15 バー・ユリイカ


「そんな少女を見て、マスター、アンタはどう思ったんだ?」
「どう、って?」

 バーテンダーは微笑んで、さらに話を続けた。

「そこで無残に警察に突き出せるぐらい、私は残忍な性格だと思っていたのかしら? だとしたら、残念ね。そんなこと、ある訳がないじゃない。少しぐらい、こちらのことを考えて欲しいものね。……まあ、今ここに居る人間でそれが出来るのはどれぐらい居るのかと言われると、また話は別だけれど」
「……マスターはいつもそうだったよな。それぐらい分かるよ。分かっているとも。けれども……、その少女はどうなったのかは気になるもんだな。まさか見捨てた訳でもあるまい?」
「見捨てる訳にはいかないけれど、だったらここで雇ってやろうかとか考えたこともあったけれど、残念ながらそこまでは行かなかったわね。でも、今でもたまにはやって来るわよ」
「やって来る、とは?」

 トントン、とドアをノックする音が聞こえて、バーテンダーはウインクする。

「ほうら、ちょうどそろそろやって来ると思っていたのよね」

 バーテンダーは棚を開ける。棚と言っても、それは上に氷を入れておくことによって、食べ物を保存することが出来る冷蔵庫のようなものだ。冷蔵庫という仕組みそのものは存在しているが、一般市民が電気を自由気ままに使えることは少ない。
 しかし、食べ物の衛生状況を考えると、生ものを冷やしておかないのは問題がある。食中毒が発生してしまえばその店のイメージはがた落ちではすまない。あっという間に潰れてしまうだろう。

「……それは?」
「余り物よ。これしかあげられないのも、ちょっと申し訳ないのだけれどね。これ以上やることも出来ないのも、現実ではあるのだけれど」
「余り物でも十分だと思うぜ。普通は、自分の食べるものだけでも精一杯だと思う人が沢山居る訳だ。俺だってそう思っている訳だし……」
「そりゃあ、私だって多少は考えているつもりよ。何も考えずにそのまま食材を与え続けることも……はっきり言って不可能ね。私、そこまでお金持ちじゃないもの」

 バーテンダーは裏口の扉を開けて、そこにお皿を何枚か置いた。

「お金持ちじゃないなら、どうして食材を与え続けるんだ? 何かメリットでもあるのなら、未だ分からなくもないが……」
「メリットがあることしかやらないのかい? そうじゃないだろう、人生ってもんは」
「そういうもんかね。……まあ、割り切ってやるのもどうかと思うし、それについては少しばかりは了承するところもあるかもしれないが。いずれにせよ、デメリットしかないのなら、良く続けられるもんだな?」

 ハンスは酒を呷ると、漸く扉が半開きになっていることに気づいた。

「……うん? そこの扉、さっきは開いていたか? 閉めていたような気がするが……」
「ああ、多分もう来てくれたんだよ。来てくれた、って言う程でもないのだけれどね」

 バーテンダーが扉を開けると、そこには空っぽになったお皿が置かれていた。

「ね?」
「ね? とは言うが……。大丈夫なのか? その少女とやらは」
「何が? それとも、警察的にはそういう存在は見て見ぬふりをするのが当然という考え? だとしたら、失望するしかないのだけれどね」
「……そこまでは言っていないだろう。相変わらずマスターは手厳しいことを言う。少しは、こちらに歩調を合わせてくれやしないかね」
「警察ってのはお高くとまっているのが当然だからね。ハンス、アンタは違うことぐらい分かっているけれど……。でも、アンタも同類だよ、結局のところは」
「厳しいね、全く……。酔いも覚めちまうよ」
「悪いことしたね。けれど、それぐらいアンタだって分かっていた話なんじゃないかい? 警察官というのは、今も昔も忌み嫌われている生き物さね。それがこのような世界であるならば猶更」
「言いたいことは分かるがね……。警察官に文句を言うのも辞めて欲しいものだがね。こちらも、一応給料を貰って仕事をしているんだ。まあ、警察官に対するイメージがクソ悪いのは否定しないがね」
「ちょっとはそのイメージを改善しようと思ったことはないのかい?」
「俺がそんなこと考えていると思ったのか? マスター、追加でもう一杯くれ」
「飲み過ぎだよ、相変わらず……。あ、そこのアンタ達は何か飲むかい? 食べ物でも構わないよ、どうせ料金はハンスに付けておくからね」

 いきなり話題を振られたユウトは、どうすれば良いのか分からずに店内をキョロキョロと見渡し始めた。大方、メニューを探し出していたのかもしれない。
「あっはっは! ……やっぱりお子ちゃまなのかねえ、こう見えても。ハンターというのは見た目と仕事が一致しない職業の一つではあると思っていたけれどね」

