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プロローグ

プロローグ


 目を覚ました。時刻は午前六時過ぎのことだった。研究室に置かれているソファはすっかり仮眠をむさぼるためのものと化していた。ソファにはテーブルが備え付けてあり、そこには朝ご飯のパンと薬が置かれていた。研究の徒がこういう薬に頼るのはどうかと思うが、しかし飲まなければ不安が襲いかかってくる。僕は、研究経過が良好とは言えなかった。数日ほど端から見たら事細かな話題で詰まっていて、それをどうにかしなくてはならないと考えた結果、心療内科のお世話になっていた、ということだ。
 しかし十分に睡眠がとれなくては、データの回収が手間取ってしまう。
 データは、僕の脳波だ。人間の脳波であれば誰だって良いので別に僕である必要は無い。しかしながら、他にテスターが居ないのだから僕がそれをやらざるを得ないというのは、ひどく簡単な事実だと思う。
 僕がソファを起き上がると同時にこんこんとノックが聞こえてきた。
 ノックを聞いて、僕はどうぞ、と答える。それにしてもこんなあさっぱらにいったい誰がやってきたというのだろうか。しかもこんな大学に。
 入ってきたのは黒いコートを羽織った男だった。男は顎髭を蓄えており、そちらをじろりと見つめている。
「何者ですか、あなたは。こんな朝っぱらからやってくるなんてまともな人間とは思えませんけれど」
「警察のものです。あなたたち科学者にとってみれば嫌悪される立場にある人間ですよ」
 警察手帳を見せつけながら、男は言った。
「で、その警察が何のご用ですか」
「貴方達チームが開発した、ロボットがあるでしょう」
「スタンダロン、のことですか」珈琲を入れながら僕は言う。「すべてを一台で実現出来る独立思考型ロボット。まだ台数は出回っていないし、研究用として置かれているのが殆どだったかと記憶していますが」
「そうです。そのスタンダロンについて訊ねに参りました。スタンダロンの開発第一人者である、ヒイロ=トモエ博士に」
「妙にへりくだっていますね、国家権力の犬のくせには」
「国家権力に逆らえないという意味ではお互い様でしょう」
「珈琲飲める口ですか」
「頂きましょう。座っても?」男はソファを差した。
「どうぞ」
 ありがとうございます、と彼は言った。
「それで、その警察がどうして僕なんかの元に?」
 僕は向かいのソファに腰掛ける。さっきまで眠っていたのでまだぬくもりが残っている。
 毛布を適当に片付けつつ、話を聞くことにした。
 警察はガラス張りのテーブルに一枚の写真を取り出した。
「この人物に見覚えはありませんか」
「人物に? 誰ですか?」
 写真を受け取り、まじまじと眺める。
 それは若い女性だった。茶髪で、赤い眼鏡をかけている。顔立ちは整っているほう。
 しかし年齢は僕よりも十は下だろう。大方この大学の学生というか。
「見覚えありませんね」
 僕は写真を警察に返した。
 そうですか、と言って警察はその写真をスーツの内ポケットに仕舞う。
 僕はずっと警察を見つめていたが、警察は次に封筒を差し出してきた。
「これは?」
「中を見れば、分かる話です」
 受け取り、中を見る。
 それは、情報カードだった。
 わざわざ情報を記録することの出来るカードリッジを持ってくるとは、我が国の警察は進んでいるのか遅れているのか分からない。
 そんなことを思いながら、僕は立ち上がる。
「ちょっと待って貰えますか」そう言い残し、倉庫の鍵を指紋認証で開けた。
 僕の指紋しか通用しないその扉を開け、中に入る。そして奥に詰め込まれているカードリーダーを取り出すと、また倉庫の扉を開けて外に出た。
「すいませんね、わざわざ」
 警察は僕に言う。労働に対する価値だと思っているのか、その心にもこもっていない礼は、と思いながらも一応は恭しく笑みを浮かべて頭を垂れておかねばならないのがこの国の人間の最たる例だろう。触れぬ神にはなんとやら、とはこのことだ。
 警察の話は続く。
「ところで、あなたはスタンダロンの開発第一人者ですとか。色々と話を聞かせて頂けませんか?」
「何故ですか。時間を取る予定でしたら、アポを取ってからでも宜しかったのでは。わざわざ警察の方がアポも取らずに話を聞きに来るとは。些か信じがたい事態ではありますね」
「そうですか」
 小さく溜息を吐いた後、警察の男は話を続けた。
 ただし、少しだけトーンを下げた状態で。
