12 貧民街


「やぁ、そこで何をしているのかな?」

 アンバーは腰を低くして、優しい口調で語りかけた。これは他人からいきなり声をかけられて、まともに反応出来る人間の方が少なく、寧ろ不審者だと思われてしまうことを恐れてのことだった。

「……何?」

 少女は顔を上げると、ぼそぼそと呟くように答える。

「今、誰と話していたのかな? 俺……いや、僕達にも教えてくれないかな?」

 いきなりそれを突っ込んで、何が帰ってくるか分かったものではない――ユウトはアンバーの言葉にそんなことを考えたが、しかしながらそれをするのが最短ルートであったのもまた事実だ。
 少女はその言葉に一瞬顔を顰めたが、直ぐに態度を変える。

「……やっぱり、あなた達にも見えないのね……。私にしか見えない、私だけの存在なのだわ」
「えーと、話が見えてこないけれど……。つまり、そこにはもう一人誰か居るのかい?」
「ジョージって言うのよ。いつも仲良く遊んでいるの」

 少女の言葉を聞いて、アンバーはメモに書き留める。

「ジョージ……ね。うんうん、じゃあ、君はそのジョージ君とは何処で出会ったのかな?」
「この貧民街の入り口だよ。入り口で泣いているところを見つけたの。私も大変だったけれど、一緒に遊ぼう、って言って。それからずっと友達。けれど、皆はジョージを見つけていないみたいなの」

 見つけていない、というよりはそもそも視界に少女以外の存在が見受けられない、というのが正解だろう。
 いずれにせよ、彼女のことをもう少し詳しく調査する必要がある――アンバーはそう考えていた。

「ジョージ君とは、いつもどんな遊びをしているんだい? 例えば、今日は――」
「お絵かき!」

 少女の足下を見ると、似顔絵のような――お世辞にもクオリティは高いとは言えない。図形で構成された顔らしきものだ――何かが幾つか描かれている。

「これを全て君が? それともジョージ君も?」
「私だけだよ。ジョージは絵を描くことが出来ないから」
「絵を描くことが出来ない?」
「うん。何かは知らないけれど、遊ぶ時はいつも私の一人遊びをただ見ているだけなの。それについてアドバイスをしたりコメントをしたり……。でも、一人で居るよりは全然楽しいわ」
「……理屈が全然見えてこないけれど、つまりジョージ君は行動をしない、と?」
「だから言っているじゃない。ジョージは、コメントをするだけだ……って」

 少女の言葉は、どうにも理解し難いものがあった。幾ら友達が居るからといって、その友達と遊ぶのに友達は何も手を出さない――というのは少々滑稽である。
 しかしながら、イマジナリーフレンドという言葉もある。つまりそれは、自分の脳内で作り上げた友達のことを言って、時折それは現実世界にも侵食する。それがどの状態に起きるかは定かではないものの、やはり何かしらの問題が生じた結果生まれるというのは当然だろうし、仮に現実が順風満帆なものであったとするならば、イマジナリーフレンドは存在しないだろう。

「……彼のことをもっと詳しく知りたいな。君の家は何処かな?」
「私……、家というものを持っていないの。グループ、に所属しているから」
「グループ?」

 ユウトの言葉に、アンバーは補足する。

「……貧民街じゃ、上とは比べものにならないぐらい生活するのが厳しい。それは人が増えれば増える程、当然のことだ。子だくさんの家族にもなると、末端の子供を切り捨てる傾向にあると言われている。当然と言えば当然だが、人が増えれば増える程、食い扶持が増える訳だからな。……でも、それをそのまま殺す訳にもいかない。だから最後の温情として、あくまでも捨てるという形を取る。ただ、それだと捨てられた側が生きていけないから、捨てられた者同士でファミリーを構成することがある。それがグループだ」
「補足説明どーも」

