3 マスター
民宿『アネモネ』に入ると、バーカウンターとテーブルが出迎えてくれた。
椅子は並べられているが、テーブルの上に置かれているために座ることは出来ない。
というか、電気も付いていないために、ひっそりと佇んでいるような感覚すらあった。
「……休憩中なのかな?」
「そうだろ。だって、ランチタイムはとっくに終わっているし、今はもう夕方になりつつある時間帯だ。大方、裏のキッチンで仕込みとかしているんだろうけれど……」
「帰ってきたのかい、ケンスケ」
キッチンの奥から、嗄れた声が聞こえてきた。
「帰ってきたよ、マスター」
「……その声はユウトかい。ユウトも、今日は遅くまでかかるはずだったんじゃなかったかね」
「それがちょっと問題は起きてさ……。ちょっと出てきてくれないか、マスター。マスターの意見も聞いておきたいんだよ」
「意見?」
「――ガスを吸っても何の問題もない人間を連れてきた、って言ったらどうする?」
ぬっ、とキッチンの奥から大きな身体が出てきた。
二メートルはありそうな身長、アタッシェケースほどありそうな屈強な肉体、それに似つかわしくないピンクのエプロンを着けている――男だった。
「……詳しく聞かせてもらいたいところね」
「え……えっと……?」
「まー、言いたいことは分かる。どっちなんだよ、って」
「ケンスケ、後で覚えとけよ」
「何も言っていませんよ、何も! ……ただ、一般的な問題じゃないですか、初めて見た日とからしたら、混乱するのは当然だと思いますけれど」
「ほうほう、そんなにアタシの鉄拳を喰らいたいと……」
バキバキと指を鳴らしながら、ケンスケに近づいてくる大男。何故だか少し煙が出ているような気がしないでもない。
「ええと……、貴女がマスター、ですか?」
「まあ、そう言われているね。この安宿『アネモネ』のマスターだよ。名前は特に公開していないけれど、皆からはただ単純にマスターと呼ばれているよ。ただ、それだけの話さ」
「マスター……ですか。確かに貫禄はありますけれど」
「で、さっきの話はどういうことなんだい、ユウト。ガスを吸っても問題のない人間? まさか、それが彼女だって言いたいのかい」
「それがその通りなんだよ。……彼女の名前はルサルカ。何でも家族を探しているらしいんだ。……マスター、何かその辺り心当たりがないか?」
「心当たり……って、もしかしてハンター連盟でそういう依頼が来ていないか、って話? それなら、自分で掲示板を見に行けば良いものを」
「出来るなら最初からやっているよ。けれど、マスターだって分かっているだろ、俺のランクはシルバーだ。精々遺物の発掘とその移動の依頼が関の山。けれど、ダイヤモンドランクのハンターだったマスターなら、」
「――何か変わった依頼がないか突き止められるんじゃないか、って? 全く、人使いの荒いハンターだよねえ。誰に似たんだか」
マスターはつまらなそうな表情を浮かべて、何かメモに書き留める。
「取り敢えず、調べといてやるよ。話はそれから。……で、彼女がガスを吸っても平気だということをどうやって突き止めたんだい?」
「遺跡に居たんだよ、彼女が。マスクをしないで、ドレスを着た格好でな。まるで舞踏会にこれから出向くような、そんなスタンスにも見えた。……けれど、周りは完全に遺跡だ。旧文明の遺跡に、不釣り合いな格好の女性――はっきり言って、普通なら銃を構えてもおかしくはなかったよ。ハンターの罠なんじゃないか、或いは旧時代の文明の装置による不具合が齎した結果か……そればっかりは分からないけれどな」
「でも……、アンタは連れてきた。それに何の意味があると言うんだい?」
「……分からねえよ」
ユウトはぽつりと呟いて、カウンターを離れる。
「……ちょっと、何処に行くんだい」
「少し休憩する。……マスター、ルサルカは好きに使ってやって構わない。確か、女性の従業員が欲しいって言っていたよな。だったら、彼女は良いかもしれない。口調とか、所作は悪くないだろうし」
奥の階段へと向かい、マスターの意見を聞くこともなく、そのまま階段を登っていった。
「……あいつ、結局面倒ゴトを押しつけたかっただけなのか?」
ケンスケの問いに、マスターは叱責する。
「こら。目の前に彼女が居るのに、何を言っているの。……ルサルカちゃん、ごめんねえ。ここに居る人間ってさ、どうも常識知らずな人間ばっかりでね。仕方ないと言えば仕方ないのだけれど、こればっかりは最初に出会った人には納得してもらうしかないのよね」
