第一章2


 部屋は綺麗だった。及第点と言えるだろう。
 窓際に机と椅子があるのは少し頂けない。外から見られる危険性を孕んでいるからだ。……まあ、ここについてはカーテンを閉めれば問題はないだろう。わざわざレイアウトを変更する必要はない。
 カーテンを閉めることなく、窓から景色を眺める。
 ちょうど山に面しているため、山の頂上にある城を見ることが出来る。

「……あそこに居るのが、トール国王か」

 正式な名前で呼ぶとするならば、トール・エッダー。エッダー家の当主であり現在はこのバーガンズという街を治めている、一国の主と言っても差し支えないだろう。
 バーガンズは観光による収入が財源の殆どを占めていると言われている。しかしながらその体制はあまりにも不安定で、周辺他国の状況によって観光客が足を運ばなくなってしまうのだから、観光に重視しすぎないようにするべきではないか――などとも言われているらしい。
 これは『デバイス』で事前に調べていたことではあったが、しかしそうなると逆に好都合ではある。
 何故なら、そのように不満がある人間が多いと判断出来ると言うことは――こちらに火の粉が降りかかる前に逃げることが可能だからだ。適当な人間に罪を被せてしまえば良い。

「……一先ず、情報を整理することにしようかな。事前に『デバイス』で調べておいた情報によれは――」

 バーガンズはエッダー家が長い間統治していた都市だ。その二十九代目となるトール=エッダーは賢王であると専らの評判だった。
 私から言わせればそんなことは荒唐無稽なデタラメではあるのだと決め付けているのだが、多分それを上手く隠しているからこそ、バーガンズでのエッダー家統治が続いているのだろう。

「……私にとってみりゃ最悪の現実だがな」

 エッダー家は同業――つまり社交界のような煌びやかなところからの評判はすこぶる悪い。
 悪い噂が絶えないからだ。その中には気に入らない貴族を潰しその資産を奪取するという噂もあった。
 いや、奪取というよりは詐取か?
 エッダー家はそうやって自らの影響力を高めていった、傲慢というのを地で行くスタイルの人間どもが集まったところだという。尤も、これは被害者側が何度も推敲を重ねた挙げ句、如何にして傲慢さを伝えるべきかと考えた上で出した苦肉の策であることは間違いなかろう。
 何故そう断言出来るかと言われれば――無論、私もその被害者側の人間だからだ。
 両親が死に、屋敷が燃え、その後残されたのは執事と私、それと僅かばかりの財産だった。
 財産と言えどもそれはほぼ資産価値のないガラクタばかりで、私一人ですら暮らしていくのは難しい程の価値だった。
 執事なんてとっくに別の仕事を探してしまえば良かったものを、両親に忠誠を尽くしていたためか、私の世話までしてくれた。
 金にもならないことだと言うのに、今思えば有り難さもあるし馬鹿馬鹿しさもある。きっと執事のポケットマネーで賄っていたに違いない。
 そして執事は私に、復讐相手のことも教えてくれた。
 曰く、私の家系は財産を多く保有していたために、かなりの敵が居たということ。
 曰く、そのために両親は暗殺者に狙われ、一家諸共『事故』として処理してしまうために、今回の事件を引き起こしたこと。
 曰く、事件の犯人は複数犯であり、その目的は自らの影響力と私腹を肥やすためだったこと。
 そうして、その中の一人がトール=エッダーであることも教えてくれた。
 今考えれば、執事は私に復讐の代行をしてもらおうと画策していたのかもしれない。
 ――窓を開けて、安っぽい煙草を吸いながら私は物思いに耽る。
 煙を吐くと、その煙はあっという間に空へ霧散した。

「……エッダー家は、日夜パーティーを開いているらしい」

 これも『デバイス』で得た情報だ。エッダー家はその権力を誇示するために日夜パーティーを開催しているらしい。
 見たところバーガンズの街並みは裕福な人間ばかり居るとは見受けられない。もし人々が裕福であるならば、閑古鳥の鳴いた宿屋などあるはずがないだろう。

「……先ずは、情報収集と行くかね」

 地下に酒場があると言っていた。酒場は情報収集にはうってつけの場所だ。アルコールを摂取した人間の脳は、判断力が普段のそれより低下する。
 そうして私は、地下の酒場へと向かうべく部屋を後にするのだった。

 ◇◇◇

 地下一階にある酒場に足を踏み入れると、昼間であるにも関わらずカウンターはほぼ埋まっていた。
 人々の娯楽がそれ程酒に集中しているということだろう。大方この宿屋も収入の大半は酒場から得ていて、宿屋なんかは慈善事業みたいな何かと思ってやっているのかもしれない。

「いらっしゃい。何が飲みたい?」

 カウンターの数少ない空席に腰掛けると、待ち構えていたかのようにマスターが声を掛けた。

「……オススメは?」
「雪で冷やしたエールがオススメだね。寒い時期に冷たいエールを飲むのか、などと言ってくる輩も居るがそんなコメントは無視だ。とにかくうちのエールを飲んでくれりゃそんなコメントは無視出来ちまう」
「そこまで自信があるなら、それをもらおうか」

 何を飲もうと決めてきた訳ではない。
 別に酔っ払いたいがために酒場に来た訳ではなく、あくまでも情報収集だからね。

「それにしても、その口振りから察するに観光客か?」

 マスターは話し好きな様子で、エールを用意する間もずっと話し掛けていた。

「まあ、そんなところかな。特に目的もなく、根無し草のような感じでやっていますよ」
「若いってのは良いねえ。俺も若い頃は隣の街まで旅をしたことがあるけれどよ、あの頃は未だそんなに『獣』が居なかったから安全に旅が出来たもんだけれど、今は結構難しいんだろう?」
「……まあ、どれぐらいの昔を比較しているのかはちょっと分かりませんが、増えてはきましたね。困ったことに」
「やっぱり、世界樹がお怒りになっているのかねえ……。俺はあんまりそういうオカルトは気にしちゃいねえんだがな。でも、最近の状況を察するにちょっとは方向転換しないといけねえ段階に来たのかもしれねえな」

 世界樹は、この世界の中心に存在する巨大な樹木のことを言う。空高くまで聳え立っており、頂上に何があるのかは誰も知らない。
 世界樹の周辺には街が形成されており、そこでは『世界樹教団』の総本山を中心に街が成り立っている。多くの信徒が毎日のように足を運ぶらしいが、生憎私は宗教には疎いものでね。

「……はい、おまちどおさん」

 カウンターにドン、と大きなジョッキグラスが置かれた。
 黒色の液体で満たされているグラスは、その上部が白く泡立っている。そしてよく見ると少しばかりシャーベット状になっているような気がした。

「これがうちのご自慢、雪で冷やしたシャーベットエールだ。いつの時期でも冷たくキンキンに冷えたエールを楽しむことが出来る。さあ、先ずは飲んでみな!」

 そう高説されたからには飲んでみることとしよう。まあ、注文したからには飲み干しておかないと勿体ないというのもあるが。
 グラスを口につける。この時点で唇に引っ付きそうなぐらい冷たかった。恐らくグラスそのものも雪で冷やしているのかもしれない。
 そしてグラスを傾け、エールを一口飲んだ。
 喉を通っていくその味は、キリッと決まった辛口だ。

「……な、美味いだろう? これを飲むためだけに皆ここまでやって来てくれるんだぜ。有難い話だろう? 皆が待ってくれて頼んでくれるからこそ、俺もこうやってこの酒場を継続させることが出来る――ウィンウィンの関係ってことだな」


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