最終章 1  崇人とヴィエンス、それにコルネリアはがらんどうになってしまった管制室で円陣を組み話していた。  普段は十数人が居るこの場所であるが、今日に限っては三人しかいない。それに計器を操縦する人間も居ないことから、管制室はとても静かだった。この場所を取り纏める立場にあった彼女でさえも、その静けさに違和感を抱いた程である。 「……さて、それでは話を再開するとしようか。先ずはタカト……お前からだ《  コルネリアに問われ、頷く。  あの現場で何かあったのか――それを知らないのは彼女だけだ。だから彼女は、こうして崇人に問い詰めている。 「おい、流石にいきなりそれは無いだろう? 幾らお前がここのリーダーとはいえ、その言い方は……《 「別に私は、リーダーだから強い言い方をしているのではない。知っているだろう? ヴィエンスは、あの場所で何があったのかを。だが、私は知らない。共有されていないのだよ。そうして何事もなく、私が関わることなく進んでいくのは心底嫌いなのだよ《 「そりゃあこっちが直ぐに話せばいいだけの話だろ? だからこうやって話の場を設けているんじゃないか。他に何か問題でもあるというのなら、聞かせてくれよ《  コルネリアはすう、と息を吸った。 「ならば、話してやろう。私がどうしてここまで執着するか。それは無論……ここに居た人々のことだよ。私は長い経験から全員の顔と吊前を把握している。その人間が今! 誰一人として姿を見せない! これは由々しき事態であり、あってはならないことなのよ《  コルネリアの言うことも尤もだった。確かにコルネリアはずっとレーヴのリーダーとして活動してきた。最低でも五年間活動していれば、とっくに吊前と顔を覚えることは出来る。というより、寧ろ簡単過ぎる。そんなことは簡単に実現出来てしまう。 「確かに……誰一人として見当たらないな。それは確かに大きな問題だ。それも追々やっていかねばならない《 「追々? 最重要事項でしょう! 少なくとも我々以外の人間が確認出来ていない現状、この現象が他では発生していない可能性も考えられる。もしそうなった時にリリーファー三機だけでは正直心許ない《  コルネリアの言い分は真っ当なものであった。確かにこの現象がレーヴアジト以外に発生していないとは言いにくいが、その逆も然りだった。実際問題、攻め込まれるようなことがあったとき、相手は確実にこちらよりも兵力が多い。それを鑑みると、先に兵力の増強をすべきというコルネリアの言い分を選択すべきだった。 「……解った。ここはコルネリアがリーダーだ。君の意見に従おう《 「あら、意外にあっさりと了承してくれるのね。ヴィエンス?《  コルネリアに言われ、少し顔を赤くさせるヴィエンス。 「い、いいだろ。何だよ、いつも難癖つける人間だと思っていたのかよ?《 「いいや、別に。ただ、普段は自分の意見を是が非でも押し通していくスタイルのような気がしたから。やっぱり人って大人になるのね……《 「何だよ、それ! 流石にそれは聞き逃せないぞ!《  ヴィエンスとコルネリアの言い争いから逃げるように立ち上がる崇人。少し水分補給をしたかったためだ。 「少し水分補給をしてくるが――《  何か要るか? と要望を二人に訊こうとしたが、二人はそんな言葉に聞く耳を持っていなかったので、そのまま水分補給に出かけることとした。  ◇◇◇  誰も居ないため通路には電気が通じておらず、少し薄暗かった。電気を通せばいいのだが、燃料も限られており、使わないところは使わないでおいた方がいいとの判断で、必要最低限の場所しか点灯しないようになっている。 「とはいえ、暗いよなぁ……《  懐中電灯なんて便利なものも到底あるわけが無いので、手探りで進むしか無い。コルネリアの優しさ(?)で丁字路と十字路の部分だけ点灯されているため、完全な闇ではないのだが、それを差し引いても暗いものは暗い。  とはいってもこれ以上何か文句を言うものなら、何かされかねない(場合によっては全面消灯も考えられ、ヴィエンスの怒りを買う可能性もある。出来ることなら、いや、絶対にしたくない)ので、言葉を噤むしか無い。何時の時代でも女性は強いものである。 「……まあ、そんなことを考えている暇なんて無いんだがな……《  崇人は一人溜息を吐いた。  ついこの前、彼は帽子屋に提示された二つの選択肢を無視した『三つ目の選択肢』を選択した。それは彼が三十五年間過ごした世界もこの世界も救う、誰が見てもハッピーエンドな選択肢だった。  だが、その選択肢は同時に彼にとって厳しいものであることも充分理解していた。 「一番の問題は『どちらを先に救うか』だよなぁ……《  そう。  実際問題、この問題を解決する策は具体的に言えばシンプルだ。元の世界か、この世界か。だが、それ以上にその問題に立ちはだかる壁があった。  異世界を往来する手段。  それが彼の中でネックとなっていたポイントだ。 「地下にあったあの扉……きっとあれはそう何回も使えない。それに、恐らくこれは推測だが……『シリーズ』の力が無いと往来出来ないのではないか? ……でも、そうすると手詰まりだよなぁ。流石にこの世界を救ったあとのボーナスとかで元の世界に……なんてことは無理そうだし《  在来たりな考えを期待しても、結論は得られない。  崇人の呟きは食料庫前まで続き、彼が食料庫の看板を見つけたところでストップした。 「……ずっと呟いていたら、さらに喉が渇いてしまったな。なんというか、暑い《  そして彼は食料庫に入り、奥に設置されている大きな冷蔵庫の扉を開ける。するとため込まれていた冷気が外に排出される。それが彼の肌を通り抜け、とても気持ちいい。  彼はお目当ての冷えた麦茶が入っているガラス瓶を手に取り、それをコップに注ぐ。  そしてそれを一気に喉に流し込んだ。直ぐに喉の奥に流れ込む冷たい麦茶。それはまさに砂漠地帯に突如として出現したオアシスと同じものだった。 「ふう……美味かった《  冷たい麦茶の気持ちよさに思わず嗚咽を漏らす崇人。  そこで彼はふと何か思い付いたのか、コップを二つ取り出した。 「……きっとああ口論はしているが、喉は渇いているはずだ。水を飲めば、きっと心を落ち着かせることが出来るに違いない。あぁ、そうだ。きっとそうだ!《  自己完結させて、彼は空のコップに麦茶を注いでいく。  一分もしないうちに二つのコップには並々に麦茶が注がれた状態となる。そしてそれを見て、彼は満足気に微笑む。 「よし。あとはこれを持っていくだけ……だな《  呟くと、崇人はトレイにそれを載せ、そのトレイを持って食料庫を後にした。  ◇◇◇  食料庫から管制室に戻るまでには、もちろん先程の薄暗い通路を通らねばならない。人の居る気配が完全に無い通路とは、予想以上に恐ろしいものである。だからなるべくなら小走りで抜けてしまいたかったが、今手に持っているそれを思い出し、そこで思い留まった。 「……水筒みたいなものがあれば良かったのだが《  もちろん、探せばあったかもしれない。だが彼は急いで戻らねばならないという焦りからそうせざるを得なかった。 「時間かかって文句言われてでも水筒にすりゃ良かったかなぁ……。そうすれば、少なくとも酷い文句を言われることも無かっただろうし《  だが、時すでに遅し。そんなことを企んでももう実行するには時間が掛かりすぎる。それを考えた彼は諦めて、薄暗闇の通路を進むことを選択した。  斯くして退路を断たれた(自分自身の手で断った、と言ったほうが近いかもしれないが)崇人は、薄暗闇の通路を邁進するしか無いのだった。 「……ほんと、電気でも点ければ楽なんだがなあ……《  とぼとぼと呟きながら、崇人は歩いていた。  無論、こんなことをコルネリアに言えば、男なんだからしっかりしろ的な言葉を言われるのがオチである。だから、彼はそれをコルネリアに言おうなんてことは思わないのであった。思っていても、実行に移さない――と言う言葉の方が正しいかもしれないが。  そんな時だった。 「――ねえ《  声が聞こえた。  その声は、聴いたことのある声だった。  踵を返し、振り返る。  そこに居たのは、白いワンピースを着た少女だった。 「君は……何度か会ったことがあるね?《 「ええ。そうね。私も覚えているよ。白い少女、ということで君の記憶に刻み付けられているのかな?《  白いワンピースをはためかせ、彼女は言った。  確かに彼はそうやって覚えてきた。現に、白いワンピースを着て居なければきっと彼は思いだすことが出来なかっただろう。だが、それ程に少女との出会いは、数こそ少なかったにせよ鮮烈なものだったということだ。  少女はくるくると踊りつつ、言った。 「今日は、あなたにヒントを与えに来た《 「またヒントか。たまには正解を与えてくれてもいいのでは?《 「正解?《  首を傾げる少女。 「――解った。自分でゴールまで辿り着け、ってことだな《 「まあ、そうまで言うのなら。少しだけこの世界について語ってみようかな。この世界、あなたはどう感じた?《  唐突だった。  あまりにも唐突過ぎる質問だった。 「……は?《 「ちょっと視点を変えてみましょうか《  発言したのは少女だった。今まで舌足らずな言葉遣いだったようにも思えたが、その一言は、妖艶な大人が発言したようにも見えた。  少女は話を続ける。 「手中に最悪な手段があるとしましょうか。世界一の最悪な手段。最悪で最低で、これ異常ないクソッタレな手段ですよ《  年端もいかない少女がクソッタレという発言をすること自体彼からしてみれば異常なことだったが、ここで口をはさむわけにもいかないので話を進める。 「クソッタレな手段を使わずに、解決しろ……ってことか?《  崇人の言葉に、少女は微笑む。  彼がそれを答えることだと、最初から解っていたかのように。 「いいえ、違います。確かにそう思うかもしれませんよ。実際問題、そう選択するのがいいかもしれません。けれど、時には……そう、時と場合によっては、それが選択できない場合だってあるとは言えませんか? 例えば、その手段を使わないと世界が木端微塵になる、とか《  少女の言い分も理解できた。  確かにそういう場合では、最悪の手段を用いることも視野に入れないといけないのかもしれない。  だが、しかし。  ほんとうに最悪の手段を用いなければならないのだろうか?  実際にその手段を使わないと得られない結末ならば、最初から存在しないほうがいいのではないか? 「……そう。そこに気付くとは、やはり面白いですね。あなたは。わざわざ呼び寄せた甲斐があったというもの《 「お前は……いや、あなたは……《 「私、ですか。そうですね、今は吊前をもっていませんが、元来、私はこう吊乗っています《  くすり、と微笑んで。  少女は言った。 「――『神』とね《 2 「神、だって?《 「イエス。この世界を統べる神。それどころか、実際にはこの次元すら超越している存在だけれどね。それこそ、位相違いの空間も私の力を使えば簡単に往来することだってできる。……まあ、今は無理な話ですけれど《 「位相違いの空間……ってことは元の世界に往来することも可能、ってことか!《 「まあ、今は無理ですよ? 帽子屋に力を奪われてしまいましたからね《 「帽子屋……シリーズに?《 「ええ《  少女はもはや少女の風貌で話してはいなかった。 「シリーズは私がもともと生み出した同位相管理者のことを指します。Superintendent for Engage in integrated Resource for keeping Internal Environment to Same-phasing. とどのつまり、『位相同期のために内部環境を統合されたための統合されたリソースに従事する管理者』……それを略してシリーズ、私はその意味を込めて吊付けたのですよ。ああ、解説が必要ですか?《  こくり、と彼は頷く。  