12 貧民街
光あるところに陰がある。それはどの世界でも、どのカテゴリでも、どの尺度でも存在し得るものである。しかしながら、光に居る存在は陰を認識することは難しい。しかし、陰は光を認識しているし、認識している以上どうやって過ごせば良いかを考える人も居れば、いつか光のある場所へ返り咲いてやろうと思う人も居るはずだ。
「初めて知ったよ、シェルターにこんな場所があるなんて……」
ユウトは周りを見渡す。建物はボロボロになっているバラックが中心となっていて、今にも崩れそうな建物だらけだった。木造で建築されているのは確かだが、しっかり家の形を保っているものは半分にも満たず、大抵は崩れかかっているところにつっかえ棒を建ててやっと家として成立しているようなものばかりであった。
「……気になるのは分かるが、あまり周囲に目を向けない方が無難かと思うがね?」
アンバーの言葉を聞いて、ユウトは自分の行動を自制した。
アンバーは溜息を吐いた後、
「まあ、気になってしまうのは致し方ない。それが人間というものだしねぇ。でも、あんまり欲を出し過ぎない方が良い。特にこのような場所ではね……」
「どういう意味だ?」
「貧民街は、文字通り貧民が住む街。……ハンターとして力仕事をすることも、それ以外の他の仕事に就くこともかなわない。出来ることは、雑用だけ。人間としての尊厳も、地位も、全て地に落とされた人間しか住んでいない。……あまり、大きな声では言えないけれど」
「……大きい声というか、しっかり言っているんだよなぁ」
アンバーはそう言った後、すぐに態度を切り替える。
「取り敢えず、貧民街に繋がっているのは良い情報だ。……ここで一つ、情報を仕入れた方が良いだろうね。知り合いに頼むとするか」
「アンバー。あなた、貧民街に知り合いなんて居るの?」
「新聞記者はどんなところだって知り合いを持っておくのが鉄則なんだぜ。いつどんな時に使えるか分からないしね。別に、どんな手でも使えという程汚い人間じゃないけれど」
「……そうなのか」
ユウトは未だに新聞記者というのはどういう人間であるかを理解出来ていない。
そもそもの問題ではあるが、ジャーナリズムということを理解出来ていないのだから、当然と言えよう。
「取り敢えず、先ずは挨拶をしておいた方が良いだろうね。その後のやりとりもスムーズに行くだろうし。……あぁ、ここだ」
そう言っていたアンバーは立ち止まる。それを見てユウト達も立ち止まり、正面を見た。
そこにあったのはボロボロの建物ではあった。しかしながら、その建物そのものは他の建物と比べると多少は綺麗に整えられているように見受けられた。折れている柱もなければ、屋根に穴が開いているようにも見えない。それから察するに、ここに居る人間は貧民街の中でも権力を持っている人間なのだろう、という推測は出来た。
「ようこそ、おいでくださいました。……何のご用でしょうか?」
入り口の脇に立っていた一人の女性がアンバーに問いかける。
「長老は今大丈夫かな?」
「長老様ですか。……ええと、はい。問題ございません。今は未だ問題ないはずです……多分」
曖昧な答え方をしていたので、少し疑問を感じたが、アンバーはその答えを是として中へ入っていった。
家の中は、木の床になっていて、座るスペースの部分だけが葦で作られたマットを敷いてある形になっていた。
そして部屋の中央には、白い顎髭を蓄えた男性が柔和な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「おぬしは相変わらず、突然やってくるのだな。予兆の一つでもあれば良いものを」
「……ご冗談を。長老殿、あなたは既に分かっていたのではありませんか? 俺がここに来るのを」
長老はにししと笑って、
「まぁ、楽にしなさい。別に今更姿勢を正しくしてやりとりする関係でもあるまい? それとも、何か話したいことでもあるのかな。新聞記者というのは情報を商売とする人間だからな」
「全てお見通しであるならば、分かっているでしょう。……最近、上の世界では殺人事件が多発しています。ご存じですか?」
「聞いたことはある。何せ、上の世界には定期的に情報収集をお願いしているのでね。私とて、全てを見通せる訳ではない。その見通せない情報のうち、少しでも確認しておきたい……そのためにそれを行っている」
「この貧民街を守るためでもあるのでしょう?」
アンバーの問いに、長老は目を伏せるだけしかしなかった。
「……分かっているのではないですか。政府が、管理者が、この貧民街をどうしようとしているのか。今はあなたが必死に管理しているから、何とかなっているのかもしれないですが、いつかは管理者もここを狙う時がやってくるはずです。土地だけを確保したい管理者は、きっと居るはずですから」
「それは有り得ないな。……自覚したくはないが、管理者は『最下層』を必ず確保しておきたいはずだ。それを明確に提示しなかったにせよ、自分より下の地位の人間が居ると分かれば、人間はそこにはならないように努力する――研究結果でもそう示されているよ。我々は、上の人間のために生かされているだけに過ぎない、とね」
「……皮肉ではありますが、間違ってはいませんね」
アンバーの言葉を聞いても、長老は何一つ反応しなかった。
「おぬしがやって来たのは、何かね。その殺人事件について、この貧民街と何か関係性が?」
「実は、先程第四の殺人が起きました。そしてその現場の直ぐ傍から地下に降りる梯子が隠されていたんです。そこを辿ると……」
