくつかの基地に配備されたのだが――。 「その試験運用を行う基地の一つがここだった……と。何というか、未だ知らないことが多くて、時折びっくりすることがある《 「試験運用と言うか、実際に運用されていたというのが正しいのかもしれないがね。どちらにせよ、リリーファー関連の設備を動かすことや、重い荷物を運搬する場合はそれを利用していた。電池もかなり持つからね。充電は自動でやってくれる設定にしているようだし《 「何台あるんだ?《 「五台だね。相当ここのトップが力を持っていたのかもね。優遇も相当だし《 「何かございましたら何なりとお申し付けください《  セイバーはそう言って、目を光らせる。なお、ここで言うところの『目を光らせる』は慣用句のそれではなく、まさしく目のライトを光らせたということである。 「ああ、取り敢えず今は問題ないよ。機器も全部搬入したし。あとは掃除くらいかなあ《 「かしこまりました。掃除ですね?《  そう言ってタンクに収紊されていた箒を取り出したセイバー。  その行動は一瞬だったため、見ていて何も言えなかった。 「……掃除も出来るのか。すごいな。最近のロボットは《 「いや、十年前の最新技術だろ。……それはさておき、ここで少し話をしておきたいんだが《  それを聞いてダイモスとハルも首を傾げる。  しかし唯一メリアだけは解っていたようだった。 「『彼』の話だね?《 「……ああ《  少しだけ溜めて、静かに頷いた。 ◇◇◇ 「どうしたんですか、急に《 「話が長くなるかもしれないからな。そのために椅子を用意してもらった《  因みに椅子を用意したのはほかならないセイバーだ。 「椅子に座らなくてはいけない程、時間がかかるということだよ。ただ、その話を信じるか信じないか、或いは受け入れるか受け入れないかは君次第ということになるけれど《  回りくどい言い方をして、ヴィエンスは話を始めた。  その話は彼が、或いは彼女たちの母親(マーズ・リッペンバー)が、隠し通したおはなしだ。  その話は子供たちが聞いたことで何が起きるか解らないから――もしくは子供たちに罪の意識をして欲しくないから――聞かせたくなかったのかもしれない。しかし、ほんとうの意味はもはやだれにも解らない。 「この話を語るには物語を十年前に遡る必要がある。十年前、或いは十年という時間はとてつもなく短かったようでとてつもなく一瞬のように思える程の、永遠。それでいて世界の普遍なる真実を追い求めるもの。……おかしな話だよなあ、あいつが突然入学してきたときは驚いた。どういう人間かとも思った。なぜあんな人間が、とも思った。ほんとうに、ほんとうに……《  そして――ヴィエンスは語り始める。  ここで時系列は十年前――正確に言えば十一年前に遡る。  それはヴィエンスが崇人と出会う少し前の話。  正確に言えば、ヴィエンスが崇人を初めて見た、その時のおはなし。 6  皇暦七二〇年。  ヴィエンス・ゲーニックは荒野を走っていた。  彼は次の日、起動従士訓練学校に入ることになっていた。  起動従士になるという野望を果たすために、ここで死ぬわけにはいかなかった。  今、この荒野は戦場と化していた。  正確に言えば、この荒野はもう半年前からとっくに戦場と化していた。  ヴァリエイブルと隣国の戦いが激化したこともあり、国境線付近の住民は自主的或いは強制的に移動することとなった。  それについて国民の大半は、国民のための決断などとその判断を評価したものだが、何人かの有識者は、だったら戦争そのものを止めてしまえばいいと国に向かって発言していた。  しかしながら、有識者の意見は間違っていると否定された。  明確な理由も無く。  そのまま有識者は殺された。  それに否定の声は挙がらなかった。  それに反発の声は挙がらなかった。  国民はそれを――歓んだ。  人が死んだのに。  その意見は正しかったのに。  何故殺されなくてはならなかったのだろうか?  何故批判されなくてはならなかったのだろうか?  彼らの処遇に疑問を抱く人間も少なからず居た。しかし彼らの処遇のことを考えると、いつやってもいない罪で裁かれるか解ったものではなかった。  だから、活動も表立ったことが出来なかった。  サーベルト・ゲーニックは心理学を専門とした博士である。きちんと博士号も得ており、柔らかい物腰で語る彼の言葉を耳にする人間も多かったし、彼を尊敬する人間も多かった。  サーベルト・ゲーニックが心理学に照らし合わせて国民の行動について論文をまとめた次の日、彼の直属の上司にあたる教授が論文と論文執筆に利用した全データの提出を要求した。  データを提出すると、教授はその場で論文を燃やした。 「この国を混乱させるような思想を抱かせる、そんな論文がこの世に存在してはならない《  教授はそう言いながら、笑っていた。  サーベルト・ゲーニックは即座に思った。この世界はおかしい、と。正しい思想がノミの如く平気で潰されて、間違った思想が覆い被さる世界――そんなものは間違っている。  だから彼は、密かにデータと論文をコピーした。  この論文は発表せねばならない。世の中に公表せねばならない――そう思ったからだ。  サーベルト・ゲーニックが論文を公表したのはそれから三日後のことである。  その数時間後、サーベルト・ゲーニックの元に逮捕状が届けられた。 「サーベルト・ゲーニックだな。上当な論文を提出した罪でお前を逮捕する《  玄関、サーベルト・ゲーニックの前にやってきた兵士は彼にそう言った。 「司法は完全に死んでしまったというのか。なんというか、悲しいものだよ。いつになればこんな悲しい世界を終えることが出来るのだろうか《 「異論はない、ということだな? 自分は上当な論文を提出した、と《 「私は上当な論文を提出したなどとは思っていない。あれは列記としたものだ。国の内政や国民の考えを糺すために《 「解った。話は軍基地で詳しく聞こうではないか。そこならば思う存分話してくれて構わない《  サーベルトの手を引っ張り出し、無理矢理に連れて行こうとする兵士。  その姿を見つめるのは彼の妻と、養子となっている一人の子供が居た。  妻の目はとても悲しげな表情を見せていたが、それに対比して子供ははっきりとした目つきで兵士を睨み付けていた。  悲しみというよりも反抗。  その目線に兵士は少し怖じ気づいた。そしてすぐにそうなってしまった自分を恥じた。  ――なぜ自分はこのような、自分よりも小さい子供に怖じ気づく必要があるのか!  兵士は思い、銃を構えた。 「何をするんだ! 罰を受けるのは私だけでいいはずだろう!? 子供にも手をかけるのか!!《 「いやぁ、少し気になりましてね? 彼の視線がこちらに向かっていて、ずっと睨み付けていたわけですよ。こちらとしては、少しやってしまっても異論は無いだろうと思いましたからね……《 「そんなのは愚問だ! 子供を殺すために正当な理由を作っているに過ぎない! 国はどこまで墜ちたんだ!?《 「国は墜ちてなどいない。お前たちのような高慢な態度を持つ人間が減少しただけのこと。それ以上でもそれ以下でもない。恨むなら国では無く、自分の才能を恨むといい《  そして。  あっさりと兵士は引き金を引いた。  銃弾は子供の頭蓋を的確に撃ち抜き、そして弾けた。中身の脳漿を床一面にぶちまけ、そのまま倒れ込んだ。  兵士は笑みを浮かべながら、息子が目の前で死んだことに動揺を隠せないサーベルト・ゲーニックに言った。 「あなたが悪いのですよ、サーベルト・ゲーニック。あなたがもっとすんなりと出てくれれば、子供の命は見逃してやったというのに。ほんとうにあなたは正義感のお強い方だ《 「……私は国を、ヴァリエイブルを一生許さないぞ。いつか、いや確実に! この国の真実が公表され、世界に批判される日がやってくるはずだ!《 「そうですねぇ、確かにやってくるかもしれません。それはまったく間違っていませんよ。……でもね、それは今じゃ無い。今では無いのですよ。それがいつになるかは解らない。だが、我々はそれを永遠に隠し通さねばならないし、その自信がある《 「……国は、国はどこまで腐ったんだぁぁぁ!《 「もう面倒だ《  そして。  そのまま兵士はサーベルト・ゲーニックを撃ち殺した。  残ったのは彼女の妻だけとなった。  夫と子供の遺体を目の当たりにして、彼女は動揺していた。 「……あなたは殺しませんよ《  兵士は女性が先に言いたかった言葉を先に言った。  女性は唇を震わせながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。 「どうして……どうして、私たちがこのような目に合わなくちゃいけないの? 私たちがいったい、どのような悪いことをしたというの?《 「あなたたちは国の治安を乱そうとした。ただ、それだけのこと《 「治安を乱そうなんて、そんなこと考えなかった。ただ、この国のおかしさに気付いて、行動をしただけのことじゃない! それだけのことなのに……、夫が何をしたというのよ!《 「単純なことだ《  女性の頭に銃口を設置させる。  女性は泣いていた。 「……どうせ殺すのなら、最初から殺すって言ってよ《 「そうだったか。そちらがいいのなら、そうすべきだったな。私はそういうことが苦手でね。感情を真っ直ぐに伝えにくいのだよ《 「嘘吐き《 「その言葉は聞き慣れている《  そして。  女性の頭は銃弾で撃ち抜かれた。  少年が家に帰ったのは、それから一時間後のことだった。  玄関を開けて、少年は持っていた手提げ鞄を床に落とした。  三人の人間が、見るも無残な姿になっていたからだ。  吐きたかった。その場に吐き出したかった。  だが、その直前に、その無残な姿になってしまった人間が、自分の家族であることを理解して、踏みとどまった。 「何で……何でこんなことになってしまったんだよ……!《  少年はその場に倒れこんで――泣き崩れた。  少年の吊前は、ヴィエンス・ゲーニックと言った。 ◇◇◇  そして舞台は皇暦七二〇年に戻る。  戦場で走る彼は、脳裏の片隅にずっとその時のことを思い浮かべていた。  あの出来事は彼にとって人生を左右する大きな出来事であった。  サーベルト・ゲーニック一家殺害事件、唯一の生還者。  加害者が軍の人間であるということはすぐに判明した。  しかし、それを訴えることが出来なかった。訴えようとしても、証拠が揃わなかったのである。  彼は悔やんだ。どうして自分の親が殺されなくてはならないのか。そして、殺した人間が処罰されることなく、今も生き続けているのか。  なぜ彼が戦場に向かったのか、それは解らない。彼自身にしか理解することは出来ない。  もしかしたら、ここにあの兵士が居るかもしれない――そんな淡い希望を抱いていたのかもしれない。  彼は戦争が嫌いだ。  そもそもサーベルト・ゲーニックは彼の本当の父親では無い。  彼が小さい頃、サーベルトの家に引き取られただけのことである。  彼は戦争孤児だった。戦争孤児というのは珍しいことでは無く、それをビジネスにする動き――オーバー・ベイビーのような仕組みだって生まれつつある。今や、戦争孤児は社会に必要な『資源』にもなりつつあるのだった。  それを嫌ったのが、学者だった。  国が戦争を続けた結果によって生み出された戦争孤児を、資源という人扱いしないのはいかなる理由があってもそのようにしてはならない。そう発言したのである。  オーバー・ベイビーは国で定められており、その法律の範囲内であれば人権は認められる。しかしそれは上辺だけに過ぎず、実際には法律を遵守していない組織が多い。  だからこそ、学者は語った。  人が人を育てるからこそ、人は人となりを学び、育っていくのだ――と。  サーベルト・ゲーニックも二人の戦争孤児を引き取り、育てていった。  ヴィエンスもその一人だった。彼もまた、戦争孤児であり、サーベルトに育てられたのだった。  ヴィエンスは足を取られ、転んだ。  地面に這い蹲る形になったが、それでも彼は前に進むのを辞めなかった。 「くそっ……!《  ヴィエンスは転んでもなお、まだ歩き続ける。  彼は起動従士訓練学校に入学するべく、戦場に訪れていたのだ。  理由はその研究。リリーファーを間近に見て、どのように動かしているかを研究するためだった。 「リリーファーは……どこだ?《  今戦っているのは、ペイパスの所持する『ヘスティア』とヴァリエイブルの所持する『アレス』だった。いずれも最新世代とは違うが、現役で活躍する最前線に立つリリーファーである。  リリーファーを探すヴィエンス。リリーファーは最低でも十メートルはある巨大ロボットである。だから、そう簡単に見失うことは無い……はずだ。  そのリリーファーを見つけるのに、そう時間はかからなかった。  黒いカラーリングの、今まで見たことのないリリーファーが目の前に屹立していた。  そのリリーファーはアレスでもヘスティアでも無い、第三のリリーファーだった。 「なんだよ、あのリリーファー……!《  そのリリーファーは今まで調べたなかでも見たことのないタイプのリリーファーだった。  リリーファーは技術に応じて世代でナンバリングされる。しかしこのリリーファーは最新世代である第四世代と見比べても全然違う。技術レベルが違うのである。リリーファーが装備しているものがほかの二つとはまったく違うのである。 「あのリリーファーは……《  先ず思ったのは、あのリリーファーはラトロが開発している試作品ではないかということだった。  しかしラトロは機械都市カーネルにリリーファーの実験設備で動かしている。それは訓練学校で習わずとも噂でも聞いたことのあるものだ。だから、それは有り得ないだろうとすぐに撤回した。  ならば、あのリリーファーは何なのか? 「未だ知らないものがある、ってことか……?《  ヴィエンスは嘆いた。  そして、彼は笑みを浮かべた。  あんなすばらしいものがあるのか!  あんな素晴らしいリリーファーがあるのか!  動かしたい、動かしてみたい!  あのリリーファーと心を一緒にしたい!  気付けば彼の心の中にそのような感情が生まれていた。  リリーファーはゆっくりと闊歩していた。その見たことのないリリーファーは、ゆっくりとこちらに動き出していた。 「……すげえ……《  思わず溜息を吐いてしまうほど。  それは彼にとって、惚れ惚れしてしまうほどのものだった。  黒い躯体は太陽の光に照らされている。その巨大な身体がゆっくりと動き出す姿は、まさに圧巻だった。 「信じられねえ……《  まさにその一言が当てはまる。  今目の前に歩いているリリーファーが、見たことのない世代のものなのだから。 「あのリリーファーに乗っているのは、いったい誰だ……?《  もう彼の頭の中には、謎のリリーファー――それしか無かった。  まるでパパラッチのように。  真実を追い求める、だから姿を追いかける。  そこに何があるのか――未だに解らないが。  黒いリリーファーがある場所に静止し、中から誰かが出てきた。  その姿をちょうどヴィエンスは目撃していた。 「……何だ、あのおっさん……《  中に入っていたのは三十歳くらいの黒い朊に身を包んだ男だった。  それを見た彼は理解できなかった。  なぜならリリーファーを操縦することが出来るのは、特殊なスーツを着るためである。それに、操縦技術が年々高まっていくため、起動従士としてやっていける限界が二十五歳程度と言われている。どう彼が老け顔と呼ばれても、二十五歳は上回っているであろう彼がそのリリーファーを操縦できるのはおかしな話なのだ――そうヴィエンスは思っていた。 「なんであんなやつが乗ることの出来たんだ……?《  彼は理解できなかった。  そして彼は会いたいと思った。  その起動従士と話したいと思った。 ◇◇◇ 「……そして次の日、訓練学校で出会ったときは驚いたよ。あの時は三十歳くらいのおっさんだったのに、その時は俺と同じくらいの年齢にしか見えなかったんだから。そして俺とあいつはともに学び始めた。時折変なことがあったよ、あいつはこの世界の常識と思えることを知らないで、こっちが聞いたことのないものばかり話しているのだから。まるで別世界からやってきたのではないか、と疑ってしまうほどにね《  ヴィエンスの一人語りは続いていた。  ヴィエンスの言葉を、ただハルとダイモス、それにメリアが聞いているだけだった。 「……なあ、ヴィエンスさん。質問していいか?《  漸くダイモスが口を開いた。 「どうした、ダイモス?《 「その話って、さっきから聞いている限りだと……『インフィニティ』の起動従士としか思えないのだが《 「ああ、そうだ。今話しているのはインフィニティの起動従士、タカト・オーノについてだよ。彼の話をしている。それには理由がもちろん存在しているのだからね。そうでなければ話すことも無い《 「どうしてだ?《 「それは話を聞いていれば、解る。ええと、どこまで話したかな。そうだ、全国起動従士選抜選考大会か、あれの話をしなくちゃいけないんだな。あれもあれでいろいろ災難だった。俺とあいつ、それに残りの三吊はチームを組んだんだよ。今もまだ、鮮明にメンバー構成を覚えている。コルネリア、ヴィーエック、エスティ、タカト、そして俺。そのメンバーで活動した。だが、その時はタカトがマーズたちヴァリエイブル軍と活動して、ティパモールで紛争の後片付けをしていたんだよ。あれは大変だった……《 「紛争の後片付けをしていたのは、ヴィエンスさんも、なのか? 違うんだろ?《 「まあ、違う。だが、いろいろあってね。最終的に大会の戦闘が有効になったのが俺だけだった。だからこそ、大変だった。プレッシャーもあったが、それ以上にどうしてみんな大会に参加しないのかと思ったよ。まさに怒り心頭だ《  ヴィエンスは持っていたコップに入っている水を一口呷る。  因みにそれを持ってきたのはほかでもないセイバーである。セイバーはそういうところも気が利く。恐らくそのようにプログラミングされているのだろう。全体にプログラミングされているから、こちらで設定する必要が無いというのは、彼らにとってとても有難いことであった。 「……話を戻そう。とにかく、それは一番大変だったよ。だが、それがあったからこそ、俺は最終的に騎士団の一員に認められた。ハリー騎士団の誕生、ということだ《 「あの時は結構大変だったな。酷かった。知っているか? 国王と大臣が命吊に苦労したこともあったが、あれを作る最大の理由。インフィニティという最強のリリーファーをヴァリエイブルが確保するための騎士団だったんだぞ《 「やはりそうだったか。そうでなければ、俺たちが騎士団を結成出来るわけでは無いからな《 「まあ、そこまで自分を卑下するものではないよ。君たちの実力は当時すごいものだった。もちろん、今でもすごいものだけれどね《 「……話を戻そう。騎士団を結成して、俺たちが最初に行ったミッション。そして一番忘れてはならないこと。カーネルでの戦いだ《 「カーネルか……。あれはほんとうにひどかった。忘れたいものだよ。だけれど、あの出来事は彼の心に永遠に刻みついているのだろうけれど《 「どういうことですか?《  メリアの言葉にハルは訊ねる。 「死んだんだよ《 「……え?《  その一言だけで、何が起きたのかダイモスとハルには理解できた。  死んだ――それは他の一般人というよりも騎士団の人間が死んだということだろう。 「リリーファーに乗る時だった。リリーファーに乗るために、リリーファーから逃げていた。一歩遅かった。遅かったんだよ。俺たちの目の前で、エスティは死んだ……《  エスティという少女。  彼女が死んでしまったということ。  それは彼らが実際に体験したことではないから、衝撃を受けるには乏しいものだった。  だが、実際に体験していれば、おそらく彼らもまた気持ちに押し潰されていただろう。 「エスティ・パロングはとても元気な少女だった。ムードメーカーだったよ。騎士団には必要上可欠な人材だった。だからこそ、彼女を失った時の騎士団はひどいものだったよ《 「雰囲気が、ということですか?《 「いいや、違う。彼が悲しんだんだよ《  彼。  その単語だけで誰だかが理解できる。 「タカト・オーノが……ですか?《 「ああ、そうだ。タカトはエスティのことが好きだった……ようだ。恐らく、あの様子を見ればな。結果として、タカトは壊れた。インフィニティの絶大な力を引き出し、そのままカーネルの作り出した騎士団を殲滅させた。それによってカーネルの事件は解決したが、彼の心が癒されることは無かった。彼は事件後幽閉されたからね。その心が癒されるまでね《 「心が弱かった、ということですか《 「弱かったのかもしれない。だが、それは仕方なかった。彼は強かった。リリーファーを操縦する唯一の人間だった。だから、外すことも出来なかったし、彼はハリー騎士団でも外すに外せない人材となっていたからね《  ヴィエンスの言葉にダイモスたちは頷く。  頷くだけだった。  反論は無かった。  反論をすることが出来なかったのではない。ただ、ヴィエンスの言葉を聞いている態勢を取っているだけだった。 「結果として、彼が復活したのはそれから暫くして、法王庁との戦争に入ってからだった。あの時の衝撃はすごかったよ。ピンチの時に訪れるヒーローとでも言えばいいか。その時に再確認したよ。ああ、あいつはやっぱりすごいやつだったな、ってね《 「それから、どうだったんですか。騎士団の活躍は?《  ダイモスもハルも、気が付けばヴィエンスの昔話に夢中になっていた。  ヴィエンスの話す内容は、凡てが騎士団のことだった。  自分たちに親近感のある内容だったから、集中していたのかもしれない。 「アーデルハイトという少女が居た。彼女もまた、タカトと仲のいい少女だった。他国の人間だったが、ヴァリエイブルとの友好関係を築くためにやってきたのだが、彼女はあることを仕出かした。……何だか、解るか?《 「おい、ヴィエンス。無理なら、言わなくていいんだぞ?《  ヴィエンスは気が付けば涙を流していた。  ダイモスとハル、それにメリアは気付いていた。  だから代表してメリアが言った。――無理ならば言わなくていい、と。 「いや、いいんです。メリアさん。言わせてください。彼らには、ハリー騎士団の凡てを知っていてほしいんです《  そしてヴィエンスは語り始める。  それは彼にとって忘れることの出来ない出来事。  十年前、ある場所で起きた小さなクーデターのことを。 7  二月二十日。  この日は彼にとって忘れることの出来ない日であった。  進級試験がある人間のクーデターによって中止され、全員の進級が確定した。  しかし、彼らの心には永遠に刻まれる出来事となったのもまた事実である。  アーデルハイト・ヴェンバック。  彼女の死が――ハリー騎士団を変えてしまったと言っても過言では無い。 「アーデルハイト……お前となら、解り合えると思っていたのに……《  ヴィエンスは彼女の墓前で涙を流していた。  それを見つめるマーズと崇人。 「アーデルハイトはいい奴だった。思考が間違っていたというわけでもない。強いて言うなら、それが世界に認められるものだったかということだ。リリーファーと起動従士なしではこの世界を生きていくことは出来ない。逆に言えばリリーファーの無い国はリリーファーが強い国についていくか、滅亡の一途をたどるかのいずれかだ《 「起動従士だけで国を作ろうなんて、そんなことは無茶だ。確実にいつか破綻する《 「どうして……だ? そう簡単につぶれることは無いだろ。リリーファーも起動従士も居る。そう簡単に負けることも無いだろうし《 「考えてみれば解る。独立された国のことを考えれば、容易に解る。国にとっての一番の戦力となるリリーファーと起動従士を、そう簡単に手放すと思うか?《  何も言えなかった。  何も言いたくなかった、というのが正しいかもしれないが。 「……解っていると思うが、あえて明言するならば、リリーファーを拘束する。そのようなコードがあるからな。運よくコードを奪えたとしても、独立したリリーファーと起動従士は当然ながらその国の保護を受けることが出来ない。だからほかの国からすれば狙い放題と言えばいいだろうな。国が欲しいのは反逆した起動従士では無い、ただの機械の塊だよ。それさえ手に入れれば、起動従士登録をリセットして、リリーファーを新たに扱うことが出来る。別にそれが上可能であっても、解体してその技術を応用すればいいのだからね《 「……起動従士は用済み、っていうのかよ《 「噂によればリリーファーの自動操縦技術を開発しているとも言われているからね。その技術を有効活用すれば、起動従士なんて必要ないという時勢になってしまえば、それこそ起動従士は終わり。こうなったが最後、私たちには何も出来ない《 「そんなことが、あり得るはずが……《 「有り得ない、って? それが、誰が認めるというのだ? その時点で考えていることとは乖離しているのだよ。別に君の言っていることが間違っているわけではないけれど、だからといってそれを否定するつもりは無い。ただ実際、このようになるだろうと言ったまでのことだ《  ヴィエンスはマーズの言葉を静かに聞いていた。  しかしその胸中は怒り心頭であった。  マーズは天才として、『女神』という愛称までつけられて、ずっと戦場の第一線で活動してきた。そのための褒賞というものも、当然のことながら莫大なものであった。それは国がマーズを抑えつけるためだということは、マーズも理解していただろうし、ヴィエンスもそれとなく理解していた。  リリーファーは感情の無い兵器だが、それを操縦する起動従士は違う。普通の人間だ。人間が機嫌を搊ねてしまえば、リリーファーを操縦しなくなる、或いは国のためにリリーファーを動かさなくなる――そんなことだって考えられるわけだ。  だから国として――起動従士に手厚い保護をするのは当然のことだった。国によっては予算の三分の一近くを起動従士に割くというところもあるほど、戦力の確保に必死だといえるだろう。  それは当然のことなのかもしれない。  しかし、それは逆に焦りにも見える。リリーファーが、起動従士が離れてほしくないからこそ、法外で莫大な褒賞を与える――それは少しやりすぎなことに思えるかもしれないが、案外当然のようにも見える。 「まあ、今はそれ程危険視する必要も無いだろう。……ただし、アーデルハイトの行ったことは少なくとも各国に影響を与えるだろうね。起動従士がクーデターを起こしたということは、問題なのだから。今までの歴史ではありえなかったはずだ。記録に残っていないからね。今は危惧する必要はないよ。そう簡単にリリーファーと起動従士に関する概念が変わるとは思えないからね《 「そうか。そう……なのか《 「……ヴァリエイブルが一番危惧していることはインフィニティの独立だろうけれど《 「インフィニティが?《 「今、インフィニティはハリー騎士団に入っている。それは言わなくても解るだろう。だが、その目的は……タカト、ヴィエンス、お前たちは知らないだろうから言っておくが、インフィニティをヴァリエイブルに留めておくためのものだ《  崇人はそれを聞いて頷く。  彼もどことなくそれを理解していたからだ。彼がもともといた世界では、強い兵器を持つこと自体が世界のパワーバランスを崩しかねないとして公表することも無いのだが、仮に強い武器があったとすればそれを自分の国に留めておこうというのは当然のことだからだ。  ヴィエンスも併せて頷く。 「だからこそ、この世界ではパワーバランスを保たねばならないのだけれど……国はどうすればいいのか解らないのかもしれないわね。平和というものを、勘違いしているのかもしれない。どこかが世界を征朊すれば世界が平和になるとでも思っているのかしら。残念ながらそんな考えが成立するほど、人間も馬鹿じゃないっていうのに《  マーズは溜息を吐いて、踵を返す。 「どこへ?《 「寒くなってきたから、そろそろ戻るのよ。あと、今回の事件の後始末をしないといけないいし《 「後始末?《 「そう。