消毒は大事なプロセス


 ドラゴンメイド喫茶、ボルケイノ。
 異世界唯一のドラゴンメイドが経営している喫茶店だ。異世界とはいえども、そこに使われている技術はどの世界で作られているのかさっぱり見当もつかない。どの異世界とも繋がっていない第666次元軸に存在しているその喫茶店は、行きたい人が行きたい時に特定の場所にここと繋がる扉が生まれる……何言っているんだろうな、俺は。けれど、それが正しいんだから何も言い出せない。そういうもんなんだよ、お約束ってやつ。

「いったい誰に向かってそれを言っているのかさっぱり分からないんだけれどな、ケイタ。消毒は終わらせたのか?」

 そう言ったのは厨房担当のドラゴンメイド、メリューさんだった。目つきは鋭く、目の下には今日も夜更かしをしたのか、立派なクマが出来ている。しかしそれ以外は整った顔立ちをしており、恐らくクマを隠す化粧をしただけでもそれなりにモデルとしてやっていけるんじゃないかななどと思ってしまうぐらいだ。実際、出るところは出ているし。
 そして彼女のスタイルをさらに引き立てているアイテムが、メイド服だ。メイド服について詳しく知っている訳じゃないのだけれど、黒のワンピースに白いフリルのついたエプロンという、まったくもってスタンダード(何処から判断して、というのは言わないでおく。インターネットを調べれば、今ではどんなメイド服だって出てくるのだし)なそれをみにつけている彼女は、給仕たる風格を見せつけていた。

「ちゃんとやっていますよ、消毒くらい。……ってか、別に入り口で消毒させりゃ良くないですか? 今は別に足踏みペダルをつけておけば消毒液を塗布出来る装置だって簡単に作れるみたいですし、それでも良いような気がしますけれど」
「それを異世界の住民が簡単に理解してくれるかね? ほんとうならば、ケイタ、お前だってマスクをつけて接客をしてほしいところなんだぞ。それにしても困ったものだな、どの世界でも感染症というのは」

 そう。
 俺が机なり椅子なり、人の触る場所を消毒している理由は、俺の住んでいる世界にて大流行している感染症が原因だった。
 とはいえ若者に感染したところで重症化するリスクは非常に少ないらしいのだけれど、問題はそうじゃなくて、そこから誰に感染するか……といったところだった。つまり、俺が無症状で感染していたとしたら、多くの人間に感染させかねない。
 しかも、ここにやって来る客は異世界に住む存在であって、感染症のこととか衛生に関する知識が十二分にあるとは考えにくい。
 感染症が爆発的に感染してから、一年以上が経過している。その間に緊急事態宣言、イベントの中止、オリンピックの延期、史上初の無観客でのオリンピック開催などなど……、俺たちの暮らしは恐ろしいぐらいに変貌を遂げていった。首都一極集中の暮らしも変貌せざるを得なくなって、田舎に物件を買う人も続出したらしい。テレワークしても良いのなら、別に都内に住む必要ないじゃん、って考えらしいのだけれど、それはそれで納得。田舎の方が色々と安いし、空気も美味いだろうし。不便ではあるだろうけれど、車さえ持っていればそこについては解決するだろうしな。思えば俺の家の周りも引っ越した人がぼちぼち出てきているし、今後はそういう風になっていくのだろうな……。