 ユウトの理解を確認してから、アンバーは再度少女に問いかける。

「グループ、か。確かに聞いたことはあるよ。自助或いは共助を目的とした組織だろう? 同じぐらいの年代を集めたり、敢えて年の離れた子供だらけを集めたり……、そのコンセプトはグループによって違うと聞いたことがある。そのグループに行っても良いのかい?」
「多分良いと……思う。リーダーは、その辺りちゃんとしているから。私とジョージの関係にも、あまり首を突っ込んでくれなくて済むから」

 つまり、少女はジョージが他人には認識出来ない存在であるととうに理解していたし、認識していた――ということになる。それは当然と言えば当然なのだが、意外とそこを認識出来ていないケースがある。そしてそれからトラブルに発展することも半ば珍しくない。

「それじゃあ、そこに案内してくれるかな? 勿論、報酬は出すよ」
「報酬……?」

 言葉の意味を理解していないようなので、アンバーは少女に補足する。

「ご褒美、ってことさ。……さぁ、案内してくれないか。ええと、名前は」
「アンナ」
「アンナか、良い名前だ。それじゃあ、宜しく頼むよ、アンナ」

 その言葉にアンナは頷くと、横を向いて、

「じゃあ、行こうか。ジョージ」

 立ち上がるとそのまますたすたと何処かへ歩いて行った。
 それを見たユウト達も、少女について行くのだった。


 ◇◇◇


 グループが居る場所は、市場の直ぐ近くだった。市場と言っても上の世界のそれとは全く雰囲気が異なり、雑多な雰囲気がゴチャゴチャになっており、纏まっている様子が見られない。上の世界の市場は未だ何処に食べ物が売っていて何処に武器が売っていて、という区別がされていたが、この場所にある市場は食べ物屋が大半を占めていて、武器防具の店はあまり客が来ない端っこに集中している。これも顧客層の問題なのかもしれない。

「……うわぁ、何かジャンクな食べ物ばかりだな」

 見てみると、肉を焼いただけの食べ物だとか、麺を炒めただけの食べ物だとか――味付けはしているが――豪快に作っている食べ物ばかりが並んでいる。そして値段を見ると上の世界のそれと比べると非常に安い。きっと上の世界で貧しい暮らしをしている人間が、ここにやって来たとしたらそれなりに生活水準を引き上げることが出来るかもしれない――ユウトはそう思っていた。

「美味しそうには見えるだろう? ただ、こういう食べ物を食べられると思う人と食べられない人ってなかなかどうして出てくるのかは分からないけれど……、要するに人の価値観の違いというものだよな。……まぁ、意外と美味しいものだよ、ジャンク感は拭えないがね」

 アンバーはそう言いながら、市場をそそくさと歩いて行く。普通、市場に来る人は大抵何かを購入する人が殆どだと言われており、ウインドウショッピングをするのは少数派であると言われている。であるならば、何か買わない人間というのが珍しいと思われるのは自然であり、さらに何とか商品を買ってもらおうと画策する人間も出てくる。
 相手も商売をしているのだ――商売をしているということは、生活をしているということである。ハンターは遺物を遺跡から探して収集しているが、商人は自分で作ったり入荷した物品を相手に売ることでそれを利益としている――やり方は違っていても、商売としてのメカニズムは変わらない。

「……取り敢えず、後で何か買ってあげようか。ええと――」
「アンナ。名前ぐらい覚えて」

 ユウトは叱責されて、少し狼狽える。

「あ、あぁ……済まないな」
「ユウト。少しだけ、人の名前を覚えた方が良いのではないですか?」

 ルサルカの言葉に、ユウトはばつの悪そうな表情を浮かべる。

「……ルサルカ、最近きちんと喋るようになってくれたと思ったら、結構突き刺さるコメントするんだよなぁ。いや、別に悪いこととは言わないし、喋ってくれるようになったのは全然良いことではあるんだけれどさ。もっと、世間話が出来るようになれば良いんだけれど……」
「駄目駄目、ルカちゃんにそんなこと望んじゃ。ルカちゃんは色々と学ばないといけないことがあるんでしょう。だって、聞いた話だとアレなんでしょう? あの――」
「……マナ。目の前に居るのは誰だ? 新聞記者だろ」

