4 はじめての給仕


「……もう夜か」

 ユウトが目を覚ますと、窓の外の景色はすっかり暗くなっていた。腹も減っていたので、ユウトは自室から階段を降りて、食堂となっている一階へと向かう。
 食堂となっているためか、夜にもなれば騒がしくなってくるのは当然とも言えるだろう。しかしながら、今日に限ってはいつもよりも騒がしいような、そんな感じがした。

「……何かあったかな。こんなに騒がしいことなんて……」

 そうして階段を降りると、エプロン姿のルサルカが料理を運んでいるのを目撃した。

「……えっ?」
「おう、ユウト。やっと起きてきたか。いつまで眠っているんだと思っていたよ」

 その声を聞いて振り返ると、ケンスケが傍のテーブル席に腰掛けてカレーを食べていた。
 席は二つで、一つ空いていたのでそのまま向かいの席に腰掛ける。

「……ありゃ、いったいどういうことだ」
「え? その為にマスターにお願いしたんじゃないのか。そうだと俺は思っていたけれど」
「そりゃあ、ここのモットーは働かざる者食うべからず、という物だったけれどな……。上手くいっているのか、あれで」
「スムーズではないにせよ、良いんじゃねえの? ほら、周りを見てみろって」

 そう言われて、ユウトは周りを見てみると――。

「おい、あの子っていつも居たっけ? なんか可愛らしいというか可憐というか清楚というか……。言葉に出来ない美しさみたいな物があるよな」
「あどけなくて、ぎこちなくて……。でもそれが良いよな!」
「うんうん。分かっているなあ、分かっているなあ。……いやあ、女子が入るだけでここまで飯が美味くなるなんて――」
「今の言葉、聞き捨てならないねえ?」

 カウンターの奥でにやりと笑みを浮かべているマスターを見て、直ぐに噂話をするのを辞める面々。

「……成る程ね。良い感じに看板娘として扱うようにした、って訳か」
「あ、ユウト。今降りてきたんですか。遅いですね」

 ユウトに気づいたのか、ルサルカがユウトとケンスケの居るテーブルにやって来た。

「いや、先ずは水をもってこいよ」
「あ、失礼しました……」
「ユウト、そりゃねーだろ。ルサルカ、きっとあの格好をユウトに見て欲しかったんだぜ」
「そうかな。……まあ、だとしても先ずは客に対する対応をするのが普通なんじゃねーの。たとえ知り合いであったとしても、プロとして振る舞うのは当然だろ」
「ユウトって、時折変なところあるよなあ……」
「はいはい」

 ケンスケがカレーを掬って、残りを食べ始める。
 ルサルカはユウトの前に水の入ったコップを置くと、

「ご注文は?」
「カレーで良いよ。……何だかコイツのを見ていると食べたくなってきた」
「はい。かしこまりました。マスター、カレー一つ!」
「はいよ!」

 ルサルカは笑顔でまたカウンターの方へと戻っていった。

「それにしても……、意外だな。あっさりとこうも受け入れてくれるとは。まあ、これぐらいしてくれないと困るんだけれどな。完全なお嬢様で、仕事なんてしたくありません! なんて言われたら、ここに置いていられないからな」
「置いていられない……って、どうするつもりだったんだよ。ほったらかすつもりだったのか?」
「それは……その時考えていたと思うよ。いずれにせよ、ルサルカがどう動いていくかはルサルカが決めるんだし。俺はあくまでもそれを手助けしただけに過ぎないからな」
「そういうもんかねえ……」
「お待たせしました! カレーです!」

 カレーライスの入った皿を持ってきたのは、あっという間のことだった。

「カレーはいつも思うけれど直ぐ出来るよな……。もしかして既にストックでもされているのか?」
「いや、普通に考えて大量に鍋で煮込んでいるから、ご飯をよそってカレーをかけるだけで終わりだからだろ……」

 お盆から皿とスプーンを取り出して、テーブルに置く。カレーの脇には漬物が載せられていて、これも隠れた名物となっていた。

「それじゃ、頂くとするかね……」

 カレーとライスを掬って、それを口に入れる。

「……何というのかなあ、この深みのある味付け、っていうの? 他の食事じゃ味わえないんだよな……。何でマスターってこんな辺鄙な宿やっているんだろうな?」
「好きでやっているんだよ。それぐらい分かれ」
「あー……地位や名誉より別の物が大切だと思った、ってことか? だとしても、それはそれで素晴らしいことだと思うけれど……」
「まあ、それはそうだなあ……。でも、これだけ美味い飯作れるなら、もっと良いところに就職とか出来たんじゃねーの? 高望みかもしれねーけれどさ」
「……身分という物があるんだよ、ユウト。それぐらい分かっているだろう?」

