12 貧民街
「貧民街は、どうなるか分からないですからね。凪がやってこない場所とも言えるでしょう」
アンバーはお茶を飲み干し、さらに話を続ける。
「では、長老。話を戻しますが……、本当に殺人事件のことはご存じない、と?」
「あぁ。それについては自信を持って言えよう。そもそも、そんなことをするとどうして言えるのかね? 私はこの貧民街を良い方向に持って行くことは考えても、悪い方向に持って行こうとは考えない。況してや潰す方向に持って行こうなんて、言語道断だ」
「言いたいことは分かります。しかしながら、これもあくまで調査の一環です。……致し方ないと思って下さい。俺だって、長老が指示したなんてことは思ってもいないし、思いたくない」
アンバーの言葉を聞いて、長老は頷くと、残っていたお茶を一気に飲み干した。
「分かっているなら結構。とにかく、私はもしここでおぬしが何か調査をするのであれば、全力で協力しよう。この街の人間は犯罪に加担することなどないし、有り得ない。それだけは保証しようではないか」
「分かっています。そして、そうあることを祈っていますよ」
◇◇◇
「……長老は、結構優しい人に見えるね」
長老の家を後にして、マナは開口一番面談の感想を率直に述べた。
それについてアンバーは全面的に同意する首肯をし、それに続ける。
「あぁ、それは俺にだって分かっているよ。長老は、ここをより良い方向に持って行こうと画策している。だから、立派な人なんだ。そういう人間を疑わないといけない。そういう職業だからな、記者というのは……。でも、これは裏返し。信用しているからこそ、信頼しているからこそ、ああやって踏み込んだ発言が出来るんだ。もしあれが全く知らない人間同士だったら、どうなっていたと思う?」
「……確実に刃傷沙汰になっていただろうな。あの長老が武器を持っているかどうかは分からないけれど」
ユウトの言葉は間違ってなどいなかった。もしあそこで全面的に悪い方向に持って行けば、どうなっていただろうか。先ず、戦闘は避けられなかっただろう。それもあそこは言うならば敵の陣地の真ん中であった。あそこで全て敵に回していたならば、その後の戦闘が激しいものになることは、火を見るより明らかだった。
「ただ、言えることとしてはそれぐらいかな……。長老が何も知らなかった、というのは想定通りと言えるだろう。けれども、その想定通りを想定通りとするためには、ああやって話を聞かなければならなかった。気分を悪くしたかもしれないけれど、これもプロセスの一つとして抜かすことは出来ない」
「……出来ることなら、争いは避けたいと思っていたから、この結末は有難いことではあるけれどね。でも、実際これで多少は道筋が見えなくなったような気がするけれど?」
ユウトの言葉は、核心を突いていた。
当然と言えば当然なのだが、もし貧民街が悪いとするならば、貧民街の主犯となり得るのは長老だろう。しかし、その長老はそんなことは一切しないと言い張っている。それが事実であるにせよ、そうではないにせよ、そこから実は主犯でしたという方向に持ち込むのはなかなか難しいところだ。
何せ自供しているならともかく、していないとはっきり言い張っているのだから。
「……これからどうするつもりだ?」
「どうするも何も、貧民街をくまなく探索するしかないだろうな。実際、犯人があの通路を使って貧民街にやって来た可能性は十二分に有り得る訳だし……」
「そういえば、アンバーはここにやって来たことはあるのよね?」
マナの問いに、アンバーは頷く。
「まぁ、仕事柄な。……それがどうかしたか?」
「その時はどのルートを通ってここへ?」
「どのルート……って、さっき通ってきたルートではないよ。貧民街の裏手から配水管を通ると、シェルターの脇にある崖のところに出るんだよ。シェルターの外には繋がっているから、そこを通る時は当然『対策』をしなければならない訳だがね」
「そのルートを知っている人は?」
「少ないと……思うけれど。だって貧民街自体が知られていない場所な訳だし。ここを皆に知られたらどうなるか分かったものじゃないだろう? だから結構必死で隠していると思うけれどな。知り合いでここを知っているのも……多分居ないはずだ。記者は自分の手は隠しておくものだからね」
「じゃあ、あのルートは全く知らなかったのよね?」
「あぁ、全く……。でも、可能性はあったよな。何せ、俺が元々通っていた道も、その配水管を通っている訳だろ? 配水管というか、下水管になるのかもしれないけれどよ……。その下水は何処からやって来る? 当然、上だよな」
「……水は完全にサイクルで回しているはずでは?」
ユウトの質問は別に変な質問ではなかった。シェルターにある――というよりこの世界にある、と言った方が良いだろう――資源はどれも有限だ。特に空気が汚染され、世界の大半の物質が人間にとって害ある存在と化した今ならば、清潔な物質は貴重なものであると言えるだろう。
そして、その貴重な資源を使い捨てるのは非常に勿体ない。そう考えた古い時代の科学者は、シェルターに循環型のシステムを導入した。それは、水だろうが塵だろうがどんな物質であったとしても汚れを削ぎ落とし、出来る限りクリーンな形でもう一度使えるように洗浄するシステムであった。
「……まさか、物質を完全にリサイクル出来ると思い込んでいないだろうな? そんなこと、どれだけ科学技術が進歩しようが不可能なんだよ」
ユウトの考えを、アンバーは一蹴する。とはいえ、循環型のシステムと聞いて、百パーセントの資源がリサイクル出来ると思う人間も少なくはなかった。
「不可能……そうなのか? そういうものなのか?」
