5 シスター・ジュディ
次の日、ユウトは一人第七シェルターを歩いていた。第七シェルターの中でも、カーストが低い部類に入るコモンストリートと呼ばれるエリアだ。コモンストリートにはハンターだけではなく、働くことを辞めた人間も屯しており、第七シェルターに住んでいる人間の大半がこのエリアに集中していると言われている。
そして、ユウトがやって来たのはそのコモンストリートの中心付近にある教会だった。
「……今日も大盛況だな」
正確には、毎日食事を求めてやって来る浮浪者の大群が、何故だか奇妙に整列して待機しているだけだった。普通、ここまで荒れた人間ならば、素直に列に並んで待つことなどしなさそうではあるが、しかしながらここに通っている人間は殆どがそれを守っている。
列の脇から教会に入ると、女性の声が聞こえてきた。
「はいはい! 未だありますからね、慌てなくても良いですよー」
柔和な、包み込むような声――その声がする方を見ると、修道服を着た金髪の女性が袋詰めされたパンを並んでいる浮浪者に配っていた。
「……今日も大賑わいだな。いつまで続けるんだ、これ?」
声をかけると、シスターは呟く。
「いつだっても続けますよー。人々を助けるのが、私達修道女の勤めですからねー……って、あれ。ユウトくんじゃないですか、いったいどうして?」
「ちょっと聞きたいことがあってな……。忙しそうなら、別の日にした方が良いか?」
「いえいえ! 取り敢えず、後少しで終わるのでそれまで待っていてもらえませんか? 一時間もすれば終わると思いますし。そのままさっくりお祈りでも捧げといてくださいよ」
「そんな『ちょっと野暮用で』レベルで祈りを捧げて良いのかよ……。まあ、いいや。それなら少し待つことにするよ。話も長くなるだろうし」
「分かりましたよー、それじゃあ待っていてくださいね。はいはい、並んでいてくださいね! 充分な数は用意していますから!」
こう毎日配給をしていると大変だな――などとユウトは思いながら、教会の奥へと向かっていった。
教会の奥にはステンドグラスが置かれていて、それが日差しが入ることで煌々と照らされている。神秘的にも見えるし、ステンドグラスの傍に置かれている十字架が照らされているためか、何処か優しい雰囲気すら漂わせていた。
「……取り敢えず、言われた通りに待ってみるか……」
教会には長椅子が置かれている。これは祈祷をする市民のために設置された物だ。時折、シスターや神父が色々と話をする際に座って聞くことが出来るスペースとなっている。とはいえ、それが一杯になるぐらいの人員が入ってくるかと言われるとそうではなく、現実にはこのように配給の時間に多数の人がやって来て、それ以外は閑古鳥が鳴くような事態になっていたりするのだった。
「お待たせしました、ユウトくん」
シスターが配給を終えてやって来たのは、それからちょうど一時間後のことだった。
「まさかほんとうに一時間で終わらせてくるとは……。最早店員と同じじゃねえか?」
「客商売をしているつもりはありませんけれどね。ともあれ、今日のノルマは達成です。さて、ユウトくん、どうして今日はこちらにやって来たのでしょう? 神に懺悔することがあれば、何なりとお申し付けください。あ、これ余ったパンと牛乳ですけれど、要ります?」
そう言って手渡してきたのは、袋詰めされたパンと紙パックの牛乳だった。
正直、ユウトぐらいの食べ盛りにとってはこれだけでは足りないぐらいではあったのだが、ないよりはマシだ。それに、食べられない人間だって居るのだから、これで文句を言えるのは未だ贅沢だと言えるだろう。
ユウトは有難くそれを頂戴すると、話を始めた。
「……シスター、一つ聞きたいことがある」
「ジュディで良いですよ……って何度言ったかも覚えていないぐらいですが。何かありましたか?」
「……それなんだけれどさ、シェルターの外にある空気を吸っても何の影響もない人間って、今までに聞いたことあるかな?」