 シェルターの中では、身分という物が幅を利かせてくる。
 ユウトやケンスケ、マスターのような一般市民は、たとえハンターのような職業であったとしても一般市民止まり。一般市民には一般市民の制約が課せられる。
 そして、シェルターを統括し管理する人間に上がるには、その身分にならなければならなくなり、身分もなろうと思ってなれる物ではなく、大抵のパターンで世襲制となってしまっている。
 つまり、天地がひっくり返らない限り、一般市民がシェルターの管理側に回ることはない。

「身分ってのは残酷な制度だよな。幾ら優秀であったとしても、身分が良くなければ上に進むことは先ず有り得ない。逆に優秀でなかったとしても、身分が高ければ上へ進むことが出来る。非情な制度ではあるけれど、これを替えるには圧倒的な『力』が必要だ」
「……難しいんですね、このシェルターの制度って」

 ルサルカはお盆を抱えて、ユウトのテーブルの前で話を聞いていた。

「難しい話と割り切るのも良いのかもしれないけれどな。どうせ変わらないんだから、少しは周りだけでも良いように生活を持っていけば良いのだし」

 そう言って、ユウトはカレーをかっ込んだ。
 それは、これ以上つまらない会話を続けて、食事を不味くしたくないという合図だったのかもしれなかった。
 だから、この会話は、ここで終わった。


   ◇◇◇


 夜も遅くなってくると、次第に人が減ってくる。それを見たマスターは、

「ルサルカ、そろそろご飯にしな。……いつ食べられるか分からないんだから、早く食べちまわないと」
「はい! ……あ、でも、良いんですか? マスターの方が大変そうですけれど……」
「アタシは平気だよ。何年この仕事をやって来ていると思っているんだい。……アタシのことは気にしなくて良いから、さっさと食事にしな。遅い時間に食事を取ると、太るって話を聞いたことがあるだろう?」
「……む、それは困りますね……」
「だろう? だったら、そこで食べな。もう直ぐ出来るから」
「いやあ……、それにしてもあっという間に終わってしまったな」
「……もしかして、お前ずっとここに居たの? 暇過ぎねえか?」

 ユウトはそう言って、風呂上がりの牛乳を飲んでいた。

「そういうユウトだって気にはなっていたんだろう? いつもはこんな時間にここに来ないじゃねえか。牛乳飲みに来たのだって、いつ以来だよ?」
「今日は報酬が入ったから良いんだよ、少しぐらい贅沢したって。……どうせ金はマスターに落ちるんだし」
「でも貯蓄しておかねーと、後が大変なんじゃねーの? 死ぬまでハンター稼業は出来ねーだろ。寧ろ、若いうちに稼げるだけ稼ぎつつも、出費は抑えた方が……」
「あれ? お前知らないの? ……ここに納めたお金、後で大変な時に何割か返ってくるシステムだぞ」
「…………え? マジで?」
「あくまで噂で言われているだけだがな。でも、ほんとうなんじゃないか? そうじゃなかったら、こんな色々金せしめようなんて思わないだろ」
「そ、そうなのか……? マスター!」

 ケンスケはマスターに問いかける。
 しかしマスターは、落ち着いてきていたのか煙草をぷかぷか吹かしつつ、

「さあ、どうだかねえ……」
「ほら見ろ! あれどう見てもやってくれない雰囲気じゃねえか! それとも、きちんとやってくれている風に見られたくないだけなのか……?」
「まあ、そうなれば良いよな、実際。ハンターなんていつまでも食っていけるような仕事ではないことは確かだし。こればっかりは致し方ないとも言えるけれど。……後はまあ、ハンターを長く続けられるようにしていくしかない、ってことぐらいか」
「確かにな……。今でもハンターを続けるには相当な体力は必要だろうし。やっぱり若いうちに稼げるだけ稼がないとな、時は金なりとは言ったもんだ」
「その言葉、そっくりそのまま返すが良いんだな……?」
「……あ、俺明日忙しいんだった、そろそろ寝ないと」