「――ここに辿り着く、と? 馬鹿馬鹿しい、貧民街の人間が上の人間を殺したというのかね」
長老は少しだけ口調を変えたようにも見られた。正確に言えば、それは怒りを表現しているのかもしれなかったが、溜飲を下げているようにも見受けられた。
それは、アンバーとの関係性を表しているようにも見える。アンバーとの関係が良好でなければ、ここで直ぐに激昂していたに違いない。もしかしたら周囲を囲まれてそのまま総攻撃を食らう可能性すら有り得たのだから。
「そこまでは言っていません。ただ、一言言っておきたいのは、このままだと貧民街にとって不味い方向性に到達してしまう可能性がある……ということです」
「不味い方向……ですか。確かにそれは有り得ますな。上の連中はどういう風にこちらを潰す理由を見つけようかが躍起になっているはず。であるならば、我々はどう生きていかねばならないのか。これは分かりきっている話ではあるのですがね」
「それは分かっているとも。私は常に上の人間の様子を窺ってきていた。出来ることなら、窺うことなんてしたくないのだがね……。何せ、奴らは何を為出かすか分かったものじゃない。だから、私は神経を集中させているのだが」
「――なかなかそうもいきません。それは分かります。俺も新聞記者の端くれ。新聞を書いている以上、情勢は人よりは把握しているつもりです。ですから、そちらに悪い情報が流れてきた時は、出来るだけ早く教えているはずですが」
ユウトは首を傾げた。新聞記者というのは、自分の理念に基づいて動いているような気がしたが、それはあくまでも他人のことは考えていないような、そんな感じの新聞記者が多いイメージがあった。
しかしながら、アンバーはそういう感性で動いているようではなさそうだった。少なくとも自分の理念に基づいて動いているようで、その感性は自分さえ良ければ良いという感性ではなく、間違っていることに巻き込まれようとする人間をたとえ自分の立場が危うくなろうとも助けるという理念なのだろう――ユウトはそう思った。
「悪い情報……か。それは確かに有難いことだ。こちらも大変助かっている。だが、だからこそ言いたい。おぬしの立ち位置が危うくなりはせぬか、ということについて……。一応上の世界では、貧民街は存在しない扱いをされているのだろう?」
「存在しない扱いをしているからこそ、気づかれにくいんですよ。今の状況が大変有難いですけれどね。一応、記者としてやれることはやっていますから」
女性がアンバー達の目の前にお茶を差し出した。それらが終わった後、長老の前にも湯飲みが置かれる。
「さぁ、こんな遠くまでやって来て、喉も渇いただろう。ゆっくりと寛ぐが良い。……とはいえ、上の世界の人間の口に合うとは思わないがね」
そう言われつつも、ユウトはお茶に口をつける。芳醇な香りが口いっぱいに広がり、普通自分が飲むお茶とは少し違ったテイストだった。
ユウトの細かな反応も、長老は気づいていたようで、
「……ほほう。気づいたかね、珍しいお茶かもしれんのう、上の人間からしてみれば」
「何というんですか……、この芳醇な香り。まるで発酵させたような」
「貧民街は、おぬし達も気づいているやもしれないが、湿気が多い。だからこそ、致し方ないことではあるのだが……湿気を飛ばす技術でもあれば良いのだが、それがない。よって、発酵させるしかないと考えた訳じゃよ。貧民街には発酵食品が、上の比ではないぐらい存在する。おぬし達の舌にはなかなか合わないやもしれんがのう」
「いや、そんな謙遜しなくても、十分美味しいお茶ですよ? ……普通に商売としてやっていけそうなぐらいですが、そうもいかないんでしょうかね」
「無理だね」
ユウトの言葉をアンバーが一蹴する。
「そもそも、貧民街は上の人間――つまり我々のような存在には知られていない土地だ。だからこそ、上の人間に知られたらどうなるか分かったものではない。この土地を求めて戦争を始める人間も居れば、この土地に住む人間の地位向上を求めて管理者と争う人間も出てくるだろうな。……いずれにせよ、ここはパンドラの箱、という訳だ」
「パンドラの箱?」
「開いてはならない箱のことだよ。最後に残るのは希望とも絶望とも言われている。……まぁ、いずれにせよ、それをどう捉えるかは生きている人間の使命だろうよ。管理者は、少なくともここを無闇矢鱈と知らせたくないだろうな。出来れば消滅させようとしているかもしれん。そして、熱りが冷めたころに、ここを新たな住宅地として販売する可能性も有り得る。上の人間も増えていって、土地が減っている――というのはどのシェルターでも聞く話だからな」
「……酷い話だ」
ユウトの吐き捨てる言葉に、長老は頷く。
「本当ならば、全員が全員そう思って欲しいものだがね。現実はそう甘くはない……。だが、そういう感性の持ち主が一人でも増えてくれること。それが一番有難いことではあるのじゃよ。この貧民街が、少しでも形を保ち続けていくには、そういったことが必要なのじゃ」
「……貧民街の最近の様子は、如何ですか?」
アンバーの言葉に、長老は外を見つめる。
「何も変わらんよ。それが一番良いことではあるというのは、重々承知していることではあるのだが……、けれどもこの安穏が不安の裏返しであることもまた事実。いつ、上の連中が襲いかかってくるか、或いはその切欠となることが起きるか、ヒヤヒヤしている。おちおち夜も眠れんよ」
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