第二章6
「わたしの名前は高浜っていうんだ。まあ、覚えても覚えなくても良いけれど……」
ロイヤルミルクティーを一口啜って、そう言った。
しかしまあ、随分と自己肯定感の低い人間だな――と思った。普通自己紹介で自分の名前を覚えなくて良い、なんて言う人間は居るだろうか? 少なくとも、周囲にそんな人間は居なかった。
「ドッペルゲンガーとは、どういう存在なんだ?」
高浜の言葉を聞いたのち、ぼくは早速本題に切り込んだ。
「一応は幻覚の一種として言われているけれど……、或いは死やそれに近しい災害の直前に現れるとも言われているよね。いずれにせよ特徴として挙げられているのは、ドッペルゲンガーと本人が邂逅したら死に至るという事実」
「同じ場に二人居るのは駄目ってことか?」
「駄目というか、そういうメカニズムは当然解明されていないから、あくまでも仮説に過ぎないのだけれど……、その仮説は面白い解釈ではあると思うのよ。ほら、タイムパラドックスって知っているでしょう?」
存在するはずのない物が存在したり、一つしかないはずの物が複数存在したりすることか。前者に至ってはそれがオーパーツと呼ばれて、様々な波紋を呼んでいることもあったけれど、大抵は捏造になっている。夢がないと言えばそれまでだけれど、案外そういうもんだ。
「タイムパラドックスというのには、現在の自分以外にもう一人の自分が出会ってはいけない――そんな説が存在する。SF小説から果てはドラえもんまで載っているようなその説は、ドッペルゲンガーとの邂逅が危険な理由の裏付けにもなっていると言える訳」
「でも、ドッペルゲンガーもタイムパラドックスも、あくまで人間の考えによるものだろう? 経験した人間が居るとも限らないし……。ドッペルゲンガーは結構見ている人間は居たとしても、タイムパラドックスについてはタイムマシンがないんだから確実に妄想の範疇だしな」
意外とドッペルゲンガーの報告例はある。リンカーンや芥川龍之介などがその有名な例だ。中でもフランス人の誰かには、同時に何十人にもドッペルゲンガーが目撃されたというのだから驚きだ。
目撃者が一人二人とかなら幻覚説も実証出来よう。しかし、何十人にも目撃されたのならその説は音を立てて崩れ去る。だったら何か他の説はないかとは思うけれど、それはやはり集団幻覚だったのではないかと否定する人間が居るのもまた事実だ。
「生霊の一種とも言われているからね、ドッペルゲンガーというのは。つまり、それぐらいにエネルギーが有り余っていたのかもしれないよ? 本当かどうかは置いといて」
いや、どうだか。
「……で、どうして君はドッペルゲンガーについて興味が湧いているのかな? あと、ついでに持っていたもう一冊は……確か警察官僚出身者が書いた犯罪心理学の本じゃなかったっけ? そういう論文でも書くつもりかい」
まさか。
ぼくがそんな頭が良く見えるようなテーマの論文を書くとでも?
「レディ・ジャックって聞いたことがあるだろ」
ぼくはそう言って、レディ・ジャックとドッペルゲンガーについての関連性を調べていると伝えた。
流石に昨日本人に邂逅して本人と一緒に贋作を探している――などとは口が裂けても言えなかったけれど。
それを聞いた高浜はうんうんと頷きながら、話を続けた。
「――成程、言いたいことは分かった。それにしても、殺人鬼とドッペルゲンガーか……。面白い仮説だね。警察もその情報ぐらいは掴んでいそうだし、調査はしていそうだけれど。でも、そこに着目点を置くのは凄いと思うな。普通は模倣犯とか複数人での犯行を考える訳だし。そこにドッペルゲンガーという着眼点を持ってくること自体がまさしくSFという感じだよ」
どちらかというとオカルトやホラーに近いのでは?
「ああ……、そうかもしれないね。けれども、ドッペルゲンガーも殺人鬼であるというのなら、それは最早血の繋がったきょうだいじゃないか、って思ったりするけれど……、殺人鬼の家族なんて分かりようがないからね」
それはその通りだ。
そんなことが分かるなら、苦労しないよ。
というかそこまで突き止められたなら、もう犯人逮捕秒読みだからね。チェックメイトと言っても差し支えない。
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