「では、これからの話は念のため『情報セキュリティレベル3』でお話願えますかな?」
 それを聞いて、僕は唾を飲み込んだ。
「それは、いったい。どういう意味の言葉だ」
「我が国随一の研究者であるあなたが、『情報セキュリティレベル』のことを知らないとは言わせませんよ。レベル0が普通の会話、レベル1は社内など広いコミュニティ内での会話、レベル2は部内などの若干狭まったコミュニティ内での会話、そして」
「もういい。話すな、皆まで言うな。レベル3は、一般市民での各個人間の会話、だろう。つまり、僕にそういう空間を作れと、言いたいんだな」
「お心遣い、感謝します」
「何が感謝だ。突然やってきてその発言とは。どういう内容かは分からないが、それで僕にとって必要でない情報であったら、僕は警察を訴えるぞ」
 立ち上がり、壁につけられたボタンを押す。
 すると窓はシャッターのように閉じられる。それは玄関やインターフォンも同様だった。
 こちらから解除しない限り、この空間は密室と化した。
 それが情報セキュリティレベル3の状態。
 それを構成しているのは、僕と、あの警察の大男だ。
 僕はソファに腰掛ける。すっかり冷めてしまった珈琲を飲みながら、僕は話を聞いた。
「ところで、何をしに来たのか、そろそろ話して頂けないでしょうか」
「スタンダロンとは、凄い発明ですなあ。何でも、完全に自立したロボットだとか」
 こちらの話は無視、か。
 つまり主導を握られたくない、と言いたいのだろう。
 僕はその言葉に頷き、
「ええ。今までのロボットは、人間に捜査された、つまりノット・スタンドアローン型でした。その制約を完全に断ち切り、自らが考え、自らが行動するロボットを作り上げる。それが僕の夢でした」
「そしてこの大学の研究室でひたすら籠もって、作り上げたのがスタンダロンである、と」
「ええ、今はメンテナンスモードで眠っているはずですが」
「ほんとうに?」
「え?」
「いや、」警察は話を戻す。「実際はそれを話したいのですが、それを話すためにはある程度のスタンス、つまりは段取りを踏まなくてはならないのです。おわかりいただけますかな」
「まあ、お役所仕事みたいなものでしょう。僕だって長年この都市で過ごしていれば、圧倒的に管理されている社会であるということは分かりますよ、窮屈なくらいにはね」
「はは。それはどうも」
 褒めているつもりではなかったのだが。彼はさらに話を続ける。
「いずれにせよ、この窮屈な空間を作り上げたのは人間ですよ。人間が自由に過ごしたいがために作り上げた都市だったはずなのに、いざ作り上げたらルールをルールで固定していく都市ができあがった。今や書類一つ作るのに何種類ものルールを遵守せねばならない。その代わり、人間の安全性は高まりましたがね」
「ほんとうにそうだと言えるのでしょうか」
 僕は冷めきった珈琲を飲み干し、
「いったい何が言いたいのですか、さっきから」
 強引に話を進めようと思った。
 少しでも話が進むのではないかと思った。
 しかし、現実は異なる。
「まあまあ、博士。少しは落ち着いてください。これからの話を受け入れて貰えなくなるかもしれませんからね」
「もう既に僕はあなたの話を聞く準備が出来ているんですよ。あなたは何故話そうとしてくれないんですか」
「すいませんねえ。物事には、」
「段取りを踏まなくてはいけないのでしょう? 分かっていますよ。それにしても、あなた、まるでロボットのように話をしますが」
「ああ、分かりましたか。実は、『これ』は警察機構開発の人造人間P-01号、製造番号PS080014ZZです。仲間からは014を取って、オーイシと呼ばれています」
「オーイシ。まるで人間のような言葉遣いだが。珈琲も飲むのかね?」
「あくまでも飲むという行為のみです。オイル以外は別の場所に貯蓄され、任務終了後に破棄します。ロボットと人間の区別を見分けられないようにするための秘策ですね。博士、スタンダロンにはそのような装備はしていないのですか?」
「していない。代わりに、肌に太陽電池を使っている。だから、太陽さえ浴びていれば問題ない仕組みになっているんだ。まあ、それに充電をすれば二十四時間は平気で持つシステムになっている」
「そうですか。では、漸く話が出来ますね」
「何?」
「スタンダロン。唯一の自立型ロボット。そのスタンダロンが、昨日人を殺した。あなたはそう聞いて、どう思いますか」
 それを聞いた僕は思わず立ち上がった。
 僕の開発したロボット、スタンダロンが殺人を犯しただと?
