基幹バスは、基本的には専用レーンを走ることでその速達性を確保している。しかしながら、そのレーンがバス専用となるのは、早朝の通勤時間など限られた時間だけであって、それ以外はただの普通の車線にほかならないし、ということはどんな車だってそこを通ることが出来る訳である。
「……だから、こんな風に普通車がバスの前に停車して、バス停にバスが止まれないこともある、と……」
 古出来町あたりのバス停で停車しようとしたら、バスの前に走っていた二台の乗用車が赤信号で停止したために、そのままバス停の部分を占有してしまっていた。だから、自ずとバスがバス停の前に停車することが出来ず、ここで降りたい乗客は降りたいのにこれで数分足止めを喰らう訳だし、ここから乗りたい人はここで無駄に立ちっぱなしの時間を過ごしてしまうことになる。
「まあ、それもまた名古屋の一般的な風景の一つ、と思えば良いんですよ。名古屋って車社会ですから、こういう変わったところも面白くて良いんですよ。……まあ、長く住まないと分からない感情かもしれませんが」
「確かに分からないかもしれませんけれど……でも、やっぱり変わったところであることは間違いないでしょうね。僕も名古屋にやって来てそんな時間は経過していませんけれど……、僕は未だ名古屋のことを新鮮に味わえますよ。……あ、バスが動き出した」
 少しバスが動いて、そのままバス停に停車。基幹バスは通常のバスとは違って、後ろ乗り前降りとなる。運賃は普通に二百十円、どにちエコきっぷなどの一日乗車券は、通常の乗車時とは違い、降車時に使う。
「引山までどれぐらいかかるんですか?」
「古出来町からだと……二十分から三十分ぐらいだったような気がしますね。まあ、それぐらいなら別に良いんじゃないですか? だって、どれだけ乗ったところで、一時間もバスに乗ることはありませんから。……あっ、でも、凄い渋滞していたら、話は別ですけれど」
「ジュータイ?」
「車が詰まって動かなくなること、だよ」
「人が大変なことになる状態、ではなくて?」
「……ボケのつもりで言っているのか分からないけれど、それは重体だ。漢字が違う」
「日本語って難しいの……」
 クレアがしょぼんとしているけれど、それは別に彼女にとって、と言うことじゃない。僕だってそう思うこともあるし、日本人でありながら日本語が出来ない人間も大量に居る訳だし。
「……まあ、それは置いておいて。このペースだと、引山でちょうど乗り換え出来そうですね。引山から四軒家西口まで行くバスも、四軒家西口から東谷山フルーツパークまで行くバスも、どちらも一時間に一本ですから、上手く乗り換えが出来ないことが大半なんですよ。……この時間帯だけは、上手く出来るみたいですけれど」
「そんなもんなんですか?」
「そんなもんなんですよ」
 そういう訳で。
 僕達は、そのままバスターミナルへと向かうのだった。

   ◇◇◇

 引山バスターミナル。
 バスターミナル、というからには周りに商業施設があったり駅があったりするものかと表板が――そこにあったのはマンションだった。あとコンビニ。自動販売機もあるっちゃあるけれど、バスターミナルと言っている割りには数が少ない。
 バスターミナルと名乗っているだけあって、ターミナルにはバスしか入ることが出来ない。転回場にもなっているそのターミナルには幾つかのバス停があるが、駅が隣接している訳ではない。バス停を見てみると、引山から駅に向かうバスは何本かあるようだが、ここから直接駅へ歩くのは少々手間がかかりそうだ。
「……ここから四軒家西口まで向かうんですか? 徒歩は難しいんですかね?」
「きっと一時間は余裕でかかると思いますけれど」
「さっき言った言葉はなしでお願いします」
 最上さんに従っておくに超したことはないだろう――そう思いながら、僕は直ぐに自らの意見を自らが否定した。
「えっと、次のバスがあと十五分で来るみたいなので……そこで飲み物でも買いましょうか。喉も渇きましたし」
「それは正論なの!」
「確かにその通りだ。出かける前に喫茶店でコーヒーを飲んだだけだしな。……そういえばコーヒーって飲むと喉が渇きやすいんだったか? 気のせいかもしれないけれど」
「それは気のせいだと思いますけれど……」
「水ゼリーが飲みたいの!」
 クレア、よっぽど喉が渇いていたんだな。気がつけばあっという間に自動販売機の前に立っている。もしかして魔法を使ったのか? だとしたら魔法使いは楽なご身分だな――だって人間には出来ないことだからな、時間を操作することというのは。
「……って、今何て言った? 水ゼリー? それって何味なんだ?」
「うーんと……ラムネ味って書いてあるの! ラムネ味って何味?」
「ええと……炭酸水ではあるけれど、多分ラムネっぽい味なんじゃないかな……」
 ラムネ味はラムネ味だと言わざるを得ない。それ以上でもそれ以下でもないしな。確か、ポルトガル語のレモネードが訛ってラムネになった、なんて話を聞いたことがあるようなないような気がするけれど。
「まあまあ、そんなに慌てていても、飲み物は逃げませんよ。……クレアちゃん、そんなに前に立っているということは、飲み物を買うお金は用意しているんでしょうね?」
「お金?」
 まさか電子マネーを使う訳じゃあるまいし。
「……だと思いましたよ。はい、お金」
 いつの間にか最上さんが小銭を取り出してクレアに手渡していた。早いな。
 或いは、それを予見していたということか。流石は保護者といったところか。
「ええと、ええと……何を買えば良いの……」
 目をキラキラ輝かせながら、自動販売機のメニュー――で良いのだろうか――を見つめている。自動販売機の商品をこんなにキラキラ輝かせながら見ているなんて、きっと幼稚園児ぐらいのものだろうけれど、恐らく、クレアはこれを見たことがないのだろう。何せ彼女はずっと魔法使いだらけが住んでいる特別な都市、魔法都市に暮らしていたのだから。
 結局、クレアが購入したのはその水ゼリーだった。ラムネ味――というのはあまり判断材料にはならず、クレアとしては、ゼリーが自動販売機で売っていて、しかも飲むことが出来るということだけで判断したのだろう。まあ、最初に見た時は驚いたけれど、別にそこまで驚くことでは――ない、とは言い切れないか。普通なら、一度飲んだだけでもういいや、ってなってしまうけれど、それはクレアにとっては些末なことなのだろう。些細なことなのだろう。
「それじゃ、私はこれ」
 そう言ってクララが購入したのは、カフェインが大量に入ったエナジードリンクだった。赤や青といった色彩の暴力が容器に描かれている。それを手にして、クララは笑みを浮かべる。その様子からして、初めて飲んだ訳でもなさそうだ。まさかとは思うけれど、カフェイン中毒者なのか?
 僕と最上さんはお茶を購入した。喉が渇いているならお茶を飲むのがベストだ。こういう時だから清涼飲料水を購入しよう――なんて思ったりすることもあるけれど、それをすると、糖尿病になりやすいんだったかな。確か、ペットボトル症候群だっけ?
「あ、バスが来ましたね。乗りましょう、乗りましょう。あれに乗らないと、次は一時間後ですから」
 こんな何もない場所で一時間待ちは正直勘弁願いたい――そう思って、僕達は急いでバス停に停車したバスに乗り込むのだった。




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