第一章7


「おや、流石にご存じでしたか。であるならば、自己紹介をする必要はありませんね?」

 ウルは深々とお辞儀をすると、一歩近づいた。
 ウルは何をしようとしているのか――今の私にはさっぱり見当がつかなかった。

「嫌ねえ、そんな警戒しなくても良いのに。……それとも、警戒しないといけない理由でもあるのかな?」
「……何を言っているんですか? 私はただ迷子になっただけだと」
「迷子になった人間は迷子になったと自ら言わないものよ」

 図星ではある。しかしこうもずけずけと言われてしまうと、一度はぎゃふんと言わせてやりたいものだ――弁が立たないからどうしようもないのだが。

「迷子になっている人に散々声を掛けていくのは、やっぱりどうかしているのかもしれないわねえ……。本当に、迷子だったとするならば」
「疑念を拭えないのもどうかと思いますが、人を勝手に悪人扱いするのもちょっとね」

 いや、悪人であるからそこについては否定するつもりは毛頭ないんだ。
 しかし、ここで計画が破綻してしまっては何の意味もない。
 だから私はここで何としても切り抜けなければならないのだが――。

「分かったわ。それじゃあ、私はこれで退散するから」

 ウルは踵を返し、スタスタと歩き始めてしまった。
 拍子抜けしてしまった私は、一瞬思考が停止してしまったが、これはこれで問題ない。

「……でも、いつかまた出会うことになりそうよねえ。私とあなたって、お似合いだと思わない?」
「そうですかね。……私は旅芸人とまた出会いを求めることは考えてはいませんから。まあ、また会えたらそれはそれで良いと思いますが」
「そうかしらねえ。ま、また会えたらそれはそれで。私の好きな言葉、知っているかしら?」

 別にファンでも何でもないし、知るはずがないだろう。
 私はツッコミを入れようと思ったが、しかしそれで相手のトーンに引きずり込まれては本末転倒だ。だったら私は無言を貫くしかなかった。

「……何よ、つれないわねえ。私の好きな言葉、特別に教えてあげる。私の好きな言葉はね、一期一会って言うのよ。一度会っても、もう二度と出会えないかもしれない。だったら、後悔のないように生きていくしかないってこと。……良い言葉だとは思わないかしら?」

 どうかな。そこまで良い言葉とも思わないし、どうしてそれを見ず知らずの私に言ってくるんだ? 変に気に入られていると困るんだよな、これからの展開的に。

「まあ、良いわ。取り敢えず、一旦のお別れを。じゃあね」

 手を振って、廊下を歩いて行くウル。
 最後まで雰囲気を掴むことが出来なかった。末恐ろしい存在だ……。二度と会いたくないが、多分出会う運命にあるような気がする。第六感がそう悟っている。
 一先ず、障壁は消え去った。
 私が向かう場所はただ一つ。パーティー会場から離れた場所にあるであろう、トールの寝室だ。

  ◇◇◇

 寝室へ向かう道中、厨房と思われる部屋の入り口があった。
 扉は開いており、中では誰かがヒソヒソ話をしている。
 よっぽど聞かれたくない話なのか、或いは世間話が好きなだけなのかは知らないが、取り敢えず情報収集をしておくに超したことはない。私はそう思って壁に身体を近づけて、耳を傾ける――。

「ねえねえ、最近お姫様が出てこないけれど、何かあったの?」
「あれ? ミーシャちゃんは最近休んでいたから知らなかったんだっけ?」
「いや、最近入ったばっかりです、マリアさん……。覚えてください」
「あー、ごめんなさい。私、そういうところ覚えるのが苦手なもので……。で? 最近入ったばっかりってことは、何も知らないってことで良いのかな?」
「そりゃ、そうですよ……。ここに入って未だ数日ですよ? 面接の時は居たご主人様とは一度もお会いしませんし……」
「だって、ご主人様死んじゃったからね」
「…………え?」

 え?
 今、何て言った?

「いや、何て言いました、マリアさん。ご主人様が、亡くなった?」
「うん、こないだね。葬式も終えたばかりだし、もう土に埋まっているはずだけれど。ただ、周囲の人と国民には暫く伝えないようにしてくれ、という言葉が遺してあったからね。今まで通りに動いているの。知っているのは親族とメイドである私達だけ。あ、でもミーシャちゃんは知らなかったか。いずれにせよ、お客さんは誰も知らないよ。伝えてはいけない、ってことになっているから」
「パーティーにも参加していないんですよね? だったら直ぐばれるんじゃ……」
「それがばれないんだよねえ。意外と公務で忙しいって伝えれば納得してくれるし、一応手紙を書いて渡すことにしているんだけれど、それも生前に遺してあった手紙をコピーしているだけだからね。厳密に言えば騙していることになるから、心が痛まないことはないのだけれど……。でも、致し方ないよね。こうなってしまったからには」
「……私達、これからどうなるんですか?」
「執事のセバスチャンさんが居たでしょう? 暫くは彼が、ご主人様が亡くなったことを気づかせないように動くはずよ。何せ、ご主人様の子供はお姫様……ソフィア様だけだからね。だからソフィア様が居なくなったら今度こそお終いかな。或いはそれすらも誤魔化すか。悪い人間だったら乗っ取ったりしちゃうかもね。何処までセバスチャンさんが考えているかは、メイドたる私には何一つ分からないけれど」
「……いや、それってどうなんですかねえ。私達がずっとメイドを続けていられる保証もないってことですよね? そりゃ今はソフィア様が居ますけれど……」
「急に国王が死んだことが分かったら、国が混乱してしまうんですって。……私には、政治なんて分かりゃしないけれど、そう思うのは仕方ないかもね。やっぱり不満を抱いている人は居るでしょうし、急に国王が死んだと分かればクーデターを引き起こす可能性だって否定出来ない。ソフィア様は今まで一度もそういう政治に足を踏み入れたことはないんだから」
「……ソフィア様も可哀想ですね。いきなりそのような窮地に立たされて」
「ソフィア様も何を考えているのか分からないわ。今もずっと自室に籠もってばかりだし。……実の親が亡くなったのだから、悲しみに暮れるのは致し方ないけれど、少しは当主としての自覚を持って欲しいものよね。そうしないと、本当にセバスチャンさんに奪われるわよ、何もかも」
 



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