1 ルサルカ
コンクリートで出来た建造物は、保護をしなければ数十年も耐えうることは出来ない。
幾ら人間が多くの建造物を建てたところで、それを定期的に保全していかなければ、ただの瓦礫と化してしまうのは、当然のことだった。
かつては栄華を極めたとされる建造物の瓦礫が多く立ち並ぶその隙間――きっと建造物を使う人間が多く住んでいた頃は、それなりに栄えた繁華街の街道だったのだろう――を一人の少年が歩いていた。
黒を基調とした硬化ゴム製パワードスーツに身を包み、首にはボロボロとなってしまっている焦げ茶色のスカーフを巻いている少年だった。
建造物が多く建ち並んだこの土地も、今や汚染されてガスマスクを装着しなければ進むことが出来ない――死の大地と化している。
「……流石にこの辺りも何も残っちゃいねえか」
少年が欲していたのは、過去の文明の遺物。
数百年とも数千年とも言われる程昔に存在した、古代文明の遺物を求めていた。
その世界が、その文明が、どうして崩壊したのかは定かではないし、ハンターである彼が知ったところで、興味もなかった。
実際、生きていくためには必要な知識ではないからだ。
今を生きていくのが精一杯であるから、そんなことを考える暇などなかった。
瓦礫と化した建造物の角を曲がろうとした時、彼の視界に何かが映り込んだ。
(――まさか、競合相手?)
競合相手が同じ遺跡に居ることは、別に珍しいことではない。彼はそう思いながらも、腰に携えていた小型自動拳銃を右手に構えた。
急いで角へ向かい、その先をちらりと一瞥する。仮に相手が待ち構えていて、銃を撃たれていたらそこでお終いだ。幾らパワードスーツを着用しているからといっても、彼の着用しているそれは数日分の食費で購入出来る安物に過ぎない。高い物に至っては、それこそ彼の一年分の食費をも上回るぐらいの代物だって存在する。そこまで行く物を使えるのは、中央都市で王族を防護する警備隊ぐらいだろう。
ゆっくりと、壁から顔を出さないようにしつつ、向こう側を見る。
すると、そこには少女が立っていた。少女は、白いドレスに身を包んでいた。レースのような薄い生地でスカートの端を囲っていて、青い髪を腰の辺りまで伸ばしていた。
そして、彼が一番気になったのは――、
「……何でマスクを着用していないんだ?」
空気が汚染された世界では、ガスマスクを着用しなければ、走ることは愚か、歩くことすらままならない。
であるにも関わらず、今キョロキョロと辺りを見渡している彼女の顔は、ガスマスクで覆われてなどいなかった。
「謎だ……」
もしかしたら、自分の知らないところで透明なガスマスクが開発されているのかもしれない。
彼はそう考えた。実際、着ている服装からしてみても、彼女は富裕層であることは間違いなかった。ならばどうして富裕層の彼女がこんな遺跡に足を運んでいるのか、という疑問は残るが――そこについてはあまり考えないことにした。
「……しかし、もしかしたら」
金になるかもしれない――彼はそう思った。ドレスに身を包んでいる、この場所には不釣り合いな格好をした女性。もしかしたら、金目になる物を持っている可能性もある。いや、そうでなかったにしても何か使える可能性がある――。
彼はそう思って、さらにその足取りを追うことにした。
◇◇◇
突き当たりに辿り着いて、さらにもう一度確認。そしてまた突き当たりについて確認――そんなことを繰り返しているうちに、路地の突き当たりまで辿り着いた。ここまで来ると、袋小路。最早逃げ出すことは出来ないだろう――などと考えていた。
「行き止まり……?」
少女の呟きを聞いて、彼は漸く角から身体を出した。
「何をしているのかな、こんなところで」
声を聞いて、少女は振り返る。彼女の顔を見ると、やはりガスマスクは装着していないようだった。
少女は少年の格好を見て、首を傾げる。
「あなたはいったい……?」
「俺はこの辺りに偶然居たハンターさ。それにしても、アンタは珍しい格好だな。こんな遺跡にお嬢様みたいな格好をしたって、ダンスの相手は居やしないぜ?」
少しぐらいチープな軽口を叩いたって、別に誰かにどやされる訳ではない。
「私は……」
「それにしても、アンタのその装着しているガスマスクは……透明な奴なのか? 街じゃ見たことない代物だな。きっとそれを売りつければ高く売れるかもしれないぜ」
「あの……」
「うん?」
先程から、少女が何か困惑したような素振りだった。どうしてそんな素振りをしているのか、少年には皆目見当が付かなかったのだが、次の発言を聞いてその見当は直ぐに付くことになる。
「――どうして、マスクを装着されているのですか?」
「――何だって?」
マスクを装着していないように見えたのは、別に透明なマスクを装着していたからではない。
マスクそのものを装着していないのだから、装着していないように見えるのは当然のことだったのだ。
「……いや、しかし、そんなことが有り得るのか?」
学がない彼でも、ガスマスクを装着しないと生きていけない世界であることは承知だった。
正確には、旧時代の文明が残っている遺跡周辺に存在するガスが有毒である――というだけで、彼らが住む街まではそのガスが充満していない。
