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 焼夷弾によって焼き払われた大地には、最早瓦礫の山しか残っちゃいなかった。
 大抵は動かなくなった??数十秒前まで人間だったものしか、そこには存在してはいない。
 しかし、残党は??生き残りは、居てはいけない。
 ライフルを構えて生き残りが何処に居るかを、探さなければならなかった。
 唇に脂が纏わり付く。人が焼けてしまうと、その脂は空気中に霧散するが、唇に何故かへばりつく。
 ……厭な感覚だ。
 但し、それだけを言えば良いだけなのだから、十二分に救われているのは間違いないだろう。
 さりとて。
 前を見るも地獄、振り返るも地獄??そして何処を観ても地獄。世界は何一つ楽観視出来やしない状態に陥っている。怨嗟や嗚咽や絶叫が悪魔にとっての子守歌と言うのなら、この環境はきっと直ぐに眠りに就くことの出来る、最適の環境と言えるだろう。
 見たくない景色。
 見たくない景色。
 見たくなくても??見なくてはいけない景色。
 前を見なければならない世界。
 前を、見る必要のある??世界。
 振り返ることは、許されない世界。
 最早壁か天井か床か分からない混凝土の塊を足で蹴りながらも、前に進むことしか許されていない。
 後ろを振り返ることは、有り得ない。
 戦争は、前に進み続ける者だけが勝つ。
 例えそれが間違った選択肢で在ろうとも、勝者であればそれは正しい選択肢に上書きされる。
 そしてそういう積み重ねを繰り広げて??いつしか紛争は終焉を迎えた。


◇◇◇


 二〇二〇年代に発生した大規模な紛争は、再任した世界の警察の強い意向により半ば強引に終焉を迎えた??但し、あくまでもそれは表向きに過ぎない。大国同士の顔を立てるだけが小国の仕事ではない、と言い放った相手側が停戦を拒否したからだ。
 しかしその意向は世界には認められず、最終的に相手国は亡命政府を他国に設置――今もなお、紛争の火種が燻っている。
 そして、それから約十年。
 世界は仮初めの平和を嗜み、人々は安寧の日々を送っている――。


◇◇◇


 日本という国は、過去四十年で成長率が著しく低い国であると言われていたという。しかしながらそれでも世界上位の経済大国であることには何ら変わりはないし、テロは起きていたにしても百年近く戦争や紛争に関わったことのない、その圧倒的な安全というアドバンテージは非常に大きい。遂に政府もそれを認めたのか、安全安心の国家であることを猛アピールして、今や外国人観光客がこの国の至る所に居る――そんなインバウンド国家へと変貌を遂げていた。
 浅草、雷門。
 その周囲に広がるアーケード街を、わたしは歩いていた。
 もうこの国にやって来て、一ヶ月にはなるだろうか??いくら時間があっても、足りやしない。
 観光地があまりにも多すぎるからだ。
 これならば何度も海外からこの国に押しかけるのも、理解出来る気がする。
 ……わたしがしたかったのは、そんな分析ではない。
 今日は、仕事だ。
 仕事のことなんて、出来ることならしばらくの間忘れておきたかったのだけれど、それさえも許されなかった。
 スマートフォンに見知らぬ電話番号から着信があったのは??確か五日前のことだった。

『元気かね』

 名乗らずに、ただ体調だけを気遣ったその第一声を聞いて、わたしは目を丸くした。

「レシディア大佐。どうされましたか?」

 エレナ・レシディア。
 わたしの、軍時代の上長だ。
 まるで辞めてしまったような言い回しをしているが、厳密には休職中だ??一応、未だ籍は置いている。置いておいて欲しい、と言われたからだ。そうも懇願されてしまっては致し方ない、と思って一応籍を置いている。軍に戻る確立は、限りなく低いのだけれど。現時点では。

『畏まらなくても良い。会えないか? 緊急の用件でね』

 話を聞いてみると、どうやらレシディア大佐も日本に来ている??そういう話だった。
 緊急の用件というのがひっかかるが、久しぶりに知り合いに会えるというのだから、わたしとしても少しばかり気分が上がるものだ。二つ返事で了解し??そして、現在。
 珈琲店のテーブル席に、彼女は腰掛けていた。
 長い金髪に白い肌、真っ赤なポロシャツにチノパンを履いている、ラフな格好だった。
 しかし顔立ちがまるでモデルのように整っているからか、店内のお客さんの視線を一つに受けているような、そんな感じがする。

「……何だか、居心地が悪いわね」
「そりゃあそうでしょう。目立つのよ、アンタ」

 思わず砕けた口調で指摘してしまったが、まあ、そんなことをしても良いぐらいの間柄ではある。

「……そうかな? まあ、仕事の合間に来ているから仕方ないね。これもある意味仕事ではあるのだけれど」
「仕事、って……。一応言っておくけれど、休職中であることは覚えているよね?」
「当たり前だ。お前の休職届、受理したの誰だと思っている。わたしだぞ?」

 分かっているのなら良いのだけれど。
 そう思いながら、わたしはアイスコーヒーをストローで吸った。ここのコーヒーはサイズが大きすぎる気がする。注文すると豆がついてくるが、この豆がまあまあ美味しい。要は茶菓ということらしいが、これはアメリカじゃあんまり考えられないかもな。わたしが知らないだけで、沢山あるのかもしれないけれど。

「アリス・ディジーは知っているね?」
「知らない訳がないね。彼女とは親友だ。出身が同じでね。本当は休みを一緒にして日本に来たかったとか言っていたけれど……。それが?」

 わたしの言葉を聞いて、レシディア大佐はニヒルな笑みを浮かべ、こう言った。

「数日前、彼女が行方不明になった??と言ったら?」



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