12 貧民街
大きな貝が五つ入っている透明の容器は熱々なものだと思われるが、しかしながらルサルカはそれを何も考慮せず――正確には熱さを感じていなかったようにも思えるが――貝殻からは完全に中身が飛び出ているために、貝殻はただのアクセサリーに過ぎなかった。
身を手に取って、そのまま口の中に放り込む。食べ方はぎこちないものではあったものの、スプーンやフォークがないのだから致し方ない。いずれにせよ、それをどう食べようとしても、美味しく食べていればオールオッケーなところがある。
「熱くないのか? 手に取って……。さっきまで鉄板で転がっていたようなものだぞ?」
「さっきまで鉄板で転がっていて熱々だったからこそ、熱々のうちに食べるのもまた乙なものだよな。うんうん、分かるねぇ、分かっているねぇ、ルカちゃん」
アンバーまでもルサルカをルカ呼びしていては、とうとうルサルカと呼んでいるユウトが少しだけ部外者のようになってしまう。
「熱くないなら別に良いけれどさ……。っていうか、ずっとさっきから食べまくっているな。ゴイ貝ってそんなに美味しかったっけ? 歯ごたえが結構あってかなりミルク感があるのは分かるけれど」
「ゴイ貝は意外と凄い貝だからねぇ。ゴイ貝の由来は知っているかな?」
「いや……、分からないけれど」
アンバーの言葉に、ユウトは首を傾げる。
「ゴイ貝はシェルター内部で繁殖したのではなく、シェルター外部で繁殖している。しかも、外気にある毒を浄化していて、食べても毒が貯まることはない。……無論、貝殻には毒がついているが、それを洗い流せば中身は問題ない。この世界において、希望とも言える食べ物だと言えるだろう。……ただ、一つだけ言えるのは、それを浄化の技術に応用しつつも食べ物として使っていることだよ。人間はどんなものだって食べることが出来るのかもしれないねぇ」
「……ゴイ貝の名前の由来は?」
「単純に『凄い』って意味だよ」
「えぇ……マジで?」
「大真面目に言っているよ」
「ゴイ貝も……意外と単純な由来なんだなぁ。そういや、マツダイラ都市群の奥地にあるコロシアムみたいな建物って知っているか? 実はルサルカを見つけた時も、そこを目指していたんだけれど……」
「噂だけなら。何でも旧時代の文明には、世界各地からスポーツ選手を集めて大会を開く伝統があったらしい。そして、そのコロシアムは二度にわたり開催された大会の本拠地だと言われているよ。結構変わったデザインじゃなかったかな?」
「いや、そこまでは見ていないけれど……、何か結構変わった遺物が多いとかどうとか。輪が五つ重なっているようなデザインのアクセサリーが最近市場に出回っているだろ? あれって、そこから持ってきたデザインを模倣した、って聞いたことあるぜ」
「……古代からある伝統らしいが、今は何一つ残っちゃいない。残っているのは言い伝えだけだ。今もそうだが、感染症が流行っていることもあったそうだ。今のようにマスクなしで会話をすることは出来ない、なんて書物に残っている話もあるぞ」
それを聞いたユウトは、項垂れた表情を浮かべる。
「……それって、息苦しくないか? 外に出るマスクでさえ、かなり息苦しいんだけれど、あのマスクを常につけていたのか?」
「いや、簡易的なものだと言われているな。……でも、大変なことには変わりないんじゃないかな? シェルターは空気循環装置が備わっているし、温度も一定に保たれているから、別にそこまで気にしたことはないだろうが、昔はそんなものはなかったらしいからな。……ハンターだって、直射日光を浴び続けていると辛いだろう?」
「辛いなんてもんじゃない。さっさと水浴びしたい気分になるよ。……それについては、ハンターは誰だって思っていることだろうけれど」
「もっと簡易的なシェルター設備が幅広く存在していれば良いんだろうけれどなぁ……、やっぱりそこまで力を入れられないんだろう。シェルターとシェルターの間にある街道には、時折宿場があるそうだが、そこは完全にシェルターになっている訳じゃなく、建物が幾つか重なっているだけに過ぎないらしいからな。……っと、そこはハンターの方が詳しいかな?」
「そうだな。俺もたまには遠い他のシェルターに仕事に行くこともあるし……。ただ、数える程度だからな。今はどうなっているんだか。……ところで、そろそろ食べ終わらないと、アンナが少しつまらなそうな表情を浮かべているぞ」
「……良いもん、私はジョージと一緒に遊んでいるから」
「……それ、傍から見ると怪しまれるんだよな。よし、ルカちゃんには食べながら歩いてもらうとして……、そろそろ向かうとするか。行儀は悪いかもしれないが、それもまた僥倖。悪いことではないし、経験しておくに超したことはないよ」
「そんなものかねぇ?」
ユウトの言葉に、アンバーは肯定も否定もしなかった。
しかしながら、アンナの居るグループに話を聞く必要は十分にある訳だし、そしてそれを聞くのは早ければ早い程良い。もしかしたらグループの人間はアンナについて何か追加情報を知っているかもしれないからだ。知っていなかったらそれはそれで面倒臭いことになるのだが。
「……と、いうことだ。ルサルカ、行けるか?」
「…………は、はい、いけまふ」
口に食べ物を突っ込みながら話しているルサルカは、少しだけ行儀が悪いように見える。
しかしそんなことを気にすることなく――再びユウト達はアンナの先導でグループの居る居住地へと向かうのだった。
◇◇◇
