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序章

 例えば、あたしがあたしたりえるにはどうすれば良いのだろうか、なんてことを考えてみると面白いぐらいに何も思いつかないのだけれど、あたしはあたしだと言ってしまえばそれが定義出来てしまうのだから人間の世界というのは面白いモノだと思う。頭空っぽにして見てみても、結局あたしがあたしであるというシンボルは見つかってこそあたしだという証明だと言えるのだろう。
 あたしがあたしである証明。それは証明することが難しいと思う。でもあたしが何故こうやって生きているのかずっと興味を抱いていて結局大学まで進んだけれど、その結果は見つかりやしなかった。見つからないならそのまま社会人になっても到底ろくな仕事に就けるはずも無く、結局親の遺産を引き継いだ私は新宿という都心の一等地にマンションをどーんと購入してしまった次第である。
 そう聞いてみれば意外とお金はあるのだな、という結論になるのだけれど、でもお金って正義だよね、って話になるとそれまで。お金は結局お金だけの価値で留まっていればいいものを、そうならなかったから今の時代が存在する、と言えばそれまでだ。貨幣経済の仕組みそのものに警鐘を鳴らしてしまうことになるわけだからね。
 じゃあ、結局あたしは何をしているのか、って?
 それを聞いて驚くなかれ。結局、何を追い求めてしまったのか――あたしはあたしの生きるルーツを追い求めるために、大学で習っていた民俗学をそのまま仕事にしてしまおうと試みたわけだ。生憎遺産は無駄遣いさえしなければ私が老後暮らしていける程までの資産は残っている。だから無理して仕事を取る必要も無い。私が興味を持った仕事を受け持って、それをこなすだけの話。別に難しいルーティンでは無い。
 とはいったものの、やっぱりあたしとしては冒険もしてみたいわけで、たまには遠出でいろんな場所を巡ってみるわけだ。あたしがあたしのルーツを巡ることが、何が可笑しいのかという話ではあるけれど、皆はもうあの話から離れたがっていた。
 あたしがあたしであるルーツ。
 朱矢、という集落があたしが生まれ育った場所だ。
 北関東の何処か、今は黒露市に編成されて一つの集落と化したその集落は、新幹線とローカル線とバスを乗り継いで片道四時間はかかる場所に位置していた。
 今思えば、何故あのタイミングで行こうと思ったのか、あたしは全く分からなかった。
 でも、今思えば、呼んでいたんだと思う。
 朱矢が、あたしを呼んでいたのだと、思う。

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