14 新たな殺人


 殺人現場は凄惨そのものだった。顔こそは綺麗なものだったとはいえ、壁にはべっとりと赤い血が塗りたくられている。最初からその壁が赤かったのではないか、そう推察出来てしまうぐらいだった。遺体の女性の顔は、少しだけ安らかに眠っているように見えたが、多少それが救いのようにも感じられた。

「……しかし、酷いものだな。これで何人目だったか?」
「十人は優に超えているかと。……それにしても、酷い惨状ですね。どうすればこのような殺人を犯せるんでしょうね」

 既に現場検証に入っていた警察官がぽつりと呟いた。

「さぁね、それは俺にも分からんよ。……実際、それが分かるのは、犯人だけだろうしな」

 ハンスは呟きながらも、事件現場を調べ始める。
 とはいえ、既に調べ終えているのが大半であり――ハンスが見ているのは、それの確認に過ぎない。そして、その確認もあくまで確認に過ぎず、大抵は既に調べ終えている結果を待つばかりに過ぎないのだが――。

「……まぁ、相変わらず、だな。ファントムは何一つ証拠を残しちゃいない。まさに幻影の名前に相応しい殺人犯だ。しかし、ハンターはこれを知っているんだよな?」
「どうだろうねぇ……、ここにさっきまでファントムのことを知らなかったハンターだって居たし、まだまだ知名度は低いのかもしれませんよ?」
「それって俺のことか……」

 マナの告げ口に溜息を吐くユウト。

「あなた以外誰が居るのよ。……それに、あまり知識をつけないのもどうかと思うけれどね。幾ら何でもハンターだけじゃ暮らしていけないし、シェルターの中でどうやって暮らしていくつもり? まさか永遠にあの『アネモネ』から独立しない、なんてことでもないでしょうに」
「脱出出来るかどうかも危ういよな……。もしかしたらマスターは独立を促そうと思っているのかもしれないけれど、そうも行かないだろ? やっぱり稼いでおかないといけないし、いつまで稼げるかも分からないけれど、貯蓄出来るぐらい余裕のある生活をするためには、それなりにリスクを伴う訳だし」
「言い得て妙だな。否定するつもりもないし、肯定するつもりもない。我々警察官だって、日々リスクと隣り合わせであるのであって……、だから高給取りと言われても仕方ない一面はある。実際、我々にも批判は来ているからな。暇つぶししているなら警察官を辞めちまえ、と」
「……警察官って、有事の際に活躍するんじゃないんですか?」

 ユウトの問いに、ハンスは頷く。

「そう思ってくれている市民が居るなら良いんだけれどよ、全員が全員そういう観点で物事を考えている訳でもねーしな。警察官はそういう人たちへのガス抜きも必要って訳よ。仕事というかどうかは疑問ではあるが、これをしなければ仕事に支障が出るのも事実だ。だから、遣らざるを得ないというか――」
「――でも、楽しそうですよね、ハンスさんは。……ほら、ユウト達もさっき見たでしょう? 市場の人たちとの談笑を」

 ユウトは頷く。先程市場で出会った人は、ハンスのことを警察官だと認識して、それでいて色々と物をあげようとしていた。もし警察官を憎んでいる人ならばそんなこと出来る訳もなく、寧ろ逆に被害を受けそうだったからだ。
 しかしハンスはそれを悪びれる様子もなく――どちらかといえばいつものことだ、という感じに留めていて――苦笑する。

「あんまり見られたくもないんだがな。ほら、陰の努力というのは気づかれたくないものだろう?」
「そういうものかな……。まぁ、警察官は批判も多いし、それぐらいはちゃんと頑張らないといけないのかな。面倒臭いものだな、何というか」

 ユウトの言葉に、ハンスは頷く。

「分かってもらえて何よりだね。やはり、そうやって理解してもらえないと、大変なものだ」
「……警部、一先ずこれから調査に行こうと思います。警部も調査を?」
「あぁ、まぁ、そうだな……。取り敢えず市場の人間に当たってみることとするよ。こっちには人手があるからな」

 そう言ってユウト達を一瞥するハンス。警察官はそれを見て合わせてユウト達を眺めているが、特に違和感を抱くこともなく、敬礼をして何処かへ消えていった。

「……さて、我々だがどうするかね?」
「えっ? ハンスさんがああ言うから、てっきり何か案でもあるのかと思っていましたけれど」

 ハンスがいきなりそう言うので、マナは耳を疑いながら聞き返した。
 ハンスは溜息を吐いた後、語り始める。

「そうは言うけれどよ、ファントムの手がかりなんてどう掴めば良い? 手がかりなんて雲を掴むような話だ。だったら、人々に不安を与えないようにしていけば良いとは思わねーか? ……まぁ、そんな発言は、はっきり言って警察失格だけれどよ」
「警察失格かどうかは別として……、少なくともハンスさんは警察官としてちゃんと仕事をしているんじゃない? 人を上手く使うのも上司の仕事だし」
「そうかぁ?」

