14 新たな殺人


 市場の前には、ハンスが立っていた。茶色いボトルに入っている液体を飲みながら待っているその姿は、ボロボロのロングコートの姿も相まって何処か浮浪者のように見える。

「ハンスさん、そのコートそろそろ買い換えた方が良いんじゃないの? 別に稼いでいない訳でもないんだろうし」
「開口一番何を言い出すかと思いきや文句か。……良いじゃねえか、別に。俺はこのコートお気に入りなんだ。それにこれは良いんだよ、結構使い勝手が良くてよ」
「……いや、見た目的な問題が一番だと思いますけれどね? ハンスさん、一応警部なんでしょ。だったらもっと見窄らしくない格好にすれば良いというか……」
「そりゃあ駄目だな。俺はそういう格式張ったものは嫌いなんだ」

 警察官を全否定したようなコメントをしたハンスだったが、持っていた小瓶をコートのポケットに仕舞うと、ふらふらと歩き始めた。
 その風貌はどう転んでも警察官には見えやしない。けれども、ハンスの見た目はそれで正解なのかもしれない。
 警察官と言えば傲慢な態度を取るのが殆どだと言われている。何故なら彼らは公僕として知られていて、数々の権力を振るって、人々へ横柄な態度を取っている人間が多い――人々は少なくとも警察官に対して良い印象を抱いていない。それは、彼らが行ってきた数々の小さな積み重ねによるもので、今更それを謝罪したところで、オセロのように挟めばひっくり返るみたいなことは起きやしない。

「……毎回思うが、あの警察官はちょっとどうかしているんじゃないのか?」

 アンバーは小声でマナに問いかける。
 アンバーは新聞記者だ。ということは、警察官にもコネクションは持っている。そんな警察官のデータベースからアンバーは考えるに、ハンスみたいな警察官は見たことがない――という結論に至ってしまう。
 そもそも警察官は、小汚いことが有り得ない。見た目は綺麗にしていて、そしてプライドが高く、いつもこちらを値踏みするように下に見ている――アンバーの持つ警察官のイメージは、そういうものだった。
 しかしながら、ハンスはどうだろうか?

「やぁ、ハンスさん! うちの焼きそば、買っていってよ! 今日は美味しく出来上がったんだぜ! ハンスさんならオマケにうちで手に入ったチョコレートもあげるよ!」
「いやぁ、俺甘いの嫌いって知っているよなぁ? 甘いのは嫌いなんだよぉ、甘ったるいというか、何というか……。チョコレートを良く貰うことはあるし、貴重品であることは重々承知しているんだけれどよぉ」
「まぁまぁ、そう言わずに! 美味しいからさぁ!」

 ……とまぁ、そんな感じでチョコレートと焼きそばの入った袋を渡されてしまった。

「ハンスさん、相変わらずですね」
「要らないって言っているんだけれどなぁ……。まぁ、あそこの店主は一度助けてやったお礼をしてやりたいと思っているんだろうよ。とはいえ、もう何度もこうやってお礼を貰っているつもりなんだがな……」

 袋を持ち上げながら、少しだけ顔を顰めるハンス。

「どうしたの、ハンスさん?」
「これ、焼きそばが出来立てだろ。そしてその上にそのままチョコレートが乗せられている訳だ。……つまり、チョコレートをどかさねえとあっという間に溶けちまうじゃねえか!」

 そう言うと、チョコレートを取り出して中身を確認する。チョコレートは銀色の紙に包まれていて、それを見た限りでは中からチョコレートが染み出している様子はない。しかしながら、触っただけでも分かるぐらい、チョコレートは柔らかくなっていた。

「げぇっ。予想通りだぜ……、相変わらず行動力の化身だよ、あの店主は。チョコレートと焼きそばを一緒に放置したらどうなるかなんて、簡単に分かりそうなものなのによ」
「甘いものが嫌いなら、貰っても良い?」

 マナはハンスからチョコレートを奪い取るように手に取ると、そのまま銀紙を剥がしてチョコレートを口の中に放り込んだ。

「もぐもぐ……、おっ、これアーモンドが入っているじゃない。ってことはかなり高級品よ。チョコレート自体食べられることは珍しいし、私達市民が食べられるようなチョコレートは色々と混ざっているから、本物って感じがしないけれど、これはカカオの香りがするし」
「確かハンター協会のカフェテリアでは本物を出していると聞いたことがあるが、何処まで本当なのかな」

 ユウトの問いにマナは答える。

「そりゃあ、正解ね。ハンター協会は上とのコネクションがあるし、ハンターのモチベーションアップを目的に、『本物』を安く提供している……なんて聞いたことがあるし、実際あそこのメニューは美味しいでしょう? 私は情報屋だから本来はあそこで食べることは出来なかったりするんだけれど、一応ライセンス登録はしているし」
「……そういや、マナもハンターライセンスは所持しているんだっけな。でも、外に出たことはないんだろ?」
「出なくても良いような仕事をしている訳だしね。……ハンターの方が手っ取り早く稼げるのは分かっているけれど、私みたいな人間が稼ぐにはこれしか道がなかった、ってだけの話よ。別に、変な話でも何でもないと思うけれどね。ハンターに向いている人間はハンターになれば良いだけの話で、情報屋に向いている人間は情報屋になれば良いだけのこと……、ただそれだけのことなんだから」
「言い得て妙、だなぁ……。いずれにせよ、俺はそこまで考えたことはないね。ハンターというのは自由な仕事だ。自分の思う通りに仕事をして稼ぐことが出来る。だからそれに憧れて始める人間も数え切れないぐらい多いのかもしれねえが……、しかしながら、それには責任も伴ってくる。自由には責任が付き物だからな」