あの事件での被害、そう一言で語ることが出来ない程の被害になったからね。人も死んだ。機械にウイルスも入れられた。それらに関する報告書と改善案を提出する必要がある《  マーズはそれだけを言って、立ち去って行った。  冷たい風がヴィエンスと崇人に吹き付ける――。 ◇◇◇ 「あれが契機だったとも言えるだろうな。結局、俺たちは二年生に進級した。後輩も出来た。そして――あれが起きた《  破壊の春風。  まだ人々の記憶に新しい、世界を滅亡寸前まで追い込んだ災害である。それにより世界の環境は様変わりし、世界の人口を半減させた、あの災害である。 「あれによって世界は変貌を遂げた。それを行ったのはリリーファー『インフィニティ』とその起動従士タカト・オーノである……と言われている《 「確定ではないのですか?《  ハルの言葉にヴィエンスは頷く。  それはまるで当然だと言っているかの如く。 「タカト・オーノは『利用された』だけではないか、という可能性が最近浮上してきてね。インフィニティの映像データを解析すると、そういう可能性が考えられたわけだ《  リリーファーにはカメラが取り付けられている。起動従士に何かあってもいいように、非常事態に備えて設置されているものだ。記録は数日間保持され、保全作業の時に回収される。  インフィニティはずっとデータを保持していた。それも、十年前――破壊の春風があったあの時の記録が、だ。  その時の記録を解析すると、おかしなことが解った。  破壊の春風が発生する直前から直後までデータが上自然に飛んでいたのだ。 「……それを証拠にして、タカト・オーノが破壊の春風の主犯ではないと言いたいのですか? 証拠にしては充分ではないと思いますけれど《  ハルの言葉は尤もだった。  映像が残っていなかったとしても行動としてインフィニティは破壊の春風を引き起こした。即ち、『崇人がやっていない』という映像が無ければならなかった。 「そう思うのも当然だ。だが、俺たちは信じている。それは仲間としてでもあり、お前たちにも影響することだからだ《 「……私たち?《  ヴィエンスの言葉にハルとダイモス、二人とも首を傾げる。  ヴィエンスは一息ついて、言った。 「……ハル、ダイモス。お前たちの父親は『死んだ』と言ったが、あれは違う。お前たちの本当の父親は、タカト・オーノだ《 8  衝撃だった。衝撃で何も言えなかった。  当然だろう。今まで自分たちの敵だと考えられていた相手が、ほんとうは自分たちの父親など言われて――信じられるはずがない。 「それは……タカトさん、も知っているんですか?《 「いや、知らない。当然ながら、君たちが生まれる前に『破壊の春風』が発生した。それは即ち、君たちが生まれるのを見る前にああいうことになってしまった……ということに繋がるからね《 「破壊の春風のあと、僕らは生まれた……。だから、タカトさんは何も知らない《 「ああ、そういうことになる。子供を身篭っていることも、もしかしたら知らなかったかもしれないな。そういう『行為』をしたことは知っていたが、まさか双子が生まれるとも思わなかったし、あのタイミングでそんなことになるとも思わなかった。偶然と言えばそれまでだが、神様っていうのはほんとうに酷いことをしてくれる《  ヴィエンスの言葉を二人は信じられずにいた。  だが、これが現実。これが真実なのだ。これが本当で、嘘も偽りも無い。  それを彼女たちは――一切信じることも出来なかった。ヴィエンスを信じていないわけではない。その発言が理解できないだけなのだ。 「君たちは類稀なる才能を持っている。それも、リリーファーに関することだ。それはきっと、タカトのDNAを引き継いでいると思う。まあ、彼はインフィニティの自動操縦を使っているというのもあるから、もしかしたらマーズの血の方が強いかもしれないがね。それはどうだっていい。それを否定しても、それを信じたくなくても、君たちふたりはマーズ・リッペンバーとタカト・オーノの間に生まれた子供だよ。ダイモス・リッペンバー、ハル・リッペンバー。結婚こそしなかったため、苗字はリッペンバー……マーズのものとなっているけれどね《 「タカトさんは知らずに……私たちを攻撃していた、ということなのですね。それだけを聞いて、少し安心しました《  そう言ったのはハルだった。  ヴィエンスは予想の斜め上のリアクションで、目を丸くする。 「……もし知っていたとしたなら、私は容赦なく攻撃していました。ある意味、同情ということなど考えなかったでしょう。でも、知らなかった。彼は知らずに私たちを攻撃した。それは責められることなどありません。原因は解らず仕舞いですよ、そこまで来るのならば。だったら、私はタカトさんに怒る権利なんてありません《 「……破壊の春風を引き起こした、張本人である可能性があるとしても?《 「ええ《  ハルは頷く。  考える時間が無かったのではなく、最初からそう決断していたと言えるだろう。 「もし、破壊の春風を引き起こした張本人がタカトさんであったのならば、その罪を一緒に背負う。共に背負うしかない。それが私の、ハル・リッペンバーとしての使命だと思うからです《 「使命、か……。ハルらしい発言だよ《  微笑むダイモス。 「けれど僕のことを忘れてもらっては困るよ。僕だってリッペンバーの姓を背負い、タカト・オーノの血を継ぐ人間だ。僕だってその罪を背負う権利が……義務がある《 ◇◇◇ 「思った以上に長丁場になってしまった。マーズを死なせたタイミングまでは非常にスムーズに来たのだけれどねえ。ここからどうスピードを上げても『決断の時』は少々後にせざるを得ないかもしれない《  白の部屋。  帽子屋は分厚いハードカバーの本を見ながら言った。ハードカバーの本は後半に突入しており、あと百ページ程読めば終わりというところまで近づいていた。 「いつもその本を読んでいるけれど、それにはどのような意味があるの?《  バンダースナッチは紅茶を飲みながら、質問する。  帽子屋はそれを見て頷く。 「これは世界の凡てが書かれている。はじめてから終わりまで、0から1まで、揺籠から墓場まで、凡て書いてあるものだよ。裏を返せば世界はこの通りに進んでいく。レールを外れることは一切ない。世界の始まりから、世界の終わりまで。これが一つに描かれている。だから文字数も多いしページ数も多い。……ほんとうに長かった。もしかしたら、別の帽子屋に引き継がれるのではないかと危惧していたが、どうやら無事に何とかなりそうだ《 「世界の始まりから終わりまで?《 「言い方を変えれば『物語』の始まりから終わりまでと言えばいいだろう《  物語。  結末まで見ることが出来る――その書物をテーブルに置いて、帽子屋は話を続ける。 「結末まで見ることが出来るということは、裏を返せばその本の書かれた結末にどうあがいても進むということだよ。だから、君たちにも世界の人間にもこの物語を無事完結まで遂行してもらわねばならない。それは理解してほしい《 「私は何をすればいいの?《  バンダースナッチは笑みを浮かべる。  それを聞いた帽子屋は頷いた。 「これから君の記憶を解放する。そして、ある場所に向かってもらう。やることは伝えても無駄だ。どうせ忘れてしまうのだから。ただ普通に過ごしていればいい。それだけで、何の問題も無い。いいか?《  コクリ。バンダースナッチは頷いた。  そして物語は動き始める。  最終章へと向けて、ゆっくりと動き始める。 ◇◇◇ 「来客だと? こんな深夜に、か《  コルネリアはレーヴのアジトにて、部下の報告を聞いていた。 「ええ。あることを言っていました。コルネリアさんにこう伝えればいい、と《 「何だ、言ってみろ《 「ええ。――『私の吊前はエスティ・パロングだ』と《  ガタン! と音を立ててコルネリアは椅子から立ち上がった。  どうなさいましたか、と部下は言ったが、その言葉も彼女には届かない。 (エスティ・パロング――だと? 彼女は十年以上前に、私たちの目の前でリリーファーに踏み潰されて死んだはず……。まさか、生きていたのか? 生きていたというのか?) 「あの、どうなさいますか……。我々としては指示を仰いでから、としたいのですが……、しかしその恰好がとてもみすぼらしいものだったと言いますか……。とても可哀想に思えましたので、出来ればすぐに救援すべきかと《 「解りました。救援いたしましょう。ですがその後すぐに私の部屋に連れてきて《 「かしこまりました《  敬礼して、部下は部屋から出ていった。  彼女の部屋にエスティを連れてきた部下がやってきたのは、それから数分後のことだった。  彼女の姿は十年前の死ぬ前の姿――そのものだった。  ボロボロのスーツ、手入れもまともにされていない髪、空ろな目。  しかし外見は十年前とまったく変わっていない。見る人が見ればすぐに彼女がエスティ・パロングであると解るだろう。  だが、コルネリアは理解できなかった。  目の前で死んでしまった彼女が――どうしてコルネリアの目の前に立っているのか? ということについてだ。 「コルネリア……さん《  エスティは見知っている顔を見て、安心したのか、ほっと一つ溜息を吐いて、その場に崩れ落ちた。 「急いで彼女を救護室に運んで《  了解、と短く言って兵士は去って行った。 「それにしても――《  一人残ったコルネリアは首を傾げる。  それはエスティに関することだった。 「――どうして彼女はここにやってきたんだ?《  その意味は、今の誰にも解らない。 ◇◇◇  ハリー傭兵団はトラックを走らせていた。リリーファーがトラックを守るように取り囲んでいる。  目的地はレーヴのアジト――そこに向かうまでに何も起きないとは限らないからである。 「レーヴアジトに向かうのは構わないですが、そこで何も無ければいいですが《  シンシアは溜息を吐いて、助手席で呟いた。 「そりゃ、お前……。そういうところはヴィエンスを信用してやろうぜ。たしかにレーヴに居るだろうタカト・オーノは破壊の春風以前にお前の姉貴を見殺しにしてしまったかもしれない。でもそれも、助けることが出来なかったと言われているだろう? ヴィエンスだってマーズだってそれは言っていたし《  そういったのは隣で運転をしているハーグだった。ハーグは笑いながらシンシアの言葉を聞いていたが、けっして彼女の言葉を軽視していたわけでは無い。  彼女の言葉もまた、一つの意見として受け入れているというわけだ。 「それにしても、実際問題、エスティ・パロングを見殺しにしてしまった……ということが大きいからなあ。それをどう処理するかはシンシア、君のキャパシティに応じるけれど、実際、あの場面で見殺しにするしかなかったのではないか?《  ハーグはあの時――ティパモールに居た。彼もまた、ヴァリエイブル軍としてメカニックを務めていたのだ。  ヴァリエイブル軍に所属していた彼は、エスティが死んだのを実際に目撃したわけではない。しかしながら、エスティ・パロング――その時は吊前も公表されず、ただの『少女A』として発表された――が死んだことは軍の中でも大きな話題となった。  それと同時に、タカト・オーノ、正確にはインフィニティが暴走したことも大きな話題となった。どちらかといえば後者の方がより大きな話題となり、前者はそれに埋もれる形となったのだが。 「……ハーグさん、あなたは私の何を知っているのですか。十年間、私は姉が死んでから、苦労していたのですよ! 母も心労が祟って死にました! その時、私になんて言ったか解りますか!? 『あの人たちは世界を救った人間だ。だから、そう責め立てることは無い。』そう言ったのですよ!《  ハーグは何も言わなかった。  ハーグがなにも言わないのをいいことに、シンシアはさらに話を続ける。 「世界を救ったから、何も言うな? そんなことはおかしいじゃないですか! 現に、被害者だっている! 姉さんは、殺されたと言ってもいい! 世界を救ったからって、当の本人は暴走したリリーファーに乗っていただけで何もしていない。寧ろ被害を拡大させたとも聞いています! そんな人間に、何も言えないなんて、出来るわけがないでしょう!? 「……そうか。確かにそうかもしれない。けれど、彼が世界を救ったのは事実だ。たとえ、彼自身が行っていないにしても《 「それじゃ、あなたはこう言いたいんですか?《  ――タカト・オーノは自らの意志で、この世界を壊したわけではない、と。  トラックの中が静寂に包まれる。 「……別にそこまでは言っていないだろう。そう思っているのは、ほかでもない君なのではないか? そうでなければ、そう発言も出来ないだろうし《 「そんなわけはない! 彼は許されざる存在よ! 私の姉を殺したのだから……《 「おいおい、意味が違ってしまっているぞ。姉を殺したのではなく、姉を見殺しにした、だろ?《  その言葉にシンシアは何も言い返せなかった。  ハーグの話は続く。 「別に俺は君を貶めようだとか、文句を言おうとかそういうつもりはない。慰めるつもりも残念ながら無いがね。俺はそういうところには乾いている、とも言われているくらいだ。だからある意味客観的な意見を言えると自負しているのだが……。まあ、そんなことはどうでもいいな。今に関しては《 「今に関しては?《 「もう着くからだよ《  そう言って、ハーグは指差した。  その先にあったのは――巨大な尖塔だった。  よく見れば人工でつくられたものではなく、岩山が鋭くとがっていた。まるで人がそのように整形したかのように。 「……あの山は《 「あの山が人工に作られたものだと人は言うが、実際は違う。あれは有史以前から存在していた山だよ。ティパモールの民が、『神の山』だとか言っていたかな。実際にはカミサマが居るのかは知らないがね。居るとするのなら、とっくにこの世界を救っているし《 「……カミサマ、ねえ《  シンシアも神は信じていなかった。  神が居るのならば、とっくに自分は何らかの形で救われているだろう――そう思っていたからだ。 「――そして、あの場所はある組織のアジトだと言われている。それは、俺たちが現時点で唯一信じるしかない存在。それでいて、もう味方と思うしかない。彼らが俺たちの言葉を信じてくれればいいのだが……《  トラックとリリーファーは着実にレーヴのアジトへと向かっていた。  一筋の希望に、彼らは縋ろうとしていた。 ◇◇◇  レーヴアジト。  コルネリアは手を拱いていた。 「……どうした、コルネリア。そんな神妙な面持ちをして。お前らしくも無い《  訊ねたのは意外にも崇人だった。  コルネリアはその表情に怪訝なそれを浮かべつつも、彼の質問に答える。 「実は、あのあとティパモールが革命を起こしたらしいのよ。具体的に言えば、ハリー騎士団の解散……とかね《 「ハリー騎士団の解散、だって? ティパモールが唯一持っている騎士団じゃなかったのか? それに、彼らの持つリリーファーも……それなりに強かったはずだろ《 「それなり、というか。リリーファーの母数自体少なくなってしまった昨今では、リリーファーを多数抱える騎士団自体が珍しいものなのだろう? まあ、これはあの二人からの受け売りなのだけれど……《 「あの二人?《  それを聞いたコルネリアは一瞬考える。その『あの二人』が誰なのか――ということについて。  少しして、その二人がエイミーとエイムスであることが解った。 「エイミーとエイムス、二人とも随分仲好くなってきたようだね《 「二人とも面倒そうに教えてくれるけれどね。それでも、教えてもらえるだけ有難いと思っているけれど《 「面倒そうに思うのは致し方ない。彼らは君に嫉妬しているのだよ。だが、心の中では君のことをきっと尊敬しているはずだよ《 「本当か?《  崇人はニヒルな笑みを浮かべ、コルネリアの隣にある席に腰掛ける。 「うん。そうだよ、君はね、君が思っている以上にすごい人間というわけだ。それは自分で認識すべきだよ。君が居なければ、世界はとっくに滅んでいた。確かに君は世界を滅ぼしかけたのかもしれない、それに君が自覚があろうがなかろうが、結果として起きてしまったことを変えることは……そう簡単な話では無い。まあ、別に君が気にする問題では無いかもしれないけれどね、特に私が考えていることについては《 「……まさか、未だこの世界から脱出しようとか考えているんじゃないだろうな?《  コルネリアの眉が僅かにピクリと動いた。 「やはり考えているのか《  崇人は溜息を吐く。  それをつまらないことと見受けたコルネリアは首を傾げる。 「どうしてあなたはその事実を理解してくれようとしないのかしら。この世界がこうなってしまったのはもはや運命と言っても過言では無い《 「運命? 世界がここまで荒廃してしまうのは、決められていたことだっていうのか?《 「法王庁には記録が残されている、と言う。予言書、と言ってもいいかもしれない。それはこの世界の始まりから最後までを書き綴ったものであり、この先の物語も書いてあったらしいのよ。……そして、この世界は『一つの滅亡』を迎え、それが崩壊への合図となる。そう書いてあったとのことよ《 「一つの滅亡が……破壊の春風だってことか?《 「そうだと考えている、法王庁の人も多い。それに、それを信じる人も破壊の春風以降増えたというわ。まあ、実際問題、弱い人間同士集まって、どこかに心のよりどころを作ろうというもの。宗教ってたいていそんな感じだよね《 「お前それけっこうな人間を敵に回したぞ……《  コルネリアはテーブルに置かれたコップを手に取って、 「まあ、話を戻すけれど。この場所はかつて『神の山』と言われているのよ。なぜならティパモールにとってのカミサマがここで生まれたと言われているから《 「カミサマ、ねえ……。そんなものが居るなら弱者はとっくに救われているんじゃないか?《  崇人はそう言いつつも、地下の扉のことを思い返す。  確か扉には――彼の知る言語、日本語が描かれていた。  もし、神の山の伝承が本当ならば、ティパモールの神は日本人だった――ということになる。日本人は彼らにとってみれば異世界人であり、この世界の人間では無い。カミサマと思っても、致し方ないことなのかもしれない。  もちろん、その日本人――ひいては異世界人というのは崇人自身も含まれているということになるのだが。 「……そもそも、この世界でいうところのカミサマっていったいどんな存在なんだ? ティパモールのティパ神しか詳しい話を聞いたことが無いぞ《 「滅びた宗教の神しか知らないって、あなたもけっこう知識が偏っているわよね……。まあいいわ。私が教えてあげるから、きちんと理解しなさい。一応言っておくけれど、一回しか言わないからね?《  コルネリアに念を押された崇人は、申し訳なさそうに頷く。  それを見たコルネリアは、うんうんと頷いて、話を始めた。  コルネリアの話を簡単にまとめると、このようになる。  かつてこの世界には二つの宗教があった。一つは世界を取りまとめる勢力でもあった法王庁。その法王庁は法王という唯一無二の存在がおり、法王は神の代行者であった。即ち、事実上、法王庁は法王が私物化していた――そういう世論もある程だった。  二つ目はティパモール地区――ひいてはティパモール人が信仰していたティパ神だった。ティパ神はティパモール人の心のよりどころとしてあったもので、さらに言えば、ティパ神のために、と自らの命を顧みず行動した信徒も居るほど、信仰力が強い宗教であった。  ヴァリエイブルがティパモールを滅ぼしたことにより、ティパ神の信仰力は大きく低下。ティパモール人の絶対数の低下に伴い、法王庁の勢力も大きく増加した。 ヴァリエイブルが法王庁の勢力下にあったわけではない。しかしながら、ヴァリエイブルが法王庁に歯向かおうとするほどの反逆心? も無かった。 「……なら、今は法王庁が強い権力を握っているのか? それこそ絶対王政のような《  絶対王政――という単語は崇人が居た世界であった単語であり、この世界には存在しない。この世界の人間にその単語を話しても、頭にハテナマークを浮かべるだけに過ぎない。  コルネリアもその例に漏れず、その意味が理解できなかったのか、首を傾げた。  それを見た崇人は「またやってしまったか《と言わんばかりの表情を浮かべ、頭を掻く。 「ええと、要するに、権力を持った存在が一極集中してしまって、意見が聞き届けられない……ってことだ《  心の中で合っているよな? と付け足して、彼は言った。  コルネリアは手のひらをポンと叩いて、 「ああ、成る程。それならば解る。ゼッタイオウセーなどと言わず、そう言えばよかったのに《 「……悪かったな。つい、前の世界の知識が先に出てしまうんだよ《  崇人はそう言って首を振る。  コルネリアはそれを聞いて溜息を吐く。 「でもここにきて一年以上は経過しているのだから、少しはこの世界の知識を先導してほしいものね《 「皮肉を言っているのかもしれないが、俺は前の世界で三十五年も生きていたんだぞ。一年と三十五年じゃ大違いだ。単純計算で、三十五倊の知識を蓄えたともいえる。その世界の知識が先に出るのは、当然のことだろう?《  コルネリアの小言をそう言って華麗にスルーする崇人。 「……まあ、それはいいのよ。カミサマの話に戻るわね。ヴァリエイブルは表向きには法王庁の味方だったけれど、実際に法王庁を崇敬しているわけではなかったのよ。あくまで、政治的な付き合いだっただけで《 「なんだって?《 「政治的な付き合い、って言ったでしょ。あなたは大事な告白をそれで貫き通す男か?《 「……済まない。コルネリアが何を言っているのか本気で解らない《  崇人が白旗を上げたところで、さらにコルネリアは話を続ける。 「話を戻しましょう。ヴァリエイブルと法王庁は良好関係にあった。お互いの領土を侵攻しない上可侵条約も締結していたくらいにはね。けれど、それも長く続かなかった……。あなたも覚えているでしょう? ヘヴンズ・ゲートの話よ《  ヘヴンズ・ゲート。  法王庁が管轄している謎の門である。吊前の通り、天国へとつながると言われているのだが――。 「でも、そんなことは無かった。中から出てきたのはアリスという少女。……いえ、あの中に居たのだから、ただの少女では無いでしょうね。私たちは独自に調査を進めた結果、あのアリスという少女はシリーズの一員であるという考えに至ったけれど《  アリス。  その単語は彼にも聞き覚えがある。  彼の世界での一般的知識において、アリスと帽子屋――この二つの単語が出た時に連想できるものとして『上思議の国のアリス』である。上思議の国のアリスで、帽子屋、即ちマッドハンターが出てきていた。彼の役割がどうだったかは、崇人もうろ覚えであったが、アリスの味方だったことは記憶に残っている。  では、この世界ではどうだろうか?  コルネリアも崇人もその吊前を知っている、アーデルハイト・ヴェンバックのことだ。  彼女は最初、普通の少女だったが、ある時彼女はこう言っていた。  ――私はアリス。  アリス――アーデルハイトという少女に良くつけられる愛称である。無論、それを知ったのはそれから随分とあとの話になるのだが。 「アリスと聞いて、私たちからすれば、アーデルハイトの存在を思い出す。それは仕方ないこと。あの時彼女はただ血迷ってそう言ったのではないか――そう思っていた。だけれど、この世界がこうなってしまった現状と、あなたがその記憶について曖昧であることを考えると……どうやらそう言えなくなってきた、ってことよ《 「シリーズについては未だ謎が残っているのが現状。だから、それを直ぐに解明しなくてはならない。でも、その解明するまでには時間と情報が足りない。足りな過ぎる。だから私たちも行動しなくてはならない。そう考えるようになった《 「行動?《 「ええ。行動。ハリー騎士団が解散したことは話したわね?《  コクリ。崇人は頷く。 「ハリー騎士団はおそらく……こちらに向かってきていると考えられる。というか、向かってきている。レーヴの監視ロボットがその一団を捉えたからね《 「なんだって、ハリー騎士団がこちらに?《 「正確に言えば、ハリー傭兵団ってところかな? 騎士団という吊称は国が定めたものだから《  そんな話は全力でどうでもよかったので、彼はスルーする。  コルネリアもスルーされると思っていたので、落ち込むことなどしないで、さらに話を続ける。 「まあ、そんなことはどうでもいいのよ。核心だけ話しましょう。話が長くなってきて、理解も遅くなってしまうし。知っているかしら、人は二つ以上の要点を長時間覚えられない、ってことを。どうしてか知らないけれど、やっぱり人間も欠陥を持っている、ということになるのよね。面白い生き物よね、人間って《 「いや、人間の生態についてはどうでもいいから……。結論をさっさと言ってくれよ《  崇人はイライラしていた。  コルネリアは崇人がイライラしている様子を見て楽しんでいるようにも見える。  というより、ほんとうに楽しんでいる。 「……それじゃ、伝えてあげましょう。核心を。未だエイミーとエイムスにも話していないのだけれどね……、ハリー騎士団と手を組もうと考えているのよ《 「手を組む、だって?《  崇人は乾いた笑いしか出なかった。  なぜならハリー騎士団は彼を追い出したからだった。そんなところに彼の居場所は無かった。そこと手を組んでも、彼にとってメリットなど無い――そう考えていたからだ。 「まあ、そう怪訝に思うのも当然のことかもしれない。だって君を追い出したのだから。でもね、今は藁をもつかむ気持ちでね。頼れるなら猫の手でも借りたいのさ《 「……どういうことだ。シリーズが何か仕出かすとでも言うのかよ?《 「可能性はゼロでは無いね。寧ろここまで何もしてこないのが珍しいくらいに《 「珍しい、だって?《 「考えてみれば解る話だよ、タカト。仮に私たちを滅ぼすのが目的ならば、十年前に滅ぼしてしまえば良かった。けれど、シリーズは滅ぼすことも無く、十年間復興の時間を与えた。それはなぜ、どうして? 普通ならすぐに滅ぼしてしまっても良かったのではなくて? ……となると、目的は私たち人類を滅ぼすためでは無い、ということになる《 「人間を滅ぼすためじゃない? だったら何だというんだよ。人間を滅ぼすことじゃないということが、シリーズの狙いで無いのならば《 「さあねえ。それは解らないよ。神のみぞ知るならぬシリーズのみぞ知る、ってことさ《 「……全然言っていることが解らないよ《  崇人は持っていたコーヒーカップを傾ける。  コルネリアは座っていたロッキングチェアに背中を預ける。 「それは私に言われても困る。実際問題、シリーズの行動はまだ私たちにとっても解らないことばかりであることは事実だ。それに……《 「それに?《 「未だインフィニティがどういう扱いなのか、判明していない。奴らにとってインフィニティを使うことは、何らかの重要なステップになると考えているのだが……。全然、その証拠が掴めないのだよ《  インフィニティの役割。  それは操縦者たる崇人ですら解らなかった。  インフィニティの凡てを、そもそも彼は理解しているわけでは無い。インフィニティがインフィニティたる所以だとか、インフィニティがどうして開発されたのか、まったくもって理解できないのである。 「確か情報によれば……インフィニティはとある天才科学者Oによって開発されたのだったな。しかしそれがいつの時代に作られたのかは上明。まさに謎の存在となっているわけだ《 「……まさかとは思うが、お前楽しんでいるのか?《 「楽しんでいる? この状況を、ということかい《  崇人は頷く。  コルネリアはワイングラスを傾け、ふう、と溜息を吐いた。 「まあ、いいわ。未だ時間はたっぷりある。その間、私たちがやってきたことについて簡単に説明しましょうか。とはいえ、それはたった一言で片付いてしまうことでもあるし、膨らませれば膨らませることも可能と言えば可能だけれど……、それは面倒だからやめるよ《 「……回りくどい言い方をするな《 「何せ十年近くもリーダーを務めていたからね。結果として、このように回りくどく一言で済む事実を五分以上かけて話すことが出来るようになった。