母を訪ねて何千里?・1 (メニュー:力うどん)


 ドラゴンメイド喫茶、ボルケイノ。
 どの異世界とも交流することの出来る第666次元軸にも夜は訪れる。

「……今日はもう店仕舞いかしらね」

 メリューさんが欠伸をしながら厨房から出て来た。
 確かに今日はあまりにも暇な一日だった。お客さんが誰一人としてやってこなかったのである。どの世界にもチャンネルを合わせることは出来たとしても、お客さんの生活リズムにまで踏み入ることは出来ない。だから仕方がないのだけれど、こうやってチャンネルが合わない時は暇な時間が生まれる――という訳だ。

「……今日はもうケイタも帰ったらどうだい? まあ、多分ケイタの世界では未だ一時間ぐらいしか経過していないと思うけれど」

 冗談のように聞こえるかもしれないが、これは冗談ではなく――紛れもない事実なのだ。
 第666次元軸で過ごしている人間が元の世界に戻った時に、違和感なく過ごせる時間しか過ぎることはない。
 本人が望めばここの一時間が向こうの一年とか、もっと途轍もない時間換算になるのか――それについては分からない。メカニズムがどうなっているか知らないし、聞いたところでちんぷんかんぷんだろうからな。
 カランコロン――ボルケイノのドアに付いているベルが鳴ったのは、そんな店仕舞いをしているタイミングでのことだった。
 こんなタイミングでお客さんがやってくるのは良くあることなので、俺は普通に対応すれば良いやなどと軽い気持ちで考えていたら――入って来たのは、子供だった。
 それもただの子供ではなかった。服がボロボロになっていて、髪もボサボサで――一言で言えば不潔だった。
 でもまあ、珍しいことじゃない。別に異世界が全部清く正しい世界観ではないし、このような底辺層に住む人間はどの異世界にもごまんと居る。そしてその子供も、そのうちの一人なのだろう。

「……いらっしゃいませ……、で良いんだよな?」
「何で疑問符を浮かべているのか分からないが、どんな人間だろうとお客様はお客様だろ。さっさと対応しなさい」

 そう言ってメリューさんは厨房に戻っていった。
 メリューさんはこういうところあるからな……。適材適所だと思っているのかもしれないけれど、もう少しちゃんと仕事を回して欲しいものだ。

「ええと……どうしたのかな? 何か食べたい物でもあるのかい?」
「食べたい物……うん……」

 ぐぎゅるるる。
 盛大に鳴ったお腹の音を聞いて、顔を赤らめる少女。
 ああ、何故少女と言ったかというと、見た目が丸っこいから――仮に少年だとしたらもう少し骨張っていてもおかしくはない。

「お腹が空いているみたいだな。……何が食べたい? 話は色々聞きたいけれど、先ずはそこからだろう」

 俺はメリューさんの居る厨房に向かって声を投げかけた。

「メリューさん、取り敢えず何かお腹に溜まる物を出せませんか?」
「一先ずこれしか出せないよ。……もっとも、時間を多く割けば美味しい食べ物は沢山作れるけれどね」

 直ぐに渡されたそれは、うどんだった。薄く透き通った金色のスープにうどんがゆらゆらと浮かんでいる。そして散らされた小ネギもぷかぷかと浮かんでいた。
 しかしメインディッシュはそれではない。
 器に満たされたスープの海の中心には、丸い餅の無人島が浮かんでいた。

「成程。力うどんってことですか。これなら確かにお腹に溜まるし悪くないアイディアですね」
「良いから、さっさとあの子に出してこい。お腹を空かせてずっと待っているのだろう? だったらここで長々と話をしている場合ではないと思うがね」

 それもそうだ――俺はそう呟いて、急いでカウンターへと戻っていった。

「ほら、美味しいご飯だ。先ずはこれを食べてゆっくりしな」

 カウンターにそれを置くと、少女は困惑した表情でそれを眺めていた。
 致し方ないことではあるのだけれど、きっと少女は本当にこれを食べて良いのかどうか悩んでいるのだろう――しかし少女の空腹状態がどれぐらいなのかもわかっていない状態で、急いで食べさせる程不味いことはない。
 幾らお腹が空いているからといっても、こんな熱い食べ物を急いで食べてしまったら口も食道も火傷してしまう。

