003
敵の精神を破壊する兵器。
レシディア大佐の言ったことを、わたしは頭の中で反芻した。
「……本当に、そんな兵器が? まさか??」
「??ここまで言って、ただの戯言だと思っているのか? そんなこと、わたしがするとでも?」
レシディア大佐の目は、本気だった。
眠たそうな目でも、ドラッグで脳がやられてしまった目でも、恐ろしいぐらいに疲れが溜まってしまって正常な思考が出来なくなった目でも??何一つなかった。
「わたしは、何もわざわざこの国に来て、旧友と冗談を語り合いたい訳ではないんだ。……まあ、それもしたかったのは事実ではあるが」
窓から景色を眺める。
「この国は、およそ百年近く戦争に巻き込まれていない。自らが戦争に参加したことも、自らが戦争に巻き込まれたこともないのだ。そんな国は、世界では類を見ないだろう。例えば、アメリカはそんなことはできやしない。世界の警察と宣っている以上は、紛争や戦争の火種が見つかり次第、それを調停しに出向く訳だ。……まあ、そんな正義の味方ごっこをしているつもりではなく、もっとビジネスライクな考えであることは否定しないがね」
「ビジネスライク、ね……」
何ら、おかしなことは言ってはいない。
わたしがずっと過ごしていたあの兵役時代は、上官或いはもっと上の存在の意向が強く反映された戦争風景だったからだ。
恐らく、あの国はずっとずっと昔から、そうやって戦争をビジネスの場として用いていたのやもしれない。
そんなことは大っぴらに言える訳がない??平和とビジネスとで天秤にかけているなど、そんなこと仮にメディアがすっぱ抜いたとしても公言できるはずがなかった。
だからこそ、いや或いはそれを狙ったか??兵役を休む時でさえ誓約書にサインを求められる。
曰く、作戦中に入手した情報は絶対に公言してはならない。
曰く、軍の行動意識を無視するようなことはしてはならない。
曰く、無関係な人間を作戦に巻き込むようなことはあってはならない。
……そう言った誓約文がだらだらと書かれている、そんな誓約書にサインをしないと、長期休暇すら与えられない。つまりは、家に帰ることさえままならないと言うことだ。家庭を持っていても、幼い子供が居たとしても、介護をすべき老親が居たとしても??例外はたった一つも許されることはないのだ。
「……知らないとは言わせない。あの国はビジネスライクに世界の警察を名乗っている。世界は、平和の天秤は無価値ではない。どんなものにも代えられないものがある。それをわかっていても??」
「??わかっていても、あの国はビジネスをやり続ける、と? 良く言えた物ですね、大佐まで上り詰めたあなたなら。酸いも甘いも分かっているのでは?」
「分かっているからこそ、こう言っているのだがね?」
レシディア大佐は、冗談を言う人間ではなかった。
だからこそというか、こういった冗談めいた口調で発言をすることに、少々驚きを持って迎えることしか出来なかったのだ。
「……戦争は、はっきり言って楽しくなどないよ」
ぽつりと、レシディア大佐は言った。
「最前線に立つ、我々兵士ならばともかく??何の関係もない一般市民はどう考えると思う? 自らの家がいつ焼土になるかも分からない、自らの命がいつ急に途絶えてしまうかも分からない??そんな恐怖に苛まれながら、生きていかねばならない。不安であることは間違い無いだろう。楽しい日々を送っているにも関わらず、空の上では戦闘機が飛び交っているんだ。いつ爆弾を落とされて、平和が失われるかも分かったものではないというに」
そんなことを、まさか兵士から聞くことになろうとはね。
急に平和主義者に目覚めたかな?
「??何かくだらないことを考えているような気がするけれど、ともかく、きちんと本題を話さなければなるまい。今、起きている戦争の火種についてだ」
閑話休題。
本題について、これから話していかねばならない。
「この作戦は、一瞬で終結した。この『|見えない刃《クリスタル・ブレイド》』のせいで、だ。精神を破壊する兵器……とにかく恐ろしい。これが兵士ではなく、どんな人間にでも適用される可能性があるとするならば、為政者は喉から手が出るほど欲しいだろうね。自らの意見に反旗を翻す人間がいるならば、さっさとその兵器を使って無力化してしまえば良いのだから」
恐怖だ。
ある意味、ナイフや銃弾で自らの身体を物理的に引き裂かれるよりも??面倒な話になるのではないか?
「……ただまあ、デメリットもある。これを受けたとて、精神は完全に破壊されない。……さっき、この攻撃を受けた兵士が気付けば病院のベッドに寝転がっていた……って言っただろう? 要は、その程度の攻撃力なんだよ??今は、ね」
「今は?」
何だか、随分と含みを持たせた言い方だな。
「あくまでもこれは試験段階だ。だからこそ、こうやって含みを持たせている。これもまた、実験の一つと言って良いのだろう」
「そこまで言い切れると言うことは……何か証拠を掴んでいる、と言うことですか?」
わたしの問いに、レシディア大佐はポケットから何かを取り出した。
それは写真だった。写っているのは??紛れもなく、アリスだった。
栗色のロングヘアー、少しぷっくりとしたそばかす混じりの頬、幼なげが残る顔つき??どれもこれも、アリスの特徴と一致する。
「これが撮影されたのは、チューリッヒの旧市街??その一角だよ」
チューリッヒ?
と言うことは、アリスは今スイスに居るってことか?
「我々は直ぐにスイス政府に問い合わせたが……、彼らもその全貌は掴んでいないらしい。だが、ある組織が活動をしていること。それだけは教えてくれたよ」
「それは?」
「……『|ジャバウォックの詩《ジャバウォッキー》』」
「は?」
「由来は恐らく、鏡の国のアリス。そういった話しはてんで興味がないのだけれどね……。ただ、その組織はある目的をもって行動している、と」
「目的……」
「『全世界の戦争という争いのフェーズを変える』。彼らはそう言っているそうだよ。……まあ、その『見えない刃』で何処まで出来るのかは、さっぱり見えてこないけれどもね」
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