東谷山フルーツパークのバス停に到着したのは、午前十一時頃だった。
フルーツパーク、というからには何かしらの施設が直ぐ傍にあるものかと思っていたら、バス停からその施設まではそれなりに遠い距離があるらしい。
「ここが、東谷山フルーツパーク……?」
「正確には、そのバス停、ですね。最寄りのバス停ではありますけれど、実際の場所まではまたそこそこ歩くようですけれど」
「ようですけれど、って……。最上さんは行ったことないんですか?」
「ありませんよ?」
さも当然に、そう言われても。
「……というか、それを言おうとしても無駄というか」
「無駄?」
「いや、何でもありません……。で、これからどうするんですか。感じからして、そのフルーツパークに行くという訳でもないですよね?」
「それは、分かっているようで何よりです。簡単に言えば、これから名古屋市をぐるぐる回る訳ですけれど……やっぱりそれには目的地を設けないといけない訳です。目的地がないと、正確に言えば目標がないと何かやっていられないというか……まあ、ないよりはマシって訳ですね。という訳で今回の目的地が……」
「さっき言ってた、河合小橋というバス停なの?」
「その通りですよ、クレアちゃん。もー、天才」
さっき最上さんが自分で言っていたじゃないですか。
「……和史くん、君、面倒臭い人間だと言われたことない?」
ありますよ、何度でも。
「言われているなら、直した方が良いと思いますけれど……」
「面倒臭いから良いんですよ」
「それは面倒臭いとは言わないような……」
「で、どれに乗るんですか」
しびれを切らしたのか、クララが少し苛立ちを抑えながらそう言った。
「河合小橋まではバスだけで行きますよ。そして、さらにもう一つのルールとして、『同じバスは使いません』。そのために、今から乗るバスは……あれです!」
最上さんが指さした先には、先程乗ってきたバスよりも一回り小さいバスがあった。
「あれは……?」
「あれは、地域巡回バス! 地域密着型の路線である故に色々と細い道を通るために、あんな小さいバスを使うことになっていますけれど……でも乗る人が少ないからどうってことはないのです」
「それ、何処かに怒られますよ……」
「まあまあ、色んなバスに乗ってみたいでしょう? でも、これに乗っていくと、一時間かかるんですよね……」
「じゃあ、どうするんですか? 流石にここで一時間浪費したら、間に合わないんじゃないですか」
例え、同じ市内であったにせよ、バスは真っ直ぐ二点を結んでいる訳ではない。ぐねぐね道路に沿って曲がっているし、一本乗ったらそこまで連れて行ってくれる訳でもない。ともなれば、複数回の乗り換えが必須な訳であって――。
「一度市外に出てしまいますが、この地域巡回バスに乗って高蔵寺駅まで行きますよ。そこで乗り換えです。……乗ってみたかったでしょう? ゆとりーとライン」
「えっ?」
あれ、乗れるんですか。
「ゆとりーとラインをどう思っているのか分かりませんけれど……少なくともあれは、地上区間ならば一日乗車券が使えるんですよ。なので、高蔵寺駅まで行って、そこから高架区間の始点である小幡緑地駅まで向かいます。……あ、ゆとりーとラインは高架区間の停留所を『駅』って言うんですよ。まあ、見た目が駅っぽいから分からなくもないですけれど……。でも、私達は今回それには乗りません。乗っても良いですけれど、追加料金がかかりますからね。……もしかして乗りたかったですか?」
「い、いや! そういう訳じゃないですけれど……」
「けれど?」
「…………興味がないと言えば、嘘になります」
そこは素直に認めないとな。
「宜しい。……取り敢えずこれからの話については、バスに乗って、高蔵寺駅に到着してから……にしましょうか。高蔵寺駅では少し時間はありますから……とにかく、あれに乗らないと次が一時間後。だったら歩いた方が良いけれど、この炎天下で歩くのはちょっちきついですからね」
それもその通りだ――そう思った僕は最上さんの言葉に逆らうことなく、それに従った。
◇◇◇
高蔵寺駅は、JRのほかに愛知環状鉄道が走っている。愛知環状鉄道は、環状運転もしていないのに環状鉄道と名乗っているのだが、歴史的経緯からそうなっているだけであって、本来は愛知『棒状』鉄道だ――とか茶化して誰かが言っていたような気がする。
「高蔵寺って、一応名古屋市じゃなかったような……。でも、ここに市バスが来るんですね」
「一応、市外にも市バスが来る例は、幾つも存在していますよ。例えば、西の大治町には、中心地までバスが走っているんですよ。名鉄バスとの共同運行区間でもあるので、運賃も市バスに合わせて安く設定されていますし」
「へえ……それにしても、最上さん詳しいですね」
「まあ……長年名古屋に住んでいますと、こういう知識も覚えていくんですよ」
というか、それってあんまり生きていく上で必要のない知識のような――。
「確かに生きていく上では不要かもしれませんけれど、不要な知識を持っていれば持っている程、人間って生きていくのが楽しくなるんですよ」
「へえ、誰の言葉ですか、それ。或いは何のデータです?」
「え? 私が勝手に考えた、それっぽい話ですけれど」
「……聞いて感心して損しました。もっと高尚な人間だと思っていましたから」
「高尚な人間? 私が? だったら今頃、もっと良い人間になっていますよ」
「そうですか……。で、これに乗るんですか?」
「そうです。これは大曽根まで向かうのですが……小幡緑地駅までしか乗りませんからね。高架区間は今度、自分で乗ってください」
「ええっ……楽しみにしてたの……」
一番愕然としているのは、ほかでもない、クレアだった。
「クレア? ……もしかして、落ち込んでいるのか?」
「落ち込んでないの……いや、それは嘘なの。落ち込んでるの。だって、だって、ただのバスじゃないって聞いたことがあるの!」
「確かにただのバスじゃないことは間違いないですけれど……うーん、困りましたね……四百円ぐらいかかりますけれど……」
「多数決で決めよう。乗りたい人!」
最上さん以外、全員挙手。
「えっ」
「はい、決まりました。それじゃ、終点まで乗りましょう」
「えっ」
「どうしました、最上さん?」
「いやいや、私は反対しますから……」
「でも、多数決ですよ?」
「私以外興味を持っているのなら、それは皆賛成するに決まっているじゃないですか! それって、多数決って言えるんですか、世論の誘導ですよ、誘導!」
世論って。まあ、間違ってはいないが。
「……少しだけ可哀想だけれど、これは仕方がないことなの」
「クレアちゃん……」
クレアは自分の財布からお金を取り出して、
「さあ、乗りに行くの!」
そう意気揚々と告げたのは良いけれど――クレア、あのバスは後ろ乗り前降りだ。