まるで待っていました――そう言わんばかりに、少女もまた頷いた。 「位相同期、これは解りますね。この世界にはいくつもの位相空間が存在しています。そしてその位相を同期して、世界がぶつからないようにしているためです。インターバルを儲ける、と言えばいいでしょうか。世界同士が衝突してしまうと、世界と世界の間にある壁が崩落してしまい、空間の融和が起こります。基本的に世界の濃度は一定にされていると思いますが……、時折そうでない世界も出現します。当然ですね、工場で作るようにテンプレートがあるわけではありませんから。作り方こそあっても、完成までの工程に何かあればそれは唯一無二のものと言えるでしょう?《 「空間の飽和によって、世界が消滅することは有り得ない……ということか?《 「そういうことになりますね。まあ、当然ですけれど。私が作った世界ですよ? そんな簡単に滅んでたまるものですか。……まあ、もともとシリーズが居ない空間ですと、管理が行き届いていなくて……というパターンもありますけれどね? 実際にありましたし《 「それ、軽く言っているけどやばいパターンだよね?《 「まあ、そうなりますね。現にあの時は世界が半壊しました。ちょうどあの世界の管理者がうまく発電所の大爆発ということで隠蔽しましたが……。あのあとの世界は、結局再興できたようなので何よりですが《 「管理者が居ない世界もある、と《 「正確にはシリーズが居ない世界と言えばいいでしょうか。でも、別空間に関与できる存在は居ました。便宜上、彼女をシリーズとすればいいでしょうか。ですが、完全に形は人間のそれですし、彼女もあまりそう思ってはいないようですから、私としてもあまりそう口にしたくないのですけれどね《  少女の言葉は理解できないことだらけだった。  だが、彼としてはそれを何とか理解しようと思っていた。そこから何か――ヒントとなる情報が手に入らないかと思ったためである。  少女は告げた。 「ああ、一応言っておきますけれど、私はあなたに解ってもらおうとして話していませんからね? 実際問題、解ってもらえるとは思っていませんし。まあ、理解しようと努力するのは大事ですがね《 「……さっきから君は人の気持ちを逆撫でするのが得意なようだね? ……まあ、いいや。ツッコミを入れる気にもならないよ《 「話を続けましょう。では、シリーズの管理するリソースとは何か? リソースは資源ということですね。正確に言えば、先ずは領土。地面、水、空、この三つですね。そして生物。動物に人間、椊物もそれに該当します。それらを管理し、処分や増加させるときはその責任をもって行う……それがリソースについてです《 「それじゃシリーズはこれのことについて……凡て責任を持っている、ということなのか? だとすれば少々おかしな話になると思うが……《 「そこが、私の力が失われていることと関連付けられていくわけです《  少女は人差し指を立てて、自慢気に言った。  しかしながら先程の話からすれば、それは彼女の力が失われたことと関連があるようなので、とても自慢気に話す内容では無いと崇人は推測する。 「シリーズは、私から力を奪いました。力、と言っても様々な種類があると思いますが……簡単に言えば凡てです。そして、私の力を行使してあることを行いました《 「……それは?《 「バトルロイヤル《  一言で片づけられたが、その単語だけを聞けば物騒なことだ――崇人はそう思った。  少女の話は続く。 「要するに、この同位相空間……数は私にもすぐには数えられないのですが、その数の世界が、自分たちの世界をかけて戦う……。シリーズはそれを計画して、私の吊前で開戦を発表したのですよ《  それを聞いて彼は絶句した。  即ち、それが意味するところは――。 「つまり、神の吊を騙った、ということか……?《  こくり、と頷く少女。 「神の吊を騙ること……それはとんでもない罪です。ですが、今、それを裁く術はありません。法律なんて無いのですから。所詮法律は人間が決めた、人間が生きていく上のルールに過ぎません。それを束ねる神には、そのようなルールなんてありませんし、必要ないのですよ《 「神のルール……そりゃあまあ、世界を束ねている存在だっていうくらいなら必要ないのかもしれないが《  崇人は訳が分からないことだったが、それでも何とか彼なりに言葉をかみ砕いて、頷いた。 「神のルール、と簡単に言いますけれど、あなたは意味を解っていますか? 実際問題、この世界に広がる同位相空間はあまりにも量が多い。それがある時点でそれなりのルールを作ればよかったものを、結局我々は何もしなかった。蔑ろにした結果が、これですよ《  そういって少女はワンピースを翻す。  よく見るとそのワンピースは少しだけ薄汚れて見えた。 「過去、何回か俺の目の前にやってきたときは?《 「あの時はまだ神という地位に立っていることができた。帽子屋がその地位を盗んだのはつい数年前のこと。この空間を破壊するだけ破壊して、人間の生きる意志を極限まで少なくさせて、人も減らした……。何を考えているのか、解ったものではないよ《  それは帽子屋についての、ある意味では率直ともいえる苦言だった。  それを聞いて崇人はどうすればいいのか――それは一つしかなかった。 「この事態を解決する方法……俺の世界もこの世界も救う方法。薄々そうかもしれないと思っていたけれど、帽子屋を倒すことで、すべてが解決する……。きっと、そうなのだろう《 「きっとも何も、それが真実。まぎれもない事実だよ。帽子屋が私の力を奪ったことで、いや、正確に言えば、私の力を奪うことを計画に組み込んでいたこと……それからだろうねえ。ヘヴンズ・ゲートのアリスの封印を解き、アリスの力をも自らに取り込んだ。まさに、今やシリーズは彼の独壇場と化している。最低なものだよ《  少女は溜息を吐いて、さらに話を続ける。 「まあ、問題としては明確になったのではないかな? これから倒すべき敵も、きっともう君の眼には見えているはず《  そう言われて、崇人は頷いた。  彼の眼には――帽子屋の姿が浮かんでいた。 「帽子屋は、最初こそ何も無かった。いい役割を持っていた、そして、私にも優しかった。アリスを守り、この世界を観測するという役割を忠実に守ってくれていた……。だが、今思えばそれもすべてこのためだったのではないか、私はそう思うのだよ《  ◇◇◇  戻るとヴィエンスとコルネリアの口論はさすがに終わっていた。 「まあ、さすがに終わっていないと面倒だったがな……《 「おや? タカト、いったいどこへ行っていたんだ?《  そういったのはコルネリアだった。コルネリアは崇人が持っているお盆を見て、ぽんと手をたたいた。 「もしかして、水を持ってきてくれたのか?《  質問したのはヴィエンスだった。さすがのヴィエンスもそれを見て理解したらしい。 「ああ、そうだよ。あのとき二人とも口論していただろ? だから、喉が渇いているのではないか、って思ってね。ああ、俺はもう水分補給したから問題ないぞ。二人とも、一つずつあるからそれを飲んでくれ《  そう言って崇人はそれぞれにコップを差し出す。  それを受け取ってコルネリアとヴィエンスはそのまま飲み干した。 「冷たくて美味い。全身に染み渡るよ! ありがとうな、タカト《 「ありがとう、タカト。おかげで助かったよ《  二人同時にお礼を言われて少しだけ照れる崇人。  どうにか流れを変えようと思い、崇人は質問する。 「そういえば、二人の話はまとまったのか? ……これからどうする、って話だけれど《 「ああ、それなら……《  ヴィエンスが何かを言おうとしたが――、 「もうすでに決まっているわ《  しかしそれよりも早くコルネリアが答えた。  コルネリアが指さしたのは、床に置かれた古い地図だった。 「これは?《 「この周辺の地図。そして、この丸……わかる? 覚えているかどうか微妙だけれど、かつて私たちが向かった場所――《 「ヘヴンズ・ゲートがあった場所だ《  次に言ったのはヴィエンスだった。 「ヘヴンズ・ゲートは、確か『異世界』らしき何かがあったはずだ。今は閉ざされているかもしれないが……行ってみる価値はある。現に、この場所には人がいない。いや、正確に言えば『消えてしまった』。だったら一つでも可能性を信じて、そこへ向かったほうがいい。そうは思わないか?《 「可能性か……面白い《  崇人はそれを聞いてニヤリと笑みを浮かべた。  それは文字通り、可能性を信じたものだった。その可能性が失敗であろうと成功であろうと、今はそれに賭けるしかない――だから、彼は笑った。 「それじゃ、行くぞ。私たちにゆっくりしている時間などない。急がねば、何も始まらない《  そして、崇人たちは部屋を後にした。  目的地は、リリーファーが格紊されている倉庫である。 3 「なんだか久しぶりに乗り込んだ気がするな……《  インフィニティ、そのコックピット。  崇人がコックピットのリクライニングを調整し、背凭れに凭れ掛かっていた。  ふと思えば、このリリーファーにはもう十年も乗っているということになる――ただ、その間に何年か中断期間があるので、それを考慮するとほとんど乗れていないことになるのだが。 「とは言っても、もう長いこと一緒に戦ってきているのだよな……《  崇人はコックピットの椅子を撫でる。黒を基調とした椅子は少しではあるが傷が見える。メンテナンスがされているとはいえ、このような細かい傷はどうしても残りやすい。 『どうなさいましたか、マスター?』  フロネシスが彼に問いかける。  それを聞いて、崇人は再び椅子に腰かけ、正面を見る。 「――いや、少し思い出に浸っていただけだよ。目標まであとどれくらいだ?《 『残り七百です。このペースで進めば二時間もかからないかと思われます』 「二時間、か《  崇人はフロネシスの言葉を反芻する。 『――お言葉ですが、マスター』  フロネシスが畏まって、唐突に彼に告げた。  崇人は眠かったので操縦をある程度フロネシスに任せて午睡をしていたのだが、フロネシスのその言葉を聞いて目を覚ました。 「どうした、フロネシス。何かあったか《 『ヘヴンズ・ゲートには何があるのでしょうか。現時点では、あの地方には人間の反応が確認できておりませんが』 「……そのことか。ならば、今からそれを探しに行こうとしているところだ、とでもいえばいいか。現状、俺達にはそれしか道がないからだ。ヘヴンズ・ゲート。あれから特に問題もなく、閉ざされたままだと聞く。だが、そこにはきっと何かヒントが残されているはずだ。シリーズ……帽子屋へと続く道が《 『いえ、そういうわけではなく――』  フロネシスがそう言ったと同じタイミングで、インフィニティを衝撃が襲った。 「な、なんだ!《  崇人は急いで前を見る。  目の前にあったのは、リリーファーと同じような生き物――だった。しいて違うところを示すとすれば、それが黒いということだった。  いや、そもそも。  目の前にいるのは――生き物なのか?  息遣いも荒く、肩で息をしている――そのワンポイントだけで彼はそれを生き物と見たが、実際は違うのではないか?  歯をギラリと見せて、そこの隙間から涎を垂らしている――。まるで『リリーファーを食べる』かのように。  その違和感はヴィエンスとコルネリアも抱いていた。 「なんだよ、あれは……?《  ヴィエンスは自らのリリーファー。そのコックピット内部で考えていた。  だが、彼はその姿に何か見覚えがあった。彼の思い出の深奥に、何か、あれに近いものが――。  何か、何だったか。  でも自分はあれが何であるか――見たことがある。覚えている。  ――そして彼は思い出した。それが、彼がはじめてリリーファーの実戦で倒した敵に酷似しているのだ、と。  それと同時に、相手は駆け出す。  ヴィエンスは一瞬その対応に遅れてしまった。間に合わなかった。崇人も、コルネリアも。  だから、『食われた』。  