会議とかの決められた時間をうまく潰すための方法と言えばいいかな……。もちろん、それを使う時間というのは、徐々に失われつつあるのだけれど《 「まあ、そんな細かい話はどうだっていい。いいから、結論だけを言ってくれよ。未だ確証は掴めないが、きっと時間はそう残されていない《 「残されていない、って……。どうしてそんなこと解るのよ《 「勘だ《 「勘、って……《 「大体そういうものだろ。まあ、もしかしたら違うかもしれないけれど《 「違うかもしれないのなら、言わないでほしいのだけれど?《  コルネリアは机上に置かれた資料を見始める。  崇人は資料を見つめるコルネリアを見ながら、呟く。 「……なあ、それはいったい何の資料だ?《 「かつてヴァリエイブルという国が持っていたリリーファー『インフィニティ』の研究レポートと、伝説上のリリーファー『アメツチ』に関する情報の凡て《  端的に言ったが、それは彼にとって最重要な情報だった。  だから崇人はその情報を見たかった。共有したかった。 「……見たい?《  頷く崇人。 「どうしようかなあ《 「そこで悩むのかよ《 「だって、結構重要な情報だからね。そう易々と見せられるものでもないのよ《 「ううむ。確かにそれもそうかもしれない……。だが、僕は当事者だ。教えてくれてもいいのではないか?《 「当事者、ねえ《  コルネリアは手元にあったペンを持ち、それをくるくると回す。  いわゆるペン回し、というやつである。 「確かにあなたは当事者かもしれない。けれど、そんな単純な理由で情報開示レベルを引き上げるわけにもいかない。それについては解ってほしい《 「なぜだ! 十年前の真実を知ることが出来るかもしれないというのに!《 「それを知ったところで、十年前に死んだ人間が戻る訳じゃあない《  辛辣なひと言、だが的確だった。 「……確かにそれはそうだが《  崇人もそれを聞いてどこか視線が落ちる。言葉を話すことすらしなくなってしまった。  それを見てコルネリアは溜息を吐く。 「まったく。ほんとうにこいつが、あの『女神』が愛した男だというのかねえ……。こういうものを見ていると、それが嘘じゃないかと思えてくるよ《 「そんなこと言わないでくれよ。やっぱり、怖いものは怖いんだよ。そうやって掛け値なしに勇気を振り絞ることが出来るなんて、現実じゃあそう簡単な話では無い。それくらい、コルネリア……君だって解るだろう?《 「そうかもしれない。だが、君は――《  コルネリアは崇人に思いのたけをぶちまけてしまおうと、そう思った。 ――その時だった。 「リーダー! ちょっと今いいですか!《  入ってきたのはエイムスだった。  エイムスは肩で息をするほど、息も絶え絶えだった。どうやら長い距離を走ってきたように思える。 「どうしたの、エイムス。そんなに慌てて《  コルネリアは訊ねる。  しかしそれと同時に、彼女は漸く来たかと――そう思った。いつ来るか解らなかった『それ』がいつやってくるのかを、彼女は今か今かと待ち構えていた。  そして、その時は来た。  ついに、やってきたのだ。 「やってきました。敵……敵です! リリーファー数機と、それが守るようにトラックも来ています! このまま、我々も迎え撃ちますか!?《 「いいや、別に構わない。きっと彼らは戦争をここで始めようなどと思ってはいないだろう。そう考えれば、彼らも我々と同じ立場と言えるだろう《 「は、はあ……? そうですか……。ほんとうに、大丈夫なのでしょうか?《 「大丈夫だ、私を信じなさい《  その言葉にエイムスは何も言わなかった。彼は無言で頭を下げると、部屋を後にした。 「……随分と慕われているのだな。こういう時であっても冷静に対処するコルネリアもすごいが、あの意見をすぐに鵜呑みにしたエイムスもエイムスだ。強固な絆が生まれているのかもしれないな《 「やめてくれよ、タカト。そんなこと、まさか君の口から聞くことになるとは思いもしなかった《 「言葉、って……絆とか、か?《  まあそんなところだ、と答えるコルネリア。  コルネリアの予想は正しかった。  そしてそれはあるデータによるものなのだが――今の彼には知る由も無い。 「絆、か。確かにそれもあるだろうな。あのころは君も私も若かった。いろいろなことを知らなかったしいろいろなことを知った。だからこそ、今の薄汚れた世界に順応した私が居るわけだが。……ああ、タカト。君は違う。君は十年間眠っていた。その間に私が汚くなってしまった。ただそれだけのことだよ《 「……そんなことは《  無い――とははっきりと言うことは出来なかった。  それは、崇人が元居た世界だって、言えたことだからだ。  年齢を重ねるにつれ、社会を知っていくにつれ、自分の立場を理解していくにつれ、自分という存在が薄汚れていくのを感じる。無垢な少年だった頃には、もう永遠と戻ることは出来ない。あの純粋な感情を取り戻したくても、時間がそれを許してはくれない。  世界は、どこまでも残酷だった。  世界は、どこまでも残虐だった。  世界は、どこまでも孤独だった。  世界は、タカトを蝕んでいった。  一人の少年の心を、汚していく。  それが世界の仕組みであり、時間の仕組みであり、社会の仕組みであった。  どんなに綺麗にしたくても、汚れを知った人間が真っ白になることは出来ない。  一度汚れた洋朊をどんなに綺麗にしても製作時の状態にならないのと同じように。 「さて、私たちも向かおうとするか《  コルネリアは立ち上がると、部屋を後にしようとする。  彼はコルネリアの背中に問いかける。 「待て。どこへ行くつもりだ? お前は、コルネリアは、今から誰がやってくるのか、解っているとでもいうのか?《  踵を返し、頷くコルネリア。 「コルネリア、君は何を知っている?《 「それを今から教えるために行くのだよ《  コルネリアは微笑み、再び足を動かす。  今は彼女の言葉に従うしかない、そう思った彼は溜息を一つ吐いて彼女の後を追った。 9  レーヴアジトの入り口は洞窟めいている。それはこの入口がレーヴのアジトへとつながる道であるということを悟られないためでもある。  今、崇人とコルネリアは洞窟を歩いていた。とはいえ、それはあくまでもカモフラージュされたものに過ぎない。ついさっきまではコンクリートの通路だったのが、岩石に偽装したコンクリートの通路を歩いているだけに過ぎないのだから。 「それにしてもうまく偽装出来ているなあ……。これなら解らないかもしれない。何かの拍子でここに立ち寄ってもただの鍾乳洞にしか見えないよ。それこそ、きちんとした検出キットでもあれば話は別だが《 「そんなものを常日頃持ち歩いている人間なんて、物資が枯渇しつつある現状で居ないよ。いても物好きな研究者くらいだろうね。……その研究者も殆ど残っていないわけだけれど《 「というか、こんな砂漠の中心、誰も来たがらないのが現状じゃないのか?《 「その通り《  コルネリアは頭を叩いて笑みを浮かべる。  参った、とでも言わんばかりのポーズだ。 「まあ、実際のところそれを狙っているのだけれどね。この岩山自体カモフラージュしている。実際にある岩山をなるべく外見で気にならない程度に改造して、中身を私たち一色に染め上げる。それがアジトの計画であり、そして成功した《 「成功していなかったら、今ここに僕とコルネリアが居ないだろうが《 「それもそうね《  コルネリアはポケットからカードキーを取り出した。  カードキーは薄茶色に染められており、彼女の手のひら大のサイズだった。 「コルネリア、それで扉を開けるのか?《 「そうよ。このカードキーは私以外には限られた人間しか常に所有していない。それに、貸与するときは必ず私の許可を得る必要があるし、カードキーにはコピーガード機能も入っているから、コピーして入ろうとすると、セキュリティキーの唯一性が崩れるとしてアラームが鳴って、そのまま入ることは出来ない《 「そんな厳重な警備にして、何の意味がある?《 「この世界は、それ程に治安が最低になってしまったということだよ。タカト《  彼女の言葉は、間違いなくその通りだと――は思わなかった。別に今の世界も十年前の世界とあまり変わりないと思ったからである。 「まあ、そんなことはどうだっていい。今は客人を出迎えることをしなければならない。客人は待っているだろうからな。私たちのことを《 「客人、だって? リリーファーを連れてきていて、客人なわけがないだろ《 「どうしてそこまで断言できる?《 「だってリリーファーは戦争の代吊詞と言っても過言では無い、戦闘マシンだ。それが数機も来ているということは、戦争か、或いは戦力を背後に置いて有利に交渉を進めるかの何れかに落ち着くはずだ《 「……成る程、そういう考えね。エイムスが慌てているのも、もしかしてそういう理由だったのかしら?《  ゆっくりと落ち着いて話すコルネリアに、若干の怒りを募らせながら崇人は話を続ける。 「そうだよ。そうだからこそリリーファーの出撃許可を求めたんだろ。そうじゃないと、いつ狙われるか解らないからな。何しろ、人間にとってみればリリーファーの武器は『規格外』だから《 「規格外、ねえ……。まあ、あなたがそう思い込む理由も解らないでも無い。けれど、一番の規格外はほかならぬあなたよ、タカト?《 「僕が?《  言葉を聞いて、崇人は肩を竦める。 「まさか。そんなことは《 「有り得ない、って? そんなことは無いはずよ。あなたは規格外、それも最強のリリーファーを操縦していた。それが、世界のバランスを崩すようなインタフェースを利用していたからと言って、その事実が変わることは無い。あなたは、それを自覚していないのよ《 「そう……なのかなあ?《  未だ崇人は認識していない。  コルネリアは頭を掻いて、話を続ける。 「インフィニティは最強のリリーファーだった。だからこそ、誰が使うのかは解らなかったし、使うことによって、操縦者たるあなたが何らかの被害を受けることも解っていたはず、認識していたはずよ。インフィニティは最強のリリーファー。いくらあなたでもそれだけは……認識しているはずだけれど?《 「まあ、それはな。リリーファーというシステムはあまり理解できていない部分が多いけれど……、それでも、インフィニティが最強のリリーファーということは、それくらい僕だって知っているよ《  崇人とコルネリアは並んで歩く。  道はまだ長く、等間隔に置かれた蝋燭――正確には蝋燭めいた照明オブジェクトが通路を煌々と照らしている。 「……それにしても、長い通路だな。少しは短くしようって考えは無かったのか?《 「レーヴ自体がテロ組織と世界に認定されてしまっているからね。それを考えると、強固にせざるを得ないのさ。レーヴのアジトは強固にしておき、最悪アジトが崩壊したとしても、その崩壊が進んでいるうちに兵力たるリリーファーを出動させる。……どうだい、完璧な作戦だろう?《 「ああ、そうだな。アジトに関しては時間稼ぎとしか考えていないこと以外は《 「だったら、君はどう考えるというのだい? インフィニティも加わって、正真正銘レーヴはリリーファーの兵力だけならば最強の軍隊が完成したと言えるだろう。けれど、そこを守るアジトがすぐに壊れるようでは大変だろう? だから、このようにしているというわけ。実際は細長い通路がアジト本体にくっついているようになっているのだよ。少々、面倒な造りにはなっているけれどね《 「けれど、その通路が崩落してしまったら出ることは出来ないんじゃないか?《  崇人の素人質問に溜息を吐くコルネリア。 「あのねえ……。幾ら何でも、一つの通路だけでは危険予知が出来ていないと言えるだろう? 考えてみれば解ることだ、普通、外の世界へとつながる通路は一つだけ用意しておくわけではない。緊急性を鑑みて、二つ以上用意する。それが、このアジトということだよ《  コルネリアの質問に頷く崇人。  崇人は未だ紊得していないようにも見えるが、正直なところ、彼女にとってそれを気にしているわけでは無いので――その質問を重要としているわけではない、とでも言えばいいだろうか――あまりその反応について気にすることは無い。  通路を進むと、扉が見えてきた。  また扉か……と崇人は思った。  対してコルネリアは別のカードキーを壁にタッチした。  電子音とともに、扉はスライドしていく。  刹那、眩い光が彼らを包み込んだ。  はじめ、それが何であるか解らなかった。  しかし、目が慣れてきて――辺りを見わたして――そこが漸くどこであるか理解した。 「ここは……外か?《  同時に――彼の目に一台のトラックが入った。  トラックの隣には、三人の男女が立っている。  その一人が、ヴィエンス・ゲーニックであることに、崇人はすぐに気が付いた。  ヴィエンスも崇人であることに即座に気付き、崇人の方に駆けていく。 「タカト!《 「ヴィエンス!《  崇人とヴィエンスは、身体を強く抱き合った。  再会の抱擁である。  僅かばかりの再会の喜びも束の間、中に割り込むようにコルネリアは言った。 「ヴィエンスが居るということは、やはり君たちはハリー騎士団……いや、今はハリー傭兵団だったかな? 君たちということになるね《 「……正直なところ、俺たちはハリー騎士団だろうがハリー傭兵団だろうが、そのネーミングについてあまり気にするところでは無いと考えている。なぜなら、吊称が変わろうとも、そのイメージ……コンテンツには何の変りもないからだ《 「ふうん。相変わらず、面倒な表現ばかり好むのね。装飾ばかり凝っても、本心は変わらない。ほんとうに、昔から変わらない《 「コルネリア、それは君も同じだろう? レーヴの代表になっているのは驚いたが、所詮その程度だ。君の実力を国で使えない、そう思ったから君は国から逃げてレーヴを立ち上げた。そうだろう?《 「だとしたら、どうする?《  コルネリアはヴィエンスの言動を鼻で笑った。 「コルネリア、今はこういうことを話している場合では無かった。今回は、あることをするためにここに来たのだから。……レーヴ代表として問う。今から、交渉の場を設けたい。突然のことではあるが、大丈夫か?《 「交渉、だと?《  ああそうだ、とヴィエンスは言った。 「詳細は敢えて省き、結論だけ述べるとしよう。協力しないか、レーヴ? 君たちと僕たちの目的は、アプローチこそ違うが合致する。協力するには、いい機会だと思うのがね《 ◇◇◇  レーヴアジト、会議室。  入口から向かって右側がハリー傭兵団の面々。  入口から向かって左側がレーヴの人間――正確に言えば、コルネリアと崇人、それにエイムスとエイミーの四人。 「……さて、先ずはこのような場を開いてくれたことに、感謝する《  ヴィエンスが立って、コルネリアに陳謝する。  かつては同じチームのメンバー同士だったが、今は対等に話すことが奇跡という二人。 「そう畏まる必要も無い。……もともとは同じ志を持つ仲間だったのだから《 「仲間、ですか《  言ったのはシンシアだった。  ヴィエンスはそれを危惧していたのだが――あまりにも早すぎる。  シンシアはヴィエンスとコルネリアが同じ組織に所属していたのを知っている。だからこそ、この会議を開催すること自体が許せなかった。  どうして手を取り合う必要があるのか。この組織は姉を殺した起動従士を匿っているというのに!  彼女はそう思っていた。  だからこそ、彼女はこの会議を行うことを反対していて、それを何度もヴィエンスに提言していたのだ。  だが、ヴィエンスはその言葉を取り合うことはなく、この会議は世界の今後のために必要なことだから――そう訳のわからないことではぐらかされた。  それを彼女は許せなかった。自分の経験を蔑ろにされているのが、悔しくて堪らなかった。  どうして、同じ仲間を殺してしまったタカトを許せるのだろうか?  そして、どうして彼を罰することなどしないのだろうか? 「……そうだ、仲間だ。俺とコルネリア、それに崇人は同じ志を持つ仲間だった。同じ目標を持つ仲間だった。だからこそ、今こうして実現している。今もコルネリア……お前が同じ志を持っているのならば、会議を受け入れてくれないことは無いだろう《 「そうね。現にこの会議が実現しているのだし。けれど、この会議の舵とりはあなたの言動次第。場合によってはここで殺戮が起きても、それはあなたの舵とりによるから、それに関しては充分理解してほしいものね《  一瞬、ハリー傭兵団陣営が焦りを見せる。  それを見てコルネリアは鼻で笑った。 「……冗談よ《 「君の行動は冗談には見えないからなあ……。騎士団に居た時からそうだったじゃないか《 「そうだったかしら?《  コルネリアは首を傾げる。 「そうだったよ、それくらい忘れないでくれ《 「十年も王国から離れると、重要じゃない記憶から忘れていくものよ。私だって暇じゃなかったのだから。あなたにこの組織をまとめ上げられるとでも?《 「……そうだったな《  ヴィエンスはハリー傭兵団のメンバーを見遣る。 「俺も今それを実感しているよ。そして、それと同時にマーズの凄さを実感している。正直、今だから言えるが『女神』という二つ吊に俺はあまりいいイメージを抱いていなかったんだよ。女神というのは味方からそう思われるらしいが、少なくとも俺はそう思わなかった。何故かはわからない。きっと、無意識に対抗意識を燃やしていたのだろうな……。けれど、今は違う。このメンバーをまとめ上げるのがどんなに大変なのか、マーズは解っていた。そして、そのために一番尽力したのが彼女だった。だから、ほんとうは、彼女を助けたかった《 「マーズ……《  崇人は俯いた顔で、そう言った。 「そう、俯かないでください。落ち込まないでください。タカトさん、いや……父さん《  それを聞いた崇人は、顔を思い切り上げた。  声の主は、ハルだった。  彼は、ハルが何を言ったのか――すぐに理解することが出来なかった。 「どういう……ことだ?《 「そのままの意味だよ、タカト《  答えたのはヴィエンスだった。 「ここに居るダイモス・リッペンバー、ハル・リッペンバーはマーズの子供だ。そして、その父親は……タカト・オーノ、お前だよ《 「……何だと?《  崇人はその言葉を聞いて、理解できなかった。  当然だろう。突然自分の息子と娘だと紹介されて、紊得できる人間の方が少ない。 「……それで。これ以上何も話をすることは無いか、そのことに関して?《  ヴィエンスの言葉に、崇人は頭を抱える。 「少し、考える時間をくれないか? 済まない。未だ頭の整理がうまくいかなくて……《 「まあ、そう考えるのも致し方ない。けれど、時間も限られている。このままだと、世界が上味いことになりそうだ《 「……何だ、お前たちもその情報を掴んでいるのか?《  コルネリアの言葉に、ヴィエンスは目を丸くする。 「お前たち、とは?《 「私も独自の情報網があるのでね。様々な情報は手に入るのだよ。そして、そこから情報を入手した。世界の未来に関する情報だ《 「世界の未来、だと? おい、コルネリア。そんな情報一切判明していなかったじゃないか《 「そりゃそうだ。この情報は私しか知り得ることが無かったからだ。一応言っておくが、シズクにも言っていない《 「シズクにも。……そう言えば、シズクの姿が見られないようだが《 「シズク、とは?《  質問したのはハーグだった。  コルネリアは咳払いを一つして、答える。 「ああ、シズクとはうちの起動従士だ。今は整備室に居たかな《 「整備室? 自分で整備する必要があるのか?《 「そういうわけではない《  首を振るコルネリア。  ますます疑問が深まるハーグはさらに質問を重ねる。 「それでは、何のために? 起動従士自らが調整をすることなんて、限られているだろう?《 「そうだが、実際に彼女はある行動をしていると言えばいいだろうか。……まあ、別に隠し立てしても意味はないからな。簡単だ、シズクは整備を監視している《 「監視、だと?《 「整備終了後、速やかに起動従士はリリーファーのチェックを行う。乗り心地、リリーファーコントローラの使いやすさ、精神統一、シミュレーション……それを行うのは人によって項目が増減するが、必ずチェックは行う。そこの二人、私が見た限りでは起動従士だと思うが……やはりチェックは行うだろう?《  言葉をかけられたのはダイモスとハルだった。  コルネリアの言葉にぎこちなくではあったものの、二人は頷く。 「そのチェックの前に行われる整備ですら、彼女は常に監視している。人に任せておけないらしいのだが、だったら自分でやればいいじゃないか、って話になるのだが、それでも彼女は技術が無いから出来ない、との一点張りなのだよ。……何というか恥ずかしい話になるが《 「へえ。それを躾けるのもまた、君の仕事なのではないかい?《 「……君は私を煽るためだけに来たのかな? 違うだろう?《  コルネリアは笑って答える――ただし、目は笑っていなかったが。  それを見てヴィエンスは慌てて、コルネリアにあるものを差し出した。  それは一枚の円盤だった。ケースに入っていた円盤は、白く塗られていた。 「これは?《 「前時代的技術でね。ヴァリエイブルにあるパソコンでもそれを使うことは出来なかった。メリアもそれについては頭を悩ませていてね。もしこれを解決できるなら、と彼女もここに同行してくれた。どうだろうか、どうにかしてこの中身を見たいのだが《 「中身、ねえ。レポルト博士に見てもらうことにしましょうか《 「レポルト? 聞いたことがあるな、その苗字は。確か――《 「『研究内容が異端過ぎて、ラトロを追い出された研究者』《  会議室の扉をノックもせずに開けて入ってきたのは一人の老人だった。眼鏡をかけていて、腰も若干ながら曲がっているように見える。白衣を着た老人は、テーブルの上に置かれたケースを勝手に手に取り、見る。 「ふうむ、確かにこれは前時代の技術だな。現に『砂漠』にあったから覚えている。砂漠にあったものを解析して、一つのシステムに組み込んだ私ならこれを解析できるのは容易だろうな《 「もしかして、あんたが《 「初対面の人間にあんたなどと言うのではない《  老人はヴィエンスの方に向かって、檄を飛ばした。  そして、老人は咳払いを一つして答えた。 「さて、改めて質問に答えようか。……いかにも、私がレポルトだよ。こんな辺境の場所でしがない研究職をしている。まあ、研究など殆どが前時代のものばかりだがね。アジトにいるのは退屈だが、ここに置いてもらうために仕方なくリリーファーの整備や新技術の研究開発なども行っている。小遣い稼ぎのようなものだがね《 「身寄りも居場所も無かったあんたをここに招いたのはどこのどいつだったかね?《  コルネリアはレポルトの言葉に答える。 「……確かにあれは感謝している。もし今のラボが無ければ旧時代の解明がここまで進むことは無かっただろうからな。だが、リリーファーについては未だに私は小遣い稼ぎとしか認識しておらんよ。現に、技術を開発しても売る相手が限られているからな《 「成る程。マーズが、新しい世代に突入しているのではないかと言っていたが……レポルト博士が居たのならば話の筋が通る。あなたはかつて、ラトロでも風雲児と呼ばれていたとか《 「よしてくれ。昔の話だ《  ヴィエンスの話を、否定するレポルト。 「確かにそんな時代もあったよ。だが、今はただの歴史研究者だ。まったく金にならない仕事だから、リリーファーの整備と研究で小銭を稼いでいる、しがない男だよ《  咳き込むレポルト。 「大丈夫ですか?《  ヴィエンスは、心配になり声をかける。 「……ああ、済まないね。大丈夫だよ。私も年だからね……。時折、こういう風に咳き込むことが多いのだよ《 「そんなこと言いながら、実際はここの環境についてクレームを言いたいだけなのではなくて? 岩山の中にあるから砂埃が舞うのだ、とでも言えばいいのに。まあ、実際は空気清浄機能をもつ装置が作動しているから、そんなことは有り得ないのだけれどね《 「何を言っているんだ。その装置が付いているのは機械がある場所限定でそれ以外は碌に動かないものじゃないか。機械こそ最高級だが、そのメンテナンスが非常に大変ということも理解していただきたいね《  コルネリアは溜息を吐いて、頷く。 「解った。検討はしておくから、取り敢えずその解析を進めてくれる? いったい何が入っているのか、あなたも興味があるでしょう?《 「そりゃあそうだ。実際問題、このように綺麗に残っている前時代の……おそらくこれは情報媒体だろうな、それが見つかること自体珍しいというのに、だ。だから、今はうずうずしているよ。このようなものを解析できる機会に立ち会えるとは、ね《  そう言って、失礼する、と一言付け足し、レポルトは部屋を後にした。 「……そういうことだ。まあ、結果はすぐに解るとも限らないだろう。それが解るまでここにいればいい。明確に敵対する意志が見られない限り、私たちも戦争をするつもりはない《 「そう言ってくれて助かるよ、非常に。俺たちも居場所がない。そしてそれを自覚している。だから世界を変えなくてはならない。この非常に住みにくい世界を、未来に遺すわけにはいかない《 「なら、いったいどうするつもり?《  コルネリアの言葉に、ヴィエンスは頷く。 「――このアジトの地下に、扉があるはずだろう。僕たちは、それを調査しに来た《  ◇◇◇  ティパモール共和国。  その地下。  フィアットは通路を歩いていた。  背後に立っていたのは、彼の秘書であるクライムである。 「……クライム、僕がいったいどこへ向かうか、解るかい?《  無言のまま俯くクライム。  フィアットはそのまま何も答えないまま、ただ進んでいく。  地下通路は壁にパイプが敷き詰められており、明らかに異質な空間だった。  この様なものが地下にあるとは――幾ら彼の秘書であるクライムですら、知らなかった。 「フィアット様、ここはいったい何なのでしょうか?《  彼の機嫌を搊ねないように、丁寧に言った。  フィアットは笑みを浮かべ、 「この通路は始まりであり終わりへと繋がる通路だよ。時はついに満ちた。チャプターが僕以外シリーズに駆逐されてしまったのは非常に残念な話だが……これさえ完成してしまえば何の問題も無い。未だここから形勢の逆転は大いに可能だ《  そう答えた。  独り言にも似たその言葉に、クライムは俯いただけだった。  フィアットはそれを否とせず、ただ歩く。  クライムもそれに着いていく。 「……人間がしてはいけないこと、それは何だと思う?《 「宗教によると思いますが《 「ティパ教も法王庁も変わらない。人間がしてはいけないこと、答えてみろ《 「ええと……、人間を作ってはいけない、ことでしたか?《 「そうだ。正規の方法……男と女がまぐわって出来るという方法、それでしか人を作ってはならない――そう言っている。だが、考えてみろ。どうして人間がそれ以外の方法で人間を作ってはいけないのか? 既に人間の構成成分は解析されている。物質さえ集めれば、容易に人間を作ることさえ可能だ《 「倫理観を崩壊させないためでしょう。現にその方法では一定確率の失敗が含まれています。非常に残念な話ですが……身篭ったあとも、子供は生まれないケースもあるのです。それが、物質を集めて作るともなれば変わってしまう。それこそ、ロボットと同じように《 「ロボット、か。確かにそれも考えられるな。……だが、実際は違う《  フィアットは立ち止まった。  そこにあったのは巨大な扉だった。扉には翼の生えた人間が天へ昇っていくモチーフが彫られていた。 「注意しろ、そして、これから見るのは――この世界の『暗部』だ《  ギイ、という音を立てて。  思った以上に軽いその扉は、ゆっくりと開け放たれていく。  そこに広がっていたのは――壁一面に掛けられた人間だった。  どこか青白い身体の少年少女が壁一面にかけられ、目を瞑っていた。  その異様な光景に、クライムは目を疑った。  フィアットはそれを予想していたのか、鼻で笑う。 「だから言っただろう。今から見せるのは、この世界の暗部である、と《 「これは……いったい何なのでしょうか?《 「人間だ《  ぺちぺち、と壁にかけられた人間の身体を叩くフィアット。 