12 貧民街


 家の中は意外と小綺麗に纏まっていた。真ん中にあるテーブルには、何人か向かって座っている。とはいえ、座っているのはテーブルにではなく、きちんと椅子に腰掛けていた。それぞれボロボロになってしまっているとはいえ、今まで見てきた椅子の中では比較的綺麗になっているものだと言えるだろう。

「狭い家だが、寛いでくれよ。今、お茶を持ってくるからさ」
「別に気にしないでくれ……とは言いたいところだが、喉が渇いたのは事実だな……」
「ははっ。身体は正直なもんだな。……まぁ、安心してくれ。ちゃんとしたものを出してやるからよ」

 そう言って奥の部屋へ消えていく少女。
 椅子に座っている何人かの少年少女は、事態を察したのか、それぞれ部屋の奥へと隠れてしまった。誰も居なくなったテーブルと椅子を見て、ユウト達は漸くそこに腰掛けることにした。
 ユウトは待っている間に、部屋の様子を眺めることにした。壁には色々な落書きが貼り付けられており、その大半はあのリーダー格の少女の似顔絵のようだった。絵のクオリティは高いものも低いものもあり、それぞれ味がある感じだ。
 壁に掛けられているのは、何もそれだけではない。空っぽになっている鞄も掛けられている。それが何に使うものなのかは、ユウトにはさっぱり理解出来なかった。

「……いやぁ、なかなか数が揃わなくてな。別に悪い味じゃないと思うぜ?」

 そう言って、少女が持ってきたのはアルミ缶に入ったお茶だった。上の世界では銅貨一枚もあれば購入することは出来る、非常に安っぽい代物ではあるのだが、貧民街ではそれを見かけることは非常に少ない、貴重品であった。

「……良いのか? ここじゃ貴重だろ、アルミ缶の飲料なんて……」
「良いって、良いって。別にその空き缶を売り払えば、一本分ぐらいにはなるんだ。だったら、お金にした方が良いってね。……あ、でもそれはちゃんとしたものだから安心しろよな」

 少女は縁が欠けているコップに水を注いでいるようだった。テーブルの一番奥にある椅子に腰掛けると、少女はそれぞれにアルミ缶を手渡した。

「……じゃあ、話を始めようか。で、何の用事でここに来たんだったかな」
「『グループ』のことと、アンナについて質問したい」
「グループ……ったって、別にアンタ達の面白いような話じゃねーよ。一人じゃ暮らしていけねーから、こうやって連んでいるだけの話。別にそれ以上でもそれ以下でもねーし。ただまぁ、一人で暮らしていたら難しいことも、複数人なら何とかなることもある。……結果として、こんな感じで暮らしているのもまた、グループのメリットなのかもしれねーな」
「グループの……メリット?」

 ユウトの言葉に、少女は首を傾げる。

「アンタ……ハンターだろ? ハンターはどれぐらい稼げるか分からねーけれど、少なくとも自立は出来るだろ。一人暮らしするにはどれぐらい稼げば良いのかも、こんな底辺層のアタシ達だって分かっていることだ。けれども、底辺層に居る人間は……上の世界の職業に就くことは出来ない。絶対に、成り上がることは出来ないんだ。何故か分かるか?」
「……管理者がそれを崩したくないから、か?」

 ユウトの言葉に、少女は頷く。

「半分正解だね。管理者はこの図式を崩したくないのさ。上の世界で必死に暮らしているのは、管理者に逆らったら貧民街に落ちるかもしれないから。そして、貧民街には実際に見せしめで落とされている人も居る。見ているととても可哀想に見えてくるよ。……まぁ、人を慰められるぐらい、こちらにも余裕がある訳じゃないんだがね」
「……反乱なんて、誰も起こせやしないからな」

 シェルターの図式は、意外とシンプルなものだ。シェルターの最上層には、管理者が存在していて、管理者は上の世界――地上部分を管理している。地上の人間は噂程度にしか知らない情報として、貧民街への左遷がちらついてくる。明文化はしていないものの、処罰の部分にそれが入ってくるのは暗黙の了解となっているのだから。
 そして、貧民街の人間は元々そこに住まわせている人間も含め、厳格な管理がされている。即ち、そこから抜け出して這い上がることは絶対に許されない。強いて言うならば、管理者との強いパイプがあれば不可能ではないだろうが、ほぼゼロに近いと言って過言はないだろう。

「……貧民街に生まれた時点で、未来への希望がない。そんな世界、どうかしていると思わねーか?」
「……それは」

 どうかしているとは、ユウトだって分かっていた。
 歪な世界であることは、歪んでいる世界であるということは、きっと多くの人間が認識していることだった。
 けれども、それを認識して声高に叫ぶことは誰も居ないだろう。何故ならそれをすることで、自分の生活が脅かされてしまうからだ。脅かされてしまったら、それは意味がない。とはいえ、安全圏から攻撃するのも性格が悪い。ただ、それが一番楽であることもまた事実だ。

「チャンスがない訳ではないはずだろう。……例えば、シェルターから独立した存在に向かえば、今とは違う可能性があるのではないかな」
「……どういうことだよ」

 少女は少しだけ顔を近づけて、言った。
 アンバーの言っている言葉の意味が理解出来なかったのと、そんなものが本当に存在するのかということについて、確認したかったのかもしれない。

「言ったまでのことだ。シェルターは世界に幾つあるか知っているかな? ……この第七シェルターを含めて、全部で十個。ただしそれは『ここみたいな』シェルターだけに限られる。中にはあるのだよ、ここが公営だとするならば、民間で運営している……いわば民営のシェルターが」
「……民営のシェルター、だって? そんな話、聞いたこともないぜ」

