野菜をたくさん食べるには?・3 (メニュー:寄せ鍋(宅配用))
部屋に入ると、思ったより寒くなかった。
暖房が効いているように見えないし、そういえばこの国の王女は火の神がついているとかどうとか言っていたような気がする。もしかしてそれで暖かい部屋を確保しているのか? だとしたら酷く独りよがりで迷惑な気がするが……。
部屋には豪華な机に椅子、本棚にクローゼットなど置かれている。悲しんでいるとは言っていたがその部屋は意外にも綺麗に整っている。
そしてカーテンで実質的に二つの部屋に仕切られていて、その奥には恐らくベッドがあるのだろう。
そして――誰かが居る気配があった。
「……待って」
俺が行こうとするよりも先に、サクラが手で制した。
「どうした?」
「どうした、じゃないわよ。考えてみれば分かるでしょう、女の子と話をするならば同性が良いっての。やっぱり異性じゃ話が分からないところもあるのだし」
そう言われれば、それもそうか。
だったらメインの交渉はサクラにお願いすることとしよう。そして俺はただひたすらサポートに徹するしかないだろうな。
という訳で隊列チェンジ。ここからはサクラを先頭にして俺が二番目、兵士が最後に歩いていく形にする。
「……失礼します」
サクラがカーテンの奥へ足を踏み入れる。
そこにあったのは、概ね予想通りではあったけれど、ベッドがあった。ベッドは天井がついていて、そこからさらにカーテンがかけられているような形になっているのだけれど、今はそれが開け放たれている。
そして、ベッドに腰掛けている一人の少女の姿があった。
「……あなたが女王様?」
白いレースのドレスに身を包んだブラウンの長髪の少女は、サクラの言葉にも反応することなく俯いていた。
恐らくずっとそう居続けているのだろう。
だが、人間がそうやっていては限界がある。人間含め生き物はエネルギーを摂取しなければ生きていくことが出来ない。植物みたいに光合成出来る訳ではないし、自らエネルギーを作り出すことも不可能だからだ。
人間が絶食出来る最大の日数は一週間だと言われている。水を摂取しても、それが限界だとか。そうなるとエネルギーを必要とする器官から機能を停止し、やがて死に至る。
もしかして、女王陛下はそれがお望みナノだろうか――少しでも早く兄の元へ行きたいなどと思っているのかもしれない。いち早くそうしたいのならばもっと別の手段があるのだろうけれど、それをしない理由は彼女なりの葛藤もあるのだろう。
女王としての責務と、妹としての気持ち――その葛藤は実際に経験しなければ分からない。
だが、その思いを汲んでやることは――少しでも軽減させるべくお手伝いすることは、もしかしたら出来るかもしれない。
「女王様? 少しは返事してくれないと困るんだけれどなあ」
サクラは怖くないのだろうか。どのタイミングで自分が氷漬けになるのか分からないというのに――そう考えるとサクラは未だこのボルケイノの置かれている状況を理解出来ていない節があるし、だからこそこうやって切り込んで話が出来るのかもしれない。
リスクは当然ある。けれどもそのリスクを避け続けていれば、結果もなかなか得られない。だから、サクラの考えも悪い考えではないと思う――いまいちそこに踏み込むことが出来ないのは俺の悪い癖かもしれないけれど。
「……あなたは誰?」
漸く一言だけぽつりと呟く女王陛下。
俺も一目顔を見ておこうと思って、そちらに近づいてみたところ――やはりえらくべっぴんだった。目鼻立ちが整っていて、目は宝石のように輝いていた。多分涙を流していたからかもしれない。実際、泣き腫らした跡も見て取れる。
「私? 私は……ただのメイドよ。あなたのお兄さんの好きなお店に選ばれたお店の、ね」
まあ、事実だが。
でも俺もサクラも会ったことないからさ。あんまり口出ししたくないんだよな……。変に口出しして機嫌を損ねたらそれはそれで大問題だしさ。
「メイド……?」
ぐぎゅるるるる。
女王陛下の言葉に続いて聞こえたのは、腹の鳴った音だった。
それを聞かれて少しだけ恥ずかしくなったのか、顔を赤らめる女王陛下。
「あらあら、お腹が空いているのね。……さ、ケイタ、私達がここにやって来た理由を示してあげましょ。出してくれる?」
どうしてメイドなのに偉そうなんだ。給仕しろ、給仕。
ともあれ、ここで文句を言えば話は何一つ進まないので、俺は袋から容器を取り出すこととした。
因みにただの容器ではない。これをそのまま火にかけることが出来る。仕組みはカセットコンロに似ている装置に容器を載せて、白い正方形の物体を下に置く。これが固形燃料になっている訳――この知識は俺がメリューさんに伝えたので、こちらの世界から逆輸入したってことになる。