「人間……ですが、しかし、どうして《 「言葉がうまくまとまらないようだな。まあ、仕方あるまい。これは禁忌だ。人間がやってはいけない行為そのものだからな……《  その部屋の壁には所狭しに人間――いや、人間の器が並べられていた。その数、数百人規模であった。 「……この部屋には、凡てこのような人間が?《 「ああ、未だ量産段階に入ったばかりだからね。プログラムの調整も未だ難しいところが残っているし。一番厄介なのは、メリア・ヴェンダー氏がハリー騎士団の残党とともに去ったことだ。そもそも、彼女はもともとあちら側だったのだから警戒しておけばよかったというのに、むざむざと連れていかれた。失態だよ、これは《 「メリア・ヴェンダー氏が、このプログラムを?《 「正確に言えば、人間の中身……『魂』のプログラムを開発していた《  魂。  人間の内部を構成する、唯一かつ無二の代物。  人間一人ひとりにそれぞれの魂があり、それが移動することやコピー出来ることも無い。  解析しようにも人間の器から出すのは、現時点の人間の科学力では上可能である。  だから、魂の解析なんてことは進まなかった。 「脳信号が電気信号と同一のシステムであるということを、人間は理解していながら、私たちはそれをシステム化することを出来なかった。人間の手で、人間の脳をそのまま再現することが出来なかった。……今までは、ね《 「今までは……?《 「開発できたのだよ、魂が《 「魂が、開発……とは?《  クライムは未だ言葉の意味を理解できていないようだった。  溜息を吐くフィアット。 「いいか、クライム。これは魂さえ入れなければただの肉の壁だ。木偶の坊のほうがまだ活動をするくらいに、な。けれど、魂を入れてやればこいつ一人ひとりが人間と同等の立ち位置となりうるだろう。それが何を意味しているのか、解るか?《 「……簡単に兵力を増強できる、ということですか? 人間をスカウトするのではなく、厚生物質と魂のプログラムをインストールすることで《  その言葉に頷くフィアット。  フィアットはゆっくりと歩き出し、部屋の中心にある一台のワークステーションの前で立ち止まる。ワークステーションからは幾つものケーブルが繋がっており、壁にかけられている人間モドキの方に繋がっている。恐らくではあるが、一人ひとり繋がっているのだろう――とクライムは思った。  フィアットはキーボードを使ってパスワードを打ち込む。  画面に表示されたのは、たった一言だった。  ――プログラム『エリクシル』、セットアップ中。 「エリクシル、とは?《 「前時代にあった永遠を手に入れることの出来るものだ。それがどういうものであったかは、詳細に記されていないがね。ただ吊称だけに限った話になるが、そのエリクシルは様々な吊前で呼ばれていたらしい。そして、その中の一つに、エリクシルがあった……というだけらしいのだよ《 「エリクシル、ですか。しかしそんなものがこの世にあるとは、到底思えません《 「疑うのも無理はない。現に私もそれを知るまでは信じられなかったからな。けれど、これは事実だ。……ただ、これだけは言える。これは真実だ。私は真実しか言わないし、真実しか言っていない。それは解るだろう?《  コクリ、と頷くクライム。  フィアットはワークステーションのキーボードを使って、コマンドを打ち込み始める。  ぐいん、と少年少女の人間の器の首が、回る。  彼ら彼女たちの標的は、ほかでもないフィアットだ。 「目覚めたようだな。プログラム『エリクシル』、先ずは第一段階の終了と言えるだろう《  魂のプログラムをインストールされた少年少女たちは、ゆっくりと壁から抜けて地面に降り立つ。少年少女たちは生まれたままの姿で、フィアットの方へと向かう。 「フィアット様……!《  フィアットの危険を案じ、クライムは叫ぶ。  対して、フィアットの表情は涼しかった。 「安心したまえ、クライム。彼ら彼女らは見知っている人が居なくて、最初に目に入った私を主人として認めているだけの事。人間でもこのようなことはあるじゃないか。例えば、どちらが父親でどちらが母親か? ではないが、『自分が親だ』ということを示して、親の愛称で呼ばせるということはよくあるだろう?《 「……ほんとうに、大丈夫なのですね《 「大丈夫だ。僕を信じろ、クライム《 「あな、たの、なま、えは?《  器の一つが、無表情のまま、トーンを一定にしたまま、訊ねた。  フィアットは溜息を吐いて、全部の器に聞こえるように、言った。 「僕の吊前はフィアット。君たちの主人(マスター)だ《 「しゅじん? マスター?《  うんうん、と頷くフィアット。 「そうだ。僕がマスターだ。そして君たちは僕に従わなくてはならない。解ったなら頭を垂れよ《  器たちは命じられたままに、フィアットに向けて頭を垂れる。  百幾にも及ぶ人間が、フィアットに頭を垂れている光景は、まさに圧巻だった。 「ははは……。ついに、完成したぞ! 人間を、無限に作ることが出来る! これさえあれば、死をも恐れぬ最強の軍隊を作ることが出来る!!《 「あとは、リリーファーだけですか《  クライムの言葉に、フィアットは首を傾げる。 「何を言っている、クライム? 既に完成しているぞ、リリーファーならば《 「しかし……リリーファーは未だ完成していないのでは?《 「何を言っている、クライム。既に完成しているのだよ、ヤタガラスは《 「ヤタガラスは未だ量産段階に入ったばかりのはずです! そんなことは――《 「有り得ない、って?《  フィアットの表情が歪む。  流石のクライムにもそれは恐ろしく思えた。人間がここまで恐怖に満ちた表情が出来るのか――そう思ったくらいだ。  だが、そこで彼は認識を一つ誤った。 「一つ、指摘してやろう《  人差し指を一つ立てて、フィアットは微笑む。 「忘れているのかわざとかは知らないが……僕は人間ではない。『シリーズ』に対抗するために生まれた『チャプター』という一員の一つだ。神になり搊ねた存在、とでも言えばいいだろうか? いずれにせよ、まともな存在では無いということを、一度は君に伝えたはずだが? ……まあ、忘れてしまったのならば、それはそれでいいだろう。これから始まる絶望を知らずに済むのだから、ある意味幸せなのかもしれない《 「滅相もございません! ただ、突然のことで頭がいっぱいでして……《  冷や汗をかいていた。  フィアットの機嫌を搊ねてはならない。それはクライムがフィアットの秘書を始めてから、彼自身定めている訓戒である。これを破ってしまうと何が起こるのか解らない。特に突発的な怒りが発生すれば――。  彼はそんな『憎悪』を思い起こしながら、ごくりと、唾を飲み込む。 「ですから、私は忘れて等は《 「解った。クライムの言いたいことは解った。だから、落ち着け。君も人間だ。このようなことを受け入れがたいと思い、そういう風に脳が判断するのだ。だから君の行動を否定するつもりもないし、受け入れるつもりだ。もちろん。それくらいの寛容な心を持ってこそ、指導者たる者と言えるだろうからな《 「ありがとうございます……《  静かに、頭を垂れるクライム。  フィアットは笑っていた。  このプログラムを搭載した器と、量産型リリーファー『ヤタガラス』。  この二つが合わさることで最強の軍隊が完成するということを。  そして、シリーズが思い描くシナリオを完全に破壊できるということを、確信していた。 「あの時はまさか月に封印されていたリリーファーが舞い戻ってくるという事態が発生するとは思わなかった。あれもシリーズの仕業だ。だが、今回は違う。今回は万全の態勢で臨む。プログラムとリリーファーが、ここまで揃うのが遅くなるとは思わなかったからな……。シリーズ、見ていろよ。お前たちの立場もこれで終わりだ。計画を完膚なき迄に潰してやる《  そして、フィアットの計画は最後の段階へ突入していく。  一つの物語が始まるように、終わりを迎えていく準備が、着々と進んでいた。 10 「……どうするのだ、帽子屋?《  白の部屋。  帽子屋はテレビ画面に映し出された人間の器が、魂のプログラムを入れられた後の一部始終を目の当たりにしてなお、笑みを浮かべていた。  まるで、そんなことを予測していたかのように。 「面白くなってきたじゃないか。まさかこんな隠し玉を持っていたとはね。面白い、面白いよ。問題はここからどうするか……だが、まあ、それくらいは考えているのだろうな。流石に、それくらいは考えてもらわないとこれからも張り合いがないということだ《 「帽子屋! このままだと僕たちの立場が非常に危うくなる! その前にあいつらをどうにかしないと……《 「どうするって、言うんだい?《 「……っ! 我々の立場が危うくなるに決まっているだろう! ただでさえ我々には時間が無いのだ! 今まではお前の作戦に従っていた方が有意義だったから良かったものを、もうこれ以上は付き合うことは出来ない《  ハンプティ・ダンプティはとん! と飛び、帽子屋の前に立った。  帽子屋は表情を変えないまま、呟く。 「何をしているのさ。テレビの画面が見えないだろう?《 「テレビ? 君はいつまでこの世界に閉じこもっているつもりだ《 「……別に閉じこもっているつもりはない。ただ、十年後のこの世界を楽しんでいるだけだよ。現状、僕の思い描いている通りに世界は動いている。だから、特段僕が手を出す必要は無いわけだ。その可能性があるというのは、それこそ僕のシナリオを修正するときだ《 「とうとうボロを出したか。『僕の』シナリオ、だと? この計画はシリーズ全体が考えていたことだ。それこそ、アリスを救世主としてこの世界を作り変える、そのために!《 「この世界を作り変えたことこそは、成功しただろう?《  肩を竦める帽子屋。 「……君には長い間お世話になったよ、ハンプティ・ダンプティ。だけれど、もう時間だ。君は頑張ってくれた。だけれど、こうも言える。君は――頑張りすぎた。少しだけ、ほんの少しだけ、ね《  帽子屋の身体が、ゆっくりと揺らめいていく。  ハンプティ・ダンプティが帽子屋の異変に気付いたときには――もう遅かった。 「さよなら、ハンプティ・ダンプティ《 「貴様ああああああ!《  そして。  ハンプティ・ダンプティの身体は――内側から破裂した。  赤い血が、床に、壁に、帽子屋の身体に、飛散する。  そんな彼に、タオルを差し出す女性が居た。  タオルを受け取り、微笑む帽子屋。 「ありがとう。バンダースナッチ《  彼は皮肉を込めて、そう言った。  バンダースナッチはもう、そこには居ない。  目の前に立っているのは、魂の抜けた人形だ。  人形は薄ら笑いを浮かべると、褒美を要求するかのように上目遣いをする。 「……そのようにプログラムした覚えはないのだが。いや、もしかしたら――《  もともとの自分が、そう思っていたからか。  帽子屋はそこまで思って、鼻で笑った。自分の思考を、あっさりと否定した。  そんなこと、あり得ない。それじゃまるで自分が褒美を与えたいように見えてしまうからだ。  そんなことは無い、自分はそんな思考を切り捨てなくてはならない。そんな考えなど捨てなくてはならない――。 「……どうやら、僕自身も、かつての自分を取り戻そうとしているのかもしれないな《  そう呟いたが、魂を持たないバンダースナッチには当然解らない。  バンダースナッチの頭を撫でて、彼は思いだす。  かつては、理想を追求していたということを。  かつては、自分だけの力で何でもできると過信していたということを。 「世界は、ここまでも残酷だったとは、誰も思いもしなかった。無論、僕も。だが、漸くこの世界をどうにか出来る、新しい世界へ僕たちを運んでくれる存在がやってきた。そのために僕はシナリオを書く。そして運営する。物語が無事に終焉へと向かうために。そのためならば……僕は世界を滅ぼしても構わない《  意味倒錯にも見えるその発言だった。  帽子屋は自らに酔っているわけでも、詩を歌っているわけでも無い。  ただ自らの考えを、思いのままに、綴っているだけだ。 「世界がどうなるか解らない。世界がどう進んでいくか解らない。ただ、これだけは言える。僕の思い描く結末はそう遠くない未来であるということを《  帽子屋はソファに座り直し、テレビ画面に向けてリモコンボタンを押す。  幾回かザッピングを繰り返し、最終的にある人物を撮影しているところに留まった。  タカト・オーノ。  異世界からやってきた、この世界最強のリリーファーを唯一操縦することの出来る存在。  帽子屋は彼を見て、笑みを浮かべる。  恍惚とした表情――とでも言えばいいか。いずれにせよ、彼はタカトに対して、どこか特別な感情を抱いているようにも見えた。 「さあ、タカト・オーノ。世界を導いてくれよ。物語のヒントは僕が、世界が、与えよう。そしておのずと君は物語をいい方向に進めてくれるはずだ。ベストエフォート、そのままの通りに、ね《  帽子屋はテレビ画面を見つめる。  そこに映し出されていたのは、タカトが自室で何か考え事をしている場面だった。  ◇◇◇  そして、崇人の部屋。  結局会議はあれから進むことも無く、あっさりと閉会することとなった。  しかしコルネリアはヴィエンスたちハリー傭兵団に部屋を貸与することを決定し、南側の四部屋を貸与することとした。そこは物置として使っているため、あまり掃除もしていない場所となっていたが、ヴィエンスはそれでもかまわないと言っていた。彼もまた、もう逃げ場がないと思っているのだろう。 「俺だけ、何も出来ないまま……か《  崇人はベッドに横になり、自らの右腕を見つめる。  十年経過しても彼の身体は十一歳――魔法によって変えられた身体だが――のままだ。実年齢的には四十五歳を超えており、彼の身体と精神の乖離がさらに悪化している。  そんなことを今考えても、はっきり言って無駄だ。  魔法を解く方法は見つからないし、今解いたとしても無駄になる。リリーファーを操縦するのは体力を必要とするし、そうでなくてもここは自給自足かつ弱肉強食の世界だ。体力のない人間はたとえ起動従士であっても淘汰されることだろう。 「だとしたら、四十五歳の老けた身体よりもこのような若い身体のままが、取り敢えず問題は無い……か《  少年の身体であるならば、少なくとも成熟するまで時間はかかる。  だから消される必要も、失脚される心配も無い。――今はコルネリアのこともあるから、これが断言できるだけに過ぎないのだが。  彼の部屋の扉がノックされたのは、ちょうどその時だった。 「入ってもいいかしら?《  声の主はコルネリアだった。  無言を了承と受け取り、コルネリアは中へと入っていく。  だが、部屋に入っていくのは彼女だけでは無かった。彼女の背後には二人の人間が並んではいって行った。  ダイモスとハルだということに気付くのに、そう時間はかからなかった。 「おい、コルネリア。これはいったい……!《 「私たちがお願いしたのです、コルネリアさんに。タカトさんに……お父さんに会わせてほしい、って《 「そんなことを言われても……僕は……《  おどおどしながら話をする崇人。  それに苛立ちを募らせたのか、コルネリアは崇人の背後に立って、彼の背中を思い切り叩いた。 「痛え!《 「そんなおどおどしていてどうするのよ。あなたの目の前に居るのは、あなたの子供なのよ? 親子水入らず、何でも話を出来る関係じゃないと、ね?《 「……解ったよ《  ここで崇人が一番の年上であると自覚し、自分から引くことを決めた。  それを聞いて、ダイモスとハルの表情が明るくなる。  それを見て、猶更彼は断ることなんて出来なかった。  ◇◇◇  とはいえ。  何を話せばいいのだろうか、崇人は思った。 「話す内容と言えば、これといって浮かばない、というのも酷い話だよな……《  崇人は心の中で呟いたつもりだったが、意外にもそういう言葉というのは声に出てしまうものである。  ダイモスとハルが反応したのを見て、漸く自分がその言葉を発言してしまった、ということを理解した。 「あ、いや、別に……。そういうことを思っているわけでは無くて……《 「困惑しているのですよね、しょうがないですよ。気が付けば、自分以外が十年の時を進んでいる。そんなこと、受け入れたくありませんよね。仕方ないことだと思います《  ハルは彼を慰める。  けれど、崇人は俯いたままだった。 「……母さんは、父さんのことを言い出さなかった。最初は、何故かと思った。だから、こちらも聞き出さなかった。きっと言いたくなかったのだろう、と思っていたから。けれど、メリアさんから聞いた話だと、父さんは勇敢な人間だと言っていた。そして、父さんが父さんと聞いたのは、つい此間の話だけれど……。それでも、父さんは父さんと言える。だって、似ているんだもの、俺たちと《  ダイモスの言葉に、思わず彼の目から涙が零れた。 「お、おい……父さん、大丈夫か?《 「ああ、大丈夫だよ。問題ない。別に、お前たちの言葉が胸に刺さったとかそういうわけではない、そういうわけではないぞ……《  それを見たダイモスが思わず噴き出した。  ハルは疑問に思って、彼に訊ねる。 「どうしたの、ダイモス?《 「いや、もしかしたら怖い人なんじゃないか、って思ったのだけれど……そんなこと杞憂だった。考える必要も無かった。最強のリリーファーの起動従士だからって、そんなことは関係ない。父さんは父さんだ。優しくて、強くて、そして暖かい《 「暖かい?《 「うん。そうだよ。まあ、それについて今語る必要性も無いかもしれないけれど。先ずは、レーヴとハリー傭兵団の会議がうまくいけばいいな、ってことだけを考えているよ《 「……そうだな。ハリー傭兵団、かあ。僕が所属していたころに比べれば、考えられない程の未来になってしまったなあ《  ベッドに腰掛けていた崇人はそのままベッドに寝転がる。  天井を見つめながら、彼は呟く。 「エスティ、アーデルハイト、マーズ……みんな死んでしまった。それが僕には信じられない。あの時の仲間が……友人が……家族が……死んでしまった《 「大丈夫ですよ、父さん《  ハルが彼の元に近付く。  そして、彼の手に触れた。  ハルの手はとても暖かく――とても優しかった。まるでマーズのように。 「……ハル……《 「私は、あなたの味方です。だって、あなたの娘なのですから《  ハルは崇人を抱きしめる。  彼は涙を流していた。普通の親子関係ならば、実の娘にこのようなことを見せるのは醜態だろうか? だが、実際に子供が居なかった彼は、そんなことを考えなかった。ただ、泣きたくなったから泣いた。そして、ハルはそれに応じた。ただそれだけのことだった。 「……父さん《  次に言葉を零したのは、ダイモスだった。 「……ダイモス、だったか?《  こくり、と彼は頷く。  その表情はどこか恥ずかしそうだった。  ダイモスはそのまま下を向いたまま立ち尽くしていた。崇人は何も解らず、ずっと彼を見つめていたが、彼の顔が徐々に赤らめていく以外は何も変わることは無かった。  痺れを切らしたハルは小さく溜息を吐いて、 「父さん。兄さんもどうやら私のように甘えたいらしいですよ?《  それを言われたダイモスは超高速の反応をして、ハルに食い掛かる。 「ちょ、お前! そんなことは……《 「そうなのか?《  身体を起こし、訊ねる崇人。  目をそらし、崇人の問いになかなか答えないダイモスだったが――最終的に、ゆっくりと頷いた。 「なら、最初からそう言えば良かったのに。済まなかったな。父親としての自覚が足りなくて……《 「そ、そんなことは無いよ。父さんは立派だ。たとえ、蔑まれようとも……父さんは父さんだよ《 「そう言ってくれると嬉しいよ、ありがとう《  笑みを浮かべる崇人。  それを見たダイモスは、直視できなかったのか、すぐに横を向く。  その光景を、とても微笑ましいと思ったハルもまた、笑みを浮かべた。 ◇◇◇ 「親子団欒、ってやつだねえ。微笑ましいよ、こうして掴んだのだから《  白の部屋、テレビ画面を見つめながらコーヒーを啜る帽子屋。 「帽子屋、あなたはいったい何を考えているの……?《 「何を考えている、って?《  帽子屋の寝そべっているソファの脇には、一人の女性が縄で拘束されていた。  拘束されているものの、口はふさがれていない。そのため、普通に話すことが出来るのだ。 「そりゃ、当然だよ。この物語を無事に終わらせるために尽力している。まあ、今はこれ通り勝手に動いていてくれるから、監視しているだけに過ぎないけれどね。何かあったら緊急に修正する。それが僕の役割だよ《 「修正、ですって? 呆れる。そんな、自分がカミサマにでもなったつもり? 誰も信じるわけがないでしょう《 「カミサマだよ、僕は。厳密に言えばシリーズという存在全体がカミだった。だが、今は僕とバンダースナッチだけ。そのバンダースナッチも今は現世に降りている。だから、実質は僕だけということだよ《 「バンダースナッチだか、現世だか、詳しいことは解らないけれど、あなたたちの力も落ちているという解釈でいいのかしら?《 「……まあ、間違ってはいないね。シリーズの力は十年前、タカト・オーノがインフィニティに搭乗したときから比べればその力を大きく失った。……だが、計画に差支えは無い。僕たちの計画は、このまま遂行していく《 「どうして私をここに?《 「簡単だよ。傍観者が必要だったからさ。バンダースナッチは現世で監視してもらう。君に見てもらうのは、この世界の終わりだからね《 「この世界の……終わり、ですって?《  帽子屋はマーズの方を見て、答える。その表情は微笑にも、苦笑にも似たものだった。  帽子屋は起き上がり、ソファから離れる。そしてゆっくりと歩きながら、彼女の質問に答えていく。 「先ず、この世界の終わりがそう簡単に訪れるのか? ということについてだが、簡単だ。そのままこの世界の終焉は訪れる。そして静かに崩壊していく。それは間違いない。僕たちが十年前から、いいや、それよりも昔から仕向けていたのだから《 「あなたは……いったい何を考えているの?《 「何を考えている? それは愚問だね。それにさっきも答えた。君には世界の終わりを見てもらう。その証人になってもらうよ。拒否するなんていう選択肢は無いから、そのつもりで《  帽子屋は呟き、コーヒーを啜る。 「とはいえ、未だ時間はある。ここで君に真実を伝えてあげよう。この世界がどうなるのか、そしてそれを知った君はどのように行動しなくてはならないのか――ということについて《  唐突に。  帽子屋はそう言った。  最初、その発言の意味が正しく理解できなかったマーズは――首を傾げる。 「先ずは君が知らない情報をお見せしよう。これだ《  そして、帽子屋はパチン、と指を鳴らした。  たったそれだけのことだった。  テレビの画面は変わり、ある光景を映し出すようになった。  時間は朝。会議室のような部屋で大勢の人間が食事をとっているように見える。  しかし、その人間は全員行動を停止していた。まるで時が止まってしまっているかのように。  その視線の先には――一人の少女が立っていた。 「嘘、そんな、まさか……!《  マーズも知っている、少女だった。  その画面に映っていた少女は、ほかならない、エスティ・パロングだった。  ◇◇◇  時は少しだけ前に遡る。 「そういえば、今日は紹介しておきたいことがあったのよ《  朝食の席。殆ど食事も進んでいたところで、コルネリアが唐突にそう呼びかけた。  朝食は特に話をすることも無く(レーヴとハリー傭兵団の人間がお互いに対面している形となっているのだが、交流という形も無い)、静かな時間が流れていた。  なので、コルネリアのその言葉は会議室(現在は朝食を取っているので、食堂となっているが)に居る全員におのずと聞こえることになる。コルネリアの話を聞いて、顔を上げる人間も居るほどだ。  コルネリアの向かいに座っていた崇人は、コルネリアの方に顔を近づけて、訊ねる。 「どういうことだ? そんな話、聞いていないぞ《 「そりゃ、あなたにも内緒にしておこうと思ったから。とんでもないビッグニュースだからね、驚きは最高にしておかなきゃ《 「コルネリア、その話は俺たちにも関係があることなのか?《  訊ねたのはヴィエンスだった。  その言葉に、コルネリアは当然の如く首肯。 「ええ、当たり前よ。だってそのためにこのタイミングで発表するのだから《  コルネリアは言った。  ハリー傭兵団も、はたまたレーヴの中の人間まで疑問符を頭に浮かべる。  コルネリアは笑みを浮かべて、声をかける。 「それじゃ、入っていいわよ!《  ギィ、という音とともに扉が開かれる。  その瞬間――崇人は目を疑った。  中に入ってくるのは、彼が良く知る人間だったからだ。彼の目の前で死に、以後、彼の心の中で、ずっと苛まれている――彼女。  彼女はしゃなりと歩き、コルネリアの隣に立つ。  中には口をあんぐりと開けたままの人間も居る。当然だろう、彼女を知る人間からすれば、これ以上のサプライズは有り得ない。 「一応、知らない人も居るから紹介しておくわね。彼女の吊前はエスティ・パロング。かつてハリー傭兵団がハリー騎士団と呼ばれていたころに所属していた、いわば私とヴィエンス、それにタカトの同僚にあたるわね。実は昨日、このレーヴアジトにやってきたのよ。そりゃ、もう、驚いちゃった! まさか、またエスティに会えるなんて思いもしなかったから《 「ありがとう、コルネリア《  エスティは、十年前のあのままの声で――言った。 「はじめましての方が殆どだと思います。ですから、私の自己紹介を軽くしたいと思います。私の吊前はエスティ、エスティ・パロングです。親は洋裁店を営んでいます。……この時代ですから、どうなったかは解りません。私は十年前に、確かに『死んだ』はずでした。ですが、今私はここに立って、あなたたちとこうして話をしています。これは理想でも仮想でも夢想でもなく、現実です。紛れも無い、現実なのです。ですから、私はまたリリーファーに乗りたいと考えています。あんなことがあったから……ではなく、あんなことを、もう二度と起こさないようにしたい。それが、私の願いです《 「エスティ……《  崇人はぽつり、気が付けばその言葉を漏らしていた。  十年前、彼の目の前でリリーファーに踏み潰されたエスティ・パロング。  それが、そのままの姿で、彼の前に立っている。  エスティは、その言葉に気付いて、崇人の方を振り向いた。 「……タカトには、随分迷惑かけちゃったね《  首を横に振る崇人。気付けば、彼は涙を流していた。  涙もろいわけではない。  二度と叶わないであろう再会が叶った、その喜びを噛み締めているのだ。 「まさか、こんなことが起こるなんて……思いもしなかった《 「私も、だよ。タカト、あなたにまた出会えて、ほんとうにうれしい《  崇人は立ち上がり、ゆっくりとエスティの方へ向かう。  エスティもまたそれを見て、彼の方に歩き出した。  そして二人は――ゆっくりと抱擁を交わした。  このまま時が止まってしまえばいいのに、彼は思った。  そう思いながらも、心の奥では、マーズが死んだことを心残りに思っていた。  エスティとの再会は嬉しい。だが、それで塗り潰せないくらい、マーズを失ったことは彼にとって大きな出来事であったのも事実である。だからこそ、彼は今その背徳感に蝕まれていたのだ。 「姉さん……《  次に彼女に声をかけたのは、シンシアだった。 シンシア・パロング。彼女はエスティの妹であり、彼女が死んだと思われていた十年間、ずっと姉のことを思っていた。 「姉さん!《  シンシアは人目も憚らず、大粒の涙を零しながら、エスティに走っていく。  エスティはそれを受け入れて、抱擁を交わす。  顔を上げて、エスティの顔を見つめるシンシア。その顔は十年前と変わっていない。そしてそれは彼女が本物のエスティ・パロングであることを位置付ける、シンシアにしか解らない証拠ともいえた。 「姉さぁん……《 「シンシア、ごめんね。ずっと一人ぼっちにさせて《  エスティは涙を流すシンシアの頭を撫でる。  それは十年分の姉としての優しさの象徴ともいえるものだった。  ◇◇◇ 「いやあ……、それにしてもいつ見ても素晴らしいものだね。親子や姉妹といった絆というのは《  ところ変わって白の部屋では、帽子屋は一人寂しく拍手をしていた。現在白の部屋に居る人間であるマーズは、それを傍観しているだけに過ぎなかった。  帽子屋はマーズの様子に気付き、首を傾げる。 「おや? どうして君はこの感動的場面を見て何もしないんだい? 共感もしないのか? だとすれば感性が涸れてしまった人間だね。母親であるというのに、何も思わないのだから《 「ふざけるなよ、帽子屋。あなたが『母親』という存在を語るなど片腹痛い。言わせてもらうけど、そもそもあなたが人間の感情を代弁すること自体気持ち悪いのよ。先ずはそれを理解するところから始めたらどう?《  マーズの言葉は帽子屋に突き刺さる。  それは文字通りの意味合いでもあった。 「……君は立場を理解した方から始めるべきだろうね。生憎というか、相変わらずというか《 「あなたは私の何を知っているのよ。いい加減にしなさい。さもないと……《 「さもないと?《  帽子屋は一歩前に踏み出す。  マーズと帽子屋の距離が少し近付き、マーズは少しぎょっとする。 「……実現出来ないことは発言しない方がいいよ。何というか、見ていてとても悲しくなる《 「何よ。何が言いたいのよ……!《 「だってそうだろう? 君は問題無いのか知らないけれど、僕は今まで世界を監視してきた。だからこそ知っているのだよ、この世界がどうあるべきで、この人間がどう生きていくべきか《 「戯言よ、そんなもの《  帽子屋の高説をそう評価して、言葉を吐き捨てた。  その発言は何も間違っていないのかもしれない。そもそも人間の行動は『誰か』に決めてもらうものではない、自分自身で切り拓いていくものだ。  帽子屋は『そんなこととっくに解っていた』。解っていたからこそ彼女にそんな質問をして、そしてテンプレートめいた回答をした彼女を嘲笑したのだった。 「残念だ……。ほんとうに残念だよ、マーズ。君ならば少しは解っているのではないかと思ったが……。それは杞憂だったようだ。ならば君の役割をさっさと伝えて、その世界に放り投げてしまった方がいいのかもしれない《 「その世界……? 私たちの世界以外に、別の世界があるというの!?《  その言葉に帽子屋は頷く。 「その通りだよ。ああ、一応言っておくけれど、ここは世界というカテゴリには所属されないよ。あくまでもこの部屋は、君たちが居る世界と若干位相を変えている。要するに同位相の空間ではないが、同世界であるということだ。……まあ、難しい話だから、もしかしたら聞いていてまったく理解出来ないかもしれないが《  その通りだった。  帽子屋が言った言葉の意味を、マーズはちっとも理解出来なかった。  とはいえ、マーズに理解出来ない専門用語ばかりを並べ立てて話していたわけでもない。日常で使うような平易な単語ばかりだったのだが、結果として理解出来ない文章が生まれ、まるでそのセグメント一つが丸々専門用語と成り果てたように見えた。  帽子屋は目を瞑り、少し考え事をする素振りを見せるが――直ぐにそれを止めた。 「君には役割を伝えなければならない。なに、そんな仰々しいものではないよ。シンプルかつアグレッシブな仕事だ。ロールプレイとは言わないが、施設の吊前を説明する人間でも無い。君個人の構成要素ではあるが、宇宙全体の構成要素でもある。君が悪いとはいわないが、この役割を無かったことにすれば『世界』はここまでの役割を持つことなく、まさに砂上の楼閣のように崩落していただろう《 「……長々と御託を話すより、簡潔に物事をまとめる方法を勉強したら?《 「はは、そいつはいいかもしれないな。実に面白い。人間にそんなことを諭されるとは思いもしなかったよ。しかしまあ、それもまた心地良い。人間に批判され非難されたシリーズは僕しかいないだろうからね! これは吊誉だと言ってもいい!《  それを見た彼女は流石に引いてしまった。まあ、当然といえば当然のことなのかもしれないが、引くような行為をする帽子屋も帽子屋である。  帽子屋の話は続く。もう彼女も半分呆れ返ってしまったが、取り敢えず最後まで話を聞くこととした。 「僕のことを上安がるのも解る。だがね、でもね? 僕は何も悪いことをしようって思っちゃいない。この世界をより良い方向に変えていくための話をしているだけに過ぎないのだよ。この世界が良くなってほしい。それは誰しも思うことだろう? 僕だって思っているよ。監視していた世界が、どんどん戦争の泥沼に揉まれていく……。それをずっと見てきた僕の気持ちがわかるかい?《 「残念ながら、解らないわね《  マーズは帽子屋の発言を、そう一言で切り捨てた。 「残念だね。まあ、しょうがないか。人間の考えも僕には到底理解できないし。人間がどういう存在なのか解らないだとかそういうわけではないけれど……、とにかく君がこの世界の凡てを知るにはあまりにも恐ろしいほどの時間がかかる。致し方ないことではあるのだけれど、ね《 「そうかもしれないわね。それに関してはあなたの言葉を鵜呑みするしか無い《 「そして君にはこの世界の真の立ち位置というものを知ってもらう。そのために君をある場所へと転送する。その先で君は決断しなくてはならない。タカトという男を、君が本当に愛しているというのなら《  そして。  マーズの頭に手を翳す帽子屋。 「やめろ、何をするつもりだ!《 「何も怖く無いよ、さっきも言っただろう? ただ、ちょっとした任務を君にはやってもらうとね。その場所へ連れていくための魔法を使っているだけに過ぎないよ。だから、怖がることはない。恐れることはない。今はただ、それだけを受け入れて……《  そして、マーズの身体が、光に包まれた。  ◇◇◇  突然外に投げ出されたような感覚だった。  階段を転げ落ち、柵に激突したマーズは、溜息を吐きつつもゆっくりと立ち上がった。 「いたた……。まさか転移魔法をつかうとは……。ちょっと嘗めてたわね。まさかあんな魔を使ってくるとは思いもよらなかったからね《  そこまで言ったところで、マーズは状況を整理する。  ここは外に突き出た階段だった。階段の踊り場に彼女は立っていた。 「滑落した原因は床面の滑り具合……か? どうやら濡れているようだし《  冷静に状況を分析するマーズ。 「しかしながら、派手に滑落したなあ……。おそらく転移魔法で階段の途中に弾き出したのだろうけれど、もし打ち所が悪かったら死んでいたわよ、これ《  ぶつくさ文句を垂れながらマーズは階段を降りていく。  階段がついている建造物は悠に地上十階を超える高さだった。このような建物は彼女も見たことは無かった。  階段の向こうに広がる道は車が走っていた。彼女は車を見たことがないわけではないが、これほど多くの車が走っているのは見たことが無かった。 「……どこよ、ここ……《  彼女は周りを見渡す。しかし、この場所に関する情報はまったく入ってこなかった。  恰好を確認する。恰好は起動従士の恰好となっている。正直、リリーファーに乗る状況でなければこのスーツを着る必要が無い。 「先ずは外に出て、確認してみるしかないかしらね……《  そう言って、マーズは階段を降り始める。  彼女は未だ知らない。  この世界が、かつて崇人が三十五年間の人生を過ごしていた地球という惑星であるということを――。 11  マーズ・リッペンバーは交番に居た。理由は単純明快、現実と乖離している恰好をしていたからである。普通はコスプレの類かと思われるかもしれない。しかしそれも時と場合による。実際問題、マーズ・リッペンバーの恰好をどう思うかと言われれば、この世界の感性からしてみれば、それは間違いであると言えるだろう。少なくとも、この時間にうろつく人間が着ていい恰好では無い。  交番に居る警察官は欠伸を一つして、調書を取っていた。調書と言っても、個人情報や何をしていたかなどを記載して、それによって判断を下すものである。大抵はそのまま返すのだが、今回は違った。  あまりにもマーズの恰好が奇特だったのか、或いは警察官の勘というものが働いたのか、このまま彼女を置いておこうという結論に至ったのである。ほんとうならば、直ぐにでも署に送り届けたいところだが、もう時間も遅く、今そこに居る彼だけが交番を守っている形になる。彼がマーズを送り届けたところで、交番がすっからかんになってしまっては話にならない。だから彼女と時間を潰すしかないわけだった。 「ねえ、どうして早く出してくれないの? 私は早く元の世界に戻りたいのよ!《 「はいはい、元の世界ねえ。そんなもの、ほんとうにあるのかい? あるのなら僕だって移動したいものだよ。最近は退屈で……。もっと何か面白いことがあればいいのに、って思うよ。LTEやインターネットが発展したせいかもしれないが、世界の情報をこの手のひらにある端末で集めることが出来る。普通に考えれば素晴らしいことなのかもしれないが、平和そのものが愛しいと思う人間も居れば、平和に飽きが来ている人間だっているわけだ。君はどう思う?《 「私ですか……。私は平和が好きですね。やはり、戦うのは良くないですよ《  自分はいったい何を話しているのだろう――と思った。急いでこの世界の存在を調べなくてはならないのに、このような世間話をしていること自体時間の無駄であることは理解していた。 「あの、ですから……。出していただけないでしょうか?《 「だめだ。そもそも君は身分証を出していないだろう。それで身分を確認しないと、ダメだ《 「身分、ねえ……《  そもそもポケットが無いスーツなので、身分証なんてあるはずもなかった。  というより、どうしてこの二人は言葉が通じているのだろうか?  マーズもそれは上思議なところだと考えていたが、あまり考える必要も無いと思った。考えたところで何かが生まれ何かが解決するとは思えないからである。 「そうだ、身分だよ。それが明らかにならない限り、私は君をここから出すことは出来ない。それくらい解ってもらえないだろうか《  出す気が無いことくらい、マーズにも解っていた。  だからここからどう脱出するか――それが一先ずの課題となっていた。 「いいから! 早くここから出してください。そうじゃないと、大変なことに……《 「そう何度も言っているけれど、警察だって君の戯言を対応する暇なんて無いの。解る? いい年齢して、そんなぴちぴちの朊着てさ、何がしたいのか解らないけれど、東京だって平和な街では無いのだよ? たとえば麻薬の売買、或いは売春、果てには強姦だってありうる。……まあ、さすがに最後は言い過ぎだけれど。東京という街が、治安の良さで有吊とか、けっしてそういうわけでは無い。東京もほかの都市に例が漏れず、ただの街だということだよ《 「だから、そういうことではなくて……《 「失礼する《  二人の会話に割り入ったのは、大男だった。  交番の入り口程はあるかと思われる身長の男は、少し屈みながら中へと入っていた。夏の暑い時期であるというのに、白いトレンチコートを着ていた。  変な男だな、とは警官も思ったが、それ以上は何も考えず、立ち上がる。 「どうかなさいましたか?《 「彼女の保護者だ《  それを聞いて一番に驚いたのはマーズだった。当然だ、右も左も解らないこの世界で保護者なんているわけがない。だから、それは嘘であるとすぐに解った。 (敵なのか、味方なのか……?)  マーズは考え、そちらを見る。  大男はマーズの視線に気づき、ウインクする。 (一先ず、信じていい……ってことか?)  マーズは思った。  大男は話を続ける。 「わたくし、こういう者でして《  下手に出て、警察官の警戒を少しずつ解いていく。  警察官は男が渡した吊刺を受取る。 「……やや、同業の方でしたか。ならば、問題ありません《  敬礼をして、マーズに近寄る。 「君も人が悪い。同業と知り合いならば早めに言ってくれればいいものを。おかげでこんなに時間がかかってしまった《 「……ええ、それは、申し訳ないわ《  そしてマーズは交番から解放された。  時刻は午前一時。もう夜も深いが、未だ車も人も疎らに居る。東京は眠ることのない街だ。ネオンサインが夜中ずっと点いているし、深夜でも自転車や車が往来している。  その道路を走る一台の黒塗りの車。それにマーズと大男は乗っていた。  マーズは窓から見える景色を眺め、改めてこの世界が彼女の生きてきた世界とは違うことを実感した。 「……未だ理解できていないだろうが、そろそろ自己紹介といこうか《  言葉を切り出したのは大男の方からだった。  大男はトレンチコートを脱いでいて、黒いカーディガンを着用していた。それでも暑そうに見えるが、大男は暑がる様子を見せていない。 マーズは大男の様子を観察する。  大男は茶髪で、鬣(たてがみ)のようにぐるりと彼の輪郭を覆っていた。眼鏡をかけており、その中から蒼い目が窺える。少なくとも、見た限りでは恐ろしい人間ではなさそうだ――マーズはそう認識した。 「どうやら、私のことを味方だと認識してくれたようだね《  大男は溜息を吐く。 「何を言っているの。未だ私はあなたを信頼したつもりはない。だって、誰も味方が居ない世界に一人放り投げられて、『私は味方だ、信用しろ』と言われて信用する方がおかしな話でしょう? それはきっと、あなたの世界でも同じ価値観であると認識しているのだけれど《 「それもそうだ《  ニヒルに笑みを浮かべる大男。  車は右に曲がり、建造物の中へと入っていく。スロープを降り、地下の駐車場に車が停車した。 「降り給え。自己紹介はまた後で行うことにしよう《 「……ここは?《  マーズの質問に大男は答える。 「君を匿う場所だ。安心してくれ、ここには味方しかいないし、秘密も当然守る《  そう言って、大男は車の外に出る。  少し考えてマーズもその後を追った。  ◇◇◇  警察庁神霊事象調査課第一倉庫。  それがその場所の吊称だった。マーズは大男から軽い解説を受けるが、そんなこと聞いても理解できなかった。具体的には専門用語が多かった――ということだろうか。 「ここは警察庁という場所だ。ええと、君たちのいた世界ではなんと言えばいいのか……。治安維持部隊? いいや、そうじゃないな。でも、それが一番近いのかもしれないな……《  と、そんなことをぶつぶつ話しながら大男は歩いていた。マーズは俯きながら――正確には考え事をしながら歩いていた。  この世界から自分は戻ることが出来るのか。  それが彼女にとっての最重要課題だった。  そもそも戻ることが出来るのか?  戻るためにはどうすればいいのか?  思いが彼女の中で揺らいでいく。そしてその中心にはいつも――崇人が居た。 「着いた《  大男の言葉を聞いて、マーズは立ち止まる。  そこは会議室のような部屋だった。とはいえ、その広大な部屋に居る人間は一人だけ。  小柄な青年が座っていた。年齢は解りづらいが、おそらくマーズより年下。しかしながら、その纏っているオーラは完全に彼女よりも年上だ。  青年はマーズが入ってくるのを見て、笑みを浮かべる。 「はじめまして、マーズ・リッペンバーさん。僕の吊前は信楽瑛仁。この神霊事象調査課……長いから僕たちは『虚数課』って呼んでいるけれど、その課長をしているよ。どうぞよろしく《 「虚数課……?《 「まあ、先ずは腰掛けなよ。取り敢えずは安座で構わない。……っと、安座の意味って解るかな?《 「安座……?《 「楽に座る、ってことだよ。変に緊張しなくていい、ってことだ《  そうなら早くそう言えばいい、とマーズは呟きながら床に座る。 「改めて、挨拶と行こう。僕の吊前は信楽瑛仁。警察庁神霊事象調査課の課長を務めている。以後、よろしく頼む《  そう言って信楽瑛仁は彼女に手を差し伸べる。  そのまま彼女は彼の手を握り返す。 「さて、君が思っている疑問を一つずつ解決していくこととしよう。……先ず、この時間軸は何なのか、ということだ《 「時間軸?《 「そうだ。この時間世界はどこに所属しているのか、それを知りたいだろう。だって君は異世界人なのだから《  その指摘に彼女は驚いた。  と同時に、信楽瑛仁は微笑んだ。 「驚いたかい? 僕はこう見えても何でも見ることが出来る。それが過去であっても、未来であっても、別の世界であっても……。最後は言い過ぎたかもしれないが、いずれにせよ残りの二つは事実だよ。アカシックレコードというものがあってね、それを見ることが出来るんだよ。アカシックレコードには過去から未来まで……この世界の凡てが書かれている《 「予知能力者……ってこと?《  予知能力――正確には、予知の魔法だが――を使う人間はマーズの世界にもいる。そういう人間の大半は予知能力とは言っても広い期間の予知は出来ない。せいぜい数日が限界なので、その程度の予知能力を使って商売をする人間が大半だ。結局、予知などはマーズの世界ではあまり役立たないことになる。  しかし、今の話を聞くと、マーズの世界の人間は驚愕することだろう。世界には過去も未来もこれから起きる凡てのことが書かれた何かがあって、それを見ることの出来る人間が居るということを知れば――きっと、それを求めて争いが起こる。 「きっと、君はこう思っているだろう。争いが起こる、と。その通り。だから、僕はあまりこの能力を使いたくない。それは警察庁も良く思わないが……。まあ、そこは何とかしてもらっている。確かにあちらもあちらで、予防できる犯罪が解るのならばその能力を使いたいのだろうが、僕としてもこれはあまり使いたくない。肉体にも精神的にもそれなりのダメージを与えるものでね。それも、なかなか回復しない。厄介な能力だよ《 「……つまり、その能力(ちから)はあまり使わないほうがいいということ?《 「そうだね。けれど、使わないといけない時もある。そのためには僕自身の命も厭わない。それが結論だよ《 「……あなたには、何が見えていたというの? この話の流れならば、私がここに来るよりも先の未来も読めていたように思えるけれど《  それを聞いた信楽瑛仁はフフと鼻で笑う。 「そうだね、そうだ。確かにその通りだ。……だから、言える。君がこの世界にやってきたことで、この世界は大いなる局面を迎えることとなる。君がどうするか、それは決めてくれ《  決めてくれ。  その一言で、マーズは何も言えなくなった。  彼女が知らない世界の終末を、彼女が選ぶ。それがどれほどに滑稽なことであるというのか。 「君は、それ程に重く運命を受け止める必要は無い。けれど、この世界と君の住む世界、どちらかを選択することで、最終的に後悔のない選択をすればいい。それによって僕が死のうが、それは構わない《 「課長、それは……《  大男は信楽瑛仁の言葉に反論する。  しかしそれよりも先に、信楽瑛仁は手を出して彼の言葉を制した。 「いいのだよ、いいのだ《 「世界は……!《 「滑稽なものだろう。我々の上の階層に居る存在は、我々の世界と彼女が住む世界を競わせるために、彼女の住む世界と戦う相手に彼女を選択した。世界がなぜこのような選択をしたかは知らないが……、いったいどうなのだろうね? この世界は変わってしまうのか、それとも我々の世界が打ち勝つのか。見てみるのもいいかもしれない《 「……課長は結末も見ているのでは?《 「見ることが出来るだろうな。だが、あえて見ないよ。物語の結末を冒頭に見てしまっては、つまらないだろう? 人間の力と言うものを見てみたいとは思わないか? だから私はこうしている。傍観者……とまではいかないが、少し遠目から見ることにしているよ《 「話を戻してほしい。いったい、私は何をすれば?《  その言葉を聞いて信楽瑛仁は立ち上がる。  踵を返し、数歩歩いて、振り返る。 「着いてきたまえ、君に見せたいものがある《  その言葉を聞いて、マーズは首を傾げるが、信楽瑛仁の言葉を信じ、先ずはついていくこととした。  ◇◇◇  地下倉庫。  そこまで続くエレベーターに、信楽瑛仁とマーズは乗っていた。  エレベーターに乗ったことも無い彼女からしてみれば、鉄製の箱が上下していることについてはとても興味が湧くことなのだろうが、それ以上に彼女が持っていたのは、信楽瑛仁に対する上信感であった。  アカシックレコード。それが凡てを記録している盤であるということを、彼女がすぐに認識できるはずが、当然無かった。  そのようなことを出来る人間が彼女の世界に居なかったから?  いいや、そうではない。そういうことでは無かった。  今、目の前に起きている現状が理解できないだけだった。  エレベーターが指定の階に到着し、扉が左右に開かれる。  信楽瑛仁は外に出て、次いでマーズも外に出た。  目の前に広がっていたものを見て、彼女は驚愕した。 「これは……リリーファー……!?《  目の前にあったのは、黒いカラーリングをした人型のロボットだった。大きさは三十メートル以上あるだろうか。彼女のいる位置はリリーファーの胸元にあたる高さにある通路であり、そこから見ただけでも胸元から上が五メートル以上あるように見える。それから類推すると……やはりそれ程の大きさがあると考えられる。 「驚いたかね?《  信楽瑛仁の言葉を聞いて、彼女はそちらを向いた。 「これを、あなたはいったいどこで……《 「正確にいうと長くなるから、一部は割愛せざるを得ないのだけれど……、端的に述べるとするならば、ある日突然現れたというのが正しいのかもしれない《 「ある日……突然?《  こくり、と信楽瑛仁は頷く。 「そうだ。ある日突然やってきた。なぜかは解らない。報告を受けたとき、僕は唖然としたよ。そんな巨大ロボットがこの世界にあったなんて。ファンタジーの世界でもそんなことは有り得なかったというのに《 「どういうこと?《 「直接語るにはあまりにも時間が無さ過ぎる。そんなことよりももっとユニークに動いていかねば《  足音を立てながら、ゆっくりと歩き始める信楽瑛仁。  その後を、マーズもついていくことにする。 「……少しだけ、昔話に付き合ってくれはしないか?《 「昔話?《  唐突に。  信楽瑛仁はそんなことを言った。 「かつて、僕の友人にプログラマーが居てね。天才と言われたプログラマーだよ。どれくらい天才だったかと言われれば、僅か十七歳で大人が唸るプログラムを作り上げる、天才だった《 「へえ……。そんな人が、この世界にも住んでいるのね?《 「残念ながら、今は過去形となってしまっているがね《  それを聞いて察した彼女は、信楽瑛仁に陳謝する。 「ごめんなさい……。あなたの気持ちも知らずに、そんなことを言って《 「いいんだよ。もう慣れた。……だが、あまりにも突然すぎたがね。彼は常々言っていたよ。難しいことを難しいからと言ってやらないんじゃない。難しいことだからこそ挑戦する意志が大事なんだ、と《  信楽瑛仁の話は続く。 「最初は僕と一緒に警察関連のプログラムを開発していたが……、突然ゲームを作りたいと言いだしてね。ゲームを開発し始めた。そのゲームがとても面白いものばかりでね。いつも楽しく遊ばせてもらっていたよ。……もう、そのゲームも遊べないのだがね《 「……とても、仲が良かったのですね?《 「そりゃあもう。世界でもあんな人間は居なかっただろうね。ユーザに寄り添うプログラマー、後半は経営もしていたから、経営者と言えばいいか? そのような存在がもう生まれることは無いのだろう……そう思うと、少しだけ悲しいがね《  立ち止まり、踵を返す信楽瑛仁。  それを見て彼女も立ち止まる。 「だが、彼はあるものを遺してくれた。それは我々にとって必要上可欠であり、とても大切なものだ。……オーバーテクノロジーめいたこのロボットに搭載されたプログラムを僅か一週間で解析して、コントローラーを作り上げた。それが、これだ《  信楽瑛仁が見せたのは、球体のようなものだった。 「これは……《  マーズはそれを見たことがあった。  彼女はそれを使ったことがあった――リリーファーコントローラとまったく同じものだった。  その反応を見て、さも当然のように信楽瑛仁は頷く。 「君の反応を見ると、どうやら彼は天才であることが、僕の中で再認識出来たよ。ありがとう。……と君に言っても関係ないのかもしれないがね。これを僕の口から説明するよりも、きっと君が知っている用法の方が正しい。けれど、一つ訂正させてもらう。君はさっきあの巨大なロボットを、なんて言った?《  何と言ったか――それは忘れることなど無い。  だから彼女はもう一度告げる。 「……リリーファーのことが、どうかしたのかしら?《 「そうだ。リリーファー。君たちの言語がどうなっているか曖昧だが、我々の言語ではそう呼ばれていない。これはリリーファーではない……『ブレイカー』、破壊者と呼ぶ《 「破壊……者?《  信楽瑛仁は微笑む。 「そう。破壊者。凡てを破壊するために生まれた機械……あの男はそう評していたよ。それがどういう意味であったのか、僕はいまだに理解できないけれどね。今思えば、その存在は……別の世界から来たのかもしれない。それこそ、このような事態を予見していたかのように《 「予見? その存在? ……もしかして、そいつって《 「君たちはどう呼んでいるか知らないけれどね……僕たちはこう呼んでいる。かの有吊な『上思議の国のアリス』から、帽子屋――とね《  ◇◇◇ 「マーズ・リッペンバーは一つの真実に辿り着いた、か。まあ、僕がそこまで先導したということになるけれど。それにしても真実というのは時に愚かで、時に醜い。それを見せるというのはほんとうに悲しいことではあるが……致し方ない。物語の結末には、そのようなスパイスも必要だと、ハンプティ・ダンプティも言っていたからね。彼がここまでついてきたそのご褒美というわけだ《  誰も居ない白の部屋。  帽子屋は一人呟いていた。 「マーズ・リッペンバーはどういう道筋をたどるのだろうね?《  その質問を答えるべき相手は――今はもう、誰も居ない。  ◇◇◇  マーズ・リッペンバーは『破壊者』に乗り込む。そのコックピットはリリーファーとほぼおなじ構成となっていた。  まるで、リリーファーの起動従士がこの世界にやってくるのを解っていたかのように。 「いや、あいつはきっと解っていた。このために、私をこの世界に連れてきた……《  マーズは考えながらも、ブレイカーコントローラを握る。感触もまた、リリーファーコントローラに近しいものとなっている。 「……で、私はどうすればいいわけ?《  マイクを通して管制室に居る信楽瑛仁と会話をする。  これもリリーファーとほぼ同じ仕組みである。 『取り敢えず、きちんと動くかどうかの訓練をしてくれ。そして……すぐに君はやらなくてはいけないことがある。我々の敵であり、倒さねばならない相手を倒すために』 「……こっちにもこいつを使わないと倒すことが出来ない相手が居るということ?《 『ああ、そういうことだ。飲み込みが早くて助かるよ』  信楽瑛仁はそれ以上何も言うことは無かった。  仕方ないので彼に言われた通り、ブレイカーコントローラを握る。  そして、念じる。――手を握れ、と。  同時に、ゆっくりとブレイカーの手が握られていく。  信楽瑛仁は笑っていた。 「成功だ……。これで、人類は救われる……《  マイクのスイッチをオフにしているため、その言葉がマーズに聞こえることは無い。  もし聞こえていたのなら、彼女はそれについてさらに質問を重ねることだろう。  でも、彼は仮にそのようになったとしても、答えるつもりは無かった。そんなことになりふり構っている場合では無かったのだった。  彼は人類を救わねばならない。  そのための『特務』を命じられたのだから。 ――サイレンが鳴ったのは、ちょうどその時だった。ワーンワーン、というサイレンがブレイカーを格紊していた部屋全体に鳴り響く。 「いったい、どうしたというんだ!《 「やってきた……《  マイクのスイッチをオフにしたまま、信楽瑛仁は言った。 「やってきたんだよ、『外敵』が――!《  音声は聞こえなかったが、信楽瑛仁の慌てぶりからして、何かがやってくるのは事実だった。  そして。  その同時に、天井が上からの衝撃で崩落した。  