有毒というのは、どれ程の毒性なのかを勘案しなくてはならないのだが、昔から人々はそれが有毒であると語られているだけで、それがどれぐらい毒性を持っているのかということについては、曖昧に語られているケースが多い。
ともあれ、街の外に出ることの多い人間にとっては――特に遺跡に出向くことの多いハンターなどの職業については、猶更そのことを理解していなければならないということになっていた。彼のようなハンターがハンターとして生活していくようになるためには、先ず世界に充満する有毒ガスについて知らなければならないのだ。
「……有り得るというか、どういうことなのかさっぱり見当が付かないのですが……」
それはこっちの台詞だ、と彼は言いたかったが口を噤む。
いずれにせよ、ここで出会ったからには何かしら情報を手に入れておかねばならないだろう――などと彼は考えていた。ハンターである以上、手ぶらで帰る訳にはいかない。
「……まあ、良い。アンタ、いったい何者だ? この有毒ガスで平気で耐えているのもどうかと思うけれど、少なくともただ者じゃないことは伝わってくるし」
気合いだけで乗り切ることが出来る程、この環境も柔ではないことぐらい、彼も重々承知していたが、今は取り敢えず情報が先だ。
「私は、ルサルカ……と言います」
「ルサルカ……。うん、この辺りじゃ聞いたことのない名前だ。というか、第七シェルターに住んでいるかどうかすら危ういけれど」
見た目的に、そこに住んでいるかどうかすら分からない。
王族か、そうでなければ貴族の家系か。
いずれにせよ、シェルターなどで暮らしているような人間ではなさそうだ。
「シェルター……というのは?」
「そこから説明しないと駄目なのか?」
ほんとうにこの世界のことを知らないらしい。そう思った彼は頭を抱えた。
まるで世間知らずのお嬢様なのか、それともそれすらなかった別の世界からやって来たのか。
この際どうだって良い――そう考えた彼は、提案をする。
「……まあ、良い。アンタは何を探していたんだ? まさか遺物を探すハンターではないだろ」
「遺物……つまり、忘れ物?」
「間違っちゃいないけれど、そうかもな」
正確には、既に亡くなった人間の形見なのかもしれない。
となると、ハンターというのは盗賊が一番近い職業に当てはまる訳で、はっきり言ってこれが良い仕事かと言われると、そう簡単には当てはまらない。
しかしながら、それを稼ぎにしている人間は多数居る訳で、実際にそれで経済が回っている。
それを取り締まる法律がない以上は、罰則なんて物は存在しない。だから、無闇矢鱈と遺物を漁り、それを糧として金を得ている――これがハンターの仕事だった。
「私は……ただ、捜し物を見つけにやって来ただけ」
「捜し物? 誰か、ここで物を落としたのか。だとしたら厄介だな、ここはハンターが結構狙い目にしている場所だからな。案外あっさりハンターが持っていって、既に市場に流された可能性もある。貴重な物だったら、既に貴族のコレクション入りもしているかもな」
金を湯水のように使う貴族には辟易とするが、しかしながら彼らがそうしてお金を使わなければ、結果的にハンターである彼らのお金が手に入らないのもまた事実。結果的に、経済を回しているのは貴族であり、その手助けをハンターがしているだけに過ぎないのだ。
「……で、何を探しているんだ? 貴金属ならもう奪われていても諦めるしかないぜ」
「家族」
「は?」
「家族を……探しているの。何処に居なくなったのかも分からない、家族を……」
「家族……ね。でも、残念だがそれは諦めた方が良さそうだと思うぞ」
決して、突っぱねている訳ではない。これは客観的な事実に基づいて告げられただけに過ぎない。有毒ガスは人間の体内に入ると、人間の機能を内側から食い尽くすと言われている。呼吸、血流、電気信号――その他諸々が時間を追って停止していき、やがて死に至るとされている。その時、治療薬などは何一つ存在せず、仮に有毒ガスを吸入してしまったら、後は死を待つしかない。
「……いずれにせよ、ここに居たって何も変わらない。とにかく、他のハンターに狙われる前にさっさと移動する方が無難だろうね」
「移動……って何処へ?」
「さっき言っただろ。今の時代の人間は、この世界のガスを吸入することは出来ない。だったらどうするか。答えは簡単だ……、常に空気を綺麗に保った空間に引きこもるしかない。つまり、俺のようなハンターは危険を伴って仕事をしているってこと」
「……分かりました。あなたの言うとおりに致しましょう。ただ、家族を見つけないと私も眠ることは出来ません」
「そんなの、不可能だろ。人間は寝ないと生きていけない。確か一週間ぐらい起き続けていると精神が狂うんじゃなかったかな? だとしたら、三日ぐらいしか徹夜することが出来ないと思うけれど。……それはさておき、俺の名前、言っていなかったよな」
少年はここで銃を仕舞い、右手を差し出してルサルカへと近づく。
「俺の名前はユウト。よろしくな、ルサルカ」
「ユウト……。よろしくお願いします」
ルサルカは、ユウトの右手を強く握った。
二人はお互いに見つめ合い、挨拶を程々に済ませると、一路ユウトの住んでいる街――第七シェルターへと戻ることにするのだった。
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