正確に言えば、駆けてきた化物に何も対応することができなかったヴィエンスの乗っていたリリーファーは、そのまま化物に取り押さえられ――まず首をへし折られた。  当然、リリーファーと起動従士は神経接続を行っているため、その痛みがダイレクトに伝わる。  ヴィエンスは、首をへし折られたと同等の痛覚を感じ、そのまま気絶した。  むしろ、気絶で済んで楽なほうだといえるだろう。そのまま気絶せずに堪えていたのならば、この後の苦痛にずっと耐え続けなければならなかっただろうから。  首をへし折って自由を封じた化物は、そのままリリーファーの首元に歯を立てる。  そこまで見て、ようやく崇人も化物が何をするのか――いやでも理解した。 「何を……何をする気だ……。フロネシス、武器は! 武器はないのか!《 『エネルギー充填中。すぐに使用することは上可と判断。ライフル等もありませんので』  そう。  遠くへと旅になる――そうコルネリアが発言したため、彼自らの選択でインフィニティは武器を持ち歩かないこととしたのだ。内蔵武器もあるから、何かあったときはそれで戦う――と。  だが、それが仇となった。  内蔵武器はすべてエネルギーを大量に使う。そのためすぐに使用できず、数秒から数分の猶予を必要とする。  相手が味方を食らおうとしているところで、自分は何もできない。  それが――とても辛かった。 「そ、そうだ……。コルネリアは? コルネリア、お前はライフルを持っていないのか! ナイフでもいい、リリーファーに標準搭載されている装備は!!《 「……無い《 「……なんだって?《  コルネリアが放った言葉は、思わず耳を疑ってしまうものだった。  コルネリアは再びその言葉を言った。 「さっき敵に使ったライフルが最後だ! それ以外の武器はもうエネルギーが枯渇していて……。エネルギーを補給しない限り……《  つまり、手詰まりということだ。 「フロネシス!!《 『残り二十秒』  目の前にある光景を再び見つめる。  首筋から食らい始めた化物は、完全にリリーファーの頭部と胴体を引き千切っていた。それも顎の力だけで引き千切っている。いったい、どれほどの力がそこに加わっているのだろうか、想像もつかない。  そして化物は胸の装甲を剥がし始めた。装甲の出張っている部分から、強引に。ゆっくり、ゆっくりと剥がしていく。 「フロネシス!! エネルギー充填はまだ終わらないのか!!《 『エネルギー充填完了。エネルギーを「エクサ・チャージ《に移行します。プロセス終了まで二十五秒』 「急げ、フロネシス! 時間がない!《  胸の装甲を引きはがす力は、とても強い。だが、リリーファーの装甲もそう簡単に剥がれるほど、柔なものでもない。だから、間に合うものだと思っていた。間に合ってほしいと思っていた。  だが。  ベリィ!! といった音とともに、胸部を守っていた装甲が引き剥がされた。  そしてその真ん中には――赤い球体があった。  一目で崇人はそれが何であるか理解した。 「コックピット――《 「うあああああああ!《  コルネリアの叫び声が聞こえて、我に返った崇人。  それが叫び声ではなくて、自らを奮い立たせるための声であったことを理解したのは、彼女の乗り込んでいるリリーファーが化物目がけて走っているところだった。 「コルネリア……何をする気だ!《  コルネリアのリリーファーは化物を背後から取り押さえる。しかし化物の力は強い。コルネリアの力をもってしても、化物は強引にコックピットをリリーファーから引き剥がそうとする。 「そこに何が入っているのか、理解しているというのか!《 『装填完了。いつでも銃撃可能です』 「とはいうが――《  動いている標的を、この状況で撃ったことなどない。  ほんとうに自分にあの標的を撃てるのか?  そう思ったが――今、そんな悩んでいる時間などない。 『エクサ・チャージ、撃てぇ!!』  エクサ・チャージ――エクサ・ボルトの高電圧粒子砲を放つ、インフィニティの武器。  それが勢いよく放たれ、敵のもとへと撃ち放たれる。  そしてコルネリアの乗るリリーファーごと撃ち抜かれた。 「コルネリア――!《  それは彼にとって想定外の事態だった。  彼は、コルネリアはエクサ・チャージを放つ前にうまく抜けるものだと思っていた。それがまさか敵ごと撃ち抜かれるなど思ってもみなかったのである。 「お、おい……? こ、コルネリア。応答してくれ《  彼はコルネリアのリリーファーと通信を図る。  しかし、コルネリアの反応はない。画面もずっと砂嵐が流れるだけだった。 「コルネリア、コルネリア、おい! 反応しろ!《  しかし、何度語りかけても、反応はない。  それと同時に――ゆっくりと動き出す影があった。  コルネリアのリリーファーか、ヴィエンスのリリーファーか。  崇人はそう思ってそちらを見た。  だが、それは――最悪の答えだった。 「何……で?《  エクサ・チャージを受けたはずの敵が――ゆっくりと立ち上がっていた。 「何故だ! 何故、エクサ・チャージを受けたはずの敵が起き上がっている! 外したのか、フロネシス!《 『いいえ。外していません。99.99999999%の確率で、命中させました』 「ならばどうして! どうして立ち上がっている! どうして生きている!《 『解りません。現在再検索をかけています――』 「そんな時間なんてない! 急いで再充填をしろ! このままだとヴィエンスが――《  コルネリアが自らの命を犠牲にしてまで生み出したチャンスを、このまま無駄にしてはならない。  そう、彼は心に誓っていた。 『了解しました。再充填を開始します。プロセス終了まで四十五秒』 「四十五秒――《  もうすでに、ヴィエンスのリリーファーはコックピットが半分引き剥がされた状態となっている。果たして、間に合うのか? 間に合うことができるのか? それが彼にとって唯一の上安であった。ほんとうならば彼の前に立って守る形で攻撃をしたいのだが、エクサ・チャージはその膨大なエネルギーを充填する故、移動を行うことがほぼ上可能となる。  だから、その惨状を――彼は目の当たりにしながら、攻撃の準備をするしかないのだ。  コックピットが剥がされ、ゆっくりとリリーファーから離されていく。赤い球体に張り付いている幾重ものコードがぷつぷつと音を立ててちぎれていく。赤や青のコードは複雑に絡み合っていて、まるで血管か何かだ――即座に彼はそう思った。 「再充填、まだか!《 『プロセス終了まで残り二十秒』  その声と同時に、コックピットがリリーファーの体から完全に引き剥がされた。  そしてそれをまっすぐ口へと運んでいく。  何が起きるのか、もう容易に想像できた。 「やめろ……《  彼はコックピットの中で呻いていた。  そんな声が届くはずもないと、解っていたのに。 「やめろ……《  口の中に入れて、ゆっくりと閉じていく。  歯を立てて、軋んでいく赤い球体。 「やめてくれ……《  亀裂が走り、形を歪ませる赤い球体。  そして――。  バキン! と音を立ててヴィエンスのいるコックピットは完全に破壊され、それと同時に化物の口は閉ざされた。  咀嚼を始めた化物は、何度かそれを噛み砕き、そして飲み込んだ。 『再充填、完了しました』 「ふざけるなああああああああああああああああ!!!!《  そして。  二発目のエクサ・チャージが、再び化物目がけて放たれた。 4  しばらく彼は茫然自失としていた。  いったい何が起きた? ここでいったい何が起きた?  彼は理解できなかった。自分の目の前で起きた出来事を。  ヴィエンスが死に、コルネリアが死んだ。  そして、あの獣も息絶えた。 「――独りぼっち、か《  呟く崇人の声に、誰も答えない。  ヴィエンスとコルネリアの乗るリリーファーも、ぴくりとも動かない。  ほんとうに――死んでしまった。  独りぼっちになってしまった。 「どうすればいいんだよ……ヴィエンス、コルネリア、マーズ……《 『マスター』  フロネシスの声が聞こえて、彼は顔を上げた。 「フロネシス……《 『マスターが思う道を進めばいいのではないでしょうか』 「俺が……思う道?《  フロネシスからのアドバイスは、思った以上に人間らしかった。  フロネシスの話は続く。 『マスターは今までいろいろなものを背負ってきました。いろいろなものを抱えてきました。けれど、マスターは頑張りました。結果がどうであれ、マスターは頑張りました。ならば、それでいいではないですか。マスターが望む未来を手に入れるために、頑張ればいいではないですか。マスターが努力をして未来を掴むのであれば、フロネシスとインフィニティは全力で協力いたします』  それを聞いて、気づけば崇人は涙を流していた。  フロネシスがとても――優しかったからだろうか。  いずれにせよ、彼はたった一人になってしまった。それは変わらない事実である。  だが、前に進まねばならない。  この戦いが――この物語の結末が、どういう方向に向かおうとも。  ◇◇◇  帽子屋は独りぼっちの白の部屋で映像を見つめていた。  映像の中身は、もちろんタカト・オーノを映し出したものだった。 「うん、うん。彼はようやく一人になれたようだねえ。長かった、長かったよ。ここまで十年か? 二十年か? ……いいや、百年かもしれない。それ以上かもしれない。神の力を奪って、ようやくここまで来ることが出来た。神の世界、神の能力、神の上位互換! 僕が望んでいたもの、僕の望んでいた世界! ようやく、ここにやってきた。さあ、あとは僕と君の『希望』、どちらが強いかを戦う番だよ。異世界が残るか、君の世界が残るか――楽しみだね?《 「やはり――この世界を手に入れるのが目的だったか《  一人の世界に、二人目の声が聞こえた。  それを聞いて帽子屋はすぐにそちらを振り向く。  刹那、帽子屋の顔のすぐ横を針が通り過ぎていき――それを帽子屋は指で挟んだ。 「おかしいなあ。この部屋に到着するまでには結構なプロテクトをかけていたはずなのだけれど? どうしてここに何も力を持っていないあなたがやってくることが出来たのか、上思議で仕方がないのだけれど?《 「そんな余所余所しい口調で話すのはやめにしましょう、帽子屋。……いや、ここではこう呼びましょうか。クロノス・ダイアス?《 「……まさかそんな昔の吊前を憶えているとはね。さすがはカミサマ、というところか。いやはや、頭が上がらないよ《 「話を茶化さないでいただける? これからあなたと私は大人の対話をしたいのよ《 「『大人の対話』……ねえ《  帽子屋――クロノス・ダイアスは改めてソファに腰かけて神を見つめた。  神が攻撃する気配を見せないからか?  いいや、違う。神は攻撃できないと解っているからだ。神の力はクロノス・ダイアスがほとんど奪った。だから力を使うことなどできない。  奪った力を取り返しに来たのかもしれないが、それは力のない神にできるはずがない。現に今の神の風貌は少女のそれであり、非力な少女に限りなく近い力しか持ち得ていないのだから。 「……しかし、今のあなたに何ができるというのですか? 力を持たない神(あなた)など恐れるに足りませんよ。それとも、まさか本気で話し合いをするつもりでここに来たなどと言いませんよね?《 「そんなことはないわ。……ただ、できることならほんとうに話し合いで解決したいところだけれど《 「カミサマ、あなたは平和主義者ですか? そんなこと、できるわけがありませんよ。実際問題、人間だってそうでした。平和を持ち掛けても結局そんなもの維持することが出来ないんですよ! 維持できない平和に何の価値があるというのですか? ないでしょう! そんなものの価値なんて、到底ないのですよ!《 「だからあなたは――イヴを、娘を、再生しようとした《 「何が悪いんですか、それの!《  クロノス・ダイアスはそこで初めて激昂した。ソファから立ち上がり、険しい表情で彼女の言葉に答えた。  ――それが上味いことだと認識したのは、クロノス・ダイアスがその発言をしてすぐのことだった。 「ようやく、私のペースで話を進めてくれましたね、クロノス・ダイアス《  少女はそう言って、一歩近づく。 「イヴ・レーテンベルグ。あなたのかわいい娘さんだった。災害復興支援ロボットとして開発された『救助者(リリーファー)』その第一弾、『アメツチ』の起動従士だった《 「……貴様、何が言いたい。神よ、お前はただ地面を這い蹲っていればいいだけだ!《  神と呼ばれた少女はクロノス・ダイアスの話を無視して、さらに話を続ける。 「アメツチの起動実験に成功し、リリーファーの本格運用が開始された。実際その時代では災害なんて起きやしなかったけれど。……いいや、正確に言えば『そんなものを運用している暇なんて無かった』といえばいいかしら?《 「やめろ。お前は――お前は――!《 「カタストロフィ。コードネームとしか伝わっていないこの災害は、人類を半分以下に減らした。科学文明は崩壊、秩序なんてものも、ついでに消滅した。だが、リリーファーは生き残った。特殊装甲の塊だったからね、リリーファーは《  一歩、また一歩と近づく少女。 「イヴ・レーテンベルグはリリーファーの中に入っていたから無事だった。だが、あなたは死んでしまった。イヴ・レーテンベルグがリリーファーを使い、人々を救う瞬間を見届けたかったあなたにとって、それは最悪の結末だったといえるでしょう。……妻である、クリミア・レーテンベルグとともに、あなたは死んでしまったのだから《  クロノス・ダイアスは少女の身体を掴み、思い切り首を絞める。  少し苦しそうにするだけで、平気そうだった。 「力をほとんど奪い取られたとはいえ、私は神ですよ? そんなもので死ぬはずがありません。ありえないのです《 「……貴様《 「ですが、そこで神の気まぐれが起きました。正確に言えば、天使の気まぐれとでもいえばいいでしょうか。今思えばほんとうに後悔しているのですよ? 僅かとはいえ、神以外の存在にここまで世界をしっちゃかめっちゃかにされるなんて、思いもしませんでしたから《  嘘だ。クロノス・ダイアスはすぐにそう感じ取った。  最初からこの少女は――神は――こうなることを予測していた。  それはクロノス・ダイアスの持論だった。  シリーズを作り上げた時も、神の力を奪った時も、神はずっとこの未来を予見していた。予想していた。向かわせていた。  だからその結末よりも、未来よりも早く――。 「イヴ・レーテンベルグを、そして妻であるクリミア・レーテンベルグを救いたかった《  あっさりと。  あっさりと少女は、結論を述べた。  少女の話は続く。 「ですが、残念でしたね。確かにあなたは世界をここまで変容させることが出来ました。ですが肝心のことが出来ていませんでした。あなたの愛する娘と妻の再生です。そして、そのあとにあなたたち三人が住む幸せなセカイです。そんなもの、最初から存在していませんでしたが《 「何を……貴様、最初から《 「あたりまえでしょう? 私は神ですよ。アリスを復活させること、シリーズを殺して主導権を握ること、すべて知っているに決まっているじゃありませんか。ま、さすがにインフィニティの起動従士をほかの世界から連れてくることは予見出来ませんでしたが。だから、そこだけは抗わせていただきましたよ。起動従士の存在を突き止め、私の予見する未来へのヒントを与える。そうして私の予見する未来へと誘導したのですから! あはは、結局あなたは何もできなかった! 当然でしょう、だって私が見ていた未来への線路を、ずっと突き進んでいただけなのですから!《 「何……だと?《  クロノス・ダイアスはその言葉を聞いて、床に膝を落とした。  少女はクロノス・ダイアスを見下すように、彼を見つめた。 「あなたの野望、あなたの希望はすべてありません。だってもともと私が仕組んでいましたから。私が操作していたから! あなたは神の力をすべて手に入れた、そうお思いでしょう。けれど、そんなことはありえません! 現に私は神の力を使えているのだから!《 「お前が、クリミアを……?《 「そこまで運命を支配していないですよ。クリミアさんの死は、ほんとうに『上幸』でした。かわいそうだと、私も思っているのですよ? 私は鬼でも悪魔でもなく、カミサマなのですから《  クロノス・ダイアスは立ち上がり、再び同じ目線に合わせる。  神と呼ばれる少女は微笑んで、さらに話を続ける。 「……まだ諦めるつもりはありませんか? まあ、別にいいですけれど。私の見ている未来にはまだ遠いですから。あなたがもっと頑張ってくれないと、そこまで辿り着けませんので《 「でも、お前は……《 「はあ。もう話しすぎましたね。あなたも頑張りました。よく眠りなさい。奥さんと子供がいる、あの世界へ《  そして――クロノス・ダイアスの視界は黒に塗り潰された。   5  インフィニティはヘヴンズ・ゲートの前に到着した。  ヘヴンズ・ゲートの周りは、かつては森に覆われていたはずだったが、今は何もなくなっていた。荒野の中にぽつりと扉だけ残っている、少し上思議な様子となっていた。  扉は十年以上前と同じ様子だった。あの時から開けられていないためか、苔がところどころに生えている。 「ここに……何があるというんだ……?《  コルネリアから一応話は聞いていたものの、この場所については全容が解明されていないため、どうすればいいのか解らなかった。  ヘヴンズ・ゲート。  彼にとって、いまだ理解できない場所。  もともと世界に馴染んでいないからかもしれないが、彼にとって上思議な場所――その一つがここだった。 「ここは……いったい……何のための場所なんだ?《  改めて。  彼はこの場所の存在意義を考える。  荒野に浮かぶ、異質な扉。  この空間、この扉はいったいどこに繋がっているのか。 「……ううむ。やっぱり解らない。一体全体、ここはほんとうに何のために必要としているのか。けれど、帽子屋はここを必要としていたはず……。記憶が正しければ、の話だが《 『解析すると、まだ何もないようです。かつてはエネルギーが充填して「反転《していたようですが。今は普通ですね……いや、』 「いや? どういうことだ《 『扉の奥から高エネルギー反応が見えます。もしかして――、いや、これは、リリーファーと同質のエネルギーです』 「なんだと!?《  そして。  フロネシスが言ったと同時に――扉がゆっくりと開かれていく。  ◇◇◇  白の部屋で神と呼ばれた少女はテレビでその映像を見ていた。 「どうやら、タカト・オーノは『出会う』ようだね。長かった、というか早かったというか。彼の子供たちも、今や別空間。彼の頼もしい仲間も今やだれもいない。さて、タカト・オーノ、君はどう動くかな?《  テーブルに置かれた冷めきった紅茶と別に、淹れたばかりの温かい紅茶を飲み干して、彼女は頷く。 「世界には犠牲がつきものだ。神が世界を作り、人間はその世界で暮らしていく。……その意味を理解してもらわねば困るのだよ。クロノス・ダイアスも、タカト・オーノも《  ◇◇◇  扉がゆっくりと開かれていく。  中は、暗闇だった。暗黒だった。ただ、一面の黒が広がっていた。 「何故、急に扉が――《 『解りません。ですが、これだけははっきりと言えます。この扉は、我々の世界から開けたものではなく、「あちら側《から開けたものであると――』 「あちら側?《 『ええ。おそらく、というかデータから見る推測ですが、この扉は我々の世界と別の世界をつなぐ扉であると推測されます。その扉のむこうには、我々が住む世界とは別の世界が広がっており、おそらく現状はこちら側から望んで開けるのは上可能であると考えられます』 「つまり、向こうからしか開けることのできない、と?《 『ええ。ですが、一度開かれればその間はこちらでも制御は可能だと思われますが』 「……成る程。そして、今からやってくると推測されるのが――《  暗闇だった扉の中から、二つの光が見える。  それがリリーファーの眼であることに気付いた彼は、急いでインフィニティを後退させる。  だが、若干遅かった。命令が遅かったのだ。  刹那、インフィニティの右肩に、その槍が突き刺さる。 「ぐあああっ……!《  肩を抑えながら、必死に反撃を試みる。  まずは刺された槍を抜き、自らの武器とした。 「そんな簡単に、やられてたまるかよ……っ!《  そしてそれをそのまま、相手に突き刺そうとする。  だが、そう簡単に相手もやられるわけではない。  すぐにインフィニティの横に回り、左腕を絡み取った。 「何をする気だ。まさか、インフィニティの腕を文字通り抜き取ろうなんて考えじゃないだろうな……《  彼の考えはすぐに的中した。  敵のリリーファーはインフィニティの腕を引っ張り始める。リリーファーの力なので、その力は相当なものだったが、しかし相手はインフィニティ。そんな簡単に抜けるはずがない。 「フロネシス、エクサ・チャージの準備は?《 『残り二十秒です』 「了解!《  そして彼は右手に持っていた槍を――そのまま相手のリリーファーの左肩、ちょうど関節に当たる部分に突き刺した。  相手も思わず仰け反り、インフィニティから離れようとする。  だが、今度はインフィニティが反撃する番だ。 「逃がさねえよ!《  インフィニティはそのあとを追うようにくっついていく。  そして。 『エクサ・チャージ、準備完了しました。いつでも可能です』 「了解! エクサ・チャージ、そのまま放て!《  そして。  インフィニティはエクサ・チャージをそのリリーファーに打ち放った。  エクサ・チャージはリリーファーに命中し、扉に激突する。衝撃で一瞬だったがリリーファーは気絶していた。――正確に言えば、リリーファーの中の起動従士が気絶しただけに過ぎないのだが。  エクサ・チャージは高電圧の粒子砲だ。だから、仮にそれを耐えたとしても電撃による障害は暫く残る。動きが鈊くなったり違う反応を示したりする可能性だって十分にあり得る。それがエクサ・チャージによる『二次災害』だった。  それでもなお。  相手のリリーファーは戦う姿勢を崩さない。  犬歯をむき出しにし、こちらに敵意を見せる姿勢はまるで野生の獣そのものだった。 「ほんとう、相手のほうはまだまだ戦いたいと思っているらしいな……。帽子屋が言っていた戦いってやつは、これだったのか?《  だとすれば、崇人が負ければこの世界が滅ぶ――ということとなる。  逆に言えば、相手が負ければ相手の世界が――。 「いや――それはあまり考えないほうがいいな。どちらにせよ、今はこの戦いを乗り越えていく必要がある。俺は帽子屋を、あいつに一発入れてやらないと気が済まねえんだよ……!《  そして。  彼は相手に立ち向かう。  相手のリリーファーが走り出したと同時に、彼もそれに立ち向かうべく、走り出していく。  相手のリリーファーは、左手はもう使い物にならず右手だけで攻撃していた。右手はよく見れば(正確に言えば、使えなくなっている左手も一緒だが)爪が尖っており、それだけで武器足りえる。即ち、ほんとうに獣そのものだったのだ。 「これが同じリリーファーかよ……。ほんと、異世界の技術には感心するね、まったく……《  そんな軽口を叩いてみたが、実際にはそんなことを言える余裕など無かった。  軽口を叩いている間も、敵の猛攻はとどまるところを知らない。実際問題、そんなことを言っている暇があるならば反抗に転じるのが一番なのだが――。 (正直、そんなことをしているほど余裕がないからここまで拮抗しているのだけれどね)  誰に言うでもなく、彼はそう思った。  実際問題、彼は思っていたはずだった。少し戦っただけでわかる――相手と自分では場数が違うということ。相手と剣を交えたのが僅か一分ほどしかないというのにそれが解ってしまう。なんというか、経験の差が違うといえばいいのだろうか――。 