僕の通う中学校は至って普遍的な中学校であった。地下鉄の駅が最寄りにあるし、バス停も近くにあるから交通の便は悪くない。そもそも名古屋自体が車社会だったりする訳で、公共交通機関を使うよりも自家用車を使うケースが多かったりする訳だけれど。しかし、今日だけは違っていた。いつも変わりない中学校だったけれど、今日だけは違っていたのだ。その『違い』を作った原因となったのは、昨日僕が立ち会ったあの事故――正確には未遂か――だった。SNSでも『突如現れた赤ずくめの少女が命を救った』だの『時間を操ることの出来る少女が現れた』だのどうでも良いトピックスで満載だった。そんなトピックスなんて、正直どうでも良かった。僕にとっては、普段の一日の動きに支障が出ないと思っているから。それが当たり前のシステムに何かを齎すというのなら、それはそれで有りかもしれないけれど、それでも、僕はその『魔法使い』のような少女について、少し考える時間を与える暇すらない、と言った状態だった訳だ。
 教室に入るとクラスメイトがざわついているのが感じられた。少し聞き耳を立ててみると、やはりというか何というか、話題はその少女のことで持ちきりとなっていた。その事故はどうやって防ぐことが出来たのかだとか、その少女はいったいどんな絡繰りを使ったのかだとか、その少女はいったい何者なのかだとか、まあ、色々な話題が出ていた。僕としては、そんなことどうでも良いと思っていたので、早々に自席に着席して、一つ溜息を吐いた。僕が座っている席は、窓側の列の後ろから二番目だ。しかし、正確には、一番後ろの席は空席となっているため、僕の席が実質一番後ろになっている訳なのだけれど。
「なあ、カズ。昨日の事故、知ってるか?」
 座ったタイミングを見計らって、僕の前から声が聞こえてきた。
 その正体は前に座っているクラスメイトで、唯一の友人――この場合、友人とは名前と顔が一致している存在のことを指す――であった伊野啓介が話しかけてきた。啓介はどちらかというとあまり学業に励んでいない人間だ。部活動は交通研究部という、少々辺鄙な部活動に所属していた。僕も暇な時は足を運ぶのだけれど、正式な部員とはなっていない。
「事故、って何のこと?」
「おいおい、冗談きついぜ。ツイッターで知ってるだろ? トレンド一位にもなってたし、テレビのニュースでも流れてたぜ、『赤い魔法少女』の話題」
 へえ、そんな名前で呼ばれるようになったのか、彼女。
 と、彼女のことをまったく知らないくせに知ったかぶりをして僕は話を聞いていた。
「ああ、聞いたことがあるような、ないような。で、その彼女がどうかしたのかい」
「何でも、その魔法少女は、魔法都市からやって来たんじゃないか、ってネットでは話題になってるんだよな、確かにこのご時世ならそうなる可能性は充分にあるけれどさ」
 魔法都市。確か、奈良県の山奥に存在する都市だった気がする。名前は明確には与えられておらず、遙か昔より魔法のことを研究していて、近代に入っても日本政府と協力しながら魔法の使い方について上手くあれこれ考えている場所――だったような気がする。どうしてそこまで知っているのか、ということについては、中学の社会の授業で詳しく魔法都市について学ぶからだ。中国で言うところの香港やマカオに値する場所だとされているらしいし。
「魔法都市から人材を流出させることは避けられている、なんてことを学ばなかったか?」
「確かにそんなことを学んだ記憶があるけれど、でも限界はあるだろ。普通の人間が、外の世界に興味があるのに、外に出させてくれないなんてことあるかよ? 俺なら必死に抵抗すると思うがね」
「そういうものかな……。ん、でも、やっぱりその辺りは上野人間があれやこれや考えてるんじゃないのかな。詳しいことはさっぱり分からないけれどさ」
「いや、どうだろうな」
 チャイムが鳴って、同時に先生が入ってくる。黒いセミロング、眼鏡をかけた女性だ。四十代ぐらいだと思うが、先生自体は年齢を明かしたことはない。そもそも、女性に年齢を聞くなんて御法度なんて言われかねないしな――。ただ、一言だけ言っておきたいのは、その先生は別に若作りをしている訳ではなく、どちらかと言えば自然体で過ごしている点だ。それについては、その先生の生き方というかやり方というか考え方というか――それに近い何かがあるのかもしれないし、僕としてはあまり関わるつもりもないから言わないでいるだけだし、それを等しく皆思っているからこそ、普段誰も口にしないのだろうけれど。本当に、このクラスはよく出来ていると思う。普通の中学生と思いきや、大人ぶった価値観の人間が多いと言えば良いだろうか。
 教壇に移動していった先生は、こちら側を向いて話し始める。
「皆さんに一つご報告があります。具体的には転校生です」
 転校生、という単語を聞いてざわつくクラス。それと同時に、僕の中では少しだけ違和感を抱いていた。それは、何故このタイミングなのか、ということだった。今日は四月下旬、とどのつまり一学期が始まったばかりなのである。つまりどういうことかと言うと、もう少しスケジュールをずらせば四月上旬で最初から一緒に始められたのではないか? という点だった。家族の仕事の都合、にしても中途半端な気がするし。
「まあ、取り敢えず先ずは、紹介した方が良いでしょう。クレアさん、入ってきて」
 クレア? もしかしてハーフか外国人なのか? 僕はさらに気になっていった――と同時に、何処か胸騒ぎを覚えた。どうして胸騒ぎをする必要があるのか、何か身体が危険信号を送っているのか――なんて考えていたのだが。
 その意味は、直ぐに判明することになる。
 引き戸を開けて、中に入ってきたのは、赤いツインテールをした少女だった。制服の色に似つかわしくないその髪は、見る者全てを圧倒させた。最初、バリバリのヤンキーか何かじゃないかなんて思ったけれど、元号も変わったこの時代じゃ、その単語も死語になりつつあるのだが。――いや、そうじゃない。そういう問題じゃない。僕は、彼女を見たことがある。そして、それは何人かのクラスメイトもそう思っているようだった。
 少女は先生の横に立ち、無言で黒板に向かうと、そのまま何かを書き始めた。それが名前であることに気づくまで、僕達はただ彼女の行動を監視し続けるだけだった。無音となった教室に、チョークの音が鳴り響く。カツ、カツ、という音が鳴り響いているだけなら、その教室は授業が行われているだけだろうなんて想像するかもしれないが、しかし実際にはその予想を超える珍妙な空間になっていた。
 書き終えると、チョークを置いて、そして踵を返す。
『黒津クレア』
 達筆とはお世辞にも言えないような丸っこい字で、そう書かれていた。
 少女――クレアは表情を一つ変えることなく、告げた。
「私の名前は、黒津クレア。……よろしく」


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