12 貧民街


「意味がない……か。そりゃあ、その通りだろうさ。けれども、それを何とか世論を焚き付けていく役目なのが、新聞記者の役目じゃないのかね?」
「そんな役目なのは、旧文明の話だよ。今は、世論よりも管理者が大事だという判断が非常に重い。よって、世論のためよりも管理者の機嫌を損ねないようにする記事を執筆しなくてはならない。……面倒臭い世の中ではあるが、致し方ないことではある。一人の力は、あまりにも弱いんだよ」
「……そう言われたら、アタシは何も言えないな」

 ティアは首を横に振って、水を一口呷る。

「グループについては、疑問を解消してくれたかな?」

 ティアの確認に、アンバーは頷いた。

「グループの問題は、色々とあるようだね。それについては、記事に出来るかどうかを吟味しておくとしよう。そして、指摘出来るようなら指摘する。それが出来るであるならば、の話ではあるが」
「……あんまり新聞を見ないから申し訳ないんだけれど、貧民街の記事って書けるのか?」
「セブンス新聞社は何も新聞だけ出している訳ではないのでね。ゴシップ誌も出しているのさ。新聞と比べたら敷居は下がるけれど、その分ファンタジーな記事も書けるって訳だ。尤も、この記事も上の世界で起きていることだと勝手に書き換えてしまうけれどな」
「……それってオーケーなのか?」
「逆に考えろ。貧民街の状況をそのまま書くのは悪いことではないが、管理者に見つかったらお終いだ。それを新聞記事で堂々と発表するのか? 最低限のオブラートも必要って訳だよ。そうしないと、色々面倒だ。俺の首が吹っ飛ぶ、物理的にな」
「……新聞記者も大変だね。こっちにゃそういうものがないから、古新聞ぐらいでしか見る機会がないけれど。そもそも文字を読める人間も少ないしな」

 シェルターの識字率の問題は、そのシェルターごとに大きく異なる。第一シェルターは管理本部があるためか高い識字率を誇っており、そこに追随する形で第七シェルターの識字率は高い数値をキープしている。概ね八十パーセント以上が、管理者が公表する数値だ。
 しかし、それは貧民街を除外した数値である。貧民街に住んでいる人間は、元々住んでいる人間に至っては文字を勉強する時間があまりにも惜しい。何らかの事情で貧民街にやって来た人間は、上の世界では地位がそれなりに高いこともあるためか識字率は高いために、識字率の差が生じている。文字を理解出来れば、貧民街でも頭脳労働に就くことが出来るために、文字を勉強した方が圧倒的にメリットが大きいのは、誰もが知っていることではない。

「闇を暴く仕事なんて言われることもあるが、そんなのはもう古い。とはいえ、権力者に尻尾を振るのもつまらない。だからこうやって活動している訳だ……、何とか上手く立ち回っているが、死なないことを祈るしかないね」
「縁起でもない。……取り敢えず、何処の世界も大変だってことだね。それでも、ここよりは楽だと思うけれど。ここ、扉が閉まっているから良いけれど、上の世界の出入口よりも消毒が簡単になっているからな。外に出るにもマスクがないといけないけれど、そんなものは高級品だし……」
「でも、どうしても外に出ないといけない時はあるんじゃないか? 他の出入口はないという認識だったけれど」
「……それだったら、簡単だよ。貧民街から上の世界へは色々と地下道が繋がっているんだ。だから、そこを通れば色んなところへ行きたい放題さ。……まぁ、そこへ行くための服がないけれどね。大方、ゴミ捨て場から金になりそうなものを漁ることぐらいしか使っていないけれど」

 つまり、貧民街の人間は自由に上の世界へ行き来することが出来る――ティアはそれを言っていた。
 しかし、そうなると問題が浮上する――殺人鬼『ファントム』に該当する容疑者の数が莫大な数になってしまう、ということだ。

「……どうした? 顔色が悪いようだが。もしかして、何か不味いことでも言ってしまったか」

 ティアの言葉に、アンバーはここにやって来た理由について、顛末を語り出す。
 昨今、上の世界では『ファントム』と呼ばれる通り魔が出没しており、何人も被害者が出ているということ。
 事件現場の傍にある隠し階段を通ったら、貧民街に到達したこと。
 長老に話をして、捜査することを認めてもらったこと。

「……ふん、成程ね。つまりアタシ達貧民街の人間は、差し詰め殺人鬼の容疑者って訳だ」
「……済まない。騙すつもりはなかったのだが」

 アンバーが謝罪すると、ティアは首を横に振る。

「いいや、別に。……寧ろ、慣れちまっているよ。こうやって人に駄目なレッテルを貼られているのはさ……。本当は、やり返したいつもりもあるんだけれど、やり返したら同じところに落ちちゃうような感じがするだろ。だからあんまり言いたくないんだよ」
「……そうか。その性格は大事にした方が良いだろうな」

 アンバーも言っている通りだ――ユウトはそう思った。
 上の世界では、正直に生きている人間程馬鹿を見ることが多い。騙すのも生きる上では大事なことだ、と考える人も居るのかもしれないが、しかしながら、それをそう思ったところで案外意味がなかったりする。結局のところ、人を見る能力が高ければ高い程、そして場数を踏んでいる人間であればある程、生きていくことが容易になっていく。

