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「先ずは、環境を整えましょうか」
 歩の言葉に、おれは頷く。
 小説を書く——と一言で言ったところで、そこからさあ始めましょうなんてことは出来やしない。そんなことが出来るのは天才だ。或いは一握りの優秀な存在ぐらいしか出来ないのだろう。もしかしたら歩はそれが出来るのかもしれないけれど、おれは凡人だ。一応、作家志望を名乗っていた頃もあった——若気の至りと言われればそれまでだけれど。
「環境を整える、と言われてもだな……」
 小説を書くといっても、どうすれば良いのかという話になる。
 形から入ろうとしたって、結局結果が伴わなければ何の意味もない。
「簡単な話ですよ。パソコンで書くのなら、パソコンを提供します。それもそれなりに性能が良いやつです。調べ物は出来るようにしておきますが、動画サイトは見すぎないようにしておきますね。ある種のフィルタリングとでも言えば良いでしょうか」
 おれは子供かよ。
 いや、しかしそうやって制限してくれることは、存外有難いことなのかもしれないな……。小説を書くと一言で言ったところで、先ずはそのアイディアが出てこないことには話が始まらないのだけれど、しかしいざ書き始めてしまえばあとは速い——なんて人も居るには居る。結局のところは慣れてしまえばどうだって良いのかもしれないけれど。
「パソコンが駄目なら、ポメラにしますか? ポメラも性能は良いですよ。知っていますか?」
「知っているよ……。社会人になって張り切って買い物をしたのがポメラだ。性能が良いってもんじゃない。あれは物書きをするにはうってつけ過ぎるデバイスだ。小説を書くことと、それに使う辞書がインストールされている……。まあ、それで最初は書いていたけれど、やっぱり使っていく上で向き不向きが出てきてな」
「自制心がないと駄目ですからねえ、ああいうデバイスは。まあ、インターネットに接続出来ないだけでもかなり良いデバイスだと思いますよ? ぼくも喫茶店で執筆する時は愛用していますし」
 そう言って机上に置かれているポメラを取り出す。
 手帳ぐらいのサイズの、白いポメラだった。
「最新型で、しかもそれって……」
「限定モデル、ですね。予約しておいた甲斐がありましたよ。ずっと使っていたポメラがへたってきちゃってね。漸く買い換えのチャンスが巡ってきたって訳です。まあ、外出する時ぐらいしか使っていないので、使用頻度はたいしたことありませんけれどね。使いますか? 別にこれでも良いですよ」
「いや、おれは……」
「流石に原稿用紙で書くつもりはありませんよね? SDGsの時代、ペーパーレスの時代です。あんまり宜しくはありません。まあ、大御所の作家先生なんかは未だに原稿用紙をFAXか郵送でやりとりしているってこないだ編集者も言っていたし、案外良いのかも?」
「そこまで高尚なことをやるつもりはないよ。パソコン、それで良い。ところで——」
「何か?」
「歩。おまえはどうやって小説を書いているんだ? 売れっ子作家となった今なら、締め切りも沢山あるはずだ。だのに、こうやっておれと延々下らない話をし続けて良いのか?」
 それを聞いた歩は深い溜息を吐く。
 何か変なことでも言ってしまったか?
「下らない話、って。未来の作家先生との有望な話だよ。それの何処が下らないんだ? ……肇くん、いい加減辞めなよ。自分を卑下するのは。自分は自分だけだ。代わりなんて、誰一人居る訳がない。昔の歌にもあっただろう、誰も逃げてしまっても、自分の役目をこなせる人間は誰一人居ない。自分が消えて喜ぶ人間ならば、殊更ね」
「……、」
 何も言えなかった。
 正論だったからだ。野球で言えば、カーブでもチェンジアップでも何でもない、ド直球ストレート。
 そんな言葉に、否定の言葉を直ぐに投げかけられるか——と言われると、答えはノーだ。
「……そう、だよな」
「そうだよ。村木肇は、未だ終わっちゃいない。そうだろう? これからも、この先も、面白い作品をきっと書いてくれるはずだ。学生時代の……あの時のように、ライバルとしてあり続けたいんだよ、ぼくは」
「少し、考えさせてくれないか。それと、パソコンを貸してくれ」
 アイディアがあるというと、嘘になる。
 小説を書こうとする気もないし、書けるのかすら危うく思えているからだ。
 しかし、ここまで発破を掛けられて、何もしないのか——そう言われてしまうと、こちらも困る。
 ならば、抗うしかないだろう。
 精一杯、一生懸命、出来ることをやるしかない……。
「……そうか。そう思ってくれて、ぼくは嬉しいよ。部屋を用意したんだ、そこを使ってくれ」
 そう言って。
 おれを案内した部屋は、一人暮らしをするには充分過ぎる部屋だった。ベッドもあるし、窓もある。エアコンもある。しかし……。
「テレビがないんだな」
「娯楽を排除した。こうしなければ、面白い作品は生まれない」
 ストイックだな……。
 もしかしたら、こういうストイックさが作品に繋がっているのか?
 だとしたら、おれはこれに耐えられるのだろうか。
 おれは歩の期待に応えられるのだろうか。
 分からない。
 ——だが、やるしかない。
 退路はもう断たれたも同然だ。
 そうして、おれは一人部屋に残る。
 歩は、気が向いたら電話すると良い——そう言い残して去って行った。
「……ふう」
 疲れが、どっと出た。
 しかし、久しぶりに実のある話をしたような気もする。
 小説の書き方、どうすればアイディアが出てくるかまでは話せなかったとしても、小説を書くということ自体久しぶりであることは間違いない。
「……どんな作品を、書くかな」
 久しぶりだ。
 頭の中から、アイディアを探し出すのは。
 少しだけ——ほんの少しだけ、頭がスッキリしたような、そんな感じすらあった。
 目を瞑る。
 いつも、アイディアを出すときはそうだ。
 何も情報を入れないようにする。
 天啓を待つ——とまでは行かないけれど、それに近しいものがあるだろう。
 でも、あまりに久しぶりすぎて、いつそのアイディアが出るかは分からない。
 時間との、己との戦いだ。
「……あいつは何時まで待ってくれるんだろうな」
 独りごちる。
 歩は今頃プロとして小説を書いているのだろう。
 遠くに居るはずなのに、おれのことを気に掛けてくれるのは、有難い話だ。
 少しは、期待に応えなくてはならないだろう。
 そう思いながら、おれは再びアイディア探しのために、頭をフル回転させていくのだった。


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