「いえ……別に、気にしていないです。だから、安心してください」
ルサルカからしてみれば、ユウトはここまで彼女を連れ出してくれた存在だ。
だから、ルサルカは感謝の気持ちこそあれど、それを伝えることが出来なかった。
恥ずかしいから――或いは、気難しいと思ってしまったからか。ユウトが無愛想に対応していたからかもしれない。とはいえ、彼女に水を分け与える辺り、最低限の思いやりは思っているはずだった。
「……まあ、良いわ。貴女がそう思うなら、ね。とにかく、部屋用意してあげないと。ケンスケ、アンタ手伝いなさい」
「え? 俺?」
ケンスケはタイミングを見計らって、一緒に上に上がろうとしているようだったが、運悪くそれをマスターに発見されてしまった。
「アタシはこれから夕食の仕込みで忙しいから。……そこの扉開けたら、使っていない部屋がある。今は物置として使ってしまっているけれど、ベッドもあるはずだから。仕込みが終わったら直ぐに戻るから、荷物の整理だけはしておいてくれ」
「何で俺が……」
「代わりにアンタが食事の準備をしてくれても構わないが?」
「……それは遠慮しておきます」
マスターの料理は根強いファンが居るぐらいには人気だ。そんな料理を求めて毎日ファンが訪れているぐらいなのに、それが急に料理のド素人が作った物になってしまったら、非難囂々の嵐が待ち構えている。或いは、それだけでは済まないかもしれない。
「だったら、後は任せたよ。とにかく、荷物の整理をしておくれ」
「分かりましたよっと。……ほら、行くぞ、ルサルカ」
そうして、ケンスケの先導で、二人は物置となっていた部屋の片付けをすることになるのだった。
◇◇◇
「と、言われて来てみたものの……」
扉を開けた先に広がっていたのは、物置だった。
正確に言えば、箱が乱雑に置かれていた空間だった。物置というよりかは、ゴミ捨て場に近い。
「だから、物はきちんと整理した方が良いって言っていたのになあ……。普通、下宿人の俺達が言われる立場だろうよ……」
「あの……、何だかすいません。私のために、部屋の片付けを手伝ってくださって」
「うん? まあ、良いんだよ、別に。後でユウトに請求しとくから」
「仲は……良いんですね」
「良いのかねえ。そればっかりは分からないよ。……ただまあ、そうならざるを得なかった、と言えば良いかな。普通に考えれば簡単に想像は出来ることだけれどね。……シェルターで暮らす人間というのはね、その生活水準が緩やかに下がっていくものなんだよ。そうして生まれたのが……、ハンター制度という物なんだよな」
そう言って、ケンスケはルサルカにハンター制度について話し始めた。
ハンター制度が生まれたのは、このシェルターが出来上がってしばらくしてのことだった。元々、このシェルターから少し離れた位置には遺跡群が存在している。その遺跡群には、常日頃から調査と遺物を収集する人間が出てくるようになった。
彼らはやがて自らをハンターと呼ぶようになり、最初は遺物を、後のことを考えることなく手に入れられる物は手に入れられるだけ収集していった。それにより、衝突や死亡が相次いだ。
それを平定したのが、ハンター連盟だ。ハンター連盟はハンターの働き方そのものを変更し、一度に収集する遺物の数量を定めた。遺物の収集は依頼方式に変貌し、遺物収集以外の依頼もハンター連盟経由で依頼されるようになった。
それにより、ハンターの仕事の安定化を図り、結果としてそれは成功した。
ハンターになりたいと思った人間は、ハンター連盟からハンターライセンスを認定してもらい、そうでなければ外へ出ることを許されない。そもそも、有毒ガスが充満している世界である以上、普通の人間が外に出るには様々な申請をしなければならないのだ。
「……でも、私はここに入ることが出来ましたよ。それが成り立つなら、私が入る時に厳しく審査されるのではないのですか?」
ルサルカの疑問も尤もだ。実際、ユウトとペアになって第七シェルターに入ってきた時に、細かい検査は受けなかった。それどころか、外気で汚染された服を脱いだ後はそのまま中に入ることを許されたくらいだった。