「……食べて、良いの?」
「ああ、たんと食べな。ただしゆっくり食べるんだぞ、熱いからな。しっかりと冷ましてから食べるんだ」
「……お金は? ミー、お金持っていないよ?」
「こんな困っている子供から金銭をせしめる程、ここは悪どい店ではないよ。それに子供がそんなこと気にしないで良い。とにかくそれを食べな。話はそれからだ」

 どうして少女がこんな店にやって来たのか。
 どうして少女の見た目は見窄らしいものになってしまっているのか。
 どうして少女は貧しそうにしているのか。
 色々確認したいことはあるけれど、そこについてはいきなり問い詰めなくたって良い。
 先ずは少女のお腹を満たして、そこから徐々に話を進めれば良い。
 それにきっと今ここで話を進めようとしたところで、心は開いてくれないだろうしな。
 恐る恐る息を吹きかけて、うどんを冷ましていく。
 流石に餡掛けで温度をキープしている様子ではなかったか……。流石にそれだったらメリューさんも鬼だ。あ、いやドラゴンメイドだけれどね。
 そんなジョークは程々にして、少女はゆっくりとそれを口に運んだ。
 やっぱり未だ熱かったのか、少しはふはふしながらだったけれど、やがて食べ終えると、

「……美味しい」

 そう、確かな言葉が聞こえた気がした。

「こんな美味しい物、生まれて初めて食べた……」

 そんなこと言われたら料理人冥利に尽きるって話だろうな。
 メリューさんも草葉の陰で喜んでいるだろう……。

「殺すな殺すな。……しかしそれだけ美味しく食べているのならば有難いことだよ。最近はそんなことなかなか実感することなかったからなぁ……。どいつもこいつもあって当たり前みたいに無理難題言いつけている客ばっかりだからな」

 他のお客さんの愚痴をお客さんに言うなって。きっと少女も困惑していることだろう――と思っていたが、少女は全集中してうどんをずっと食べていた。
 ま、話を聞くのは後で良いだろう。
 俺はそんなことを思いながら、カウンターの拭き掃除を再開するのだった。


 ◇◇◇


「どうしてここはこんなに綺麗なお店になっているの?」

 少女がご飯を食べ終えた頃には、店の片付けも殆ど終わっていた――別に終わっていようがいまいが少女が帰らない限りは店の営業は続く訳だから――要するに、俺は暇を持て余していた。

「綺麗なお店……って言ってもな。ここは特段綺麗なお店ではないよ。他の世界でも綺麗なお店はごまんとある。ただまあ、食事のバリエーションが多いのは間違いないな」
「バリエーション?」
「種類が多い、ってことよ。……そんな気にしたことはないんだけれどね、気付いたらこんなことになっちゃって」

 こんなこと――か。言いたいことは分かるけれど、メリューさんの向上心は時たま素晴らしく思うこともあるんだよな……、だってこれだけお客さんのリクエストに答えられるなら別に問題ないような気がしないか?

「……で、話を戻すけれどどうしてここに?」
「…………お母さんと離れ離れになっちゃったの」

 何か話が長くなりそうだな。
 そうは思ったけれど、一度首を突っ込んだからには話を聞いてやらねばならない。そこについては責任というか義務というか、そう言ったものも絡んでくる。

「離れ離れ? もしかしてそっちでは戦争でもやっているのか?」
「うん……。どうしてこうなったのかは分からないけれど――」

 少女はぽつりぽつりと、自分の置かれている現状を話し始めた。
 少女が住む国は、小さい国ではありながらも資源が多く存在していたために、他国から狙われることが多い国だったようだ。そんなことは少女からは何一つ聞いていないけれど、話を聞いている限りだとそんな感じがする。
 資源が多いとは言ったけれど、恐らくそれは特殊な鉱石だ。少女が見せてくれたけれど、それはその世界でしか効力を示すことが出来ないからかただの黒い石だった。
 少女曰く、その石さえあればエネルギー問題は解決しそうな代物だった。どう使えば良いのかは直ぐに見出せやしないのだけれど――多分俺の世界でそれが見つかったら戦争だけじゃ済まないだろうな。
 そういった資源が多く存在する国が、永遠に平和を保てる訳がない。結果として戦争が始まってしまい、国の多くの人間は路頭に迷ったのだろう。
 そして、その被害者が少女とその母親であった訳だ。

