年越しそばと除夜の鐘 (メニュー:年越しそば)



「ええっ!? じゃあ、年越しそばを食べたことが無いんですか!?」

「食べたことが無いというか……厳密に言えば、そのような習慣が無い、とでも言えばいいか。まぁ、そんな感じだ」

「それなら俺が食べさせてやりますよ! 飛びっきり美味しい年越しそばを!!」

 そう言ってケイタは店を飛び出していった。おい、一応まだ営業中だぞ。客は居ないから問題ないと言えばその通りだが。
 はてさて、どうしてこんなことになってしまったのかといえば……それはある言葉がきっかけとなったものだった。裏を返せば、その誰かが言わなければこんな出来事には発展しなかっただろう。
 それを思い返してみると……予想以上に長い話になる。え? とくにそんな遣り取りなんて要らないからさっさと話せ……だって?
 まぁ、解った。話してやろう。どうせ私もお前も暇なんだ。その暇が少しでも潰れるように、その話をして気を紛らわすというのも可能性の一つとして存在すべきことだろうよ。


 ◇◇◇


 さて。
 どうしてこんなことになってしまったのか、それについて淡々と事実を述べていくことにしよう。
 きっかけはたった一言、その質問だった。

「そういえばメリューさんたちって、年越しのイベントはあるんですか?」

 きっとそれは、ケイタにとっては当然の疑問だったことだろう。
 しかしながら、それは私たちにとっては一種の禁句とも言える発言だったのかもしれない。
 理由は単純明快、私たちの世界に年越しイベントなんてものは存在しないからだ。普通に考えれば、それはケイタにだって理解できたはずのことだった。だってボルケイノは年中無休、ケイタたちの世界で言うところの『お正月』とやらも営業中なわけだ。しかしながら彼はその時間に休みを取りたいと言い出した、彼曰く、その時期は家族一同で過ごすのが決まりになっているのだという。彼の住んでいる国すべてがそうであるわけでは無いが、古くからの風習でそうしている家族がいるのだという。なんというか、変わった風習だと思う。まあ、そんなことを言ってしまえば彼にとって私たちの存在そのものも変わっているのかもしれないが。

「……何を言っているんだ、年越しにイベントなんてあるわけが無いだろ。強いて言うならば、一年を一生と換算している宗教があって、その宗教に入っている人間は年越しを『新しい人生の始まり』として大々的にイベントをしているが……まあ、それくらいだな。実際、年越しに関してはなんの関心もいだいていないし。……それにしても、それがどうかしたか?」

「それじゃ、年越しそばも食べていないんですか!」

「そりゃ、年越しを特別なイベントだと思っちゃいないからな。普通に麺は食べるぞ、普通に食事規制なんて無いからな。……まさか、ケイタの国では年越しは食事規制をするという珍妙な法律でもあるのか?」

「もちろん、そんなことは有り得ないですよ。ただ、そういう習慣があるというだけのことです。だからそれに誰も違和感を抱くことはありません。みんな『そういうもの』という認識でしか無いですから」

 小難しいことを言うが、要するに『みんな食べているから食べる』だけのことなのだ。
 まあ、私としては食事に七面倒な知識をもって臨みたくない人間(今はドラゴンメイドだが)であるから、ケイタのその発言は私のプライド的には少し苛立ちを隠せないものだった。


 ◇◇◇


 そしてなんやかんやあって――今私の目の前には蕎麦があった。時刻はケイタの国でいうところの二十三時を回ったあたり。即ち、もうすぐ年が変わるというタイミングでのことだった。

「ほんとうは家族で過ごしたかったんですけれどね……でもメリューさんたちにそれを伝えるためにわざわざこの日にやってきたわけですよ」

「……何でさっきから上から目線で話しているんだ? まったくもって、理解出来ないのだが」

「……な、何でもないですよ。実はいろんな事情があって家族がバラバラになって大晦日に集まれなくなったとか、そういうわけではないですから!」

 ………………。
 なんというか、嘘が下手だよなぁ……こいつ。別に嘘を上手く吐けとは言わないけれど、もう少し、限度ってものがあるだろ。
 ま、そんなことはどうだっていい。私もティアも、今日の夜ご飯は何にするか悩んでいたところだったし、今日くらいケイタに甘えるのもいいのかもしれない。