「あー……それは多分ユウトが上手く誤魔化したんだと思う。一応、ハンターは他のシェルター間との重要人物の護衛を担うこともある。シルバーランクじゃあんまりそういう任務もないんだけれど、多分それを上手く利用したんだろうな。実際、護衛を頼もうったって、ランクの低いハンターに依頼する人間なんてそう居ないだろうし」
「……シェルターに入るのは、なかなか難しいんですね」
「知的生命体が人間だけ、なら良かったんだけれどね」
ケンスケは箱から何か機械を取り出して、ずっと弄くっている。
片付けをしているのかしていないのか良く分からなかったが、取り敢えず今はケンスケの話している内容に耳を傾けるほかなかった。
「……人間以外に生命体が居る、ということですか?」
「それを知らない、ってことは相当世間知らずなのか、それとも今まで外界の情報を遮断していたか……。それはいつ明かされるか分からないけれど、俺達みたいな普通の人間とは違った生き方を歩んでいたんだろうねえ」
機械を弄り倒して、それを箱に乱暴に詰め込んだ。そして箱を床から持ち上げると、そのまま箱の上に積み上げた。
「ミュータント、という存在が居る。……人間とは全く違った存在だよ。外観は人間そのものであることは間違いないけれどね。腕が二つあって、足も二つある。ただそれだけ……、ただし、緑色の皮膚に覆われていて、目や口は見当たらない。進んでいるんだか遅れているんだか分からない生き物、それがミュータントだ」
「口が見当たらないのならば……、彼らとのコミュニケーションは?」
「愚問だね、それをしようと試みた学者は多数居たけれど、どれも不発に終わっている。それどころか、食い殺された事例だってあるぐらいだ。……それでもミュータントとの共存共栄を望んでいる人間が居るんだから、人間って何処までも平和主義者が居るものなんだな、と思い知らされるよ。まあ、現実逃避の一環なのかもしれないけれどね」
「ミュータントは、遺跡に住んでいるのですか?」
「見かけることは多いらしいね。しかしながら、必ずそこに住んでいるって訳でもないらしい。……そればっかりは、運任せなところはあるね。ミュータントは未だ解明されていないところが多い。だから、科学者が必死になってミュータントを生きたまま捕獲しようとしているぐらいだ。中でも、ミュータントの捕獲に大量のお金をつぎ込む科学者も居るらしい。……そりゃあ、ミュータントの中身が分かれば世界的大発見だし、後の歴史でも必ず名前が残ることになるんだろうけれど、そこまでお金をつぎ込むことか……と言われるとまた話は違ってくる」
「……結構現実主義者なんですね、ケンスケさんって」
「さんは付けなくて良いよ、別に。年齢も近いんだろうし。……まあ、それは仕方ないと思うよ。何せここは孤児院みたいな場所だからな」
「孤児院? ということは、皆さん身寄りがないんですか」
「そうだよ。ユウトだってミュータントを研究する科学者に裏切られて両親が殺されている。だから、あいつはミュータントを恨んでいるんだ。いつか根絶やしにしてやりたい……とまでは行かないと思うけれど、きっと憎んでいる感情は持っているはずだ」
◇◇◇
整理整頓がある程度終わった頃になって、マスターがノックもせずに中に入って来た。
「おや、随分綺麗になったようじゃないか。……正確には、上手くゴミを仕舞い込んだ、とでも言えば良いのかね」
「ゴミを溜め込んだのはマスターだろ……ってか、これをゴミというのは認めるのか」
「ゴミをゴミと言わずに、何をゴミと言うんだい?」
一理あるようなないような、場合によっては悪者が言いそうな台詞を吐き捨てるマスター。
「……とにかく、人一人が眠れそうなスペースだけは確保出来たようだね。それは何より」
「眠れるスペースさえ確保出来れば良いと思っていたのか……? いや、最早何も言うまい。取り敢えず、ベッドの布団はちゃんと干した方が良いと思うけれど。流石にこれに人を寝かせるのはどうかしていると思うぞ」
「……そんなことする訳がないだろう。そういうことをすると思っていたのか? だとしたら、とてつもなく馬鹿な考えだな。アタシだって少しぐらい考えているよ、ほら見ろ」
マスターは良く見ると何かリュックのような鞄を片手で背負っているようだった。その鞄は上半分が透明になっていて、そこには布団が詰め込まれているように見えた。
「……何だ、それ? 布団って、そんな袋に詰め込んでいたのか?」