「……お母さんが何処に行ったのかは分からないのか?」
「うん。もしかしたら何処かに行ってしまったのかもしれないけれど……」
「確証があるのか?」
「あるかどうかは分からないけれど……、でもお母さんは何処かに行こうとしていたみたいなの」
「何処かに? 何処かって、いったい何処なんだ……?」
「ケイタ、ここで延々と話したところで埒があかない。……だったら、ここで私たちがやることはたった一つだけ。そうだろう?」
「……メリューさん、いったい何をするつもりなんですか?」

 いや、大体想像は出来ているけれど。

「ケイタ、準備しな。今から異世界へ向かうよ。なに、安心したまえ……別にケイタだけを異世界に放り込もうだなんて思っちゃいないさ。今回は魔女もセットで連れて行く。少しは安心するだろう?」


 ◇◇◇


「……それで私を呼びつけたって訳?」

 魔女と言われれば彼女しか居ないだろう。
 流離の魔女としてボルケイノにやって来てから何だかんだ従業員として働いている、魔女リーサ。こないだも寒い空間で暖かく過ごせるように魔法を蓄えた物を作ってくれていたけれど、

「ところで魔法というのはどんな世界でも使えるものなのか? 例えば、魔法という概念が何一つ存在しない世界だったなら魔法を使うことが出来ないとか……そんなことはないよな?」
「ううん、多分だけれどそんなことはないと思うよ。魔法というのは世界の概念で変わることではないと思うし。もしかしたら力が弱まることはあるかもしれないけれど……、話を聞いた限りじゃその異世界も多分魔法という概念そのものは存在すると思うからね」
「そんなものなのか?」

 案外、魔法みたいな概念があればそれを魔法と見做してしまうような感じだったりしないだろうな? それはそれで都合が良すぎる気がするけれど。

「……あれ、良く分かったね。そんなこと言ったかな?」
「言ったか言っていないかは定かではないけれど、少なくともそんな話は聞いたことはないな。……でも、有り得そうな話ではあったしな。だってボルケイノの空間は何でもあるかもしれないけれど、全部が全部存在するような空間でもないのだし。魔法みたいな概念ならオールオッケー、みたいな価値観じゃなきゃやってらんないというか……」
「本来はもう少し小難しい話になるのだけれど、そこについては話さない方が良いだろうね。いずれにせよ、魔法が使えるというのは結構楽なようでデメリットもあるからね」
「デメリット? エネルギーを使うとかそういった類の?」
「間違ってはいないけれど、そうかな。……それに、魔法を使えない人に散々魔法を話したって理解してくれるかどうか怪しいからね」
「うっ」

 リーサは時折鋭いところを突いてくるよなぁ。その辺りもう少し素直になっていただきたいところだけれど。

「……二人とも、準備出来た?」

 メリューさんが何が包みを持ってやって来た。何かな? もしかして山吹色のお菓子だったりする?

「馬鹿、そんなものを渡す人間が居ると思ってんのか。……これは昼ご飯の弁当だよ、四人分のね。使い捨ての容器を使っているから適当に燃やしてくれれば構わないよ」

 二酸化炭素とか大丈夫なんですかね、それ。

「そこよりも人数にツッコミを入れなさい。……それと燃やしても別に大気に影響は及ぼさないし、煙も出にくい素材だから安心しろ」
「あー、そうでした。……四人ってどういうことなんですかね?」
「シュテンを連れて行きなさい。あの子なら魔法が使えなくても何とかなるでしょう」
「はーい、よろしくね」

 シュテン、軽いな……。久々の登場だから浮かれているんじゃあるまいな? まあ、シュテンとウラはなかなか出る機会が少ないから目立ちたいと思うのも仕方ないかもしれないけれど。

「取り敢えず、後はどうするか任せたから。リーサ、何かあれば通信魔法を使いなさい。多分、世界が変わろうとも何とかなるはずだからね。一応この世界はどんな異世界とも繋がる次元軸。そこら辺の問題は解決出来るはずだからさ」
「はい、分かりました。……何かあれば連絡しますね」

 しかしまあ、このパーティというのもなかなか珍しい。
 まるで勇者御一行みたいな感じだ……。シュテンが魔王の呪いにかかって一時離脱とかしないだろうね?

「それじゃあ、行ってきます」

 カランコロン、と鈴が鳴る。
 とにかく行ってみなければ何も始まらない――そうして俺たちは、一歩前に踏み出した。


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