第一章1


『世界最高のノーベル物理学賞を最年少で受賞したアリス=アークレイリ博士が、本日記者会見を開いています。アークレイリ博士は、相対性理論の究極系とも言える、「発展型相対性理論」を発見し、タイムマシンの実用化へ一歩進んだと言われています――』

 テレビから聞こえてくるアナウンサーの声を聞いて、青年は思わず溜息を吐いた。
 世の中に天才は多く居るのだろうけれど、自分の年齢よりも若い天才が出てくると、平等というのは有り得ないことが窺える。
 結局、最初の段階でどうなっているかで全てが定まってしまうのだから、致し方ない。
 青年はそう割り切っていた……、つもりだった。
 けれども、案外人間というのはそうやって割り切れない生き物だ。
 かたや、世界最高の頭脳と謳われる若き少女。
 かたや、コンビニのアルバイトで生計を立てているフリーター。
 その違いは天と地の差がある。何が違うか? という問いには、何もかも違う――そう回答する人が大半を占めることだろう。

「……今日は六時からシフトだったっけな」

 スマートフォンの時計を見ながら、青年は呟く。
 時刻は午後五時半。ここからなら、自転車を漕げば十分ぐらいでバイト先へは辿り着く。別段、難しい話ではない。
 そろそろ身だしなみを整えようと洗面所へと歩き出した――ちょうどその時だった。
 リビングに、何かが大きな音を立てて突っ込んできた。
 窓が割れて、ベランダへ硝子の破片が飛散する。

「……え、な、何が……?」

 リビングに突っ込んできた物、それを確認しようと恐る恐る近づく。
 そこにあったのは、扉だった。ただの扉ではない――玄関の扉だ。しかし、それはくの字にへしゃげていて、最早原型を保ってはいない。

「な、何でこんなことに……! というか、うちに何か突っ込んでくるとしても、ピンポイント過ぎるだろ……?」

 青年が住む家は、地上六階にある。
 交差点に面しているとは言え、仮にそこで事故があったからとしても、何かが飛散してそれが運悪く玄関にぶつかるなんてことは、あまり考えたくなかった。

「いや、そんなことより……」

 逃げないといけない――そう思った時にはもう遅かった。
 カチャリ、と金属音が耳の近くで響き渡った。
 何か冷たい物が頭に置かれているような感覚だった。
 否、それは感覚ではなく――実際に金属の物体を頭に付けられている状態だった。

「……お前が、川崎慎一だな?」
「…………何故名前を?」

 先ず聞きたいことがそれが合っているのかは、慎一だって分からないことだった。
 しかし、冷静に判断出来ている時点で、それは未だ良い方なのかもしれない。

「今、自分がどういう状況に置かれているのか、考えていねえのか? お前の頭に突きつけられているのは……、拳銃だぜ? それもただの拳銃じゃねえ。今俺がこの引き金を引いたら、お前の頭は跡形もなく吹っ飛ぶ。それぐらいの威力があるピストルだ」
「……、」

 慎一は思考を停止させたくなかった。
 させてしまったら、また意味がない――そう思っていたからだ。
 意味がないなら、思考をフル回転させなくてはならないだろう。
 けれども、思い浮かべられる物は、何もくだらないものだらけ。今考えつかなくても良いことだらけが思い浮かぶ。例えば、今からじゃもうバイトに遅刻するだとか、今日のシフトは誰と一緒だったとか、夕食をどうしようかだとか、そんなくだらないことだらけが思い浮かぶ。
 死ぬ直前になったら、人間は過去の行動から正解を導き出すために走馬灯を見る――というのが一般的に言われていることだと慎一は思っていたようだったが、しかし現実は残酷だった。
 そんな簡単に走馬灯を見ることすら、今の彼には出来ないことだったらしい。
 或いは、もう生きることを諦めたか。

「……どうして、俺を……」

 何とか絞り出した言葉は、自分を何故殺そうとしているのか、その理由を尋ねることだった。

「さあな。それについては、俺も言う筋合いはねえ。まあ、運が悪かったと思うが良いさ」

 そう言って、男はピストルの引き金を引いた――、はずだった。

「…………あれ?」

 死を覚悟したはずだったのに、いつになっても衝撃が来なかったので、恐る恐る目を開ける慎一。
 すると、そこには先程とは違った光景が広がっていた。

「あ、が…………」

 ドサッ、という音を立てて男は倒れていく。
 そして男の後ろに立っていたのは、スーツ姿の男だった。

「……何か、色々と立ち替わり入れ替わり人がやって来るな……」

 とはいっても、未だ二人目であることは間違いなかったので、この発言は間違っていると言える。

「間一髪、と言ったところでしょうかね?」

 スーツ姿の男は笑みを浮かべると、慎一に手を差し伸べる。

「おっ、手助けしてくれるのか。有難う、助かるなあ。誰かは分からないけれど……」

 慎一はそう言いながら、手を差し伸べたところに自らの右手を差しだそうとしたが――。
 直後、彼の腹部に鈍い衝撃が走った。
 それが、男が慎一の腹部を殴ったからだということに気づくまでは、そう時間はかからなかった。

「……すいませんね、これが手っ取り早いもので。致し方ないのですが、少し眠っておいてもらいましょうか」
「く……、そ……。一体、今日は……どういう……日だって……言うんだよ…………」

 そうして、慎一の意識はそこで途絶えた。




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