15 バー・ユリイカ
ハンスが向かったのは、表通りに面した小さなバーだった。ユウトは良くこの道を使っているつもりだったが、こんなバーは見たことがなかったようで、少しだけ驚いていた。
「……ったく、まさか本当についてくるたぁな。こっちだって楽をしたいもんだよ、少しぐらい理解しちゃあくれないかね」
「だったら、最初からそう言って私達を無理矢理解散させることだって可能だったんじゃないですか? ……それをしなかったってことは、私達が来ても別に問題はないってことで――」
「あー……。そうだよ、そうそう。そうだけれど、そう長々と言われると何だかな。別に良いんだけれどよ……、多少はこちらの考えも汲み取って欲しいというか」
「汲み取った結果、私達はここに居るんだと思いますよ?」
マナは引かなかった。
引く要素なんて全くないと言えば嘘になるかもしれないが、ハンス程の人間に面と向かって弁論をするあたり、二人の関係性が窺える。
「……ったく、相変わらず物怖じしねぇよな。それが情報屋としてやっていく上の基本なのかもしれねぇけれどな」
「さぁ、どうでしょうねぇ?」
ハンスは踵を返し、バーの中に足を踏み入れる。
未だ昼間であるにも関わらず、バーは開いていた。それだけではなく、何人か客も居るようだった。
「……昼間から酒を飲んでいるのか?」
「そうだよ。バーに行く理由といえば、九割以上が酒を飲むことだろうよ。あとは、楽しい話をしに行く奴も居るが……そりゃあ酔狂な人間かもしれねぇな。酒以外の飲み物はあまりないし、しかも他の店で飲むよりも割高だ。まぁ、話をしてくれたお駄賃とでも思えば安いのかもしれねぇけれどよ」
「……そんなものなのか?」
ハンスに説明を受けたところで、ユウトの疑問が解消された訳ではなかった。
それはユウトが未だ酒を嗜める年齢ではなかったから――というのもあるだろうし、意識の違いもあるだろう。酒というのは嗜好品で、それは仕事をしている時間には飲まない――真面目な人間であればそう考えるのだろうが、ここに居る人間はそんな尺度では測りきれない。
酒を飲みたいから、飲みに来た。
一歩間違えれば依存症みたいな人間も居る――それがこのバーだった。
ハンスはカウンターの椅子に腰掛ける。
バーテンダーはシルクハットを被った男性だった。整えられた口髭と顎髭は、髭を生やしていても清潔感が見える。ハンスを見ると笑みを浮かべて、こちらへ近づいて来た。
「あら、いらっしゃい、ハンスさん」
――それを聞いたユウトは目を丸くした。バーテンダーは明らかに男性だ。そしてその声色も男性そのものだ。しかし、声のトーンや口調は完全に女性そのものだった。
「……おう。久しぶりだな、マスター。どうだ、様子は?」
ユウトの反応を他所に、ハンスは話を続ける。
「まぁ、ぼちぼちってところよ。実際、警察は仕事がないのが平和なもんだからよ……。ただ、そうもいかねえのが事実ではあるが。そうそう、最近はあれで持ち切りだねぇ」
「ファントムか?」
「流石に知っているか」
バーテンダーは笑みを浮かべながら、グラスに何かを注いで、それをハンスの前に置いた。
「よせよ、今は仕事中だぜ?」
「……仕事中にちょくちょく暇だからと言って飲みに来る人が言えた台詞じゃないと思うけれど?」
「……はははっ。それは確かだな」
「ちょっとハンスさん、それってアルコール
なの?」
ハンスはマナの言葉を聞きながら、グラスに手を取った。
「おう、そりゃあそうだ。ここを何だと思っている? ここは立派なバー……酒場だ。酒場が酒を出さないで何を出すって言うんだ?」
半分開き直りにも近い発言だが、ハンスはもう既にそのグラスを手に取ってしまっている。
仕事をしている時間にお酒を飲もうとすると、普通の人なら罪悪感を持つのかもしれないが、ハンスには少なくともそのような様子は見られない。寧ろ、飲んで当然という様子すら感じられた。
「はぁ……。こういう人が警察官なのは、ちょっと市民の安全が守られているか不安で仕方ないわね……。だって、私達の税金で暮らしている訳なんだし。少しぐらい文句を言ったってバチは当たらないわよね?」
バチが当たるかどうかはユウトでさえも知らないことではあったが、マナの言うことにはある程度筋が通っていると感じられた。
実際、警察に不満を持っている人間は少なくない。自分達が支払っている税金で暮らしているのに、然程働いている様子が見られないからだ。
中にはきちんとパトロールをしている警察官も居るのだが、やはり人間の目としては悪い方に目が行きがちであるのもまた摂理だと言える。
「……でも、俺は未だ税金を無駄遣いしている風には見えないだろう?」
「そうですかね、今のところは結構息抜きが大半を占めているようにしか見えませんけれど」
「あら、この子見た目によらず辛辣な意見を言うじゃない?」
ユウトの言葉にバーテンダーはうんうんと頷く。
頷くということは、自分もそう思っていた――などと考えていたのだろうか。
「……お酒臭いのは、あまり好きじゃないの」