「……いえ、流石に聞いたことはありませんが。そんな人間が見つかったのですか? だとしたら、とんでもないことになりそうですけれど。先ず、その人は実験に使われて、生きて戻ってくることはないのかと思います。勿論、聖職者としてそれは止めたいことではありますが、科学を信奉する学者から言わせてみれば、人間の進歩のため致し方ない――などと言うでしょうね。ともあれ、それが起きるとするならば大問題でしょう。ただ、それを受け入れる人間が多数なのも間違いありません。少なくとも、あのガスによって人々の生活圏は大きく減少してしまったのですから」
「……そうか、そうだよな。それは、俺にだって分かっている。分かっているからこそ……大問題なんだ」
「その人は、今何処に居るんですか?」
「アネモネだよ。俺が居る民宿兼食堂。……今はそこで給仕として働いている。と言っても、昨日から働き出したばかりだけれど」
「それは、マスターもご存知なんですか?」
「隠し通せる訳がないだろ? あのマスターに隠し事なんかして、もしバレたら折檻じゃ足りねえよ。追い出しとかされるかもな」
それを聞いて安堵の溜息を吐くジュディ。
「それを聞いて少しだけ安心しました。……少なくともあのマスターなら何とかなるでしょう。彼女は一応ハンターとしては現役時代腕をふるっていたはずです。その腕が鈍っていなければ、未だに良い戦力として動けるはずですから」
「おいおい、それじゃまるでこれから俺達が何か大きい権力と戦うことになるような言い回しじゃねえの?」
「そうじゃないんですか?」
きょとんとした表情を浮かべるジュディを見て、深々と溜息を吐くユウト。
「……そりゃあ、そうなんだけれどな。ええと、何故ここに来たのかというと……、あの遺跡についてなんだよ。遺跡と言っても一杯あるか……、ええと、ここから一番近い遺跡、『マツダイラ都市群』についてだ」
「マツダイラ都市群?」
「……知らないなんてことはないよな。この第七シェルターから一番近くにある遺跡だ。そして、第七シェルターに住むハンターが最初に挑むとされる『腕試し』……」
「はぁ。まさか未だあそこに行っていたんですか? ほかのハンターはとっくにトクガワ城塞やオダ市場跡に向かっているのでは?」
「そりゃあ、マツダイラ都市群よりはそっちに行った方が儲かる可能性は高いからな……。それについては否定しねえよ。けれど、こうも考えられるだろう? もし俺がそこに居なかったら、その子は五体満足で居られるかは分からない。さっき言った通り、実験台にされるのがオチだ。だから……」
「だから自分のやった行動は素晴らしい、とでも? 正当化するのは悪くないですけれど、それを正当化されるのはどうかと。普通に考えたら、やっぱり利益のために行動していくもんなんじゃないんですか? ウチにもそういうハンターは沢山やって来ますよ。その日暮らしで生計を立てているハンターの多いこと多いこと、もしそれで収穫がなければウチの配給を頼れば良いとすら思っているハンターも居るぐらいですから。……ウチはあくまでも困窮しているけれど何も打つ手がない人への救済でやっているのに、これじゃあ意味がありません」
ある意味、シスターにとっても致命的だと言えるだろう――ターゲットを狙い撃ちに出来ないやり方は、はっきり言って好ましくない。もともと百人のために考えて実行されたものが、百二十人集まってしまったら二十人分が足りなくなってしまうからだ。そして、その二十人がほんとうに食べ物を必要としている人であったとしたならば――。
「……宗教というのは、寄付で成り立っています。寄付というのは、いつなくなってもおかしくないものであり、いつ増えてもおかしくないものでもあります。よって、どのぐらいの収入があるかどうかを見極めることが出来ません。まあ、言ってしまえばほかに収入があるからこそやっていられることでもあるのですが。資産の再分配――我々がやっているのはそういうことですからね」
「簡単に言うが、そんなこと出来ているのか?」
ジュディは頷いて、
「出来ているからこそ、我々はやっていけているのですよ。……これがもし赤字の上で成り立っていたら、続けることが出来ないでしょう。人々に食事を与える以前に、我々が飢え死んでしまいますからね。そしてそれは……、ずっと続けられることではないということを、私達は確信しているのですが」
「じゃあ、既に対策を?」