「……あなたは、優しいですね」

 そして、それはルサルカも思っていることだったようだ。ルサルカがぽつりと呟いたその言葉は、アンバーもユウトもマナも思っていることだったが、しかし誰も声に出すことはなかった。
 
「優しい? アタシが?」

 ティアは満更でもないような表情を浮かべているが、しかしながら未だそれを理解していない節がある。
 実際のところ、優しい性格であるということは――それ即ち、人に騙されやすい性格であることとも言えるからだ。場数を踏んでいればそうならない可能性は高まるとはいえ、それでも騙されやすいのには変わりない。騙そうとしている人も、誰を騙せば良いかを見極めている訳で、それを理解していれば自分が騙されやすいかどうかを把握することが出来る。

「……だからこそ、君は上で暮らしていくとしたらそれなりに大変なことになるだろうな。考えたことはないかな? 上の世界というのは、ここよりも綺麗かもしれないが……、しかし内側を見ると、それよりも酷い光景が広がっていることが多い。そういうものだよ、世界というのは」
「……かなり場数を踏んでいるような気がするけれど、やっぱりそれは新聞記者だから?」
「どうだかね」

 アンバーはお茶を飲み干した。未だ確認しなければならないことは多かったはずだし、缶飲料のお茶も未だ残っているかどうかも定かではない。にもかかわらず、飲みきってしまうのは多少誤算の可能性があると捨てきれない。

「……グループについての問題は、きっとそこにある。グループは共助を謳った組織としては、優秀な地位にあると見ても良い。けれども、それを受け入れるのはなかなか難しい。何故なら、上の人間は、そういう人間を下に見る傾向にある。人々の価値観を変えない限りは、難しいだろうな」

 アンバーの言葉に、ティアは顔を真っ青にする。

「……だったら、どうすりゃ良いんだよ? アタシ達は一生ここで暮らしていけ、と?」
「だから、選択肢はあると言っただろう。今後、ここで暮らし続けるか、それとも一発逆転を狙ってワンス・セントラル学院に入学願いを出すか」

 アンバーはメモを取り出すと、何かを書き連ねていった。

「もし、どうしても入学したいのなら、ここに電話すると良い。俺の個人に直接繋がる電話番号だ。一応、ここなら問題ないはずだ。……本当は直接話をした方が良いのかもしれないが、こう何度もここにやって来る訳にはいかないからな」
「アンバー、アンタそんなところにコネがあるの?」
「ないと思っていたのか? あるよ、なかったら話題に出すこともしない。変に希望だけ与えるのも駄目なことだしな」
「そうか。……有難い。だが、懸念はある」
「何だ?」
「ここを離れることは……やはりなるべく考えたくない、というところだ。アタシ達はここを故郷だと思っている。長老に、市場の人に、近所の人……皆が皆、知り合いでありそれ以上の立場にあると認識している。であるならば、そう簡単にここを出るという選択を導くことは出来ない」

 ティアは真っ直ぐこちらを見つめていた。
 ティアとしてみれば、今まで自分達を育ててくれた故郷に対し、恩を仇で返すようなことにならないだろうか――そう懸念を示している訳だ。

「……言いたいことは分かる。離れたくない気持ちも、裏切ってしまうのではないかという疑念も。けれども、未来を見据えて考えていけば……やはり新たな道に進むのも悪くないことではないかな」

 アンバーの言葉に、ティアは何も言えなかった。

「……ま、別に無理強いするつもりはない。何かあったら、連絡してくれれば良い。それと……もう一つなんだが、」

 アンバーはアンナが他の子供と遊んでいるのを確認してから、少し声のトーンを落として話した。

「……彼女、見えない友達を持っているようだが?」
「それのことか。アタシだって気にはしている。けれど、クスリはやっていねーよ。それだけははっきりと言える。何故なら管理をしているからね……管理という程、大それたことをやっている訳じゃないけれどさ。でも、これだけは言える。……確かに貧民街は上と比べたら治安が悪いかもしれねー。けれど、子供が購入出来るぐらいクスリの値段も落ちぶれちゃいない。あれは、金持ちの遊びだ」
「金持ちの遊び……ねぇ。言い得て妙だ。では、彼女は普通に過ごしていて、ああいう態度を取っていると?」
「新聞記者サンなら知っているんじゃないかい? 空想の友達って奴をさ……。アタシは学もないから詳しいことを知らないけれど、多少は何か詳しいことを知っているんじゃないかな」
「……イマジナリーフレンド、という奴だな。確かに聞いたことはあるが……、でもそれはこんな状況では見られなかったはず。孤独を抱えている人間や精神的に問題があると起きるなどと聞いたことはあったが――」
「――じゃあ、それだったりするんじゃないかね?」

 ティアの言葉は、何処か核心を突いたような、そんな言葉にも聞き取れた。
 しかし、これ以上の話を掘り起こすことは出来ない――アンバーはそう判断したのか、早々に話を切り上げる。

「……分かった。それじゃあ、この話はなしだ。取り敢えず良い話を聞けて良かったよ、どうも有難う」

 そう言って、席を立つ。いきなりの行動に理解出来なかったユウト達だったが、アンバーの行動を真似て立ち上がり、そのままグループの家を後にするのだった。




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