005


 一週間後、わたしは成田国際空港に居た。
 と言うのも、スイスの国際的な玄関口たるチューリッヒ国際空港に向かうには、成田空港からでなければならないのだ。乗り継ぎ便も含めれば羽田空港や関西国際空港という選択肢は出てくるが、予約済みの航空券はスイスエアによる直行便だ。直行便は成田空港からしか飛んでいない。だから、成田に居る??という訳である。
 成田空港へ向かうには幾つか選択肢がある訳だけれど、わたしは近場にホテルを予約して、シャトルバスで向かうことにした。きっと大量の客を乗せて列車は運行しているはずなので、混雑は間違いない。であるならば、近傍のホテルに前乗りしてしまった方が、絶対に楽なのである。
 そう思いながら、わたしは早々に荷物を預け、チェックインを済ませ、保安検査を通過し、到着した場所は??ラウンジだった。
 正確には、そのラウンジのソファー席でゆっくり赤ワインを嗜んでいる。おつまみも料理もあるし、悪くないよね。ここで長時間過ごしても全然文句は言わないと思う。
 まあ、ここに居る時間はせいぜい三十分ぐらいで、そうしないと飛行機の搭乗時刻に間に合わないのだけれどね。

「お寛ぎのところ、申し訳ありません」

 声がしたので、そちらを見てみると??そこには二人の女性が立っていた。
 一人は航空会社のロゴをつけた制服を着ているところを見るに??航空会社のスタッフで間違いないだろう。それどころか、さっきラウンジでステータスカードを見せた時に挨拶したスタッフだと思う。
 もう一人は??少女だ。小さい背丈で、金髪のツインテール、少しそばかすのある頬もまた少女性を強調させる。

「……何かありましたか?」
「あの、こちらのお客様がどうしてもお会いしたいとのことで……」

 申し訳なさそうな表情を浮かべてそう言ったが、要は取り次ぎをしただけに過ぎない。
 別に否定されることでも怒られることでもないような気がするがね。まあ、万が一間違えた時のことを考えてそういう態度をしているのかも。現に、恐らくわたしは今ぴんと来ていないし、そういった表情を浮かべている可能性も十二分に有り得る。

「ライラ・アーキボルトで間違いないかしら?」

 鈴を転がすような声だった。

「……あぁ、確かにそうだが」
「それであれば問題ないわね。ありがとう、ここまで連れてきてくれて」

 スタッフにお礼を言うと、少女はわたしの隣のソファーに腰掛けた。
 一体何者なんだ――と思っていたが、

「その感じだと、レシディアから何も聞いていない感じかしら?」
「……まぁ、そうなるな」

 レシディア大佐のことを知っていて、しかも呼び捨て? ますます少女の存在が何者か――分からなくなってしまう。
 それを聞いた少女は深い溜息を吐いて、

「困るわね、相変わらず……。余計なことばかり話して核心については何一つ話しやしないんですもの。もっと何か良いやり方でもあるでしょうに」
「え、ええと?」
「|ROES《ローズ》??この名前に聞き覚えは……当然無いでしょうね。当たり前と言えば当たり前だけれど、この組織が表立って活躍することはないのだし」

 勿体振ってないで教えてくれよ。

「超能力研究機構。アメリカは現代の武器や兵器に拘ることなく、次世代の兵器を常に模索している。その一つが『見えない刃』であり、さらにもう一つ存在するのが超能力という訳」
「……成程?」

 納得はしないが、確かに一理ある言い分だ。
 現時点において、世界の人口は飽和しつつある。増加を続けていったとて、それを育てるための食料なり土地なりが足りなければ何の意味もないのだ。
 つまり食料や土地の争奪戦がいつ起きてもおかしくはない。

「だからって超能力って……。流石にSFでしか聞いたことがないけれど」
「今や現代兵器に依存する戦争は終わりを迎えようとしている??博士が良く口にしていたわ。最初はアメリカ本国の命令でイヤイヤ聞いていたそうだけれど、研究していくにつれて愛着も湧いてきたと言っていたし」
「愛着?」
「変な話でしょう?」

 少女は首を傾げ、シニカルに微笑む。

「いずれにしても、超能力という概念は人間の考えを文字通り超越した能力……。だからこそ、わたしのような存在が研究され、開発され、うみだされたのでしょう」
「……ええと、きみも何かしらの超能力を持ち合わせている、と?」
「サイコメトリー」

 ぽつり、と少女は言った。

「聞いたことはないかしら?」

 わたしは首を横に振る。聞いたことのない単語だ。
 その反応を見て少女は少し寂しそうな表情を浮かべ、

「そう……。まあ、説明するよりも見てもらった方が早いかしら」

 そう言って、少女はわたしが使っていたマグカップを触って、目を瞑る。

「……ふむふむ、成程ね。あなたは不安がっているのね。軍役を休職しているけれど、戻りたくない様子? それもまた珍しくないことではあるかしらね。戦争という概念に触れたことはないけれど、自ら進んでいこうというジャンキーな人間はいやしないからね」

 目を丸くした。
 何故、マグカップを触れるだけでわたしの考えていることが分かるんだ?

「……残留思念」
「残留思念?」
「サイコメトリーとは、物に残っている思いや考え等の記憶??残留思念を読み取ることが出来る能力です。超能力を開発するのも難しい話だとは言っていましたけれど、こんな能力が戦争に活用出来るかは怪しいですね。後方支援でも出来れば良い、という考えでしょうか」
「いや、そんなことを言われても……。でも、それでアジトを突き止めることだって出来るんじゃないか? 敵が触ったハンカチを持つことで敵が何を考えていたか??ってことも分かるんでしょう? そういった能力の使い道を考えてあげれば良いと思うのだけれど」

 わたしの言葉を聞いて、少女は深く頷いた。
 何か変なことでも言ってしまったかな?

「成程ね……。そんな考えもありですか。それじゃあ、今度何かあればあなたに能力の使い方を聞くこととしましょう」
「いやいや、流石にそれはちょっと……」
「冗談ですよ」

 少女は立ち上がり、

「それじゃあ、向かいましょうか。我々の乗る飛行機が、そろそろ搭乗開始の時刻になるでしょうから」

 それを聞いて、わたしは首を傾げる。
 何故、わたしの飛行機の搭乗時間を知っているんだ?

「……だから、レシディアの名前を出した時点で察してほしいものでしたが。まさか、アリス・ディジーの捜索にたった一人で向かわせるとお思いですか? だとすれば傲慢ですね。わたしはあなたの補佐??ひいては助手として、一緒にスイスへ向かうようにレシディアから命じられたのですよ。あ、」

 思い出したかのように、少女は続けると、

「わたしの名前を言うのを忘れていましたね。わたしの名前は|白ウサギ《ホワイト・ラビット》」
「白ウサギ?」

 巫山戯ているのか。

「ROSEに所属している超能力者は、皆コードネームを持ち合わせているんですよ。名前なんて、所詮個人を識別している概念に過ぎませんから」
「……分かったよ。それじゃあ、よろしく頼むよ、白ウサギ」
「こちらこそ」

 それにしても??白ウサギか。
 まるで『不思議の国のアリス』の世界に迷い込んでしまったみたいだな。
 そんなことを思いながら、わたしは荷物をまとめて、ラウンジを出る準備を始めたのだった。



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