「出来ていたら苦労はしませんよ。……あくまでも、出来たら良いね、ってだけのことですから。ただ、そうしなければならないのは事実でしょうね。いずれにせよ、いつまで続くかは分からない状況ではありますから」
「……話を戻しても良いか? マツダイラ都市群については、全く知り得ていないってことなのか?」
「私自身は外に出ることは少ないので、口伝でしか知らないんですよ。ただ、マツダイラ都市群はかつて存在していた王国の跡地があるようで。……もしかしたら、そこと何か関係があるのではないでしょうか?」
「王国の跡地……か。行ってみる価値はありそうだ。マツダイラ都市群のどの辺りにありそう、というのは?」
「……それは分かりませんね。何度も言いますが、私はただのシスターですから。シスターはハンターにはなりません。それぐらいはあなただって充分分かっていることでしょう?」
ジュディはそう言うと、手に持っていた分厚い本を開いた。
それを見たユウトはばつの悪そうな表情を浮かべ、
「おいおい、辞めてくれよ。まさか俺に未だ宗教について説く気なのか? 前にも言ったけれど、俺は神様なんて信じていないし、今後も信じる気はないぞ。……そもそも、神様なんてものが実在するんなら、もっと住みやすい世界に作り替えて欲しいものだけれどね」
「それは人間のエゴというものですよ。義務を果たさないで、権利だけ主張する――別に悪いことであるとは言いません。生き方そのものを強要するつもりはありませんから。しかしながら、そう考えた方が、少しは物事を良く考えられるのではありませんか? ということを言っているだけです」
「……あーはいはい、予定説、だろ。全ての事象はこの世に生を受けた時から全て定まっていた、っていう考えの。言いたいことは分からなくもないが、それが正しいとは言い切れないね。だって、ほんとうにそうであるかなんて判別するのは出来ない訳だし」
「予定説って、簡単に言えば簡単なことではあるけれど、それをざっくりと言ってしまえば自分の人生を他人に決められているっていうのが、人によってはどうなのかな――と思ったりする訳なのですよね。神のことを常々言っているシスターがそんなことを言って良いのかってことになってしまうのですけれど」
「そりゃそうだよ、普通そんなこと言われたってはいそうですか、と言える訳じゃないんだから。……でも、信じる人は信じるんだろうな。どんな人生であろうとも、それは誰かが予め定めた物なんだーって言えば……、言い方は悪いけれど、それに押し付けられるというかさ、そんな感じなんじゃないかなと思ったりするんだよね。人間って、意外とエゴイズムの塊だからね」
「意外と……というのは案外間違いだと思いますけれどね。人間というのは、醜いものですよ。ところで、マツダイラ都市群の話に戻りますけれど」
本筋から外れまくった挙句、無理矢理に本筋に戻ってきたのを見て、思わずユウトは二度見してしまった。
「何か知っているのか?」
「知っているとか知らないとか言われると、それはきちんと明確に判断出来ないのですけれど……、マリーさんってご存知です? うちに良くやって来る冒険者の」
「マリーって……、あの大剣使いの? アイツ、苦手なんだよな……」
ユウトは深々と溜息を吐く。どうやらユウトとマリーは犬猿の仲――或いはそれ以上のようだった。
それを見たジュディは笑みを浮かべたまま、首を傾げる。
「どうしてですか? あの人、良い人ですよ。良くこちらに食料を寄付してくれますし。食料が寄付出来ない場合でもお金を寄付して下さりますから。自分の身銭を切ってでも、貢献してくれる……、そんな人がこの世の中に未だ居るんですよね。ほんとうに驚きです。今は欲しい物だけ手に入れて、信仰などどうでも良いと思っている人だらけですから……」
「……そんなこと、俺に言われても困るんだけれどな。それとも、ジュディは俺が宗教を信じていないと思っているのか? 半分正解ではあるけれどさ」
「最後の一言だけは余計でしたね……。でも、まあ、良いでしょう。もしマリーさんに会いに行きたいのなら、多分ここには居ないと思いますし、今日は来ないと思いますよ」
