そして土曜日、僕とクレアが魔法使いに会いに行く日がやって来た訳だ。僕の住む家から待ち合わせ場所のオアシス21までは、二つのルートが想定される。一つは地上を走るバスに乗っていくこと。僕が住んでいるこの場所は、意外にも栄まで一本のバスで行き来出来る範囲にあり、運賃も地下鉄よりは安く済む。しかしながら、混雑が想定される道路を走る関係上、地下鉄よりかは時間がかかる。もう一つは、地下鉄を利用するパターンだ。上前津か伏見で乗り換えが必要になるが、バスと比べれば時間が正確である点と、バスよりかは時間がかからない点が挙げられる。どちらも一長一短だが、どちらを使っても良いのは、良いことなのかな。
「……遅いな」
 待ち合わせ場所はオアシス21の屋上である『水の宇宙船』だった。水の宇宙船、というと洒落た建造物を想像するかもしれないが、要するに、オアシス21の二階部分に設置された巨大プールとその周辺に整備された遊歩道兼展望台のことを言う。プール、と言っても泳ぐことは当然出来ないのだが、地上十二メートルの高さに設置された楕円形のガラス張りのプールが、遠くから見ると宇宙船に見えてしまうことから、水の宇宙船と呼ばれるようになったのだと言う。何でも、ただのガラスじゃなくて太陽電池が設置されているらしいので、環境にも良いんだとか。――それにしても、水の宇宙船はいつもカップルが多い気がする。カップルの他に居るのは学生のグループとか小さい子供が居る家族連れとかで、一人で居るのは僕だけ、という少々寂しい結果になっている。クレアよ、出来ることなら早く来てくれないだろうか。まあ、今の時点で十五分も時間が過ぎていることを考えると、迷っている可能性も充分有り得るのだが。
 因みに、クレアはスマートフォンを持っていない。このご時世にそれはどうなんだ? と思うかもしれないが、そもそも今まで暮らしていた魔法都市ではそのようなものは必要なかったようで、固定電話だけで生き延びてきたらしい。今のご時世考えると、それって猛者だぞ、猛者。スマートフォンを持っていた方が良いんじゃないか、なんて言ったこともあったけれど、しかしながら、スマートフォンの使い方が分からないの、なんて言い出していたのだった。いや、慣れるのに時間がかかるから、別に使う使わないは人の自由なのかもしれないが。
「お待たせしたの」
 そう聞いて、僕はそちらを見る。彼女は、あの時と同じように、フリル付きの真っ赤なドレスを身に纏っていた。その容貌はあまりにも目立つので、周りの色んな人がひそひそ声で会話をしながらこちらを見ている。何か言いたいことがあるならはっきりと面と向かって言えば良いのに。
「まあ、別に、そんなに……待っていないけれど、良く無事にここまで辿り着けたね」
「最上さんに地図を印刷してもらったの!」
 そう言って彼女はポケットから何かを取り出した。それは何回か折られた紙だった。成る程、スマートフォンを持っていないから、アナログに頼らざるを得ないという訳か。それについては、仕方ないと言えば仕方ないのだが。――だが、インクやプリントの手間を考えると、やっぱりスマートフォンの地図アプリを使った方が良かったのではないだろうか?