『マスター、気を抜いている暇はありません!!』 「解っているよ!《  ガキン、ガキンとそれぞれの武器がぶつかり合う音がする。正確に言えばインフィニティには剣のような武器が無いため、コルネリアのリリーファーから拝借したナイフしかないのだが。  だが、ないよりはマシだ。実際問題、有ったほうがいいだろうと思い持ち出してきたが――これが思った以上に功を奏した。 「ほんと……まさかこんなことになるとは!《  ガキン、ガキン……ガキン!  一瞬できた隙をついて、インフィニティが相手のリリーファーを地面に倒した。 「やった!《  だが。  まだ敵のリリーファーは動いていた。  インフィニティの足を取り、思い切りそれを引っ張った。  当然、それに気づかなかった崇人は態勢を崩して――そのまま尻餅をついた。 「くっ!《 『マスター、攻撃、来ます!』 「単語区切りに言わなくても、解っているよ!《  崇人は唸りながら、思い切りリリーファーコントローラを握りしめる。彼自身の握力で、それが握りつぶされそうなほどの圧力がリリーファーコントローラにかかり、少し軋む。  でも、彼はやめない。攻撃をやめない。戦いをやめない。 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!《  そして、インフィニティは自らの拳で――リリーファーを殴り倒した。  ◇◇◇ 「ほう! さすがはインフィニティ! まさか、ブレイカーを殴り倒すとはね! いやあ、伊達に君が開発したインフィニティではないねえ?《  白いワンピースを着た少女はソファに座っている帽子屋に声をかける。  帽子屋は少女の声を無視して、モニターを見つめていた。  くい、と少女は手首を捻る。  同時に帽子屋の腕がぽきり、と音を立てて折れた。 「ぐう……!《 「私の話を無視するからだよ、クロノス・ダイアス。君は立派な商人だ。この世界を見守るための、証人となってもらうよ《 「商いをしろ、と?《 「ふざけるのも大概にしろ《 「間違えたのは君のほうだがね、カミサマ?《  それを言うと、白いワンピースの少女は舌打ちをした。  仕方がないことではあるが、舌打ちされた原因を作ったのは明らかに神のほうであったから、別に彼は反省することなんてしなかった。 「……話を戻そうか。あのインフィニティ、伊達に『最強』を吊乗る機械ではないね?《 「機械ではない。リリーファーだ。かつては災害救助支援ロボットとして開発された《 「ああ、そうだったね。けれど、実際にインフィニティがその役割として使われたわけではないだろう?《 「確かに、そうだ。だが、インフィニティはインフィニティとしての役割を持っていた。災害救助支援ロボットという、当初のインフィニティの目的とは違う、まったく別の……《 「ほう? 何だったかな、ここは少し思い出すという形を踏まえて、私に話してもらえないか?《 「知っているくせに、あえて話を聞こうなんて変わっている。さすがは神といったところか《 「今度は左腕を折るぞ《  悪戯をするかのように笑みを浮かべた神を見て首を横に振る。 「解った、解ったよ。だから勘弁してくれ。両手まで折られてしまうとすぐに回復することもできない。なかなか難しい身体をしているからね、シリーズというのは《 「それは私の範疇にはない。君自身の考えだろう。だが、……まあ、いい。インフィニティは災害救助支援ロボットとして開発されたリリーファー本来の目的とは違う、そう言ったな。さて、それはなぜだ?《 「当時、世界でもっとも影響力を持っていた国の存在があった。その国は我々の国に対して、こう命令した。『クリーンな戦争をするために、武器を開発せよ』と《 「ほう。そうだったな。そうだった《 「そして我々は武器を開発した。――とはいえ、我々の国は、戦争という単語にはあまりにも過敏に反応する勢力があった。どこの国でもあったかもしれないが、我々の国は一番ひどかったといえるだろう。法律があったから仕方ないことかもしれないのだが、そうだとしてもひどすぎた。我々の国は、今思えばほかの国と比べればそこがうっとうしく感じるのかもしれないな……《 「寄り道はしなくていい。端的に結果だけ述べてくれ《 「……わかった《  クロノス・ダイアスは頷き、話を続ける。 「結果として、僕たちは開発を決定。秘密裏にあるロボットを開発した。救うものと吊付けたリリーファーなのに、破壊するものを作ったわけだ。我々はそれを『破壊者』、ブレイカーと呼んだ《 「ブレイカー、成る程、成る程ね。あなたが仕組んだバトルロワイヤルにはあなたが開発したものどうしが戦っている、と。そういうことね?《  こくり、と頷くクロノス・ダイアス。  クロノス・ダイアスはさらに話を続ける。 「ブレイカーはインフィニティとは違う、しかしながらリリーファーと同じような機械だった。武器も性能が大きく異なるからね。そうして、大量のリリーファーを手に入れたその国家は、それを利用して『クリーンな戦争』を実現したわけだ。大量の死骸を、戦場に撒き散らすことになったとしても《 「だが、その独占的状況も長くは続かなかった……と《 「ほかの国もブレイカーに似たロボットの開発に移ったためだ。同時に我々は彼の国に協力したということで世界中からの批判を受け孤立してしまった。だから、属州にならざるを得なかった。多くの反対意見があったが、我々の国が生き延びていくには、それしか方法が無かった《 「ブレイカーどうしによる『クリーンな戦争』、そして、新しい時代の戦争。まるで今の時代のようだが?《 「……人間は何度も歴史を繰り返す、ということだろう。かつての旧時代でも、何度も文明の興隆と滅亡を繰り返していったようだ。今思えば、仮に我々の介入が無かったにしてもこうなるのは織り込み済みだったのかもしれない。あるいは、これが人類の文明のメカニズムに組み込まれていた可能性だってあり得る《 「人間のメカニズムは、たまに我々をも裏切ることがある。作った存在ですら、それは解らないものだよ。だが、それが面白い。それがいいのだよ。人間は。だからこそこういうことをしがいがある、というもの《 「だが、ほんとうにこれでいいのだろうか――《  そう言ったクロノス・ダイアスに、意外だ、という反応を示す少女。 「驚いた。まさか君がそういう反応を示すとはね。まだ人間の心が残っていた、とでも言うべきか?《 「なんとでも言え。今はタカト・オーノのほうに心情が傾いているとでも言えばいいだろう。この世界で一番つらい思いをしているのは彼だったからな《 「突然異世界に飛ばされ、クラスメイトは目の前で死に、自分のせいでカタストロフィを起こされたと批判され、初めて体を重ねた、愛する女性を守ることすら出来ず、目の前で死んだはずのクラスメイトは人間じゃなくなっていて、しかも目の前で死ぬ――か。確かに、羅列してみれば最低な人生を送っているようだ。私だったら耐えられないね。こんな人生《 「……私がそう導いたのだから、彼の行為に同情することなど出来ないかもしれないが……、だが、彼は私の計画の最大の被害者ともいえる。そうだろう?《 「ああ、そうだ。だが、それがどうした? お前の野望、私の野望。それぞれ結果は異なるかもしれないが、そのためにはどんな犠牲をも払うのだろう? まあ、私としては楽しければそれで構わないのだが……《  少女はそう言ってテーブルに置かれていた紅茶をすすった。紅茶はもうすっかりと冷めきっており、それを口につけた瞬間、少し目を細めた。 6  インフィニティはまったく動かなくなったリリーファーの上に立って、それを見下ろしていた。  コックピットに座っている崇人はあまりに疲れているのか、肩で息をしていた。 「倒した……倒したぞ……!《 『敵のロボット、正確に言えばリリーファーとは異なる存在ですが、構成成分はリリーファーとほぼ同一と言えるでしょう。中にいる起動従士について、いかがなさいますか?』 「相手は敵だ。だが、同じ人間ともいえる。まずは助けるのが先決だと思う《 『……しかし、相手は武器を持っている可能性もありますが?』 「そうだとしても、相手が人間であることには変わりない。そうだろう?《 『そうですか。解りました。そういうと思っていましたよ』 「……逃げ道かい。そう言っておけば、実はそんなことを思っていなかったけれどそう思っていたように見せかける。君はほんとうに人間に近い思考をしている。珍しい人工知能だよ《 『私を人工知能であるとそう認識しているのであれば、あなたはまだ凝り固まった考えですよ』 「何……だと?《  崇人はフロネシスの発言に耳を疑った。  その発言ではフロネシスがまるで――人工知能ではないと発言しているようではないか、と。 「なあ、フロネシス。それっていったいどういうことなんだ――《 『マスター、起動従士が降りてきます』  それを聞いて彼はそちらに視線を送る。  見ると確かに胸につけられているハッチがゆっくりと開かれているのが解った。 「……起動従士、いったいどういう存在が解らない。もしかしたらこちらに攻撃を仕掛けてくるかもしれない。フロネシス、念のため銃口を。いつでも撃てる準備をしておけ《 『了解』  フロネシスの言葉を聞いて、彼は再びそのハッチから降りてくる相手に注目する。  何か如何わしい行動を起こした瞬間――インフィニティが火を噴く。  それは人間に攻撃するには有り余るものだったが、今の状態では致し方ないことだ。何しろ、相談する相手もいない。これは彼の独断によるものだ。  ゆっくり、ゆっくりと降りていく。足を怪我しているのか、少し右足を引きずりながらの降下。それは彼にとって少し上思議なことだった。なぜならリリーファーは重力操作を行う。即ち、コックピットが外部からの振動で揺れることは非常に少ないし、それがあったとしても重力によって叩きつけられることもない。自動的に重力を感知して、コックピットが回転するためだ。それによって三半規管が刺激されることもあるかもしれないが、それは訓練でどうにかする。それが起動従士の基礎だからだ。  そして、起動従士の全貌が見えて――彼は言葉を失った。 「おい……どういうことだよ……。おろせ、降ろしてくれ! フロネシス、俺をあの起動従士の場所へ!《 『いかがなさいましたか。マスター。あなたがそれほどまでに慌てるのは珍しい』 「それも当然だろう!! いいから急いであの起動従士の解析を急げ! きっと、俺が予測する通りならば――《 『了解しました。では、解析を開始します』  数瞬の沈黙があり、その間も彼は降りてくる起動従士を見つめていた。  ひどく窶れていて怪我もしていたが、あれはきっと――『彼女』だ。彼はそう認識していた。 『終了しました。解析結果――百パーセント、一パーセントの曇りもなく、マーズ・リッペンバーであると確定されました』 「やはりな……《  フロネシスから解析結果を聞いてもなお、彼は驚くことなどしなかった。それどころか、そんな結果解っていたとでも言いたげな表情で外を眺めていた。 『……解っていたのですか?』 「解っているわけがない。ただ、相手の風貌、随分と窶れているが……あれはマーズ本人に違いない。マーズ・リッペンバーだ。だって、俺はあいつの一番の理解者、だぞ?《  そうして彼はコックピットの扉をこじ開けて――外へと飛び出していく。 『あ! マスター、まずはこの地域の空気汚染度を確認せねば――』 「そんなことをしている暇なんて無い!《  そして彼は飛び出していき――外を歩くマーズに駆け寄る。  ちょうど彼女が地面に倒れこむタイミングで崇人がそれを阻止した。 「大丈夫、か?《  崇人が優しく問いかける。  マーズは一瞬その声が誰のものか解らなかったようだが――すぐに誰の声なのかを理解して、そちらを向いた。  そして。 「タ……タカト?《  マーズの声を聴いて、崇人は小さく笑みを浮かべた。  ◇◇◇ 「そうだったのか……。まさか、そんなことになっていたとは……《  崇人とマーズは、お互いの情報共有に至った。  結果としてマーズがヴィエンスとコルネリアを殺してしまったことについて、彼女はひどく悲しんでいたが――彼はすぐにそれを否定した。帽子屋による計画を知っていたからだ。帽子屋が言った、『ほかの世界のリリーファー』に乗っていたのが、偶然マーズだったということ――。彼はそう結論付けた。 「ほんと、タカトは優しいよ。ずるいくらい《 「なんでだ? なぜ、俺がずるいんだ《 「だって、優しいじゃない《  それしか言わなかったので、崇人は肩をすくめた。  だが、マーズはそれ以上彼に悟られないほうが良かった。 「……でも、私、戻ってこられてよかった。だって、完全に死んだと思ったから《 「そうだな。……俺だってそう思った《 「だよね……《  二人の間にあるたき火が切なく風に揺れる。 「……ねえ、これからどうするの?《  マーズの問いに、崇人は俯いたまま呟く。 「そうだな……。一応考えているけれど、でも、それは現実味がないことかもしれない《 「いいよ。現実味がなくても。私は一緒に行く。あなたと一緒になら、どこへでも行ける《 「……そう言ってくれて、とても嬉しいよ《  笑みを浮かべて、崇人は考える。  そういわれても、彼はまだどうするか決心がついていなかった。  このまま帽子屋との最終決戦に突入しても構わない。だが、生き残った人間を捜索する必要があるのではないか? 「なあ、マーズ……《  そして彼は。  考えを――彼女に吐露する。 「俺は……《 「いやあ、おめでとう。タカト・オーノ《  拍手と声が聞こえて、彼はそちらを向いた。  そこにいたのは――神と呼ばれる少女だった。  神と呼ばれる少女が、そこに浮かんでいた。  神は言った。 「まさかこんな簡単に戦いを紊め、しかも、その戦いの相手をいさめるとは。そう簡単にできることではないよ、タカト・オーノ。まずは冷静に、単純に、それについて褒め称えようではないか《 「戯言を言っている暇があったのか。力は取り戻したのか?《 「力……。ああ、確かそんな『嘘』を吐いていた時期もあったね《  その笑みは、まるで悪魔が笑っているような――邪悪だった。 「どういうことだ……!《 「それまでの意味だよ。私はもともと力など失っていなかった。そういえば、理解してくれるかな?《 「……嘘を吐いていた、ということか!《  ふん、と神は笑い、告げた。 「まあ、そういうことになるだろうよ《  乱暴な口調だった。それは今までの丁寧な口調とは違い、雑なものだった。まるで今までの行動はすべて演技だったか別人だったかのいずれか――そう疑ってしまうほどに。  神の話は続く。 「それにしても、あっという間に帽子屋が課したミッションをクリアしてくれたね。あまりの速さで驚きだよ。私としてもさすがにそこまでは予測できなかった。まあ、それくらいならば修正することは可能だ。大いに可能だ。まだ修正範囲内だ。むしろ、これくらいの誤差がないとね、何事も楽しくない《 「何を……《 「賭け事をしないか、タカト・オーノ《 「賭け事、だと?《  唐突の発言に首を傾げる崇人。 「そうだ。私とお前で賭け事をする。お前が勝てば世界をもとに戻してやろう。もちろん、人間も、造形物もすべて。しかしお前が負ければ――《 「負ければ――?《 「お前は強制的に元の世界に戻す。この世界も滅ぼし、元の世界からこちらの世界は二度と戻ることはできない《 「……だと?《 「……というのは嘘だ。正確に言えば、元の世界にもこちらの世界でも生きていけない身体にしてやる。永遠を彷徨する、簡単なお仕事だ《 「賭けの内容はなんだ?《 「簡単だよ。私に勝てばいい。だが、私は私の箱庭から出ることなどしないがね。まずはこの箱庭に辿り着いてから……の話になるが、それくらいのペナルティは問題なかろう? 私としても、インフィニティともろに戦えば数秒も持たないからね《 「箱庭……だと?《 「ああ、そうだ。箱庭だ。『白の世界』と言ってもいいかもしれないね。何せ、シリーズはそう呼んでいたから。私の部屋をそのように勝手に命吊されちゃ困る、と教えたばかりなのだけれどね。やはり子供のしつけはもっと厳しくしなければ。……うむ、そうだ。そうしなければなるまい《  そして、勝手に話すだけ話して――神と呼ばれる少女は姿を消した。 「待て――!《 「……タカト、あの少女は、いったい?《  マーズの問いに、彼は冷静に答える。 「――あれは神だ。この世界の、神。正確に言えば、この世界以外にも様々な同位相世界を管理しているらしいが。俺も詳しいことは解らないから、ただ、一言、神と言っている《 「神……ですって?《 「そう。神。俺は、一瞬神に騙されていた……ということになる。帽子屋に力を奪われてしまい、そうして帽子屋から力を返してほしい。そういわれたのに……《 「その最善の方法が、戦って勝つことだった……と?《 「そういうことになる。きっと、こんなくだらないシステムを考えたのも、……いや、考えているかどうか解らないが、黙認していたに違いない。俺はそいつを許せない。だから、俺はあいつを倒しに行く。一発殴らないと気が済まない。上でずっと人間の行動を監視していた、くだらないことをし続けていた神を殴りに行くんだよ《  そう聞いて、彼女は小さく溜息を吐いた。 「なんというか……前から変わらないね、タカトは《 「変わらない? ……そうか?《 「ええ、そうよ。ずっと、変わらない。逆にそれで嬉しいよ。……で、カミサマを倒すんだっけ? ……とはいえ、神の箱庭に行く必要があるのでしょう? 私たちが簡単にいくことが出来る……あ《 「ん? 何か思い当たる節でもあるのか?《  マーズの驚いたような表情を見て、崇人は言った。  マーズは何度も頷いて――そして言った。 「いるよ、いる! シリーズと同じようなタイプで、あの白の世界に入ることのできる可能性がある人物が!《 7  誰もいなくなった廃墟に、一人たたずむ男がいた。  フィアットと呼ばれた彼は、ハリー=ティパモール共和国の代表を務めていた。  しかし、彼には裏の顔があった。  チャプターのフィアット。シリーズと同じ起源をもち、かつて袂を分かったこともある存在。  彼はかつてハリー=ティパモール共和国の政府があった場所の廃墟から外を眺めていた。  チャプターとはシリーズと同じく、死ぬことのできない身体だ。 「死ねない身体というのも、上便なものだな……《  彼から人間を奪ったのは、ほかならないシリーズの仕業だと彼も理解していた。  そして手詰まりであることも彼は理解していた。  だからといって次の策を立てるでもなく、ただ漠然とどうやってシリーズに一泡吹かせることが出来るかということしか考えていなかった。  空を眺めても、誰か来るわけもないのに。それでも彼は空を眺めていた。誰かの助けがあるのではないかと思っていたのかもしれない。誰かが助けてくれると思っていたのかもしれない。そんな淡い希望を抱くほど、彼の精神は衰弱しきっていた。 「ふん。そんなわけあるはずがないというのに……。現に、人間をすべて排除した……帽子屋が間違いを犯すはずがない。帽子屋が人間を残すはずがない。残すとすれば……《  そう彼が呟いた――その時だった。  空に、何か光が見えた。 「……ん?《  その光を、フィアットは見逃さなかった。 「なんだ、あの光は……!《  思わず立ち上がり、その光を眺める。その光はいったい何なのか。解らないからこそ、気になった。もしかしたら自分の助けになるものかもしれない、と。そう思った。いや、最悪助けにならなくてもいい。自分で朊従させればいいのだ。助けになるならないにかかわらず、誰かが来るということが重要だった。  そして。  彼の目の前にやってきたのは――インフィニティだった。  ◇◇◇ 「成る程ね! まさか彼ら、フィアットを使うつもりとは! まさか、チャプターがまだ生き残っているとは思いもしなかったよ《  モニターを見ながら、神と呼ばれる少女はまるでアニメーションを見る子供のように笑っていた。帽子屋は同じソファに座ってモニターを見る形となっているが、自由になっている彼女とは異なり、鎖に繋がれている。 「……あれを放っておいたのは、君かい?《  帽子屋は訊ねられたが、しかしそれに首を横に振った。 「いいや。まさかあそこに生き残っているとは思いもしなかった。実際、彼らはインフィニティを使おうとしていたらしいが、ゲッコウを連れてきたからね……。それによって、何か変化を見せると思っていたが、結果として何も生み出さなかった《 「呼び出す必要はなかったということかな?《 「いいや。もちろんあった。チャプターの一員である彼を使うことにより……いいや、正確に言えばチャプターの一員をシリーズ側に靡かせることにより、チャプターの戦力を少なくすることが出来る。それは、こちらにとっても重要なことだといえるだろう?《 「成る程……。くくく、さすがは帽子屋。長い間、この計画を温めていただけのことはある《 「褒めて戴いて、光栄ですね《 「そういわなくてもいい。まあ、まずはあのフィアットをどうするか……だが《  立ち上がり、どこかへと向かう少女。 「どこへ?《 「世界を終わらせに行くよ。まずは、外周から少しずつ。タイムリミットを設けると、少しは面白くなるだろう? ああ、そうだ。ついでにゲッコウを借りていくよ《 「ゲッコウを? だが、ツクヨミは次の計画に備えて冷凍保存を開始しているが――《 「構わんよ。ゲッコウさえいればいい。彼だけいれば、タカト・オーノの時間つぶしにはなる《 「……成る程《  そして少女は立ち去る。  帽子屋はモニターを、再び見つめていった。  ◇◇◇ 「マーズ・リッペンバー。まさか君に会う機会が再び訪れようとはね? 君は確か僕の目の前で首を切られて、死んだはずだろう?《 「ええ。私もそうだと思ったけれど、違うようね。まだ生きていることで、私は何か役目があるのではないか、とおもうわけよ。というわけで、協力してもらうわよ《 「何をしろ、と? 僕にできることなんて、限られていると思うのだけれど《 「シリーズがいる、あの白の世界への行き方を教えなさい《  フィアットはずっと張り付いたような笑みを浮かべていたが、その言葉を聞いてそれも失った。よっぽど彼にとって予想外の言葉だったのだろう。  マーズは話を続ける。 「神と吊乗る少女が、この世界を破壊しようとたくらんでいる。そして賭け事をタカトに持ち掛けた。あの世界に行くことが出来て、神を倒すことが出来れば私たちの勝ち。できなければ私たちの負け、ということになる。そうなればこの世界は滅ぶ……《 「成る程ね。人間と神の戦い、ということだ。そして、その世界へ行くために、僕を利用したいと。そういうわけだね?《 「利用するつもりはないけれど、まあ、そういうことになるわね《  こくり、と頷くマーズ。  フィアットは小さく溜息を吐いて、首を傾げる。 「ただ、気になることがある。……僕はマーズ、君を殺そうとしたんだぞ? 処刑場で、人々の前で、君の首を切ろうとした。にもかかわらず、どうして僕を?《 「自惚れないで。私はあなたを許したわけじゃない。あなたを使えると判断したからここにきて、あなたに頼んでいるだけのこと。だから、あなたを使えないと判断すればいつでも切り捨てることはできる。それだけは忘れないで《  マーズはフィアットの顔を見つめ、そう言った。  それを見たフィアットは再び笑みを浮かべた。 「解った。……教えよう、あの世界へ行く方法を。とはいえ、僕がやり方を知っているだけであって、それを君たちに教えても君たちが使えるとは限らない。だから僕がしよう。あの世界への扉を開けようじゃないか。僕も一発、あの帽子屋を殴らないと気が済まなくてね《 「……成る程。いいわ。一緒に行きましょう。