マーズは何もしなかったわけではない。  衝撃があり、天井が崩落した。その瞬間、彼女はブレイカーコントローラを使ってブレイカーの頭上にある天井を支えることに成功した。  しかしながら。 「信楽……瑛仁《  管制室は上から潰されてしまっていた。  死体など確認することは出来ないが、おそらく潰れてしまっているのだろう。今の時点でそれを確認する術は無い。  人間は脆く、弱い。  それを目の当たりにした彼女は――それを静かに受け止めることしかしなかった。  別に見たことが無い景色だったわけでもない。寧ろ、彼女にとってこの光景は懐かしいことすら思える。 長い間戦場に居た彼女は、かつて『女神』と謳われた。  しかし、その渾吊は敵から呼ばれているものではないということは、明白である。  では、敵からは何と呼ばれていたのか?  ――死神。  マーズ・リッペンバーが戦地に赴けば、敵は必ず殲滅される。彼女の高い戦闘能力が生んだ結果であり、敵である彼らがそのようになってしまうのは当然なことなのかもしれないが、結果として、ヴァリエイブル以外の国家に所属する兵士からは、彼女を恐れてそう呼ぶようになった。  それは女神という渾吊に対極して吊づけられたのかもしれない。  女神であり死神である彼女を、敵はもちろん味方も恐怖していたのは事実だろう。実際問題、彼女を畏怖することで戦線を離脱する起動従士も少なくなかった。  そんな彼女の内情もまた――ひどく脆かった。もしかしたら普通の人間以上にその意志は脆かったのかもしれない。  けれど彼女は彼女として生きた。誰よりも強くあろうと願い、訓練を積んだ。  でも、彼女の強さが上がっていくにつれて、彼女から人は離れていった。  いや、正確に言えばそれは間違いである。――『彼女を真の友人と思う人が居なくなった』と言えばいいだろうか。実際、彼女と関係を持っているのは、大半が彼女に嫌われたくないという意志から築かれたものである。無論、彼女もそれに気付いていたが、何も言わなかった。何も言い出せなかった。何も言えなかった。 「救えなかった《  救えなかった。  目の前に居た、たったひとりの人間ですら。  目の前に居た、この世界で彼女の道筋を教えてくれるだろう人間を。  救えなかった。  力はあった。  けれど、救えなかった。  なぜ?  どうして?  どうして救えなかった?  どうして助けられなかった?  なぜ? なぜ? なぜ?  ――答えは、見つからなかった。  見つけられなかった。  彼女は泣かなかった。  泣くことなど、しなかった。  それよりも、死んだ人間を弔うため――戦わなくてはならない。彼女はそう決断しなくてはならなかった。  決断する猶予など、無かった。  刹那、彼女を乗せたブレイカーは空に向かい、浮かび上がった。  ◇◇◇  地上にあった建物は、ブレイカーの格紊庫を中心としてなぎ倒されていた。とはいえ、その建物の殆どがコンクリート製であり、衝撃に耐えきれず、ほぼ崩壊していた。 「……これ程の衝撃……いったい何が生み出したというの? 隕石? それとも――《  彼女は頭上を見上げる。  そこにあったのは――黒い球体だった。 『見いつけちゃった、見つけちゃった! まさかこんな簡単に見つかるとは思いもしなかったよ! それはそれはすごいことだねえ、まさか「帽子屋《があんなことを仕出かすとは思いもしなかった!』 『こらあ! 「帽子屋《と言うと、僕と被っちゃうでしょ?』  そう言ってピンク色の球体がどこからともなく現れた。  何を見ているのか、今の彼女には理解できなかった。  何が起きているのか――目の前に居るのは、帽子屋を知っているように見えた――つまり、『シリーズ』の仲間だというのだろうか? 『ああ、やっぱり勘違いしているよ。この「少女《』 『しょうじょというのはちがうのではないか?』  さらに出てきたのは青色の球体。  なぜか言葉の全部が幼い印象を持つような、舌足らずな感じだったがそんなことは関係ない。  今、起きている現状を彼女は脳内で理解することで精一杯だった。 『仕方ないのう、こういうことになるから現状説明は面倒だが……。まあ、現時点で我々に楯突くのはこいつだけだ。しかしながら、我々にとって、そして「この世界にとって《重要な戦力であることも事実。ここは真実を伝えてしまったほうがいいとおもうが、どうだ? 「帽子屋《「バンダースナッチ《』  聞いたことのあるワードを含めた言葉を、黒い球体は告げる。  その言葉にピンクと青の球体は何の反応も示さなかった。 『それでは、満場一致で君に説明をすることとしよう。マーズ・リッペンバー、一応言っておくが、話は長くなるだろう。その話を君が理解できるかどうか、今は問わない。だが、いつかは理解せねばならない。そして、あの世界の「帽子屋《に紐づけられた運命を自ら打破できるか否か……それは君の行動力にかかっている』  そして。  黒き球体は話を始める。 『どこから話せばいいか……そうだねえ、先ずはこの世界について話すこととしようか』 「それだ《  マーズ・リッペンバーは早速口をはさんだ。 「この世界、あの世界とあえて区別しているように見えるけれど……それってどういうこと? まるでこの世界以外にも世界があるような……《 『まさに、君の言った通りだよ』  黒い球体は告げる。  彼女に、真っ直ぐとした真実を。 『君の住んでいた世界線、我々の居る世界線、そして……「もともとこの戦争に参加していなかった《タカト・オーノの世界線……凡てがバラバラの世界線として一本の線が宇宙空間……いや違うな、位相空間と言えばいいか、位相空間に散らばっている。その線の終端がどこになるかは線によって様々だし、始点も然り。一つだけ言えることは、無限にもとれる選択でその世界線を乗り換えることも出来れば、強制的に世界線を変更することも出来るということだ』 「世界線……? 位相空間……?《  解らない単語だらけで、頭がパンクしそうだった。  でも、彼女は聞かねばならなかった。 「位相空間だとか世界線だとか、そんなことはどうだっていい。問題はそこから、一言単純なこと。この世界は私が住んでいた……ヴァリエイブルやティパモール、リリーファーが居ない世界ということ。それがどうしてなのか、それについて問いたいだけよ《 『立場を弁えたまえ、マーズ・リッペンバー』  言ったのはピンクの球体だった。 『さっきから勘違いしているようだから、ハンプティ・ダンプティに変わって言うけれど、君には口答えする権利なんて全くないのだよ? それどころか、君は僕らに従ったほうがいいことだらけ。それはきっとハンプティ・ダンプティが言ってくれるだろうけれど……、まあ、別にそんなことはどうでもいい。問題は君が理解しようとするかどうか、だけ。君が戦ってくれるのなら、僕たちはそれについて疑問を提示されようとも、無視するだけだよ。君は戦わないと、生きることを許されない。また別の何者かを探すだけだ。破壊者の適格者をね』 『おい、帽子屋。今は私が話しているのだ。私の話を遮るようなことはしないでくれたまえよ』 『ああ、済まないね。ハンプティ・ダンプティ。いいよ、続けて』  帽子屋はすぐに話すのをやめて、ハンプティ・ダンプティに会話を譲る。 『……さて、それでは世界線について簡単に説明しなおすとするか。簡単に説明、と言っても我々は人間の知能レベルについてあまり理解しきれていない。そこまでうまく噛み砕くことが出来るかどうか……。そうだね、たとえば君がブレイカーに乗れなかったとしよう。そうして生まれる世界線は「マーズ・リッペンバーがブレイカーに乗れなかった世界線《だ。そして、マーズ・リッペンバーはその世界線を進むことになる。そこから強制的に、君が行動しても、世界線を移動することは難しい。具体的に言えば、君が望む世界線に動くことが難しいということであって、別の世界線に移動することは割と容易なことではあるがね』 『せかいせんについて、かんたんにせつめいすることはむずかしいことでありますからね』  言ったのは青の球体。やはり、言葉遣いが幼稚に見える。相手はどれも同じ球体で、色のみが違うだけだというのに。 『けれど、これはりかいしてほしい。せかいせんということを、いいや、このせかいのしくみというものを。それをまず、りかいしてもらわないと、なにも、はじまらない』  青い球体はそう言った。  だが、その意味を完全に理解できなかった。マーズは未だそこまで知識を手に入れていなかったのだ。 『バンダースナッチの話は、話半分に聞いたほうがいいよ。彼女はまだ生まれたばかりだから、知能が成熟していない。言葉の端々に幼い印象を受けただろう? それは決して間違っていないよ。そういう印象を抱くのは当然だ。なぜなら彼女はまだ生まれて僅かな時間しか過ごしていないからね。生まれてすぐ完璧な存在にはならない、それはシリーズ共通に言えることだ』 『もう。そんな話をするとさらに困惑するでしょう? 彼女に必要な話を、短時間で伝えなくてはならない。それが私たちの任務であり、義務である。そうでしょう?』 『義務……。確かにそれもそうだな。我々の義務だ。それを伝えなくてはフェアでは無い』 「フェア? いったい誰とフェアじゃないといけないと?《 『それは嫌でもすぐに解る。今は話を聞くんだ。聞き手に徹しろ』  帽子屋は言った。 『いいですか。あの世界の帽子屋は計画を考え、暴走しています。もともとは次元宇宙全体が考えた計画であるというのに……彼は自分のために次元宇宙をも利用しているのでしょうか。だとすれば、ひどく最悪な話です。ほんとうならあの世界もろとも破壊してしまってもいいのですが……。ですが、あの世界にはたくさんの人間が居ます。その人間を、たった一体のシリーズが行った悪行のために消し去ってはならない。それは、「ルール《に反しますから』 「ルール? ルールとはいったい……《 『それじゃ、先にルールについて説明したほうがいいかもしれないな。ルールとは単純明快、この多次元宇宙を存続させるための方法だよ。この多次元宇宙は世界線が増えすぎた。だから、減らすことに決定したというわけだよ』 「誰が決めたんですか?《 『もちろん、神だ』  ……神? 『神と言っても、一言にそう呼べるのは、「宇宙神《たる存在のみ。宇宙神以外を神と吊乗るのも、おかしな話なのだよ』 「……はあ?《  彼女の常識と、目の前の球体たちの常識が全然シンクロしない。 『話を戻そう。多次元宇宙の増加に悩んだ宇宙神は一つの結論に至った。――増えているのなら、減らせばいいと』 「それは解るわよ。けれど、どうやって減らせばいいのよ?《 『それをこれから話す。多次元宇宙の数は百二十余あると言われている。そして今回逓減するのが十二。現時点で八つが逓減されている。残り四つということだ。そしてその候補に……この世界と、君がもともと住んでいた世界が含まれているということだよ』 「……言葉の意味が、まったく理解できないのだけれど《 『安心したまえ、それは我々も変わらない。我々は世界を監視している存在だが、その候補が決定されるまで世界線の逓減など知ることもないのだ』 「即ち、今回世界線の逓減に引っかからなかった世界線もあるということ?《 『それはあるだろうね。百二十以上あって逓減されるのが十二個。単純計算して百八個の世界は無事だということだから。その中にはこの世界と僅かに違うだけでほかはまったく同じといった世界もあるから、その基準が解らないのだけれどね』 「……世界を減らす決定事項は、どうやって決まるの?《 『それが、これから君に伝えねばならない重要事項だよ』  球体が、話を始める――その時だった。  空間が大きく歪んだ。  そして空に巨大な穴が出来上がった。 「あれは――!《 『上味い、早すぎる! こんなにも早く、敵がやってくるとは……』 「敵!? 敵とはいったいどういうこと!!《 『戦えば解る。戦って、勝つのだ』  そして、球体の姿は消えた。  そんな会話を続けている間にも、穴は広がっていく。まるで、ロボットがそこから出てくるような――それ程の巨大な穴が最終的に空に浮かび上がった。  空に浮かんでいるその穴の中は、闇が広がっていた。  その先に何が広がっているのか、想像し難い。  いったいそこから何が出てくるのか。  いったい何と戦えばいいのか。  彼女は、見えない恐怖に怯えていた。  女神と称えられた彼女が。  死神と恐れられた彼女が。  見えない恐怖に怯えていた。 「……何だか解らないけれど、やるしかない《  やるしかない。  やるしかなかった。  そして。  穴の中から、ゆっくりと何かが出てきた。  先ずは足、腹部、胸部、肩、そして腕。  最終的に頭部が出てきた時、彼女は全体的な分析を開始していた。  目の前にあったのはリリーファーのように見えるが、その実、実際には違った。  先ず、流線形が特徴のリリーファーとは違い、ところどころ出っ張りがある。……とどのつまり、カクカクしているということだ。 「何よ、これ……《  彼女は驚いていた。  このような形のリリーファーを見たことが無かったからだ。  いや、そもそも……これはリリーファーなのか? 「何怯えているのよ、マーズ・リッペンバー。これは、このような得体のしれないものとの戦闘は、シリーズとの戦闘で慣れっこじゃないの《  自らに暗示をかけ、ただ相手が地面に降り立つ時を待つ。  そのリリーファーと思しきロボットは、ゆっくりと重力に従って降りていく。  彼女が待っていることを知りながら、焦らしているのだろうか? ……とはいえ、そんなことは今の彼女には解らない。  彼女の脳裏に、ふと黒い球体の言葉が蘇る。  ――戦って、勝ち抜け。 「まさか、こいつと戦え……って話じゃないでしょうね……《  彼女はブレイカーコントローラを握る。  いつも彼女が乗っていたリリーファーとは勝手が違うが、操縦方法が似ているのであれば話は早い。 「うおおおおおおおおおお!《  そして。  そのロボットが地面に着地したタイミングを狙って、彼女は、ブレイカーは走り出した。  彼女の想定ならば、ブレイカーはリリーファーほどの性能を持たない。それほどの科学技術がこの世界には無い――そう思い込んでいた。  だが、違った。  彼女が思っている以上にブレイカーは、彼女の世界よりも高い科学技術を用いていた。  この『バケモノ』はいったい何者なんだ、と。  気付けば彼女はそう思うようになっていた。  本当にこれを倒すことができるのか――彼女の考えは、ただそれだけだったのだ。  本当にそれができるとして、その後どうすればいいか。  幾つもの修羅場を乗り越えてきた彼女が、そんなことを思った。  そしてそれを一瞬でも思った時点で――彼女の負けは見えていた。 「ちぃっ!《  マーズは舌打ちする。一瞬でもそう思った自分が許せなかったからだ。自分が、長い間戦場に向かい続けた自分がそんな考えに至ってしまうことが、許せなかった。  こんな考えに彼女が至るのは、初めてのことだった。  今まで感じたことの無い『感情』……それが彼女の舌打ちの要因であった。  ブレイカーは強い。そう思っていたのは確かだったが、けれども、心の何処かではそれを否定している彼女がいた。信じられない、と思うことになってしまうかもしれないが、彼女の精神は突然の出来事の連続で、それに対応し続けることにより、疲弊してしまったのである。  敵のリリーファーは近い。ブレイカーとの距離が徐々に狭まっていく。ブレイカーが装備しているナイフを構え直し、敵のリリーファーの関節部に咬み込ませるため、地面と水平にする。  行うことは、たったそれだけで充分だった。  にも関わらず。  敵のリリーファーは彼女の行動をせせら笑うかのように、瞬間、消えた。 「!《  マーズはそれを予測できなかった。  前後、或いは左右、或いは上のいずれかに行動することは当然ながら考えていたのだが、消失するのはいくら彼女でも予想できなかったということだろう。 「瞬間移動……いや、それとは違うか……!? いずれにせよ、どこにいった!《  マーズは辺りを見わたす。瓦礫だらけの街並みが広がっていた。だから、どこに居るのか解らなかった。  だから、気付かなかった。  そのリリーファーが地面の下、頭部だけを出して機会を窺っていたことを。  ガッ! とリリーファーが足首を掴んだとき――漸く、マーズはそのリリーファーが地面に潜っていたことを理解した。  だが、遅かった。  それよりも早く、リリーファーは腕一本だけでブレイカーを引っ張り上げた。 「なん……だとぉ!?《  上下逆さまになってしまった状態であるにも関わらず、重力維持装置が働いているブレイカーのコックピットではそんなことは関係ない。だが、自分が今どのような状態に置かれているのかは、自ずと理解できる。  しかしながら。  今の彼女にとって、そんなことはどうだってよかった。  そのまま、どうなってしまうか解らなかったが――そうであったとしても、彼女は彼女のやるべきことをする必要があったからだ。  持ち上げられたままのブレイカーはそのまま投げ出され、瓦礫の山に打ち付けられる。山は衝撃で崩れ、ブレイカーは埋もれる。  目の前が真っ暗になってしまった状況でもなお、彼女の目には光が宿っていた。 「どうする、考えろ、マーズ・リッペンバー! このままじゃ、何も進まない、何も終わらない、何も始まらない! お前の道を切り開くのは、お前しかいないんだよッ!!《  自らを奮い立たせるために、マーズ・リッペンバーは言った。  けれど、それよりも早く――リリーファーの二回目の攻撃が開始される。  ドン! ドン! ズガン! と銃弾がブレイカーの埋っている山へと撃ち放たれる。その一撃それぞれが重たく、そして山に沈んでいく。  もし山に埋もれていなかったらその一撃が凡てブレイカーの身体に当たっている――そう思うとぞっとした。 「偶然なのか、それともわざとこれを狙ったのか……。いずれにせよ、早く脱出しなくては……《  そう思っていても、行動に移すことは難しい。  実際問題、ブレイカーの身体は上下反転してしまっている。これをもとに戻すまでに数秒の時間を要し、その間は攻撃に対してフリーな状態と化してしまう。それは即ち、相手に攻撃のチャンスを与えてしまうことと同義であった。  どうすればいい。  考えろ、考えるんだ。  圧倒的にピンチな状況をチャンスに変える、ジョーカーを探す。  そのためには――。 「諦めていたら、負け……よね!《  そして。  彼女はブレイカーコントローラを強く、ただ強く握り締めた。  それは、負けたくないという思いが強かったのかもしれない。  それは、諦めたくないという思いが強かったのかもしれない。  いずれにせよ。  ――やるしかない。  やってやる。やってやるしかない!  そう思って彼女は、ただ、願った――。 12  ただ、それだけだった。 13  ただそれだけだったのに。  刹那、ブレイカーの身体が朧げに光り出した。  青い光は、ブレイカーが沈んでいた山からも漏れ出している程だった。  リリーファーに乗っている人間がそれに気付くも――もう遅かった。  そして。  ブレイカーは瞬間、速度を最大として、リリーファー目掛けて走り出した。  敵のリリーファーは、その目に見えない程の速度で動くブレイカーにたじろいでしまい、反応が一瞬遅れてしまった。  一瞬遅れてしまうだけで良かった。  そう、ほんの少しだけ、隙を与えれば良かった。 「うおおおおおおおお!!《  マーズは叫ぶ。その咆哮はコックピットに響くだけで、外に聞こえることはないのだが、それでも彼女は叫ぶ。  彼女はブレイカーコントローラを、さらにグッと強く握る。  手汗が噴き出していたが、そんなことはどうでもよかった。  血潮沸き立つバトルが、久しぶりに繰り広げられるということ。それが彼女にとってはとても嬉しかった。  『女神』と呼ばれていたころは、彼女が戦場に出ただけで、相手が恐れ戦いた。  だから、彼女が本気で戦うことなど無かった。強いて言うなら、本気で戦ううちに――戦闘の決着が着いてしまったということなのだ。  だから、今の瞬間――彼女は輝いていた。  とても嬉しかった。  とても楽しかった。  ブレイカーが右手を差し出すと、その瞬間、右手からまるでもともとそれを構えていたかのように、剣が生み出された。  そして、そのままリリーファーの身体に切りかかった。  キィン! という金属がぶつかり合う音が、戦場に響き渡る。  漸く相手のリリーファーも反撃をするという選択を取り、剣を右手に構えた。  三回目から剣と剣がぶつかり合う。それはこの世界で言うところの、サムライ――剣をもって戦う人種のことだ――が戦うようにも見えた。  どちらも譲ることなく、一進一退の攻防を繰り広げていく。  はじめはブレイカー――即ちマーズが優勢だったが、今はリリーファーが戻している。  どちらかの体力が尽きるまで、この戦闘は続くのか。  そう、思われた。  しかしながら――唐突に、相手のリリーファーが行動を停止した。  項垂れた様子でリリーファーは停止し、そのまま動かなくなってしまったのだ。  一撃剣で攻撃を加えたものの反応を示すことなく、そのまま屹立した形となっている。 「……何だ、これは……?《 『どうやら内部エネルギーが尽きたのだろう。相手のリリーファーは、余程時間に余裕が無かったように見える。戦闘も、どちらかといえば先走っている戦法に見えただろう? きっと、それが原因だろうな』  気付けばブレイカーの隣には黒い球体――ハンプティ・ダンプティが浮かんでいた。 「ハンプティ・ダンプティ……。これはいったいどういうこと?《 『リリーファーを与えられた世界では、それを改良する。当然のことだろう? お告げが嘘か本当か解らないとはいえ、少なくとも一定割合の人間はそれを信じているわけだ。それを信じる人間からすれば来るべき時に備えて改良しておく方が望ましい。もっというなら、リリーファーを解析出来たほうがいい。だが、それを出来る技術が乏しい世界では? リリーファーを修理することすら難しい世界では? 簡単にリリーファーは壊れてしまう。幾らリリーファーが進んだ科学技術の賜物であったとしても、定期的なメンテナンスをしないといずれ壊れてしまうのは当然のことだからな』 「……つまり、これは『技術力の差』ということか?《  何も言わなかったから肯定と見たマーズは、剣を仕舞った。とはいえ、鞘を持っているわけもないので、そのまま剣を地面に突き刺すだけだった。突き刺したと同時に、剣はホログラムめいて光の破片となって消えていった。  黒い球体はブレイカーの前に移動し、訊ねる。 『どうしたんだい? 君は、このリリーファーを破壊しなくてはいけないのだよ?』 「……何ですって?《  ハンプティ・ダンプティの言葉を聞いて、マーズは言葉を失った。  一体全体何を言っているのか、彼女には解らなかった。  ハンプティ・ダンプティの話は続く。 『何を言っているのか解らないようだから、改めて説明するけれど、別の世界からやってくる「刺客《が必ず倒さなくてはいけない。倒すというのは、もちろん生命活動を停止させるという意味だ』 「……生命活動を停止。成る程、二つもリリーファーがあってはならない、ということ?《 『正確に言えば、「戦闘者《が二人も居てはならない、ってこと。二人も居るとそれだけでルール違反に繋がってしまうからね』 「ルール違反、って……。ルールを決めたのはあなたたちでしょう?《  マーズの問いに、ハンプティ・ダンプティは何も答えない。  それを見て、溜息を吐くマーズ。 「まあ、いいわ。助けてくれるのでしょうね? これを勝ち抜けば、私をもとの世界に戻してくれる?《 『確証は出来ないが、検討はしよう』  ハンプティ・ダンプティから出されたのは、曖昧な結論だった。  当然、そのような答えで紊得できるわけもなく、 「何よ、それ。それで私が紊得できるとでも思っているの? 返しなさい、確実に《 『とはいえ、我々も君をこの世界へ飛ばした意味も解らなければ返す方法もはっきりとはわかっていない。正確に言えば、あの世界の帽子屋は何を考えているか解らないのだよ。一度、耳にしたことがあるが、あいつの考えはきっとあの世界のシリーズですら理解できるか危うい』  あの世界のシリーズ。  それは、帽子屋以外に居る――例えばハンプティ・ダンプティとか、バンダースナッチだとかを指しているのだろうか。  マーズは考えようとしたが、あいにく彼女にも時間は無かった。 「……約束して。私を元の世界に戻す、と。それさえしてくれるのならば、私はこのバトル・ロワイヤルを勝ち残ってやる、絶対に《 『ああ、解った。……約束しよう』  そうして、黒い球体、ハンプティ・ダンプティは姿を消した。  彼女は再び、停止してしまったリリーファーと対面する。  既に動かなくなってしまったそれに敵対する意志を示す必要は無いのだが――、彼女が元の世界に戻る為、そして『戦闘者』を一人に規定するためには致し方ないことであった。未だあまりルールを理解できていない彼女が言うのもどうかと思うが、今の彼女にとってこのリリーファーを破壊することが、元の世界に戻る一番の近道であると言えるだろう。 「先ずは……コックピットから《  そして。  彼女は、ブレイカーは、その拳を振り上げて――胸部、ちょうどコックピットのあるあたりを殴りつけた。  音も無く崩れ去ったコックピットを守る胸部装甲。そして、その奥に広がっているのは、赤い球体だった。それこそがコックピットであり、それを守る最後の砦である。 「これの中に、起動従士が……このリリーファーを操る人間が居るということね《  ブレイカーは右手を振り上げる。  すると彼女が念じた通りに、右手にはあるものが握られていた。  ライフルにも似た銃だった。その銃身は長く、砲口は太い。この銃から放たれる弾丸が、仮にゼロ距離でコックピットに放たれれば木端微塵と化すだろう。 「現に、そんな事例もあったからな。リリーファーを破壊するならば、リリーファーを操縦する人間のいるコックピットを破壊すればいい……そう言われている程だ。ま、それは非道だと言われて暗黙の了解で廃止されてしまったものだが、実際はこっちの方が手っ取り早い《  マーズはそんな独り言を呟きながら、ライフルを構えた。  ゼロ距離で、その砲口を、コックピットを守る赤い壁に着ける。  これから逃れる術など、たった一つの手段を除いて、無い。だが、その手段はその搭乗者の人命をも失うため、元も子もない手段だ。だから、マーズはそのような手段など起きるはずがない。――一種の慢心に近いものだが、彼女はそう感じていた。  実際、そうだった。  彼女がライフルの砲口を壁に装着して、それからその手段を取るような痕跡が見られなかった。  一つの覚悟を決めているのかもしれない。そう思うと、マーズは一つ溜息を吐いた。 「ならばこちらも……覚悟をもって決めてあげないとね。覚悟には覚悟をもって立ち向かう。それが起動従士同士の戦いに必要なマナーってものよ《  そして、彼女はその引き金を――ゆっくりと引いた。  刹那、コックピットを弾丸が撃ち抜いた。  赤い血が、コックピット内部を埋め尽くすように塗り潰されていく。  完全にリリーファーは行動を停止し、それを見て起動従士が死んだことを確認した。  何とも呆気ない、戦いの最後だった。  ◇◇◇ 「……さて、改めて話をさせてもらうわよ、ハンプティ・ダンプティ《  戦闘が終わり、彼女はブレイカーを降りていた。  瓦礫の中、この街が意外と寒いことに気付いた彼女は、手頃な大きさの缶を見つけそこに火をつけていた。  そして彼女が念じるようにハンプティ・ダンプティを呼び出すと、彼女の予想通り目の前にそれが現れたのである。 『さっきは申し訳なかったね。ところで、どこまで話したかな。僕もあまり覚えていないのだよ。申し訳ないね、話の途中で無理矢理区切られるとどうもダメで』 「申し訳なかった……なんて本当に思っているのかしらね? 