 そう言ってケンスケはそそくさと階段を登っていった。

「あ、逃げやがったな、アイツ……。いつも暇なくせに、忙しいとかそんなことあるかよ」
「ユウト。ありがとうございました」

 気がつけば、ルサルカがユウトの前に立っていた。

「……ご飯はどうした?」
「もう食べ終わりましたよ。マスターをずっと腹ぺこにしてはいけませんから」
「……まー、言いたいことは分かるけれどさ、マスターは結構ワーカーホリックみたいなところがあるから、安心しなよ。それは別にマスターがどうこうするって問題だからな。俺達一般人がやいのやいの言っても意味はないんだし」
「……ワーカーホリックとはいったい?」
「何て言えば良いのかね……、要するに働きたくて仕方がない状態って言うのかな? 普通は休みがないと困るんだけれど、ワーカーホリックは先ず仕事を寄越せ、話はそれからだ――――って連中なんだよな。考えが仕事中心になっているというか。それはそれで良いんだけれどな、周りに迷惑さえかけなければ良いのだし」
「迷惑をかけている人も居るのですか?」
「あくまでもたとえだよ。……マスターがそういう人間に見えるか?」
「いいえ、全く」

 ルサルカは、ユウトの問いに首を横に振って答えた。

「全く、有難いことだねえ。こんな見ず知らずの嬢ちゃんにこんなこと言ってもらえるだなんて」
「……言っておくけれど、嬢ちゃんなんて言葉で女性を呼ぶ女性って見たことないぜ?」
「聞かなかったことにしろ。でなければ明日の朝ご飯は抜きだ」
「……ひでえ。飯を犠牲にしろなんて出来る訳ねーだろ! ハンターで稼いでいるんだから、少しぐらい優遇してくれたって良いだろ」
「そのハンターだって、遺物を見つけてこないで女の子を探してくるんだからね。……アンタの家賃、何割か増しておくよ? 一応、少しは彼女にもここで働いてもらうがね」
「働いた金で何とかするようにしてくれ……!」
「あ、ルサルカ」
「はい?」

 ルサルカは踵を返す。

「……ここはもう良い。だから、お風呂に入りな。慣れない仕事で疲れただろうよ。安心しなさい、ここにあるシャワーを使わせないからね」

 その言葉の意味を、ルサルカは理解出来なかった。
 しかし、それから数十分後、ルサルカはその言葉の意味を――理解することになる。


   ◇◇◇


 タイル張りの部屋の中心に、銀色のジャグジーがあった。ジャグジーにはお湯が張られていて、湯気が立っている。壁にはシャワーヘッドもかけられていて、ジャグジーのところにあるテーブルに蛇口もあった。さらにはマスターが使っていると思われる女性物のシャンプーにリンス、トリートメントに洗顔剤に石けんまで備わっていた。

「……マスターは、これを言っていたのでしょうか……」

 シャワーで身体を洗ったのち、ジャグジーに足先を入れる。ちゃぷん、という音が響き渡る。そのままするすると入っていき、その身体を沈めていった。
 今日一日のことを、ルサルカは振り返る。
 遺跡でユウトと出会い、そのままユウトとともにシェルターへ向かい、そのまま押しかけ女房的な感じでこの食堂でメイドとして働くことになった――これだけ書けば激動ではあったものの、意外にもそれに順応している自分が居た。

「……このまま、上手くいくと良いのですが」

 ルサルカは、ぽつり呟いた。
 それは、彼女の最終的な目的――家族を見つけること。
 どんな些細なことでも良い。先ずは何か手がかりを見つけなければならない。
 そう思いながら、ルサルカは一先ず入浴で身体と心を癒やすことにするのだった。
 

   ◇◇◇


「……あの子のこと、何処まで面倒を見るつもりなんだい」

 ルサルカがお風呂に入っている中、未だユウトとマスターは会話をしていた。
 最後の客はとっくにご飯を食べ終えて、外に出てしまっている。後片付けも手伝うなどとルサルカは言っていたが、流石にそこまではさせられない――そうマスターは思ったのだろう。

「何が言いたいんだ、マスター。俺が放っておくとでも考えているのか。或いは、ルサルカを売り飛ばそうと思っていたとか」
「思っていない、思っていないよそんなことは。……けれどね、アンタは少し周りのことを考え過ぎなところがあるよ。それは別に悪いことではないけれどね、ただ、この時代には向いちゃいない。もっとね、人の悪いところを知っているはずなのに、アンタは何故かそれを分かっていない。正確に言えば、分かっているのだろうけれど、分かっていない振りをしている。……どうしてだい? そんなことをしたら、自分が割を食うだけさ。普通は、そんな感情はさっさと抱かなくなるはずなのに」
「……それはそっくりそのまま返しますよ。マスター、アンタだってそう思っているなら、どうしてここで民宿なんてやっているんだ? いや、民宿とは言うけれど実際は違う。ここは身寄りのない人間が集まって出来た、溜まり場だ。普通なら政府が目をつけて一斉排除に踏み切ったっておかしくない場所だ。だのに、アンタはここを守ろうと、働いている。それだって、俺と同じ理屈じゃねーのか?」
「……どうだかね。まあ、間違っていないとも言えるし、間違っているとも言える」