 ハンスは何処か照れくさそうな表情を浮かべて、声を張り上げる。

「よしっ、そうと決まれば先ずは聞き込みと洒落込もうとするか。……来るか、お前達も?」
「何のために呼んだの?」

 マナの言葉にハンスは答えることもなく、そのままストリートを歩いて行くのだった。


 ◇◇◇


「……当然と言えば当然だが、全く分からなかったな」

 数時間後、ハンスは深い溜息を吐いてベンチに腰掛けていた。
 ユウトは市場で購入したジュースを飲みながら、ハンスに話しかける。

「言っても、探している様子は全く見えなかったけれどな……。市場のおばちゃんとずっと談笑しているような気がしたけれど、本当に情報収集していたのか?」
「何だ、お前。見ていて分からなかったのか? ……とは言いたいところだが、残念ながらその通りだよ。ただ、別に遊んでいる訳じゃない。人間というのはな、不安を感じると色々変な行動を起こすようになるんだよ。だから、人間の不安を取り除いてやるのも大事だって訳だ。……分かるか?」
「……それって、自分が成果を出せなかったことを正当化したいだけじゃないのか?」

 ユウトの言葉に、ハンスは肩を竦める。

「厳しいなぁ。……おい、マナ、お前からも何か言ってくれないか。俺は遊んでいないぞ、ということを言ってくれよ」
「そうだよ、ユウト。ハンスさんはちゃんと仕事しているんだよ。傍から見たら遊んでいるように見えるかもしれないけれどさ」
「……おい。それ意味あるのかないのか分かんねーぞ」
「意味はありますよ、多分」

 マナはどっちつかずの答えしかしなかった。
 市場の何処かで購入したジュースをストローで啜りながら、

「でも、ヒントがないのは困っているんじゃないですか?」
「……その言い方だと、ヒントを持っているみたいなニュアンスにも聞こえるが?」
「ヒントを持っているというか……うふふ、それは情報屋なんですからね。こっちも商売と行きましょうか」
「おいおい。まさか、警察に情報を売ろうっていうのか? しかも無料じゃなくて有料で」
「当然じゃないですか。……警察だろうと商売はしますよ。例えそれが知り合いであってもね。それぐらい面の皮が厚くないと、情報屋なんて商売は成り立ちませんから」

 深く、深く溜息を吐いたハンスはポケットから金貨を一枚手に取ると、それをマナの方へ弾き飛ばした。

「何これ?」
「……まさか金貨一枚でも足りないと言うか? 勘弁してくれよ、警察だって懐事情が寂しいんだ。これでも俺のポケットマネーを必死にやりくりしているんだから、少しは勘弁してくれ」
「警察官って経費で落とすこと出来ないのか? ……何だかそれはそれで世知辛いような」
「出来る訳がないだろう。幾ら警察官が管理者に近い存在だろうとしてもな。……給与体系は流石に若干高いらしいけれどな、何処まで本当かは知らねえが。ただ、なろうと思ってもなれねーからな……」
「そうなのか? だとしたら、ハンスさんはどうやって警察官に?」
「そりゃあ、お前さん……。警察官になりたいと思ったからに決まっているだろう。誰だって、なりたくなくて警察官にならない人は居やしねえよ」

 なるべくしてなった、というのは俺から言わせてみれば間違いだ――ハンスはこうも言った。

「まぁ、話すと長くなるんだがな……。だから、出来ることならそれはあまり話すべきではないんだろうけれどよ。……それとも、今から話を聞きたいか?」
「いや、遠慮しておくよ」

 ユウトの即答を聞いて、ハンスは思わずずっこけた。

「いや、幾ら聞きたくないからってもう少し粘るだろう、普通は……」
「そんなに話したくないのなら、別に話さなくても良いんじゃないか? ただ、そのアシストをしただけに過ぎない」
「アシスト、ねぇ……。ったく、最近の若者は、可愛くねえな」

 ハンスは立ち上がると、とぼとぼと歩き始めた。

「ハンスさん、何処へ?」
「……あんまり情報屋の人間は会わない方が良いんじゃないか?」
「どうして? ……あぁ、もしかしてそういうこと」

 マナは会話の途中でハンスが何処へ向かおうとしているのかを理解したようだった。
 しかしユウトやルサルカは未だその結論を理解していないようで、マナに訊ねることしか出来なかった。

「マナ。ハンスさんは何処へ向かおうとしているんだ?」
「……情報屋って、どれぐらいの人数が居ると思う?」

 マナは質問を質問で返したので、ユウトは少しだけたじろいでしまった。
 しかし、質問についてはきちんと答えなくてはならない――そう思ったユウトは少し頭の中で考えることにした。

「……うーん、やっぱり何人かは居るんじゃないか? 流石にマナ一人って訳でもないだろうし」
「出来ればそうでありたいけれど、そうもいかないのが現実ね。……きっとハンスさんはこれから情報屋に情報をもらいに行くんだと思う。行きつけの情報屋ぐらい、警察官は居るでしょうしね」
「……ついて行ってみるか?」
「まさか。ついて行かないという選択肢があるとでも?」

 ユウトはそれを聞いて少しだけ安心した。
 そうして、ユウト達はそのままハンスの歩く後をついて行くのだった。




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