第一章10


「……じゃあ、旅立つとして、いつだ?」
「いつでも良いよ。こんなこともあろうかと、既に準備しているんだよ。後は着替えるだけ」

 着替えるだけ――とは言うが、どうやって脱出するんだよ?
 一応、お前はこの家の当主なんだろ。

「お前お前って言わないでよ、ソフィアっていう立派な名前があるんだからさ」
「……ソフィアねえ。覚えておくよ。私は人の名前を覚えるのが苦手だから、少しばかり時間が掛かるかもしれないがね」
「この街には地下水脈があるの。雪山だから、雪が溶けるとそれが水になって染み出すでしょう? だからそこを伝って通ればあっという間に外に出ることが出来るんだよ」
「……それも予知したのか?」
「ううん。これは知識だよ。知識を得ているからこそ、話が出来たんだよ」
「知識、ねえ。まあ、確かにそれはその通りだが……、でもそこに向かうとして当てはあるのか? 復讐相手はどれぐらい居るのかは教えてもらえないのか」
「ざっと五人といったところでしょうか。あ、お父さんは入れないで、ですよ」

 五人も居るのか……。いや、最初から一人ではないと思ってはいたが、そうも居ると復讐を終えるだけでも一苦労かもしれない。
 しかして、だとしても復讐をやらないという理由にはならない。
 復讐は私の人生であり、終結点だ。
 そのためにはどんな犠牲だって払ってやる。

「……少しは狼狽えるものとばかり思いましたが、意外と未だ目つきは変わっていないようで。まあ、そうじゃなければこれからの冒険を繰り広げることは不可能に近いでしょうけれど」
「お前はさっきから話しているばかりだが……。本当に旅に出るつもりなんだな?」
「だからソフィアだって。本当に人の名前を覚えることが出来ないのか、それともわざとなのかは分からないけれど……。だとしても少しは覚えてくれないと困るよ。だって私はあなたの復讐相手になるかもしれないのだから。世界を救った後でなら、どんな殺し方をしたって私は受け入れるよ」

 達観したような物言いが逆に不気味過ぎる。
 まあ、そこでどうこう言う筋合いもありゃしないのだが。

「じゃあ、取り敢えず準備をしてくれ。私は待っているから」
「うん。じゃあ、ちょっと待っていてね。直ぐ終わるから」

 先ずは、外に出る準備をしてもらわなければ何も始まらない。
 そういうことから、ソフィアには着替えをしてもらうこととした。

  ◇◇◇

 着替えが終わると、ソフィアは鞄を背負った。

「……それは?」
「着替えだよ。とはいえ、そんな大量には持っていないけれどね。あなたも……ええと、イズンも着替えは必要最低限にしているのでしょう?」
「洋服には疎くてね。無論、宿に泊まったら洗濯はしているけれど、あまり持ち合わせない方が良い。それに街だったら必ず仕立屋がある。服が必要なら、そこで買いそろえれば良い」
「イズンは家はあるの?」
「あるよ。遠く離れた……マシーナに近い方だな。いつかまた帰る機会もあるだろうが、復讐相手を一人も屠れないままでは帰ることも出来ない」

 廊下を二人で歩くのは、流石に問題だった。
 だから今は窓から外に抜け出して、秘密の地下道を歩いている。
 地下道を進めば、やがて地下水脈へと続いているという。地下水脈は迷路のように張り巡らされており、仮に私達を追いかけようとも不可能だとか。ならば一安心と言ったところか。
 あの旅芸人とも、出来ることなら会いたくないからな。何か裏があるような言い回しばかりして、こちらをどうにか攪乱させようとしていたのが、どうにも腹立たしい。

「地下水脈は、迷路のようになっている。だから、私だって簡単に突き進むことは出来ないの。……法則性を覚えていない限りはね」
「法則性?」

 水脈への入り口は、そこから土の質が変わっていたためか直ぐに分かるようになっていた。
 それに崩れないように木の枠で囲われている。まさかこの木の枠は地下水脈全てに人力で設置しているのだろうか。だとすれば、途方もない時間を考えて少しばかり感服してしまう。過去の人間の礎に感謝せねばならないな。彼らがこうして作ってくれたから、今私達がここを通って脱出出来ている訳なのだから。

「ほら、あそこが光っているでしょう?」

 水脈を少し進んだ先には、分岐路があった。
 あれが無数にあるとすればゴールまでの道筋を完璧に覚えることは、最早不可能とばかり思っていたが――左側の道に、少し苔が付いているのかその部分だけ光っている箇所がある。

「あれは、光虫って言うんだよ。光虫は水と光が大好きだから、出口に近い方向にしか居ないんだ。どうしてああいう風になっているのかは分からないけれど……、でも昔の人はあれを見て出口を見分けていたそうだよ。何故なら、分岐の先に分岐があって、さらにその先に分岐があるって形が永遠に続くから、一度戻ることは不可能に近いんだよね」
「あまり聞きたくないような、聞いておきたかった情報であったかのような……。いや、ここは有益な情報だと受け取っておくか」

 分岐路へ辿り着く。確かに左側にしか光虫が居ない。もっと言うと、光っていた箇所は少しだけ蠢いているように見えて気味が悪い。これが光虫というのか……。

「光虫というのはあまり聞いたことがなかったな。ここにしか生息していないのか?」
「そうじゃないかな。私は本でしか読んだことがないけれどね。貴重な生命体だから、採取するのは辞めてね。確か日光に長時間当たり続けるのは良くなかったはずだから」
「どうして?」
「どうやら光虫にとって、太陽光は猛毒なんだよ。だから、それを身体から放出するために光そのものを放出しているんだ。彼らにとってあれば毒の中和でもあるんだよ」

 成る程ね、毒を中和しているから別に自分が発光している自覚はないのか。
 しかしそれが集まって私達を助けてくれているのだから、生命の神秘で片付けるのもどうかとは思う。ここは素直に受け取って感謝しておくとしようか。

「それが良いと思うよ。そしてここを脱出するためには、光虫の存在が必要不可欠だからね。……という訳でここは左に向かいます!」

 分岐路を左に向かい、さらに直進していく。
 曲がりくねっていたり、上下に移動したりとかなり面倒な構造になっている。しかも壁も真っ直ぐになっておらずでこぼこしているため、恐らくこれは全て手で掘ったままなのだ。
 一体どれぐらいの人間が、どれぐらいの年月をかけて掘り進めたのか――考えるだけで気が遠くなる。

「地下水脈は、枯れることはないのか?」
「議題に上がることはありますけれど、それはないはずですよ。だってバーガンズには永遠に雪が降り積もるんです。それが温度の上昇によって溶けて地下水脈の一滴へと変貌を遂げるんですから。……学者が試算したデータによれば、現状でもバーガンズに居る人間が百年は生き続けられるぐらいの水が蓄えられているとも言われていますし」
 



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