 少女は肩を竦めながら、或いはアンバーを馬鹿にしながら答える。

「それは俺も聞いたことがないぞ、本当にそんなものが存在するのか?」
「……遠方に向かったことのあるハンターなら、周知の事実のはずだ。この世界には幾つもの遺跡があるだろう? ラスベガス大森林がある第三シェルターだって、元は民営みたいなものだったけれど、あれとは話が違う。管理者は存在するが、シェルターを管理する組織とは外れた運営によって行われているシェルターがある。……そこの一つに、ワンス・セントラル学院というところがある」
「……あぁ、あのカルト宗教が運営している学園ね」

 アンバーの言葉にマナが相槌する。

「カルト宗教?」
「カルトかどうかは別として……、宗教はどの時代だって必要とはされているものだ。人間が救いを求める、一番簡単な手段が神頼みであるからね。別に神を馬鹿にするつもりはないけれど、それで少しは救われるのなら宗教があっても良いのかもしれない」
「そうなのかなぁ? 私は別に要らないと思うけれど。宗教って、祈っていればどうにかなるとか言うんでしょう?」
「……マナ、流石にそれは古い考えだ。宗教家に聞かれたらどうなるか分かったものじゃない」

 アンバーの深い溜息に続いて、彼はそう言い放った。

「あら、違うの? でも、ワンス・セントラル学院は宗教団体が運営していたわよね?」
「ワンス・セントラル学院は、『平和と平等』を第一に掲げているからな……。カリスマ委員長が居るために、彼女が学院を統一しているとも聞いたことがある」
「……何処でもカリスマというのは居るんだな。一般人が生活出来る隙がないというか」
「一般人だらけだったら、この文明はとっくに崩壊しているだろうさ。……一部の優秀な存在が居たからこそ、この文明は成り立っているのだから」
「――で、その民営のシェルターにある学院と……アタシにどういう関係があるんだよ?」

 少女の言葉を聞いて、アンバーは咳払いを一つする。

「そうだったな……、ついつい話が脱線してしまう。悪い癖だ。しかし、これは関係性がある。君はここでずっと暮らしていくつもりか?」

 アンバーの言葉に、少女はたじろぐ。

「何だよいきなり……。住むに決まっているだろ。そもそも、どうやってここから脱出すりゃ良いんだよ。アタシだけならまだしも、ここにはグループの仲間が居るんだぜ。そこを見捨てる訳には――」
「見捨てろとは誰も言っていない。問題は、脱出したいか、したくないか? ということだ。……さぁ、どうする?」

 少女は一度俯く。どうすれば良いのかを、ひたすらに考えているようだった。しかし、考えたところでその結論が揺らぎそうにはない。

「……なぁ」
「うん?」
「仮にそれを選んだとして……、アタシはそこに向かうことが出来るという保証は? そして、グループの仲間が暮らしていける保証はあるのかよ」
「あるだろうねぇ。何せそこは『自由都市』を標榜しているから。……来る者拒まず、というのを本当は書きたいのだろうけれど、そうもいかない。何故なら今の身分に満足していない人間があっという間に押し寄せてしまうからだ。シェルターの土地は有限だ。よって、そこに行くことが出来る人間も有限だと言えるだろう。その人間の数は未だ限界にまで至っていないが、一応学院関係者にのみ限っている。つまり、言っている意味が分かるかな?」
「……学院に入学さえすれば、グループの仲間の暮らしも保証される――ってことか?」

 少女の言葉にアンバーは頷く。

「ご明察。なかなか頭が良いじゃないか。さっきから思っていたんだよね。君、結構頭が良いのではないかな? ……そういや、名前を聞いていなかったな」
「……ティア。ティアだ」
「そうか、良い名前だ」
 ティアの名前を聞いて、アンバーは再び頷いた。
「ティア。さっきからここを見させてもらったけれど……、どうやら読み書きが出来るのは君だけだな?」
「何故、それを――」
「テーブルの上に置かれている新聞だ。……古新聞ではあるが、そこには文字が書かれている。丸で囲っていたり、線を引いている箇所もあるから、つまり文章を理解している……ということになる。では、その人間は誰になるのか、ということだが……、それはここに飾られている絵からヒントを得たよ」
「絵?」
「絵には名前が書かれていないだろう? つまり、絵を描くことは出来ても、自分の名前を書くことは出来ない。そして、新聞の丸をつけている内容は……正直言って、今ティア以外の人間が興味を引くものとは到底考えづらい。……最後は若干強引ではあるが、こうやって結論づけた。違うなら違うと言ってくれて構わないよ」
「……いや、正解だよ。流石だね、新聞記者を辞めて探偵にでもなれば良いんじゃないか?」

 ティアの称賛に、アンバーは首を横に振る。

「新聞記者という仕事柄、推理することが多くてね……。こればっかりは致し方ないんだよ。で、これについては考えておいた方が良いと思うがね。別に、今結論を出さなくても良い。こっちも準備をしておこうと思うし……」
「……グループのことを、そこまで考えてくれているのか? アンタは……上の人間のくせに、こっちに結構親身になってくれるんだな」
「結構な回数ここに来ていてね。無論、全て仕事ではあるのだけれど……。あそこの長老にはお世話になっているんだよ。そして、ここの酷さは十分味わっている。味わっているからこそ、変えたいと思っているからこそ、自分の非力さを嘆くことさえある。だが、これについては……残念ながら、変えることは不可能なんだ。たった一人が声を上げたとて、意味はないんだ」
  


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