言葉を忘れるぐらい美味しいもの (メニュー:茹でガニ)


 ドラゴンメイド喫茶『ボルケイノ』。
 あらゆる異世界に干渉することが出来る第666次元軸に存在するこの喫茶店は、今日も暇だった。

「言葉を忘れるぐらい美味しいもの?」

 しかしそんな暇なタイミングを見計らってやって来たのは、お得意さんのミルシアだった。ミルシアもまた何処かの国の女王を務めている。
 ってか国のトップがこう何度も抜け出して良いのだろうか。警備も付いていないし。今頃警備とか側近は慌てふためいているんじゃないだろうか……。

「良いのよ、別に。……それにボルケイノの存在は知っているからね」

 一度ミルシアの住む城まで宅配をしたことがある。その時は確かミルシアが体調を崩していて、お粥を出してあげたんじゃなかったかな……。メイドの人にジロジロ見られたのが少しだけ懐かしい。あれって興味を持たれていたってことで良いのかね。

「さあ、どうでしょうね。……でもメイド長は結構興味を持っているみたいだけれど? ここは様々なジャンルの料理が出てくるからとても飽きないのよね」

 正確にはミルシアの無理難題をメリューさんが何とか頑張って解決しているだけに過ぎないのだが。

「そうそう、だから今回は『言葉を忘れるぐらい美味しい食べ物』でお願いするわね。別にここの食べ物が美味しくないとは言わないわ。ここは本当に美味しいものばかりを食べることが出来るからね。……けれど、その中でも会話を忘れるぐらい集中してしまうようなそんな食べ物はないかしら?」

 集中、ねえ。
 メリューさんの料理はどちらかというと食べるとそれにずっと集中してしまいそうな傾向にあると思うけれど、そうではないってことかな?

「分かりました。取り敢えず、ちょっと待っていて下さい」

 俺は注文を聞いて、厨房へと向かう。
 厨房では既にメリューさんが料理を作り始めていた。

「メリューさん、注文ですが――」
「カウンターから聞こえていたよ。相変わらず難しい注文をするもんだね、言葉を忘れるぐらい――か。面白い言い回しだけれど、それを実現するのはなかなか難しい気がするな。取り敢えず今考えているのは――」

 そう言ってメリューさんは人差し指と中指を立てた。

「……二つ、ですか」
「そうだ。アイディアは二つある。……ならどっちが良いかねえ。どちらも食材は確保しているから作ることは出来るけれど、どちらがミルシアのお眼鏡に敵うものであるか、だ。そこについてはなかなか難しいところだよな、判断が付きづらい。そこはやはり人間の匙加減と言っても差し支えないのだけれど」
「じゃあ、コーヒーを出して時間を稼ぎますから、メリューさんはアイディアを練っていて下さい」
「それもそうだな。……あ、ケイタ。一つ聴いておきたいことがあるんだが」

 珍しいな、メリューさんから質問だなんて。

「何でしょう?」
「ミルシアの国って、海産物はそんなに出回っていなかったよな?」
「確かミルシアさんの国は内陸にある王国じゃなかったでしたっけ? 外国からしか海産物は輸入出来ないから高い税金がかかるとかどうとか。まあ、流石に王族ともなればそんなことは関係ないんでしょうけれど」
「そうか。それなら良い、一つアイディアが纏まった」

 それなら良かった。
 ならば俺は時間稼ぎをするだけだ――そう思いながら俺はカウンターへと戻っていった。
 カウンターではミルシアが待ち草臥れた表情でこちらを睨んでいた。

「どうだったかしら?」
「何とか作ることは出来ますよ。……ただ、少しお時間は頂くかと思います。なので、コーヒーは如何ですか?」
「良いわね、砂糖とミルクも頂戴。……別に時間なんて関係ないわよ。ここだと時間の流れが凄いゆっくりに感じるからね、気のせいかもしれないけれど」

 それ、気のせいじゃないんだよな。
 ボルケイノはどの異世界とも時間も空間も違う次元軸に居るために、当然ながら独立した時間の流れを持っている。よって、ここで一時間過ごしても向こうの世界では未だ三十分とか十分しか経っていないこともざらにある。

