第二章15


「……別に悪いことを言っているつもりはないのだけれどね。どうしてか、あなたは堅いというか、何というか……。もっと軽く物事を考えれば良いのだと思うけれど、そこはどうなのかしら? それとも、もっと裏に何か重要なことでも隠しているとか……」
「そんなことはないから、安心しろ。まあ、言っていないこともあると言えばある。それについては……いつ話す機会があるだろうな」

 期待して欲しい程でもないが、少なくとも今は話す時間ではない。
 或いは、タイミングの問題か? いずれにせよ今はそういう機会ではない。

「……ふうん。まあ、良いわ。確かに今は話す機会はないかもしれないわね。ともかく、氷がいつか溶けるように、それが話される機会もいずれは出てくるはず。だから、期待しているわよ」

 期待されたって、出ないものは出ないってことぐらい分かって欲しい。
 それに物事を簡単に考えれば分かる話でもあるが、旅芸人って精神状態が常にプラスに働いてでもいるのかね? だとしたらそれもまた致し方ないことではあるが。
 食事はそのまま進んでいくが、やはり最初のあの球体のインパクトが強く、それからはどんな料理が出てきても、インパクトでは負けていた。料理は美味しければそれで良いのだけれど、しかし良い意味で衝撃を受けたのもまた事実。
 かと言って別に不味い料理だった訳でもない。値段も安かったし、文句の付け所はなかった。ただ一点、インパクトのことを除けば。

「……ところで、もう思い残すことはない?」

 ウルが唐突にそう言うので、一瞬ヒヤリとした。いきなりここで決闘が始まってしまうのではないかなどと推察したが……。

「――ああ、いや、別に何かあったから言っている訳ではないのよ。簡単に言えば、これからやることを踏まえれば……簡単にこの地に足を踏み入れることは難しくなるんじゃないかな、と思っただけの話。無論、物事が全て上手くいけば良い話ではあるのだけれど……」
「上手くいかないことばかり気にしていたら、何も始まらない。良い方向に物事が行くかどうか、それだけを考えれば良いのではなくて?」
「……まさかイズンちゃんにそんなことを言われるなんてねえ。まあ、確かにそれはその通りかもしれないわね。悪いことばかり考えながら物事に向き合っていたら、そりゃあ物事も悪い方向に邁進するでしょうから。まあ、私はあまり考えたことないけれどね。考えたら、やっぱり一日の雰囲気もどんよりとしてしまうものだし」
「しかし、思い残すことはない、か……。そう考えるなら、この街も悪くなかった、と感想を述べることぐらいになってしまうのだがね」
「あまり良い感想を抱けなかった街でもあったのかしら?」
「そりゃあまあ、ゼロではないね。十や二十じゃ数え切れないぐらいの街が世界には点在しているのに、全部が全部良い街だなんて言い切れない。やっぱり、少しは完璧ではなくて悪いところもあるし、それでも良いところが勝るケースが大半なのだが、一つぐらいは駄目だった街もあっただろうね」
「それは、どんな場所だったのかしら? もし可能なら、教えてくれない?」
「多分、ウルも知っている場所だと思うけれど……、グリーズは知っているでしょう?」

 グリーズは、南方に位置する小さな街だ。寂れた雰囲気もあり、なかなか旅人が近寄ることはないのだけれど、それ以上にこの街に近寄りたくない理由の一つとして挙げられるのは――。

「ああ、知っているわよ。グリーズは文字通りマフィアであるグリーズ一家が支配している街よね。だから街に居る人間も大半はグリーズ一家の人間で、彼らは貨幣を手に入れるためにぼったくりの商売を手がけているって話よ」
「……そこまで知っているのなら、私が追加説明をする必要性はないかな?」

 別に旅芸人を卑下するつもりはないが、それにしても何でも知っている。やはり旅芸人という肩書きがある以上、世界の至る所へ旅をして、そこで一芸をすることによって金銭を得ているのだから、その街に何があってどうやって過ごした、ってことぐらいは覚えているものなのかもしれないが、しかしウルの記憶力は抜群だ。旅芸人が皆こんな感じだったら、それはそれで凄いと思うが。
 ウルは食後に持ってきてくれたお茶を飲みながら、呟く。

「……別に旅芸人全員がこうやって記憶力が良い訳でもないと思うわよ。ただ、記憶は大事にしているけれどね。記憶は大事なものよ。誰にだって盗まれてはいけないし、それが消えてしまってはならない。記憶が消えるということは、つながりが消えるということと同義なのだから……」

 記憶。
 確かにそれは失ってはいけないものの一つであると思う。人間は物事を記憶し、それを忘れることはない。年を重ねるとどんどん忘れっぽくなってしまうことはあるのかもしれないが、それでも人間の記憶は誰にも奪われることがないし――無論、相手がそれを聞き出すことをしなければという条件が付くが――それを失うこともほぼ有り得ないだろう。
 確か研究の結果によると、人間が年を重ねて記憶を忘れっぽくなるのは、あくまでも記憶はしているがそれを思い出す力が喪失しただけ――とかどうとか言っていた気がする。あくまでも新聞を斜め読みしただけだから、本当はもっとちゃんとした研究結果があって、それを間違って覚えているだけなのかもしれないが。

「記憶は絶対に失いたくない。それは誰しも考えることだと思うけれど、では実際にそれをどうしていくか? というのは一生解決しない謎だとは思うのよね。トレーニングをしたところで、記憶力が低下していくのは間違いないんですから」

 なら、どうしていけば良いんだと思う?
 記憶を失いたくない。しかし記憶を失うことは絶対で、避けることが出来ない。ならば、それを受け入れるしか道がないし、諦めるしかない――諦観に近いものがあるんじゃないだろうか?

「諦めるな、とは言わないわよ。私は頭を使うようにしているからね。頭を使うことは記憶力を鍛える一番簡単なトレーニングに繋がるんですから。けれども、それにどれぐらい効果があるのかは分からない。私も未だ若く生きていたいものだからねえ。そればっかりは分からないし、人間がどれぐらい長生きするかどうかは……、それこそ『神様』ぐらいにしか分からないことでしょうし」




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