「というわけで、こちらです」

 そう言ってケイタは私たちの目の前に――今カウンターの席に座っているのだ――丼を二つおいた。

「……なんだ、これは?」

「それが、俺の言った『年越しそば』ですよ。年末にぴったりでしょう?」

 いや、そういうことでは無くてだな……。
 まあ、とりあえず中身をようく見ていくことにしよう。中身は麺だから、少し放置してしまうとすぐに伸びてしまうが、そんなことはどうでもいいだろう。初めて見る料理だ。あわよくば新しいメニューに追加出来るよう、しっかりと中身と見た目をこの目に焼き付けておかねば。
 それでは一つずつ中身を見ていくことにしよう。なに、中身は至ってシンプルだ。揚げ玉にわかめ、それに灰色の麺。そして目を引くのは、丼の真ん中をぶった切るように置かれている、巨大な天ぷらだった。

「これは……?」

「海老の天ぷらですよ。……ああ、そう言ってもあまり聞き覚えが無いかもしれないですね。メリューさんにはシュリンプって言えば通じますかね」

 シュリンプ!
 なんと謎の天ぷらの正体はシュリンプだった。何たることか、まさかケイタの世界にはこんな巨大なシュリンプがあるなんて!
 シュリンプの天ぷらを箸で取り、そのまま口に放り込んだ。
 すぐにサクサクと衣の食感が口の中に広がり、とても香ばしい。つゆに浸かった部分は、マキヤソース(確か、ケイタの世界では『ショーユ』と言っていたか)ベースの味がしっかりと衣に染み込んでいて、口に入れただけでほろほろと崩れそうだ。

「……うむ、はっきり言って、美味い」

 思わずその言葉が、私の口から零れた。

「そう言ってもらえて何よりですよ」

 彼は笑みを浮かべて、そう言った。


 ◇◇◇


 気付けば、私は年越しそばとやらをペロリと平らげていた。何となく予想はついていたけれど、それにしてもこの年越しそばは美味い。美味すぎる。

「まさか普通に完食してもらえるとは、思いませんでしたよ。はっきり言って、舌に合わないものかと思っていましたから」

「マキヤソースベースだったのが強かったかな。あれは私たちの舌にもよく馴染みがある味だ。だから私たちも直ぐにその味に馴染むことが出来たと言っても過言では無い」

 そう言いながらも脳内ではレシピの構築に取り掛かっている。まあ、そんなに難しいことでは無いだろう。とにかく、そのレシピさえ完成させればいいだけの話だ。あとはメニューに組み込むかどうかを決めればいいだけの話なのだから。

「……急いで食べないと年が明けてしまいますからね。急がないといけません」

「さっきから言っているが、お前の国ではそれ程『年越し』ということに重要な意味を持ち合わせているのか? はっきり言ってまったく理解出来ないのだが……」

「理解出来ないのは致し方ないかもしれません。しかしながらそれは重要なビッグイベントであると言っても、何ら過言ではないでしょう。だってそれ自体が難しいことではありませんから」

 そう言ってそばを食べ終えると、ケイタは時計を確認した。ケイタの時計は、彼の国での時間を基準としている。確か、少し盗み見した感じだと、もうすぐ日付が変わる時間帯だった気がした。

「お! そろそろ日付が変わりますよ……。ほら、カウントダウンしますよ! 三、二、一……!」

 そして日付が変わったと同時にケイタは頭を下げた。

「あけましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いします」

「あ、あけましておめでとう……?」

「俺の国では年越しの挨拶はこれなんですよ。年に一度しか言えないですから、とても貴重な挨拶なんですよ」

 そうなのか。
 別に私は挨拶についてあまり気にしたことは無いのだが……まあ、今年はケイタの言うとおりに返すこととしよう。

「あけましておめでとう、ケイタ」

 それを言うとケイタは大きく頷いて、笑みを浮かべた。
 果たして今年はどんな一年になるのだろうか。それを考えるととても楽しくなって――私も笑みを浮かべるのだった。



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