 バーテンダーはそう笑ってみせたが、ユウトは未だにメニューを探そうとしている様子だった。

「ユウトはこういう時とっさに対処出来ないのを見ると、ほんとうにハンターなのかって思ってしまうよ……。あ、マスター、私はミルクを頂戴。それとサンドイッチ」
「あ……、それじゃ俺もそれで」

 それを聞いたバーテンダーは笑みを浮かべる。

「はい。ミルクとサンドイッチを二つね。……ここにこんな可愛いお客さんが来るのは久しぶりだから、腕が鳴るわ!」
「腕を鳴らす程の料理でもないだろうよ……、おっと、口が滑った」
「ハンスさん、それわざと言いましたよね?」

 ハンスはマナの言葉を無視して、空になっているコップを傾ける。
 それを見計らったのか、バーテンダーはお代わりの酒を入れたコップを差し出した。

「はい。これで最後にした方が良いと思うよ。何せ、身体は正直だからね……。いきなりコロッと死んでしまっても、文句は言えないよ」

 バーテンダーはきっとハンスの身体を案じているのだろう。
 ハンスはずっとここで酒ばかりを飲んでいる――普通の人間ならば、幾ら商売であったとしてもあまり酒を無尽蔵に提供しようとはしないはずだ。それこそ悪徳な業者でもない限り。

「……俺の身体を案じているのならば、それはそれで有難いんだけれどよ。俺も俺なりに身体をきちんと管理しているつもりだぜ」
「それ、本当ですか?」

 マナのツッコミを聞いても、ハンスは涼しい顔をしている。

「……ま、まあ、良いじゃねえか。俺のことは。取り敢えずこれから考えるべきことは、ファントムの手がかりだ。結局手がかりが全く見つからなかった訳だが――」
「はい、お待ち遠様」

 そう言ってバーテンダーがカウンターに置いたのは、サンドイッチが載せられた皿だった。
 白いパンに野菜とハムが挟んである至ってシンプルなそのサンドイッチは、とても美味しそうだった。

「美味しそうだな」
「美味しそう、ではなく美味しいのよ坊や。……少しはお世辞を言えるようになった方が、色々と社会を生きていく上で楽になれると思うわよ?」
「……そうか。だったら、今度からそうすることにしよう。ところで、本当にこれはハンスさんの?」
「奢り――だろうなあ。マスターはそう言ったら聞かないからな。そこについてはもう俺も口出し出来ねえよ」
「財布はハンスさんの物なのに……?」
「おう。俺のものなのにな」

 ちょっとだけ悲しそうな表情を浮かべていたが、ハンスは別に支払っても良いようだった。

「……別に良いよ。ちゃんと俺はお金を払う。それぐらい払えない程余裕がない訳ではないし」
「馬鹿野郎。こういうときの好意は素直に受け取っておけ。それに、珍しい物だと思って良いと思うぞ? だって、この街の人間は、そんな行為をするはずがないからな」

 ハンスの言い分も尤もだった。この世界に住んでいる人間は――少なくとも、他人のことに自分を犠牲にしようなどと思うはずがない。自分が一人、生活をするだけで精一杯であり、それ以上の余裕など何一つ存在しないのだから。

「……とにかく、これからどうするべきか考えなくてはならねえだろうな」
「と、いうと?」
「お前達、これまで何をしてきたか――まさか忘れた訳じゃあるまい?」
「いや、忘れてしまったかもしれないな……。何だかこのバーで一年ぐらいの時間が経過したような気がするし。気のせいかもしれないけれど」

 ユウトの言葉に、ハンスはせせら笑う。

「そいつは間違いだろう! お前さん、まさか俺に勝手にアルコールでも注文したんじゃねえだろうな? まあ、そうなったらマスターも同罪なのは間違いねえな。どうやってしょっ引こうかねえ」
「しょっ引くつもりなんてない癖に、嘘は言わない方が良いと思うけれど? 或いは、がらにもないことは言わない方が良い――の方が正しいかな?」
「だから、何を?」
「ユウト。話をのらりくらりと変えるのはやめた方が良い。……というのは冗談ではあるが、正確にはこれから話を少しずつ進めなくてはなるまい。お前達が今ここに居る理由は何だ?」


 ――理由、それは。


「殺人鬼『ファントム』を見つけ出すこと、そうだろう? 俺はピンときたんだよな、いや、これは刑事の勘と言っても良いかもしれない……。だから、少しだけ時間をくれ。マスター、お勘定」

 はいはい、と言いながらマスターはあっという間にレシートを持ってきた。
 金額を見ると、ハンスは目を丸くしていた。

「――これ、全員分か?」
「ええ、だって、あなたが払うって言っていたからね」
「言っていたかな?」
「ええ」

 マスターの笑顔は眩しくて、それが不気味に見える――ユウトはそう思うのであった。




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