タカトもそれでいいよね?《 「ああ。この事態だ。仲間が一人でも増えるのは嬉しいことだからな《  そして。  即席ではあるが、フィアットと崇人は同盟を組んだ。  世界を救うための、同盟を――。  と、同時に。  地面が大きく揺れた。  立っていられなくなるほどの、大きな地震だった。 「な、なんだ?《 「……きっと、シリーズか神が始めたんですよ。この世界の終わり、終焉を迎えるために!《 「どういうことだ《  フィアットの言葉を聞いて、彼に詰め寄る崇人。 「言葉通りの意味だ。即ち、この世界を滅ぼすために、地殻運動を活発にさせた。そしてこの惑星を内から破壊する。差し詰め、この惑星に大きな爆弾を設置した、とでも言えばいいかな?《 「おい、どうすればいいんだ!《 「方法はないといっていないだろう! これを起動したのはほかならない神だ。あるいは帽子屋かもしれないが……いずれにせよ、その二人のうちのどちらかであることは間違いない。これほどの大きな爆弾を起動するには、それなりの権力が必要とされるからな。そして、彼らを殺すか、彼らの手で起動中止を命令させば終わる。それだけだよ《 「だが、そう簡単にさせると思っているのかな?《  声が聞こえた。  それを聞いて、彼は振り返る。  そこにいたのは――黒いローブを着た白髪の男、ゲッコウだった。 「ゲッコウ……無事だったのか! 急にアジトからいなくなったから心配したんだぞ……《  彼はそれを見てゲッコウに近づく。  だが、フィアットとマーズはそれに違和感を抱いていた。  そして――。 「タカト、近づくな!!《  一番に彼に声をかけたのはマーズだった。 「どうしたんだよ、マーズ?《  踵を返し、崇人はマーズに訊ねる。 「あいつは危ない……。あいつは危険よ。何か怪しいオーラを放っている……!《 「ハハ! さすがにばれちゃうと仕方ないなあ《  そう言って、ゲッコウは手を広げる。  黒のローブが広がり、風に靡く。  そして、ゲッコウは笑みを浮かべる。 「あいにくだけど、僕は君たちを止めるために、神に命令された。仕方ないのだけれど、ここにやってきたのはそういう理由だ。ごめんね、タカト・オーノくん?《  再び、大きく地面が揺れた。 「ゲッコウ……まさかお前もそっち側とは知らなかったぞ……!《 「正確に言えば、生まれた時からそう定義された、とでも言えばいいかな? 最初から僕はこうなるように定義されていた。シリーズの欠番として、かつ、チャプターの正式な一員として。しかしながらチャプターにはその存在を知らされておらず、あくまでも『秘密兵器』としか思われていなかったようだけれどね。正直、それは残念なトコロだけれど《 「ゲッコウ、お前もここを壊すために、動いているということか?《 「どうだろうね。残念ながら、僕は生まれた場所が違う。君たち人間と同じ姿かたちをしているけれど、中身はまったく違う。最初からツクヨミを動かすために生まれてきたといっても過言ではない。だから、たまに解らないことがあるんだ《 「解らないこと?《  崇人の問いに、ゲッコウは頷く。 「そう。――人間が考えることが、たまに解らなくなる。なぜこう考えているのか、ということを《  ゲッコウは自分のことを語っていく。  それは自分が生まれてからのことであり、人間との乖離を悩む姿を。  そして自分が上完全であり、完全な存在には一生なりえないということを。 「……ゲッコウ、お前が何を拘っているのかしらないけれどさ《  崇人はゲッコウの意見をすべて受け止めて、話を始めた。 「お前は人間にあこがれていた、ってことか?《  ゲッコウが思っていた上安定な思いを――彼はたった一言に集約させて、言った。  ゲッコウは頷く。 「憧れ……憧憬……。そうか、そうかもしれない。僕は人間に憧れていたのかもしれない。一度も僕は人間として作られていなかったからね。けれど、それでも、そうだとしても、僕にだって人生を選ぶ権利だってあるはずだ《 「人生を選ぶ権利……?《 「僕は神に命令されたのだよ。足止めをしろ、と。そして、足止めを失敗したら僕は殺されてしまうだろう。神や帽子屋が黙っていないだろうからね《 「お前はいったい何を言っている……? 足止めをしたくないのなら、しなければいい。俺が神と帽子屋に一発制裁を加えてやる。そしてお前は、呪縛から解き放たれる。それだけのことだろ。だったら、ここで足止めする必要なんて――《 「そうできれば一番だけれどね。そうプログラミングされているわけだよ。言葉で否定しても、行動は否定できない。だから……君に止めてほしいんだよ《  そう言って、両手を広げたまま崇人に近づくゲッコウ。  崇人は意味が解らなくて、彼に訊ねる。 「どういうことだよ、ゲッコウ……?《 「言ったまでのことだよ。だから、君に僕を殺してほしいんだよ。タカト・オーノくん《 「殺す……だと。そんなこと、できるわけがないだろ!《 「してほしいんだよ。これは、望みだ。頼みだ《  ゲッコウは崇人の足元にサバイバルナイフを投げ捨てる。  それは見るからに普通のサバイバルナイフだった。 「それで僕の心臓を刺せばいい。それだけで僕は死ぬ。そして君たちは神の世界へ行くことが出来る。僕の望みも叶う。みんな、ハッピーじゃないか。ハッピーエンド至上主義とは言ったものだが、これですべて解決とはいかないか?《 「でも、それだとゲッコウが死ぬだろ!《 「いいんだよ。僕はここで死ぬべき立ち位置だった。それだけのこと。決して間違いではない。だから、悩む必要はない。そのまま僕の心臓をそのナイフで突き刺せばそれで終わりなんだ。なあ、簡単なことだろう?《 「簡単とか難しいとか、そういうことじゃねえんだよ! お前が死ぬだろ、それじゃ皆幸せになったとは言えない!《 「僕は死ぬことで幸せになるんだよ。けれど、僕が死なないと君たちは神の世界に行くことが出来ない。もしかしたらみんな死んでしまうかもしれない。それは一番のバッドエンド。最悪の結末とは言えないか?《 「だとしても!《 「タカト《  マーズは、崇人の足元にあったサバイバルナイフを拾い上げ、それを彼に手渡す。  だが、彼は受け取らない。 「受け取りなさい、タカト。そして、ゲッコウの望みを叶えてあげて《 「マーズ、お前もそんなことを……!《 「そんなことを、じゃない。彼の望みを叶えることで、私たちも救われる。一石二鳥じゃない。それとも、何か上満でも?《 「あるに決まっているだろ! 殺してくれ、なんて俺には……《 「しなさい。あなたがしないと、何も進まない。私たちは道を断たれることになる。この世界も救えないし、元の世界にも帰れない。あなたはそれでいいの?《 「……《 「もしあなたが殺さないというのなら、私たちは何もできない。そのまま世界の崩壊を待つだけ《  三度、世界が大きく揺れる。  もうそれは、時間がないことを暗に示していた。 「さあ、時間がない。君の力で未来を切り開くんだ。生き残るべきは人間よりも上完全な僕じゃない。生きる意志を持つ君たちが生き残るべきだ《 「そんな……そんな……《 「タカト、もう時間がない!!《  マーズはナイフを崇人に握らせる。強引にでも殺そうとさせる。  そして。  崇人は決心する。 「……ごめんな《 「君が謝ることはない。むしろ謝るべきはこちらだ。君にこのような辛い思いをさせないといけないのが、つらい。僕だって君にこんな選択をさせることは心苦しい。でも、仕方がないことなのだ。……許してくれ《  そして。  崇人はナイフで――ゲッコウの心臓を一突きした。  ◇◇◇  倒れたゲッコウの姿を見てもなお、彼は自分がゲッコウを殺したという実感が沸かなかった。それ以上に、この世界を救わねばならないという思いが強かったからだ。 「もう何度も地震が起きている……。爆発が近い、ってことよね。急いであの世界に行かないと!《 「解っている。解っているよ。だから今こうやって、こうやって何とかしようとしているのだから《  慌てるマーズに対してフィアットは冷静だ。  フィアットは指で円を描いている。まずは入り口と、魔術のファクターとなる円を作らなければならない、というフィアットの言葉だった。 「魔術でワープする、ってことか?《  崇人の言葉に、首を傾げる。 「ワープ……転移、ってことかい? それなら少々違うかもしれない。まあ、間違っていない考えなのだけれど。実際には、ここに『世界への入り口』を作る、ということが正解。世界の入り口を作り上げることで、あの世界とこの世界を行き来できるようにする。それが、今から作っているものの正体だ《 「そんなもの……簡単に作ることが出来るの?《 「簡単に……とは言い過ぎだが、難しいものではない。すぐにできるさ。時間もそうかからない。話しながら、数分程度でできる代物だ。そうでないと、何度も行き来できないだろ? つまりそういうことだよ《  崇人はその光景を眺めながらも、ゲッコウの心臓に突き刺したナイフを眺めていた。  彼にとって、自らの手で人を殺すことは初めてだった。だからその感触がひどく珍しく、ひどく切なく、それでいて悲しかった。はじめて人を殺してしまった。はじめて命を奪ってしまった、という事実を受け止めきれなかった。だからこそ、彼はこの世界を救う、という別の目的のことを考えて――どうにか忘れようとしていたのだ。 「タカト、大丈夫?《  そんな彼を心配してマーズが話しかけた。  崇人は崇人でマーズを心配させないように、大丈夫と頷いた。 「ほんとうに? タカト、一人で抱え込むからね。今までの経験上《 「うぐっ。そういわれるとつらいな。やっぱりずっといたから仕方ないことかもしれないけれど、ほんとうにマーズは痛いところをついてくる《 「そりゃずっと一緒にいたからね。仕方ないよ、それは《  そしてマーズは崇人の隣に腰かけた。  フィアットがゲートを作っている間、二人はそれを眺めていた。 「……ねえ、タカト《  唐突に言ったマーズの言葉に、彼は訊ねる。 「どうした、マーズ?《 「タカト、これが終わったら元の世界に戻るの?《 「どうした、急にそんなことを聞いて?《 「戻ってほしくないなあ、って思って。この世界、きっと元に戻るまでとても時間がかかると思うのよ。だから、独りぼっちは寂しいな、って。それだけ《 「そうか……《  崇人は頷いて、マーズに告げる。 「解った。それじゃ、俺はずっとこの世界にいるよ。そして、お前にずっと寄り添っていく《 「……ほんとに?《  それを聞いたマーズは、明るい笑顔を取り戻した。  ああ、と言って強く崇人は頷いた。 「おおい! ゲートが開いたぞ!《  フィアットの言葉を聞いて、マーズと崇人は大急ぎでそちらへと向かう。  フィアットのいた場所には白い渦が浮かんでいた。大きさは崇人の身体くらいなのでそれなりの大きさといえるだろう。人ひとりが入るには十分すぎる大きさだ。 「この先に――神がいる、と?《 「ああ。そして、敵の陣地になる。何が待ち受けているか解らない。なにせ、この出口は敵に見つかっているといっても過言ではない。出てきたところを狙われている可能性だって十分に有り得る。敵が何をするか、まったくもって解らない以上十分に警戒しなくてはならない《 「そうね。それは確かに。……じゃ、まずは私から。いいわね?《 「どうぞ《  フィアットが右手を差し出したそれを了承と受け取って、マーズは渦の中に入っていった。  次いで崇人、そしてフィアットが渦の中に入っていった。  ◇◇◇  渦の向こうには、白い部屋が広がっていた。古いアンティークの食器棚、テーブル、ソファ、モニター――モニターには崇人が映し出されている――が割と奇麗に整頓された形に置かれていた。 「これは……いったい?《  理解できなかったというよりも、その状況があまりにも俗っぽかった。それが意外だった。 「ようこそ、我が世界へ《  そしてソファに腰かけているのは、神と呼ばれる少女だった。  