立ち上がるジュディを見て、ユウトも立ち上がる。
「どうして?」
「マリーさんは定期的にやって来ているんですよ。来たのが三日前で、五日おきにやって来るから……、来るとしたら明後日でしょうね。もし彼女に会いたいのなら、あそこへ向かったらどうですか? ハンター連盟の集会所に」
「……あそこか。嫌なんだよなあ、あそこ。仕事を受領するために行くなら良いけれど、それ以外に行くのは。あそこはエゴとエゴのぶつかり合いで、自分がどれぐらい強いかをアピールする場所でもあるからさ」
ハンターという人間は、自意識過剰じゃなければやっていられない。多くの人間が遺跡から手に入れる旧文明の遺物を、自らの生活のために売り払うことしかしていないのだから。
中には、シェルター間の商人の護衛をしてたんまりと報酬を貰うハンターも居るし、私兵となって豪商と一緒に行動するハンターだって居る。ハンターだって、それぞれ生き方も違えば働き方も違っているのだ。
「……確かに、ここにやって来るハンターの人達も言いますね、ハンター連盟の集会所は居るだけで息苦しくなってしまう……って。それは窮屈だからとばかり思っていましたけれど、そういう事情もあるのですね」
「そもそもシェルターに住む一般市民が金を手に入れるには、その大元を辿るとハンターが回収した遺物を売却することで得た利益が市場に流れるところから始まる訳だしな……。とはいえ、もっと良い稼ぎ方があるかと言われると直ぐには思いつかないけれど」
そもそも、働かなくても良いような――少なくとも今の仕事より――稼ぎ方があるというのなら、多くの人間は直ぐにそちらに乗り換えるだろう。そこまでしても仕事を乗り換えない人間というのは、その場所の居心地が良いかそれ以外の条件が良いからのどちらかだ。
だからハンターはハンターで一生生き続けなければならないし、シスターは一生シスターとして生き続けなければならない。人がその職業を変えるのは、旧時代では然程難しいことではなかったという記録が残っているが、今となっては無謀無茶無理の三拍子が揃ってしまう。
「そりゃあ、良い稼ぎが見つかれば皆そっちに行くだろうな……。ハンターなんて危険と隣り合わせのくせにそう大した稼ぎにならないことも多々あるんだから。でも、ずっとそれは変わらないと思うよ。ハンターという生業がなくなるのは、遺跡から遺物が全て消失してから。しかしながら、それは絶対に有り得ないことだろうし」
「どうして? どうしてそう思うのですか」
「分かりきっていることだ。……遺物はずっと発掘され続けている。常になくなる危険を孕みながら。実際、いつかはなくなると思うよ。人間の文明というのは、無限に存在していた訳じゃない。けれど、その数は無尽蔵だ。ハンターが増え続けても、食いっぱぐれることがない程度には」
「でも、恐怖を抱いている人だって少なからず居ますよね。こちらにやって来る、食べ物を求めている方の中にもそういう人は居ました。ハンターは一見安定した職業に見えて、いつ終わるか分からない遺物の恐怖に怯えている、と……」
「そんなことしていたら、食っていけないよ。遺物がなくなるから、遺物を収集するのを辞めるのか? 違うだろ。遺物がなくなる以前に、こっちの命が尽きちゃうし」
理屈としては当然合っているのだが、しかしながら、それを説かれたところで実際どう動いていくか――というのが問題であったりする。幾ら文化や文明を保護しようとしたところで、そもそも人類が生き残らなければそれを正確に伝えることは困難だからだ。
「……それは分かりますが、でも、この不安定な生活がいつまで続くのか、と心配になったりしませんか? やはり、神に仕えている身としてはこの時代がいつまで続くのかは不安にはなります」
「予定説完全無視の台詞だな、それ……。あ、取り敢えず情報ありがとうな。俺は集会所に行ってみるよ、あそこになら居るんだろ?」
「ええ、多分ですけれど……。ここに来るために沢山の任務を熟しているそうですから」
そうして、ユウトはシスター・ジュディの居る教会を後にするのだった。
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