「アタシのお気に入りの布団だよ。こっちに入れておいて、たまに使っていたんだけれどね。……まあ、これも最近は使わなくなったからどうしようかねえ、なんて思っていたのだけれど、使えるなら使っちまった方が良いって話だ。……これでも高級布団の一種なんだぞ?」
「確かにふかふかです……」
「って、いつの間に!」
ケンスケが目を離した一瞬の隙を狙って、ルサルカは布団にくるまっていた。
「はっはっは。この布団を気に入って貰えて嬉しいよ。アタシも用意した甲斐があるってもんだね。……さて、じゃあ、この布団は要らないね」
そう言ってずっと敷かれたままだった布団を剥がしていく。
布団は無造作に丸め込まれて、再び鞄に入れられる。
「どうするんだ?」
「どうするも何も、クリーニングに頼むのさ。うちにはああいう布団を入れられるような洗濯機は存在しないからねえ……。まあ、普通に洗濯するぐらいなら、サイズは大きくなくて良いのさ。別にあってもなくても使わないからね」
「洗濯機とは、そんなに高級な物なんですか?」
「……アンタ、洗濯機も知らないのかい。流石に世間知らずにも程があると思うんだけれどね」
深い溜息を吐いたまま、マスターは鞄と一緒に持っていたある物をルサルカに投げ込んだ。
「……これは?」
「まさか、うちで住もうって言うのに、何もしないつもりで居たのかい? そりゃあ、まるでお姫様みたいだけれど、うちではそうはいかないよ。どんな人間でも働いてもらう。働かざる者食うべからず、とは誰が言った言葉だったんだっけね?」
「誰が言ったんでしょうね、ええ、全く……」
ケンスケはそれを聞いて、苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
きっと、それを散々聞いている立場の人間なのだろう。しかしながら、ケンスケはそう考えているならば、もしかしたら働いていないのだろうか――などとルサルカは考えたが、
「今、俺が働いていないみたいに考えなかったか?」
「そりゃあ正解だねえ。見る目があるじゃないか。コイツは科学者モドキだよ。ちゃんとした発明品も生み出せなくてガラクタばかり生まれているんだから」
「モドキじゃなくて未来の科学者になるんだよ! ……くそっ、俺だってちゃんとすれば良い物を作り出せるはずなのに」
「だったら、さっさと作ったらどうだい、未来の科学者モドキ? いっつもユウトに食わしてもらって、恥ずかしいとは思わないのかね」
「……何を言っているんだよ、俺はちゃんとユウトのサポートをしているんだよ。ユウトが使っている拳銃だって、俺が調整しているんだぜ?」
「でも、肝心なときに上手くいかないんだろう。それってどういうことなのかね、やっぱりモドキが作った物はモドキ止まりなのかね」
「モドキモドキ五月蠅いな……。俺だって全力で頑張っているんだよ! ……ただ、結果が伴わないだけで」
「それを、アタシは言っているんだけれどねえ。……まあ、いいや。とにかくルサルカ、アンタも仕事をしてもらうからね。なあに、別にいきなり戦場に放り込んで銃を撃て、なんて言わないよ。そこまでひどい人間じゃない。ライオンみたいに、いきなり子供を崖から突き落とすなんてこともしない。アタシは優しい性格だからねえ、この性格で何とかここまでやって来たのだし」
「何言っているんだか……。俺達に対してそんなこと一言も言ったことないじゃねえか」
「アンタ、今日の晩飯抜きね」
「何も言っていません最高ですマスターッ!」
飯がかかると、このざまだ。
人間というのは、意外と単純な生き物だと言えるだろう。
「……これは、エプロン……ですか?」
「ああ、そうだよ。そしてそのドレスで仕事をしてもらう訳にもいかないからね。……サイズが合うかどうか分からないけれど、これを身につけてもらおうか。そしてその上からエプロンを着けるんだよ。……まさかとは思うけれど、エプロンの着け方ぐらいは分かるだろうね?」
「……?」
マスターはあくまでも冗談のつもりで言ったようだったが、しかしながらルサルカの反応はゆっくりと首を傾げるだけだった。
それを見て、マスターはさらに深い溜息を一つ。
「……ユウトはいったいどういうつもりでこの子を連れてきたんだろうね?」
「マスター、それを俺に聞くつもりか。だったら、答えは一つ。――俺が聞きたい、だ」
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