プロローグ 令和唯一のサムライ


 彗星が夜の帳を切り裂いていた。
 数百年に一度この星の近くを通るという彗星は、かつては様々な危険が起きると噂されていたらしい。最早オカルトの部類になってしまう訳だけれど、冷静に考えて彗星が空気を奪い去ってしまうからチューブに空気を溜めておけば良い――そんな前世代的な価値観は、今の時代じゃ通用しないだろう。
 とはいえ、SNS全盛であるこの時代でも、やはり正しいことの見極めというのは必要であって、それを如何にして見極めていくかということについては、情報の分別というのがネットリテラシー的な意味合いで重要になってくるのだった。
「……彗星というのは、過去の人達も不安がっていたことがあるんだよね。だって、空気を掠め取ってしまうかもしれないなんて思っていたんだから。それって、普通に考えたら有り得ないことなのに、それを信じてしまう人は居るんだね」
 目の前に立っている少女は、刀を持っていた。
 日本刀……それについてはあまり詳しくはないけれど、外で持ち歩いたら銃刀法違反で捕まってしまいそうな代物だ。
 しかし、彼女はそれを持ち歩いている。
「……君は、剣道をやっているのか?」
「ううん。違いますよ、わたしはサムライです。令和唯一のサムライ」
 令和唯一って。
 多分平成唯一でもあるのだろうけれど。
 そのサムライは笑みを浮かべながら、ぼくの話を聞いていた。
「ぼくの妹は、昔から天才だったんだ」
「へえ」
 聞きたくないような、聞いても意味がないような、そんなニュアンスの返事。
 いいや、絶対に聞かせてやる。それがぼくのポリシーだ。
 そんなポリシー、投げ捨ててしまえば良いのだけれど、ぼくは頑固な人間だから、そうも行かない訳だ。
「ぼくはずっと落伍者でね……。いつも置いて行かれることが多かったんだ。だから、代わりに両親の愛情を受けたのが妹だった。妹は何だって出来た。学年成績をどべから数える方が早いぐらい頭が悪くて、百メートル走も最下位常連だった、このぼくと比べるとね……。兄より優れた弟は居ない、って聞いたことがあるだろう? この場合は妹だけれど……それって、あくまでそういう言い伝えに過ぎないのだな、って思い知らされるよ。言い伝えというか、伝承……或いは伝説に近いのかもしれないけれど」
 近いようで、遠い。
 二つの言い回しをぶつけたところで、少女は刀を鞘から抜いた。
 雪の欠片すら斬ることが出来ると言われた、妖刀『雪斬』。
 ぼくはそんな刀があることすら知り得なかった訳だけれど、しかし、いざそれを見ると冷たさに圧倒される。日本刀独特の感覚とでも言うべきなのか。圧倒される物を持ち合わせている刀なんて、早々居ないのかもしれないけれど。
「……でも、その天才過ぎる妹さんには、ちょっとした問題があったんですよね」
 彼女は、告げる。
 至ってシンプルに、至って簡潔に、至って冷静に。
 冷静を保てていないぼくとは――回りくどい言い回しをいつもより多くしているぼくとは、大違いだ。
「…………そう。そうだ。その妹には、問題があった。頭は良くて、スポーツも万能。友達も沢山居て、メチャクチャ悪いことなんてありゃしない……寧ろ無縁な存在でもあったのだけれど」
 問題という程の問題ではない。
 始まりは、ある日妹が怪我をしたという話からだった。帰ってきたら右手に包帯をぐるぐる巻いていたのだ。左利きだったから――クロスドミナントという訳ではなく生粋の――別段、ペンや箸の持ち方については気にすることはなかったのかもしれないけれど、しかしながら、やはり怪我をしたというのは家族一同大問題だと思った訳で、彼女を問い詰めた。
 さながら、犯人を追い詰める警察の取り調べの如く。
 しかしながら、それをしたって当然明確な回答が得られる訳でもなく――、ぼく達家族は妹から明確な怪我の理由を聞きそびれてしまった、という訳だ。妹が上手く躱した、と言っても良いだろう。
 しかし、そうなると――やはり気になるのは、怪我をした理由。
 妹は陸上部に入っているのだけれど、陸上部で怪我をしたならば、顧問の先生が何か言ってきても良いはずだ。しかし、翌日になっても連絡は来なかったし、挙げ句の果てに顧問の先生自らが怪我について問い質した一面もあった。
 つまり、部活動で出来た怪我ではない。
 であるならば、いつ何処で起きた怪我だと言うのだろうか?
「……ふむふむ。やっぱり気になるところではありますよね。是非とも調査したいところではありますけれど」
 そう、まるで彼女は探偵のような言い回しをした。
「わたしは探偵じゃありませんよ。わたしはそう……サムライです」
 多分その発言は二度目だったな――でも、サムライが調査して解決することなんて、出来るのだろうか?
「出来ますよ。わたしはそういう専門のサムライですから」
 自信満々に言ってのける彼女だったけれど、その見た目はやはり未だ幼稚な雰囲気が残っていた。決して馬鹿にしている訳ではない。ただ、このような見た目をしていて、そんなあっけらかんと物事を口に出来るのか――ぼくはそこに着目していたのだった。
 そのサムライは、令和唯一のサムライ。
 何故彼女がサムライとして活動しているのか、そしてそのサムライとどうしてぼくが出会うことになったのか――先ずはそれから語らねばなるまい。


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