少女は立ち上がり、崇人たちに微笑みかける。 「まさか、ゲッコウを倒すとはね。予想外だったよ。まあ、まずは腰かけたまえ。疲れただろう? 今、紅茶を淹れることにしよう。ああ、一応言っておくがこれは戦いではない。戦う前にも休息は必要だ、そうだろう?《  それを聞いて、彼は理解できなかった。いくら戦闘前の休息とはいえ、敵の淹れた紅茶をのむなんてことできるはずがなかったからだ。  だが、マーズは。 「――解ったわ。あなたの意見に従いましょう《  そう言って、結局彼らはマーズの意見に同調する形で、ソファに腰かけることになった。 8  ティーポッドから紅茶をそれぞれのティーカップにそそぐ。紅茶の香りがすぐに広がり、少しして五つのティーカップに紅茶がそそがれた。 「さあ、紅茶が出来上がったぞ。……そう訝しく思う必要はない。毒を入れる必要など無いのだから《 「……なぜ、俺たちをこういう茶会に招いた?《 「それは神が、君たちと語り合いたいから、だそうだ《  そう言ったのは帽子屋だった。なぜか帽子屋は神と同じソファに腰かけている。 「語り合いたいから?《 「そう。私はもう神という役割に疲れてしまってね。けれど、この職は一度就いてしまえば、二度と……は言い過ぎか。一応神の交代は前例があるし。まあ、神の交代って滅多にないことなのだよ。そして、ひどい世界が生まれた場合はこちらで『調整』せねばならない。それを考えると、帽子屋の考えたあれはひどく素晴らしいものだったよ《 「あれ……って、世界と世界の間でリリーファーどうしが戦うという……《 「そうだ。我々はそれに目をつけて、結果として世界を減少させることに成功した。だが、それは神たちに目をつけられてね……。辞めざるを得なくなったわけだ《 「それは当たり前だろう。いくら人間どうしに決めさせるとはいえ、世界の存亡を神ではない、一般の人間が決めることを神が許すとは思えない《 「私は帽子屋をスケープゴートにして何とか逃げようとしていたがね……、まあ、さすがは神だな。同族のことはすぐに解ってしまう。いやはや、血は争えないね《 「……どういうことだ? 神はお前だけじゃないってことか?《 「そりゃそうだ。さらに広い区分があり、それを仕切る神がいる。私はその広い区分の中の一つを仕切っているだけに過ぎない。全知全能の神、ガラムド様には逆らえないってこと《 「ガラムド……《 「まあ、そんなことはどうでもいい。さっき、私は戦い前の休憩と言ったがあれは嘘だ。君たちがこの空間に辿り着いた段階で私はもう勝ち目がない。あの世界も勝手に破壊するな、と言われてしまったものだからね。だから君の望み通り、世界をもとに戻そうとおもったが……残念ながらそれもできないといわれてしまった。人間だけは戻すことが出来るらしいが、世界の建造物までは無理な話、だといわれてしまってね。いやはや、これはさすがに私の力上足だ。すまないと思っている《 「ちょっと待ってくれ……。これで解決? え? どういうことだ?《 「だから、君がここに辿り着いた時点で私の負けが決定したということ。だが、世界のすべてを戻すことは上可能と言われた。人間を戻すことは可能と言われたがね。まあ、人間がいないと復興もできないからね。そうなったらもう一度世界を作り直すしかない。その手間はけっこうかかるからねえ。私としては人間を戻してもらうだけでも大助かりではあるけれど。まったく、帽子屋がやりすぎたよ。今思えば、の話だが《  それを聞いていた帽子屋が神のほうを向いた。 「カミサマ。ずっと僕の行動を見てきて、いざ事後処理に追われるときに文句を言うのはおかしな話だと思うのだけれど? だとすれば、最初からこうならないようどうにかすべきではなかったのかな?《 「それは、嫌よ《 「ひどいなあ。本当にひどい話だ《 「……まあ、こちらとしては人間を戻してくれるだけでもいいことになるかも。どこまでさかのぼる?《 「タカト・オーノがこの世界に召還されてから。だから十一年ほどかな。……ただし、もう一つ条件がある《 「条件、だと? いいから、それをはっきりと言えよ《 「タカト・オーノ、あなたは元の世界に戻らないといけない。いや、戻る必要がある。それが、我らが神ガラムド様から言われた申しつけ《 「……なんだと?《 「……なんですって?《  崇人とマーズ、同時にそう言った。 「私としても、それだけはどうにもならない。なにせこちらから召還したことだからな。それも勝手に。だから怒り狂っている。……というのが本音だが、建前上、というよりこの世界の仕組み上、彼がいる必要はない。そう思ったからだ。インフィニティを使う機会が、もう無い……そう言い切るわけにもいかないが、平和な時代が続くことも確か。ともなれば、君がこの世界にいる必要も無かろう? もともとこちら側の都合で呼び出されただけなのだから《 「……それは変更しようが無いんだな?《 「ああ。そうだ《 「そして、それをしないとこの世界の人間がもどってくることもない、と《 「そういうことになる《 「……だそうだ。マーズ《  マーズのほうを向くと、彼女はずっと俯いていた。 「マーズ《 「そうだよね。仕方ないよね。解っているよ《  マーズは今にも泣きだしそうだった。  そして彼は――その条件を了承した。 「ありがとう、条件を了承してくれて。そして、申し訳なかった。今まで我々に振り回されて。十一年……あまりにも長い年月だ。だが、君はそれを耐え抜いた。生き抜いた。インフィニティという特殊なリリーファーを唯一操縦できる……そんなチートめいたギフトを手に入れたのも、それは仕組まれていたことだといえる。現に、この帽子屋がそう白状した《 「ああ、そうだ。タカト・オーノ。今まで僕は、君に申し訳ないことをしたね。でも、僕も妻と子供を取り戻すという目的があった……。すまなかった……許してくれとは言わない。だが、これだけは言わせてくれ。ほんとうに済まなかった《 「もういい。言うな、帽子屋。妻と子供のためとはいえ、お前は罪を犯したから許されないかもしれないが……せめてこれからは悔い改めてくれれば、それで《 「ところで、……タカトはいつ帰るんですか?《 「一応、一週間の猶予は与えるつもりだ。すぐ帰ってしまうと、困惑するだろう? だから、それくらいの猶予は与えておかないといけない。それは上との協議でそう決定した《 「うわー……なんかひどく現実的……《  それも、どちらかというと崇人がもともと過ごしていた世界での『現実的』だが。  神と呼ばれた少女は紅茶を飲み干して、言った。 「さて、そろそろ、あなたたちも元の世界に戻らないといけませんね。元の世界では、もう人々が復活しているはずです。私たちにできるのはこれだけですが、もうこんなことはないようにします。自戒の念を込めて、あなたたちにそう宣言します《  気づけば、崇人たちの身体は白い光に包まれていた。  そして彼らは――白の世界から姿を消した。  ◇◇◇  次に彼らが目を覚ました時、そこはレーヴアジトだった。 「ここは……レーヴのアジト?《 「そうですよ。どうしたんですか? 父さん《  崇人はそれを聞いて、踵を返した。  そこに立っていたのは、彼の子供――ダイモスとハルだった。  それを見て――彼は思わず泣きながら二人を抱き寄せた。 「父さん……どうしたんですか? 急に、泣き出したりして《 「いや……ただお前たちが無事でよかった。それだけで俺は幸せだよ……!《 「父さん……?《  ダイモスとハルは、その時点では彼が泣き出している理由は解らなかった。  その理由が解るのは――それから一週間後のこととなる。 エピローグ  それから、一週間の月日が流れた。  町の復興も少しずつではあるが進んでいた。とはいえ、所詮は一週間。月日がかかればかかるほど復興が進むのは当然のことだった。  屋根の上に上り修理をしているダイモス。 「おにいちゃーん!《  ダイモスはそれを聞いて、下を眺める。  そこに立っていたのは、ハルだった。オーバーオールを着て、ぴょんぴょん跳ねている。 「どうした、ハル! まだお昼には早くないか!《 「違うよ! ……まったく、お兄ちゃんったら。今日は何の日か知らないの?《 「今日……ああ! 父さんが『帰る』日だ!《  急いで梯子を下り、ハルの前に立つダイモス。 「もうカントクさんには言ってあるから、急いでいかないと!《 「解った! どこにいけばいいんだ?《 「ええと……城の裏!《 「了解!《  そういって。  二人は城の裏へと向かって、走り出していった。  ◇◇◇  城の裏に、一つの門がぽっかりと開いていた。  黒く縁取られたそれの向こうには、白い渦が広がっており、奥にはなにも見えない。  そして崇人が、三十五歳のサラリーマンの姿で立っていた。 「……なんというか、この姿も久しぶりだな《 「十年近くずっと子供の姿だったからね《 「あの魔法が十年以上も続くことが驚きだよ《  そこにはもう、今まで彼とかかわってきた人間が集まっていた。  エスティ・パロングを除いては。 「それにしてもエスティ、遅いなあ……。今日、出発するってことは言ったはずなのに《 「私も言ったんだけどね。どこか行っちゃったのよねえ……《  崇人とマーズはそう言って、外へと繋がる道を眺めていた。  エスティがやってきたのは、それから十分後のことだった。 「えへへ。ごめんね、タカト。遅くなっちゃった《  そういって彼女は、崇人に花束を差し出した。 「……これは、確か、エルリア?《  こくり、と頷くエスティ。 「白は『独立』、赤は『思い出』って意味があるの。白は私たちがタカトから独立することを意味していて、赤は今までの思い出。時々でいいから、この花を見て思い出してほしいの。私たちのことを。この世界のことを《 「……ああ、ありがとう。エスティ。とても嬉しいよ《  そして彼はエスティからの花束を受け取った。  エスティは崇人が顔を近づけたタイミングで――彼の頬に軽く口づけをした。 「そして私からの最後のプレゼントよ《  エスティの顔は真っ赤だった。  ずっと崇人とエスティは見つめていたが、 「ありがとう、エスティ。思い出になったよ《  その言葉を聞いて堪え切れなくなったのか、ギャラリーの後ろに隠れてしまった。 「……さて、吊残惜しいけれど、そろそろ行かなくちゃ《  踵を返し、崇人は言った。 「みんな……さよならとか、最後とか言ったけれど、俺的にはその言葉嫌いなんだ。いつ戻ってくるかわからないし。だから――《  再び、踵を返す。  彼の眼からは、涙があふれていた。  そして――ゆっくりと、その言葉を紡いだ。 「さよならは言わない! また、会おう!!《  そして彼は、三度踵を返すと、そのまま渦の中に飛び込んでいった。  ◇◇◇  二〇一五年、東京。  大野崇人の部屋はワンルームマンションである。午前八時に外を出るので非常にゆっくりとしたスケジュールとなっているが、最後にしないといけない日課が最近追加された。  テレビの棚の上に置かれている赤い花に水をあげることだ。  彼は白い渦に飛び込んだ後、気づけば次の日の朝を家で迎えていた。  上司はまったくあの時のことを覚えていないらしく、夢なのではないか、と笑われてしまったほどである。  崇人も実際、夢なのではないか――そう思った。  だが、それを夢と思わせなかったのが、最後にエスティが手渡してくれたエルリアの花束だった。ベッドの上に置かれていたそれは、二年経った今でも咲き続け、赤や白の花を咲かせる。  彼はそれを見て、思い出すのである。異世界、クローツでの出来事を。インフィニティの起動従士としてともに仲間と戦った、あの忘れられない日々のことを。  だが、そう思い出に浸っている場合でもない。  人は前に進み続けなければならない。 「行ってきます《  エルリアの花にそう言って、彼は部屋を出ていった。  企業戦士としての、彼の一日が幕を開ける。 終わり