「ルカ、久しぶりに話したと思ったらまさか酒に関する話題を掘り返すとは思わなかったよ……。でも、それは間違っちゃいないが」
ルサルカはというと、たまにしか言葉を口にしないものだから、実際何を考えているのかユウト達には感じ取れなかったりする。流石に心を読むことは出来ない訳だし、それについては致し方ないと言えるのかもしれないが。
「ルカちゃんはお酒を飲もうと思ったことはないの?」
マナはいきなり何を言い出すのか――などとユウトも思っていたが、しかしそれが疑問には浮かばなかった、と言われるかというと嘘になる。
実のところ、ルサルカについてあまり詳細を把握出来ていない。ユウトとしても、ルサルカの願いに精一杯応えようとするためには、彼女の人となりを知らなければ何も始まらないのだ。
「私は……一応飲まないといけないことはありましたが、しかしあくまで儀式……、あ、いや、格式張った場で飲むことが多かったですね」
少しは空気を読んで発言してくれているのをユウトは理解して、少し安心した。それでそのまま話を始めてしまったら、取り返しのつかないことになりかねない。
ルサルカはやはり何処か抜けているところがある――ユウトはそうも考えていた。それは彼女が普通の人間ではないからなのかもしれないし、それについては時間をかけて理解していくしか考えられなかった。
「格式張った、ねぇ……。どういう環境に置かれていたのかは知らねえけれどよ、酒は気楽に飲むのが一番だ。そうじゃないと、旨くねえからな!」
「そう言っているけれど、昼間からグビグビ飲んでいる言い訳にはならないと思うのだけれど……?」
マナの鋭い指摘を余所に、未だ酒を呷るハンス。
「……じゃあ、ファントムの話は全く知らないってことで良いのか?」
「残念ではあるけれど、その通りよ。少しはハンスの手助けになってあげたいけれどね。……無い袖は振れないとは言うし」
「そうか……、それは残念だ。あんたなら何か知っていると思ったんだけれどな。当てが外れたか。いや、だったら今の話は忘れてくれ」
「それよりもハンス、聞いて欲しいことがあるんだけれどね?」
バーテンダーはそう言って、ハンスにちょいちょいとこっちに来るように合図する。
「耳を貸せってか? 何か良い話でも聞いたのか。だとしたら嬉しいものだけれどな……」
ハンスはぶつくさ言いながら、バーテンダーに近づく。
「……あのね、最近うちのゴミを漁る人が出てきたのよ。しかも、見窄らしい格好でね、ここいらじゃ見たことのない人間だったのよ。だってそうでしょう? 表通りは、あなた達警察が『大掃除』をしたはずなんですもの。だったら、こんな場所に貧民なんて居るはずがないじゃない」
「……そりゃあ、そうだな。見間違いじゃないのか? 幾ら何でも、そんなことは有り得ないはずだぞ。俺も思い出したくはねえが……、あの『大掃除』で貧民は全て一掃されたはずだ。職を付けられた人間も居たし、管理者側で奴隷として購入した人材だって居たし、多過ぎる人材は他のシェルターにも売り払ったりしたはずだ。だからこのシェルターに貧民なんて――」
「それが居たのよ。なに、私の話を信用しないつもり? ちょっと呆れちゃうなあ。ずっとここで酒を飲んできたじゃない。そのマスターの言葉が信用出来ないって訳?」
「信用出来ないというよりかは、証拠が見当たらないから信じようがない……という話になるんだが。やれやれ、それを言われちゃあしょうがねえな。続けてくれ」
「……ハンスさん、めちゃくちゃ丸め込まれているような……」
「マナ。男ってのはああいうもんだよ……多分」
マナの呟きに、アンバーは答える。
ということはアンバーもまた、このような経験があったのかもしれない。
「……一度私ね、その子がゴミを漁っている現場を目の当たりにしたことがあったの。それまでは猫か何かがやっていたのかなと思っていたのよ。けれど、ちょっとばかしゴミを出すのが遅かった日に、ゴソゴソ何かを漁る音が聞こえてね。ああ、これはちょっと脅かして犯人を炙り出すチャンスだと思ったの。そして扉を開けたら――」
「……人間が、ゴミを漁っていたって訳か。そりゃあ予想外の展開だわな」
「分かってくれたかしら?」
バーテンダーの言葉に、ハンスはしきりに頷いた。
「ああ、分かったよ。取り敢えず、マスターは嘘を言っていないことはずっと前から分かっていたことだからな。続けてくれ、その人間に出会ったと言うことは……何かしたんだろう? 懲罰か? 警察に突き出したんじゃあないだろうしな」
「そりゃあそうよ。突き出しようがないじゃない。いきなり人間がゴミを漁っているのを見て、衝撃を受けたのだし。それに……、さらにもう一つ衝撃を受けることになったのだけれどね。そのゴミを漁っていた犯人は、女の子だったのよ。服がボロボロで、この辺りでそんな格好をしていると笑われちゃうか石を投げられるかいずれか、ってぐらいのね」
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