「うがあっ……!」
 白いスーツの男は声にもならない、悲痛の叫びを上げる。普通の人間でも掌にナイフを突き刺されば、下手したらその場で気絶しかねない。それを考えると、随分と強い精神を持っていると言えるのかもしれない。――はっきり言うと、見ているだけで痛さが伝わってくるのだが。
「先ず――」
「待った、クレア。先ずは僕の番だ。……この男の魔法について解説しよう」
 このまま放置しているとクレアが人を殺しかねないので、取り敢えず早々に僕の出番を片付けてしまおう、という魂胆だ。そうでもしないと話がまとまらないかもしれないからな。
「結論から言うと、この男の魔法は、科学で言うところの『化学反応』の一種だ」
「化学反応?」
「具体的に言えば、水素と酸素を使った化学反応と言えば良いかな。水素の原子記号は分かる?」
「……いや、分からない」
 マジか。――まあ、でも魔法使いだしな。科学技術のことを詳しく知らなくても良いのかもしれない。くそっ、少しだけ魔法使いが羨ましく見えてきた。
「水素の原子記号はHだ。そして、酸素の原子記号はO。それぞれ、分子が二つくっついた状態で安定しているから、H2とO2になる訳だけれど、それについては詳しく語る必要はないと思う。問題は、これがどのような化学反応を示したか、だ。水素に火を近づけると、爆発が起きる。これを、つまり、燃料にして使っているのが良く知られているんだけれど――」
「つまり、爆発を起こした、ということなの?」
「まあ、掻い摘まんで言えばそういうことになるかな。……正確には、水素と酸素を反応させたことで、水を生み出すんだ。その時のエネルギーを使って、爆発を起こしたって訳。爆発を起こした場所が濡れていたことに、クレアは気づいていたかい?」
「……言われてみたら、そうだった気がするの」
「そうだったんだよ。雨が降っていた訳でもないし、近くに水の入ったバケツがあった訳でもない。にもかかわらず、だ。何故か地面は濡れていた。となると答えは一つ、爆発が起きた時の反応で水が生み出された、ということだ。仮にそれが水じゃなくて――例えば、灯油とかの燃料だったら、そのまま燃えてしまうから、地面も燃えていたはず。しかし、地面は燃えていなかった。ということは、それは不燃性の液体だ、ということ。爆発と同時に不燃性の液体――つまり、水を生み出す反応と言ったら、水素と酸素の化学反応の他に有り得ない、という訳だ」
「へえ、成る程、なの」
 クレアが僕の合計一ページ近くにも及ぶ解説に、たった一言で反応を終わらせてしまったので、少々悲しい感じはあるが、それについては、あまりどうこう言う必要もない。言う意味がまったくないし、言ったところでまったくの無駄だからだ。ある程度の知識を蓄えている人との会話なら未だ良いのかもしれないけれど、知識が零の人と会話をするとなると、その知識についての補足も沢山しなくてはならないので、結局説明する手間が増えてしまう。となると、あまり長々と説明せざるを得なくなってしまうのだが、相手からすれば、あまり聞く必要のない情報を延々と話をしていると言うことで、少々つまらなくなってしまう、という訳だ。だったら、双方、時間の無駄だから、僕としては必要最低限の会話で済ましてしまおうという考えなのである。それが、お互いのためなのだから。
「じゃあ、次は私の番なの」
 クレアはそのまま話を続ける。結局、クレアは何を言いたかったのだろう。
「――先ず、あなたの正体は何?」
「僕の名前を聞きたい、ということかい」
 少しだけ落ち着いてきたのか、白いスーツの男は息を整えている。とは言っても、マスクは付けているので表情を窺うことが出来ないのだが。
「良いだろう、ここまで乗り越えた君には名前を教えてあげよう。僕の名前は……水城蓮だ。まあ、名前を知ったところで何の意味もないだろうけれどね」
「……名前からして、あなたの属性は『水』と言ったところなの?」
「ふふん、まあ、そういうことになるね。僕の使える魔法は水だ。どのような魔法を使ってるか、ということについてはあまり言わないでおいた方が良いと思ってるけれど」
「強気なの。そっちが負けたことにも気づいてないの」
「気づいてない訳がないだろう。寧ろ、これは君に手向けた花束のようなものだよ。勝者に与えられし栄光と言えば良いだろうか」
「……言いたいことはそれだけ?」
「未だあるとも。後一つね。君が誰だかさっぱり分からなかったのだが……恐らく、黒津空我氏の娘ではないかね?」
 それを聞いて、クレアの表情が一気に青ざめた。そして、人が変わったかのように、何度も何度も何度も何度も何度も、ナイフを掌に突き刺していく。その度に、水城の身体が小刻みに震える。
「おい、クレア、止めろっ。情報を抜き出したいんじゃなかったのかっ。そのままだと、ショック死してしまうぞ」
「あ……! そ、それは不味いの」
 クレアは僕の言葉を聞いて、ようやく動きを止めた。危ない、このままだと死人が出るところだった。僕はそう思いながら、クレアを見る。クレアは落ち着いているように見えたが、表情は未だ少し気を落としたままだった。余程自分の正体がばれたことが不味かったのだろうか。
「……はは、自分の正体を知られて、かなり困惑してるように見える。自分をどうしたいあ、考えてるのかね? それとも、行方不明になった父君を探そうと躍起になって、無理矢理一般人を使うようになったのかね?」
 弱みを握ったのだと分かったのか、少しだけ高圧的な態度を取る水城。代わりに僕が殴ってやりたくなったが、何とか抑える。とにかく今は、僕もクレアも、こいつから情報を得ておきたいのだ。
「あなたは、何か知ってるの? お父さん……黒津空我が何処に行ってしまったのか、ということについて」
「知ってる訳がないだろう。何せ彼は雲隠れのように消えてしまったのだ。僕のような末端の魔法使いが知ってる訳がないだろう?」
「末端? どういうことなの? あなたは濃いんで動いてる訳ではないの?」
「違うね。僕達は組織で動いてる。戦いは数だよ、君達はそんなことも知らないのかね。『イノケンティウス』、それが僕達の組織の名前だ」
「……魔女狩りで有名な存在を名前に使うなんて、少々、というかとても気味が悪いの。あなた、いいえ、あなた達は、何が目的で動いてるの?」
「それは僕も知らない。ただ、僕のような末端がやってることと言えば、魔法使いの懐柔だろうね。要するに組織への勧誘さ。そして、組織そのものを大きくしていく。魔法使いとしての人生が長くない君でも、少しはその意味が理解できるのではないかな?」
「――話に一貫性が見受けられないの。あなたは、何も知らないということなの?」
「ああ、知らないよ。知ってたとしても、言う訳がない。当然だろう?」
 刹那、水城の身体が赤い炎に包まれた。最初、僕は何処からか攻撃を受けたのではないか、と勘繰ってしまったが――。
「カズフミ、違う。これは……最初から処分するための時間稼ぎだったの!」
「ははは……。気づいたところでもう遅いよ」
 燃え始めているはずなのに、水城からは未だ声が発せられている。
 もしかして、こいつがマスクを被って、顔を隠していた理由って――。
「それにしても、黒津博士の娘がこの名古屋にやって来てたとはね! 僕も色々と面白くなってきたよ。取り敢えず、おさらばといこうじゃないか。ご挨拶、ということで最初の展開としてはまずまずだったんじゃないかな? それではさようなら――」
 ガシャン、という音を立ててマスクが剥がれ落ちる。その中に入っていたのは、スピーカーだった。
 要するに、この水城蓮を名乗っていた『何者か』は、ただの人形――という訳だった。




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