「それじゃあ……少々お待ちを」

 コーヒーにはこだわりがある。
 コーヒー豆はこちらの世界と他の異世界を合わせ百種類あるバリエーションのうち、様々な環境を勘案しその日のコーヒー豆を決定する。
 環境というのは要するに天気や湿度、温度も含まれる。ボルケイノの存在する第666次元軸にも四季があれば温度の上がり下がりもあるし湿度が高い日もあればカラカラに涸れている日もある。だから、毎日同じコーヒー豆を出す訳にもいかないのだ。
 豆をガリガリと粉に挽いていくと、それだけでもコーヒー豆の香ばしい香りがするのだけれど、これでお終いではない。
 こちらの世界では全自動のコーヒーメーカーがあるけれど、電気がないこの店に持ち込んだところで使うことは出来ない。まあ、メリューさんのことだからどうにかして使えるようにするのかもしれないけれど。
 粉を事前にセットしておいた紙で作られたフィルターに入れて、既に沸かしておいたお湯を入れる。
 ポイントは入れ過ぎないこと。最初から入れ過ぎてはコーヒーの風味が完全に出てこない。少量のお湯をコーヒーの粉にかかるように注ぎ、そしてストップする。二十秒から三十秒ほどここで待つ。これを『蒸らし』というらしい。

「……マスター、どうしてコーヒーを直ぐに作らないのかしら?」

 ミルシアはそう言いながら、コーヒーの香りを堪能しているようだった。

「コーヒー豆というのは、ガスが含まれているんですよ。少量のお湯を入れると、コーヒーが膨らみます。それは即ち、ガスが放出される――ってことなんですよ。コーヒーって、粉をお湯に溶かせば良いってもんでもないんですよね」

 まあ、こっちの世界じゃ粉を溶かしたコーヒーだってあるんだけれどね。それを見せたら異世界の人間はどういう反応を示すのかな……。きっとカルチャーショックを受けるかもしれないな。
 おっと、そんなことを思っていたらもう二十秒ぐらい経っていた。
 続いて、お湯を入れていく。ただしこれも無作法に遠慮なくお湯を入れれば良いってもんじゃない。平仮名ののの字でお湯を入れていくだけではなく、コーヒーフィルターいっぱいにお湯を入れてもいけない。
 ぽた、ぽた。
 お湯がコーヒーと化して、ゆっくりと下のカップに落ちていく。
 この時間でお湯が冷めてしまうのではないか――などと思うかもしれないけれど、元来コーヒーは熱々で飲むものではない。何なら水を入れて温度を冷ましたアメリカンコーヒーもあるぐらいだしな。
 そうして、ぽたぽたと垂れた一つの雫が、やがて一杯のコーヒーへと姿を変える。
 コーヒーカップを手に取ってソーサーの上に乗せて、あとは……ミルクの容器も一緒に置けばコーヒーの出来上がり、といったところだ。

「食前のコーヒーというのもここで初めて知ったけれど、なかなか悪いものでもないのよね……。今まではそんなことしていなかったけれど、今じゃお城でもメイドに食前のコーヒーをお願いしているぐらいだし」
「アルシスさんが、やっているんですか?」
「アルシスの入れるコーヒーが美味しいのよ。……そう言えば前に一度私の部屋までお粥を運んでくれたことがあったわよね、その時は女性しか入れないからってあなたも女装をして――」

 忘れてくださいよ、そんなこと。
 こっちはさっさと忘れたいことなんですから。

「……まあ、良いわ。ともあれ、コーヒーを頂きましょうか。ミルクを入れて……と」

 ミルクを結構たっぷり入れるので、ミルシアのコーヒーは少し少なめにしてある。その方が溢れないから良いのだ。

「……あれ? もしかして、このやり方ってケイタ的には良くないのかな? だとしたらもうやらないけれど……」
「いや、別に? 提供されたものをどう飲食しようがそれはお客様の勝手だからな。そこで文句を言う筋合いはないよ」

 流石に一口も飲まれなかったらちょっとはやる気をなくすけれどさ――ミルシアはそんなことしないからな。
 はてさて。
 ミルシアがコーヒーを飲んでいるうちに、さっさとメインディッシュが出て来てほしいものだけれど、それはなかなか難しい課題だったようで、メリューさんの居る厨房をチラリと見ていたが、未だ悪戦苦闘している様子だった。

「……ところでサクラは?」
「サクラなら今日は休みだよ、何でもクラスの用事があってな」

 正確には文化祭の準備――といったところか。俺達の通う学校には文化祭があるのだけれど、サクラはその準備をする担当に任命されていた。俺はそこら辺協調性こそ大事にはするものの、あまり自主的に動こうとはしない。それはどうなんだ、って話ではあるのだけれど――。
 まあ、俺は役目がないので仕方なくいつも通りボルケイノにやって来ている訳だ。