 ユウトの言葉を聞いて、アンバーは表情を歪ませる。明らかに不満な態度を取っているようだった。

「……ユウト、だったか? 安心しろ、一応俺はちゃんと分別はつけているつもりだぜ。俺の親友だからな、マナは。そしてユウト、お前はマナの知り合い。そんな人間の個人情報をべらべらと新聞に書く程ネタに飢えちゃいねえよ」
「まぁ、彼は結構口が堅いから。……新聞記者としてはどうかと思うけれど」
「新聞記者としての品位を問われても困るな」

 アンバーは少しだけ表情を崩すと、再び歩き始める。

「……さて、急がないと逃げちまうぜ」
「何が?」
「ネタだよ、ネタ。ネタは新鮮であればある程良い。とはいえ、ここを知っている記者は少ないし、別に奪われることもないんだけれどさ」
「そう思っているなら別に良いじゃないか……。ルサルカは疲れていないか?」
「疲れてはいません……。けれど、美味しそうな香りがしますよね」
「美味しそうな香り……、そりゃあそれぐらいはするさ。ここは市場なんだからな。あぁ、あそこで売られているのはマキヤソースで炒めたゴイ貝だな」
「ゴイ貝?」

 鉄板で炒められているそれは、蜷局を巻いた貝殻ごと焼かれていた。ある程度火を通すと、閉められている蓋からゆっくりと中身が出てきて、それを抜き取ってからはボトルに入っているマキヤソースをかける。そしてそのまま炒めると料理の出来上がり、といった感じだった。マキヤソースが鉄板にかけられると、焦げる香りがしてまた香ばしい。

「……ユウト、マキヤソースとは一体何ですか?」
「マキヤソースというのは……何だっけ? 昔からある調味料だよな。何か豆を使っているとか香辛料を使っているとか聞いたことがあるけれど、詳しい話は知らないんだよな……」
「第一シェルターに工場があるけれど、レシピは明らかになっていないからね。工場で働く人ですらレシピは知れ渡っていないらしいわよ。知っているのは取締役クラスの数名だけ、とか」
「へぇ……、美味しそうです! ねえ、ユウト。買ってくれませんか」
「いや、自分で買えよ……と言いたいところだが、」

 ユウトは深い溜息を吐いた後、財布を取り出す。

「――そういや、ルサルカはこないだ防具を買ったばかりだからお金がないんだったな。じゃあ、これぐらい出してやるよ」
「うわっ、珍しい……。アンタ、私との食事でお金なんて出したことないじゃない!」
「マナ。そりゃあお前は稼いでいるからな。ルサルカは未だお金を稼いでいないから。……正確にはアネモネでメイドをしているけれどさ、あれは結局マスターの裁量で給料が決まるからな……」

 そうじゃなければこないだのように二日働いただけで金貨十枚など配る訳がない。
 ユウトは鉄板の向かいに居る女性に声をかける。

「あの、ゴイ貝の炒めを一人前下さい」
「一人前で良いのかい?」

 女性は柔和な笑みを浮かべたまま、営業トークを始める。
 どうやら女性は全員分のゴイ貝を買わせようとしているようだった。

「今はる……ルカしかお腹が空いていないので。また買いに行くから、駄目かな?」
「駄目とは言わないさ。一人前でも買ってくれるなら、それで立派なお客さんだよ。……じゃあ、ちょいと待っていてね」

 そう言って、炒めていたゴイ貝を空の透明な容器に入れていく。五つ入れた段階で蓋を閉めると、それをユウトに手渡した。

「はい、銅貨二枚で良いよ!」
「銅貨二枚……! 安過ぎないか。まぁ、良いけれど。はい」

 銅貨二枚を財布から取り出したユウトは、そのまま女性に手渡した。

「はい、まいどあり!」

 そしてユウトはルサルカにその容器を手渡す。

「あ、ありがとうございます……!」
「良いよ、別に。……こういうもの、食べるの初めてだろ? 熱いうちに食べなよ」

 ユウトの言葉を聞いて、ルサルカは容器の蓋を開けた。



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