そして穴が開いているのでそこから火を灯す。マッチを使って火をつければ、後はそれを固形燃料に灯すだけ。
「……何だか変わった料理だな。それにその物質は何だ? それが燃料だというのか?」
「細かい仕組みは忘れたけれど、これの方がスペースが少なくて済むんだよな。だから、普段はこれを使っているしテイクアウトの時もこれを使おうって話になっているのだけれど……」
「?」
おっと、異世界の知識を喋り過ぎたかな? ま、別に話し過ぎたところでタイムパトロールみたいな組織はやってこないし、特段問題ないとは思っているけれど。
「……ねえ、いったい何を見せてくれるの?」
未だ悲しそうな表情は見せているが、こちらに対して少し気になる様子を見せてくれているらしい。それは少し安心した。
ま、もう少ししたら煮えてくるから待っていてくれ。
俺はその間に準備を進める。テーブルクロスを引いて、取り皿とスプーンなどを取り出して女王陛下の前に置く。そうして最後は七味だ。スパイスは何が良いのか? ってなった時にメリューさんが七味唐辛子をいたく気に入って、それからこれを愛用するようになった。ボルケイノの客の中には七味だけを買いに来る客も居るぐらいだ――あまり口外したくないので、それはお断りしているけれど。
ぐつぐつ煮えてきたら、そろそろ食べ頃。
良い香りが充満してきたら、蓋を開ける。
湯気とともに、美味しそうな香りが挨拶をしてくる。
「……これは、スープ……ですか?」
女王陛下は質問したい理性と、早く食べたい気持ちとで争っているようだったけれど、先ずは理性が勝ったらしい。
「これは、鍋という料理です。鍋には様々な種類がありますが……、これは『寄せ鍋』と呼ばれる、様々な具材を入れて煮込んだ料理のことを言います」
実際には厳密な定義があったような気がしたけれど、そこについてはスルーする。話すのは結構大変だし、質問されたらで良いや。一応、料理の情報は事前にメリューさんに叩き込まれているし、問題はない。
「ふうん、スープとはまた違ったテイストな訳ね……」
興味はそそられているようだけれど、未だ理性が勝っているように見える。
或いは葛藤している、とでも言っても良いかもしれない。
ぐつぐつと煮えている鍋から、おたまと箸を使って具材を取り出していく。
野菜は箸で取り出して、豆腐や魚のような崩れやすい具材はおたまで掬い取る。一応崩れにくい豆腐を使っている訳だけれど、それでも細心の注意を払わなければいけないのだ。
具材を掬い出した後は、スープを入れる。どんな出汁を使ったのか詳しい話は聞いたことがないけれど、しかし美味しいスープになっていることは間違いない。元々のスープに野菜や魚のエキスも染み出しているからだ。
具材とスープを取り出した小皿を女王陛下の前に置く。
「どうぞ、お召し上がりください」
「良い……香り……」
そりゃ、ずっとご飯を食べていなかったんだろう。お腹が空くのも致し方ない。というか寧ろここまで生きながらえることが出来たと思う。まさか冷凍保存でもしていたのだろうか?
「お腹が空いているなら、遠慮しないで思いっきり食べれば良いのよ」
未だ悩んでいるのか、なかなか食べようとしない女王陛下にサクラは言った。
「人間はね……糖分を取らないと脳が上手く働かないの。脳だけじゃないわ――肉体にエネルギーを送るために、エネルギーを作り出すためには糖分が必要なのよ。本当はそれ以外にも様々な栄養素が絡み合っているのだけれど……、まあ、要するに『食べないと何も始まらない』ってこと」
「……そういうことだ。冷めないうちに食べないか?」
そうしないとせっかく作ってくれたメリューさんに悪いからな。
「……、」
スプーンを恐る恐る手に取った女王陛下は、少しずつゆっくりとスープの海にそれを沈め、口の中へと運んでいった。
「美味しい……!」
顔はみるみるうちに明るくなっていく。
「こんな明るい女王陛下の顔を見るのは、随分と久しぶりです……! いや、まさかこんな日がまた来るなんて」
兵士は既に感無量のようだったけれど、未だ話はこれで解決していない。
この冬を、終わらせなくてはならない。
「この料理は、君のお兄さんが好きだった料理店で作った料理だよ。君のお兄さんは、役職を隠してやって来ては料理を食べた。それぐらい大好きな場所だったんだ」
「お兄……様が?」
ああ、そうだとも。
君のお兄さんは、きっと役職など関係なく分け隔てなく接したかったのだろう。人格者だよ、一言で言えば。
言葉で言い表すのは簡単かもしれないけれど、しかしそれを言うのも難しい。言葉というのは形に出来ないからこそ、それを一様に理解することが出来ないからだ。