「まあ、何とかバスの発車時刻には間に合ったようだし……取り敢えず、バス乗り場に移動しようか」
「そうするの!」
 僕達はエレベーターで地上に降りて、そのままバス乗り場に移動した。バス乗り場には沢山のバス乗り場が所狭しと並べられている。名古屋市の至る所にバスが往来するのだ。
 その中の一つ、港区役所行きに僕達は乗車する。既に何人か並んでいる様子だった。しかし、土曜日の昼間にも関わらず、これぐらいの人間しか居ないということはあまり需要がないんだろうか。
「調べたところによると、港区役所までは地下鉄でも一本で行けて本数もそっちが多いのだけれど……、乗り換えを考慮するとバスで行った方が良いんだよな」
「どういうことなの?」
「港区役所には、ららぽーとがあるんだよ。それで、そのららぽーとの開業に合わせて、バス乗り場が整備されたんだ。港区役所を発着するバスは全てそこを通るようになっている、って訳。そして、港区役所の駅から、そのららぽーとまではそれなりに歩く。涼しい日ならまだしも、今日はそれなりに暑いだろ? だったら、あまり歩かないで行ける風にした方が良いんじゃないか、って思ってね」
 因みに一つ手前の東海通駅まで行けば、乗り換えも楽ではあったのだが、初めてのバスで座れるかどうか分からなかったので安パイを取った、という訳だ。
「運賃は幾らするの?」
「二百十円だよ。でも今回はバスに複数回乗るから、これを購入しているけれどね。クレアの分も用意しておいたから」
 僕はクレアに緑色のカードを手渡す。それを見てクレアは疑問符を浮かべていた。まあ、知らなくても仕方ないかもしれないな。日常的にバスを乗るとか、鉄道に乗るとか、こういう時のようにたくさんバスや鉄道に乗らない限りは。
「これは、ドニチエコきっぷという奴だよ。地下鉄とバスが一日乗り放題となる、お得な切符さ。これを使えば、特典もあるんだけれど……それについてはまあ、気にすることもないかな。僕の場合は、最低三回はバスに乗るだろうと思っていたから……これを用意しておいた、って訳。これからバスに三回は乗る訳だしね」
「そんな遠い場所なの……?」
「意外と不便な場所、って訳さ。今から僕達が行く場所は地下鉄が通っていないから、自家用車かバスしか交通手段がないんだよ。でも、車を持っていない僕達はバスに乗らざるを得ない、って訳だ」
「これを使えば、お金がかからないということなの?」
「まあ、そういうことだな。……おっ、バスが来たみたいだ。取り敢えずこれで終点まで行こうぜ。サクサクと目的地に行かないと話がまとまらないからな」
 あんまり長々と話をしても意味がない、というのはこないだのことで把握済みだ。だったら、クレアには簡単に、かつ分かりやすく伝えるのが一番だという結論に至る訳である。いずれにせよ、それが正しいかどうかなんて今の僕にはさっぱり分からないのだから。最終的にはクレアがどうにかしないと行けない道のりなので、それについて僕は付いていくだけに過ぎない。
 バスに乗り込む。僕はカードを入口に通す。モニターに表示される日付が今日の日付であることを確認し、運転手は了解する。続いてクレア。彼女もカードを若干ぎこちなくではあったものの無事に入口に通し、少しの沈黙があった後、モニターに日付が表示される。当然ながら、こちらも今日の日付である。それを確認して、運転手は会釈する。僕達はバスの奥を進み、一番後ろの席を確保した。とは言っても乗っている人間は全体で五名ほどで、席が埋まることはなかった。それから人数は増えることなく、定刻通り栄のバスターミナルを出発した。
 車窓を眺めていると――しばらくは市街地を通るようだった。大通りを西進して名駅の近くまで進み、その後目的地へ向けて南下するルートのようだった。そのルートを見るに、やはりどちらかと言えば地域間輸送の役割を担っているのかもしれない。まあ、鉄道より安く済む分その辺りについてはあまり考える必要がない、と言えばそれまでなのだけれど。急ぎたいなら鉄道を使えば良い訳だしな。
「ねえ、カズフミ。いったいどれぐらいかかるの?」
「時間かい? ええと、確か、一時間ぐらいかかるんじゃないかな……」
「そんなにかかるの」
「安く済むし、暑い炎天下をわざわざ歩かなくて良いんだから、別に問題ないんじゃないか? 未だ時間はあるから、気にする必要はないだろ、同じ市内だから特段問題はないし」
「それは……そうかもしれないのだけれど」
「何か心配事でもあったか?」
「心配って程じゃないけれど……、でも、出来ることなら早く話をしたいと思ってたから」
「そう思うのは分からなくもないが、瞬間移動でもしない限り無理な話だぜ? それについて実用的な手段があるならまだしも、そんなことが出来ない訳だし、仕方なく自然の摂理に従うしかないんじゃないかな。……まあ、これを自然の摂理というのは少々お門違いのような気がするけれど」
 


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