市場の外れには、一つの大きな平屋の建物があった。建物はボロボロで今にも崩れそうなぐらいではあったが、それを微妙なバランスで保っているように見える。そしてそこには幾つもの扉が等間隔に設置されており、そこに多くの人間が住んでいることを実感させる。
「……ここに多くの人間が住んでいるとは。上の世界とはまた違う感じがあるな」
「ここに居る人は、大半がその『グループ』の人間だ。グループというのは、近しい存在の人間が集まって、そうして組織として結成される。そして結成された後は、連帯責任……或いは一蓮托生、どっちだろうね。いずれにせよ、人間は情に脆い。捨て切れる存在ではないのだよ」
「それは間違っていないかもね。実際、上の世界というのは自助で成り立っているけれど、それはあくまでも自立出来る人間だけに過ぎない。けれども、こっちの人間は自助では限界がある。何故なら自立するのが不可能だから。……でも、複数人で一緒になれば、多少は暮らすハードルが下がるだろう。要するに、共助の世界だ」
歩いて行くと、家の前に座っている人間がちらちらとこちらを見てくる。それは強請りなのか、或いは興味なのか――それは分からない。ただ、それへの対応はアンバーは重々承知しているようで、時折声をかけてくる少年少女達の言葉を完全に受け流している。
「……ここ」
そして、一つの部屋、その前に辿り着く。
青髪の少年が地面に座っていた――恐らく監視の役割を担っているのだろう――が、アンナの姿を見て立ち上がる。
「何だ、アンナか。今日は帰るのが早いな。……で、そっちは?」
「やぁ、悪いね。君達のリーダーに会わせてくれないか?」
アンバーは柔和な笑みを浮かべたまま、少年に会釈する。
「へっ。……その小綺麗な見た目からして、『上』の人間だろ? 上の人間が、こっちの世界に来て何の用だよ。面白いからやって来ているんだろうけれど、こっちは精一杯生きているんだ。別に見世物でも何でもねーんだぞ」
「まあまあ、良いじゃないか。……どうだい、一度会わせてはくれないかな。そうしたら、ちょっとは変わるんじゃないかな」
「そんな甘言――」
「どうした、誰か客人か?」
いきなりドアが開け放たれ、中から出てきたのは短髪の少女だった。少女と言っても、格好はシャツとズボンで、少女というよりは少年に近い。しかし、輪郭や身体のバランスは女性のそれだ。
「……君がリーダーかな?」
「……リーダー? あぁ、まぁ、そういう存在かもしれないな。リーダーというか、気がつけばそういう存在になっていたのかもしれないけれど……」
「話を聞かせてはくれないかな。『グループ』という仕組みと……そしてこの子について興味が湧いているものでね」
アンバーの言葉に少女は首を傾げる。
「ふーん、まぁ、別に良いけれど。……おたく、どういう仕事?」
「新聞記者かな。……あー、全員がそうではないよ。新聞記者は一人で行動するのが常なのさ。彼らは取り巻きだね、俺の」
「取り巻き……ねぇ。まぁ、悪くはないかな。でも、そこまで言うなら……出すもん出してくれるよな?」
少女は手招きしながら、そう言った。
彼女が言っている言葉の意味――それは紛れもなく情報料のことを指していた。つまり、情報が欲しいのならそれなりのお金を払え、と言っているのだ。
「……成程ね。確かに言っていることは全然間違ってはいない。寧ろ、道理としては正しいことだろうね。……分かった、幾らなら良い?」
「金貨五枚」
少女が言った金額は、情報料としては破格の金額だ。情報料としての相場はユウト達には分からなかったが、アンバー達情報を扱う職業の人間からしてみれば、その相場は高く見積もっても金貨二枚相当だ。
相場を知らないユウトは、アンバーの反応を見て、その金額が不相応であるということを認識した。
「……嫌なら払わなくても良いんだぜ。その代わり、この話はここでお終いだ。いずれにせよ、アンタには選択肢はなさそうな気がするな。……だって情報が欲しいんだろう?」
少女の言葉はその通りだった。アンバーはアンナのことを、そしてグループのことを知りたい。しかしながら、グループのこともアンナのことも知りたければ情報料を払えということだ。
自然と言えば自然ではあるが、しかしながらそれをそのまま受け入れることも難しい。
「……分かった。払おうじゃないか。ここで『払いたくない』と言えば俺達の仕事を否定することになる」
そう言って財布から金貨五枚を取り出すと、少女に手渡した。
少女は仰々しく受け取ると、一枚ずつ丁寧に数えて、にししと笑みを浮かべる。
「はい、どうも。……いやぁ、まさか本当に払ってくれるなんてね」
「ちゃんと教えてくれるんだろうな。これで何も教えてくれない……なんて話は通らないぞ」
「あぁ、ちゃんと話してやるよ。……先ずは客人を案内しないとな。ようこそ、我が『グループ』へ。狭い家だが、お持て成しはしてやるよ」
そう言って少女は扉の奥へと入っていった。
少年を見ると、少しだけ不機嫌な表情を浮かべているようだったが、ユウトの視線に気がついた少年は少しだけ表情を元に戻す。
「俺は別に認めていねーからな! 姉ちゃんがオーケーと言ったから、仕方なく認めてやっているんだからな!」
最早彼の言葉は負け犬の遠吠え――別に負けてはいないのだが――にしか聞こえなかったが、ユウトは別にそれを指摘することなく、家の中に入っていくのだった。
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