第二章 よふかし指南 10
「……やあ、先生。元気そうだね」
梓さんはそう言って、軽く右手を挙げた。
先生――そうは言ったが、やはりそうなのだろうか。想像していた通りの回答を得てしまったので、少し拍子抜けしてしまったのは事実ではあるのだけれど。
しかしそう思っていた矢先、『先生』が吹き出して笑い出した。
「……あー、面白い。先生なんて呼ばれるとは思いもしなかったよ、梓。それぐらい君も冗談が通用するようになった、ってことで良いのかな?」
腹を抱えるぐらい笑えるネタだったのか――流石に僕にはそれがさっぱりと分からなかったのだけれど、もしかして吸血鬼ジョークってそういうもんなんだろうか。
だとしたら、目の前の『先生』もまた吸血鬼?
ここは吸血鬼の根城、ってことなのか……。
「……ところで、隣のそれは本当に眷属ではないんだろうね?」
その言葉に梓さんはしっかりと頷いた。
それを見て深々と溜息を吐く『先生』。
「そうか……。お前はずっとそういうどっちつかずな立ち位置に居たから、もしかしたら何か為出かすんじゃないかって思っていたけれど、そんなことになってしまうとはな」
「為出かすって……。別に何もしていないのだけれど? 吸血鬼だから眷属を作らなければならないのは、今は昔の話でしょう? 今じゃはっきり言って時代遅れだと思うのだけれどね」
「……時代遅れ、か。しかし吸血鬼は眷属を見つけない限り、吸血行為をしない限り、渇きを癒やすことは出来ない」
「今は血液パックも販売されているでしょう」
梓さんは溜息を吐きながら、そう答えた。
きっとこのやりとりも、もう数え切れないぐらい経験しているのかもしれない。
「血液パックで血液を確保するのは、別に間違いはないさ。否定するつもりもない。けれども、あれはあくまでも緊急用だ。普段は眷属から吸血をすることで生きながらえる。そうやって吸血鬼はずっと生きてきたんだよ。誇りを捨てたのか?」
「誇り? 吸血鬼の旧態依然としたやり方が誇りというのなら、そんなものはとっくに捨てたよ。今は寧ろ吸血鬼としての本来の自分を取り戻さないといけないぐらいだけれどね」
「?」
「……本題だ。吸血鬼の力を吸い取ろうとしている組織について、心当たりはないか?」
「えっ、梓さん、あの組織のことは詳しいはずじゃ……」
「そんなこと、私は一言も言っていないけれど? 追われてはいるけれど、謎ばかり多くてどんな組織だかいまいち不明なところが多かったのよね……」
「……私が何か知っているとでも?」
『先生』はニヒルな笑みを浮かべながら、逆にこちらに問いかけた。
確かにそのような反応をするのも致し方ないだろう――僕はそう思っていた。思っていただけだからそれを何処かにぶち撒けるつもりはない。ぶち撒けたところで何かが変わるとは到底考えられないのだし。
「知っているなら教えてほしいけれど、そこまで高望みはしていないよ。……私としては、組織について教えてほしいことと、知らないのならばそこについては注意しておいてほしいこと。それぐらいかな」
梓さんは、組織について何も言っていなかったのだろうか?
だって一年は追いかけられているとかこないだ言っていたような気がするけれど、仮にそれが真実だとするならば一年間情報共有を拒み続けた――ってことになるし。
「……組織については散々聞いているけれど、特段問題ないと思っているよ。未だ脅威ではあるまい。ま、あんな連中にやられるぐらいなら吸血鬼としては半人前だと思うがね」
あ。
「……先生は、相手の気持ちを一度も考えることはしないよな。ま、それが吸血鬼のポリシーというか何というか、或いは吸血鬼の性格そのものを表しているのかもしれないけれど」
「何? もしかして……その連中に何かされちゃった訳?」
言ったのはかえちゃんだった。ほくそ笑みながらこちらを見ている。
ああ、何となく言わなかった理由が分かる……。蔑まれるのが、嫌だったんだ。しかしそれだけ考えるととてつもなく性格が悪い二人だな――吸血鬼ってそういうものなのか?
「されちゃったねえ、大いにされてしまったよ。……吸血鬼の力を吸い取られちまったよ。今の私には、吸血鬼の力は何一つ存在しない」
それを聞いた『先生』とかえちゃんは、目を丸くしていたようだった。
「……それ、冗談きついよ?」
かえちゃんの言葉に梓さんは笑みを浮かべる。きっとそれは強がりなのかもしれないけれど。
「私が嘘を吐いているとでも思っているのか?」
「……嘘は吐いていないだろうな。嘘を吐いている風にも見えなければ、お前は素直な性格だ。嘘を吐くようには到底思えない」
だが。『先生』は続けた。
「……現実に、それは可能なのか? 吸血鬼の力を吸い出すことが出来る仕組みが存在する、と? そうしているということは、相手は吸血鬼の力を利用出来る――そういうことだよな? 梓、お前は何か知らないのか。その組織について。吸血鬼の力を吸い取られたということは、一度は接触があったんだろう?」
『先生』の言葉は的を射ていた。だって一度会わなければ吸収されたことは分からないだろうからだ。もしかしたら寿命が来た――そう考えるかもしれないし。
梓さんは自分で言っていた。吸血鬼は人間と比べて少し寿命が長いぐらいにしか感じていないので、不老不死ではないのだけれど、不老不死のように生きていくことは出来る――と。
だとすれば、吸血鬼の力を吸い取った時に何か違和感を抱かなかったか――そう聞き出すことは賢い選択だと言えるだろう。
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