 ハンスの言っていることはごもっともだ――ユウトはそう考えていた。
 ハンターになろうとハンターライセンスを取得する大半の人間は、最初の任務で頓挫すると言われている。
 それはハンターの仕事の苦労を理解したのが半分と、もう半分は――生への渇望だった。
 ミュータントは遺跡にしか現れない。従って、シェルターで生活の全てを補えてしまう環境に居た人間は、ミュータントの存在を知識でしか得ていないことになる。
 しかしながら、ミュータントは現実に存在し――遺跡では人間を目の敵にして襲い掛かってくるのだ。その際、戦闘技術がそのハンターに備わっているかと言われれば、答えはノーと言い切れるだろう。尤も、ハンターになる前にそれなりに戦闘技術があればまた違ってくるのだろうが。

「ハンターって、ハイリスクハイリターンな仕事の代名詞だからねぇ……。リスクは高いのもある、だって常に死が付き纏っているんですもの。けれども、リスクが高ければ高い程、より高報酬……つまりリターンが高い仕事にありつける、って訳よね」
「まぁ、大体はそんな感じだが……。でも、それを訴えてもハンターで一発逆転を狙う人間は少なくないんだぜ? 先行投資をしないで、必要最低限の装備だけで遺跡に行って、そしてミュータントに殺される……。そんなハンターは数え切れないぐらい存在する」
「ハンターの世界も難しい世界、ってこったな」

 ハンスの言葉も言うとおりだった。けれども、それをユウト達ハンターは当然のことだというのもまた理解していた。
 理解していたが、それを伝えることもまた難しい。実際、ハンターになる人間が多くなってきているが、全員が全員そのデメリットを理解しているかどうかはまた別だ。

「殺人現場はここを曲がった裏通りだ」

 ハンスが立ち止まると、細い通りの向こうを指さした。通りの向こうは誰も歩いていないようだった。それに、警察官が道を塞いでいる。既に誰も入らないように対策を講じているらしい。

「写真はまた撮影させてくれるのか?」
「構わないが、多少は節度を持ってもらえると助かるがね。……新聞記者でも、それぐらいの節度は持っているはずだろう? 幾ら記事を書くのが仕事とはいえ、自分中心な生活を送っている訳でもあるまい」
「そりゃあ、ご尤も。でも、安心して下さいよ。一応、セブンス新聞社はお上の検閲を受けて発行していますからね。それぐらいは問題ありませんから」
「それはそれで問題なんじゃ……?」

 市民の代行者たる存在であるマスメディアが、管理者の検閲を受けているなどと知られたらどうなるのだろうか。
 確実に売上は下がるだろうし、市民に寄り添っているなどと言っているマスメディアが嘘を言っていることになってしまうだろう。

「……難しそうな話をしていますね、皆さんは」

 ルサルカはたいそう眠そうな顔をしていた。殺人事件の現場に行くのは未だ興味があったものの、そこからの話が長かったのとほぼ脱線していたこともあって、ルサルカの興味は大分薄れていた様子だった。
 ルサルカの表情を見ながら、ユウトは深々と溜息を吐く。

「ル……ルカ、そういうのはなるべく表に出さない方が良いと思うぜ? 何でも表情に出していたら、相手の思うつぼだ。少しは学んでおいた方が良いと思うかな」
「……馬鹿にしましたね、ユウト。私だって、少しは表情を表に出さない時だってあります」
「そうか。なら、良いんだけれどね。……ルカは結構発言を信じていそうな気がするからな。困っていたら金貨十枚の壺とか買っちゃいそうだし」
「そもそも、そんな資金簡単に調達出来るかどうかも危ういんじゃねえか? 市民が金貨十枚を集めるにゃ結構な時間と労力がかかる。ハンターなら一攫千金が狙えるかもしれないが、そうもいかんだろうよ」
「あー……、まあ、ルカはハンターなんですよ。こう見えても」
「うん。私、ハンターです。こないだなったばっかりですけれど」

 ハンスはそれを聞いて頭を掻くと、

「そうだったか。それなら、済まないな。間違ったことを言っちまったようだ。……取り敢えず、今は現場に向かわねえとな。それが仕事な訳だから、こればっかりはさっさとやっちまわねえと」
「……本当に警察官なんですよね……?」
「おう。本当はさっさと隠居したいが、人手不足だからか未だに最前線に繰り出される老兵だがね」
「そんなこと初めて聞きましたよ? それに、それは警察もあんまり望んでいないかと思うけれどなぁ。……だって、市民に密着している警察官なんて、ハンスさんぐらいしか居ないよ?」
「褒めているということで良いんだよな?」

 そんなことを話しながら、ハンス率いる一行は漸く殺人現場へと到着するのだった。
 



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