その空間は、一つの大きな部屋だった。ただの地下室――と言えば良いのかもしれないが、それを感じさせない異様な雰囲気を漂わせている物が、部屋の中央に鎮座していた。
「これは……何だ?」
 それは箱だった。リュージュの身長より少し高い程度で、上辺が天井すれすれの位置になっている。色は黒で統一されており、凹凸はない。
「見た感じただの箱ではなさそうだが……」
 リュージュは周辺を見回しながら呟く。
「あなたでも分かりませんか、これが」
「お前には分かるのか?」
「……それが分かれば苦労しないのですが」
「その様子からして、未だ分からないようだな」
「いえ、そういう訳ではないのです。分からない……というよりは、恐らくこうだろうな、という見解しか言えないのですが」
「まどろっこしいな。はっきり言え」
『それは私がご説明致しましょう』
 突如、空から声が聞こえた。
 リュージュは目を丸くして、ボイドに目線をやる。しかし、ボイドは首を横に振り――僕じゃありませんとでも言いたげな表情を浮かべていた。
 じゃあ、誰が?
 リュージュがそう呟き、ラルドとミリアを見つめるが、彼らもその声に困惑している様子だった。
 リュージュ達以外に、誰かがこの空間に紛れ込んでいるとでも言うのだろうか?
「違いますよ、リュージュさん。その声を出したのは僕でも、あの子ども達でもない。……アリス、少し悪戯が過ぎるんじゃないか?」
『申し訳ありません。私には、人間の思考が数億通りインストールされていますので』
「……まさか、この箱が?」
「電子計算機(コンピユータ)、というそうです」
 ボイドは肩を竦めて、話を続ける。
「最初、彼女から言葉を受け取った時は、幻覚でも見ているんじゃないか、って気分に陥りました。当然ですよね、目の前には誰も居ない。いや、目の前どころの話じゃない。空から声が聞こえてくるんです。僕はてっきり、神様が語りかけてきたのかと思いましたよ」
「馬鹿馬鹿しい、そんなことがある訳ないだろう。……で、これはいったい何なんだ?」
「だから、言ったじゃないですか、電子計算機、だと。喪失の時代以前には存在していたんでしょうか? その辺り、リュージュさんは何かご存知じゃありませんか?」
「知らないな。喪失の時代も、私はあの塔から出たことはない。記憶にある限りでは」
「ほんとうですか?」
「嘘を吐いてどうするんだ。とにかく、その電子計算機がアリスという人格を保持していると?」
 ボイドは頷く。
 リュージュは、ううむと唸りながら箱を眺めていた。
「俄には信じがたい。この箱はいったい何を動力として動いているんだ? まさか、知恵の木の実?」
『私は、この星の活動に伴い生まれるエネルギーを使い動いています』
「活動……? 記憶エネルギーとは違う、と?」
『すいません。私の辞書には、記憶エネルギーという単語は見つかりません』
「人間のようで人間らしくない。これが電子計算機の人格という訳か……」
「分かっていただけましたか?」
 ボイドの言葉に、リュージュは頷くことしか出来なかった。
「……ああ、分かった。分かったよ。ここまで来たら、私はそれに従うことしか出来ないな。確かにこれは、今の技術じゃ開発することが出来ない、立派なオーパーツだ。もし持ち出すなり何なりして世界に公表したら、とんでもないことになるだろうよ」
「僕も確かにそう思っていました。けれど、兄は……」
「兄? ……ああ、あの国王のことか。国王が何か?」
「兄は……国王は、この機械によって、何か世界が変わってしまうのではないか、ということを恐れています。リュージュさんもご存知の通り、この世界には三つの国があります。それについては、言わなくても分かりますよね?」
「ハイダルク、スノーフォグ、レガドール。その三つの国が三つの大陸を分け合って管理している……はずだったな。だが、歴史上の立ち位置からハイダルクが世界を統治している形になっていたはずだ」
「はい。そうなんです。……そして、今はとても平穏です。かつては、戦争が起きたとも言われています。何せ、それに関する文献が一切消滅してしまうぐらいの出来事だったのですから。とはいえ、残っている歴史の中でも、幾つか大きな戦争は起きていました。少なくとも、今は、そのような戦争を起こすべきではない……と」
「戦争の火種になり得るかもしれないこれを、世界に公表するべきではない、と?」
 




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