「無観客というのは、どうなんだろうな? 確かケイタの話によれば、オリンピックとやらは全世界の人間が熱狂するイベントなんだろう?」
「すごかったですよ、色んな意味で。……そもそも緊急事態宣言が伸びた時点でオリンピックをまともに開催出来る気配は微塵も感じなかった訳ですけれど、それを逆手に取って、VRと3Dをフル活用していましたよ。チケットを購入したらVRゴーグルを貸し出して、それをつければまるでスタジアムに居て協議を見られるんですからね。……ってか、何で今までこのスタイルが導入されなかったのか不思議で仕方ないぐらいですよ。しかもVRゴーグルはゴーグル開発会社からの無償提供らしいのでチケット代は現地で見る料金と大して変わらないし。次のオリンピックもそうなるんだったっけな? 確かにそれが良いでしょうしね。わざわざそこまで行かなくても見られるんですし」
「でもそこで見た方が、熱気というのを感じられるんじゃないか? それはどの世界だろうと関係ないと思うが」
「どうなんですかね。そういうことを考えているのは少数派だと思いますけれど。それに、わざわざそのために海外旅行出来るのはあの世界じゃお金持ちぐらいなもんですよ。サラリーマンで働いているうちじゃ、海外旅行なんて年に一回出来れば良い方。そもそもそこまで余裕がなかったりしますし。感染症が流行してからは旅行を誰もしたがらなくなりましたからね……。とはいえ、VRはあまり発達していなかったし。いや、発達というよりかは持っていなかったというのが正しいのかな? ゲーム用のゴーグルとかは販売されていましたけれど、それを一般社会に活用することはあまり考えていなかったそうですから」

 因みに我が家もその周りもサラリーマンしか居ないため、海外旅行なんて出来やしないのだ。国内の旅行だって……、どれぐらいやっていないかな。感染症が流行し始めてから何もしていないから、もう二年ぐらいか? それまではちょっくら近所の映画館や公園にでも……、ってことは良くあったのだけれど、映画館ですら行っていないからな。色々見たい映画は多かったのだけれど、いくら感染対策をしっかりしているとしても、やっぱり怖いものは怖かったりする訳だし……。考えすぎなのかもしれないけれど。

「考えすぎなのは確かだろうよ。映画館、というのがどういうものか知らないけれど……、確か皆で集まって一つのものを見るのだろう? だったら密になってしまうのも致し方ないような気がするし、そういうことを理解しているのならば運営だってそれぐらい配慮してくれそうなものだけれどな……。それとこれとは話が違うのかね?」

 うーん、どうなんだろうな。そればっかりは見当がつかない。映画館は一応密にならない対策をしてくれているのだろうけれど、やっぱり未だに映画館といえば皆が密接して一つの映画を鑑賞するってスタイルが何十年も定着していった訳だから、それがいきなり変わるとは考えにくい。映画館で最初に映画を公開するスタイルから、インターネットの動画配信サイト限定で配信するスタイルへ変えた映画も出てきていたけれど、どれぐらい成功しているのやら。

「……ケイタの世界は、進んでいるようで進んでいないような気がするよ。確かミルシアの居る国ではもう少しちゃんとした検疫がされているんだったかな?」

 ミルシアというのはうちのお得意さんであり、とある国の王女でもあった。我が儘が非常に多いため、毎回手を拱いている。……拱くのは俺よりもメリューさんか。

「検疫も進めたところでどうか……って話もありますけれどね。緊急事態宣言のおかげ……と言っちゃ何なんですけれど、色々と進化を遂げたものもありますし。その辺りは一長一短と言っても差し支えないとは思いますよ」

 まあ、それを言ったところでどうなるんだ――なんて話もある。実際、進化を遂げたというか変化を遂げたと言った方が近しいかもしれないけれど、少なくともITが一気に日常のスタンダードにのし上がってきたのは感じられる。今までは、何処か遠い未来に思えていたのに。未来の猫型ロボットが出来る日も近いかもしれない。
 とはいえ、いくら何でも暇すぎる……。予想はしていたけれど、ここまで人が来ないとなるとそれはそれでどうなんだ。

「おかしいねえ……、いつもならこの時間は色々とお客さんがやって来るはずなんだけれどな。ま、そんなこともあるわな」

 メリューさんはお客さんが来ないことを意に介さず、厨房へと向かっていった。
 ということは、そろそろお昼時。

「それじゃあ、そろそろ準備しますかね……」

 お昼時までお客さんがやって来ないのは、珍しいと言えば珍しい。
 けれども、それもまたこのボルケイノらしい。

「メリュー、今日のご飯は何?」

 ずっと本を読んでいたティアさんが、急にメリューさんに問いかけた。
 メリューさんは首を傾げ、

「おや、ティアがそう言うのは珍しいな……。明日は雨が降るかな?」

 そもそも、このボルケイノがある時空に天気って存在するんですかね?

