第一章4
結局、三杯も飲んでしまった。
ジョッキで三杯飲めば幾ら酒に強いからといえども、多少はセーブしようと思い始めるのは、当然の成り行きだと言えるだろう。それでも飲み続ける人間が居たらそれは破滅への第一歩ということになってしまうのだろうな。生憎、そこまで酒を飲んだことがないが。
部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、またあの女性とすれ違った。
タオルを持っているところを見ると、どうやら部屋の掃除をしている様子だった。
「……あ、どうもこんばんは。夕飯はもう少し後ですからお待ちくださいね。それとも、違う用事ですか?」
「ここは長いのか?」
「え?」
「いや、単純に気になってな。マスターが話していたんだ。ここで生まれたからには、ここで骨を埋めたい、とな……」
「お父さん、いつもそんなことを言うんですよ」
マスターだろ。
突っ込んだところで、まともに話が進まなくなってしまうのは火を見るより明らかであるから、絶対に突っ込むことはしない。
「お父さん、ずっとここで宿屋を開いていて、最近は私に色々と権限を移してくれたんですけれど、今でも不満は言っているんですよ。何でもお父さんが現役で経営をしていた頃からと比べると、かなり税金のウェイトが大きくなってきたとか。確かに大変になってきているんですけれど、それはあくまでも収入が減ったからだと思っていたんですけれどね……」
「でも、どうしてそれを不満だと思っているなら、立ち上がろうとしないんだ?」
「……変わらないと思っているんじゃないでしょうか。それは、私も同じ思いではありますけれど」
つまり?
「私達はこの街で長く暮らしてきました。確かに思いは共通でしょう。大半の人間が税金が高いことについて不満を抱いているはずです。けれども、全員が立ち上がろうとしたところで、私達は力がありません。そして非力な私達をまがいなりにも守ってくれたのが、エッダー家でした。仮に、私達がそのクーデターを成功したとして、次の政権がエッダー家と同じ条件の防衛をさせることが出来るでしょうか?」
「ノー、だな。不可能とまでは言わなくとも、同じ条件に持ち込むには相当の舵取りが必要だろうね」
私は正直に言ってしまう人間でね。
例え相手が不快な気分になってしまったとしても、私はそれについて謝罪するつもりはない。
だって真実だからね、それについては致し方ないと思ってもらうしかあるまい。
「……ですよね。旅人さんもきちんとそこを理解してくれているようで何よりです。たまに居ますから、何も分からないくせに希望論ばかり振り翳す人間を」
誰とは言わないけれど、居るだろうねえ。
この世界はあまりにも平和ボケした人間が多過ぎるからな。
或いは、自分の喉元にまでナイフを突き立てられたことのない人間が多いとでも言い換えれば良いかな。きっと、私が思っている以上に考え方が生温い人間は多いと思うよ。
「あ、いえ……そこまで言うつもりはないんですけれど、とにかく私としてはこの国に生きていく以上は、冒険はしないんですよ。その方が、何かと楽ですから」
◇◇◇
夕飯の時間までは、少しだけ時間がある。
取り敢えず自室で情報を整理する時間に充てることとした。
情報を整理すると言っても大した情報は入手していない。有益な情報といえば今城に居るであろう人間の種類と人数ぐらいか。今はそれなりに大規模のパーティーを開催しているためか、人の出入りが激しいらしい。
それは私にとっては誤算だった。そもそもそんなに豪勢なパーティーを開催していること自体誤算だったのに、人が沢山出入りしているというのが問題だ。
出入りということだけにフォーカスするならば、城に入りやすいという点が挙げられるだろう。
大勢の人間を捌ききるとなれば、それなりに入口の兵士も疲弊しているはずだ。
であるならば、多少誤魔化しが利くはず。これで人の出入りがほぼないというのであれば、泥棒よろしく窓から侵入するのも考えていたが、見つかった時のことを考えるとやはり正規のルートから入った方が良い。
「……後はその書類をどうでっち上げるか、だが……」
恐らく顔パスは不可能だ。しかし私を貴族として偽装するのも難しかろう。ともなれば、一番可能性があるのはお付きの従者か。それならば確実に中に入ることは出来るだろうし。
でっち上げるにしても、元になる物がなければ話にならない。仮にそれを委託しようとしたって、元の物が存在しなければ模倣することも叶わない。
「……やはり、裏から入るしかないのか?」
泥棒みたいなことが出来るとは考えていない。俊敏ではないとかそういう類の問題ではなく、見つかった時のことを考えるとそれはあまりにリスキーであるということだけの話だ。正面から堂々と侵入すれば問題はないのだろうが、これが裏から侵入だったらその瞬間を見られてしまえば終わりだ。
見られたところで口封じが上手く行けば良い。しかし賢い人間だったらその場でとっ捕まえようとせず助勢を呼ぶだろう。一対一ならば負ける可能性も有り得るが、それが十対一ならば確実に多数派が勝利する。相手が相当な剣豪でもない限り、それから盛り返すことは不可能に近い。
「うーむ……、何か良いアイディアはないものか」
可能性として考えるとするならば、一番現実的なのは従者からチケットみたいなものを――もしあるとするなら、という前提条件の上だが――手に入れるしかあるまい。その場合は当然、非公式なやり方で手に入れることになるのだろうが。
この宿屋に従者が泊まっていればラッキーだが、世の中そう甘くはない。そもそも私が宿泊した時点で閑古鳥が鳴いていたぐらいの雰囲気だ。ならばその後から新たに人が来たとしても、それがパーティーに参加する貴族の従者である可能性は、限りなく低い。
「可能性にかけるとして……、運が良ければ酒場で引っかけられるか。あそこの酒はまあまあ美味かったし、雰囲気も良い。もしかしたらそこを狙ってやって来る奴が居ないとも限らない」
これもまた、可能性。
神頼みと言っても過言はないだろう。……尤も、私は神という存在を信じてはいないがね。
チャンスは待っていると来るものではなく、自分で掴み取るものだ――これは私の知り合いが良く話していた言葉だ。好きな言葉だったのかもしれないが、散々話していたから私も覚えてしまった。
それに、この言葉は真理を突いている。
待つだけでチャンスがやって来るのなら、人間はずっと待ち惚けで構わない。
しかしそれでやって来ないのがチャンスというものだ。努力したり対策を練ったり何かしらのアクションを起こしたからこそ、そこで初めてチャンスが舞い降りて来る。
「……一先ず、腹拵えとするか」
気付けば、もう夕食を予約していた時間だった。
無料だからあまり期待はしていないものの、どんな料理を食べられるのかを少しばかし考えながら、私は部屋を後にするのだった。
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