002
「……今、なんと?」
レシディア大佐の発言を聞いて、急に自分が難聴になってしまったかと思った。けれども、直ぐにそれは嘘であると分かる。何故なら突発性難聴が発生するとして、いきなりそんな聞きたくない??或いは理解したくない文章だけを選り好みすることは出来やしないのだから。
わたしの動揺も予測していたのか、レシディア大佐は厚切りのトーストを一口頬張り、
「……だから言ったじゃない。アリス・ディジーが行方不明になっている、と。今や軍は大騒ぎよ」
そりゃあ大騒ぎだろう。
彼女は、軍の技術研究所の中でもトップクラスの実力を持っていた??常に新しい兵器を開発していたのだから。
そんな彼女が??何故?
「嫌気でもさしたんでしょうか? 兵器を作り続けるということに」
「それぐらいだったら未だ良いのだけれどね。こちらもきちんとした手続きを踏んでさえいてくれれば、秘密保護の名目でたっぷりと退職金を手渡していたのだけれど」
どうやらそんな単純なことではないらしい。
面倒なことを押し付けられた??そう言いたいようにも感じられた。
「失踪した、という感じですか?」
「まあ、半分正解かな。或いは亡命したと言っても良いけれど」
亡命?
自国に居ればその地位は保証されるはずなのに、どうして?
「……兵器というのは、今も昔も結局解決出来ていない課題があるの。分かる?」
唐突に、レシディア大佐は質問をしてきた。
戦争とはもう百年近く無縁な、この国で。
ある意味正反対の質問を投げかけている。
「何でしょうね。身体を傷つけることしか出来ない、とかですか」
「正解。肉体的なダメージを与えることが出来ても、精神的なダメージは……兵器は直接与えることが出来ない。まあ、肉体的なダメージに付随するケースはあるかもしれないけれど、それだと貴重な人材を失う可能性だってある訳でしょう?」
「それは戦争が終わった後の話をされていますか?」
「ええ。そうよ。戦争が終わった後??勝者がすべきことの話をしている」
何が言いたいのか、さっぱり分からない。
そう思っていたのだが??さらにレシディア大佐は話を続ける。
「肉体をそのままにして、兵士を無力化出来れば最高だと思わない?」
「……そんなことが、実現出来るとでも?」
確かに、兵士が簡単に無力化出来るのなら、戦争の最前線に立つ兵士からしてみれば最高の条件だろう。
しかし、そんなことが実際に有り得るのか?
「電磁波」
端的に、告げる。
「わたしも詳しいことはさっぱり分からないが……。技術研究所の連中がそんな技術を活用した兵器を開発していたらしい。その兵器の最終目的は??敵の精神を破壊すること。その兵器を照射すれば、瞬く間に敵の兵士から戦うという意志を削ぐことも、それ以上に廃人にしてしまうことさえも出来るという。正直、こちらとしては意味が分からない。出来るかどうかさえも分からないことなのだけれどね、……つい先日までは」
「どういうことですか?」
「兵役を休んで、恐らくそういった情報さえも遮断しているのだろう。きみは」
「ええ、まあ」
はっきり言って、あの戦場での記憶は、忘れたくても忘れられないことだからね。
だけれど、せめて心だけは癒したかった。
だから、わたしは戦争とは無縁であるこの国に滞在しているのだから。
そういう反応が分かっていたのか??レシディア大佐は、わたしにタブレットを見せてきた。
「今もなお、小規模だが紛争は続いている。しかしながら、これはインド北部で発生していた、ある紛争の映像だ」
わたしはイヤホンを耳につけて、映像を見始めた。
それは、恐らく戦場カメラマンが撮影している映像だった。ライフルを持った兵士たちが廃墟を通り越していく。何処からか戦車の大砲の音が聞こえてくる。
嫌でも、それが戦場であることを思い知らされる??見たくない映像だ。
つい少し前まではこの場に居たというのに、やはり平和に慣れてしまうとこうなってしまうのか??。
そんなことを思いながら、映像を見続けていた??その時だった。
キィィン、と耳鳴りに近い高い金属音が鳴り響いた。
大きい音ではなかったが、思わずイヤホンを取り外してレシディア大佐を睨みつけてしまうほどだった。
それを分かっていたのだろうか。レシディア大佐は肩を竦めて、
「悪かったね。けれど、言ったところで理解してもらえるとは思わなくてね」
同時に、映像にノイズが走る。
そのノイズは数秒程度だったが??その後に、撮影者と思われる声が聞こえる。
その声は、呻き声だ。
そしてそれは一つだけではない??つい一瞬前までライフルを構えていた兵士たちもまた、苦しんでいる様子だった。
最後はカメラが横に倒れて、その衝撃で映像が終了した。
イヤホンを外し、それを返す。そして、レシディア大佐は訊ねた。
「どう思う?」
「どう思う、って……。はっきり言って、よく分からない。耳鳴りが聞こえたけれど、あれが兵器の発射音? それにより、兵士が苦痛を感じて倒れ込んだ……と?」
「そうだ。そして、このカメラマンを我々が見つけた時には??この撮影時の記憶がすっかり抜けていたそうだよ。その場所に向かったまでは覚えていても、何故これを撮影していたのか、何故倒れ込んでいたのかさえも覚えていなかった。気づけば、病室のベッドに横たわっていた、というのだよ」
「……意識操作出来る兵器、ということかしら。攻撃することもなく、兵士を無力化出来る。そんな兵器が、仮に実用化されてしまったら……」
「ええ。あなたの思っている通り、世界の戦争は、パワーバランスは大きく変貌する。それは間違い無いでしょう」
そこで、わたしはある違和感に気づいた。
「ちょっと待って。アリスが行方不明になった話とこの兵器の話が結びつくとは、あまり考えづらいのだけれど。どういうこと?」
レシディア大佐は深い溜息を吐いた。
何か不味いことでも言ってしまったか?
「……まさかこの流れで分からなかったとは。アリス・ディジーが開発した技術、そして彼女と共に行方をくらました技術??それこそが『敵の精神を破壊することの出来る兵器』。そして、そのプロトタイプがこうして世の中に出てきてしまった。これから何が考えられるかは……もう言うまでも無いわよね?」
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