「天気はあるだろ……、だって一応畑もあるんだし。ケイタが知らないだけだ」
「え? それほんとうなんですか。確かに言われてみるとあまり気にしたことがなかったような……」

 いつか畑仕事に精を出す日が来るんだろうか。
 来ると良いなあ、最近は外で畑仕事なんてやりたくても出来ないし。密になるから。

「何処をどう捉えれば畑仕事で密になるんだ……?」

 なるんですよ、それが。
 あの国は土地が狭いですからね。

「……よし、取り敢えず今日のお昼は何にしようかねえ。ダッカー鶏があったっけ? あれを使おうか」

 ダッカー鶏とは、何処かの世界で使われている軍鶏のことだ。肉質が硬く、そしてスープとしても出汁が出る。だからラーメンとかに使うと最適のような気がするのだけれど……、残念ながら異世界で使う物はあちらの世界には持ち込んではいけないのが暗黙の了解である。
 まあ、何か変なことが起きたら面倒臭いし、責任も取れないからね。こればっかりは仕方がない。でも、ビジネスチャンスと捉える人は絶対居るだろうなあ……。あちらの世界では手に入らない物を、独占的に高値で売りつければ大儲け出来るんだし。今頃億万長者も夢じゃないかも。こんなこと言うと、メリューさんに叱られそうだけれど。

「ダッカー鶏は、どう使うんですか? 丸焼きにしても美味しいですよね」

 というのも、過去にダッカー鶏の丸焼きが賄いで出てきたからだ。鶏の丸焼きが賄いで出てくる料理店って他にあるか? 少なくとも、俺の経験では知らないな。

「ダッカー鶏は既に蒸してあるんだよね。要するに蒸し鶏って奴だ。だからこれを使って――」

 厨房へと向かっていくメリューさんの足取りは軽い。
 こうなると後は手に負えない――というのは言い過ぎか。
 どちらにせよ、料理が出来るまでは然程時間もかからないだろうし、俺達はただそれが出来るのを待つしかないのだ。
 強いて言うなら、お客さんが来ないことを祈るばかりだ。


   ◇◇◇


「出来上がったよ!」

 メリューさんのその言葉を聞いて、俺は急いで厨房へと向かう。
 そして厨房の机上に置かれている皿の中を見て、俺は納得するのだった。

「これは……冷製パスタ?」

 海のようにスープがお皿に満たされていて、そこには油やハーブが浮いている。
 そして、真ん中には島を形成するようにパスタが盛られていた。
 パスタの上には、ダッカー鶏を解した物が幾つか置かれている。

「うん、美味しそうですね……」
「私が作る料理はいつだって美味いんだよ。それぐらい分からなかったのか?」

 分からないつもりはなかったですけれど。
 そりゃあ、多くの世界にファンを持っているメリューさんですからね……。

「味付けはシンプルにしたんだよ。何せ、ダッカー鶏はかなり濃厚な出汁を出すからな。塩とオイルだけで充分、良いパスタソースになった。でまあ、どうせ食べるなら冷製パスタにするのが良いかな? なんて思ったりした訳だが、駄目だったかな?」
「別に駄目だなんて一言も言っていないですよ。寧ろ、予想外というか……」

 鶏をそのまま使うなら、棒々鶏とかにするのかとばっかり思っていたから。

「棒々鶏なあ。一回やってみたけれど、どうにもイマイチな味付けになっちまったんだよな。だから、今回は失敗したくないから、冷製パスタにしてみた」
「メリューさんも失敗するときってあるんですね……」
「あるよ、それぐらい。さ、食べるぞ。冷めないうちに……って、冷製パスタだから既に冷えているか」

 何ですか、それジョークの一種?
 と言いたかったけれど、きっとそれを言ったところで、メリューさんに何か言われそうなので、取り敢えず無視する。急いでそれを食べてしまおう。なくなりはしないだろうけれど、いつお客さんが来てもおかしくないし。
 暇な日だけれど、こんな日があっても別に良いよな――そう思った一日であった。
 




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