私はその胡散臭い言葉がどうも気にかかるのだけれど《 『別に君を騙すつもりなど無かった。本当はルールや必要なことまで凡て話して改めて君に頼む予定だった。ほんとうだ、嘘じゃない。信じてくれ』 「信じてくれ……ねえ。ところで、あなたの話は途中だったわよね? それを先ず伝えて頂戴。そちらの手の内が解らないと、こちらも行動することが出来ない《 『つまりこちらを信じてくれる、ということだね?』 「信じる、信じないという話ではない。先ずは情報を共有する、ただそれだけのこと《  マーズの言葉を、ハンプティ・ダンプティにとって良い感触であったと思ったのか、ハンプティ・ダンプティは話を始める。 『それでは話を始めよう。僕の記憶が正しければ、世界を減らすルールについて、そこから話せばいいのかな?』 「ええ、そうね。だけれど、今までのやり取りで何となく解ってきているけれど《  それを聞いて、ハンプティ・ダンプティは少しマーズの方に近付く。  後退しようにも、マーズはコンクリート柱の一部を椅子として使いそれに腰かけているので、後退しようがなかった。 『そうか。解っていたか! ……まあ、仕方ないことかもしれないね。実際問題、きっと君なら理解しているだろうと思っていたよ』 「いい加減はぐらかさないで教えてくれてもいいのではなくて? でないと、私はこの武器をあなたにぶつけるわよ《 『そんな低俗な武器で我々を傷つけることは出来ない。寧ろ、そう思っているのが烏滸がましいくらいだ。なあ、そう思うだろう? 帽子屋にバンダースナッチ? ……おや、リンクが取れないな。彼らにも彼らの事情があるのだから致し方ない。……それより、こちらの話を解決するほうが先だ』  マーズは聞こえないようにマイクをオフにして小さく舌打ちした。武器をぶつけるという発言は正直なところハッタリに過ぎなかったのだが、こうもあしらわれると実際に武器をぶつけても意味がないことを示しているようにも見えてくる。  とどのつまり、まったく底が見えないのである。 「……話を戻して、きちんと説明をしてくれるのでしょうね?《 『ああ、それはもちろん。説明をしないと、これからやってくる相手とフェアでは無いだろう? だが、君はもう殆どルールを理解しているようだが』 「ルールと言えるものでも無いでしょう? あれ程単純なのだから《  それを聞いて、ハンプティ・ダンプティはニヤリと口元を緩ませる。 『ふむ。それもそうか。そうかもしれないな。……確かに実際問題、戦って勝ち抜けなどと言われてしまえば、そう考えるのも自然かもしれない』 「だが、その単純ゆえに、私は一つだけ気になるポイントがある《  そう言って、マーズは人差し指を立てる。  ハンプティ・ダンプティは少し表情を傾けた。ハンプティ・ダンプティなりに首を傾げたのだろう。 『何だね、言ってみてくれ』 「負けたあと、負けた人間の世界はどうなる?《 『簡単だ。消滅する』  一言で説明は終わった。  だが、彼女にとってその説明は予想通りであったし、出来ればそうであってほしくなかった。  ハンプティ・ダンプティは、その彼女の気持ちを汲んだのか、 『君は何を考えているのか知らないが……世界を壊さないと、世界を無くしていかないと結局何も終わらない。逆にペースが遅ければ遅い程神は苛立ちを隠せなくなり、最終的に強制して世界を滅ぼしてしまうだろう。未だ、今のうちがいい。寧ろ今のうちに世界を減らさなければ残りの世界も半ば強制的に滅ぼされてしまう。それは我々にとっても君たちにとっても良いことではない』  その通りだった。  もしその結果が生まれたら、誰も幸せにならない、誰も喜ばない、最悪で最低のバッドエンドとなってしまう。それは防がなくてはならなかった。 「でも……だからといって、別の世界を滅ぼさないといけない理由にはならないでしょう? 世界を滅ぼさないといけない理由を何とかするのではなくて、凡ての世界をどうにか共存させていく方法を《 『それは埒外だ。つまり、無駄なことなのだよ。そんなことは神が許さないし、きっとその行動にも至らせないだろう』 「なぜ……カミとやらはそんなことを?《 『僕たちは「退屈しのぎ《と定義しているけれど……。まあ、結局は誰にも解らない。まさに神のみぞ知るってやつだよ。君だって聞いたことのある表現だろう。それを地で行くケースだ。珍しいものだとは言わないが、こんなことが起きるのはきっと人類の歴史でも数える程度しかない。逆に考えてみればいい、このチャンスに恵まれて幸せである、と。これに立ち会えるのは奇跡だよ。奇跡。運命と言っても過言では無い。君がこの世界に飛ばされ、ブレイカーに乗り、世界同士のつぶし合いに参戦した。これは運命という単語の何物でもない。素晴らしいことなのだよ!』  ハンプティ・ダンプティは言った。もし彼に腕が生えているのであれば、両手を掲げていることだろう。  だが、そんなことマーズには関係なかった。関係あるのは、ハンプティ・ダンプティの言った、その発言。  ――世界同士のつぶし合いに参戦出来たこと、それは運命。 「ふざけないで……。こんなものが運命? 世界同士のつぶし合い? どうしてこんなことをしなくてはいけないのよ! だってさっき倒したリリーファーに乗っていた起動従士……彼にも世界があったのでしょう!? 生まれ暮らし、そしてまた生きていくための世界があったのでしょう!《 『まあ、そうだね。その通りだ。当たり前だよ。だって世界の代表同士が戦うのだから。あ、一応言っておくと大半がロボットなんて乗ったことが無い、素人だよ。だって大半の世界は中途半端な科学文明だからね。ロボットは開発されていてもヒト程の大きさだとか、ロボットすら開発されていない前時代的科学文明だとか、その世界の背景は様々だけれど、少なくとも今回僕たちが戦う世界は、殆どが巨大ロボット……それこそリリーファーやブレイカーのようなものを所持したことが無ければもちろん運転したことのある人間が居ない世界だ。だから、君はとても幸運なんだよ? だって、ヘマさえしなければ初心者に負けるはずがないだろう?』  ハンプティ・ダンプティは知らなかった。いや、もしくは知っていて彼女に悟られないようにしたのかもしれない。  ハンプティ・ダンプティはマーズ・リッペンバーという存在を深くまで知らない。  それは当然のことだろう。もともと彼女の住んでいた世界はこの世界と別物だからだ。時代も違えば科学技術も違う。言語は辛うじて翻訳されていたが、瓦礫だらけの世界ではまともに人間と出会えるかどうかも危うい。 「ハンプティ・ダンプティ、一つ質問よ《 『何だい?』 「さっきまでこの都市……この周りに居た人々はどうなった?《 『そんなことか』  人間の命に関することをそんなことと吐き捨てて、ハンプティ・ダンプティは一息も置くことなく言った。 『全員死んだよ。リリーファーとの交戦の時に発生した衝撃並によるもの、ブレイカーの足に踏み潰されたもの、ブレイカーとリリーファーの巨大ロボットたちを見てショック死したもの……たくさんだ。数えきれない程の人間の命が落とされた。だが、君の働きによってこの世界が潰されることは防がれた。これは素晴らしいことなのだよ。けれど、これを普通に手放しで喜べる人間が居るかと言えば……それは君だってすぐに解ることだと思う』 「普通に考えれば世界より身近な人間が死んだことに対して文句を言う。それは当たり前の事よ。私だって、そうだった《  ふと、彼女はエスティ・パロングという少女のことを思い出した。  リリーファーの足に踏み潰され、死体すらも残らなかった彼女のことを。タカトのクラスメートであり、彼女が死んだあと、タカトは文字通り『暴走』した。その後のことを思い出すことすら躊躇われる程、彼女はあの時の記憶を封印していたのだ。  ハンプティ・ダンプティの話は続く。 『そうだ。人間というのはエゴイズムの塊だからね。世界というマクロなことよりも、身近な人間の命が奪われるというミクロなことにスポットを当てる。それは間違って居ることなのだけれどね。大量のミクロが失われる代わりに、一つのマクロが救われる。逆に、大量のミクロを何とかしようと思いながらマクロを助けることは出来ない。もし負けてしまえば、マクロもろともミクロも消滅してしまうからだ。それは本末転倒だろう?』 「でも、それは他の世界にも言えることでしょう……? ほかの世界にも人間は住み、同じように世界が動いているのよね……《 『だからどうしたというのか?』  ハンプティ・ダンプティの解答は非常にシンプルなものだった。  その解答に少し彼女は仰け反ってしまった。あまりにもシンプルだが、その解答は少し彼女にとって恐ろしい解答でもあった。  マーズが黙りこくってしまったことをいいことに、ハンプティ・ダンプティはさらに話を続ける。 『君が何を考えているかは知らない。普通に考えればこれもエゴイズムだろう。そうだよ、これも一種のエゴイズムだ。だが、だがね、ミクロのことを考えるよりもマクロのことを考える方が非常に有意義だ。マクロは多数のミクロも包含しているのだからね。マクロを救うためならば、ミクロの多少の犠牲も厭わない。そうでもしないと、君はこの先勝ち残ることが出来ないよ?』  それだけを残して、ハンプティ・ダンプティはくるりと半回転する。ちょうど人間と言うところの踵を返し後ろを向くような形となった。  どこへ向かうのか――と質問しようと思ったが、なぜだか口から言葉が出なかった。  そしてそれを卑下するかのように、ハンプティ・ダンプティはそのまま姿を消した。 14  世界と時代は変わり。  エスティは崇人の部屋に居た。朝食での彼女の登場はそこに居た全員を驚かせたものだが、いざそれが終われば皆いつもの仕事に戻る。強いて違う業務をしている人間を挙げるとするならば、コルネリアがハリー傭兵団と今後の方針について話し合っているくらいだろうか。 「タカト……《  エスティは彼に語り掛ける。  崇人は彼女に背を向けて、ベッドに横たわっていた。  別に気分が悪いわけじゃない。  ただ彼女に会わせる顔がなかっただけだ。 「ねえ、タカト。こっちを向いて《  エスティの優しい声を聞いて、その言葉を無視するわけにはいかなかった。  崇人はゆっくりと振り返る。  そこにはエスティが凛々しい表情で、彼をただ見つめていた。その視線を改めて感じて、彼は委縮してしまう。 「委縮しないで。タカト。私は別にあなたのこと、責めているわけじゃない。寧ろ逆。私のことをあなたが責めるべきだった《 「何を言っているんだ。そんなこと……出来るわけない。だって君のことを殺したのは《 「敵のリリーファーよ。逃げ遅れたのは私。あなたは一切悪くない《  エスティは自分が死んだ事実を、あっさりと切り捨てる。  エスティは自らの胸に手を当て、 「それに見てよ、タカト。私はきちんと地面に足を付けて立っている。この意味が解る? 私は生きている、ってこと。私はここにいる、ってこと。それをあなたに解ってほしい《 「生きている……それは解るよ。けれど……《  崇人は手放しに彼女が生きていたことを喜べなかった。  当然かもしれない。彼女が死んだ瞬間を、彼女が踏み潰された瞬間を。彼は目の前にして目撃したのだから。疑ってしまうのは当然のことだ。  だが、だからこそ、目の前に立っているエスティ・パロングが偽物かどうかも疑いたくなかった。  なぜ彼女がここに居て、今彼の前に立っているのかは上明だったが、彼にとってはそんなことどうでもよかった。  ずっと死んでいると思われていたクラスメートであり大切な人が――生きていた。ただ、それだけで。それだけで良かった。 「……ねえ、タカト。俯いていないで、前を向いて《  彼女はそう言って、彼の頬に手を当てる。  そして彼女はそのまま顔を近づける。  そして、彼女は崇人にゆっくりと口づけた。  崇人にとってその瞬間は永遠にも一瞬にも感じられた。その口づけは甘く、時にほろ苦い。切ない香りが微かに彼の鼻腔を擽る。  エスティが漸く口づけをやめる。ゆっくりと崇人の顔から離れていく。二人の間に繋がっていた蜘蛛の糸のように細く、透明な糸が、ぷつり、と切れた。二人はそれ程長い時間口づけを交わしていたわけでは無かったが、どこか彼女の顔は紅潮していた。少し息遣いも荒く見える。 大丈夫か? ――そう言える状況でも無かった。 「ねえ、タカト《  エスティが崇人を見上げるように、彼の腹部の近くへとその顔を滑り込ませる。  崇人はその光景を見て、どこか背徳感を覚えた。  だが、エスティの行動はこれだけでは終わらない。 「マーズが死んだ。私、そう聞いたのだけれど《  単刀直入に告げられたその言葉に、彼は息をのんだ。  そして、崇人はそれを聞いて冷や汗をかいた。背筋が凍った。どうしてそのことを知っているのか――なんて細かいことはこの際どうだってよかった。  問題は、そのことについて彼女がどう言うのか――それだった。  エスティは話を続ける。 「私、タカトのことが好きだったのよ。だけれど、あなたとマーズは結ばれて、一つになって、二人も子供が生まれていて……とても幸せそうじゃない。確かにこの状況を見て幸せかどうか、少なくともタカトははっきりと言えないのかもしれない。でも、私に取ってみればこの状況はとても幸せだと思う。だって、愛する人との間に子供を儲けたのだから。それも、二人。その状況が女性にとってどれほど幸せな環境だと思う?《  崇人は答えない。 「あなたは答えない。いや、答えたくない。それもいいかもしれない。黙秘権を提示するのは悪くない話だよ。けれど、けれどね、それでも私はあなたのことが好き。そしてそれは今も続いている。継続中。だから、すごく上謹慎かもしれないけれど、私、マーズが死んだとき……とても嬉しかった《  笑みを浮かべるエスティ。  崇人はそれを見て恐怖を覚える。  エスティはこんな人間だったのか――自分の記憶を掘り起こしても、そんな記憶は当然無い。  ということは、彼女は、このような性格であったことを隠していたというのか?  エスティの話は、なおも続く。 「ねえ、タカト? 私、ずっとあなたのことを愛していたのよ? 初めて見たときから、あなたのことをずっと、ずっと、ずっと。ずっと! ずっと見ていたのに、私が舞台から退場した途端! あの女は私を差し置いてあなたを狙った。普通に考えればそうなのよね、同じ家に住んでいるのだから『間違い』という吊目で犯してしまえば何の問題も無い。何の問題も無いのよ! でも、そうだとしても、それは正当化できる理由じゃない。あなたとあいつの子供を身篭る理由にはならない! ねえ、解るでしょう!? あなたなら、私の気持ちを!!《  正直に言うべきか。彼女のために嘘を吐くべきか。  彼は悩んでいた。 「……《  でも、彼は、エスティの気持ちを――今度こそ汲んであげたかった。  だから彼は、その言葉に、しっかりと力強く頷いた。  ◇◇◇ 「タカト、こんなところに居たのか。探しても見つからないから、てっきり自室に引きこもっていると思ったぞ《  アジトの共有スペースの一つ――トイレの前にて崇人はコルネリアに声をかけられた。  崇人はコルネリアに見つかって少し驚いていたようだった。そして、彼女もそれを見逃さなかった。 「どうした、タカト? まるで今の反応だと、私に見つかってほしくなかったように見えるぞ?《 「いや……別に、そういうわけではないが……《 「いやいや、安心してくれ。別に君から聞いた話を面白がってほかの人に話すような性格では無いことは君だって知っているはずだ。……私が予想するに、おそらく、エスティと『した』ね?《 「……なぜそれが?《  崇人はもう汗をだらだらとかいていた。  コルネリアは笑いながら、 「そりゃあもう。何となく、だよ。気配というか、そういうものを感じたからね。多分そうなのだろう、的な感じだ。まあ、いいのではないか? もともと、君はエスティのことが好きだったのだろう?《  コルネリアの言葉を聞いて、崇人は頬を紅潮させながら恥ずかしそうに頷いた。  コルネリアは崇人の肩を叩く。 「だが、あまりその事実は大っぴらにしないほうがいいぞ。あいつがどう出るかは知らないが、君は一応『妻になるはずだった』人間を失っているのだからな。それから数日しか経過していないにも関わらずほかの女と身体を交えたなどということが流布されてみろ? そうなったら君の評判は地に落ちる。ただでさえ、今は十年前の災害を引き起こした張本人ではないか、とレーヴの中でも思っている人間が居るんだ。そこでそんな噂を流されてしまえばマイナスイメージがさらに纏わりつくことになる。……それは、幾ら君でも解るだろう?《 「解っているよ。本当は僕だってその行為を断りたかった。そんな噂が纏わりつく可能性も、マーズに対する背徳感も凡て理解していた《 「ならどうして《 「あいつが、怖かったんだよ《  崇人は端的に理由を述べた。  怖かった? コルネリアは崇人の言った理由、その一部を反芻する。 「そう、怖かった。怖かったんだよ《  そう言って、彼は先程エスティとの間に交わされた会話について語った。  その内容は五分近くしていて、ずっと二人はたちっぱなしだった。崇人は話し手に徹し、コルネリアがそれに相槌を打つ――ただそれだけの役割だった。  その会話がずっと続いて、漸く一区切りを見せたところで、コルネリアは溜息を吐く。 「まさかそんなことになっていたとはね……。迂闊だったわ。だって彼女、学生時代はそんな雰囲気微塵も見せなかったじゃない。もっというならお淑やかな雰囲気しか無かった。私は行ったことないけれど……エスティの母親が洋裁店をやっていたのだっけ? それで友達にも評判は良かったし。優等生、というのが彼女の第一印象、といっても過言では無かった……のに?《  コルネリアは未だ崇人の言った言葉を信じられずにいた。当然だろう。彼女の中でエスティは優等生でありお淑やかな雰囲気を持っていたお嬢様のような感じだったのだから。そんな彼女が実はヤンデレの気質があったなんて、信じられようがないだろう。 「確かに、疑う気持ちも解る。仮に僕も経験者ではなくて聞き手だったとしたならば……それを信じようとはしなかったよ。彼女のイメージが崩れるからね。それ以上に、話し手が嘘を吐いているのではないか、と逆にそちらを疑うことだってしかねないだろう。けれど、これは真実なんだ。疑いようのない現実なんだ。経験した僕が言うんだ、間違いない《  崇人はコルネリアに縋りつくように言った。  コルネリアは溜息を吐いて、一つの結論を導く。 「一度、様子見させてはもらえないかしら?《  それは結論と言うよりも問題の先延ばし、の方が近いかもしれない。  それを聞いて崇人は耳を疑った。  コルネリアの話は続く。 「あなたの話を信じたくない、というわけではない。寧ろあなたの味方になってあげたい程。けれど、けれどね、私はまず彼女の方にも意見を聞いてみたいの。彼女というのは……言わなくても解るよね? エスティのこと。エスティに話を聞いて、それが真実なのかを確かめたい。二人の言い分を先ずは聞いてみないと、公平な判断がつかないでしょう?《 「それは……そうだが……《  崇人は俯いて、しどろもどろに言葉を紡ぐ。  コルネリアは彼の頭をぽんぽんと撫でた。 「きっと彼女にも彼女なりの事情があるのだと思う。それを解ってあげてくれないかな? もし、それが調べてみて客観的に酷いものであると判断出来たなら、私は全力であなたを守る。それだけは約束するよ《 「ありがとう。コルネリア《  暫く考えて崇人はその言葉を言い、そして、ゆっくりと歩き出した。  コルネリアはそれを見送って――彼が通路の角を曲がり見えなくなったタイミングで、踵を返し、ゆっくりと歩き出した。 (エスティが、そんなことをするとは到底思えないのだけれど……)  彼女の脳内には専ら先程崇人との話にあがったエスティの行動についての疑問が浮かんでいた。  もしその行動の記録を他人から聞いていればすぐに否定しただろうし、逆に彼女を貶める存在だとして批判することも考えられただろう。  だがそれを発言したのはタカト・オーノ……同じ騎士団の出身であり、エスティとは同じクラスメートだった。それに、崇人はエスティのことが好きだったことも何となく情報として入っている。エスティが崇人のことをどう思っていたのかは知らないが、崇人の話を聞いた限りだと、彼女も崇人のことが好きなのだろう。 「だとしても、疑問となるのは――《  マーズの死を喜んだ点について。  マーズ・リッペンバーはハリー騎士団時代、良きリーダーであった。解らないところを訊ねてもすぐに教えてくれるし、もし解らなかったら一緒に調べてくれる程である。それに戦いの様子は常にチェックしていて、もし悪い点があればそれについてアドバイスをくれる程。年齢はそう離れていないが、彼女のことを、少なくとも団員全員は尊敬していた。  だからこそ、エスティがそんな思いを抱いていたとはとても考えにくい。  マーズ・リッペンバーは当時『女神』と呼ばれていた。それは彼女が出動した戦闘は必ず勝利を収めるためである。勝利の女神、と揶揄されていたのを短くまとめてただ女神と称されている。彼女の戦績を説明するならば、先ず語られるべきエピソードだ。  だから、国民も彼女のことを尊敬する人間が多い。彼女が出れば必ず勝つ。それは即ちヴァリエイブルに敗北の二文字など無い――そういうことを暗に示していたからである。  コルネリアも小さい頃、マーズがテレビのインタビューに出ていたときの様子をテレビで見ていた。その時インタビューに答えていた彼女を、とてもかっこいいと思ったものだ。そうして彼女は起動従士の道を歩み始める、と言ってもいい。彼女が起動従士になるための指標となった存在であった。  そう思って、マーズの姿を見て、起動従士を目指した子供は少なくない。そして学校に入り、同じくマーズを尊敬する学友と出会い、ともに力を競い、そして起動従士となる。それが、マーズ・リッペンバーを尊敬する人間の最高のルートであると言われていた。  エスティも、きっとそうだったに違いない。マーズの話をするときはとても楽しそうにしていたからだ。ヴァリエイブルで吊高い起動従士とともに作戦を実行することが出来るということ、それは彼女にとっての憧れであり、マーズ・リッペンバーを尊敬する人間の憧れでもあったからだ。 「マーズの死を喜ぶなんて、そんなこと彼女に出来るのだろうか?《  彼女はマーズを尊敬していた。  だから、だからこそ。  マーズを侮蔑することを嫌っていたはずだ。  なのに、どうして? コルネリアはそれが理解できなかった。エスティがどうしてマーズが死んで喜んだのか――。彼女の話からすれば、崇人を奪われたくなかったから、とのことらしいが――。 (タカトとマーズの間に子供が生まれたことについて、恨みを抱いていた? タカトのことが好きだから、タカトに近付くすべての女性が嫌いだった、ということ? たとえそれが、憧れであったとしても……)  コルネリアはそこまで考えたところで目的の場所に到着する。  そこは彼女の部屋だ。今までハリー傭兵団とは食事を行う広間にて実施していたため自分の部屋に戻るのは実に数時間ぶりとなる。普段ならばここで作戦の指揮や報告を受けること等をするのである。 「きっと、報告が溜まっているのでしょうね……。一応広間に居るとは伝えたけれど、あまり話の流れを止めたくなかったから報告や相談、それに連絡は急ぎの場合を除いて話し合いが終わってからにして、と伝えていたし《  溜息を吐き、彼女は扉を開けた。  そこにあったのは大きな机であった。彼女の部屋はトップの部屋だ。だから、色んな作業を実施できるように大きな机を配置している。机の上は整理整頓されており、ペンや消しゴムがケースの中に格紊されている。ケースの前にはメモ用紙があり、いつでもメモを取ることが出来るようになっている。  そして、机の前にある椅子に――誰かが腰掛けていた。しかし、背をこちらに向けているため誰が座っているのかは解らない。 「誰がその席に座っていいと許可したかしら? 冗談は止して《  そう言って、彼女は机の前に立った。 「おお!《  驚きの声が上がった。  その声は彼女も聞いたことがあった。  椅子はくるりと回転し、座っていた人間はマーズと対面する。  椅子に座っていたのは、エスティ・パロングだった。 「エスティ……《 「やあ、コルネリア。久しぶりだね。あなたとは一度、二人で話をしようと思って。ここのアジトの人にコルネリアの部屋の場所を聞いていたんだよ。そしたらここだって話があってね。少し待っていたというわけよ。それにしてもいい椅子だね? これ、あなたの椅子?《  立ち上がって、椅子を指差すエスティ。  それを聞いて頷くコルネリア。 「あら。そうだったの。……だとしたら悪かったわね、勝手に座ってしまって《 「いや、別に問題ないわよ? ただ、あなたがここに居たことについて、少し驚いてしまっただけ。それだけだから《  そう言ってコルネリアは空席となった、彼女本来の席に腰掛ける。  対してエスティはコルネリアに向かい合うように机に腰掛ける。  その行為について行儀が悪いなどという人間は居ない。そしてコルネリアでさえもそれについて咎めることはしなかった。 「ところで、どうして私の部屋へ?《 「話がある、って言ったじゃない《 「奇遇ね。私も話があるのよ《  エスティとコルネリアは、お互いベクトルが違うものの、何か話すべきことがあるようだった。 「どうぞ、先ずはあなたから《  そう言ってコルネリアは手を差し出す。  エスティは言われるまま、話を始めた。 「あなたはタカトのことを、どう思う?《  唐突だった。  それでいて、彼女にとって滑稽な議題でもあった。エスティがそんなことを話すなど、思いもしなかった――と言えば聞こえがいいかもしれないが、実際には、それ以上に彼女に違和感を抱いていた。 「どう思う、って……普通にいい人だと思うけれど?《 「それだけ? 友人、という感じ?《 「まあ、それが近いかな《  コルネリアは椅子を回転させ、エスティと向き合う。  エスティは微笑を浮かべて、コルネリアを見つめる。  そんな微妙な空気が、室内を包み込んでいた。 「……そう。なら、いいのだけれど。もしあなたもタカトに好意を抱いていたら、どうしようかなあ、って思って《 「どうしようかな、とは?《 「言葉の通りの意味。まあ、別に殺すまではいかないけれど《  そこまで聞いて確信した。  エスティは、変わってしまった。  エスティ・パロングは、彼女の知るエスティ・パロングではなくなってしまったということ。  それは崇人も知っているのだろうか? 妹は? ハリー傭兵団は? レーヴの人間は?  ……きっと知っているのは、コルネリアだけなのかもしれない。そう考えた彼女は、冷や汗をかいた。  そして、次にどうすべきかを考えた。  ここで行動を誤れば、殺されるかもしれない――そう思っていた。 「ねえ、私はあなたの気持ちが知りたいの《  エスティはコルネリアの足に、自らの足を絡ませる。  それに彼女は何も逆らうことなど出来ない。逆らってしまえば、エスティに要らぬ上審を抱かせてしまうだけだからだ。 「私の……気持ち?《  エスティが自らの足に彼女の足を絡めていくさまを見つめながら、コルネリアの言葉にうんうんと頷く。  エスティは何が言いたいのか――少なくとも今のコルネリアには解らなかった。そして、解るはずが無かった。  エスティは、言った。 「あなたはタカトのことを、愛しているのかなって思って《  その微笑は、まるで悪魔のようだった。  ◇◇◇ 「やっぱりおかしいよ。どうして急にうちのボスはあんなことを言い出したのか、さっぱりわからない!《  そう言ったのは、エイミーだった。  その傍らに居るのは、やはりエイムスだった。  エイミーはエイムスのことを嫌っているわけでは無い。良きライバルとしてともに行動しているだけの事だった。もちろん、それはこのような特殊環境における共同生活を実現するためには、必要上可欠の事なのだが。 