 そんなことあり得ない!
 そんなこと信じられない!
 僕は、オーイシに続きを聞かせろと言わんばかりに近づいて、
「何を言っているんだ。スタンダロンは、ロボット三原則を用いて製造されたれっきとしたロボットだ。確かに『彼』には心があるが、憎悪という感情を抱くようにはプログラムされていないはずだ」
「だが、多くの人間が『彼』を見たと言っている」
 オーイシの話は続く。
「スタンダロンは特徴的なロボットだ。赤いカラーリングをしている。そして、その赤いカラーリングは血の色を隠すためではないか、という批判も上がっているのです。そう思われたくはないでしょう!」
「つまり、君は何が言いたい」
「私はスタンダロンが殺人を犯したとは言えないと考えています」
 何だと?
 突然の話に僕の頭は真っ白になった。まるで大きな爆弾が頭の中にあった懸念要素全てを爆発させたような、そんな感覚。
 オーイシの話は続く。
「突然やってきてこのような話をされて、さらにこの発言。信じられないと思われても致し方ありません。しかしながら、これは事実ではないかと私は考えているのです。スタンダロンが殺してしまったのか? ほんとうに、スタンダロンは人を殺すほどの性能を持っているのか?」
「それを聞きたかったために、わざわざ早朝の僕の部屋を訪れたのか」
 オーイシは頷く。
「大学のデータベースに、アクセスしました。あなたのスケジュールを確認して、自由な時間は研究室で研究を続けていることも調べて、」
「そこまで来ると、もうストーカーか何かだな」
 失笑する僕に、オーイシは首を傾げる。
「そうでしょうか?」
「そうだろうが、どう見ても」
「妄執、とでも言えば良いのでしょうか」
「いや、きっと違うと思う。まあ、ロボットが人間らしい考え方を身につけるのは難しいかもしれないな」
「でもあなたは作り上げた。その人間に近しいとも言える人工知能と、それを搭載したロボットを」
「一応、だ。確定ではない。そんなものを作り上げることが出来るのは、神の領域に達した存在だよ。僕は、凡人だ」
「そんなことは、」
「あり得ない、とは言い切れない。それが人間の思想であり、人間の思考であり、それこそ君が言いたかった『妄執』かもしれないがね」
「そう、ですか」
「さて、君が言いたかった話だが。スタンダロンは僕の最高傑作だ。もう何十年と研究したとしても、僕はあれ以上のものを作れないだろうね」
「しかし、あなたは作り上げた」
「まさか、とは思うが」
 僕は一つの結論を彼に言い放つ。
「君は、ほんとうは、スタンダロンになりたいのではないか?」
「私が、ですか?」
「そうだ。スタンダロンになりたいと思うならば、今までの話が帳尻の合う話だ。確定である保証はない。しかし今の僕から考え出せる結論は、それだ」
「いいえ、それは違います。私はあくまでスタンダロンの殺人容疑を晴らしたいために」
「まあ、それも良いだろう」
 僕は立ち上がり、壁につけられたボタンを押す。
 するとシャッターはせり上がっていく。
 当然だ。今僕が押したボタンこそが、そのシャッターを開くボタンなのだから。
「スタンダロンに会いに行こうではないか。それで結論をつけよう、オーイシ君?」
 その言葉に、オーイシは無言で頷くばかりであった。

目次
第一章 「妄執の証明」①