 ふわふわとした、何処か掴み所のない解答で避けていくマスターだったが、続けてさらに言った。

「……ただまあ、一つだけアドバイスはしておいてあげるよ。アンタが何をしようと思っているのか知らないけれど、人一人助けるっていうのは、想像の何倍も難しくて、何度も諦めたくなることなんだ。それは、しっかりと頭の中に叩き込んでおくことだね」

 そうして、二人の会話は終了した。


 ◇◇◇


 ユウトは自分の部屋に戻ると、直ぐに寝転がった。部屋には本のように暇を潰す道具がある訳でもなく、ベッドと机、それに使われていない日記があるぐらいだ。その日記だって、マスターが日記を付けるのは悪いことではないから、という理由で民宿に住む全員に買い与えたので、実際に自分達がわざわざ購入した訳でもなかった。
 ただ、こういう物の末路と言えば仕方ないが、自分で購入しなかった物は大抵使われない。使わなかったところで自分にダメージが来る訳ではないからだ。これが、自分が始めるために購入したた物だと言うのであれば、多少ダメージは負うのかもしれない。

「……結局、こういうのって誰もやりたがらねえんだよな。俺だって日記を書きたいかと言われると書きたくねーし」

 外を眺めると、街の明かりがネオンサインと化している。どのシェルター――でも同じらしいのだが、夜にはシェルター全体が遊び場に変貌を遂げる。
 かつては規制を入れていたらしいが、政府にも旨味があると分かったのか、今は公認となってしまっている。人によってはハンターで稼いだお金を夜のギャンブルにつぎ込む、まさに破滅型な人生を送っているハンターもいるのだとか。
 何がそこまで引きつけるのか、ユウトにはさっぱり理解出来なかったが、興味はあった。

「……でも、失敗したら怖いしな……」

 ギャンブルで失敗した人間は、数多く見てきている。

「……とにかく、これからどうするか、だけれど……」

 ユウトにも頼れる人間は何人か居る。マスターがその一人ではあったが、その人間はどちらかと言えば様々な人間とコネクションがある。仕事柄、仕方ないと言えば仕方ない人間であるとも言える。

「……明日、聞いてみるか。もしかしたら、何かしら良いアイディアが貰えるかもしれないし」

 そうなると、やはり何かしらの手土産を持っていった方が良いだろうか――などと考えながら、ユウトはうとうとと夢の世界へ落ちていくのだった。


   ◇◇◇


「……ほんとうに良い人だらけだったな……」

 ベッドの上で、ルサルカは眠りに就く前に思い出していた。
 今日出会った人達のことを――そして、今までの経験では出会うことのなかったような人々のことを。

「私は、ここに居て良いんだよね」

 それは、存在意義――或いは、存在価値を問うことだった。
 普通、見ず知らずの人間をここまで厚遇してくれるところなど有りはしない。だからこそ、ルサルカもマスターが何処まで自分を受け入れてくれるだろうか――と悩んでいたのだが、はっきり言ってそれは杞憂に終わった。

「お母様、お父様……何処に居るのかしら……」

 でも、この空間でいつまでも居ることは、きっと許されない。
 彼女の日常、彼女の標準、彼女の生活――それは即ち、家族が居てこそ成り立っているものだったからだ。

「早く……手がかりを見つけないと」

 そのためには、また遺跡に向かわねばならないだろう。
 しかし、

「何処までユウトが許容してくれるかどうか……」

 ユウト曰く、遺跡までの道のりは空気が汚れていて、普通の人間じゃ行くことは出来ない。ルサルカは何故か行くことが出来るが、それがもし多くの人間に知れ渡ったらどうなってしまうか――そんな単純なことは、ルサルカにだって分かっていた。

「先ずは……気づかれないようにしないと」

 いつまで続くか分からない、長い長い新しい日常の始まり。
 それは不安と期待、それぞれが入り交じった――とても心が安まりそうにない日常であった。




前の話へ TOP 次の話へ