「だってそうだろう? どんなものだって完璧に、百パーセント還元出来るというならば、きっと暴動が起こるだろう。何故ならば、今までの物質は百パーセント再利用出来なかったが故に、仕事を生み出していたのだから。物質を廃棄するための人間、新しい物質を生み出すために関わる人間、それを運搬するための人間――それらのマンパワーが不要になる。その理屈が分からないかね? 仕事が失われたとて、新しい職に就けるとは限らない。寧ろ不可能と言っても過言ではないだろうね……、仕事のパイは数少なく、その奪い合いに発展しているのだから」
「……まるで、自分達はその奪い合いには関係ない、みたいな言い回しだな?」
ユウトの言葉に、アンバーはニヒルな笑みを浮かべる。
「新聞記者だって、パイはあるものだよ? ……とはいえ、ネタさえあれば誰だってやれるような仕事と思われちゃあ困るんだがね。それなりに知識がないと書くことすら出来ない――新聞記者はそういう仕事だよ。それを分かっているかどうかは定かではないがね」
「まぁ、それはハンターだって同じことかもしれないな。……ハンターだって誰しも出来る仕事じゃない。確かにそう思われることもあるけれどさ、実際は違うんだよ。ハンターには体力だけじゃなく、作戦を立てる知力も必要だ。そしてその知力を使いこなすには、経験が必要だ。……経験がなければ、それを使いこなせないし、最初からヤバイ任務に挑んだら自殺行為だ。ヤバイ任務ってのは、経験しないと見えてこないもんなんだよ。見た目だけ取り繕っている任務が出て来たら、それは最悪だ。そして……その最悪を見極めるにはやはり経験が要る。難しい立ち回りなんだよな、ハンターって」
「……分かっているなら、新聞記者に対する印象も少しは変えてくれると良いんだがね。どうなんだい、その辺り。マナが知り合いに居るなら猶更」
「マナは知り合いだが、あくまでも知り合いだ。……今のところは。けれど、そのマナは情報屋だ、新聞記者とは違う」
アンバーは立ち止まる。
最初、ユウトは何か言ってはいけないことを口にしてしまったかと思い口を噤んだが、どうやら違うようだった。
「おい、どうしたんだ一体……。腹でも減ったか? ここは地下だから時間の感覚が掴みづらいんだよなぁ……」
「そんな訳があるか。……見ろ、あの子を」
「あの子?」
アンバーが指差した方角には、一人の少女が蹲っていた。
「あの子……ただの女の子じゃないのか?」
「いや、良く見ろよ。……あの子、誰と話している?」
「えっ?」
アンバーの指摘に、ユウトは目を丸くする。
そして改めて眺めると、少女は蹲っているのは変わらないが、ただ蹲っている訳ではなかった。
少女はボソボソと何かを呟いていた。そして、ただ呟くだけではなく、時折頷いたり笑みを浮かべたりしていた。
はっきり言ってその光景は不気味としか言い様がない。そしてその不気味な様子が、他に感染しているかと言われるとそうでもない。不気味が日常に汚染しているのか、日常が不気味に汚染しているのかは定かではなかったが、しかしながら、その光景を異質と思っているのは――少なくともユウト達だけだった。
「……おかしいだろ、あれ」
「声をかけてみるか? 貧民街は意外と……でもないが、ドラッグが流行する傾向にある。とはいえ、この貧民街はあの長老が居るから、そこまで酷くはないがね……。しかし、一人で見るには何でも限界がある。それはこの貧民街であろうが、上だろうが変わらない。一から十まで全て統制されている街なんて、空想に過ぎないのだから」
「……ドラッグ、か」
ユウトの耳にもドラッグの噂は入っていた。ハンターの日常は波が激しい。過酷である日が続くかと思えば、仕事のない日が続くこともある。忙しいのならばそれは別に悪いことではないのだが、暇な日が続くのは良くない。仕事が欲しくて努力しても手に入らないのならば、猶更だ。
そうして現実を直視出来なくなったハンターが闇市を経由して辿り着くのがドラッグだ。色々なドラッグが流通しており、飲めば興奮が一日中収まらないものもあれば、逆に何をされても一日中冷静でいられるドラッグもある。睡眠をしなくても良くなる――つまり覚醒状態になる――ドラッグもあれば、一日中眠り続けるドラッグもある。
人々の欲しい効能のドラッグは、日々生産され続けている。工場で生産される程大規模なものは存在しないが、少なくとも一日何百錠も販売して莫大な利益を得る薬師も少なくない。
「管理者がきちんと抑え込めれば良いんだろうけれど……、そうもいかないんだっけか、ドラッグっていうのは」
「いたちごっこだと言われているな。あるドラッグを潰したら次のドラッグが生まれる。そして別のドラッグを潰せば、また別のドラッグが生まれる……。ドラッグによって脳が破壊されると、まともに生きていくことさえ叶わない。ともなると管理者としても全力を挙げて取り組む訳だよ、ドラッグの撤廃にね。何故なら、管理者は市民の税金によって暮らしているのだから。その税金が減ったら、彼らの暮らしが貧しくなるだろう? それは避けたいのさ、彼らとしてもね」
「……世知辛い世の中だねぇ。自分に火の粉がかからなきゃ、対策もしねーってことか」
ユウトは適当に結論付けると、再び少女に目をやる。
「で、どうする? 彼女のこと」
「気にはなるな。ドラッグに関する記事はあんまり書きたくないが、結構市民が手に取りやすいんだよ。だから飯の種にするには心苦しいが、致し方ない」
そうして、ユウト達は少女に声をかけるために、そちらに近づいていった。
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