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第一章 001
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あなたが帰ってきたのは。
つまり、こういうことではなくて?
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「お客さん、朱矢入口、終点ですよ」
その声であたしは目を覚ます。というかすっかり眠っていたのか。あたしにも気づかなかった。気づきたくなかったというかないがしろにしたかったというか無視したかったというか、そんなことどうだって良かったけれど、元気よくバスの運転手はあたしに声をかけるのだった。
見たところ、五十代後半に見えるその女性は、地方バス会社の一運転手だった。そもそも朱矢へ向かうバスはこのバスしかなくそれ以外のバスは黒露市の都市部で完結している。ってか、そんなこと誰も知りたくないし知ろうとはしないし知るはずは無いのだ。わざわざ調べない限り、朱矢行きのバスに誰も乗りたがらない。
あたしは立ち上がり、バスを降りる。バスを待つ乗客は誰も居なかったのか、そのまま転回し、バスは黒露市の都市部へと戻っていった。
あたしは周囲を見渡す。周囲には何も無い。いや、正確に言うと木で作られたベンチが一つ置かれているだけだ。ベンチには誰が置いたか知らないが綿が抜けていたクッションが置かれている。そんなもの、誰が使うのだ、という話になるわけだが。
そしてベンチの向こう側に下り階段が伸びている。下り階段は人一人がやっと通ることの出来る広さで、傾きも急だった。まあ、何年か昔はあたしもこの階段を利用して黒露の市街地に出ていたんだけれどね。まあそれを思うと何だか懐かしく思えてくるし、懐かしさを通り越して感慨深く思えていた。
階段を下りて、獣道を進む。すると、石造りの柱が見えてくる。『朱矢』というかすれた文字が見えている。ああ、これもまた昔のまんまだ。
朱矢は集落として既に限界を迎えている。中学校も小学校も閉鎖されてしまっていて、小学生から彼らは黒露市の都市部へ向かわないと学校へ通うことが出来ないのだ。
連絡を入れていた空き家へと向かう。ここは自由に使っても構わない、というのが連絡を入れた人間の話だった。一応言っておくと、かつてこの朱矢に住んでいたが、色々と立ち行かなくなって黒露市の都市部へと移動することになったのだという。ちなみに管理は朱矢の有志によって管理されているのだという。
「ごめんください」
鍵を開けて、中に入る。誰も居ないけれど、礼儀として習っていたことをしただけに過ぎない。
少しだけ黴の生えた匂いがした。和室というのはどうも懐かしい感じだ。ここ数年ずっと洋室に住んでいたから和室というのは久しぶりという感覚だ。畳の上に座布団を敷き、テーブルに鞄を置く。ちなみに洋服等が入っている大きな鞄もそこに置いた。何日住むつもりだ、という話だが、おおよそ五日を予定している。本当はもっと長く調べたいことがあったのだが、この家を借りる際に『時間をかける程、あの集落に価値はない。ただ呑み込まれるだけだ』と助言に近い忠告を受けてしまったため、仕方なく五日という制限になってしまった次第だ。
鞄からパソコンを取り出し、あたしは資料を確認する。電源は何処だ、と思ってあたりを見渡してコンセントを探す。
漸く見つけることが出来たコンセントだったが、最悪なことにその場所はあたしの持っているACアダプタでは届かない位置だった。仕方なく充電コードを持ち出し、それをコンセントに差し込む。そこでパソコンが反応しないことに、あたしは違和感を示した。
普通ならコンセントにプラグを差し込んだところでパソコンが給電を開始するはず。しかしながら、今はそれの反応がしない。いったい全体どういうことなのか――。
と、少し考えたところで、当然の帰結というか、当然とも言える結論へとたどり着く。
「そういえば、ブレーカーを入れていなかったわね……」
ブレーカー。
そう、さっきも言った通りここは普段使われていない家なのだ。だからブレーカーを入れておいたところで意味が無いし勝手に電気を使われかねない。だったら契約そのものを無くしてしまえばいいはずだが、それはしていないらしい。たまに里帰りでもしているのかね、こんな集落に。
とまあ、あたしはそこまで考えたところでブレーカーの捜索に移る。ブレーカーは大体水回りのところにあるのが鉄則みたいなもので、家の探索も兼ねつつもあたしは探し始めるのだった。まあ、一応家の地図的なものはデータで貰ってはいるのだけれど、一応この足で探索してみないとね。何も分からないし、何も理解できないし、そもそも理解しようが無い。
そんなこんなで部屋を探索し続けること十分、漸くあたしは台所の裏手にある風呂場の傍にあったブレーカーのスイッチをオンにすることが出来るのだった。
「あ、裏口なんてあるんだ」
裏口。そういえば話には出てこなかったな。まあ、この五日間あたしはこの家に住まう訳だし少しは理解しておかないといけないだろうな、なんてことを考えながら裏口を開ける。
裏口から出ると庭が広がっていた。雑草がぼうぼうと生えている。
何者にも妨げられない環境で自由に育った雑草は、ここまで伸びてしまうのかと思ってしまうぐらい。具体的には私の胸のあたりまで草がぼうぼうに生えており、何かの花も咲いている。何の花なんだろう、あとで調べてみよう、なんてことをあたしは思っていたのだが――。
「あれ……?」
「おや……?」
そこであたしは一人の少女と出逢った。
和服姿の少女は何処か見覚えがあるような無いような、それともただの偶然か――いずれにせよ、この家の住民では無さそうだった。庭に隠れている様子からしてそもそも明らかに違うし、というか、あたしは事前にこの家は今は空き家であることは聞いているし。
というわけであたしはその不法侵入者を警戒しつつ、声をかけた。
「あなた……どうやってここに入り込んだの? 遊びをしているのかしら」
「ああ、ええと……ええと……」
どうやら少女は何を言いたいのか、うまくまとめられていないご様子。
出来ることなら名前ぐらい把握しておきたいぐらいなのだけれど。
「あなた、お名前は? それだけでも教えてくれない? 大丈夫、別に悪いことはしないから」
「あたしの名前は……亜貴」
「亜貴ちゃん?」
こくり。頷く亜貴。
別に通報するつもりも無いけれど(そもそもここって警察くるのかな?)、名前だけでも把握しておけるのは有難い。なにせあたしはかつてここに住んでいたとはいえ、殆どの人間とは縁を切っている。とどのつまり、今の朱矢を知っている人間と仲良くしておく必要があるわけだ。
「お姉ちゃん……どうしてここに居るの?」
「あたしはね、この村を調査するために来たんだ」
「この村を……調査?」
「そう。この集落には変わった因習があってね……、お嬢ちゃん、聞いたことある?」
まあ、いきなり聞いたところであたしに話してくれるとは思えないけれど。
「……干し肉のこと? 不思議な味がしてすぐ吐き出しちゃうんだけれど」
「干し肉、ねえ」
「あ、もう帰らないと」
ごーん、ごーん。
学校の時計台から鳴る鐘の音が聞こえる。
これは朱矢の子供からすれば早くおうちに帰りなさい、という合図なのだろう。昔のあたしもそんな合図で帰ったような記憶がある。
そうして手を振りながら、亜貴は帰って行った。
あたしは裏口の電気を点けて、再び資料確認へと戻るのだった。
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