「……ああ、そういえば二人は学生なんだっけ? 学校に通いながら仕事をするというのはかなり大変だろうに、良くやっているよね。私の国ではそれは出来なくて、どちらかに偏ってしまう人間だらけだと言うのに」
「それはどの国だって共通だと思いますけれどね? 俺の国だってどちらかを選択して後悔する傾向にありますからね……ただまあ、学業を優先出来るようにする制度も多々用意されていますけれど」

 奨学金のことをここでダラダラと説明したところで、きっとミルシアは理解してくれないだろうし。
 それはミルシアが怠慢な訳ではなく、その制度自体を理解してくれないだろうという諦観もある。

「……ふうん。前々から思っていたけれど、ケイタ、あなたの住んでいる国って私の国からしたらかなり進歩している国だと思うのよね……。だって、子供がこのように学業と仕事を両立出来るのでしょう? 私の国じゃ、それをしようものならかなりの障壁があるし、その障壁を乗り越えたところで実際には認可されない可能性だってある――そこについては、正直に言わせてもらうと致し方ない面もあるといえばその通りなのだけれど」
「ケイタ」

 そこで声を掛けてきたのはティアさんだった。
 ティアさんはいつも空気を読まない。だからこのように話が盛り上がっていたとしても平気で声を掛けることが出来る――俺としては凄く有難いし、メリューさんの機嫌を損ねなくて良いから有難いことではあるのだけれど。

「はい、どうしました?」
「……メリューが呼んでいる」

 承知。
 はてさて一体どんな料理が出来たのやら――そんなことを考えながら、俺は厨房へと足を運ぶのだった。


 ◇◇◇


 カウンターに置かれたそれを見て、ミルシアは目を丸くしながらそれを眺めていた。
 眺めるというよりは観察、或いは推察に近かったかもしれない。皿の上に載せられたそれを舐め回すように見つめている。よっぽどそれを見たことがなくて、それに興味があるのだろう。
 皿の上に載せられているのは、甲殻類の生き物だ。足が何本も生えていて、ハサミが先端にあって、赤色に茹で上がっている……。

「……ケイタ、これは?」
「カニという生物を茹でたものですね」

 茹でガニ、とでも言えば良いかな。
 カニという食べ物をどう食べるか――そう考えた時に一番最初に思いつくスタンダードな食べ方。
 因みにカニ酢も添えられているので、食べる時はそれをつけて食べると良いことも伝えると、

「いや、ケイタ。……先ず、これはどうやって食べるんだ? 食べ方に見当が付かない以上、食べることが出来ないのだけれど」
「殻に覆われているでしょう? その中には身がぎっしりと詰まっています。それをカニ酢と呼ばれる液体につけて食べてください。……割り方は、まあ、見れば分かると思いますが」

 一応殻には切り込みが入っているので、そこから手で割れば良いのだ。

「まあ、物は試しね!」

 そう言って、ミルシアは両手で思い切り殻を開いた。
 あっという間に開かれたそれの中から、白い綿のようなふわふわとした身が姿を現す。

「……これを?」

 こくり。俺は頷いた。
 恐る恐るカニ酢につけたそれを、ミルシアは口に運ぶ。
 咀嚼していくうちに、ミルシアの疑心暗鬼だった表情はみるみるうちに笑顔へと変わっていった。

「……お、美味しい! 美味しいわ、これ! 何だか良く分からないけれど、ふわふわで柔らかくて……」

 そしてそれからは――カニを食べたことのある人間ならば大抵想像の付くことだったろうけれど、ミルシアは言葉を発することなくただひたすらにカニの殻を剥いて食べ続けた。
 殻を割る音だけが定期的にボルケイノに響き渡る。
 食べ終えたミルシアは少しだけ物足りなさそうな表情を浮かべていた。

「とても美味しかったわ。……でも、これが言葉を忘れる程美味しい食べ物、その回答ということね。いつも思うけれど、流石はメリューだわ」

 口元を拭きながら、ミルシアは言った。
 そして財布からいつものように金貨を何枚か置いていくと、ミルシアはボルケイノの外へと出ていくのであった。
 まあ、カニって出汁に使うのも最適なんだけれどな――多分メリューさんは今頃賄いのためにカニの出汁を使った料理でも作っているのだろう。
 しかし、それについてはミルシアには伝えないでおくことにした。
 ……何故かって?
 楽しみは、取っておいた方が良いからね。
 そうして、扉は閉められた。


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