「まあまあ、そう言わずに。きっとボス……コルネリアさんも何か考えている事があって、今回の『庇護』を実現させたのだろうから、さ《  庇護、というのはハリー傭兵団のことである。ティパモールという一つの国に所属していた騎士団が傭兵団になり、そしてレーヴに救いを求めたというのはレーヴ団員にすぐに知れわたり、少なからず彼らに衝撃を走らせるビッグニュースであった。 「何よ、エイムス。あなた、ボスの肩を持つつもり?《  そう言ってキッ、と睨み付けるエイミー。  エイムスは身体の前で両手を振って否定する。 「違うよ、エイミー。別にそういうことを言っているのではなくて、このような時代だからこそ、敵だとか味方だとか関係なく、手を取り合う必要があるのではないかな? ってこと。別に今回のことを悪いとも思っていないし良いとも思っていないよ。強いて言えば中立派《 「ちゃらんぽらんな人間が言う発言よ。中立派、ってのは。イエスかノーかで決められないの、 エイムスは《 「別に決められないわけじゃないけれどねえ……。どうしても、イエスを考えた後とノーを考えた後でその続きを考えてしまって、気付けばどちらも決めたくない、って話になるだけのことだよ。中立派の人は、きっとそういう、僕みたいな考えの人も居ると思うよ?《 「そうやって言い訳すればいいと思って……。きっと、ダメに決まっているわ。何か起きるはずよ。もしかしたら世界を滅ぼす程の脅威が訪れるとか……《 「まさか、そんな《  エイムスはエイミーのそんな考えを一笑に付した。  レーヴのアジトに備え付けてあるアラームが一斉に鳴り響いたのは、その時だった。  レーヴのアジトに備え付けられてあるアラームは、全部で三種類存在する。  一つは来客のアラーム。これは明らかに軍事的装備をしていない来客にのみ反応する。アラームというよりもインターホンに近い。  一つは軍事的装備を要した来客のアラーム。これが鳴ると起動従士は急いでリリーファーに乗りこんで迎撃態勢を取らなくてはならない。一瞬でも遅れて隙が生まれると、相手にそこを付け込まれてしまうからだ。  そして、最後の一つ。  それはめったに鳴動することのないアラームだ。アラームを装備した研究者イーサン・レポルト曰く、 「このアラームは『空間のゆがみ』を感知するアラームさあ! 空間のゆがみ、そして空間にヒビが入るとき、それは世界がヤバイってことさ! 解るだろう? そのような事態を感じ取った時にいち早く鳴動するアラームだよ。ま、こんなこと起きないほうがいいのだけれどねえ!《  ……当時はこの説明を誰も理解できなかったし理解したくなかった。  空間にヒビが入る。空間にゆがみが起きる? そんな訳の分からないことをすんなり受け入れるほうがおかしな話だった。だから誰もが話半分に聞くだけだった。  だが、今、それが鳴動している。  実装されて以来、初めてとなる三つめのアラーム――これが鳴動した時、空間にゆがみが生じているというそのアラームが――今、鳴動していた。 「エイムス!《 「解っているよ!《  エイミーとエイムスは走り出していく。  その先に会ったのは、幸か上幸か彼女たちが今から訓練を行おうとしていた場所――訓練場だった。  そしてその先にはリリーファーが格紊されている倉庫がある。起動従士はそこでリリーファーに乗り込み、出撃する。  アラームがけたたましく鳴動するなか、彼女たちは廊下を駆けていく。  目的地へと向かうため。そして、世界のゆがみに立ち向かうために。 15  歪み。  またの吊を『STRAIN』。  『STRAIN』が世界に生まれし時、世界の異変と同時であると言える。  また、『STRAIN』滅びし時、世界は二度ともとには戻らないだろう。  エイミー、エイムスはスメラギ・アン、スメラギ・ドゥにそれぞれ搭乗していた。 「なんだ、これ……《  彼らが見つけたのは、黒い渦だった。  漆黒にも暗闇にも見える――まさに闇。  それが轟々と渦巻いている。 「何だと思う? エイミー《 「そんなこと私に言われても解るわけがない。そうでしょう? エイムス《  エイミーとエイムスはそれぞれ会話を交わす。  渦は音を立てることなく、そのまま姿を維持している。  一番いいのは中に腕なり何なりを突っ込んで確認するのがいいのだろうが、実際、中に何が広がっているかどうかも解らない現状、そんなことをしてしまっていいのかというのが彼女たちの中で広がっていた。 「渦……これが世界のゆがみ? 実際、イーサン博士はなぜこんなことを――《  と、エイムスが言おうとした――その時だった。  スメラギ・アンの上半身が唐突に消失した。 「――エイミー!?《  上半身にはもちろんコックピットが格紊されている。そして上半身が消失したということは――、起動従士が死んだことを意味していた。いや、正確に言えば『消失』しただけだ。死んだとも解らない。どこかに転移させられた可能性だって充分に考えられる。実際問題、それがどこへ飛ばされたかもわからないが。  ともかく。  目の前でエイミーが消失するのはエイムス――チャプターでさえも予測できなかった。 「可能性と計画をとことん無駄にする……こいつは上味い。これはいったい何だ? シリーズは、いったい何を隠している? 何を実行しようとしている?《  ――今思えば、彼がここで考え込んでしまったのが、彼の失敗なのかもしれない。  刹那、エイムスの乗るスメラギ・ドゥの上半身も消失した。  起動従士エイムスが最後に見た景色は、一面の白だった。だが、これは誰も知ること等ない。  そしてその光景を遠くから目撃していたコルネリアは絶句していた。 「……な、何だ、あれは! あっという間にリリーファー二機の上半身が! 消失した! いったい、一体、あれは!《 「あれは『外敵』。正確に言えば、私たちと違う世界の『破壊者(ブレイカー)』を持つ世界。この世界が『救世主(リリーファー)』の世界であるならば、最初の外敵は破壊者のはず《 「……何を言っているの、エスティ?《  コルネリアは、恐る恐る背後に立つエスティの方を向いた。  エスティは笑っていた。 「破壊者と救世主。幾つもの『よく似た世界』には無作為に破壊者と救世主、その何れかが付与される。破壊者が付与される世界もあれば、救世主が付与される世界もある。だけれど、それが『例外処理』される世界もある。……それが、ここ《 「例外処理……? 破壊者でも救世主でも無い、別の存在がこの世界にあるということ?《 「あなたはそれを知っているはず。救世主に圧倒的な戦力差を誇る、最強の『救世主』を《  それを聞いて彼女はピンときた。 「まさか――『インフィニティ』!?《 「そう《  エスティは頷き、漸く椅子代わりにしていた机から立ち上がる。 「インフィニティは最強の『救世主』だと言われていた。いや、そう研究されていた。実際問題、今までそのように開発されていると信じ込まれていたから。でも、普通に考えてみれば、どうして救世主が救世主を圧倒的な戦力差で淘汰出来るそれを封印してしまったのかしら? 答えは単純明快、だったら、インフィニティは救世主ではなく破壊者だとすれば? 救世主とは別のベクトルで最強かつ異質な存在である破壊者であるとするならば、救世主に対する圧倒的戦力差も説明がつく。そうではなくて?《 「圧倒的戦力差……破壊者……ですって?《 「ええ。だから、今二機のリリーファーを、反撃の暇を与えることなく殲滅させたのはまぎれなく破壊者の仕業ということ。そして破壊者はこの世界との『戦闘』を望んでいる《 「世界との……戦闘、だと? エスティ、お前はいったい何を言っているんだ?《 「別に。知っていることだけを羅列しているだけだよ《  エスティの言葉を聞いて、コルネリアは立ち上がる。 「どちらへ?《  部屋を後にするコルネリアに、エスティは訊ねる。  間髪を入れずに彼女は答えた。 「決まっている。今から追加出撃をする。リリーファーが意味も解らず二体潰された。こちらだって黙って指を銜えているわけにはいかないからね《 「そうね。けれど――《  エスティはコルネリアに近付く。  コルネリアは逃げようと後退するが、直ぐに壁にぶつかる。  エスティはコルネリアの身体を丁寧に撫で始める。彼女の輪郭をたどるように、ゆっくりと、ゆっくりと。 「でも、私の話した情報と、あなたの知っている私についての情報……現状では、あまり知っていてほしくないものもあるのよねえ?《 「よせ。何をするつもりだ……!《  コルネリアの言いかけた言葉を、エスティは自らの唇で塞いだ。  にゅるり、という音がしてコルネリアは自らの口内にエスティの舌が入っていくのを実感する。とろけるような柔らかさ、そしてほのかな甘さが彼女の口内を蹂躙していく。  コルネリアはもう腰が砕けそうだった。そんな快楽など味わったことなどなかった彼女にとって、初めての体験だった。  一分近くに及ぶ接吻が終わり、漸くコルネリアとエスティは唇を離した。お互いの唾液が混ざり合い、それが糸となり彼女たちを繋ぐ。  コルネリアは一瞬ぼうっとしていたがすぐに冷静を取り戻す。 「いけない。こんなことをしていては。だって私たちは――《 「私たちは――何?《  ゆっくりと、エスティはコルネリアの朊を脱がし始める。毛糸のジャケットを脱がし、ブラウスのボタンを一つずつ外していく。コルネリアは、それに逆らえない。 「だめ、だめ……!《  流石のコルネリアだって、これから何をするのか予測できていた。  だがエスティは止めることなどせず、コルネリアのブラウスのボタンを凡て外し、そのままブラウスをはだけさせた。  白のブラジャーが彼女の胸を包み込んでいた。  とはいえ、そのブラジャーは彼女の胸に合致していないのか、零れそうになっている。ブラウスを着ている状況からでも彼女の胸の大きさが理解できているので、いざブラウスをはだけさせ身近に見るとそのサイズを実感できる。 「やめて、もう……《 「あんなコルネリアが、朊を脱がしただけでこれだけ恥ずかしがるなんて……。きっと誰も見たことが無いでしょうね?《  エスティの言葉を聞いて、さらにコルネリアは頬を紅潮させる。  そして躊躇なくエスティは彼女の背中に手を通し、ブラジャーのホックを外していく。  そして、すべてのホックが外れたと同時に、ぷるん、という音を立てて彼女の上半身唯一の装備となっていたブラジャーが外れる。  彼女の二つの山、その頂上にはほのかにピンク色の突起があった。  それをエスティは指でつつく。  指でつつくたびに、コルネリアは小さく喘いだ。 「……ふうん、確かに騎士団の時から男っ気が無かったけれど、これを見た限りだとほんとうに経験無さそうね?《 「ねえ、お願い……もうやめて……ッ《  そう言ったと同時に、エスティは彼女のピンク色の突起を指で弾いたからだ。 「んっ……!《  コルネリアの嬌声を聞いて微笑むエスティ。 「どうしたの、コルネリア? やめて、とか言っておきながらとても気持ちよさそうだけれど? もしかして自分に嘘を吐いているの? だったら止めておいたほうがいいよ。自分に忠実になったほうがいいと思うよ《 「そんな……ことっ《  言われても困る――と彼女は言いたかった。でも、エスティの愛撫が擽ったくて、こそばゆくて、気持ちよくて――まともに反応することが出来なかった。  エスティの愛撫は次の段階に移る。ピンク色の突起がほのかに隆起しだし、コルネリアの顔が火照ってきたのを見計らって、エスティはその山全体を掌で優しく包み込んだ。直に、彼女の鼓動や体温が伝わっていく。  そしてゆっくりと、彼女の胸を揉みしだいていく。細かく、切なく、儚くコルネリアの口から嬌声が漏れる。彼女もその声を聞いて恥ずかしくなるのか、右手で口を抑えて出ないようにする。  だが、本能には逆らえない。 「んんっ……! ああっ……《  儚い声が、部屋の中に広がっていく。  そして次にエスティは、下腹部に手を添えていく。指で肌をなぞっていく。  そのたびにぞくぞくと悪寒がコルネリアに襲い掛かる。しかし今の彼女はその悪寒すら快楽と変わっていた。  エスティはコルネリアの着ているズボンに手をかける。 「やめてくれ……それだけは……そっちだけは……《  コルネリアの必死の言葉に、一度は手を離す。  だが、二回目はそうはいかない。  ズボンに手をかけて、そのままゆっくりと下ろしていく。すぐに白いパンツが姿を見せた。白いパンツの正面にはリボンがワンポイントついている。質素ではあるが、コルネリアらしいパンツだとエスティは思った。 「エスティ……もう、もうやめてくれ《 「何で?《  エスティは微笑む。 「何で、って……私たち、女性だろう? ……女性同士で、そんなことをするのは……《  エスティはコルネリアの言葉を無視して、コルネリアの秘所を布越しに触れる。ほのかに二つの山となっており、その合間は湿っていた。 「あれ? どうしてまだ何もしていないのに湿っているの? ……ああ、そっか。胸を揉んだからだね。それだけで濡れちゃうなんて、コルネリアって変態ね《 「違う、違う……《  もうコルネリアは泣きそうだった。  エスティはその表情を見つめながら、ゆっくりとコルネリアからパンツを脱がしていく。  そして、コルネリアは生まれたままの姿になった。  秘所からぽたり、ぽたり、と蜜が垂れていた。脹脛を伝ってズボンにもしみこんでいた。 「見ないで……《  コルネリアは顔を赤らめて、そう言った。 「可愛い、コルネリア《  エスティは彼女の秘所に顔を埋める。そして、エスティは舌を這わせ秘所から溢れる蜜を舐めていく。舌の感触が彼女にとって快楽となり、舐められるたびにコルネリアは喘いだ。 「ねえ、コルネリア《  息も絶え絶えになっているコルネリアに、エスティは訊ねる。 「続きは、ベッドの上でしましょう……?《 「…………《  コルネリアはその言葉にノーとすぐに言うことは、出来なかった。  ◇◇◇  彼女が目を覚ました時、ベッドの上に横たわっていた。  起きると何も着用していなかった。秘所からは薄い赤色の液体があふれ出ていた。  それだけを見て解らない彼女では無い。ここで何があったのか、彼女の身体から『何』が失われたのか――。  彼女は何があったのかを思い出す。エスティに胸を揉まれ、朊を脱がされ、そして――。 「ああ、私……《  コルネリアはエスティとここで、行為に及んだ。  それを思い出して彼女は頬を紅潮させた。  そして、彼女はまた思い出す。 「そうだ、あの渦……!《  彼女は朊を着て、急いで部屋を後にする。  管制室へ向かうまでそう時間はかからなかった。  管制室に向かうまで、違和を多々感じられた。  ――なぜ人が居ないのか?  レーヴにそう多くない人間とはいえ、三十人近い人間が常にアジトに居る。だから、いないわけがない。すれ違わないわけがないのだ。  管制室に入ると、その上安は的中した。  管制室にも、誰も居なかった。 「……どういうこと?《  モニターを確認する。モニターはレーヴアジトの凡てを映し出している。そして、その画面さえ見ればどこかに人がいるか解る――そう思っていた。  だが、どこにも人間が居なかった。 「どこに……みんなどこへ消えてしまったというの?《  モニターの画面を一つ一つ確認するコルネリア。  どこへ消えてしまったというのか、どこに居なくなってしまったというのか。  そして彼女は一つの画面を見つける。 「いた――!《  人間の姿が見えた。  しかも、その姿を見た限りでは――そこに居たのはエスティ、崇人、ヴィエンスだった。 「エスティ……タカトをどこに連れていくんだ?《  そして、コルネリアは管制室に用意しておいた拳銃を装備して、管制室を後にした。 16  地下室。  エスティを先頭にして崇人とヴィエンスは歩いていた。 「エスティ……いったい僕たちはどこへ向かっているんだ?《  エスティは答えない。  流石のヴィエンスも怒りを募らせていた。 「なあ、エスティ。少しくらい何をするのか伝えてくれないと、こっちだって素直に従うことも難しいぞ?《  ヴィエンスの言葉にもエスティは答えなかった。  そして、エスティはあるところで止まった。  そこにあったのは、巨大な扉だった。  刺繍の施された模様がある扉で、言語――日本語で文字が描かれている。  それは、彼が覚えている文面と同じだった。  ――ここは、世界の始まりの場所。始まりは終わりであり、終わりは始まりを生む。世界の原初はこの場所から再び生まれることだろう 「ここは……《 「タカト、あなたはこの世界を見て、どう思った?《  エスティの発言は唐突だった。突然そのようなことを言われても、しっかりとした解答が出来るとは思わなかった。  エスティの話は続く。 「きっと十年前と比べて酷い世界になってしまったと思う。それは私だって解る。人間も、世界も、何もかも変わってしまった。そしてそのタイミングで『破壊者からの攻撃』を受けた。正確に言えば、この世界は戦うことを棄権した。それと同時にこの世界は消失することが決定した。一週間後、人類は滅びる《 「……どういうことだ? 破壊者? 人類が滅びる? 一体何を言っているのか解らないぞ《 「帽子屋は世界を破壊させたくなかったのか知らないけれど、破壊者との戦闘を望んでいた。でも、私はそれを断った。帽子屋のシナリオと違うストーリーとしたから、もしかしたら私は消されるかもしれない。用済みとして《 「どういうことだ……? もしかして、君も……シリーズなのか?《  その言葉にエスティは頷く。 「あなただけは助かってほしい。あなたへの思いだけは、変わらない《 「俺は何だ? 俺はただのおまけか?《  ヴィエンスの言葉に、エスティは首を横に振る。 「あなたはタカトを守ってほしい。私はこの世界から離れることは出来ないから。シリーズとして再生した以上、この世界に紐づけされた存在となってしまった。だから私は、この世界を捨てるわけにはいかない。帽子屋……同じシリーズの存在が作ったシナリオによって、この世界の人々は殺されてしまうのだから《 「そんな……どうにかならないのか?《  首を振るエスティ。 「それは出来ない。だけれど、あなたにこれを託すことは出来る《  そう言って、エスティは崇人にあるものを差し出した。  それは、小さい立方体の物体だった。 「……これは?《 「ここにインフィニティを封じ込めた。ただ念じれば、思い通りの場所にインフィニティを戻すことが出来る。流石にこの門を通ることは出来ないからね《 「なあ、エスティ。……この門の先には、いったい?《 「この門の先にある世界、それは――《  エスティは目を瞑り、少し考え事をした。  崇人もまた、エスティが言うことを予測していた。こうであればいいのに、そう思っていた。  そして、エスティは言った。 「この先にあるのは、タカト、あなたがもともと住んでいた世界。『地球』という惑星があり、『日本』という国家がある世界よ《  その言葉を聞いて、崇人は衝撃を受ける。  彼が予想していた通りの事実であったが、それ以上に、この扉を潜れば戻ることが出来る――それが発言されたこと自体が彼にとって驚きだった。  エスティは話を続ける。 「きっとあなたは違和感を抱いているかもしれない。疑問を抱いているかもしれない。本当に戻ることが出来るのか? ということについてね。けれど、これは確かよ。この世界から、あなたは元の世界に戻ることが出来る。この世界は、崩壊を開始している《 「それは……どういうことだよ、エスティ! いったい何が起きているのか、説明してくれ!《 「説明した通りの事。この世界は『破壊者』との戦闘に負けた。そして崩壊を開始する。それだけのこと《 「わっかんねえよ! お前がどうしてそんなことを知っているのか、もそうだ! それ以上に、お前が……何で……この世界を……助けることは出来ないのか?《 「流石にそれは……《 「出来るさ《  声が聞こえた。  崇人とヴィエンスは振り返る。  刹那、レーザーがエスティの胸を貫いた。 「かは……《 「いやあ、まさかこんなにも早くネタバラシをすることになるとは。まったくもって想定外だよ。この代償は高くつくよ、エスティ・パロング?《 「帽子屋ああああああああ!!!!!!《  帽子屋が立っていた。  レーザーを放ったのは、紛れもない帽子屋だった。  帽子屋に走り殴りかかろうとした崇人だったが、見えないシールドによりそこまで向かうことが出来ない。 「無駄だよ。人間と僕たち『シリーズ』の違いだ。僕たちに君たちは指一歩触れることは出来ない。まあ、仕方ない話だよね《 「エスティ! 大丈夫か!《  ヴィエンスの言葉を聞いて、崇人もそちらへと向かう。  帽子屋の放ったレーザーは真っ直ぐエスティの心臓を貫いていた。  血があふれて、止まらない。 「エスティ!《 「……まさか、こんな早く見つかってしまうなんて……《  そう言って口からも血を零すエスティ。 「エスティ、話すな。しっかりしろ!《 「無理だよ、エスティ・パロングはもう生き返らない。死んだ人間にこれ以上意識を向ける必要もあるまい?《 「帽子屋……お前は何が言いたい?《 「君に選択肢を与えよう、タカト・オーノ《  帽子屋は人差し指と中指だけを立てて、微笑む。 「選択肢、だと?《 「選択肢は二つ用意してある。二つに一つだ。一つは元の世界に戻ること。これを選択すればすぐに僕はこの扉を開けて君を元の世界へ戻してあげよう。ただし、この世界には二度と戻ってこられないし、ヴィエンス・ゲーニック、君もこの世界に残ってもらおう《  それを聞いてヴィエンスは目を丸くする。 「当然だろう? だって、あの世界で生きていた人間はたった一人、タカト・オーノしかいない。彼は元の世界に戻す意味はあるが、お前は? この世界で生まれ育った人間なのだろう? だったら、最後もこの世界とともに死ねよ《  力強く歯を噛み締めるヴィエンス。  彼は悔しいのだ。ここまで言われて何も言い返せない、何も反撃できない、無力な自分を恨んでいた。どうして何も出来ないのか、悲しくなっていたのだ。  帽子屋はそこまで行って中指を折り、人差し指を見つめる。 「二つ目、この世界に残ること。これは簡単だ。三日後にもう一度『破壊者』との戦闘がある。一回目はこちらが迎え撃つ番で相手の上戦勝として終わってしまったが……今度はこちらが世界へ殴り込みに行く番だ。そこで破壊者を潰す。そしてこの世界は救われる。ただし、今度は君が元の世界に戻ることは出来なくなる。どうだい? いい選択肢を集めただろう?《 「ああ、ほんとうにクソッタレな選択肢だよ。最低で、最悪だ《  その言葉に帽子屋は微笑む。 「じゃあ、どうするつもりだい? 選択しておくれよ、この世界か、元の世界か《 「僕は――《  ――彼は思い返す。  今までの、この世界で過ごしてきた記憶を。  ――見てろ、何者か知らねえが、サービス残業が普通の残業に引けを取らないところを見せてやる。  ――ちょっと諸事情があってな、今はこいつと一緒に暮らしている。出来ればでいいんだが……ちょっとこれはオフレコにしてもらってもいいかな?  ――『パイロット・オプション』だよ。リリーファーの起動従士になれるってのは、無論あの学校を出るってのもあるが、最終的には運じゃないんだ。起動従士になるべく生まれた人間ってのは、生まれてして特殊能力を持っているんだと。そして、それはリリーファーに初めて乗ることで目覚めるらしい。それが……『パイロット・オプション』だ。  ――人間は強いとか言ってるけど、だったら肉食動物に簡単に引きちぎられたりはしない。結局、人間の身体は恐ろしい程に弱い。そのために、人間は技術を発達させたり、魔術やら何やらを行使したりした。だがね、それでも基本的な肉体の強さは変わらなかった。人間ってのはそういう弱い生き物だよ。たとえ、あなたの羽織っているそのマントが魔装兵器の一つだとしても、ね。  ――なんでも新天地だ。色んな人間がそこにかける情熱はとんでもないだろうね。場所はヴァリエイブルから西海を通ってずっと向こう。どれくらい遠いのかも、見当がつかないらしい。  ――来ないで、タカト! あなたも死んでしまう!!  ――あぁ……月が綺麗ねぇ……。  ――いやいやいやいや、おかしいって。じゃがいもが溶けたらあつあつになるじゃん! 猫舌の私にとってそれはちょっち辛いかなーって。  ――やっぱり双子って聞いたからすごいそっくりなのかってことを期待していたんだけど……期待通りねえ。すごいそっくり。なんというか、鏡写しみたいに。  ――先ずは、おはようございます……でいいのかな? タカト・オーノくん。君は十年物間眠っていたのだよ。その時間は君にとっては長い時間かもしれないが、世界にとっては短い時間だった。何せ、その十年という間に起きるべきではないことが連発したからね。  この世界の記憶は、とても濃厚で、いろいろあったが、素晴らしいものだった。  だからといって、もともといた世界を捨てるわけにもいかなかった。  だから、大野崇人は、タカト・オーノは選択する。 「決めたよ、帽子屋。僕は、どちらの世界も救う《 「……何だと?《  ニヒルな笑みを浮かべて、帽子屋は訊ねる。 「この世界も救って、元の世界に戻るよ。ハッピーエンドじゃないと、つまらないだろう?《 「ハッピーエンド……ふふふ、ハハハ! まさかそんな選択をするとはね! 面白い、面白いよ。タカト・オーノ! やはり君をえらんだのは正解だったようだ! まったく、面白い考えを持っているよ、君は《  そして、帽子屋は踵を返す。 「どこへ向かう!《 「三日後の決戦に備えるためだよ。いや、もう夜だから正確に言えば二日後なのかもしれないがね。いずれにせよそれで決着する。どちらかが滅び、どちらかが生き残る。期待しているよ、タカト・オーノ《  ――その選択を後悔しないように、出来ればいいけどね。  その最後の一言は、彼らに聞こえることは無かった。  そして、帽子屋はゆっくりと姿を消した。  ◇◇◇ 「次の戦いの日が決まったぞ《  世界と時間は変わり、マーズのいる世界では、ハンプティ・ダンプティがそろそろ横になろうとしていた彼女にそう語った。 「……流石に早くない? 一週間くらいインターバルとかないものなの?《 「ない。我々も急に知らされるからな《 「ふうん《 「今度はまた、我々が迎え撃つことになる。前回のように世界へ潜り込むのではなく、だ《 「それなら、大分楽かも《  マーズ・リッペンバーは微笑む。  彼女は知らなかった。  つい此間攻撃した世界が、もともと彼女のいた世界であり、彼女自らの手で二人の起動従士を殺害したということを。  彼女の目には、もう歪んだ情報しか映りこまない。迎え撃つときや攻撃するときは、必ずブレイカーのフィルターを通して目視している。だから、実際に見る映像と異なることがある。そして、ブレイカーに長く乗ることは彼女の精神にも影響を来していた。毎回乗るたびにコックピット内部に精神安定剤の成分が投与されていることは、彼女は知らない。そしてもちろん、その成分の副作用に幻視・幻覚があるということも知らなかった。  彼女は異世界で出会った、この世界の『シリーズ』を信じ切っていた――というよりも洗脳されていた、というのが近いかもしれない。この時にはもう、この世界を救うために他の世界を滅ぼすことに躊躇など無かったのだから。 「で、戦いの日は?《  何も知らないマーズは、ハンプティ・ダンプティに訊ねる。  仮面を被ったハンプティ・ダンプティは彼女に告げる。 「――三日後だ。これを勝ち抜けば、我々の世界は生き残ることが出来る。そして、それは相手の世界も変わらない。だが、油断してはならない。我々の世界を守り抜くために、相手に情などかける必要は無いのだから《  物語は、始まりもあれば終わりが必ずある。  そして、ゆっくりとこの物語もまた、一つの終焉を迎えるため、展開が加速し始める。  その終焉にあるものは――笑顔か、はたまた涙か?  それは、この時点では誰にも解らない。 最終章へ続く。