004


 見えない刃、か。
 ネーミングセンスは微妙だと思うけれど、やっていることは凶悪だ。
 悪用されてしまったら、その時点でこの世界の覇者は確定してしまう。
 残忍で、最悪で、最低で……とてもではないが、喜ばしい代物ではないはずだ。
 しかしながら、人類はこれを実用化してしまった。
 核兵器よりも凶悪で、グレードが一つ上がった最悪の兵器を。

「……狂っていやがる……!」

 思わず、わたしは呟いた。

「そう。狂っているんだよ、『ジャバウォックの詩』は」

 レシディア大佐はそう言って、アイスコーヒーを飲み干した。
 結構なボリュームがあっただろうに、あっという間に飲み干していたな……。喉が乾いていたのだろうか?

「……何か変なことを考えたのではあるまいね? 確かに喉は乾いていたけれど……」
「いつの間にサイコメトリー能力に目覚めたのですか?」
「何を変なことを?」

 レシディア大佐は首を傾げ、わたしに質問を返す。
 咳払いを一つして、話題をリセットすると、

「……ともかく、こちらとしてはさっさと対策をしてしまいたいところなんだよ。分かるかね? 表向きは世界の警察を謳っている我々が、裏でこんな兵器を開発していたなんてバレてみろ。きっと世界のパワーバランスは大きく崩れてしまうよ」
「パワーバランス、ね……」

 確かに、その通りかもしれない。
 パワーバランスと言うのは、あまりにも不均一なバランスで成り立っている。少し力を加えるだけで崩れ去ってしまうような、砂上の楼閣と言っても良いだろう。しかしながら、それを崩さないためにどうにか頑張っていく??そういう名目で設立された国際連合も、もはや機能不全に陥っている状態だ。
 機能不全に陥っていないのなら、昨今の常任理事国による横暴は許されやしないのだから。

「……そのパワーバランスはなんとしても保持しなければならない。これが全世界の希望であり待望であり熱望だ。これが壊れた結果、二度も世界大戦が行われてしまった。っして、その可能性たり得る『力』は今もなお生まれ続けている。それが戦争であり、紛争だ。世界全体のパワーバランスが崩れる前に、小さい天秤が??大陸や地方のパワーバランスが先に崩れてしまう。それこそが大きく広がってしまうと、やがて大きな火種となり、世界毎破壊してしまう……。そんなことはあってはいけない。あってはならないから、我々が居るんだ」

 言いたいことは分かる。
 然れど、この平和ボケした国には??少々刺激が強すぎるように感じられるのは気のせいだろうか?

「話を戻そうか。アリス・ディジーは『見えない刃』を開発した。そしてその技術を持ち逃げして逃亡し??今はスイスに居るという。さて、ここまできて、わたしが何故きみに会いにきたのか。分かるかな?」

 ここまでお膳立てされて、分からない訳がないだろう。
 そして、その正解をこちらから発言させるというのか?

「……わたしが行け、と。軍籍であるあなたが動けば、米軍が秘密裏にスイスへ渡航したことがバレてしまい、大ごとになってしまう。けれど、わたしなら休暇中ではあるとはいえ、現時点ではただの一般人。何かあっても、アメリカはそれを切り捨てることが出来る??と」
「百点満点の回答だ。素晴らしいよ、きみは」

 小さく拍手をしているが、とても嬉しい気分ではない。
 寧ろそういう発言をするように誘導されて、まんまと引っかかった??とでも言えば良い。
 レシディア大佐はすっと一通の封筒を取り出して、わたしの前に置いた。

「これは?」
「受け取っておきたまえ。スイスへ向かう旅券と、その他スイスで生活する上での必要十分なものを入れてある」

 封筒を開けると、そこには旅券のデータがプリントされた紙と、一枚のクレジットカードが入っていた。

「利用限度額は?」
「きみが知る必要はない。少なくとも、一ヶ月で使い切れる金額では到底ないことだけは言っておこう」
「成程ね?」

 これが噂に聞くブラックカードって奴かな?
 スイスはキャッシュレス社会って言うしねえ。
 スイスフランをたらふく用意するよりかは、クレジットカードを一枚用意しておいた方が無難ってことか。まあ、間違いではないか。
 旅券の日付けを確認すると……一週間後?

「えっ?」

 思わず驚きが声に出てしまった。そして、レシディア大佐の方を見る。
 レシディア大佐は、笑っていた。
 確信犯か、あんた。

「……いやあ、典型的すぎるリアクションだねえ。日本に染まってしまったかい? もう少しアメリカナイズなリアクションを期待していたけれど」

 アメリカナイズってなんだよ……って思ったけれど、これ以上は言わないでおく。
 言った言わないで言えば言っておいた方が損はしないかもしれないけれど、言ってしまったことで後悔してしまうことも重々理解しておかねばならないってことぐらいは、誰にだって理解出来そうなものだからね。

「とにかく、準備はしておいてくれ。一応言っておくけれど、プレミアムエコノミーにしたから少しは快適に過ごせるでしょうね」

 レシディア大佐は立ち上がり、お会計札を持っていく。

「あ、それ」
「何? 払ってくれるの?」

 レシディア大佐は、笑みを浮かべてそう訊ねた。

「……いや?」
「だったら止めないでもらいたいものだね。しっかり準備しておいてね。パスポートは言わずもがなだけれど、どれぐらいの期間滞在するかも分からない訳だし。まあ、チューリッヒの市街地やそれなりのホテルならランドリーサービスぐらいあるだろうけれど」
「……ちょっと待って。これ、ホテルは予約していないの?」

 危なかった。
 レシディア大佐が言ってくれなければ、その疑問に到達することも或いはなかったやもしれない。

「ホテルは好きに予約すれば良いじゃない。マイレージプログラムがあるのなら、そのホテルを予約しても良いし。別に気にしていないのならコストパフォーマンスで考えても良い。支払いはそのクレジットカードで支払ってもらえれば良いから。世界で一番使用できる店舗数が多い、我がアメリカが誇るクレジットカードブランドのものだからね」
「まあ、それならそれで良いのだけれど……」

 取り敢えず帰ってからチューリッヒ近辺のホテルを押さえておくか。軽く二週間ぐらいは。
 どうせ自分のお金ではないのだし、メチャクチャな使い方をしなければ文句も言われないだろう。
 そんなことを思いながら、わたしはレシディア大佐を見送ったのだった??。



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