「……お兄様が……愛した……」
愛したとは言っていないけれど、まあ通い詰めたってことなら間違っちゃいないのかもね。
鍋をどんどん食べ進めていく。食べていくことは有り難いことなので別に問題はないのだけれど、これで問題が解決するとはあまり考えられない。冬が氷解し再び春が訪れたところで――兄を亡くしたという喪失感は無くなるはずがない。
「……ねえ、もう少し前を向いてみない?」
そんなとき、サクラは女王陛下に話しかけた。
「いつまでも悲しんでいる場合じゃないとは言わない。けれど、そうしていると一生を無駄にする……私はそう思うんだよね。だって人生は一度切りなんだから、それを楽しまなくちゃ。楽しめないと思われたらそれまでかもしれないけれど、楽しまないと人生を楽に過ごせないと思う。あなたはこれからずっとお兄さんの喪失を背負って生きていく――それは間違いではないと思うし、消えることはないと思う。けれど、その後どう生きるかはあなたの自由じゃない?」
言いたいことは分かるが、少し飛躍している気がするんだよな……。結局、人生は一度切りであることは間違いないし否定するつもりもない。けれども、その人生をどう歩むのも自由ならば、それを指示される筋合いもない訳だ。
「……じゃあ、私はどうすれば良いのかしら……。今までずっとお兄様と共に生きてきたの。お兄様が居ない世界なんて考えられない……」
「でも、あなたはあなただけの人生を歩んでいる訳じゃないでしょう?」
そこで彼女は目を丸くした。
サクラはさらに話を続ける。
「あなたは、この国を治めている王様。ならばあなたの人生はあなただけのものじゃなくて、この国の人間の人生と同義であると言えないかしら?」
国王たる者、国と同義と思うべし。
……いや、誰も言っていないけれどさ、きっとそういうことを思う人だって居るんじゃないかななどと思う訳で。
「……分かった」
女王陛下はスープまで飲み干して――ちょっと健康には悪そう――すっくと立ち上がった。
「私……このままじゃ行けないって分かった。お兄様が教えてくれた気がする。いいえ、きっとそうなのよ! あなた達がここにやって来たのはお兄様が私を助けるために、助け舟を出してくれたの。そうでしょう?」
そうなのかな。……そうなのかもな。
「有難う、こんな素晴らしい料理を届けてくれて。お代は如何程かしら?」
そんな状況で金銭を請求出来る訳ないだろ。
ただまあ――今度はきちんとお店に来て食べて欲しいな。
異世界唯一の、ドラゴンメイド喫茶で。
◇◇◇
エピローグ。
というよりもただの後日談。
俺達が城を出た時に発した第一声。
「……暑い!」
そう。
あんなに雪が降っていた極寒の大地だったのに、気がつけばカンカン照りの良い天気になっていた。
太陽が出ているのなら気温も当然上がっていく訳で――正直上着も防寒の魔法も必要なくなった。
「これが火の神の国……って訳ね」
サクラの言葉に、俺は漸くそれを思い出した。いや、それ覚えていたのか。忘れていたよ、そんなこと……。しかし、ファンタジーとばかり思っていたけれど現実にそんなこと有り得るんだな。
「お前達のお陰でこの国に太陽が再びやって来た。……礼を言う、何とお礼をすれば良いのか分からないが、言葉だけで許してくれ」
良いよ、別に。
俺達だって料理を運搬しただけだからな。
そうして兵士と別れ、俺達は城塞都市を後にした。きっとこれからあの国は再び豊かになっていくだろう。国民が元気になれば必ずや国も復活する。大丈夫だ、あの女王陛下は大きな苦難を乗り越えた――乗り越えたのならば、確実に強かになっているだろうし、きっとどんな困難でも乗り越えられるだろう。
ボルケイノへの扉に漸く辿り着いた俺は、忘れ物がないかを確認し――。
「……あ」
「どうしたの?」
「そういえば……お代を請求しなかったけれど、メリューさんに何て言われるか全く考えていなかったな……」
きっとこっぴどく叱られるかもしれない。
ボルケイノは万年赤字だから。
「良いじゃない、別に」
サクラは有無を言わさずにボルケイノの扉を開ける。
「――あの国が救えたのなら、それで」
サクラもなんだかんだ順応したよな――俺はそう思いながら、一歩足を踏み出す。
怒られるのなら、仕方がない。
二人で一緒に怒られよう。
そうしてその後の――思い出話を話そうじゃないか。
そう思うと、不思議と俺の心は晴れやかな気持ちになるのだった。
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つづく。
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